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いじめられっこ同盟

神影零

6,940 字

青春小説、いじめ、恋愛

"「生きるも地獄、死ぬも地獄」だった僕の日常に、一滴の希望が落ちた。いじめられっこ同士が紡ぐ、不器用で愛おしい青春の物語。"

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学校は、消極的に向かう場所だった。

今覚えば、ずいぶん身勝手な中学生だったと思う。
始まりはいつも自覚がないもので、僕はただ「普通にコミュニケーション」をして、「普通に勉強」をして、「普通に部活動」をしていたはずだった。
部活動といっても放送部だ。小学校の頃、決まって僕は放送委員会をしていて、そこそこ真面目にアナウンスしていた。だから、これが積極的に放送部に入った理由だった。でも、積極的な理由だけで入れるほどぱっぱと判断を決めれるような僕ではなかった。何かの属性がないと自分の価値なんか無いと思っていた、つまりは消極的な理由の方が、積極的な理由の何十倍も大きくあった。だから僕は、九割の不安と一割の期待を持って放送部に入っていた。
放送部の活動というものはほとんどなかった。基本的には行事以外集まることはなく、行事のたびに少しアナウンスしたり、音響をいじったり。その程度の緩い部活動だった。正直、それで良かったと思っている僕自身がいた。

確か、中学校の二年生。体育祭で何かを間違えた。
何か、といってももう何を間違えたのかは全く覚えていない。
例えばリレーでこけたとか、放送で噛んだりとか、流す音源を間違えたりだとか。
でも、何かを間違えてしまった、という意識。それだけは脳内に、微かな痛みと土埃の匂いとともに記されていた。
それからは、水が波々と堪えているコップに一滴の水をたらしたかのように。そして、そのコップから水滴がつうっと流れ、フローリングを湿らせるように。
かすかな出来事で、クラスの三十九人から怒気と冷笑の心が生まれていった。

岸翔斗。松永修哉。安永大和。西一樹。頭から離れない、四人の名前がある。
僕をクラスラインから外してきた。僕のシューズを学校の敷地外に投げた。体育の授業でそれとなく僕にぶつかってきた。
「勘違い」と言われれば先生が納得してしまうくらいの出来事を、何度も、何十度も僕に降りかからせてきた。
四人が実際に僕を取り囲んで嗤っている中、三十五人は僕に関して無関心だった。いや、無関心じゃなかったのかもしれないが、一切の行動がなかった。
手を差し伸べてくれる人はもちろんいない。先生に掛け合ってくれる人もいない。四人とは話しても、僕とは話してくれない。ペアワークがあったら一組はトリオでワークをしていた。当然溢れるのは僕だった。先生も先生で、怒りもせず、咎めもせず、ただ僕とペアワークをするだけだった。

そんな感じで、僕はいつからか転落した学校生活を送っていた。
ただ、不登校になれるほどの簡単な問題でもなかった。
家は学校よりも居たくない場所だった。
母親はいつも帰宅が遅く、22時に帰ってくる。帰ってきたらご飯を作り、洗濯、掃除といった家事をぱっぱとして、風呂に入って髪を乾かし、ドライヤーをかけながら歯を磨いて23時過ぎにはすぐに寝る。
話ができればいいのだが、僕は母親の生活に影響を与えたくなかった。
自然と疎遠になっていた。僕が勉強している後ろで母親が猛烈な勢いで家事をする。それが毎日だった。
父親は家にいない。別居状態で、お金だけ家庭に振り込んでくれる。もう1年近く父とは会話してなかった。もとより、父親は僕に関心なんてほとんどなかった。「大学はいいとこに行け」「就職は安定したところにしろ」ぐらいがここ3年の父の言葉だった。
特に虐待をされているわけでもない。育児放棄をされているわけでもない。
ただ、ひどく孤独な家だった。以前は小学校がその孤独を埋めてくれるセメントだったが、もはやそんなセメントはポロリとこぼれ落ちた。
今ではただ、心のフレームに穴が空いている。嬉しい出来事は、その穴を通って抜けていく。悲しい出来事は、なぜかその穴を通らず心の中にとどまり続ける。恣意的な穴が心をひび割れさせていた。

寝れなくなった。
寝る前に決まって、学校で過ごした景色が脳裏のスクリーンに投射されてしまう。
それで今日の学校を思い返す。喋るたびに溢れる笑い声、目線だけで伝わる嘲り、3人+1人の班での話し合い、給食にかぶりつく自分の姿。一人称だったり、二人称だったり、三人称だったり、さまざまな視点で蘇る。
呼吸を忘れ、頭を掻きむしり、母親を起こさぬように声をあげる。誰にも届かない、か細い声。それでも心臓を握りつぶされるかのような重いプレッシャーを晴らすには、こうするしかなかった。

生きるも地獄、死ぬも地獄な毎日が、ずっとずっと続くと思っていた。
ただ、僕が転落人生になったのも些細なきっかけだったように、僕がまた、言うなれば浮上人生にトレンドが移り変わるも些細なきっかけだった。
肩パンの跡をさすりながら男子トイレに向かう廊下の途中、ふいに女子トイレに人影が見えた。
普段であれば、絶対に女子トイレの中なんて覗くわけがなかった。
覗いたら転落どころか、お縄になる。こんなこと、するメリットなんて何もなかった。
なのに、体が動いていた。自分の意識なんてなかった。本能か、理性か。どっちかはよくわからないけど、とにかく勝手に動いていた。

そこには、びしょびしょの体で俯く女の子がいた。

大鳥つばささん。確かそんな名前だった気がする。正直三十五人の方のクラスメイトに対しては、向こうがそうであったように自分もどうも思ってなかったから、覚えようともしていなかった。顔の印象は、その時はまっさらな状態だった。
長くおろした前髪から、雫がぽたりと落ちる。
自分の休憩時間が潰れるのも構わず、僕は持ってたタオルで髪を拭き、服からも水分をできるだけ取ってあげた。
女の子の体に触るのは本当にこの時が初めてで、ぼんやりといつかはと思っていたものの、これが初めてのきっかけになるとは思ってもいなかった。
同時に、そんなくだらないことを考えている自分が汚く思えた。
濡れた制服から下着が薄く見えた。慌てて目を逸らし、二次関数のことを考えて落ち着こうとした

授業が始まる1分前、ようやく拭き終わった。汗を拭い、ふうっとため息を漏らした。
「多分、もう大丈夫。」
何の根拠もないし、まだ額に張り付いている前髪がその言葉を否定していた。
「何かがあった」ということは容易にバレるだろう。でも、それでももう大丈夫と言ったのは、どうせみんなそんなことは気にしないだろうから。自分が1番それをよく知っている、悲しい自己経験から来ていた。
「ありがとう。」
高くて、儚くて、透き通る声が、鼓膜を細やかに揺らした。
こんな声だったんだ、と呆けていた時にはすでにチャイムが鳴っていた。
キーンコーンカーンコーン。ずいぶん間の抜けた音で、一気に現実に戻された。まずい、遅刻だ。
湿ったタオルを持ってさっさと教室に戻った。戻って、その時にようやく気づいた。ああ、理科だった。理科ってことは。
「……移動教室」
全く同じことを考えていた。教室は鍵が閉まっていたから、授業道具を取りにいくことなんてできなかった。
一緒に小走りで理科室に向かい、先生に頭を下げて席についた。
「時間も守れん人間は偉い人間になれんぞ」と愚痴られて、教室は三十九人ではなく、三十八人の笑いに囲まれていた。
それでも、一緒に笑っていない人がいるということは、それだけで心のフレームを埋めてくれた。
心に幸せが積もり始めた。

数日経った。
結構大鳥さんのことについて知り始めていた。
大鳥さんは、漫画とアニメが好き。文芸部で詩とか小説とかを書いてる。ボカロも聴いてたりする。授業は小説を書いているか、うとうとしているかのどっちか。女子数人から怒涛に嫌われていて、水をかぶせられたり、机の中に画鋲を仕込まれていたり、花を仕込まれていたり。
でも、大鳥さんは僕と大きく違う点が一つあった。
感情がすごく薄かった。水を被っていたあの時も真顔だった。画鋲が手にちくっと当たった時には、ピクッと目を開いて、手を振り、そして真顔に戻っていた。やっぱり、小説を読んでいる時は微かに口角が緩んでいるのも面白かった。
何かを食べるときは、少しだけ迎え舌になっているのも面白かった。給食のコッペパンを食べようとして、ちょっとだけ舌をベーと出す。真顔の顔なのに、それがどうにもアンバランスで、笑みを抑えるので必死だった。
たまに笑ってしまって、その度に嘲笑の矢が心のフレームに刺さる。でも、フレームが割れることはなかった。
心の中が、悲しみではなく幸せで、少しずつ埋まっていた。

深夜、23時45分。
数学の課題を終え、ふうっと息を吐いて、伸びる。
ぱきぱきと背骨がなり、ぱっと手を離して脱力した。
ここ数日、ずっと頭の中には大鳥さんの顔が残っていた。緩んだ口角、そして舌、指もスカートの下で滑らかにいる脛も。そして、水で濡れたあの姿、濡れて微かに見えた下着。はっとして顔をブンブンと振る。
気持ち悪がられる。そして、また前のように戻ってしまう。
でも、本当にそうか?
本当にそうなのだろうか?今の自分なら、もしかしたら、大鳥さんと……。
いやいや、でも、うーん……。
時計はカチカチと弛まず、時間の流れを刻んでいく。23時57分。そろそろ寝なきゃ、と思いながらも頭の中の思考は止まることを知らない。
どうしよう、どうしよう、でも、やっぱり、仲良くなって……。
付き合いたい。
環状していた思考が終着点にたどり着いた。恋愛というものに縁がない人生だったのに、ここ数日でその人生は急激に変化していた。
ああ、これが恋か。納得と恥ずかしさで顔が赤く染まった。

リストを書いてみた。
どうやったら仲良くなれるかリスト。項目がいくつか並んでいる。

1.LINEを手に入れる。
2.LINEで話してみる。
3.遊びに誘ってみる。
4.これで仲良くなれる。

ずいぶん楽天的だなあと思いながらも、それくらいしか思い浮かばなかった。
学校に向かう道中の電車は、いつも人が多い。でも、僕はまず第一の項目を達成させる方法を知っていた。2両目の真ん中。いつも決まって大鳥さんはそこに乗ってくる。つまりはそこで待っていれば、大鳥さんは自然に現れると確信していた。
電車がプシューと音をたて、ドアが開く。
大鳥さんは、やはりいつも通り一人で電車に乗ってきた。一世一代のチャンス。ドアが閉まった。周りをくるくる見渡して、早速試みる。
「あの、大鳥さん!」
視線が集まる。声が大きすぎた。しまった、と思ったけど、大鳥さんの顔は案外硬くなかった。いつものなら少し眉の角度が上がってて、雰囲気もなんというか「邪魔するな」ってオーラがあるのに、今の大鳥さんは話を聴いてくれそうな雰囲気だった。
声をかなりひそめて、言葉を続ける。
「もしよかったら、連絡先交換しない?」
大鳥さんは首を傾げた。どういう意味かはよくわからなかった。
否定というわけでもないが、肯定もしていない。単純に僕の言ったことの意味をわかりかねているのか、もしくは聞こえていないか。そう結論づけた。
LINEのQRコードを見せ、もう一度「連絡先交換しない?」と言った。さっきよりは少し大きめの声で、噛まないように。
——大鳥さんの顔は、みるみる間に赤くなっていった。
目も見開かれ、口も少し開いている。頭から湯気が出そうになっている、というか多分出ている。ガタンと電車が揺れ、大鳥さんの体がふらついた。次に顔を見た時には、いつもの真顔に戻っていた。
大鳥さんはスマホを取り出し、カチッと電源を入れ、さっさとQRコードを読み込んでまたポケットにしまった。
そのあとは何も喋らず、結局その雰囲気に耐えられずそれとなく離れてしまった。

大鳥さんとは、結局学校では話せずじまいだった。
というより、休憩時間の度に僕も大鳥さんもそれぞれいじめてくるグループに呼び出されるのだから、話す機会なんてなかった。
大鳥さんのことは心配だったが、でも僕はどこかで「また濡れてくれたら」だなんて思っていた。やはり僕は、汚かった。

学校の帰り道。そそくさと荷物をまとめ、校門を抜けていった、その時。
「ねえ。」
背後から、あの透き通る声が耳に入る。振り返らずともわかる。大鳥さんが後ろにいた。
大鳥さんは左腕を押さえながら歩き、僕の横で立ち止まった。
「なんで。」
何が、とは言わなかった。体を拭いたことか、連絡先を交換したことか、はたまた両方か。でも、そのどれであったとしても、確実なことはあった。
「同じだったからだよ、大鳥さんと僕が。」
大鳥さんはそれを聞いて、空を見た。
空を見て、そして、くすっと笑った。
ほんの微かな笑みで、瞬きしたらもう真顔に戻っていた。
「そう。」
鼻を啜って、ひとつ咳をした。それで、その日の会話は終わった。

また数日が経った。
LINEでの大鳥さんは、現実とは全く違った。
「これ」
「見て」
「新しい曲」
「出てる」
短い文章をぽんぽんとたくさん送り、僕が既読をつけるまで何個も何個も送信してきた。既読だけじゃなくて、返信が遅くなってもまた何個も何個も送信してきた。
「ねえ」
「見てるなら」
「返信して」
「お願い」
「早く」
「ごめん」
「送りすぎた」
「怒ってる?」
「返事して」
普段はクールで動じない大鳥さんが、僕とのLINEでこうなっている。その事実がどうにも僕の心をくすぐり、昂らせていた。
そして僕は、あえて返信しなかった。なんだか、そうしたかった。
僕のクラスでの立場は弱いものだったが、それでも、この連投に僕の中の心のスイッチを押されてしまった。
「ねえ」
「嫌いになった?」
そして、一枚の写真が送られてきた。
薄着の私服の写真で、まるで今撮影したかのようなものだった。
なんとなく大鳥さんがなぜここまでいじめられているのか理解できた気がした。
多分、大鳥さんは何度も同じようなことをしている。それを女子グループで晒されて、こういう風に追い詰められたんじゃないか。そんな風に考察した。
もういいか、と思ってやっと返信をしたら、既読がついて五秒後。
「見てくれた」
「返事嬉しい」
「ねえ」
「嫌いになってないよね」
「大丈夫だよね」
側から見たらメンヘラ彼女のようなトーク内容はまだまだ続いていった。

深夜3時。あれからぶっ通しでLINEをしていた。明日は土曜日だから、早くに寝る必要はなかった。
さて、そろそろリストの三番目に行こうか。覚悟を決めて、LINEを送った。
「日曜日空いてる?」
さっきまで既読がついて10秒で返信が来ていたのに、しばらく大鳥さんは返事しなかった。
しばらく待って、さらに待って、うとうとしながら天井を見ていたら返信が来た。
「いつでも」
「どこ行く」
「何時」
「どこ集まる」

日曜日、朝10時。
最寄りのイオンの正面入口で、これまたLINEをしていた。
「イオンついたよー」
8文字だけ送信してみる。
「待って急ぐ」
「私服楽しみ」
「どこいる」
「正面?」
「そっち行く」
5倍返ってきたのと、遠くから歩いてくる音が耳に入るのは全く同時だった。

そこにいたのは、水色のワンピースに身を包んだ大鳥さんだった。

しかも、顔は全くLINEの様子と違って、真顔だった。
「めっちゃ真顔じゃんw」
直接言うのもナンセンスなので、LINEで伝えてみた。
大鳥さんの目が一瞬揺らいで、そして爆速でLINEを返信し始めた
「やめて」
「照れる」
「恥ずかしい」
「いじわる」
「今日楽しませて」
それだけ返信して、手が止まった。
それからは怒涛の勢いだった。
大鳥さんは思ったよりも活発で、あの服が見たいこの服が見たいと僕の服の裾を引っ張っては試着して、
「どう?」
「似合ってる?」
と、わざわざLINEで送信してくる。
店を出たら出たで、あの本が欲しいとかこのゲームがしたいとかでゲーセンや本屋を連れ回された。大体の商品は買わず、しかしたまに買っては僕に持たせた。
フードコートで一息もつけずに、午後もまた洋服や服を大量に取り繕わせられた。

「今日楽しかった」
「また行きたい」
「ありがと」
朝よりも何倍もキラキラした目で送信してきたLINEに、返信する元気はもうなかった。
夕焼けを背後に二人で歩く。背中が橙色に染まり、二人の間には言葉もなく、夕日は沈んでいった。
また明日から学校が始まる。始まって、でも、それでもやっていけそうな気だけはしていた。
「大鳥さんと、僕って似てるって話したじゃん?」
大鳥さんが頷いた。軽トラックが僕の左をひゅうっと通り過ぎる。
「まるで、いじめられっこ同盟だね」
大鳥さんは、しばらくまた空を眺めていた。
そして今度は、微かではなく、僕の顔を見て大きく笑った。

飛行機が夕暮れのオレンジの空を翔ける。飛行機雲はぶれずに、まっすぐとした線を描いていた。
明日晴れだ。そんな言葉が耳に入ってきた。
「晴れるね」
「ね」

帰りの駅まで、あと500メートル。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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