「私、本は背表紙から見ちゃうんだよね」
「背表紙?ああ、そこは裏表紙じゃないかな。背表紙はこっち」
僕は手に持っていた本の背表紙を指さして、さっき初めて会ったばかりの彼女の方に向けた。
「え?うそ?そこが背中? 私、ずっとこっちが背表紙だと思って生きてきたかも」
「そうなの?ま、気持ちはわかる。本の背中っぽいのはどこ?って聞かれたら、たしかに裏表紙のほうかも。それに、他人と表紙の部位の呼び方について話すことって、あまりなさそうだし」
「でしょ?ていうか、裏表紙って文字を思い浮かべるとなんか変だよね。お前は裏なのか表なのか?って聞いてやりたい」
「そんなこと考えたことないよ、単に表紙の反対側だから、裏表紙ってことでしょ」
──僕が彼女とその会話をする十分ほど前、
僕は大型書店の文芸書フロアで彼女を待っていた。
彼女はマッチングアプリに三枚の写真を載せていた。
一枚は正面の笑顔、一枚は横顔。もう一枚は、波打ち際に向かう後ろ姿。
後ろ姿の写真はこのアプリでは、あまり見かけない。
珍しいのもあって目が止まった。
第一印象、良い写真だと思った。
だが、後ろ姿ということはその写真は、
彼女が誰かに後ろ姿を撮ってほしいと思ったか、
誰かが彼女の後ろ姿を撮りたいと思ったか、
そのどちらかのきっかけがなければ撮られることはないはずだ。
もちろん、それは仲の良い友達かもしれない。
でも、そんな考えがよぎるような写真をマッチングアプリに載せている時点でちょっと、頭おかしい。
おかげで会ってみたいという興味が湧いたのも、事実だが。
彼女のプロフィールを見ながらそんなことを思っていたところ、彼女が現れて僕に声をかけた。
彼女が書店を指定したのは、お互いの趣味の一つが読書だというのもあったけれど、
スマホを見て人を待ってそうな人がいたら一瞬で見つけられるから、だそうだ。
彼女の印象はマッチングアプリのプロフィールから受けたものとほとんど変わらず、写真にも過剰な加工はなかった。
僕と彼女はその書店でしばらく本を見た後、カフェに寄ることにした。
そこで彼女は、思っていたよりよく喋った。
年は同じだから、最初からタメ語で話そう、という話になっていた。
取り留めのない日常の断片が、彼女の独特の思考とともに、繰り出される。
会ってみたいと思ったのは、間違いじゃなかったみたいだ。
彼女と話すのは楽しかった。
そして、後ろ姿の写真を載せていた理由を聞く機会はないまま次に会う約束をして、店を出た。
その後僕は何度か彼女と会い、付き合っていると言える間柄になった。
僕は彼女のことを藍ちゃんと呼び、彼女は僕のことを遼くんと呼ぶようになっていた。
ある日、彼女の友人二人との飲み会に呼ばれた。
その友人と彼女の三人の間で、彼女は妙に大人しかった。
僕の前ではいつも会話を回す側なのに、二人に話を振られるまで、待っていた。
だけど、彼女は別に、楽しくなさそうな感じでもなかったし、
僕の前で見せるのとは別の、良い顔をしていた。
飲み会の後、僕は彼女を家まで送ることにした。
彼女の隣を歩きながら、気になっていたことを聞いた。
「あのさ、藍ちゃん。今日少し、大人しくなかった?」
「そう?いつもとそんなに変わらないと思うけど」
「だって、あんまり自分から話そうとしてなかったし……」
「……ああ、そういうことか。なんかあの二人の前だと私って、そういう役になるみたいで」
「そういう役?」
「うん。……遼くん、初めて会った日のこと、覚えてる?」
「背表紙のこと?」
「違う。そこじゃなくて、私あの日、めちゃくちゃ喋ったよね?」
「ああ、たしかに」
「あの時さ、正直な話、マチアプで会った相手だし、合わなかったら二回目会わなければいいだけだって思ってて、普段の私より明らかに多めに喋ったな、と思って」
「え? 今それ言う?」
「あ、そういう意味じゃなくて。別に遼くんの前でそういう役を演じてるとか、そういうわけじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「わかんない。そういうもんじゃない?」
「何だよ、それ」
「怒った?」
「怒ってないよ」
「本当に?」
「本当に怒ってない。でも、ちょっと色々考えちゃうかも」
「そうなんだ」
「藍ちゃん、今度、後ろ姿の写真、撮ってもいい?」
「え、いいけど……なんで?」
「わかんない」
「何それ。私の後ろ姿が好きってこと?」
彼女はそう言うと軽く笑い、早歩きで僕の少し前に出た。
街灯の白い光が、少し先を歩く彼女の背中を照らし出す。
僕は、ただその背中を見ていた。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。