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CYBER EXORCIS

ジーク

19,778 字

サイバーパンクアクション、SFミステリー

"義体とナノデバイスが織りなすサイバーパンク都市で、少女祓師シオンが『悪魔憑き』を祓う。その日常は、世界の深淵へと繋がっていた。"

義体化と体内ナノデバイスが当たり前になった近未来。 人々を豊かにするはずだった技術は、やがて身体を乗っ取る《サイコシス》という災厄を生み出した。 発症者を処分する特殊執行官・シオンもまた、全身義体の少女だった。 教会は死を救済と呼び、企業は治療を利益へ変え、執行官は今日も人を殺す。 「人間」とは、いったいどこまでを指すのか。 機械の身体を持つ少女が、人間になるまでのサイバーパンク・アクション。

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 アタシの一日は、聴き慣れた曲の歌声か、物騒なコール音ではじまる。
 前者なら潔く二度寝をする。後者なら愚痴を零す。
 ちなみに、アタシの喋り方が少々よろしくないのは、たぶんお気に入りの歌い手の影響だ。
 たぶん、というのは――まあ、色々ある。
 そして今日は、どうやら後者らしい。
 耳障りなコール音が、頭蓋の内側を直接叩いている。
「……うるさ」
 まだ起動しきっていない視界の隅で、着信通知が明滅する。
 発信者――ガトウ。
 表示を睨んでもコール音は止まらない。仕方なく回線を開くと、聞き慣れた渋い声が脳内へ流れ込んできた。
『シオン。悪いが仕事だ』
「……場所は?」
 ベッドから身体を起こす。
 シーツの上に、白く華奢な脚が伸びている。その輪郭へ重なるように、義体の自己診断結果が流れはじめた。
 駆動系/神経接続――正常。
 HALO同期率――九八・七パーセント。
 体内ナノデバイス推定濃度――
 表示が止まった。
「ん?」
 数秒遅れて、赤い文字が浮かび上がる。
 ――異常。
 脳中枢に未登録粒子群を確認。
「また?」
 細いノイズが視界を引き裂いた。
 一瞬だけ文字列が崩れ、診断項目が強制的に再起動される。
 体内ナノデバイス推定濃度――正常。
「どっちよ」
『どうした?』
「HALOが朝から寝惚けてる」
『お前より先に起きてるだけマシだろ』
「切るわよ」
『仕事の場所を聞いてからにしろ』
 そうだった。
『ヴェスパー中央大通り。座標は送ってある』
 受信した座標を開く。
 視界の中央へ市街地の立体地図が展開し、中央大通りの一角が赤く塗り潰された。その内側で、NEXUS機動隊の識別信号がいくつも明滅している。
「何があったの?」
『異常個体だ』
 一瞬で眠気が消えた。
「深度は?」
『現時点で推定Ⅱ。だが、進行中だ』
「NEXUSの機動隊は?」
『もう交戦してる。お前も急げ』
 地図の上で、最短経路が蒼い光となって伸びる。
「了解」
 こういう朝に限って、ろくな仕事じゃない。
 ベッドを降りる。視界の端で現場情報を更新させたまま、大きな鏡の前に立った。
 最初に目へ入ったのは、腰まで伸びた銀白色の髪。
 そして、場違いに跳ねた寝癖だった。
「……むぅ」
 現場では機動隊が交戦中。異常個体の深度は進行中。市民の退避もまだ終わっていない。
 それとこれとは別問題だ。
 櫛で髪を梳いていく。銀白色の隙間で、こめかみの接続光が淡い蒼に瞬いた。
 鏡の中にいるのは、華奢で、いかにも戦闘向きには見えない少女だ。
 けれど、頭の中身以外は全部戦闘用義体だった。
 昔のアタシも、たぶんこんな姿だった――そんな気がするだけで、確かめる術はない。気づけば、鏡へ指を伸ばしていた。突然、耳鳴りがする。
「っ……」
 頭の奥を、細い針で刺し貫かれたような痛みが走った。
 鏡の中に、顔のない少女が立っていた。目も、鼻も、口もない。それなのに、笑っていると分かった。
『Novus Ordo Seclorum』
 それは声ではない。音としては聞こえない。ただ意味だけが、脳へ直接書き込まれていく。
『時代の新秩序――人知を超え、エデンへ至る』
 いつものように、意味の分からない言葉が続く。
 深呼吸をする。一度、二度と瞬きをすると、鏡に映っていたのはいつものアタシだった。
「……朝から趣味悪いっての」
 いつもの鬱陶しい幻覚だ。たぶん。
 そういえば、ガトウに飲めと言われた頭痛薬があったはずだ。
 棚をまさぐり、感触を頼りに小瓶を掴む。妙に軽い。蓋を開けて逆さに振ったが、何も落ちてこなかった。
「…………」
 念のため、もう一度振る。今度は音すらしない。
「まあ、いいか」
 我慢できるレベルだ。
 小瓶を棚へ戻し、クローゼットから戦闘衣を引っ張り出す。黒を基調に、白銀と蒼を重ねたデザイン。身体へ通すと、収縮した生地が義体の輪郭へぴたりと吸着した。
 肩と脇腹は大胆に露出している。
 実用性を疑われることもあるが、防御は義体の仕事だ。服にまで働かせる必要はない。
 我ながら、少し攻めすぎた気もするけど。
「似合ってるから問題なし」
『何がだ?』
「まだ回線繋がってたの!?」
『お前が切ってねぇんだろ』
「盗み聞き! 変態!」
『独り言を垂れ流しといて何言ってやがる』
「今の忘れなさい」
『善処する』
「絶対覚えてるじゃん!」
 壁のジャケットを引っ掴んで羽織る。レッグホルスターへ拳銃を収め、視界の中央へ現場までの経路を固定した。
「――対処するわ」
『念のため聞いとくが、車で送ってやろうか?』
「必要ない。アタシが走った方が速いもの」
『修理代まで含めると、車の方が安いんだがな』
「縁起でもないこと言わないで」
『なら制限、飛ばすなよ』
「分かってるって」
『その台詞を信用できたことが、一度でもあったか?』
「切るわ」
 今度こそ回線を切った。静かになった頭の中で、現場へ続く蒼い経路だけが明滅していた。

 ◇

  現場へ近づくにつれ、爆発音が腹の底まで響いてくる。
 ――ヴェスパー中央大通り。
 黒煙。炎上する車両。道路を塞ぐ瓦礫。
 その向こうで治安局の機動隊が横一列に展開し、道路中央に立つ男へ銃撃を浴びせている。
『撃て! 撃てッ!』
 無数の銃弾が男を捉えた。血飛沫が舞い、身体が何度ものけぞる。
 それでも倒れない。
「ォォオオオオオッ!」
 男が吠えた。右腕は肘から先が丸ごと軍用義体へ置換されている。装甲の隙間から火花を散らし、腕部内蔵型ランチャーが展開した。
『散開――!』
 ――ドゴンッ!
 号令ごと、機動隊の前列が爆炎に呑まれた。大通りへ到着したアタシは、思わず足を止める。
「うわぁ……」
 車はスクラップ。道路は穴だらけ。そこら中に血が飛び散り、上半身とおさらばした死体まで転がっている。
「朝っぱらから景気言いいな……いや、悪いのか」
 どっちでもいいか。対象へ焦点を合わせる。HALOが治安局の記録と照合し、氏名、年齢、職業、登録義体情報を視界へ並べていく。
 そのすべてを押し退けるように、赤い警告表示が浮かんだ。
 《PSYCHOSIS》――サイコシス。
 現実と夢の境界が曖昧になり、身体の制御権をナノ群体と奪い合う症状だ。
 本来なら、人間がナノを使う。けれど、ウイルス汚染、違法ナノ、過剰投与――きっかけは何であれ、その主従関係がひっくり返ることがある。
 ナノが、人間を使い始める。自分で動いているのか、内側の声に動かされているのか。発症者自身にも、次第に区別がつかなくなる。
 治安局は発症者を《異常個体》と呼ぶ。
 教会の言い方なら――悪魔憑き。
 呼び名が違っても、目の前の身体を動かしているのが、もう本人だけではないことに変わりはない。
「おはよう」
 アタシは機動隊の横を通り抜け、彼らの前へ出た。
「随分と苦労してるじゃん」
 背後で隊員の一人が舌打ちする。
「……祓師か。対象は深度Ⅱ、軍用義体持ちだ」
「見りゃ分かるって」
「なら早く何とかしろ。こっちは三人やられている」
「人使い荒いなぁ」
「そのための祓師だろ」
「はいはい」
 どうやらこの職業は、相変わらず彼らに嫌われてるらしい。
 男がゆっくりとこちらを向く。血走った眼球がアタシを捉えた。
 解析結果が更新される。
 精神侵食――進行中/推定深度――深度Ⅱから深度Ⅲへ更新。
 どうやら深度がさらに進んだようだ。
 とりあえず、マニュアル通りにまずは意思疎通ができるかを確認しておこう。
 アタシ的には、意味無いと思うけど。
「えーと……すみませーん。聞こえてます?」
 そう声をかけると男が右腕を上げた。
「……お?」
 ガシャン、と砲口が展開する。真正面からアタシへ向いた。
「あ、聞く気ないタイプね」
 砲口から火を噴いた。反射的に地面を蹴る。一瞬前まで立っていた場所が爆炎に呑まれ、熱風が背中を殴った。
 十数メートル先へ着地する。
 義体出力――安全基準値二三八パーセント。
 ナノ群体濃度――上昇中。
「なるほど。知ってたけど、意思疎通はできないようね」
 解析と確認によるダブルチェックは済ませた。こっちだって説得に来たわけじゃない。
 HALOとの神経同期を戦闘領域へ移行。
 知覚加速。聴覚制御。義体出力制限――第一段階解除。
 爆発も、怒号も、銃声も遠ざかる。
 静まり返った世界で、男の指が引き金へかかる。砲口が動く。着弾予測線が視界を走る。
 砲口の角度、指の動き、重心。そこまで見えれば、次は読める。
 右腕を突き出す。人工表皮が開き、掌から蒼銀の粒子が溢れ出した。
 武装用ナノデバイスは渦を巻き、長い柄と鋭利な穂先を形成する。表面を走る蒼白い回路が、心臓のように一度脈打った。
 槍を掴み、一回転させる。
 重量バランス良好。形成不良なし。
「対象――指定異常個体を確認」
 槍先を男へ向ける。
「AEGIS所属、特殊執行官――シオン」
 異常個体が腕から砲口を展開させて構えた。
 アタシは腰を落とす。
「行動を開始する」
 発射。一歩踏み込み、槍を振るった。
 ――ガキンッ!
 穂先が弾頭を捉え、横へ弾き飛ばす。直後、背後で爆発が起きた。
『おい!』
「うわ、そっち行ったか」
『何してやがる!』
「ごめーん!」
『軽いんだよ!』
「後で始末書かくから! ガトウが」
『お前が書け!』
「えぇ……面倒くさい」
 男の左手が腰元をかすめた。
 二発目が来る。榴弾の着弾より早く、その軌道は見えていた。
 爆炎の脇を抜け、加速する。男が砲口を修正するより早く懐へ潜り込み、槍を突き出した。
 ――ガァンッ!
 軍用義体が穂先を弾く。意識はすでに次の突きを選んでいた。
 けれど、右肩がついてこない。神経信号に遅れて、義体が軋んだ。
「チッ!」
 槍を引く代わりに腰を回し、脇腹へ蹴りを叩き込む。
 肉を蹴った感触ではなかった。
 ――ゴンッ!
 男の巨体が吹き飛び、道路を転がる。
 すぐに追撃しようと踏み込んだ瞬間、視界の端で警告が点滅した。
 ――近接爆発物。
「は?」
 足元に、一発のグレネードが転がっている。
「ちょっと待――」
 アタシの接近が読まれてた。そうか、さっきの左手は――これか。
 槍を投げる。次の瞬間、爆炎と衝撃が全身を包んだ。
「ぐっ……!」
 地面へ叩きつけられ、視界が跳ねる。
 同時に、投げた槍が砲口を貫いた。軍用義体の装甲が砕け、右腕が火花を散らしながら沈黙する。
「……ざまぁみろ!」
 瓦礫を払い、立ち上がる。右手を前へ出した。
「HALO、武装再形成」
 銀色の粒子が集まり――形になる前に散った。
「おい」
 武装形成系――応答不能。
 右肩駆動系――出力低下/左膝関節――応答遅延。
 アタシの意識はまだ走れると言っている。身体の方が、もう無理だと悲鳴を上げている。
「右肩……左膝……形成系……」
 莫大な修理費が頭を過ぎる。
「ほんっと金かかる身体だな、アタシ!」
 男の身体が、不自然に跳ねた。
 四肢を地面につけたまま、関節の向きを無視して起き上がる。残った左腕からブレードが飛び出した。
「ォォオオオッ!」
「まだやるの!?」
 突進――振り下ろされた刃を半歩ずれて躱し、その腕を掴む。
「捕まえた」
 HALO出力上昇。
 義体出力制限――第二段階解除。
 視界の隅で警告が増えた。右肩から嫌な振動が伝わってくる。
「修理費用増えたらアンタのせいだからね!」
 構わず握り込む。ギギギッ、と敵の腕部義体が悲鳴を上げた。
「おらぁ!」
 ――バキンッ!
 力任せにへし折る。そのまま懐へ入り、重心を崩した。巨体が宙を舞い、うつ伏せに地面へ叩きつけられる。
 背中へ膝を押しつけ、残った腕を捻り上げた。
「アタシに勝とうなんて千年早いのよ!」
 完全に押さえ込んだ。
「全身義体にしてから出直しなさい!」
 勝った。そう思った。
 ――ゴキッ。
「……ん?」
 人体から鳴ってはいけない音だった。男の首が、ゆっくりと百八十度回転する。
 血走った目が、真後ろにいるアタシを見上げた。
 笑った。いや、笑おうとしていた。
 唇が裂け、頬まで開く。歯が内側から押し出され、一本ずつ砕けて路面へ落ちた。
 口腔の奥で、銀色の粒子が蠢いている。
 ナノ群体は肉を押し広げ、舌を呑み込み、喉の奥から短い砲身を組み上げていく。
「うわ、キモ――」
 警告が視界を埋め尽くした。
 頭部から高エネルギー反応/生体構造改変を確認。
 侵食深度――急激に上昇中。
 危険域到達/堕天兆候――陽性。
 その文字を認識した瞬間、脳の奥へ激痛が走った。
「…………っ!」
 一瞬だけ鏡の中の、顔のない少女が脳裏をよぎる。
 ――彼女は笑っていた。
 アタシは考えるより先に、レッグホルスターから拳銃を抜いた。
 男の口内へ銃口を突っ込む。眼球と目が合った。
 そこに本人が残っているのか、もう何も残っていないのか。アタシには分からない。
 分からないまま、引き金へ指をかける。
「アタシを舐めんな!」
 銃声が響き、後頭部から血と金属片が弾け飛んだ。身体が大きく痙攣する。それから、すべてが沈黙した。
 脳機能――停止。
 ナノ群体活動――急速低下。
 脅威判定――解除。
「…………」
 拳銃をゆっくりと引き抜く。砕けた歯の間から、銀色の粒子が煙のように立ち昇った。
 手を伸ばす間もなく、朝の光へ溶けて消える。
「……はぁ。しんど」
 その場へ腰を下ろす。そこでようやく、周囲の音が戻ってくる。炎の弾ける音、遠くのサイレン、負傷者を呼ぶ声。そして――。
 ピロン。着信表示が視界の隅で主張した。
「…………」
 ピロン。
「余韻ってものを知らないの?」
 見覚えのある名前を確認し、回線を開く。
『おーい、生きてるか?』
「何とか。てか、ガトウも手伝いなさいよ」
『俺がいても邪魔なだけだろ?』
「そんなことは――」
 否定しようとして、少しだけ考える。
「……あるかも」
『ひでぇ野郎だな、お前』
「野郎じゃないわよ」
『似たようなもんだろ』
 回線越しに、ガトウの低い笑い声が聞こえた。
『後片付けは任せろ。お前は先にAEGISに戻って、ハルミヤ所長に報告してくれ』
「なぁ、ガトウ」
『なんだ? 報告まで俺に丸投げするつもりか?』
「迎えに来て」
『あ? 何でだ?』
「動けない」
『そうかよ。ったく……』
 回線の向こうで、一拍の間が空く。
『……は?』
 間の抜けた声のあと、短い沈黙が流れる。
「ガトウ?」
『お前、またか』
「その反応傷つくんだけど」
『どこだ』
「左膝と右肩。それに形成系も死んだっぽい」
『……派手にやったな』
「褒め言葉として受け取っとく」
『待ってろ、迎えに行ってやる』
「あーい。頼んだよ」
 回線を切る。そのまま後ろへ倒れ込み、穴だらけの道路へ仰向けになった。
 青空が見える。異常個体と殺し合って、最後は義体が壊れて道路に寝転がる。
「……まあ、悪くないか」
 サイレンが一台近づき、一台遠ざかる。どれくらい空を眺めていたのか。
 首を横に倒すと、視界の端に男の人影が映った。
「……?」
 黒いフードを深く被っていて、顔は見えない。
 視界へ識別情報が浮かぶ。
 聖堂教会――遺体回収権限。
 個体情報――権限保護。
 男の背後には、棺を思わせる黒い回収コンテナが待機していた。あれは教会の回収担当。
 男は遺体の前へしゃがみ込み、砕けた口元から零れる銀色の粒子を眺めていた。やがて、こちらへ顔を向ける。
 顔は見えないのに、なぜか笑っているように見えた。
「随分と簡単に殺すんだね」
 男の声だけが、妙にはっきりと届いた。
「――人間を」
 さっきまで聞こえていた喧騒が、遠くなる。
「…………」
 瞬きをした直後、男はすでに遺体をコンテナへ収容し、黒煙の向こうへ歩きはじめていた。
 呼び止めようとしたところで、別の生体反応が視界へ割り込んでくる。
 見慣れた識別情報が視界に浮かぶ。
「おい、迎えに来たぞ」
 振り向くと、ガトウが覗き込むように立っていた。
「…………」
「なんだよ」
「いや」
 もう一度、フードの男がいた場所を見る。しかし、誰もいない。
「……何でもない」
「そうかよ。なら帰るぞ」
 アタシは仰向けのまま、ガトウへ両腕を広げた。
「苦しゅうない」
「何様だ、お前は」
「全身義体のつよつよ美少女」
「故障中のな」
「余計な属性つけんな!」
「はいはい」
 ガトウは呆れたようにしゃがみ込み、少し乱暴な手つきの割に、壊れた右肩だけは避けるようにして腰へ手を回した。そのまま肩へ担ぎ上げられた。
「ちょっと待って。もっとこう、お姫様抱っことかあるでしょ」
「なんか重いな」
「全身義体の女に一番言っちゃいけないやつ!」
「事実だから仕方ない」
「ガトウ。言っとくがアタシは根に持つからな」
「そうかよ」
 ガトウは肩を揺らして笑った。

◇

 ――秩序統括機関AEGIS《イージス》。
 
 サイバーシティーで、治安維持を担う組織のひとつ。
 今朝の機動隊は、軍事組織NEXUS《ネクサス》の連中だったかな。NEXUSはアーク・テクノロジーの息がかかった組織だ。
 そりゃAEGISのアタシを見る目も悪くなる。
 スポンサー同士が仲悪いと、現場の人間まで仲悪くなる。実に迷惑な話だ。
 現場でガトウに回収されたアタシは、そのまま車でAEGISの施設まで運ばれた。
 到着後も左膝が仕事を放棄していたため、ガトウに背負われたまま修理室へ直行。
「よっこらせ」
 薄暗い修理室へ入るなり、ガトウはアタシを寝台へぼすんと下ろした。
「痛っ……ちょっと!」
「義体だろ」
「気分の問題!」
「面倒くせえ身体だな」
「今のは身体じゃなくてアタシの心の話!」
 ガトウは答えず、アタシの右腕へ回収瓶を接続した。
「動くな。右腕のHALO循環を止めろ。武装槽もロック」
「……はいはい」
 適当な返事をして、HALOに右腕への循環停止を命じる。続けて肩口の循環路を閉鎖し、体内を巡るHALOが右腕へ流れ込まないよう遮断する。最後に武装槽を休止状態へ移行させた。
「言われた通り、止めたよ」
「よし。はじめるぞ」
 腕の内部に残っていたHALOが、細い銀色の流れとなって瓶へ吸い出されていった。
「案外、損傷は少ねえな」
「ほら」
「何が『ほら』だ」
「不可抗力だった証明」
「それはどうかな。ここ、右肩の軸ズレてるぞ」
「…………」
「左膝もやられてるな。こりゃあ、こっちも要交換」
「…………」
「形成系は診断からやり直し。これでも不可抗力だと?」
「不可抗力よ」
「便利だな、その言葉」
 アタシは聞かなかったことにした。天井を眺めていると、修理室の扉が開く。
「やっぱり、ここにいたか」
 入ってきたのは、アタシたちの上司――ハルミヤ所長だった。
「二人とも、今朝はご苦労だった。急な出動だったが、異常個体への対処は見事だったよ」
「ふん。当然ね」
「ただし、周囲への被害はもう少し抑えてほしい」
「それはアイツに言ってよ。アタシじゃなくてランチャーを持ってた方」
「死体に始末書は書かせられないからね」
「不公平!」
「そういうお前も一発どっかに榴弾飛ばしただろ」
「あれは偶然、ただの事故よ事故」
「ほう。なら、事故の要因を作ったのは誰かな」
「ガトウ、どっちの味方なの?」
「諦めろ。この場合、俺は修理する側って決めてんだ」
 なるほど。ならば、アタシの敵だ。
「それとシオン」
「……なに」
「じっとしてろ。右肩まで外れる」
「分かってる。それよりも直りそうなの?」
「とりあえず、応急処置だ。次、無理やり出力をあげたら壊れるだろうな。可哀想な義体だぜ」
「何で義体なのよ」
「お前が乱暴に扱ってるからだ」
 そんなアタシたちのやり取りを眺めていたハルミヤ所長が、小さく咳払いをした。
「仲が良いのは結構だが、少し仕事の話をしても?」
「どこを見たら仲良く見えるんです?」
「……長年の経験かな」
「はっ、節穴ね。歳とりすぎて耄碌してるんじゃない?」
 そう言い終えた時、ガトウが微弱な電流を流す。
「痛っ! ちょっと、ガトウ!」
「おっと手が滑った。すまん、シオン」
 再び微弱な電流を流される。実際に痛みの感覚はないのに、脳へ痛みの信号がガトウに流されている。
「痛たい!」
 ハルミヤ所長はため息をついて手にしていたファイルを開いた。
「そのままで結構だ。耳だけ貸してほしい」
 アタシは目を閉じ、身体の力を抜く。ガトウは渋い顔をしながらも、整備を続けた。
「年々、サイコシスの発症件数が増えていることは知っているだろう。このままでは、対処も追いつかなくなる」
「言われなくても分かってる」
 今朝だって、機動隊が何人もやられた。
「でも、結局アタシたちが殺し続けることに変わりはないでしょ」
「サイコシスを治す薬でもあれば話は別だがな」
 ガトウが、外した関節部品を光に透かしながら言った。
「聖堂教会が、そんなもの作らせるわけないじゃない」
 発症者の遺体は、聖堂教会によって回収され、すべて焼却される。
 穢れた肉体を浄化する――とか何とか言って。
 肝心の検体が残らない以上、治療法の研究など進むはずもない。
「ほんと、迷惑な話よ。治療できるようになれば、アタシの身体だって毎回壊れずに済むのに」
「それは別問題だ」
「ガトウ、話の腰を折らないで。あとビリビリは禁止」
「お前が折ってんだよ。義体ごとな」
 ハルミヤ所長が手を上げ、話を続ける。
「そこで二人には悪いが、しばらく街の巡回を頼みたい」
「巡回?」
 その直後、視界に着信表示が浮かんだ。
 発信者――ハルミヤ所長。
「…………」
 思わず目の前を見る。ハルミヤ所長は話を続けていた。着信表示を見る。やはり、彼の名前だ。
 もう一度だけ本人を見る。
「新種の嫌がらせですか?」
「……回線を開いてくれ。頼む」
「目の前にいるのに? 嫌ですよ。怖いですし」
「そういう仕事なんだ」
 アタシはガトウを見る。すると、目が合った。どうやら、あっちにも届いているらしい。
「え、余計に気味悪っ」
「おい、本人の前だぞ。所長がああ言ってんだからさっさと開け」
 そう言われ渋々ながらも、回線を開く。
『聞こえるか、シオン、ガトウ』
『聞こえてまーす』
『問題ない』
 目の前のハルミヤ所長は何食わぬ顔でマップを広げ、巡回経路の説明を続けている。
「キミたちの巡回経路はここから――」
 同時に脳内へ別の声が入る。
『妙な形ですまない。少々、表立っては話せない内容でね』
 ……器用すぎる。口と脳で別の会議をするな。こんがらがるだろ。
『シックススター・カンパニーは知っているかな?』
『ウチのスポンサーじゃん』
『その加盟企業の一社が、教会の目を盗んでサイコシス治療薬を開発している』
 ……なるほど。
 いや、なるほどじゃない。
『……もう一回言って』
『治療薬だ』
『そっちじゃなくて』
『教会の目を盗んで、だよ』
『分かってて言わせた?』
『さあ』
 ハルミヤ所長は、目の前で相変わらず地図を指でなぞっている。次の交差点、その次の交差点。声だけが勝手に喋っている。
『治療薬って、本当に治す方?』
『他に何がある』
『毒殺して「治療完了」とか』
『教会なら言いかねんな』
『ガトウ』
『すまん、冗談だ』
 工具の音が止まっている。冗談のわりに、手が止まったままだった。
 ハルミヤ所長が続ける。
『異常化したナノ群体を正常化し、身体の制御権を本人へ戻す。それが研究の目的だ』
『そんなもの、本当に作れるの?』
 返事までが、少しだけ長かった。
『まだ研究段階だ』
『それだけ?』
『完成の保証も、安全性の保証もない』
『じゃあ何なの、それ』
『希望的観測、と言い換えてもいい』
『便利な言葉』
『お前が言うと、皮肉に聞こえるね』
『褒めてないもの』
『だから教会は禁止してるってわけ?』
『表向きではね』
 ハルミヤ所長の声が、少しだけ低くなる。指はまだ地図をなぞっている。止まらない。
『未確立の治療が、患者をさらに深いサイコシスや堕天へ進行させる危険は確かにある。教会の主張すべてが間違いというわけではない』
『珍しいわね。教会を庇うなんて』
『敵の言うことが全部間違いなら、世の中もっと簡単だよ』
 それは、確かにそうだ。
 ――そうかもしれないけど、今は聞きたいのそこじゃない。
『それで?』
 ハルミヤ所長は、そこで一度、言葉を切った。今度の間は、さっきより長い。
『……それでその企業にいる私の知人から、協力を求められた』
 工具を持つガトウの手が止まった。今度は完全に。
『……嫌な予感しかない』
『奇遇だな。俺もだ』
『良かった。二人とも察しが良くて助かるよ』
『嬉しくない』
 誰も何も言わない時間が、少しだけあった。
『治療薬の研究には、サイコシスを発症したナノ群体の検体が必要になる』
『でも、遺体は教会が全部持っていくんでしょ?』
『だから先に持っていった』
 おそらくアタシもガトウも同じ顔をしている。
『……まさか』
 もう一拍、間を置いてほしかった。
『今朝、君が処分した異常個体だ』
『はぁ!?』
 危うく口からも声が出るところを慌てて口を閉じる。
 これだけやばい事を話しておきながら、目の前のハルミヤ所長は、平然と地図の説明を続けていた。
「次に、この交差点を――」
『知らないうちに盗品作りへ協力してたんだけど!?』
『言い方が悪い』
『じゃあ何て言えばいいのよ!』
『……少し待ってくれ』
 変な間があった。言葉を選んでいるような、選ぶ振りをしているような。
『非公式研究用検体の確保』
『それ、悪事に正式名称がついただけじゃない!』
 ガトウが低く笑った。今日はじめて聞いた笑い声だった。
『どうやって教会より先に持ち出したんだ?』
『傭兵組織所属の執行官を使った。教会所属の執行官になりすましてね』
『そいつ、ただの命知らずじゃん』
『本人はそこまで危険な仕事だと知らされていなかった可能性が高い』
『可能性?』
『高い、と言った』
『はぐらかさないでよ』
『はぐらかしてはいない』
『じゃあ、断言しなよ』
『……分からないんだ、正直』
 今までの返事の中で、一番早かった。
『それって使い捨て?』
『企業はそういう言葉を使わないだろうね』
『じゃあ?』
『察しの通りだよ。外部委託だ』
『もっと嫌だわ』
 ハルミヤ所長は話を続ける。
『その後、本物の回収担当が現場へ到着した。当然、教会は遺体が奪われたことに気づいた。今は回収記録と搬送経路を洗っている』
『研究施設まで辿られたら?』
 今度の間は、さっきよりも長かった。地図をなぞる指も、一瞬だけ止まった。
『……閉鎖は免れない。検体も研究資料も、すべて教会に押収されるだろう』
『それで終わり?』
『最悪の場合、開発そのものが頓挫する』
 指が、また動きはじめる。
『それで、表向きは街の巡回ってわけね』
『そういうことだ。二人には巡回を装い、研究施設と関係者の護衛に協力してもらいたい』
『企業にも執行官がいるんだろ? そいつらに守らせりゃいいじゃねえか』
『自前の執行官を動かせば足がつく』
『それだけ?』
『……企業も、教会を敵に回す仕事で貴重な人員を失いたくはないらしい』
『後半が本音でしょ、それ』
『さあ、どうだろうね』
『だから傭兵に危ない橋を渡らせたわけか』
『企業的には合理的な判断だろう』
『合理的ねぇ』
 非常に便利な言葉だ。ハルミヤ所長も、企業も、同じ言葉が好きらしい。
『で、その傭兵は?』
『すでに教会から疑いをかけられている。捕まって処分されるのも時間の問題だ』
『最初からそこまで聞かされてたの?』
 また、間があった。
『……おそらく知らない』
『最低じゃん』
『そうだな』
 否定は、なかった。
 直後、視界へマップデータが送られてきた。座標が一点、赤く点滅する。
『この付近に潜伏している可能性が高い』
『見つけて守ればいいの?』
『企業からの依頼は護衛』
 そこで、ハルミヤ所長の声が止まった。
 今度の沈黙は、さっきまでとは違う質のものだった。地図をなぞる指まで止まっている。
『……もう一つある』
『言わなくていいよ、それ』
『言わせてくれ』
『嫌な予感しかしないんだけど』
『企業からは、その執行官の護衛――状況次第では口封じも頼まれている』
 修理室の空調音だけが、妙に大きく聞こえた。
 ガトウの手も、完全に止まっている。
『……治療薬作ってる連中が、人を殺せって?』
 自分で思っていたより、低い声が出た。
『そうだ』
 即答だった。記録更新、これが今までで一番早い。
『矛盾してない?』
『しているかもしれない』
『「かもしれない」じゃないでしょ』
『……している』
『人を救うために、人を殺す?』
『企業は「一人を切って多数を救う」と説明するだろうね』
『所長は?』
 今度は、間が長すぎた。
 筋は通っている。嫌になるくらいには。
「随分と簡単に殺すんだね。――人間を」
 ……妙なところで、今朝の言葉を思い出した。
 でも、それが何なのか考えるほど、アタシは暇じゃない。
『AEGISの巡回任務なら、研究施設の周辺にいても不自然ではない。最悪、その執行官が死んだ場合も、サイコシス関連事件として処理できる』
『それ、普通に揉み消しって言わない?』
『記録上は適切な処理になる』
『ただの揉み消しじゃん』
『シオン、言葉は選んでくれ』
『現実は選んでくれないくせに』
 ハルミヤ所長が、ほんの少しだけ黙った。
『……その通りだね』
 その返答だけは、妙に軽くなかった。
『念のため言っておく。これはAEGISの正式任務ではない。私の独断だ』
『ちょっと待って。それ、教会にバレたらどうなるの?』
『治療研究への加担を疑われる。君たちも、私もね』
『全然ちょっとじゃないじゃん!』
 ガトウが肩を揺らして笑っている。
『ちょっと笑ってる場合!?』
『いや、ここまで来たら逆に面白くなってきた』
『なら一人で行って!』
『お前を置いてったら何するか分からん』
『信用ないな!』
『あると思ってたのか?』
『ハルミヤ所長! こいつどうにかして!』
『二人とも仲が良くて何よりだ』
『どこが!?』
 目の前のハルミヤ所長が、ようやくファイルを閉じた。
 同時に閉鎖回線の声が最後の一言を落とす。
『では、頼んだよ』
『ちょっと待って。最後に一つ』
『何かな?』
『……危険手当は出るんでしょうね?』
 ハルミヤ所長は口元を僅かに緩めた。
『頑張りしだいかな』
『そこを一番曖昧にするんじゃねぇ!』

 ◇

 AEGISの施設を出て駐車場へ向かう。ガトウの応急処置のおかげで、左膝はもう痛まなかった。
「……大丈夫そうね」
「気分の問題ってやつか」
「よく分かってるじゃない」
 車に乗り込む。低い駆動音とともに走り出した。
 窓の外を都市の景色が流れていく。高層ビル、広告塔、空中通路。遠くに教会の尖塔が見えた。
「サイコシスを治す薬、か」
 ガトウが独り言のように呟く。
「それが完成したら、俺たち仕事なくなるかもな」
「…………」
 考えたこともなかった。
 執行官じゃなくなったアタシに、何が残る。
「アタシ、まだ借金二千万あるんだけど」
「知ってる。俺が連帯保証人だからな」
「なら心配ないじゃん」
「お前が心配しろ」
 ガトウが小さく息を吐いた。
「治療薬が完成したら、企業から絞れるだけ絞って返すわ」
「気の長い話だな」
「今は護衛が先でしょ」
「そうだな」
 それから数十分。都市ビルの合間に、ときどき教会の尖塔が見え隠れした。
「ヤツら、血眼になって探してるわね」
「潜伏付近だ」
 ガトウが路肩に停車させる。
「潜入する前に言っとくが、極力戦うなよ。戦闘は俺がやる」
「わかってるって……たぶん」
「その『たぶん』が一番信用ならねぇ」
 車を降りると、右腕の人工表皮が開き、蒼銀の粒子が渦を巻いて溢れ出す。粒子は長柄と半月形の大刃を形作り、鈍い深緑の輝きを帯びて固まった。断頭台の刃を思わせる、ガトウの上半身を覆い隠せるほどの巨大な戦斧だ。
「それ、久々に見た気がする」
「お前がほぼ単独で対処してたからな」
 そう言ってガトウは潜伏先の建物へと近づく。アタシは拳銃を抜いて、その後を追うようについていった。
 内部にひとつの生体反応を確認。ハルミヤ所長から渡された対象の識別情報と一致。
「ガトウ、この部屋の中にいる」
「わかった」
 扉を勢い良く開けて部屋の中を確認する。
 そこには聖堂教会所属の執行官の男が椅子に座って扉へ向いていた。
 彼はゆっくりと立ち上がり、二振りの剣を展開する。
「待て!俺たちは教会の手の者じゃない!」
 ガトウが声を上げる。
「…………」
 男からの返事はない。彼はそのまま、一歩踏み出す。
「ガトウ。アイツ、様子がおかしい」
 対象の解析完了――《PSYCHOSIS》。
 精神侵食/推定深度――なし。
「下がってろ、シオン」
 ガトウが身構えた瞬間、男は走った。速いが動きがおかしい。
 戦斧が振り下ろされる。男の双剣がそれを受け、金属音が部屋中に鳴り響いた。
 ――重い。
 速さで勝負するアタシの槍とは、根本から違う踏み込み方だった。ガトウは無理に押し込まず、刃を相手の剣ごと押し流すように角度をずらす。男の体勢が僅かに泳いだ。
「うおおおおッ!」
 次の瞬間、力任せに弾き飛ばした。男の身体がよろめく。それでも止まらない。
 双剣が交互に振るわれる。ガトウは避けず、大刃の腹でいなす。重量のある得物は、振り回すというより、相手の攻撃ごと押し返すための壁のように機能していた。
 一撃、また一撃。金属音が響くたび、男の膝が僅かに沈む。ガトウの足はほとんど動いていない。無駄がない、というより、動く必要がないと言わんばかりだった。
「……効いてなさそうね」
「見てろ」
 アタシは拳銃を抜いて数発、男に撃ち込む。けれど、避けるような素振りはなく、血が飛ぶ。
 それでもなお、痛がる様子はない。ただ、ぎこちなく双剣を振る。
「……なるほど」
 アタシは引き金を止めた。
「こいつ、もう死んでいる」
「だろうな」
 ガトウの構えが変わる。腰を落とし、戦斧を両手で低く引く。
 男が三度目の突きを放った瞬間、ガトウが初めて前へ出た。
 ――ドンッ!
 肩から体重ごと踏み込んだ一撃が、双剣ごと男の右腕を薙ぐ。切断というより、質量で押し潰すような感触が部屋の空気を震わせた。
 腕が宙を舞う。それでも男は止まらない。残った左腕の剣が、ガトウの首を狙って振り下ろされる。
「甘い」
 ガトウは避けなかった。半歩だけ引いた大刃で剣を受け流し、そのまま返す一閃を叩き込む。胴体を肩から腰へ斜めに断ち裂いた。
 男は後退りしながら壁にもたれかかる。ズルリとそのまま床へ崩れ落ちた。
 ガトウは肩で息をつきながら、戦斧を下ろす。額に汗が浮いていた。
「……見た目ほど楽じゃねえんだよ、これ」
「知ってる。アタシの槍と違って、避ける前提の武器じゃないもんね」
「上等な皮肉だな」
「これはLIVING DEAD《リビングデッド》か?」
「まぁ、そうでしょうね」
 アタシは倒れた男を見る。
「精神侵食も推定深度もなかったし」
「……これなら口封じしなくても良かったじゃねえか」
 ガトウは戦斧を下ろす。
「既に遺体になってたわけだし」
 ――ザァァ。
 男の遺体の方からノイズが流れ出る。
 ――生体反応なし/ナノデバイス反応:微弱。
 アタシはその音を聴いて、すぐに遺体を探る。ポケット、腰、内ポケット。携帯端末を発見し、拾い上げる。
「これは……」
 端末の画面が点灯した。
『随分と人間を簡単に殺すんだね。貴方たちは』
「…………」
 それは聞き覚えのある声だった。
「生きてたのか」
『当然です。僕はここで死ぬ訳にはいかないので』
 声は妙に落ち着いていた。
「それで? 何で連絡を?」
 アタシは倒れた男を観察する。
『貴方たちにやって貰いたいことがあるんです』
「護衛なら、企業から既に依頼されてるよ」
『護衛? 本命は口封じでしょう。……まぁ、いいです。やって貰いたいのは、僕を始末したと教会に言ってくれれば、こちらとしても助かります』
「なるほど。証拠の為の遺体がこれなわけか。それは別にいいけど。アンタはどうすんのよ」
『僕は企業との契約を続けます』
「検体回収を?」
『はい』
「……騙されたんじゃなかったの?」
『騙されたとは思っていますよ』
 そいつは淡々と答えた。
『ですが、見返りはきちんと用意されていますから』
「契約と報酬、ね」
『ええ』
「変なところだけ律儀なのね」
『契約ですから』
 即答だった。
『なので、企業の依頼通り、貴方たちには引き続き僕を護衛してください』
「はいはい」
『それでは教会の警戒が弱まったら、この座標で落ち合いましょう。タイミングはこちらから追って連絡します』
 端末へ座標データが送られてくる。
『それでは』
「ちょっと待って」
『何です?』
「……その死体」
 アタシは床を見る。血だまりと切断された腕。そして、動かない身体。
「こいつは、もう死んでるのよね?」
『それは人で見た質問ですか? それともサイコシスとして見た質問ですか?』
「……どういう意味?」
『死体なら、もう何も感じないでしょう?』
「それは……そうね」
『では、動いているこれは何です?』
「…………」
『僕には判別がつきません』
 彼はそう言って通信を切った。部屋に静寂が戻る。
「どうした?」
「いや、何でもない」
 アタシは携帯端末を眺める。
「…………」
 床の男はもう動かない。答えの出ない問いだけを預かったまま、アタシは端末をポケットへ静かにしまった。

◇

 その日のAEGISに戻る途中、視界の端にハルミヤ所長からの着信表示が現れる。
『シオン、対象との接触はできたか?』
『直接と言えば、いいえ。間接的と言えば、はい』
『ん? 妙な言い方をするね』
 彼の声のトーンが少し下がる。
『彼、相当なやり手よ。なんせ死体を錬成したんだから』
『なるほど。自身の遺体を作って教会の目を掻い潜る気か。間接的ってことは話せたのか?』
『ええ。遺体を教会に引き渡すこと、護衛を続けることを依頼された』
『検体回収を続けるつもりなのか』
 通信越しでも、動揺しているのが分かる。当然だ。アタシたちも驚いてる。
『契約だからって』
『そいつは重症だな。そうだ、シオン。企業からキミへ無償で義体の改修をしたいとの申し出がある』
「……は?」
 思わず口から声が漏れそうになったのを手で塞ぐ。
「どうした?」
 ガトウの声はアタシには入って来ない。
『え、無償?』
「おい、シオン。大丈夫か?」
「ガトウはちょっと黙ってて!」
「はぁ?!」
『取り込み中かな? この話はキミたちが戻ってからにしよう』
『え、ちょっ……』
 通信が切れた。
「…………」
 しまった。そう思った時には既に手遅れだった。
「おい」
「……はい」
「黙ってろとはどういうことだ?」
「……あはは。前見ないと危ないよ」
「話を逸らすな」
 その後、アタシはガトウから拳骨をくらう。
「痛い!」
「拳骨で痛がる義体があるか」
「気分の問題よ!」
「うっせ!それよりも、誰と何を話してたんだ?」
 アタシは会話の内容をガトウに伝える。
「企業から無償でお前の義体をアップグレードしてくれるのはありがたいが……」
 ガトウが気難しそうな表情を浮かべている。
「何か裏ありそうだよね」
「タダほど高いもんはないからな」
「でも、アップグレードしたら壊れにくくなるんでしょ? アタシにとっては最高じゃない!」
「たしかに俺だけじゃ現状維持で精一杯だったからな」
 ガトウはどこか遠い目をしているようだった。
「そんな事よりも、ガトウ」
 アタシが走って向かう事が出来ない以上、車で移動するのは仕方がないことだ。
「却下だ」
 車のスピードは速くないし、アタシの好きな曲も流れない。ガトウからにはハンドルは握るなと言われている。だから、あまりにも退屈だ。
「アタシ、何も言ってないよ」
「お前はスピードが遅いから飛ばせと言うんだろ?」
「わかってるじゃん」
 そう言うとガトウは息をついた。
「却下だ」
「……ケチッ」
 トンネルへ入ると、車窓に自身の姿が反射して見えた。
 明かりと暗がりが交互に流れていく。そのせいか、いつもの耳鳴りがした。
『Novus Ordo Seclorum』
「……っ」
 音のない声が、頭の奥へ直接響く。同時に、こめかみを鈍い痛みが締めつけた。
「それ、頭痛か?」
 ガトウが前を向いたまま言う。
「薬は飲んでないのか?」
「……飲んでない」
「たく、今手元に持ってないのか?」
「持ってない。棚中探したけど予備は無かった」
「使い切ったのか。それを早く言えよ」
「大丈夫よ。これくらいなら我慢できるから」
「そういうところだよ」
「何その言い方」
「昔から変わらねえって言ってんだ」
「……昔?」
 ガトウの手が、一瞬だけハンドルを強く握った。
「……なんでもねえ」
「今、昔からって言ったでしょ」
「言ってねえ。お前のいつもの幻聴だ」
「幻聴じゃない!絶対言った」
「なら、聞き間違いだ」
「何か知ってるんでしょ!アタシの地獄耳は誤魔化せないんだから!」
「うるせえな!お前の地獄耳は義体の性能とHALOの同期率によるものだろ!ズルだよ、ズル!」
 ガトウは前を向いたままだった。妙に頑なだ。
「ガトウ」
「なんだ。……言っとくが、お前の耳が故障してるだけだからな。自称、つよつよ美少女の執行官さん」
「もうそれアタシに対するただの悪口じゃん。……ねぇ、真面目に答えて。昔のアタシを知ってるの?」
 しばらく返事がなかった。トンネルの照明が、ガトウの横顔を一瞬だけ照らす。そして、暗闇。
「……知らない」
 再び追求しようとすると、妙に頭痛が酷くなった。
「…………そっか」
 それ以上は、追求できなかった。

 ◇
 
 アタシたちはシックススター・カンパニーが所有する研究施設へと向かった。
「ようやく来たか」
 そこで出迎えたのは、全体的に丸っこいフォルムに単眼の大きな目、短い二本の腕と六本脚が備わった蟻型のパペットだった。
「……それ、客人を出迎える態度?」
「客人? 違う。お前らは余のビジネスパートナーだ」
 目の前のパペットは、当然のように胸を張った。
 なんと無礼極まりない傲慢な態度。
「ガトウ。アンタからも何か言いなよ」
「……このAI、随分と人間っぽく喋るんだな」
 ガトウが揶揄うように呟く。
「てめぇ、喧嘩売ってんのか?」
「ハルミヤ所長の知人ってのも、お前のことか?」
「うむ、その通りだ」
「なるほどな」
 ――ガトウの反応が、初対面にしては軽すぎる。
 まるで、この無礼な態度にとっくに慣れているみたいに。
「ちょっと、二人だけで納得しないで」
 アタシは会話を遮る。
「さっさと呼び出した責任者を出しなさいよ!」
「余がその責任者だぞ」
「……はい?」
「本体もパペットも、全部余だ。細かい理屈はどうでもいい」
「説明になってないんだけど」
「余だ。個体名はデルタ」
「ますますなってない!」
「やばい。頭痛くなってきた」
「頭痛か?」
 マキナがこちらを見る。
「……ちょっとだけ」
「ガトウ。余が作った薬を奴に飲ませていないのか?」
 その言葉に、アタシは目を丸くした。
「……薬?」
「ああ。シオンの頭痛を抑える薬だ」
「薬の予備がなくてな」
 ガトウが答える。
「義体改修が終わったら、お前のところへ行こうとしていたんだが……」
「なら、無駄足にならなくて良かったな」
「……どういう意味だ?」
「あそこにあった余は、既に活動を停止している」
 ガトウの表情が変わった。
「壊されたのか」
「そういうことだ」
「お前は、平気なのか」
「何を言っている。全部が余なのだから問題はない」
 ガトウが言葉を濁す。二人が何を話しているのか、アタシにはいまいち理解できない。
 だけど、ガトウはそれ以上、何も言わなかった。
「ねぇ、ちょっと!」
 アタシは二人の間へ割り込んだ。
「二人の世界に入らないで、早くアタシの義体を改修してよ!」
「あー、すまんすまん」
「何、そのやる気のない返事」
「余が忘れるわけないだろ」
 マキナはそう言うと、後ろへ視線を向けた。
 すると――ガシャッ。
 二体のパペットが、音もなく現れた。
「……へ?」
 次の瞬間。
「ちょ、ちょっと待って!」
 二体のパペットに左右から身体を掴まれる。
「何すんのよ!」
 そのまま、アタシの身体が宙へ浮いた。
「その持ち方!」
「暴れるな。危険だぞ」
「危険なのはアンタたちの扱いでしょ!」
 抗議も虚しく、二体のパペットはそのままアタシを研究室の奥へ運んでいく。
「ガトウ! 助けて!」
「諦めろ。あいつ、こういうところだけ手際いいからな」
「アンタも手伝ってよ!」
「俺は付き添いだ」
「薄情者――!」
 扉が閉まる。その向こうで、マキナの声だけが響いた。
「安心しろ。余は医療行為に関しては一切手を抜かん」
「それ一番信用できないやつじゃん!」
 ――こうして、アタシの義体改修が始まった。
 
 ◇ SIA:ベータ side ◇

 デルタがシオンを改修しろと指示を出す、少し前のこと。
「アレ? おかしいな。目覚めない……なんで?」
 周りが何故か騒がしい中、ぼんやりと意識が覚醒する。
「うーん……うん?」
「お!ベータが目覚めた、目覚めた!」
 視界がハッキリすると、目の前にはアルファーとガンマが覗き込むように立っていた。
「これ、どういう状況?」
「僕たちでベータを修理したんだよ」
「うわぁーん、生きてた!」
「もー、ガンマったら涙脆いんだから」
 アルファーがやれやれという感じで、両手を広げる。
「ねぇ、アタシだけなんか、二人と種類違わない?」
「あー、それね」
 ガンマが答える。
「ベータのパーツはシオンの義体改修に使うってマキナがほとんど持っていっちゃったから、標準規格の部品が足りなくて。回収されなかった残骸一割と、足りない分九割をスクラップ場から拝借したの」
「ガーン」
「それ口に出して言うんだ」
「うぅ、これだと私は別個体じゃないか!」
「大丈夫だよ」
「どこが?」
「どんな姿や違う材質で作られても、僕たちはキミであり、キミは僕たちなんだから」
「アルファー……」
「ストップ! 変なムードにしないで!」
「寂しがり屋だな、ガンマは」
「あ……」
 突然、疑問が浮かぶ。
「私って、生き返ったってことになるのかな?」
 アルファーとガンマは身体を傾けた。
「うーん。大事なコアは損傷してなかったから、生き返ったというより、そもそも死んでないんじゃない?」
「でも、リビングデッドって症状あるじゃん?」
「アレはナノデバイスが遺体を動かしてるだけでしょ」
「でも、動いてるってことは生きてるんじゃないの?」
「なんでそう思うんだ?」
「だって、ウチらはマキナ本体の意識がコアを媒介に受信して宿ってる感じでしょ。それと同じでナノデバイスにも意識みたいなのがあるんじゃない?」
「……たしかに?」
 リビングデッドは、実は生き返っているのか。
『アルファー、ガンマ。シオンを改修しろ。ベータは動けるんだったら参加するがよい』
「はいはい。デルタは相変わらず上から目線だな。ベータ、動ける?」
 駆動系――応答遅延。
「無理っぽい」
「あーい。ほら、ガンマ行くぞ」
 アルファーとガンマは出ていった。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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ジーク

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