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KID A草稿

abejunichi

15,014 字

哲学的寓話、思索小説

"その声は、きみの内側から響いてくる。世界の果てを目指す、魂の旅路。"

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KID A



  ♢

「神さまや仏さまは本当にいるの?」

 少年は時々、まっすぐな迷いのない口調で尋ねる。もちろん少年の両親はそういう疑問のひとつひとつに丁寧に答えようとしてきた。わからないことを懸命に調べ、考え、少しでもためになる答えを与えようとした。時々は、自分がかつて少年や少女だった記憶を思い出し、自分の父や母が、いったいどういうふうに答えてきたのか思いをめぐらせた。そこには少年に対する親としての責任がある。しかし、少年の口調には嘘を許さない絶対的な響きが横たわっている。そういうまなざしに対して、父と母は大人の知恵をもっても確かなことを答えることができない。父と母にできることは、その本当の答えを自分自身の力で少年が知ることができるよう、せめて導くことだった。だから、父や母は、泣き叫ぶように真剣な少年の疑問に「自分で考えてごらん」と言った。

 少年は、神さまや仏さまを自分が信じているのか、まだわからない。けれど、何か悪いことをした時に父が言う、「きっと神さまがみているのだぞ」という言葉は、少年にとってどことなく真実の響きがある。でも、そういう言葉だけで悪いことをやめることができない時は、父におしりをぶたれたり、真っ暗な家の外に放り出されたりして、報いを泣き叫ぶまで感じることになる。だから少年にとって、神さまや仏さまという善き存在に逆らうことは、相応の罰を受けることだ。恐怖はいつまでも少年の身体に深く残っている。

 ある時には、眠らずにひと晩中、窓辺から星空を見上げて願う。そうしていると夜空の星のまたたきが、はるか遠くの世界から、かすかな希望をもたらせてくれるような気がする。空には月も輝いていて、真っ暗な闇の世界にいちばんの輝きを与えている。その光が少年の心を強く惹きつける。だからまだ眠ることはできない。窓の向こうには少年の家と同じような家が沢山ならび、その向こうには、見知らぬ世界が広がっている。ふつうの少年や少女なら、もう寝てしまっている時間。けれど、少年は願い続けている。何かわからない、心の渇望にまかせて。

 心の中にある不安は、より強い願いへと昇華される。

 しかし、少年の問いかけの答えが、神さまや仏さまによってもたらされることはない。生まれてきてこれまで、何度も願ってきたことの多くは、叶えられることなくいつまでも宙に浮かび続けている。沈黙がいつまでも闇夜に横たわっている。なぜ願いは届かないのか。少年は、父や母が言う神さまや仏さまの存在に、少しずつ疑問を抱くようになる。





  ♢

 学ぶところにいく頃になると、決まりごとというものが教える者によって教えられる。悪いことをすると、両親の代わりに教える者が注意をしたし、悪いことをしていればまわりの子どもたちに嫌われる。だから、少年も悪いことはしないよう心がける。

 けれどある時、決まりごととは何だろうと思う。父や、教える者に尋ねると、決まりごとは、みんなで決めた約束だということだった。けれど少年は思う。

「みんなが決めたことなのに、僕は決まりごとを決めていないよ」

 少年は、そういう疑問を口にする。

 教える者や、父親は「そういうことは、大人が決めるものなんだよ」と言う。母親は「学ぶところで、みんなで相談をして決まりごとを決めることもあるのだから」と言う。少年は、何かわかったような気持ちにもなったが、ものごとは、神さまや仏さまの真実と同じで、自分で見つけなければならないと思う。

 少年は学ぶところからは、家へすぐに帰ることはない。友だちと遊ぶことが楽しいからだ。友だちとは、何でも自由に遊ぶことができる。少年が遊びを考えることもあれば、友だちが遊びを考えることもある。もちろん決まりもいくつか生まれたかもしれない。けれどそれは自分たちでつくりあげたものだし、とても自由だ。

 けれど、少年はわかってくる。彼にはとても腕力ではかなわないし、彼女にはとても愛らしさでかなわない。教える者が教えることを、すんなりと理解できるものもいれば、理解できないものもいる。なぜ、自分には何もないのか。そう思うこともある。

 あらゆるものの優劣が、教える者によって決められるようになると、さらに事態は難しくなっていく。

 誰が誰より頭が良くて、誰が誰より頭が悪いか。誰が大勢の人間に好かれていて、誰が嫌われているか。誰に多くの友だちがいて、誰に誰もよりつかないか。

 ある時には、自分がとても孤独だと思う。小さな世界の中ですら、誇れるものがない。そう少年は思ってしまう。

 学ぶところには、いくつかの群れができあがっていく。誰かは群れに入ることができない。そして力を持つ少年と、力を持たない少年が生まれはじめる。力ある少年は、やがて少年たちの自由な決まりを意のままに決めはじめる。従う者だけが、集団の中に居続けることができる。

 ある時には、少年は力ある少年に真正面から立ち向かいたいと思う。絶対にいいなりになどならない。しかし、この場所で生きのびていくにはとても危険だということも感じとっている。けれど力ある少年の側にいて、笑っているようなことだけはしたくない。

 でも、少年には何もできない。立ち向かうことも、立ち去ることも。

 夜になって家に帰ってきても、少年は悔しい思いが消えない。どんな言葉をかけるべきか。父と母は少年のそんな姿に何かを思う。しかし、なぜか心に届く優しい言葉をかけることができない。そして、いつものように時間がたてば機嫌をなおしてくれるだろうと思う。しかし、少年は家を飛び出す。ゆく先を月だけが照らしている。





  ♢

「僕を待っていたのかい?」

 髮の長い少年が言ったのは、ひと言だけだった。けれど、それだけで少年は満足する。もうひとりじゃないと思う。

 彼は、ほかの誰とも違う。

 たとえば彼は、少年が読んだことのある本ならたいてい読んでいて、物語のいっぷう変わった解説を聞かせてくれる。そして必ず、「で、これより面白い話を読んだことは?」と囁きかける。少年のたどたどしい言葉もちゃんと、隅から隅までわかっているという感じで聞いてくれる。そして心の奥にある本当の願いもわかっているみたいに返事をする。

 ある時には、「町に出よう」と言って、少年を店が立ち並ぶ通りへ連れて行く。植物店では、本の中だけでしか味わったことがない奇妙な植物について語り、果実店では、舌がとろけるような甘い果実をちょっとつまんでみせる。そして少年に「食べてごらん」と言う。

 観るもの、味わうもの、感じるもののすべてが、変わっていくことに少年は驚く。

 河のほとりで吹いた草笛は、どこまでもこの世界に響いていると思う。吹く風に前髪を揺らせて、髮の長い少年は楽しげにメロディーを紡ぐ。少年はどこまでもその旋律を追いかけようとする。ある時には、草原をふたりでどこまでも駆けていく。水のたまりに大きな雲が映っていても、おかまいなしに、たまりに飛び込む。水の中をどこまで潜っていけるか、ふたりは争う。けれど決して本当の争いはおきない。

 ある時には、いつかふたりで行く世界の果てへの旅について話す。あるいはそれは世界の中心への旅なのかもしれない。少年たちにはまだわからない、限りない未来がどこまでも続いている。

 穏やかな時の流れの中で、はじめて少年は、自分が生きていると思う。





  ♢

 少年と、髪の長い少年は、草の上に寝転がって太陽を眺める。雲の上にしか太陽はなく、だから雲は時々、太陽を隠す。雲ひとつない青空の日には太陽はまぶしすぎて見えない。それはひとつの真理だと髮の長い少年は言う。

「輝くものほど、その本当の姿は見えない。僕らに見えるのは、輝きだけなんだ」

「輝きだけ?」と少年は聞き返す。

「そう。輝きだけ」

 輝いて見えるもの。それは少年にとって無数に存在する。実際に輝いているものもある。光をあてれば輝くものもある。

「たとえば、純金なんかは輝いてみえるけど、あれはただ光を強く反射するだけなんだ。美しさの真実は、やっぱり光にある」

 輝きを理解することもまた、真実を理解することなのだと少年は思う。

「ところで、この町でいちばん光が射す場所のことを知っているかい?」

 光射す場所には、最初、何もない。ただ、澄んだ空気と光が射しているだけだ。髮の長い少年が言うには、光射す場所は、本当の願いを叶えるための場所だと言う。けれど少年には、本当の願いというものがわからない。

 髮の長い少年は言う。

「本当の願いがわかったら、いつかこの光射す場所に来て欲しい。その頃には、今よりも光射す場所はうんと輝いているから」

 髮の長い少年は、少年の記憶に残るように言葉を選んで話す。

「太陽の光は暖かいけれど、本当にその近くまで近づいてしまえば、僕たちなんて焼き消えてしまう。そういう本当の熱が太陽にはある。光射す場所の光もそうだよ。それはとても恐ろしい光でもあるんだ」

 もし少年が今、光に包まれたならその光は何を照らし出すだろう。少年には、まだそういうことはわからない。





  ♢

 少年はいつも友だちたちとの間で、自分に力がないと感じている。けれど髮の長い少年は言う。

「そういうのって誰にでもあることだよ。僕だって悔しい思いをいっぱいしている。本当に人と自分を比べることはしんどいことだ。けれどどうだろう。そういう人を何かを教えてくれる人だと思えば」

 少年は言う。「教えてくれる人?」

 髮の長い少年は微笑む。

「僕たちなんて、まだ何年も生きていない。だからわからないことがたくさんある。僕は君に伝えることができることもある。けれど僕も君からも多くのことを学んでいる」

「何を学んでいるの?」

「疑問を持つことは、いつか答えに辿りつくことができるってこと」

 そう言われると、少年はとても嬉しくなる。僕にも、ただその場所にいるだけで何かを教えることができるんだと思う。

「本当はすべての人が、学びあえればいいと僕は思っているんだ」

 髮の長い少年はため息をつく。

「けれど、誰もが何かをいつも教えてくれる存在だと理解している人は少ないよ」

 哀しそうに髮の長い少年はうつむく。けれどその言葉に対して少年は力強く言う。

「僕はきっと君から多くのことを学ぶよ」

 そう言うと、髮の長い少年は救われたように笑顔を取り戻す。

「ありがとう。僕たちはいつまでも学びあうことができる友だちでいたい。時間がどれだけ過ぎても。僕も君から学び続けるよ」

 ふたりはそう語りあう。





  ♢

 ある朝には、雨が降って、そしてそれでも太陽が出ている。

「絶好の日だよ」と髮の長い少年は言う。

「何が絶好なんだい?」と少年は聞き返す。

「いいから」

 少年は、髮の長い少年に連れられて家を出る。町はずれの山の麓には、雲と雲の切れ間から虹がみえている。

「虹はいつもあらわれるわけじゃない」と髮の長い少年は言う。「そしてあの虹が生まれる場所へ行くことは簡単じゃない」

「虹はどこから生まれるの?」

「見たままさ。あの山の麓から虹は天へ繋がる道を作っている」

「まさか。そんなこと信じられないよ」

「みんな、そこまで行ったことがないからさ」と髮の長い少年は言う。

 ふたりは虹をめがけて走って行く。走っている間に、雨は上がり、ふたりは濡れた前髪も気にせず、山の麓へと走って行く。町の人たちは、何が起きたんだい? という顔をしている。

 ふたりは町の通りという通りを駆け抜けて行く。まるで風みたいに。近づけば近づくほど虹はどんどん大きくなっていく。七色の光と光の間には境界がなく、それらは本当に光が作り出した天空への道のように思える。

「きっと空には虹の橋を通ってだけ行くことができる別の世界があるはずだ」

 髮の長い少年は、はしゃいだように言う。少年もきっとそうだと思う。

「もっと早く走らなきゃ」

「あの虹が消えてしまう前に」

 ふたりは本当に速く走り続ける。そして風になる。町と町を吹き渡る風に。丘と丘を越える風に。世界と世界を越える風に。

 しかし、その先には湖があって、虹はその遥か向こうにある。

「なんて大きな湖なんだ」と髮の長い少年は言う。

 巨大な湖の向こうから虹は生まれ、少年たちは今のままではその先へは一歩も近づくことができない。

「この湖さえなかったら、きっと虹の橋をわたることができたのに」とふたりは悔しがる。

 けれど、湖からのぼる虹はとても美しく、ふたりは虹の橋をずっと眺めている。





  ♢

 森の迷路に迷い込んだ時には、髮の長い少年は声だけを響かせる。

「こっちだよ」

「いや、こっちだよ」

 木々の中で、髮の長い少年の声がこだまする。どの声が本物で、どの声が間違った声なのかわからない。そういう迷いの森の中で、少年はどの声が本当の声なのか迷う。どの方角が正しい道で何をどうすればいいのかわからない。

「そういう時には、目を閉じるんだよ」

「そういう時には、直感に従うんだよ」

「いや、ちゃんと母親の言うことをきかなきゃ」

「けれど、それが本当に正しい言葉?」

 声という声があふれ、道という道が閉ざされ、光という光は闇の中で沈黙している。

「虹の向こうなんか目指すからだよ」

「すべてがみえることなんてないよ」

「きっと僕が悪いのさ」

「きっと何かを間違ったのさ」

 少年は、森の中を彷徨い、言葉に対して言葉をかえし、けれど自分が何を言っているのかわからない。いったい自分の声がどの声なのかも見失う。いったい何をどうすればいいのだろう?

 少年は長い沈黙の後で言う。

「ねぇ、僕たちは友だちだよね。僕たちはお互いを必要としているんだよね?」

 けれど、その声に髮の長い少年は笑ってこたえる。

「いいかい? もし僕がいなくなったら、一体どうするんだい?」

 少年はどう答えていいかわからない。そしてうずくまる。

 髮の長い少年が、森の中で少年を見つけた時、少年に何を語りかけても、少年は何の返事もしない。





  ♢

 少年はすべてに心を閉ざしてしまう。髮の長い少年にすら。けれど髮の長い少年は、歌うように語りかける。

「君は笑えないと思っているかもしれないけれど、君は笑うことができる。君は怒れないと思っているかもしれないけれど、君は怒ることができる。君は泣いてばかりかもしれないけれど、いつも泣いているわけじゃない。そして何かを伝えることができれば、世界を変えることができる」

「どうすれば世界を変えることができるの?」

 ようやく、少年は髮の長い少年に返事をする。

 髮の長い少年は言う。とても力強く。

「僕たちが、僕たちのまま生き続けることさ」

 髮の長い少年は語る。

「世界にはひどいものや醜いものが存在する。うんざりすることばかりだ。けれど、そういうものごとのひとつひとつに、ちゃんとそれは違う、って言うんだ。うんざりすることを続けるために僕たちは生まれたんじゃない。僕たちは生きている。生かされているんじゃない。生きているんだ」

「みんながそう言えるようになるかな?」

「そうなるよ。僕はそれを信じている」

 少年もそれを信じようと思う。

「大勢の人が、それは違うって言うんだ。虹の向こうには、素晴らしい世界が待っている。これまでのようじゃない世界。うんざりしたりしない世界」

「そういう世界がどこかにあるのかな?」と少年は疑問に思う。

「そうじゃない。これから生み出すのさ」と髮の長い少年は微笑む。

「だって僕たちはわけのわかったふうに生かされているんじゃない。生きているんだ」





  ♢

 ある時には、少年は髮の長い少年に連れられて、すべてがみえる丘を目指して歩いていく。そして町のはずれを流れる小川を越え、雑木林を抜けていく。谷間には、ちょっとした橋がかかっていて、今にも崩れ落ちそうだ。けれど髮の長い少年と手を繋いで、なんとか勇気を振りしぼる。

 とても暗いトンネルもある。誰が作ったのかわからないトンネルは、少年たちの間では、いつも噂になっている。「きっとあそこには幽霊が住みついているんだぜ」。噂は少しも信じていない。けれど実際に入り口に立ち、暗闇の本当の暗さを感じると、話は本当なのかもしれないと思う。

 けれどそういう時には、髮の長い少年が、歌を歌ってくれる。その歌には、なんとなくユーモラスで元気が出る響きがある。少年も一緒になって歌う。ふたりの声は、トンネルに反響し、まるで大勢の子どもが歌っている合唱のように聴こえる。なにより歌を歌っていると、やがてどんな暗闇も怖くないという感じがする。

 緩やかなカーブを曲がると、ずっと遠くだけれど、小さな光が輝いていて、出口があることを教えてくれる。髮の長い少年はますます楽しそうに歌を歌うし、少年も必死に歌い続ける。

 出口の光は、まるでお日さまのなかに包まれているみたいに温かい。少年は、その温かさと、繋ぎ続けている手の感触がまるで同じみたいだと感じる。

 そして町のすべてが一望できる丘の頂きに辿り着く。ここから見渡すと、自分たちの住んでいる町は、なんて小さいのだろうと思う。

 家の近所のおばさんの家にもうすぐ子どもが生まれることや、学ぶところの裏側にある家に住むおじいさんがもうじき亡くなることや、穏やかな野原にやがて家が立ち並ぶことがわかる。それでも風は吹き続けているだろうということがわかる。町の向こうの彼方に海が広がっていることがわかる。いつか空がとても地上に近づくことが理解できる。

「いつか町を出るのなら、今日のことを覚えておいて欲しいんだ」と髮の長い少年は言う。

「どんな暗闇も先が見えない場所も、いつか通り過ぎることができるんだってこと。そしてその先には、これまでにみたことのない世界が待っている。そういうところに辿りつくと、こんなふうにこの世界はなんて小さいのだと思う。けれど、僕たちはそういう町で暮らしているし、それがとても大切だって思う」

 少年はとてもびっくりする。町を出ることなんて考えていなかったし、世界の果てまでいくなんて、お話の中だけのことだと思っていたからだ。

 けれど、髮の長い少年は言う。

「もし、こんなふうにすべてがみえる場所があるなら、その場所へ行きたいと思わないかい?」

 少年はとても迷う。

「今はわからないよ。先のことなんて」

 けれど、髮の長い少年は優しく微笑む。「いつか君は真実を知りたいと願っただろう? だから僕は君がいつかこの町を旅立つと思う」

 髮の長い少年は言う。

「けれど、忘れないで欲しい。僕はこれからもこの町にいるし、いつでも君のことを待っているから」

 少年は髮の長い少年の言葉を忘れないでいようと思う。





  ♢

 最後に、髮の長い少年はこの町でいちばん光射す場所へ少年を連れていく。そこには今もとても透明な光が差し込んでいる。穏やかな静けさがある。空気がとても澄んでいる。

「願いごとがわかったかい?」と髮の長い少年は言う。

「すべてのものに力を与えるのは、信じられる力なんだよ」

「そして信じる力でもある」とつけ加える。

 誰かが何かに魅せられて、魅力を感じたなら、魅力を感じられたものには力が生まれる。魅せられる者こそが、魅せる者に力を与える。

「それは愛なんだ」と髮の長い少年は言う。

 つまり、光輝くものは、わたしたちによって光輝いている。

 わたしたちなしに光輝くことなどできない。

「それが力の真実なんだよ」

 どういう意味なのだろうと少年は思う。けれど、髮の長い少年の微笑みは永遠に心に残る。





  ♢

 ある時には、少年はすべてがみえる丘で祈りを捧げている。

 誰のためなのか。そういうことはわからない。けれど、いつか髪の長い少年と感じた世界の広がりや奥行きの感覚を、もう一度確かめたいと思う。

 時々は、少年は何かを感じる。

 それは、時には小さい動物が野山を這いずり回る、そういうささやかな音だったりする。けれど、普段なら気づかずに見過ごしてしまう、雨が降った後の雫のひとつひとつや、獣たちが人々を恐れて気配を殺しているような静けさや、町がとても流動的に変化を続けていることを感じると、祈りは、確実に少年の中に何かを与える。それはどこかから舞い降りた天の恵みのようだ。

 そういう時に、ともに時間を過ごした、髪の長い少年の言葉が響く。

—気づいたかい?

 彼の言葉はいつも自分の深く内側に存在する。

 彼は本当に存在するだろうか? それはわからない。誰もが交わす言葉の中で思い描いたひとつの夢なのかもしれない。

 けれど、少年はあの髪の長い少年がすぐそばにいたという懐かしい感触を残して、自分はここにひとり立っているという現実を思い出す。

 そして、あのすべてが見える丘だった場所は、少年が自分自身の魂の奥深くや、まだ見ぬ世界の広がりについて考える時に、今もすべてを感じる場所としてある。

 少年は思う。自然は自分が生まれるずっと以前から大地とともに、風雨とともに存在する。季節がめぐっても変わらずそこにある。そういう確かさに、少年は耳を澄ます。そしてそっと囁く。あの、いつもの素晴らしい感覚を与えてくださいと。

 時として、その願いは果たされることはない。特別な時間は、いつも訪れるわけではない。けれど、時には、その世界の確かな広がりへ、まるで虹の橋がかかったみたいに連れていってくれる。やがて時間のすべてが、目の前で踊りを踊っているみたいに自由に変化するように感じられる。そういう時には、すべてが温かい。それは言葉にするにはとても難しい広がりを有している。当然の帰結としての現在と、ものごとのはじまりである過去と、そして未来を感じる。

—言葉で表すことができるものごとは、そのほんの限られたことだけだよ

 言葉は、多くの世界の声のささやきのひとつだ。そういう声の、ずっと向こう側へ飛び立つ。そして、そのすべてと同化し、自分が世界を感じるその鮮やかな感覚にすべてをまかせる。

 その中で、世界は少しずつ虹の向こうの世界へと変貌していく。





  ♢

 その丘の頂で、少年は獣のように感覚を尖らせていく。鋭い矛のように。まばゆい光のように。そして少年が感じられる世界のはるか果てでは、古き王たちが、言葉なき命令を発している。その力を感じとる。

 力ある少年たちは、その言葉なき命令を自分のことのように感じとっている。その一部となっている。

 自分に力があるのは、自分に力があるからではなく、すべて与えられたからだ。そう感じることで、やっと少年たちは力ある少年となる。力は古き王たちに認められたから行使することが許される。もちろん、その力は、時々は暴走する。より弱い者へと向かう刃となる。しかし、古き王たちの言葉なき言葉は、まるで自分の魂の奥底から湧いてくる魔法のように、やがては少年たちを素晴らしい魂の持ち主へと変化させていく。そしてその中から、守り続ける人々が生まれる。村や町を守り、愛するものを守り、規則を守り、そして秘密を守る。それはやがて世界を守ることになる。彼らは世界の一部であり、そしてただの人でもある。そういうことを少年は感じとる。

 少女たちも、愛することを本能的に知っている。愛されてきたことや、愛されなかったことは、それがどうあっても愛することに繋がることを知っている。そしてそれも古き王たちの言葉なき命令である。

 彼女たちは、その奥深いところで、古い王国を蘇らせる新しい生命を育むことを命じられている。それは道という道をどう曲がり、どこへ行こうと変わることのない真実であるかのようだ。彼女たちが育てているのは、自由な魂ではなく、世界の新しい従者たちだ。彼女たちがそう望もうとしても、そう望んでいなくても。

 傷ついた時には、歌い手たちが歌う歌を、自分の歌であるように歌う。悲しい時には、幸せになるためのあらゆる物語に身をまかせる。時にはそれでもどうしようもない。しかし、古き王たちの命は、誰かがきっと誰かを救うようにできている。

 少年はすべてがみえる丘で、そういうひとりひとりのことを感じる。もちろん、少年がみることができるのは、その限られた生の、その想いのほんの一部だけだ。少年の力もまた限られている。そして感じることができる世界は、どこまでも古き王たちの力が届いていて、自分も力ある少年たちが、やがてそうなっていくように、世界を守るひとりとならなければならないと感じさせられる。古き王たちの力はとても強大で、そして人々を浸食する。

 けれど、それがひょっとすると目指すべき者なのかもしれない。そう少年は思いはじめる。けれど、そんな時には、どこか魂の奥のその深淵から、髪の長い少年が語りかけてくる。

―そう簡単なことじゃないよ。

 その通りだ。世界の一部となって生きることは、それでもきっと簡単ではない。





  ♢

 すべてがみえる丘で感じることができた素晴らしい憧憬は、古き王たちの力で、力を求める渇望へと変わる。

 あのまばゆいばかりの景色はどこへ行っただろう。髪の長い少年と感じた素晴らしい世界は、灰色の焦りだけが募る場所になってしまう。

 すべてがみえていたという感覚は、ただの幻だったのだろうか。

 丘はただの丘に戻り、場所はただの場所に戻り、虹はただの虹になる。世界は変わらずそのままにあり、定められた歩みのままに、身体だけが成長していく。

 あらゆることから学ぶことができるその知恵は、古き王たちの思うままに変えられる。それは学んでいるのだろうか? ひとつの方向へ走ることだけを求められ、走り続けるその体力を求められ、言われるままに少年は走る。

 この手を自分の思う通りに動かしたい。この足で空を飛んでみたい。思いはあっても、それは定められたことではない。

 定められた通りに生きなければ、力は与えられない。それは無力と同じだ。それは悲しみと同じだ。そしてそれは牢獄と同じだ。少年の中に怒りや憎しみの感情が渦巻く。なぜ生まれてきたのか。そういうことを思う。

 しかし、古き王たちの言葉なき言葉は言う。

—誰もが悩み苦しみ、そしてやがてという時間を手にするのだ。

 あるいはそうなのかもしれない。けれどもし、明日という時間がなくなってしまえば、何のためにここにいるのか。





  ♢

 やがて町はどんどん古びはじめていく。静かな崩壊が時間とともに町を襲う。建物はかつての輝きを失い、くすんだ錆が表面に浮き出てくる。住んでいる人々も老いていく。きらびやかだった町の影が色濃くなっていく。そして、多くの少年や少女にとって、町の外の世界が憧れの場所になる。少年たちは楽しげなその外の世界へ惹かれる。自由に生きてみたい。旅人のように。そしていつしか町を離れる少年や少女があらわれはじめる。胸に固い決心を抱いて。そしてその町の中央にある針のない時計塔の下で故郷に別れを告げ、ひとり、またひとりと去っていく。

 成長した少年たちにとって、町は古い世界そのものだ。そして父と母は、その町の想い出の中に、ただ佇み続けるだけのように思える。町は、多くの少年や少女を育んできた。けれど若い魂が感じるのは、その不吉な死の匂いだ。

此処にいても何処へもいけない。

そして多くの少年や少女がすべての古く老いたものたちに別れを告げていく。





  ♢

 針のない時計塔の下で、ギターを弾いている少年がいる。誰も聴いていないのに、その少年はギターを弾き続けている。ある時に、少年はその光景に魅せられる。その歌に古き王たちの言葉なき言葉とは違う何かを感じる。いつの間にか、彼の目の前にいる。足が勝手に動いたのだ。

「久しぶりだな」そうギター弾きの少年は言う。

 最後に彼と会ったのはいつだっただろう。もうずいぶん話していなかったような気がする。

 少年は彼と挨拶を交わす。

「ずっと昔のことだけれど、お前をなぐって悪かった。俺もあの時は、力のある少年だったからさ」

 彼は力のある少年だった。もうずいぶんと前に。

 ギター弾きの少年はそう言うと、ギターを響かせる。

「今ではもう、力のある少年じゃない。俺はギター弾きの少年なのさ」

 少年は頷く。

「力を失ったのですか?」

 少年は問いかける。

 ギター弾きの少年は言う。

「力のある少年というのは、力がある少年がなるものさ。俺にはきっと古き王たちが望んでいる力なんてなかったんだよ」

 ギター弾きの少年はそう言うと肩を落としてみせる。

「なかなかいいものだったよ。力のある少年であることは。みんな俺より力がないようにみえる。自分が一番で、他のやつらはみんなはるか下にいる。もちろん、古き王たちには逆らえないけれど、それでも力があるということはすばらしかった」

 そう言うと、かつて力のある少年だったギター弾きの少年は、ギターに合わせてハーモニカを吹きはじめる。

 それは哀しい音色をしている。

 けれど、今の彼からは親しみのようなものを少年は感じる。

「ギターを弾くのはいいものだよ。誰も傷つけずにすむ。力のある少年だった頃は、ずいぶん色んな少年たちを傷つけた。そういうのってちょっと違うとは、どこかでは思っていたんだよ。きっと心のどこかではね」

 少年はその言葉に何かを思う。ギター弾きの少年は話を続ける。

「ま、ギター弾きの少年のほうが気楽だ。何も力のある少年であることだけが人生じゃない。それに今では俺の中には目指すべき者がいる」

 そう言うと、ギター弾きの少年は、またギターを響かせる。

「今はまだ、目指すべき者のようには弾けない。目指すべき者は、本当に上手くギターを弾くんだ。俺は力のある少年でなくなった、空っぽだった時期に彼に出会った。彼の演奏は本当に凄いよ」

 そう言うと、ギター弾きの少年はしばらくギターに夢中になる。彼は言う。

「目指すべき者が言うには、音楽は心の音なんだそうだ。俺の心が完全に、力のある少年だったことを忘れて、本当にギター弾きの少年になれた時に、俺は救われるのだそうだ。そう目指すべき者は約束してくれたよ」

 少年はただ黙って話を聞いている。

「俺はそのうち町を出る。こんな古い町じゃ、ギターがいくら上手く弾けたってどうしようもないんだ」

 そう言うと、ギター弾きの少年は歌を歌いはじめる。

「何年もギターを弾き続ければ、俺の心もちょっとはましになるはずさ。その時には、きっと本当の歌が歌えるんだ。俺はそう信じている」

 少年は黙ってギター弾きの少年と別れる。





  ♢

 哀しい別れは、いつもその町の中央の針のない時計塔の下で起きる。

 少年は、針のない時計塔の下に佇む少女を前に、何も語りだせずにいる。まず、最初に何を話せばいいのだろう。目を合わせることもできない。そっと見る彼女の横顔はまるで考えていることがわからない。怒っているのか、退屈しているのか、何も考えていないのか。わからない顔をして、ただ黙っている。けれど、彼女がそういう顔をしているのは、きっと僕のためなのかもしれない。時々はそう思う。しかし少女にとって、少年は多くの少年たちのうちのひとりでしかないのだ。けれどもし、最初のひと言を語りかけることができたなら、運命は変わるだろう。

 少年が求めているのは、心のつながりだ。その魂の奥の。ある時には、世界のすべてをみることができたとしても、その少女の心の内側は秘密のままだ。彼女ひとりのことさえわからない。いったいそれで、世界の何がわかるだろう。

 そして少女の心は隠されているからこそ、少年の心をとても強くうつ。心臓は脈打ち、その瞳を見つめることができず、変わらず最初に話しかけるべき言葉を探し求める。もし、言葉なく心が伝わるのなら、彼女にならすべてを捧げてもいい。とても固い岩のように決意している。けれど、その固さは、自分の心の固さと同じで、どれだけその両手で動かそうとしても、ぴくりとも動かない。そこには恐怖がある。自分が自分であることが、否定されるかもしれないという恐怖が。そこには古き王たちがかけた呪いがある。少年はその短い距離の最初の一歩を踏み出そうとする。その両足は、いつか世界の果てまで歩いていくことを望んでいる。それでも彼女を前にしては、一歩も歩みだすことができない。

 愛するということは、少年にとっては世界の謎そのものだ。そして、彼女はその謎ごと抱えて、何も話すことができない少年の前から、何も言わずに去ってしまう。この町ではない何処かへ。

 彼女がいなくなってから、少年は思う。最初の言葉をみつけることも、必要なことだ。僕が僕であること。そのことをひと言で表すことができる、その最初の言葉を見つける。もし、その言葉を見つけなければ、少年と少女は永遠にその針のない時計塔ですれ違うだけだ。そういう運命を変えるためにも。そう少年は決心する。





  ♢

 目指すべき者は、ありとあらゆる姿をしている。その声は聴こえるものにしか聴こえず、その姿は見えるものにしか見えない。やがて、少年は目指すべき者を感じはじめる。多くの別れの悲しみが目指すべき者の存在を感じさせるのだ。

 町を去って行った少年たちは、目指すべき者を見つけたのだろうか? あるいはそうかもしれない。

 少年は闇夜が明けたその消え入りそうな月の下を走り続ける。一歩でもその先へ近づくために。

 夢の中では、大きな光が映し出す未来の中に少年はいる。その光に触れていると少年の身体は熱くなる。もっと速く、もっと強く。そうあらねばならないと思う。きっと今のままでは、どこへも行けない。

 外の世界には何が待ち受けているのか。それは希望かもしれない。それは絶望かもしれない。

 構わないと少年は思う。僕は大切な人たちを失ってしまった。彼らと再び出会うのだ。

町を去って行った者を追いかけるように、少年はずっと後になって旅立つ。光の中で感じた未来を追いかけ、別れた者たちと再会し、目指すべき者に出会うために。

 その町の針のない時計塔の下では、新しい別れがある。新しく見送られるのは少年自身だ。

 誰かがやってきて、少年は夢を語る。それはまだとりとめのない言葉にできないことを多く含んでいる。けれど少年の中の決意は固く、誰もそれを押しとどめることはできない。

 誰かは少年のために涙を流す。その先の運命のことを思う。そのように涙は流される。

 それでも少年は旅立つ。そしてまだ見ぬ世界を見る。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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