第一章:金貨二枚と男の悪癖
浮遊大陸セトニアの西端に位置する交通の要衝、港湾都市「アルト・ヴァレス」。
張り出した巨大な鉄骨の埠頭の下には、どこまでも底の知れない白銀の雲海が広がっている。ここから足を踏み外せば、待っているのは際限のない落下と確実な死だ。セトニアに生きる人々にとって、その雲の底は世界の終わりと同義だった。
だが、その恐怖を飛び越えるための翼を、人々は持っている。エルティス鉱石、圧力を加えると浮力を発生させるこの鉱石はセトニアでは普遍的に存在し、それを精錬して結晶化したものを材料に造られる『浮遊機関』を載んだ船、それがこの空の世界を生きる人々の翼だった。
「その導管はもっと慎重に締めな!でなきゃ圧力をかけた途端に結晶がひび割れて、お前さんもろとも雲の底へ真っ逆さまだぞ。」
埠頭に係留された船のブリッジから身を乗り出し、新米の港湾労働者に声をかける男が居た。四十代前半で引き締まった体躯と、戦場で刻まれたいくつかの古い傷跡、竹を割ったような、良くも悪くも嘘のつけない無骨な顔立ちの男、ビルマリグ=レネゲイトだ。
彼は今、使い込まれた革製ジャケットの袖をまくり、煤とオイルで汚れた太い腕で愛艇『リオデ=ネイロス号』の最終調整を行っていた。
彼の愛艇リオデ=ネイロス号は、お世辞にも優雅な民間船とは言えない。
かつて彼が軍人だった時、殿(しんがり)に志願して死闘の末に生き延び、退職金代わりに譲り受けた元軍籍の偵察艇。それを自らの手で改造した、いわば『魔改造飛空艇』だ。
船体の上下には、鈍い鉄光りを放つ15.2cm連装砲が計二基四門。さらに船首には空雷発射管が四門、鋭い牙のように突き出している。空賊に襲われても悉くを雲海の塵にしてきたその威容は、この港でも一目置かれる存在だった。
「ふぅ……。よし、浮遊機関のエルティス圧の安定度は上々。内燃燃焼室の吸気圧も文句なし、だ。」
ビルマリグが額の汗を拭ったその時、埠頭の喧騒の隙間から、妙に場違いな足音が聞こえてきた。ペタペタと、焦ったようにせわしなく、どこか頼りなげに響く靴の音。
視線を向けると、そこには一人の少女がいた。栗色のボブカットの髪を揺らし、小柄な体を縮こまらせながら、右往左往と埠頭を彷徨っている。名はミナ=セネスライト、十一歳という年齢相応の、どこにでもいる普通の少女に見えた。しかし、その大きな茶色の瞳には、ただ狼狽しているだけではない、切羽詰まった知性と強い意志が宿っていた。
「あの……すみません!どなたか、西の群島まで小包を届けてくださる運び屋さんは、いませんか……っ?」
ミナは近くを通りがかった恰幅の良い船乗りに声をかけたが、男は「西の群島だって?」と顔をしかめて鼻で笑った。
「お嬢ちゃん、冗談言っちゃいけねえ。あそこらの航路は最近、バールツネスト空賊団とかいうろくでなしどもが我が物顔で闊歩してやがるんだ。民間のまともな輸送船は一隻も近寄れねえよ。命がいくつあっても足りん」
「そんな……!でも、どうしても届けなきゃいけないんです。お願いです、誰か……!」
他人に縋るしかない我が身の無力さに、ミナは唇を強く噛み締めた。その小さな拳は、悔しさと不甲斐無さで小刻みに震えている。
冷たくあしらわれ、孤立無援の埠頭で今にも泣き出しそうなミナの姿を、ビルマリグはリオデ=ネイロス号のタラップからじっと見つめていた。
(おいおい、やめろ、ビル。関わるな。西の航路が地獄になってるのは知ってるだろ。ただの運び屋が首を突っ込む案件じゃねえ……)
頭の中の理性はそう告げていた。しかし、元来の人情深さと涙もろさが、彼の足を勝手に動かしてしまう。
ドスドスと大きな足音を立ててタラップを降り、ビルマリグはミナの前に立ちはだかった。影が少女をすっぽりと覆う。
「おい、そこのお嬢ちゃん。」
「ひゃいっ……!?」
低く濁った声に、ミナは肩を跳ね上げて見上げた。熊のように大きな男の威圧感に一瞬怯むが、逃げ出さずにその場に踏みとどまる。
「西の群島に、何を届けたいって?」
「あ……えっと、これ、です……。」
ミナは胸に抱きしめていた、古びた茶色の包み紙で厳重に縛られた小包を差し出した。
「西の群島に住む、おばあちゃんに届けてほしいんです…。」と、消え入りそうな声で言う。
「正規の依頼料が出せないのは、わかってます。でも、これしか…」
そう言ってミナが差し出したのは、小さな、布製の古びた小銭入れだった。
震える手で開けられたその中身を見て、ビルマリグは思わず顔をしかめた。
100リジル金貨が2枚、リジルはここアルト・ヴァレス近辺でしか使用出来ない限定通貨であり、国を跨ぐ運び屋からは嫌がられる。その上、アルト・ヴァレスから危険な西の群島までの、正規の輸送請負料の半分にも満たない。おそらく、彼女がなけなしの貯金をすべて叩いて、必死に集めた全財産なのだろう。
「おねがい、します……。届けないと、イルマおばあちゃんが……っ」
ついにミナの瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。必死に涙を堪えようと、顔をくしゃくしゃにして頭を深く下げる少女。その小さな背中には、家族を想う純粋な愛情と、深い悲痛が滲んでいた。
「――ッう、ううう……ッ!!」
次の瞬間、埠頭にビルマリグの野太い「もらい泣き」の慟哭が響き渡った。
「なんて、なんて健気な子なんだお前はァーッ!! こんな小さな子が、なけなしの小遣い握りしめてよぉッ!!」
「えっ、ええっ!? あ、あの……?」
ミナが驚いて顔を上げると、そこには自分以上の大洪水のような涙を流し、鼻水をすすりながら大号泣している大男の姿があった。あまりの豹変ぶりに、ミナの涙は引っ込んでしまう。
「分かった!このビルマリグ=レネゲイト、男の意地にかけて引き受けたァッ!その小包、絶対におばあちゃんに届けてやるからなッ!」
「本当……ですか!?ありがとうございます……!」
ミナの顔に、ようやく微かな安堵の光が宿った。
ビルマリグは泣きながら金貨2枚が入った財布を預かり小包を大事そうに抱えると、すぐ係留索を外し、そのままリオデ=ネイロス号のブリッジへと駆け上がる。程なく、浮遊機関の甲高く澄んだ駆動音と力強い推進エンジンのプロペラ音が響き始める。ビルマリグはブリッジから無骨な笑みを埠頭に立ったままのミナに向けると、高度を上げて西の群島に向け飛び立っていった。
それを見送るミナの背中は、何処か葛藤の影を残したままだった。
アルト・ヴァレスを離陸して数時間。
リオデ=ネイロス号は更に高度を上げ巡航に移っていた。風防の外には快晴の青空と雲海が視界の彼方まで美しく広がっている。
舵輪を片手にビルマリグは、コックピットの脇に置いたミナの小包に目を留めた。
「……ん? なんだここ、破れちまってるじゃねぇか。」
輸送中の振動のせいか、茶色の包み紙の端が、ほんの少しだけ破れていることに気づいた。大切な依頼品、このまま綻びが広がっては申し訳ない。包み直してやろうと手にとり、破れた隙間から中身を覗き込んだその瞬間―ビルマリグの全身の毛穴が、総毛立った。
「な……ッ、なんだ、この輝きは……!?」
破れ目の奥から覗いていたのは、単なる日用品でも、骨董品でもなかった。
それは、陽光を浴びて信じられないほど深い、吸い込まれそうな蒼い光を放つ物質―「超高純度エルティス結晶」だった。結晶の表面には、不純物がただの一片すら見当たらない。まるで凍りついた天空そのものを切り取ったかのような蒼色を湛えていた。
ビルマリグは元軍人で内燃機関士も務めた事が有った。数々の飛空艇や巡空艦の浮遊機関を分解し、精錬された結晶を扱ってきた経験がある。その彼が培ったすべての知識が、目の前の質量が持つ「異常性」に恐怖を抱いていた。
(馬鹿な……この小包サイズの手のひらに乗る結晶一つでも、巡空艦を丸ごと一隻浮かせられる程の代物だぞこいつは……!)
冷や汗が、ビルマリグの頬を伝って床に落ちた。現行の最新の精錬技術をもってしても、これほどの高純度で結晶化させることは不可能なはずだった。
「……待てよ」
ビルマリグの脳裏に、ミナが言っていた祖母の名前が鮮烈に蘇る。
―イルマ=セネスライト。
「イルマ……博士……!?あの、十数年前まで軍の研究開発局で浮遊機関の基礎を築き上げた、あの伝説の……!?」
エルティス結晶精錬技術の権威。偏屈で皮肉屋だが、その頭脳はセトニアの文明を数十年は進めたとまで言われた天才科学者。研究を軍を退き、西の群島に隠居したという噂は聞いていたが、まさかあの少女の祖母がその人だったとは。
「現行の技術じゃ作れねえ結晶がここにある。そして、西の群島にはその開発者がいる。……そこに、バールツネストの連中が縄張りを張っただと?」
バラバラだったピースが、ビルマリグの頭の中で最悪の形に噛み合わさっていく。
ただの手当たり次第の略奪ではない。空賊どもは、イルマ博士が隠れて完成させてしまったこの「新技術」の存在をどこからか嗅ぎつけたのだ。
「……そういうことかよ、チクショウ!」
ビルマリグは舵輪を叩いた。
空賊どもはミナの家族を人質に取り、隠居先にこの「金目の物(この結晶)」を、アルト・ヴァレスにいるミナを使って送らせようとしたのだ。そして、西の群島へ結晶が戻ってきたところを、運んできた船ごと根こそぎ分捕る算段に違いない。
「西の群島は、完全に奴らの罠だ。」
一介の運び屋に過ぎない自分。ここで引き返して、運送ギルドや軍に通報を入れれば、誰もビルマリグを責めはしないだろう。命の保証もない危険に飛び込む義理などない。
だが。
あの埠頭で、なけなしの小遣いを握りしめて涙を流した、ミナの顔が浮かぶ。
今まさに空賊の銃口に晒されているであろう老科学者の姿が、容易に想像できた。
「バールツネストのクソ野郎ども……。誇りもクソもねえ、三流のやり口が、一番胸糞悪いんだよ……ッ!」
ガリッ、と奥歯が鳴る。ビルマリグの瞳から、先程のもらい泣きの涙は完全に消え去っていた。代わりに宿ったのは、軍人であった頃の、恐れ知らずの鋭い眼光。
「おい、相棒。お前もあの三流どもに舐められたままじゃ、夜も眠れねえよな?」
ビルマリグは舵輪を叩いて不敵に笑うと、スロットルを力強く前方に押し込んだ。
ガチリ、と機械的な噛み合わせの音が響き、内燃燃焼室へと高圧の燃料が噴射される。愛艇の浮遊機関が、まるで獲物を見つけた猛獣のように猛々しく咆哮を上げた。
ズン!と船体が軋みを上げ、リオデ=ネイロス号の推進エンジンが唸りを上げる。
白銀の雲海を真っ二つに切り裂きながらその飛空艇は、罠の待つ西の群島へと一直線に突き進んでいった。
第二章:群島の巨影と、落ちゆく翼
西の群島――そこは、大小さまざまな浮遊島が不規則に並び立つ、天然の要害だった。
群島の隙間に濃い霧が立ち込める中、リオデ=ネイロス号は推進エンジンを低出力に保ちながら音もなく滑空していた。
ビルマリグの予想は、最悪の形で的中していた。
群島の中央、ひときわ巨大な浮遊島の岸壁に接舷するようにして、その巨影は不気味に鎮座していた。
大陸東にあるかつての軍事国家、『皇国』が昔の大戦中に建造し、戦後に解体されたはずの旧式巡空艦。それを違法に繋ぎ合わせ、武装を無理やり増設した巡空母艦「ゼーベン・ピーク」である。継ぎ接ぎだらけの装甲板、あちこちから漏れる錆びた蒸気。しかし、各所にそびえ立つ砲塔の砲口は、未だに獲物を引き裂く十分な凶暴性を残していた。
その艦のすぐ近く、浮遊島の硬い岩肌の上で、一人の老女が後ろ手に縛られていた。
イルマ=セネスライト。
やや小柄な体躯を縛る縄は厳しく食い込んでいるはずだが、彼女の背筋は定規を当てたように真っ直ぐに伸びていた。白髪を高い位置でポニーテールに結い上げ、汚れ一つない茶色の虹彩が、周囲を囲む空賊たちを射貫くように見据えている。
「おい、ババア。そろそろアルト・ヴァレスから、ガキが『例のブツ』を持って帰ってくる時間だ。」
自動小銃を肩に担いだ、下卑た笑みを浮かべる空賊の男が、イルマの顔に銃口を近づけた。
「大人しくエルティス結晶の精錬方法を吐きゃあ、家族の命だけは助けてやる。どうだ?」
イルマは怯むどころか、形の良い眉を不機嫌そうにひそめると、鼻で冷たく笑い飛ばした。
「フンッ、泥棒猫の三下空賊風情が偉そうに。人を見下せる貫録を何処で拾ったんだい。その安物の銃で脅し取ったかい?」
「なんだと、このクソババア……っ!」
「他人の技術を掠め取るしか脳のないドブネズミどもが、私と対等に口をきけると思うんじゃないよ。エルティス圧の圧力計算すら満足にできなさそうな面下げて、科学の結晶を語るなど片腹痛いわ。」
鋭い眼光と言葉の刃に、空賊の男は気圧され、思わず一歩後退りする。その胆力は、まさに百戦錬磨の科学者のそれだった。
―その時、遥か上空、雲海のさらに上から、猛烈な「風の割れる音」が降ってきた。
「なんだァッ!? 上だッ!」
空賊の叫びと同時に、太陽を背に盲点から急降下してくる影があった。リオデ=ネイロス号だ。
「イルマのばあさん、待たせたなァッ!!」
ブリッジで舵輪を握るビルマリグの眼が、狂犬のようにギラつく。
急降下による重力加速を乗せ、照準器の十字がゼーベン・ピークの連装砲塔に重なった瞬間、ビルマリグは発射レバーを絞り込んだ。
「まずは挨拶代わりだ、受け取りなッ!」
ドゴォォォンッ!!
リオデ=ネイロス号の上下に配された15.2cm連装砲、計二基四門が同時に火を噴いた。強烈な反動が船体を震わせ、発射ガスの白煙がブリッジの風防を覆う。
放たれた徹甲榴弾は、不意を突かれたゼーベン・ピークの連装砲塔を正確に射抜く。爆発の炎が霧のかかる空を赤く染め上げ、空賊たちの悲鳴が群島に木霊した。
「敵襲ーッ!敵は一隻だけだ、叩き落とせッ!!」
型落ちとはいえ、元は歴戦の軍艦だ。バールツネスト空賊団の乗組員たちが狂ったように叫び、ゼーベン・ピークの残存する砲塔がギリギリと音を立てて旋回を始める。
直後、無数の光弾がリオデ=ネイロス号に向かって網の目のように放たれた。
「くっ……おおおおおッ!」
ビルマリグの視界が、敵の放つ猛烈な砲火で埋め尽くされる。手の平にじっとりと脂汗がにじみ、舵輪を握る指先が白く強張る。
だが、彼の頭脳は驚くほど冷静だった。
敵の砲塔の旋回速度、砲身の仰角、そして対空砲の曳光弾が描く軌跡――軍人時代に嫌というほど叩き込まれた「艦砲の癖」が、敵の弾幕の『隙間』を弾き出す。
「右舷回頭、推進出力八十!弾の通り道だらけだなァッ!」
ビルマリグは舵輪を激しく回し、フットペダルを踏み込んだ。リオデ=ネイロス号は、まるで生き物のように身をよじり、掠める砲弾の風圧で船体を激しく揺らしながらも、弾幕のわずかな死角をすり抜けていく。
すれ違いざま、更に15.2cm砲を連射。ゼーベン・ピークの艦橋側面に砲弾が突き刺さり、装甲板がひしゃげて火花が飛び散る。的確に構造の脆い箇所を抉る一撃だった。
しかし、敵も必死だった。
「ちょこまかと……落ちろォッ!」
ゼーベン・ピークの艦首甲板に並ぶ砲塔が、リオデ=ネイロス号の進路を完全に予測し、一斉射撃の体勢に入った。左右上下、すべての退路を断つ網状の同時砲撃。
(―遮蔽のない空間に誘い込まれたか……!)
全門斉射の光が、ゼーベン・ピークの砲口に集束する。まともに喰らえば、リオデ=ネイロス号は一瞬で木端微塵だ。
「おいおいそんなベタな罠に引っかかるんじゃないよ!」
岩壁の上で見守るイルマ博士が、思わず声を荒らげる。
だが、ビルマリグの口元は、不敵に歪んでいた。
「引っかかるかよ……相棒、ちょっとの間、息を止めるぞ。」
ビルマリグは、主機関の出力をゼロに引き下げ、さらに浮力を生み出すエルティス結晶への圧力供給を『完全に遮断』した。
ズンッ…と静寂が訪れる。
浮力を失ったリオデ=ネイロス号は、推進力を失ったただの鉄の塊と化し、重力に従って「真っ逆さまに自由落下」を始めた。
「なっ……機関停止だと!?墜ちるぞッ!」
ゼーベン・ピークの操舵手が驚愕の声を上げた。
その直後、敵艦が放った一斉射撃の光弾の嵐は、リオデ=ネイロス号が「つい一瞬前までいた空間」を虚しく突き抜け、夜空を焦がした。
ヒュウウウウウウウッ!
ゴツゴツとした岩肌と、底の見えない雲海が、猛烈な速度で視界を駆け上がっていく。コックピット内は完全な無重力状態となり、計器の針が狂ったように振れる。
凄まじい風圧が船体をきしませ、一歩間違えればそのまま雲の底へ直行する死の落下。
ビルマリグの背中を冷たい汗が伝う。だが、彼の目はまだ死んでいない。
「……今だッ!起きろォッ!!」
敵艦のちょうど『真下』―死角となる腹の下に滑り込んだ瞬間、ビルマリグは主機関の再点火レバーを叩きつけた。
ドンッ!! という鼓膜を震わせる爆音とともに、浮遊機関に再び猛烈な圧力が加わる。一気に発生した爆発的な浮力が、自由落下の凄まじい慣性と衝突し、船体に凄まじい負荷をかける。
ビルマリグは歯を食いしばり、血が滲むほど舵輪を抑え込んだ。
「空雷発射管、一から四番、全門開けッ!!」
リオデ=ネイロス号の艦首が、ゼーベン・ピークの最も装甲の薄い艦底中央部を完全に捉えていた。
「三流のろくでなしどもに、元軍艦乗りの喧嘩の仕方を教えてやる。……喰らえッ!!」
ガガガガンッ! と鈍い駆動音とともに、四本の空雷が相次いで射出された。
白い尾を引きながら空雷は、敵の艦底へと突き刺さる。
一数秒の静寂の後
ズガァァァァァァンッッ!!!!
群島全体を震わせるほどの、凄まじい大爆発が巻き起こった。
四本の空雷が引き起こした連鎖爆発は、ゼーベン・ピークの内部機関を完全に破壊した。巨艦は内側から引き裂かれるようにして「くの字」に拉げ、激しい炎と黒煙を噴き上げながら、ゆっくりと、しかし確実に、底なしの雲海へと沈み込んでいく。
「…はぁ、はは…勝負あり、だ。」
浮遊機関の出力を安定させ、再び岩壁の近くへとホバリングさせたリオデ=ネイロス号のブリッジで、ビルマリグは深く息を吐き、額の汗を拭った。
爆風に揺れる岩壁の上。
縛られたままのイルマ博士は、沈みゆく空賊船の炎に照らされながら、リオデ=ネイロス号をじっと見つめていた。その表情には、驚きと、そしてどこか技術者としての深い興味が入り混じった、不敵な苦笑が浮かんでいた。
第三章:天才科学者の毒舌と、報酬のチャーム
島に取り残されていたバールツネスト空賊団の残党は、すでに完全に戦意を喪失していた。彼らの自慢だった巨艦ゼーベン・ピークが、たった一隻の飛空艇によって雲海の底へ叩き落とされる様を特等席で見せつけられたのだ。武器を放り出し、岩肌にへたり込んでガタガタと震える男たちを、ビルマリグは手際よくまとめて縄で縛り上げた。
「おい、動くんじゃねえぞ。ここで大人しく『お縄』を待つんだな。」
残党をそのまま放置したビルマリグは、後ろ手に縛られていたイルマ博士の元へ歩み寄り、ナイフでその縄を手早く断ち切った。
「待たせて済まなかったな、イルマのばあさん。アルト・ヴァレスでお嬢ちゃんから小包を預かってきた。ついでだ、自宅まで送ってくぜ?」
「ふん、待たされたのは事実だね。だが、まあ……合格点だよ、若造。」
イルマは自由になった手首をさすりながら、衣服の汚れを気にする風でもなく平然と歩き出し、リオデ=ネイロス号のタラップを上がっていく。その悠然とした態度に、ビルマリグは苦笑しながら後を追った。
程なくして、リオデ=ネイロス号は群島の岩壁を離岸。夕暮れが迫りつつある空へと再び舞い上がり、イルマの自宅がある隠居先の島へと進路を向けた。
操舵室の手前にある機関室を通りかかったとき、イルマの足がピタリと止まった。
茶色の虹彩が、剥き出しになったリオデ=ネイロス号の心臓部―ビルマリグが軍人時代の知識を総動員して組み上げた改造機関を捉える。イルマの目が、技術者特有の熱を帯びてギラリと輝いた。
「……おい、ビルマリグ。なんだい、この滅茶苦茶な熱線管の配置は。」
「ん? ああ、俺の自慢の特製推進エンジンだ。内燃の吸気圧を極限まで高めて、現行の軍用艇の倍の推力を叩き出せるようにしてある」
「馬鹿お言い。倍の推力と引き換えに、骨組みにかかる重力加速度を計算に入れてないのかい?」
イルマは呆れたように首を振り、配管の一つをコツコツと指先で叩いた。
「推力が強すぎて船体寿命が加速度的に縮むだろう。あと三年もこの無茶な機動を続けてごらん、空中分解して雲の底へまっさかさまだ。持ち主の頭の悪さがそのまま形になったような、実に見事な大馬鹿機関だね。」
「うっ……! い、いや、一応補強は……」
「だが……」
イルマは皮肉げな笑みを引っ込めると、今度は浮遊機関のエルティス結晶ホルダーを覗き込んだ。
「浮遊機関のバイパス構造を独自で改造してあるね。結晶の摩耗度を均一にし、なおかつ外部から片手でも固定ボルトを外せるようになっている。……フン、この整備性の高さだけは評価してあげるよ。前線の泥にまみれた兵隊が、生き残るために必死に知恵を絞った泥臭い、実に良い設計だ。」
「へへ、そいつはどうも。元軍の修理工兼内燃機関士の意地ってやつさ!」
天才科学者の手厳しい、しかし本質を突いた評価に、ビルマリグは頭を掻きながら誇らしげに笑った。イルマは少し頑固で皮肉げな言葉を崩さなかったが、その奥には、孫のミナや家族を恐ろしい目に遭わせてしまった自責の念と、それらを救うために命を懸けてくれたビルマリグへの深い感謝が滲んでいた。
「……とにかく、孫とあの子の家族を、頼んだよ。」
「おう、任せときなセンセイ。このリオデ=ネイロス号がバラバラになる前に、きっちり送り届けてやるさ!」
やがて船はイルマの自宅がある小さな島へと到着した。
静かに着陸した埠頭の庭先で、イルマは懐から、古い布に包まれた小さな物体を取り出した。
「ほら、受け取りな。後払いと、私を助けてくれた分の礼だよ」
手渡されたのは、ミナが埠頭で差し出してきたあの古びた小銭入れだった。だが、その側面に、親指ほどの大きさの、妙に澄んだ蒼い結晶のチャームが紐で括り付けられている。
「なっ……!!」
それを見た瞬間、ビルマリグは目玉が飛び出るかと思うほど見開いた。
先ほど小包の隙間から見た、あの「超高純度エルティス結晶」と全く同じ、不純物が一片もない完璧な蒼色。このサイズであっても、闇市に流せば最高級の機関部品や最新の推進エンジンが新品に交換できる代物だ。
「セ、セ、センセイ……ッ!? これ、あの結晶じゃねえか! こんなの受け取れるわけねえだろ!」
「ババアの手製がそんなに珍しいかね、まぁ好きに使いな。」
仰天してガタガタと震えるビルマリグを見て、イルマは可笑しそうにケラケラと声を上げて笑った。
「私が一人で庭の工房で捏ねくり回して作った趣味の品さ。お前さんなら、この価値を正しく使えるだろう?……さあ、行きな。あの子が港で首を長くして待っている。」
「……ありがてえ!恩に着るぜ、センセイ!」
ビルマリグはチャーム付きの財布を大事にポケットへしまい、帽子を掴んで大振りに会釈をすると、リオデ=ネイロス号のブリッジへと駆け上がった。
ハッチが閉まり、船体がゆっくりと浮上を始める。
地上で見送るイルマは、風に白髪のポニーテールを揺らしながら、メガホン代わりにした手を口元に当てて声を張り上げた。その声には、技術者の先達としての、皮肉混じりの温かい忠告が込められていた。
「ビルマリグ! 船は鏡だ、無茶させすぎるんじゃあないよ!乗り手が無茶をすれば、船だって機嫌を損ねてお前を雲の底へ放り出すからね!」
「わかってるよ!」
ブリッジの窓から身を乗り出し、ビルマリグがガハハと豪快に笑いながら手を振り返す。
リオデ=ネイロス号は再び推進エンジンを咆哮させ、夕闇迫る茜色の空へと一直線に、アルト・ヴァレスを目指して飛翔していった。
数時間後。アルト・ヴァレスの埠頭は、夕暮れに染まっていた。
埠頭の最端。ガス灯の鈍い光に照らされながら、一人の少女がポツンと床に座り込んでいる。
ミナ=セネスライトだ。
彼女は小さな膝を抱え、冷たい風に吹かれながら、西の空をじっと見つめ続けていた。あの大きな男は、本当に帰ってくるだろうか。自分の無力さのせいで、あの優しい運び屋を死なせてしまったのではないか。不安と後悔が、その小さな胸を押し潰そうとしていた。
その時、夕空の雲を割って、聞き馴染みのある猛々しい重低音が響き渡った。
「――あ」
ミナが弾かれたように立ち上がる。
上空から緩やかな、しかし美しいカーブを描いて滑り込んできたのは、あちこちに煤をつけ、弾痕を刻みながらも、堂々と凱旋したリオデ=ネイロス号だった。
埠頭に蒸気音を響かせて接舷し、ブリッジのハッチが勢いよく開く。そこから、顔を煤で汚したビルマリグがひょっこりと顔を出した。
「おい、お嬢ちゃん! ただいま戻ったぜ!」
降りてきたビルマリグは、ドカドカと足音を立ててミナに近づくと、ニカッと白い歯を見せて笑った。
「ちゃんと届けたぜ! イルマのばあさんが、心配かけてごめんってよ。元気にしてたぜ!」
その言葉を聞いた瞬間、ミナの張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。
茶色の瞳にみるみるうちに涙が溜まり、しかし今度は、心の底からの、満開の花が咲くような素晴らしい笑顔がその顔に広がった。
「……っ、よかっ……よかったぁ……!」
安堵に震えるミナの前に、ビルマリグはしゃがみ込むと、ポケットから布製の小銭入れを取り出した。ミナが差し出した、なけなしの金貨が入ったままの財布だ。そしてその側面には妖しく輝く、蒼い結晶のチャームが括り付けられている。
「ほら、これ返すぜ」
「え……? でも、これは料金です! 受け取ってください!」
慌てて突き返そうとするミナの手を、ビルマリグは熊のような大きな手で優しく包み込み、そのまま財布を彼女の胸元へと押し戻した。そして、栗色の頭を、大きな掌でくしゃくしゃと手荒く、だが優しく撫でた。
「これは、いつかお前さんが自分で船に乗る時まで、大事に取っておきな。」
ビルマリグの温かい手のひらの熱が、ミナの頭頂部から全身へと染み渡っていく。
他人に縋るしかなかった少女は、その時初めて、いつか自分の力でこの大空を飛ぶという、小さな、しかし確固たる未来の『翼』を胸に抱いたのだった。
第四章:死神の形相と、茜色の航路
パァン!
感動の再会に浸る埠頭の空気が、突如として不快な金属音と野卑な笑い声によって引き裂かれる。
「おいおい、随分と感動的な再会じゃねえか。お涙頂戴の劇はそこまでだ」
ガス灯の影から現れたのは、自動小銃を構えた五人の男たちだった。バールツネスト空賊団の別動隊――ミナの家族を人質に取り、アルト・ヴァレスの港を監視していた残党どもだ。
彼らの前には、後ろ手に縛られ、恐怖に顔を歪ませたミナの父親と母親、そしてミナよりもさらに幼い妹の三人が突き出されている。
「ッ!!お父さん、お母さん!リーナ!」
「ミナ、来ちゃダメ…!!」
「本隊がやられたのは計算外だが、結晶が手に入らないなら、せめてここで元は取らせてもらうぜ。おい、そこの運び屋」
リーダー格の男が、銃口をビルマリグに向けながら、下卑た笑みを浮かべて一歩前に踏み出した。
「その鉄屑みてぇな船をこっちに引き渡せ。それと、今まで稼いだ金目の物を有るだけここにぶちまけろ!さもなきゃ、このガキどもの頭に風穴を――」
男の言葉は、そこで永遠に遮られた。
「……おい、三流」
ぽつり、と。
ビルマリグの口から漏れ出た声は、あまりにも静かだった。しかし、その場にいた全員の脊髄を凍らせるほどの、異様な冷徹さを孕んでいた。
低く、地獄の底から響くような地鳴りを帯びて振り返った彼の顔は、もはや死神すらも裸足で逃げ出すほどの、おぞましい形相へと変貌していた。怒りのあまり両目は真っ赤に血走り、首筋の血管は破裂しそうなほどに浮き上がっている。使い込まれた革製ジャケットの上からでも分かるほど、全身の筋肉がはち切れんばかりに膨れ上がっていた。
「今……なんて言った? その小さな子の頭に、何をあけるって?」
ズッ… と、空間そのものが数倍の重力に変わったかのような、圧倒的な殺気が放射された。
それは最早、視覚化できるほどの濃厚な漆黒の圧力となって、空賊たちを直撃する。ビルマリグが一歩、また一歩と無言で歩み寄るたび、埠頭の鉄骨が彼の怒りに共鳴して微かに震えているようにさえ感じられる。
「ひっ……あ、あば、ば……っ!?」
「バケ、モノ……ッ!!」
銃を構えていたリーダーの男は、引き金を引くことすら忘れ、ただただ顎をガタガタと鳴らした。あまりの恐怖に脳の処理が追いつかず、全身の毛穴から冷や汗が噴き出す。
次の瞬間、五人の空賊は一発の弾を撃つこともなく、恐怖の過呼吸と絶望によって白目を剥き、その場にバタバタと崩れ落ちて――全員が完全に気絶してしまった。
奇妙なことに、これほど凄まじい殺気の嵐の中にいながら、人質だったミナの家族やミナ自身には、器用なほどにその圧力が一切届いていなかった。
ただ目の前で、凶悪な空賊たちが大男の顔を見ただけで勝手に泡を吹いて倒れたのである。家族は縄を解かれながら、何が起きたのか分からず、ただただ困惑するばかりだった。
「お父さん!お母さん!リーナァ!」
ミナが駆け寄り、家族は涙を流しながらしっかりと抱き合った。
その感動的な光景の後ろでは、気絶した空賊たちを、ビルマリグや騒ぎを聞きつけて集まってきた港湾労働者、同業の運び屋たちが手際よく縛り上げていた。
やがて、通報を受けた軍の憲兵隊が埠頭に到着する。その頃には空賊たちも意識を取り戻していたが、彼らを待っていたのは地獄のような『罵倒の嵐』だった。
ビルマリグを筆頭に、腕に覚えのある港の荒くれ男たちが彼らを取り囲み、けちょんけちょんに言葉の銃弾を浴びせかけていた。
「おい、起きろ三流。お前ら男として恥ずかしくねえのか? 子供を脅して小銭を巻き上げようたぁ、船乗りの風上にも置けねえな!」
「作戦も三流、面構えも三流、臭いまで三流かよ!」
「田舎のドブネズミの方がまだコソ泥としての気概があるぜ!」
「空を飛ぶ資格なんてねえよ、一生地下の牢屋で這いつくばってな!」
「なんかくさい」
集まった男たちから代わる代わる浴びせられる容赦のない罵詈雑言。
引き渡しを受ける連合国軍の憲兵たちも、あまりの恐怖とその後の罵倒の嵐によって、完全に魂が口から抜け出たようになっている空賊たちの様子を見て、同情混じりの苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……さてと。」
憲兵たちが空賊を連行し、埠頭がようやく落ち着きを取り戻した頃。
ミナの両親は、命の恩人であるビルマリグにせめてもの謝礼を支払おうと、懐を探りながら辺りを見回した。
「あの、運び屋さん! 本当にありがとうございました、せめてお礼を―」
だが、その時にはすでに、埠頭の端でリオデ=ネイロス号の推進エンジンが力強く始動していた。
キィィィンと甲高い過給音を響かせ、浮遊機関から青白い光を放つ愛艇。そのブリッジの窓から、ビルマリグが昼間と変わらない無骨な笑顔で、片手を上げてひらひらと振っているのが見えた。
「お礼なら、もうとっくに貰ってるぜ!家族水入らずで、仲良くな!」
ビルマリグが舵輪を引くと、リオデ=ネイロス号は軽やかに埠頭を離岸した。
「ビルマリグさん!ありがとうーっ!!」
ミナが精一杯の声を張り上げ、ちぎれるほどに手を振る。
その感謝の声に応える返事の代わりに、リオデ=ネイロス号は一際大きな爆音を轟かせた。船体から放たれた青白い軌跡が、アルト・ヴァレスの夜の始まりを美しく切り裂いていく。
その飛空艇は、地平線の彼方で燃えるような輝きを残す、茜色の夕焼け空へと向かって、鋭く、どこまでも真っ直ぐに飛んで行った。
その翼は、また新たな空の物語を紡ぐために、世界の果てを目指して加速していくのだった。
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