僕は中学校の廊下を歩いていた。窓からの白い光のはいる廊下にはどこからか先生の説明をする声が響いている。だんだん教室に入らなければ行けないような気になってきて、歩く速度を上げ、目当ての教室の扉へとたどり着いた。茶色や黒色の汚れの入った白ペンキ塗りの、教室の後ろ側の扉に手をかけ、ゆっくりとあけた。先生を含め多くの視線が僕に集まった。が、ちらと一目見ただけで誰も何も言わず、すぐに授業が進みはじめた。僕は廊下側の一番後ろの空いている机にスクールバッグを置いて教科書やノートなどを机に入れはじめた。
先生は真っ赤な服を着た、日焼けのした筋骨のたくましい、いかにも体育教師らしい男だった。けれども実際教えているのは意外にも数学だった。僕は教科書やノートなどを入れ終わって、スクールバッグを後ろのロッカーになおした後、机に頬杖をついて、教科書を片手にチョークを動かしている先生を眺めていた。すると先生はふと時計を見てつぶやいた。
「あ、今日は短縮授業か」
時計はもう授業の終わる五分前を指していた。
「はいじゃあ終わります。計算ドリルは毎日やっといてね。テストの日に出してもらうからね」
先生はそう言うと持っていた教科書を教壇の上に置いてまっすぐ立った。「起立」とすぐに日直の声が聞こえて、僕らは一斉に立ち上った。「礼」で先生がはじめに頭を下げて、また上げてから「ありがとうございました」と声を出す。その後に連れて僕らも頭を上げ下げしてから同じことを復唱し授業が終わった。ざわざわしはじめた教室を後に、先生はゆっくり教室を去って行った。
次は昼飯の時間だった。僕らは一斉に机を向かい合わせにくっつけていた。それが終わると各々スクールバッグから弁当を持ってきた。
「Kってさ、どっから来たの?うちらと同んなじだったっけ?」
苦笑しながらそう僕に話しかけたのは右前の席に座っていたTだった。彼女はメガネをかけた、少し顎のしゃくれた女だった。
「何言ってるの?同じ小学校じゃん」
僕が戸惑っていると、僕の前の席のYが助け舟を出した。彼女は小柄でよく日焼けをした、バスケ部の女だった。ボブヘアーのYはけげんな表情をして、Tの顔を眺めていた。
僕はそれに胸を熱くさせると同時に、なぜだか目も熱くなっていた。
「え、そうだっけ。ごめん」
Tは相変わらず苦笑を浮かべて椅子に座った。僕もYのことは勿論知っていたが、不思議とTのことは名前くらいしか知らなかった。が、Yとも友だちというほど親しくはなかった。ただどうにもYに覚えてもらっているということが嬉しかった。いつの間にか涙が頬を伝っていた。彼女たちは僕の変化に気づくこともなく、そのまま談笑を続けていた。
ふと机の上に置いた自分の手が目に入った。それはがっしりとして血管の浮き出た、──明らかに中学生のものではなかったそれに、思わず息が詰まった。服装も自分だけ学校指定の黒い学ランではなく、薄汚れた灰色の着物を着ていた。はたと僕は自分が病院のベッドで、点滴に打たれて眠っていることを思い出した。するとゆっくり世界がコーヒーにミルクが混ざるように円を描きながら歪んで行った。喧騒も頭の中を反響しはじめた。僕は僕だけが遠ざかっていくのを感じながら、涙をぽたりと落とした。……
「ありがとう……」
とうとう目の前は真っ暗になった。
五分前
幻想文学、心理ドラマ
"日常の隙間から零れ落ちる、記憶と現実の狭間の物語。"
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