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秘密基地造成マニュアル

奥井晴弥

3,825 字

社会風刺コメディ、現代社会論、教育小説

"「安全な秘密基地」という矛盾が、子どもの自由と大人の管理社会を鮮やかに照らす。"

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四月の保護者会。
新学年での過ごし方や、今年度の学校の体制などが書かれたプリントがひととおり配られたあと、
一冊、A4用紙をホチキスで簡易に製本した冊子が配られた。

「安全で楽しい秘密基地づくり──児童と保護者のための秘密基地造成ガイドライン」
そう題された表紙に市教育委員会と市子ども育成課の連名が書かれている。
木材のようなものと段ボールの屋根で作られた小屋の前で笑顔を見せる、男の子と女の子二人ずつのイラスト。
イラストの子どもたち四人は、自転車用と思われるヘルメットをかぶっている。
それを見た保護者たちは、隣同士で小声で何かを話しはじめ、教室はざわざわとした音響で満たされた。

三年生の担任、沢井は冊子が保護者全員に配られたのを見届けてから、左手でその冊子を掲げ、声を張った。

「えー、今お配りした冊子について、ご説明させていただきます。最近、市内では子どもたちが自由に遊べる場所が減っている、という話がありまして……」

保護者たちは眉間に皺を寄せたり、苦笑いのように口元を緩ませたりと、様々な表情を見せながらも、一様に黙り、沢井に目を向けた。

「お父さん方、お母さん方もご経験がおありかもしれませんが、子どもにとって秘密基地づくりという遊びは、創造性や協調性といった、いわゆる非認知能力を育む、そういう効果があります」
「ただお聞き及びのとおり、市内では昨年、秘密基地と称して資材置き場に入り込んだ児童が怪我をした、といった事例もございまして、この冊子は、子どもたちに秘密基地づくりを安全な形で楽しんでもらうための手引きとして、作られたものです」

「先生、要するに、秘密基地のマニュアルってことでしょうか?」
後ろの席の方で誰かが笑い混じりの声を上げた。

「まあ、マニュアルみたいなものです。たしかに、変ですよね」
沢井も少しだけ笑いながらそう言って、続けた。
「ですが、学校としては子どもたちに、安全に、できるだけ自由に、遊んでほしいと考えています。これはそのためのガイドライン、マニュアルになりますので、ぜひご参照くださいますよう、お願いします」

その日の夜、学校の保護者用グループには二百件を超えるメッセージがついた。

《秘密基地って、そういうものでしたっけ?》

《子どもの遊びまで、学校が決めようとするのってどうなんですかね》

《でも、たしかに事故があってからでは遅いかもしれない》

《こういう、安全への配慮をちゃんと書いてくれると安心だ、というご家庭もあるんじゃないですかね》

《動画の視聴は三十分まで、みたいな話と大して変わらないのでは?》

《でも「安全な秘密基地」ってwww》

《安全と秘密は別に矛盾しないと思います。そんなに変な話でもないです》

保護者用グループ内の議論は翌日、一部の保護者によってSNSに流れ「S市教育委員会が秘密基地造成マニュアルを策定」という話題として、軽いバズを生んだ。
議論は少しずつメッセージの頻度を落としながらも翌週まで止まらず、メッセージの数は合計四百件を超えた。

その中で、ガイドラインの内容そのものは悪くないのでは、という意見が優勢になっていった。

ガイドラインの冒頭に書かれていたのは、制定の目的だ。
子どもの自由な発想と自主的な創意工夫を尊重し、友だちや社会との共存を学ぶ場として、安全に遊べる秘密基地づくりを後押しする。
子ども時代の貴重な思い出となる秘密基地造成という文化を、持続可能な形で将来へ残す。
そういう内容だった。

「秘密基地造成に適した場所」の項では、学校敷地内の使用を認められた場所、公園、自宅の庭、生活範囲内の空きスペース、危険物のない空き地(ただし、所有者の許可を得ること)といったものが挙げられ、「適さない場所」として河川敷、工事現場、空き家、行政が定める立ち入り禁止区域、といったものが記載されていた。
その項の最後に、アンダーライン付きの太文字で「秘密基地は、緊急時にすぐ帰宅できる場所に作りましょう」と書いてあった。

「活動時の安全配慮」と題された項では、火を使わない、原則二人以上で活動する、夏場は水分を用意する、といったことが記載されていた。
そして、その下の赤い囲みの中に「万が一の危険に備え、秘密基地の場所は保護者一人以上が把握し、周囲に危ない場所がないか確認しておきましょう」とあった。

この「保護者が把握すべき」という内容には当初、違和感を唱える声が多かった。
だが、ガイドラインに参考として添えられた、崩れたブロック塀、増水した用水路、崩れかけた空き家といった生々しい写真が、少しずつその声を遠ざけた。

五月になり、学校では「自分たちの遊び場をつくろう」という総合学習が始まった。沢井は秘密基地造成ガイドラインの内容を抜粋し、子ども向けの表現に編集して、クラスの児童全員に配った。

「遊び場は、別に秘密基地じゃなくても大丈夫です。でも、もし秘密基地にしたいときは、ここに書いてあることを守ってください」

秘密基地という言葉は子どもたちには魅力的に響いたようで、クラスの六つの班のうち五つの班が、「作りたい遊び場所」と題された計画書のフォーマットの最初の欄に「ひみつきち」と書き、秘密基地の造成に取り組んだ。
校庭の木にブルーシートを張って基地にした班。学校の裏の外階段の下に基地を構えた班。道路一本を隔てた区画までは遊び場所づくり活動の範囲として認めていたため、学校のすぐ裏から通う児童のいる班がその家の庭の物置を使う、そういう事例もあった。

沢井は秘密基地を作った五つの班に「ひみつ基地の地図」という用紙を渡し、地図を描かせ提出させた。
沢井は地図を写真に撮ると保護者用グループに転載し、メッセージを送った。

《危険箇所の有無のご確認よろしくお願いします》
沢井は直後にもう一通、メッセージを加えた。
《なお、お子さんには特にお声がけいただかなくても結構です》

保護者からはすぐに、何通かのメッセージがついた。

《ありがとうございます、確認しておきます》

《この前うちの子が物置のスペアキーを貸してって言ってきたのは、こういうことだったんですね。倒れてきそうなものがないか、見ておくようにします》

《基地の安全、確認させていただきます。沢井先生、ところでこれは、秘密基地について親は知らないふりをしておきましょう、っていう意味ですよね》

《なるほど。そういうことですか。ありがとうございます》

一班から五班の子どもたちは、それぞれの秘密基地に名前をつけ、基地のルールや持ち込んで良いものなどについて話し合い、模造紙に書き、基地の中に掲示した。
子どもたちは放課後には毎日のように基地に出入りし、三年生クラスの秘密基地遊びは好評の様相を呈した。

一方、六班の五人だけは、秘密基地を希望しなかった。遊び場の計画には「学校にあるものを使って遊ぶ」とだけ、書かれていた。
ある日には体育館でボールを使って遊び、ある日には教室の備品の百人一首の絵札を使って坊主めくりをした。

だが、なぜか今回の総合学習の時間には、五人が揃っていなかった。
沢井は教室で坊主めくりをしていた六班の悠真、美咲、健斗の三人に声をかけた。
「湊と芽依は?」
三人は一瞬黙って目配せをしあったあと、美咲が口を開いた。
「芽依ちゃんは三班の秘密基地に行ってます。今日は莉子ちゃんとしゃべりたいから、って。……湊くんは、本を読みに行ってます」
「本を読みに行ってるって、図書室?」
「えーと……違います」
「じゃあどこ?」
「えーと……わかりにくいので、一緒に来てください」

沢井は三人に連れられて、校舎の裏に向かった。
給食室の裏手のフェンスと校舎の間に、横向きになってどうにか通れるほどの隙間があった。
「この奥です」
美咲にそう教えられ、沢井はその隙間を通り抜けた。
その先には二メートル四方ほどの空間があり、そこにランドセルに腰掛けて本を読んでいる、湊がいた。
湊は沢井の人影に気づいてびくっとした動きを見せ、本を閉じて沢井の方を見た。
「先生……」
「ああ、湊くん、ごめん。ちょっと様子を見にきただけだから。続き、読んでていいよ。先生、すぐに出るから」

沢井は三人の児童と教室に戻りながら、話を聞いた。
「あの場所、いつ見つけた?」
「この前の、総合学習の時間です。今日は何して遊ぼうか、って相談してた時に」
悠真がそう答えた。
「秘密基地にしないの?」
沢井がそう聞くと、健斗がすかさず
「だって先生、秘密基地にしちゃったら、一人で本を読んだりできないでしょ」
と言った。
たしかに自分が編集したガイドラインに「ひみつ基地では一人で遊ばない」と書いていた。
沢井はそれを思い出した。
「ああ、それはそうか、そうだよな」

沢井は夕方にもう一度、校舎の裏手のあの隙間を見に行った。
よく見ると、フェンスのワイヤーが一本切れて突き出ようとしていることに気づいた。
沢井は用務員にそのことを話して、ワイヤーが飛び出さないよう処置を頼んだ。

沢井は簡単な地図を描き、保護者用グループにメッセージと一緒に流した。
《六班が遊び場所として使っている場所です。取り急ぎ、安全確認は私の方で済ませています》

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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