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片喰

こうよう

2,158 字

歴史人間ドラマ

"息子を失った武将の絶望と、それでも続く命の象徴。"

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「殿……殿……」

 九州をどうにか脱出し、伊予国日振島へ命からがら逃げてきた元親のもとへ、顔を真っ青にそめた忠兵衛が走ってきた。忠兵衛はいつか兜を脱ぎ捨て、砂埃のこびりついた鎧がかちゃかちゃと金属の擦れる音を響かせていた。真冬の波を白くさせる潮風は身体に突き刺さるような寒さである。

「どうした」

 元親は平生のように静かに口を開いた。愛馬を乗せた船はまだ海原にいる。元親も立派な兜こそつけているが、忠兵衛と同じく、汚れに汚れている。普段は白い顔の彼も、顔中が泥で黒くなっていた。
 忠兵衛は言葉に詰まって、申し訳なさそうに俯いた。その目には涙が溜まって、冬の澄んだ日光をきらきらと反射させている。

「早く申せ」

 元親は忠兵衛に焦ったさを感じて、言葉を急かした。先の戦ではぐれてしまった息子のことがどうも気がかりでならない。まだ二十を過ぎたばかりの青年は血気盛んであった。その姿に初陣の頃の自分を重ねていた。
 まわりにいる侍たちは、忠兵衛のただならぬ様子に、ため息一つつかず、じっと忠兵衛を見ていた。

「そ、それがその……」
「どうしたのだ、お前らしくないぞ」

 忠兵衛は俯いたまま、わなわなと唇を震わせていた。かつて白地城でみせた凛然とした態度も、この時は見えなかった。
 元親も忠兵衛のその態度に、いよいよ嫌な予感がして、顔色に焦りが覗いた。その額には、真冬だというのに、うっすらと脂汗が滲みはじめた。

「まさか、倅に何かあったか」
「ええ。まあ……」
「いい。早く申せ」

 忠兵衛の目は涙に泳いでいる。が、すぐに意を決したと見え、目を強くつぶって震える口を開いた。

「弥三郎様が……討死なされたとの事」

 その瞬間、まわりの侍たちが驚き顔で顔を見合せた。中には元親の方を心配そうにじっと眺めている者もいた。
 忠兵衛は咄嗟に土下座して声を出した。

「申し訳ございませぬ。全ては私の責任でございます」
「弥三郎が、討死?……わしの倅が……死んだ?」

 元親は顔を真っ青にして、忠兵衛の背中を眺めていた。その目は焦点が定まっておらず、ただ、涙が黒く汚れている頬をつーと伝っていくばかりであった。涙は汚れを吸いながら、疎らに生えた顎鬚に雫となって溜まっている。強く握られた拳は小刻みに震えていた。
 元親の脳裏には、亡くなった父の、床に伏せた時の顔が浮かんでいた。戦の真っ最中だった父は鎧を身にまとっていた。傍らに親貞と親泰が涙していた。涙で輝いていた目と温かい手は一時も忘れたことはない。父は涙を流しながら霞んだ声でこう言った。

「長宗我部を頼んだぞ」

 それからすぐに父は亡くなった。
 元親は元来寡黙で柔和な性格だった。が、この殺伐とした戦国の世にあって、主君であるための努力を惜しまなかった。それは父のため、弟のため、付き従う家臣のため、愛する妻のため、そして息子たちのため、──常に心を鬼にしてかかった。その結果、土佐一国、阿波讃岐、そして四国制覇するまでに至った。もしこの世に信長や秀吉がいなかったなら、自分が天下を取っていたかも知れなかった。
 それが、よくもわからぬ仙石とかいう若造に、すべてを台無しにされた。若造は自分の「味方が来るまで待て」という諫言を無視して戦に敗れた。その上、倅まで失うとは、……
 額を地面につけている忠兵衛の背中は震えていた。鼻をすする声も溢れ出ていた。まわりの侍の目も、徐々に涙で輝きはじめた。
 元親は涙を浮かべながら、海の向こうをじっと見つめた。そこは薄黒い煙が濛々と上がっていた。
 徐に腰につけた脇差に手をやった。そしてそのまま刀を引き抜いた。

「わしはここで果てる。介錯をせよ」

 自分が斬られるものだと思っていた忠兵衛は、驚いて顔を上げた。主君は脇差を今まさに自分の腹へ突き刺そうとしている。

「殿、おやめくだされ」

 まわりの侍が慌てて駆け寄って止める。

「なぜだ。なぜ止めるのだ。わしはもう四国の主ではない。長宗我部はわしの代で終わったのだ」
「そんなことはございませぬ。お主ら、もっと殿を抑えよ」
「わしはもう国の者が死んでいくのは見とうないのだ」

 元親の頭の中には、かつて競った男たちの姿があった。毛利元就、三好長慶、河野通直、──彼らは皆いずれも、血腥い身内同士の争いを制してきた。毛利は嫡流が途絶えたが故の争いだった。三好は嫡子を失ったが故の惨劇だった。河野は嫡子がいないが故の諍いだった。自分の家もその中に加わることが恐ろしくてしようがない。いっそ死んだ方がましだと思った。

「やめてくだされ、殿」

 忠兵衛は額に小石をつけたまま、泣き叫んだ。声は曇った空に消えていった。元親は驚いて身体の力を抜いた。
 その時、侍の一人が、主君から刀を取り上げると、遠くの方へ抛り投げた。投げ出された脇差の切っ先が、寒い潮風に震える泥まみれの雑草をかすめた。茶色くなった三つ葉は小さく地面を這っていた。羽交い締めにされていた元親は涙を輝かせながら、ぼんやりとその片喰を眺めていた。

── 了 ──

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