一、前例がない
会議室に、6人の男が集まった。
まず村井社長、企画部から私、佐藤。管理部から坂上さん。営業部から田所さん。製造部から黒木さん。1週間前に社長からの社内メールで、各部署の中堅社員が名指しで招集された。
そして、今日初めて会う、濃いグレーのスーツに身を包んだ、50代とおぼしき男性。
香田さん。半年ほど前に社長がどこかのセミナーか何かで知り合ったコンサルタントだ。毎月定例の全社会議や、毎週の部署別のミーティングの場で、社長や部長から何度か聞いた気がする、そんな覚えがある名前だ。
香田さんはホワイトボードの前に立ち、「パーパス策定プロジェクト会議」と書くと振り向き、立ったまま話しはじめた。
「初めまして。フレーバーフィールド経営研究所の香田と申します。今回、村井社長からのご相談を受け、このムライ化工さんの、一段の飛躍のお手伝いをさせていただくことになりました」
うちの会社は、プラスチックの加工製造から始まったと聞いている。百均やホームセンターで売っている雑貨を企画し、小売企業へ直接、あるいは問屋経由で卸している。
口が汚れにくい、ケチャップの交換蓋。冷蔵庫の棚に置いたまま米が取り出せる、米びつ。引き出しの奥で行方不明にならない、仕切り。
会長──社長の父親である先代社長──が、四十年をかけて誰も気づいていなかったような不便を、ひとつずつ拾って、形にしてきた。
従業員は四十名と少し。創業以来の工場と小さな射出成形用の生産ラインはあるが、製造の大半は外注だ。第二工場という名前の増築された建屋は事実上の倉庫として運用されていて、全員が倉庫という「通称」で呼んでいる。製造部の主な仕事は、外注先に商品を発注し、納期を調整し、倉庫に納め、在庫を数え、ピッキングして、箱に詰め、伝票を切って出荷する。そういう内容だ。
営業は、軽バンに商品を積んで自分で得意先まで運ぶこともある。
会長の創るものにはいつも、小さいけれど「なるほど!」と思わせる仕掛けがあった。ほんの少し角度を変える。穴がなかった場所に穴を開けてみる。常識と思われていたサイズを変える。
誰もが毎日、無意識に呑み込んでいる小さな我慢を見つけ、そこにシンプルな解決策を差し出す。派手な発明ではないけれど、得意先のバイヤーに見せたら、だいたい一発で採用が決まる。棚に並べば長く売れ続ける。この会社の四十年は、そういう商品が一つずつ積み重なってできている。
会長が経営理念やパーパスを語ったのを聞いた記憶はない。だけど、商品を見たらだいたいどういう会社かわかる。私はそう思っている。
「パーパス策定プロジェクト会議」──私はもう一度、ホワイトボードに目を移した。
香田さんはマーカーのキャップを几帳面に閉めながら、よく通る声で言った。
「御社にはまだ、明文化されたパーパスがありません」
言われてみればそうだ。うちには明文化されたパーパスがない。ついでに言えば、経営理念も、行動指針も、社是も社訓も、明文化されていない。会長は「ええもん作って、欲しい人に届ける。それだけや」と言った。それを書いたものは見たことがない。
香田さんは資料を配りはじめた。これから半年かけて進める手順が、A4一枚にまとめられていた。現状を棚卸しし、社員の声を集め、キーワードを抽出し、ワークショップを重ねて、最後に一文へ磨き上げる。矢印がいくつも並んでいて、いちばん右の四角だけが空白になっていた。そこに入る一文を、これから半年のプロジェクトを通じて、探すらしかった。
「大事なのは、私が答えを持ってこないことです」
香田さんは言った。
「御社の中に、もうあるんです。私は、それを引き出す、お手伝いをするだけです」
その声を聞いた村井社長が大きく頷くと、私たち四人もそれに従うように頷いた。
資料には、私たちの名前が勝手に書かれていて、全員に「PL(プロジェクトリーダー)」という肩書きが振られていた。四人はそれぞれに目配せをし合った。たぶん全員が、かつての「強豪校」を連想している。
全員がリーダー。そう、全員がリーダーで、全員がメンバーだ。
香田さんの説明の後、四人のメンバーに役割が振られた。私は事務局と議事録係──議事を可視化し、進捗を見届け、メンバー外の従業員との窓口を担う、そういう役回り。それは、従業員側の実質的なリーダーに見えるだろう──を引き受けることになった。まあ、部署の役割を考えれば、妥当なのかもしれない。
四人とも、それぞれの部署の仕事を抱えたままの兼任だ。誰も、この会議のために何かを免除されるわけではない。社員の声を集めるのも、私の仕事になるだろう。アンケート用紙を作り、配り、回収し、集計する。「みんなの声でできたパーパス」の、その「みんな」が誰なのかを決めた人のように見えるのが、私だ。
「こういうの、うちで前例がないんですよね」
坂上さんが言った。前例がないと費目が立たない。費目が立たないと稟議が書けない。彼にとって「前例がない」とは、要するに管理上妥当な費目と書類がない、という意味だった。困っているのであって、反対しているのではない。
社長が引き取って言った。
「いや、もう時代がね。同業さんも、うちと同じくらいの規模のところでも、パーパスを掲げてるところが増えている。やらないと、取り残される」
香田さんが大きくうなずいて、ノートパソコンにプロジェクターを繋ぎ、ホワイトボードの上に他社の事例を映した。きれいに整ったスライドが何枚も続いた。
「ほら、前例なら、いくらでもありますよね──」
社長が言い終わる前に、田所さんの携帯が鳴った。
田所さんは「すんません」と小さく言って廊下に出ていった。
何の話かははっきり聞き取れないが、田所さんの高くて調子の良い感じの声が、会議室内まで響いてくる。
何度も「えらいすんません」と言っていたことと、「すぐ持って行きます」と言った、その結論だけはわかった。
「ごめんなさい、大事な得意先様からの電話で」
田所さんがそう言いながら戻ってきたとき、議事としては彼が出ていく前から一ミリも進んではいなかった。
田所さんは席に戻ると開口一番、言った。
「なんや、難しいこと言うてはりますけど、『ええもん作って届ける』でええんちゃいますか。会長も、よう言うてますし」
田所さんは「愛車」──彼が日常点検を担当する軽バン──のキーホルダーに指を突っ込んで、くるくる回しながら、そう言った。この会議が終わったらすぐ配達に出たい。田所さんはその心裡を、全く隠していない。
私は自分の頬に苦笑いが浮かびそうになるのを、必死でこらえた。
社長は少し困った顔をした。
「それじゃ、弱いんだよ。どこの会社でも言える。ちゃんと、うちにしかない言葉にしないと。……こういうのは、前例がないからこそ、価値があるんだから」
私は議事録の係として、手元のノートパソコンに書き留めた。
「他社に前例ならいくらでもある」
「前例がないからこそ価値がある」
同じ口から出た二つの文を、私はただ順番に書いた。
社長は嘘をついているわけではない。
前例があってほしいときには前例はある、と言い、
前例がないほうが都合のいいときには、ない、と言う。
同業他社まで視野を広げれば前例はいくらでもある。
うちの会社の四十年を見れば、ただ、会長が創ってきたものだけがあり、
言葉にした「ええもん作って届ける」は、前例ではないらしい。
どこまでを「同じことの例」と数えるかは、見る人が決める。
製造部の黒木さんは、最後まで一言も発さなかった。
会議の途中で何度か、壁の時計を見ていた。たぶん、午後の出荷のことを考えていたのだと思う。今日もこの会社が何かを世に出す場所は、この会議室ではなく、彼のいる倉庫のほうだ。
会議は二時間で終わり、次回までに各自「うちらしさを表す言葉」を三つ考えてくる、という宿題が出た。ホワイトボードの「パーパス策定プロジェクト会議」は、誰も消すことなく、残された。
その夜、議事録を清書した。
画面には二つの文がそのまま残っていた。
「他社に前例ならいくらでもある」
「前例がないからこそ価値がある」
間に何事もなかったような顔で、二つは仲よく並んでいた。
それを眺めていたら、会議の中で言おうとして言葉にならなかったことが、ぼんやりとまとまり始めてきた。
ショールーム──倉庫の二階のサンプル置き場──の奥のガラス棚に、会長が創った商品がいろいろと、置いてある。
その中にある「初の自社開発商品」という名札がついている商品。それは輪ゴムを片手で一本ずつ取り出せる、なんということもない小さな箱だ。当時から紙箱入りの輪ゴムはあったはずだ。だが、輪ゴムが多く使われる場所では、一本あたりのコストが安い袋入り輪ゴムが採用されるのが普通で、それはめいめいに適当な箱や容器に移し替えて使われる。それが常識だ。
会長が創ったのは、輪ゴムの取り出しに限りなく最適化された箱だった。
そんなものはどこにも売っていなかった。前例がありそうで、なかった。
会長は四十年、創ってきた。前例がありそうで、ないものを、ずっと。
それでいて「前例がある」「前例がない」という言葉を、私は会長の口から一度も、聞いたことがない。
最初の一個には、前例がない。当たり前のことだ。
会長は、そもそも前例の有無を気にしたていたのだろうか。
会長は既に経営からは退いている。それでも月に何度かふらりと倉庫に来ては、小さな不具合、不都合、不便を見つけて、気づいたら解決している。
会議室には来ない。言葉で会社を語る場所には用がないのだと思う。
もしかすると「前例がない」という言葉をこの会社で聞いたのは、この会議が初めてかもしれない。
そんなことを思ったが、それを議事録に書くわけにはいかず、書かなかった。
二、主語がない
キックオフミーティングに向かうのは、いつも憂鬱だ。
私の仕事──中小企業の経営相談は、社長の声を聞くところから始まる。
ムライ化工の村井社長と初めて会ったのは、地銀主催の経営相談会だった。ムライ化工は彼の父親である先代社長・現会長が創業した、従業員四十名ほどの生活雑貨メーカーで、その会社の会議室で私は今日、「パーパス策定プロジェクト」のキックオフミーティングのファシリテーションを担当する。
中小企業とはいえ、何十人もの社員を雇用して事業を続けられている時点で、どの会社にも必ず何らかの「持続的な勝ちパターン」がある。
だが、事業環境は多かれ少なかれ変化する。数十人規模の社長の悩みはたいてい、その勝ちパターンをより長持ちさせるためのものか、あるいは持続が難しいと判断したうえでの新しい勝ちパターンの模索か、どちらかだ。
ほとんどの社長は、真面目で、勉強熱心だ。何十人もの生活を背負う責任感もある。そして多くの場合、自分の悩みに対する「答え」の輪郭を、すでに持っている。村井社長も、その例に漏れなかった。
話して「答え」が出るまで、時間はかからなかった。
それが「パーパスの策定」だった。
──ただ困るのは。
ほとんど必ずと言って良いほど、社長の「答え」のその輪郭は、現場の従業員の感覚と一致していない、ということだ。
だから、キックオフミーティングに向かうのは、憂鬱だ。
初めて話したとき、村井社長は「いや、自分としては不本意なんですけど」と切り出した。「うちも、そろそろちゃんとしたものを掲げないと。社員も、そういうのを求めてる気がして。背中で語って引っ張る、そういう時代じゃないと思うんです」と言った。
社員が求めている。時代が求めている。
そう言う社長ほど、本当は、自分がいちばんそれを欲しがっている。
それでも「僕が欲しいんです」とは、決して言わない。
私が売るのは、その「欲しがっている人」を「欲しがっているように見せない」技術、言ってみれば「主語を消す技術」だ。
社長の答えを、社長のものに見えないように、現場へ配り直す。「社長が決めた」ではなく、「みんなで決めた」。同じ結論でも、後者になるように持っていく。
そのためのいつもの台詞。「大事なのは、私が答えを持ってこないことです。答えは、もう御社の中にあります」これは半分、本当だ。みんなで掘り出したものなら、みんなのものになる。
──もっとも、「みんなのもの」が「誰のものでもない」とほとんど同じ言葉であることには、私はもう長いこと、触れないことにしている。
主語はなくて良い。全員の顔が見える組織なら、尚更だ。
初めて訪れたムライ化工の受付の脇には、自社製品が並べられていた。米びつ、引き出しの仕切り、ケチャップの蓋。どれも地味だが、よく考えられている。説明書きは短く、それでいて、考えた人間の体温のようなものが残っていた。
この会社がどういう会社であろうとしてきたのかを、商品が雄弁に語っている。そう感じた。
会議室には各部署から中堅が四人、集められていた。
私はこういう部屋を何百回と見てきた。
ホワイトボードの前に立ち、「パーパス策定プロジェクト会議」と書いた。
四人の社員の怪訝な目線が、背中に刺さるのを感じる。
私はそれを振り払うように、完璧な声のトーンを調整して、切り出す。
「初めまして。フレーバーフィールド経営研究所の香田と申します。今回、村井社長からのご相談を受け、このムライ化工さんの、一段の飛躍のお手伝いをさせていただくことになりました」
私がプロジェクトの概要を説明し、四人の自己紹介が終わったところで、管理の坂上さんが開口一番「前例がないので」と心配を口にした。
前例がないという言葉を、私はどこの会社でも聞く。この人は、反対しているのではない。会社の金の流れ、人の給与、その他膨大な名前のない仕事を、長年、ルールに沿って、時にはルールを作って、守ってきた人だ。ただ、ルールの置き場所を探しているだけだ。
営業の田所さんは、他社事例の説明の最中に鳴った、携帯の表示を一瞬、真剣な目で見ると「すんません」と廊下へ消えた。会社の売上はこの会議室ではなく、彼が出ていった廊下の先から生じる。
製造の黒木さん。一言も喋らず、時計ばかり見ていた。この会社の製造部門は、製造だけでなく受注出荷の物流業務を兼ねている。いや、むしろそちらがメインだと聞いた。彼はたぶん、午後の出荷のことを考えている。この会社が何かを世に届けるには、彼の仕事が必要だ。沈黙は思考の空白ではなく、現場への注意だろう。
そして企画の佐藤さん。議事録を取りながら、私の手のうちを半分見抜いているような、そういう表情をしている。彼がいちばん厄介かもしれない。だが、そういう人ほど頼りになるのも事実だ。
そのあと、パーパス策定の着想になればと、村井社長が会社の沿革をひとしきり語った。初めて聞く話もあった。おそらく、誇張や願望も混じっている。
私は「いいですね、すごくオーセンティックです」と言った。オーセンティックがどういう意味か、その場の誰も聞き返さなかった。聞き返せない言葉を置いておくのも、私の仕事のうちだ。意味を確かめられない言葉を、人は雰囲気で受け取る。今は「何か良いことを社長が言った」という雰囲気を、受け取ってくれているはずだ。
私はホワイトボードに空欄と矢印を並べた。半年かけて、ここに一文を入れましょう、と、矢印の先の空欄を指差した。矢印の先の空欄は、希望に見える。
会議の終わりに、私は宿題を出した。次回までに「うちらしさ」を表す言葉を三つ、各自で考えてくる。「みんなで作った」という事実を、作るためだ。出てくる言葉が本心かどうかは、実はあまり関係がない。一度手を触れたものを、人は否定しにくい。
帰り際、案内されて倉庫の二階を見せてもらった。現会長である、先代社長が創ってきた商品がガラス棚に並んでいた。輪ゴムを一本ずつ取り出せる箱。そこに「初の自社開発商品」という小さな名札がついていた。これを創った人がいる。物には、主語がある。
訪れる先の会社で、こういう、主語のある物の前に立つたびに私は少しだけ、職業を間違えたような気持ちになる。だがその気持ちには、長くは立ち止まらないことにしている。
二代目は、会社も、商品も、社員も引き継ぐことができる。だが、先代が言葉にしない、言葉にできない、あるいは二代目が気づけない「なぜ」は引き継げない。村井社長が「答え」としてパーパスをほしがるのは、つまり、父から引き継げていない「なぜ」を、自分の言葉で見つけたい、ということなのだと思う。
会長は、会議には来なかった。来る必要がないのか、村井社長が無意識に遠ざけているのか。これから半年かけて掘り出す言葉は、本当にこの会社を一段、飛躍させるのか。
帰りの電車で、次の会社の資料を開いた。一枚目に、私がどの会社にも置いていく問いが刷ってある。「貴社は、何のために存在しますか」。私はこの問いを、何百という会社に置いてきた。そのたびに、答えはもう皆さんの中にあります、と言ってきた。
窓に、この仕事を始めたころより少し老けた、自分の顔が映っていた。私は、他人の会社のずれには、毎度すぐ気づく。それが商売だ。けれど、この問いを自分に向けたことは、一度もない。私の中の、その「中」が、どこにあるのか。
村井社長は四十人以上の生活を、背負っている。
その父親は四十年の間、会社の勝ちパターンそのものだった。
私が食わせているのは……自分と、その家族だけだ。
電車は、次の似たような会社の、似たような社長のもとへ、私を運んでいく。
答えはもう、御社の中にある。
私は、そう信じている。
三、意見がない
「特にありません」
社長になってから、その言葉を何度聞いたかわからない。
会議で、何か意見はないかと尋ねる。社員はみんな、少し下を向く。
誰かが代表するように「特にありません」と言い、残りがうなずく。
意見は特にない。それが普通だ。
会長──父から社長を引き継いだ時、父のような社長にはなれない、と思った。
父のように発想一つで会社を引っ張る──それはできそうになかった。
父が社長だった頃、社員たちは父の姿を見かけるとよく、愚痴とも相談ともつかない言葉を父に投げかけた。
そのたび父は、「こうしたらええんちゃうか」と、斬新、というより単純な、そういう解決策を差し出していた。
月並みな言葉だが、コロンブスの卵というやつだ。
もちろん、社員から「採用」されないものも多かった。
だが時折、劇的な改善につながるものもあった。
それはうちの会社の商品とよく似ている、と思う。
そんな父だから、現場に顔を出すと空気が変わった。
何かを良い方向に変えてくれるかもしれない、という空気。
そんな場面を、私は何度も見た。
私には、父のような発想力はない。
昔から、そう思って生きてきた気がする。
だが、今や社長となり、四十人以上の社員とその家族の暮らしを背負う立場だ。
だから、こわい。私の考えが、意見が、判断が、間違っていたら。
みんなに迷惑をかける。それを想像するたびに、背筋が凍る。
だから、大事なことはみんなの意見を聞いて、みんなで決める。
そうすれば間違いを防げる。
そうすれば、私が一人で決めるより、良い結果になるはずだ。
経営の本にも書いてあった。
リーダーは裏方に徹し、社員の主体性を引き出すのが良い。
リーダーが先に心を開けばメンバーも開く、とも書いてあった。
私は開いているつもりだ。たぶん、社内の誰よりも。たぶん、父よりも。
それでも、みんなの口から聞くのは「特にありません」だ。
提案箱を置いてみたこともある。半年で入っていたのは三枚。
「自販機のコーヒーを変えてほしい」「トイレの石鹸を泡タイプに」それと、白紙が一枚。
正直、私はがっかりした。会社の未来についての意見がほしかったのに、コーヒーと石鹸か、と。
白紙に至っては、苛立ちさえ感じた。
「提案箱なんか、何の意味もないですよ」と言われているような気がした。
社内で新商品のアイデアを募ったこともある。
その時は思ったより、沢山のアイデアが集まった。一人でいくつも案を出した熱心な社員もいた。
だが、その中に私が商品化の判断を下せるものは、一つもなかった。
私はアイデアを出してくれた社員一人一人に、商品化できなかった理由を言葉にして、説明して回った。
アイデアを無下に却下された、と思われたくなかった。
その時若手社員の一人が、「でも、サブスクだったらいけると思うんですけどね」と食い下がってきた。私は、コストも、リソースも、うちの基本的な取引構造も、何も踏まえていない、ただの思いつきだと思った。
私には「うーん、わかるけど、難しいなあ」と笑って、流すしかできなかった。
パーパスの策定は、私の相談に対する香田さんからの提案だ。香田さんも、社員と一緒に決めた方が良いと言っていた。「答えは、もう御社の中にあります」とも。
私も、そう思っている。今日は、香田さんを招いてのキックオフミーティングだ。
先週、四つの部署に一人ずつ、私が信頼を置く中堅社員に、メールを送った。
何のための会議かについては、あえて書かなかった。
四人とも「承知しました」という短い返事を返してきた。
会議室に向かう途中、休憩スペースの自販機の裏を通る。
缶コーヒーを飲みながら、社員が仕事に関する雑談──軽い愚痴を言うのが聞こえてきた。「またあの棚の置き場、変わってて」「あの取引先、毎度、無茶な納期で」彼らは、話している。会社のことを、仕事のことを、話している。それは私のいないところで、「愚痴」の顔をして、話されている。
今日のキックオフミーティングでは、まだ四人の意見を聞くのはやめておこう。
聞けばたぶん、「特にありません」か、的外れな何かが返ってくる。
大事なことはみんなで、時間をかけて決めたい──。
*
香田さんと四人の社員との、会議が終わった。
二時間の会議で、意見らしい意見は出なかった。聞かなかったから、当然といえば当然だ。
坂上が「前例がない」と言い、田所が「ええもん作って届ける、でええんちゃいますか」と、父がよく言っていた言葉を言った。それだけだった。
会議の最後に香田さんが、来週までに「うちらしさ」を表す言葉を三つ考えてくる、という簡単な宿題を出した。
私も考えることになっている。
四人の社員はどんな意見を持ってくるか。
──楽しみで、そして、こわい。そう思った。
四、当事者意識がない
誰が何の当事者で、誰が何の当事者でないか。
私の仕事は、それを記録することだ。
一週間前に、社長から会議の招集メールが来た。
宛先は、私と、企画部の佐藤さん、営業部の田所さん、製造部の黒木さん。
具体的な用件は書かれておらず、二時間程度の予定、ということだけがわかった。
会長が社長を務めていた頃に、中途採用でこのムライ化工に入社した。
私は新卒で地元の信金に入った。娘が小学校に上がる年に、会長に誘われた。
それが、私が今ここにいる経緯だ。
会長と知り合ったのは信金時代の三年目、新製品の金型製作にあたっての融資を担当した縁だ。
だから、会長とはもう、二十年ほどの付き合いになる。
ムライ化工に移って十年。
私ももう立派な中堅社員で、当時常務だった会長の息子が、社長になっている。
中小企業の管理部門の仕事は、専門領域に分かれていない。
会長が私を誘ったのは、お金周りを見れる社員が退職するから、という理由だった。
だが、実際の仕事はそれだけに留まらない。
経理、労務、法務、その他無限に発生する総務一般の仕事全てを、私と、古参の部長、パートスタッフ一人という体制で回している。
部長はよく「何が起きても当事者だと思わんとな」と言っている。
たしかに、仕事の中の専門的なところは士業の先生方に見てもらっているが、ムライ化工の管理部の当事者としてそれらの仕事に向き合うのは、私たちだ。
だから、部長の言うことは正しいと思う。
そして時として社内から恨みを買う、とまでは言わないが、煙たがられる。そういう存在になることもある。
以前、うちの営業があるディスカウントチェーンからの新規受注を受けようとしたことがあった。
その時私は書類の不備に気付き、ルールに沿ってストップをかけた。
ただ、その案件は大口の取引になる見込みがある一方、先方の希望納期があまりに近かった。
結果、私の指摘のせいで、その取引は流れてしまった。
私は私の仕事の当事者として、ストップをかけた。
だがその時の営業担当から見れば私の指摘は、
大きなチャンスを前にしながらの当事者意識に欠けた、そういう行為に映っていたに違いない。
さて、今日は社長から招集のあった、例の会議の日だ。
何のためかはわからなくても、時間になれば行かなくてはならない。私は会議室へ向かった。
そこには、香田さんという、経営コンサルタントの先生がいた。
香田さんという名前には会食の領収書で見覚えがある。
たぶん、社長が知り合ったのは最近。今年に入った頃だ。
名刺交換を終え、席についた。
香田さんはホワイトボードにパーパス策定プロジェクト会議と書き、資料を配った。
私は、各部署から一人ずつ選ばれた「プロジェクトリーダー」の一人ということだった。
リーダーが、四人。
違和感を覚えたのは私だけではないようだ。
私以外の三人の「PL」とそれぞれ一瞬、目が合う。
会議の中で、メンバーに役割が割り当てられた。
私は社史に関わる資料や社内外の声を集めてまとめる、リサーチ担当ということだ。
香田さんのよく通る声が響き、会議は進行していく。
ふと、香田さんのコンサルティング費用の勘定科目のことが気になった。
コンサルティングだから、外注費ということになるのだと思う。
パーパスの策定を外注する。その響きだけでもう違和感がある。
香田さんは「御社の中に答えはある」と言う。それはそうだろう。
このプロジェクトは、誰が当事者なのか。
この中の誰か一人でも、パーパス策定の当事者意識を持っている人間が、いるのだろうか──
「こういうの、うちで前例がないんですよね」
──疑問が、だいぶ変形して、口から出た。
私の言葉を受けて社長が言った。
「いや、もう時代がね。同業さんも、うちと同じくらいの規模のところでも、パーパスを掲げてるところが増えている。やらないと、取り残される」
香田さんが大きくうなずいて、ノートパソコンにプロジェクターを繋ぎ、ホワイトボードの上に他社の事例を映した。きれいに整ったスライドが何枚も続いた。
──しまった。別に、本当に前例が知りたいわけじゃないんだよ……
「ほら、前例なら、いくらでもありますよね──」
社長がそう言いかけた時、田所さんの携帯が鳴った。
田所さんは「すんません」と言い廊下に出て、しばらく電話で話していた。
得意先からのクレームか、何か無理を言われているのか。
何度も繰り返された「えらいすんません」と「すぐ持って行きます」という声のトーンで、どうも悪い話ではなさそうだということはわかった。
おそらく、得意先への提案が通って、すぐにでも販売を始めたいという「無理」を、喜んで受けた。
そんなところだろう。
田所さんは頭を下げながら席に戻ると開口一番、
「なんや、難しいこと言うてはりますけど、『ええもん作って届ける』でええんちゃいますか。会長も、よう言うてますし」
と言った。
早くこの会議を終わらせたい、田所さんのその気持ちが出すぎていて、私は笑いそうになるのを必死でこらえる。
その態度だと、下手したら余計長くなりますよ、と言いたくなる。
田所さんはたぶんこの後すぐ「愛車」に商品を積み込んで、得意先へ納品しに行くはずだ。
そのコストは、客観的には発送配達費だ。
だが実際は、車両費、燃料費、そして田所さんの人件費に織り込まれて計上される。
発送配達費として冷静に考えるなら、だいぶ割高だ。
管理部の当事者としては、一言言いたくなる。
納品が一日遅くなって得意先が困らないのであれば、通常の便で配送すべきだと。
だけど、営業担当者が自ら商品を運ぶことは、得意先窓口の当事者としての営業活動の一環でもある。
そう考えれば良い。
──二時間の会議が終わった。
次回までに各自「うちらしさを表す言葉」を三つ考えてくる、という宿題が出た。
たぶん、それぞれがそれぞれの当事者意識と人件費で紡いだ言葉を、持ってくるだろう。
五、意味がない
あかん。会議室の椅子は、どうも好かん。尻が落ち着かへん。
パーパスってなんやねん。パンパースなら知ってるけど。初めて聞いたわ。
二時間やで。二時間あったら、河田さんとこへ行って、ついでに二、三軒、顔出せるやろ。
社長に会議に呼ばれて出てきたら、香田さんとかいうコンサルの先生がおって、会社の存在意義を、みんなで言葉にしましょう、と。
なんやらようわからへん。「PL」って。わしらの代やったら、福留がスターやったな。
にしても香田さん、ええ声してはるなあ。よう通る声やわ。
資料も、わかりやすうて、きれいやな。佐藤が作ってくれる資料とええ勝負や。
佐藤はこん中やったら一番若いけど、うちの仕事をようわかっとる。
よその会社が掲げとるパーパスちゅうのを、何枚も映してはった。どれも立派なもんや。
けど、得意先さんはうちの米びつを、うちの存在意義で仕入れとるわけやないやろ。
便利なつくりやから、蓋がちゃんと閉まるから、仕入れてくれはるんや。
そう思うと、なんぼ立派な言葉を並べられても、どうもピンと来うへん。
正直に言うてええんなら──こんなん意味あるんかいな、ないやろ、と思うてしまう。
そうは言うても、社長が大事や言うてはるんやから、今のうちらにとって大事なんは、わからんこともない。
社長も会社引き継いで、不安なんや。
けど、わしらの仕事の存在意義なんて、わかっとることやんか。
得意先さんが「これはええわ」言うてくれる。それがよう売れたら、また電話くれる。
米びつが、前より使いやすうなったって、お客さんが喜ぶ。それが意味やろ。
それ以上の何を、言葉にせえっちゅうねん。ほんま、意味ないわ。
わしは高校を出てすぐ、この会社に入った。もう三十年も前のことや。
あの頃はまだ二十人もおらん小さい会社で、社長は大学に通っとった。
その頃の商品はほとんど自社工場で作っとったから、わしも最初は、工場の仕事をしとった。射出成形機の使い方を、会長にイチから教えてもらった。
営業やらへんか、と会長から声をかけられたのは二十五歳の時、嫁さんと一緒んなって、チビが生まれる、その少し前やった。
自社開発の仕切り板がヒットして、プラスチック部品の下請けを減らして、自社開発商品のメーカーに変えていきたいと、会長がよう言うてはった頃や。
「田所は絶対お客さんにかわいがってもらえるはずや。あと、これからもっと稼がなあかんやろ」と言われて、わしは、やってみたいです、と答えた。
会長は、営業のえの字も知らんわしを助手席乗せて、あちこち連れて回ってくれた。
営業先の商談だけやない。道々でホームセンターやら百均やらに連れてってくれて、棚の前で、ここがこう不便やろ、これがこうなったら奥さんらは助かるやろ、田所どう思う?と聞いてくれた。
難しい話は一個もせえへんかった。パーパスとか、存在意義とか、そういう言葉は、聞いたことない。
ただそういう、現場を見て考えた「ええもん」を作ってお客さんのとこへ持っていく。
会長がそうやって教えてくれたから、わしも安心してうちの商品の何がええのかを話せる。
それでお客さんが仕入れてくれたら、会長は「田所、お客さん、ええ顔してたやろ」とだけ言うた。
いっぺん、金物屋の奥さんが、米びつの蓋が固うて開けにくい、年寄りには難儀や、と何の気なしにこぼしたことがあった。
会長はそれを覚えとった。半年して、指一本で開く蓋をこしらえて、また、その店へ持っていった。
奥さんが、これええなあ、と声をあげて、ほんまに片手で開けてみせて、笑うた。
会長はそれを、にこにこ見とるだけや。一言も、ええ商品でしょう、とは言わへん。
わしは、これこそが仕事や、と思うた。
わしの中に、この仕事の意味はぎょうさんある。ありすぎて、こぼれるくらいや。
だけど、滅多にそれは言わへん。会長も言わへんかった。意味なんか、小難しく言わん方が、伝わるからや。
──携帯が鳴った。
得意先の河田さんとこや。あかん。こんな会議なんか聞いとる場合ちゃう。
「すんません」
廊下に出て電話を取ると、河田さんはこの前わしが提案した新商品のこと、やっぱり置くことにしたわ、棚替えに間に合わせたいから明日にでも持ってきてくれへんか、と言う。
ほな、すぐ持って行きますわ。明日やなんて。もう、今日でも行きますよ。なんぼでも。
──こういう電話のために、わしは生きとるようなもんや。
何べんも頭を下げる。電話の向こうは見えへんのに、勝手に下がる。会長も、こうやったなあ、と思う。
席に戻ったら、まだパーパスの話の途中やった。
社長がこっちを見て、田所はどう思う、という顔をしてはるように見えた。
わしは、考えても何も出てこんから、いちばん本当のことを言うた。
「なんや、難しいこと言うてはりますけど、『ええもん作って届ける』で、ええんちゃいますか。会長も、よう言うてはったし」
社長は、うん、と小さくうなずいてくれた。
けど、香田さんが、いいですね、でもそれをもうちょっと磨きましょう、と言うて、社長もそれに乗っかって、また別の話になっていった。
わしの言うたことは、たぶん、ちょっと素朴すぎたんやろ。
まあ、ええわ。学のある人の言うことは、聞いとくもんや。
社長のことは、嫌いやない。会長とはまた違う苦労をしてはると思う。
あの人なりに、必死で会社を守ろうとしてはるんや。
せやから、わしも力になりたい、とは思う。
ただ、その力の出し方が、会議室の中では、どうもわからん。
最後に、宿題が出た。次までに、「うちらしさを表す言葉」を、三つ、考えてくる。
三つ。
……三つも、いるか?「ええもん作って、届ける」。これで、もう全部入っとると思うんやけどなあ。
ええもんを、作る。それを、欲しい人に、届ける。これ以上、何を足したらええんや。
あと二つひねり出すために、わしは何を考えたらええんやろ。
机に向かって、うーんと唸っとる自分を想像したら、ちょっと笑えてきた。
会議が終わって、わしはすぐ立ち上がった。河田さんとこの分を、用意せなあかん。
倉庫で黒木さんに声かけて、箱を積む。
黒木さんは、何も言わんでも、いっつも、いちばんええ状態の箱を、奥から出してくれる。角のつぶれてへんやつを。
そうや。わしが自分で運ぶ箱がつぶれとったら、お客さんは軽く見られたと思う、そういうもんや。
黒木さんは、ようわかっとる。
河田さんとこへきれいなもんを持っていけるんは、黒木さんのおかげや。
あの人もたぶん、自分の仕事に意味があるかどうかなんて、考えたこともないやろ。
考えんでも、知っとるからや。
愛車の軽バン。もう十万キロを超えとる。燃費は悪い。
坂上さんにはいっつも、ちょっと困った顔をされる。送りにしたらどうですか、と。
せやけど、わしが持っていったら河田さん、顔見て喜んでくれる。ちょっと喋って、ほな、と帰る。
そのために、わしは走っとるようなもんや。
エンジンをかける。荷台で、箱がコトンと鳴った。
意味なら、ここにある。ハンドルの先に、河田さんの店に、この箱の中に。ぎょうさん、ある。
わざわざ言葉にせんでも。
さあ、行こか。河田さんが、待っとる。
六、工夫がない
出荷のパートさんに二時間分の仕事を指示して、倉庫を出た。
先週、社長から会議に集まるようにとメールをもらった。
宛先は僕の他に田所さん、佐藤さん、坂上さん。
それぞれ主任とか係長とか課長とかそういう肩書を、会社からもらっとる。
別に何々課とか何々係があるわけやない。
でもうちの会社では中堅どころになると、そういう役職をもらう。
それがどういうことかはっきり教えてもらったことはないけど、たぶん、そういう意識を持って仕事せえ、という意味やと思う。
もちろん、役職の手当はもらっとるから、それなりに責任は感じとるし、それだけの仕事はしとると思っとる。
倉庫の仕事で、五人のパートさん全員に二時間ぶんの仕事を指示して現場を離れられるのは、うちの会社には自分しかおらへんやろ、そう思っとる。
僕も初めの頃は、会長に、よう注意された。
──箱を積み上げるときは互い違いに積め。そうした方が崩れへん。
──商品の置き場所はよく考えなあかん。出し入れが多いもんを遠くに置いたら、その分疲れるやろ。
──営業が自分らで運ぶ商品はできるだけきれいな箱を選んだらなあかん。うちの営業が、お客さんを軽く見とると思われるやろ。
注意されるのは、嫌やなかった。
会長はいつも、それがあかんのは何故か、一緒に教えてくれたからや。
どうしたら仕事がうまく進むのか、何を工夫すれば良いのか、会長の言うたことから、僕は学ぶことができた。
気がついたら、いろんなことの「工夫」が見えるようになっとった。
商品の梱包箱がたいてい真四角やなくて長方形になっとるのが何故か。その理由もわかった。
僕が入社したのは二十年も前になるけど、その頃会長は毎月のように自社商品を開発して、どんどん売り出しとった。
その頃、会長によう聞かれた。
──黒木、これ、どのお客さんなら扱うてくれるやろか。
──黒木、これ、どのぐらい売れると思う?
──黒木、この梱包、どないしたら良い?
──黒木、これ、どこの工場で作ってもらうのが良いやろか。
なんでそんなことを僕に聞くのかわからんかったけど、いつの間にか、自分から先に、聞くようになっとった。
仕事がうまくいくよう工夫するには、そういうことを聞いとかなあかん。そう考える癖がついた。
あと、実際ほとんど触る機会はないけど、工場の射出成形機の使い方も教えてもらった。
だから発注先の工場がどうしたら気持ちよく仕事を受けてくれるかも、なんとなく、わかる。
これが全部できるのは、今はたぶん、うちの会社には僕しかおらへん。
でも、僕がおらんでもうまく仕事が回るのはたぶん、二時間ぐらいが限界かもしれん。
会議室に入ると、スーツを着た男の人がおった。
僕らは社長もみんな、ムライ化工の社名、それぞれの苗字の刺繍が入った、作業用のジャンパーを着とるから、よその人が来たらすぐわかる。
香田さん。経営コンサルタントの先生っちゅうことやった。
会議が始まった。
香田さんはホワイトボードに「パーパス策定プロジェクト会議」と書いた。
マーカーが少し掠れかけとるのがわかった。
あのぐらいのマーカーを現場で使って申し送りを書いとったら、ミスの原因になる。社長は気にならんのやろうか。
パーパスというのは会社の存在意義とか達成したい目的とか、そういうものを端的な言葉で言い表すことらしい。
──そもそも、そういうテーマやったら先週のメールの時点で知らせておいてくれたら、僕らもいろいろ考えてこれたはずやんか。
こんな段取り、会長なら真っ先に注意するで。工夫せな、言うて。
社長も忙しいのはわかるし、いろいろ気ぃ遣うてはるのもわかるけど、これはあかん。
田所さんの携帯が鳴って、廊下に出ていった。何や、さっきからソワソワしとったもんな。
会議の前に、お客さんと大事な話でもしとったんやと思うわ。
まあ、相手がおることやから仕方ないけど、もうちょっと工夫でけへんかな……後で田所さんに聞いてみよ。
ただ、このせいで会議が長引いたら困る……二時間分しかパートさんに仕事を指示してへんから。
──「すぐ持っていきますわ」
田所さんが明るい声で言って、戻ってきた。たぶんこのすぐ後に、配達に出るんやろな。綺麗な箱を用意してあげなあかんわ。
とにかく、早く会議が終わってもらわな困る。
もうちょっと段取り工夫できませんか?と言いたくてしゃあないけど、黙っとこ。
今日はそれが、一番良さそうや。
社長が、会社の沿革やらをしゃべり始めた。
「うちの商品は、日常の小さな不満をすくい上げる、そういう工夫の塊なんです。ただの思いつきじゃない。『工夫すること』はムライ化工のDNAだと思う」
そんなことを言った。
たしかにそのとおりや。
でも、この会議の進め方はちょっと工夫が足らんけど。
次回までに一人三つ、「うちらしさを表す言葉」を考えてくる、そういう宿題が出た。
どうしよか。ただ宿題考えるだけやなくて、進め方も提案しよかな。
言われてみたら、僕は毎日工夫しとる。
あまり、考えとらんかったけど。
会長が教えてくれたのはたぶん、工夫するならできるだけ先回りしといた方が良い、っちゅうことや。
──でも、後から工夫した方が、たぶん工夫しとるように見えるんよな……難儀なことやで。
七、記録がない
「では最後、佐藤さん。お願いします」
香田さんが、私の名前を呼んだ。
第二回プロジェクト会議。
目の前のノートパソコンのディスプレイには、三人のPL、村井社長の言葉が並んでいる。
田所さん:ええもん作って、欲しい人に届ける (他には思いつかない、とのこと)
坂上さん:アイデア力/小さな革命/誠実な仕事
黒木さん:ええもん作って、欲しい人に届ける/先回りして考える/ちょっとした工夫
村井社長:小さな不便を解決する/工夫するDNA/なるほど、と思わせる
佐藤:
「はい。まず、私も『ええもん作って、欲しい人に届ける』は考えました。前回、田所さんが言っていたとおり、会長がよく言っている言葉なので」
「その言葉、大人気ですね」
香田さんが、にこっと笑いながら、反応を返した。
「でも」
「でも?」
「当たり前のことすぎて、うちらしいといえばうちらしいんですけど、うち以外当てはまらない、という感じじゃないな、と」
「なるほど、いい視点です。『うちらしさ』を表そうと思ったら、単に『うちらしさ』が何か、だけでなく『うち以外』のことも、考えないといけないですよね」
香田さんは思った以上に、言葉で人の自尊心をくすぐるのが上手だ。
「いい視点」と言われたら、若輩の立場で企画を担当している自分としては「良い問いを投げかけることができた」という気分になる。
その言葉で覚えた、軽い昂揚感を抑えつつ、続ける。
「はい。でも、今は『持ち寄る』場なのでとりあえず次いきますね。ふたつ目は『アイデアはそこにある』というのを考えました。私はムライ化工がアイデア雑貨メーカーとして安定してきた頃に入社したので、人から聞くことしかできないのですが、みんな口を揃えて自社製品を次々生み出していた頃の会長のアイデアを、『言われたら簡単なことで、なんで思いつかんかったんやろ、と思った』というようなことを言っています。それを一言で言うと、こんな感じかな、と」
「いいですね、たしかに私も御社の製品からはそういうことを感じます」
香田さんは深く頷きながら言う。私の前の四人の案に、一言も否定や疑念は挟まなかった。それと同じだ。
「最後のひとつ、ですが。『なぜ、を形にする』というのを考えました」
「『なぜ、を形にする』ですか?」
「はい。実はこの三つの言葉を考えるにあたって、過去の商品開発や営業販売の企画についての会議の議事録を、読み直しました」
「議事録を」
「はい。だいぶ昔の、紙に手書きの、そういう議事録もです」
「どうでしたか?」
「正直、探したかった内容はほとんど、見つかりませんでした」
「探したかった内容、とは?」
「はい。それは『なぜ、この商品を作ろうと考えたか』『なぜ、この販売企画をやろうと考えたか』という内容です」
「つまり、『理由』を探したということですね」
「はい。でも、ほとんどそういう記録はありませんでした」
「それで、どう思いましたか?」
「でも、商品は形になっていて、実際に売れている。そういうものなんだな、と思いました」
「なるほど、面白いですね。形になったものを見れば、理由なんて言われなくても想像できる。そういうことですか?」
「はい。まあ、そういう感じです。でも、私の立場からするとそういう記録は、できれば、あってほしいんですけど」
「たしかに。佐藤さんからすればそうですよね」
香田さんはそう言って軽く微笑むと、ホワイトボードに書き出した五人の言葉について、分析のような、感想のようなことを話し始めた。
その話題に絡めて、それぞれの担当業務にまつわる質問を投げかけ、それぞれの仕事のこだわりや思い出話を、聞き出していった。
私はそれらの話の要点を、目の前のノートパソコンに書き留めた。
二時間の会議の最後に、今回の会議を踏まえて自分の周りのスタッフ三人以上と話し合い、その内容を次回報告する、という宿題が出た。
私はそれを議事録に書き留めた。
もう一度、ノートパソコンのディスプレイを遡って、今回それぞれが考えてきた言葉を見なおした。
田所さん:ええもん作って、欲しい人に届ける (他には思いつかない、とのこと)
坂上さん:アイデア力/小さな革命/誠実な仕事
黒木さん:ええもん作って、欲しい人に届ける/先回りして考える/ちょっとした工夫
村井社長:小さな不便を解決する/工夫するDNA/なるほど、と思わせる
佐藤:ええもん作って、欲しい人に届ける/アイデアはそこにある/なぜ、を形にする
そこには、五人がなぜこの言葉を考えたかという理由は、記録されていなかった。
五人はそれぞれ何かしら、どうしてこの言葉を選んだか、ということは口にしていたはずだった。
どうやら、私はそれを記録しそこねたらしい。
なぜ、の記録がない。代わりに、それに絡んだ仕事のこだわりや思い出話が記録されている。
少し、不安になった。
だけどそれでも、たぶん、形になる。
そう思った。
八、コンセンサスがない
「すみません部長、会長って、商品開発のこと、いや、商品開発だけじゃないんですけど、設備なんかの投資が必要になる案件のこと、社内で誰かに相談してたりしました?」
第二回プロジェクト会議の翌日、私はまず部長に声をかけた。
周囲の三人と話す、というプロジェクトの宿題のこともあったが、会議の中で浮かんだ率直な疑問として、聞いてみようと思った。
「うん?それは、坂上さんがうちに来る前のことが聞きたいん?」
「はい、例のプロジェクトの会議で、佐藤さんが、『なぜ、の記録がほとんどない』って言っていて。僕は、会長のアイデアって信金職員だった頃から革命的だなと思ってたんですけど、そういえば全部一人で考えて決めてたのかな、って」
「うーん、もちろん俺には相談はあったけどな。でもそれは、あくまでお金のことや。なんでその商品作ろうと思ったんか、そういうことは聞いたことないわ」
「そうですか。決算書、二十年ぐらい前のって、ありましたっけ?」
「いや、たぶん紙の書類は十年前より古いのは残ってないんちゃうかな。一応決算書から大事な数字だけ拾ったデータが、共有サーバーのoldっちゅうフォルダの中に入っとるはずやで」
「ありがとうございます。見てみます」
「ええけど、プロジェクトにのめり込みすぎんように頼むな」
部長には、私はプロジェクトにのめり込み始めているように見えるらしい。
あるいは、関与したい気持ちが、そう言わせたのかもしれない。
終業時間の三十分前、一日の仕事の目処がついた頃、私は部長が言っていた共有サーバーのフォルダを覗いた。古いスプレッドシートやドキュメント、図面、売場の写真などが、無造作に放り込まれている。
一番古いファイルには二〇〇三年の日付。
ちょうど、私が信金で働き始めたのと、同じ年だ。
スプレッドシートやドキュメントにはある程度、統一感のある名前が付けられていた。 私はファイルを名称で並べ替えると、「決算書 数字」と名付けられたスプレッドシートの一団を見つけ出し、二〇〇三年〜二〇一四年、私がムライ化工に入る前のファイルを、全部開いた。
内容は損益計算書と貸借対照表、キャッシュフロー計算書の数字を、簡略化してまとめたものだった。 損益計算書の様式は今でも使われているものだ。 税理士の岡本さんが毎月二十日頃に、月次レポートとして出してくれるものと同じ。
二〇〇五年以降の数字には少し見覚えがある。
会長が新商品の金型の製作や、倉庫の建て増しのための融資の相談に来た時のこと。
その記憶の断片が、蘇る。
改めて二〇〇五年頃からの約十年の数字を見ると、それ以前と比べて減価償却費の額が急激に増加していることに気づいた。下請けをやめて自社商品メーカーとして、一気に舵を切っていたのがわかる。金型の法定耐用年数は二年だ。償却期間は短い。なのに十年、増加ペースは緩やかになりつつも、減ってはいない。
新しい商品への投資を続けていた証拠だ。
フォルダを遡り、直近の決算資料を開く。
減価償却費の額は当時からやや減っている。大幅ではない。しかし、中身が違う。 経年劣化による摩耗で更新した、既存商品の金型。建て増しした倉庫。 新商品の金型の金額は……わずかだ。 固定資産台帳には、償却を終えて簿価一円となった金型が多数、並んでいる。
今、私たち社員の生活は、簿価一円の金型たちが作り出す商品に、支えられている。
──今のムライ化工は、日常の不便を解消する小さな革命を形にして届ける、そういう会社ではない。
背筋が、少しだけ寒くなった。
翌日、部長に声をかけた。
「昨日、ありがとうございました。昔の決算数値を見たんですけど、今と全然違いますよね」
「そりゃそうやろ。今の社長は、みんなの話をよう、聞こうとしはるから」
「みんなの話を?」
「うん、最近はそんなに言わんようなったけど、代わってすぐの頃はいつも、社内のコンセンサスが大事や、ってよう言うてはったわ」
「コンセンサスが大事、ですか」
「そうやな。最初は会長と違って頼りないな、自分で決めや、ぐらいのことは思ったけど、しばらくしたらこの方がええわ、と思うようになったかな」
「それはどうして、ですか?」
「会長は、全部自分だけで決めてはったからな。コンセンサスって言うても、何のことかわからんのちゃうか。それに比べたら今の社長のやり方の方が、俺らにしたら安心やろ?」
「それは、そうですけど……」
「今、社長は会長みたいに決められへんことを、悩んではるのかもしれん。新しい商品もほとんど、できてへん。でも、それは社長の持ち味や。社長には社長に合うたやり方がある、俺はそう思うで」
部長はそう言うと、軽く笑った。
──第三回会議。 順番に、宿題について報告を行う会だ。
香田さんの指名で、私がトップバッターになった。少し困惑した。
言うべきか、迷っていることがあった。
言うかどうかは、みんなの出方を見てから決めようと思っていた。
──言うしかない。
「すみません、ちょっと、全部ひっくり返すような話をしてしまうかもしれませんが……」
「全部ひっくり返す。」香田さんが、私の言葉をなぞるように返した。
「はい。前回挙がった『うちらしさ』を表す言葉、ですが。あれは全部、会長が作り上げてきたものを言葉にしたものだと思うんです。でも、社長のやり方は、会長とは違います。社長には、社長に合ったやり方があるのではないかと、そう思うんです」
──空気が変わった。
社長の表情が、みるみる強張っていくのがわかった。
佐藤さんが議事録を取る手を止めた。
携帯を気にしていた田所さんの目線が、携帯から私の顔に移った。
黒木さんは全員の表情を観察していた。
私は、頭が真っ白になった。
その後、何を話したか、何が話されたか、ほとんど覚えていない。
──最後に、次回までにムライ化工の将来像を表す言葉を各自三つ考える、そういう宿題が出たことだけが、わかった。
九、答えがない
「社長のやり方は、会長とは違います」
こないだの会議で、坂上さんが言いよった。
わしは得意先さんからの連絡があるかもしれんから、携帯を気にしとったけど、思わず顔を上げてもうた。
よう言うてくれた。そう思うた。
そのとおりや。
社長のやり方は、会長とは違う。会長のやり方は、社長には無理や。
それでも社長には、もっと頑張ってもらわなあかん。わしもそう思うわ。
せやけど、社長の顔がこわばったのを見て坂上さん、その後はしどろもどろになっとった。
本当のことを言えるのは坂上さんのええところや思うけど、言うた後に相手がどう思うか、言うまで気づかれへんのはなぁ。ま、気づいとったらそうそう言えへんか。
こないだの会議の前の、周りの三人と話すっちゅう宿題、わしは営業部長と、河田さんと話した後、倉庫にふらっと寄った会長をつかまえた。
部長も、河田さんも、今の社長に代わってからうちの会社は、面白うなくなった、言うとった。わしもそう思う。
会長にはそれをそのまま言うた。
会長はそれを聞いて、少し考えてから、言うた。
「田所。今の会社は、社長の会社や。あいつが、あいつのやり方で、やったらええ」
意外やった。同意してくれると思っとった。
わしは、思わず言い返した。
「会長、そんなこと言うとったら、潰れてしまいます、僕は経営のことはようわからんけど、そう思います」
会長はまた少し考えてから、言うた。
「……田所な。谷村さんにも同じこと、聞いた方がええで。それだけ言うとくわ」
会長はそう言って、帰った。
谷村さんは、営業部におる二十五歳の女の子や。社長が始めた新卒採用の一期生で、営業の仕事しながら得意先さんで使ってもらうPOPやら、商品のパッケージやらのデザインを担当しとる。谷村さんのPOPも、パッケージも、得意先さんからの評判はすこぶる、ええ。
営業をしとらんかったら作れへん、そういうものやと思う。
そやけども、最近入った、娘みたいな歳の子にうちの会社の何がわかるっちゅうねん。
そう思ってわしは、谷村さんとは話さんまま、こないだの会議に行った。
その会議で坂上さんが、社長のやり方は会長と違う、そう言うて、しどろもどろになった。
しどろもどろの後の、香田さんの回収は鮮やかやったな。あの人、さすがやで。
坂上さんの意見をさらっとまとめると、佐藤、黒木さん、わし、社長の順で話を聞きながら、あの凍りついた空気を、これまでと、これから。そういう話に持っていきよった。
それでも坂上さんは最後まで真っ青な顔、しとったけど。
それで、会社の将来像を表す言葉を考える、っちゅう宿題を出した。
その会議の終わり、わしはなんでか、谷村さんに話を聞いてみなあかん、と思うた。
今日、事務所でPOPを作っとった谷村さんをつかまえて、前から思っとったことを聞いてみた。
「谷村ちゃん、なんでうちの会社なんか入ったん?谷村ちゃんなら、もっとええ会社、行けた思うで」
「田所さん、それ、真面目に聞いてます?」
「さあ、ようわからん。どっちやろな」
「そうですね……前からムライ化工の商品良いな、と思ってたのもあるんですけど、社長が、悩んではるように見えたから、ですかね」
「なんやねんそれ。そんな会社、嫌やろ?」
「でも、その方が、面白そうじゃないですか」
「そんなもんか?若い子の考えることは、ようわからんわ」
「そういう言い方、良くないですよ。老害の始まりです」
「そらあかん、気ぃつけるわ」
──将来像か。答えがないわ。
いずれにしても「ええもん作って、欲しい人に届ける」ではなさそうやな。
十、型がない
今日はパーパス策定プロジェクト会議の五回目や。
出荷のパートさんに二時間分の仕事を指示して倉庫を出ようとしたら、パートの山本さんが言うてきた。
「黒木さん、昨日届いた小さい方の仕切り板、バリがちょっと目立つ気がするねんけど、後で見てくれる?」
「ありがとう。後で見ときますから、何個か、作業台の上に出しといてくれますか?」
山本さんにそう伝えて、倉庫を出た。
この前の第四回会議、会社の将来像を表す言葉を、みんなで持ち寄ることになっとった。
その会議で田所さんは、席につくと開口一番切り出した。
「すんません、自分は何も思いつきませんでした。ほんますんません。でも、その代わりというか、営業の若い子から、面白い話を聞いて。なんでうちに入ったんか聞いたら、社長が悩んではるように見えたから、って言うたんですわ」
「なんやそれ思うて、そんなん嫌やろって聞いたら、その方が面白そうやて。自分にはようわからんけど、そう思う子もおるみたいで」
営業の若い子っていうたら三人ほどおるけど、そういうことを言いそうなのはたぶん、谷村さんやろな、と思った。
社長は、苦笑いをしとった。
それが田所さんが一つも思いつかんかったせいなのか、悩んではるように見えたからという話のせいなのか、わからんかった。
でも、どことなく、嬉しそうに見えた。
その後、田所さんだけやなくてみんな、三つは無理やった、って言うて一つずつ挙げた。
僕は、無理やったのはたぶん嘘や、と思った。田所さんが思いつかんかったと言うたから、みんな無理やり三つ考えてきたけど、そん中でいちばんマシなのだけ言うとこ、と思ったんやと思う。僕も、正直自信ないわ、と思っとったから。
坂上さんは「長く愛される商品」。佐藤さんは「新しい定番を創る」。僕は「小さな工夫を届け続ける」。
僕は、どれも悪うない、でも、少しずつ、何かが足らん。そう思った。
坂上さんが「長く愛される商品」という言葉に添えて、言うた。
「前回の会議で、社長に合ったやり方があると思うと言いました。あの時はあまり触れられませんでしたが、実は社長に代わってから、新しい金型がほとんど増えていないんです」
「私はそれはそれで、悪くないと思います。今のところそれで十分、会社は食えています。次の商品は社長らしいやり方で、時間をかけて創り上げれば良いと思います」
坂上さんが言葉を選んだのが、わかった。
社長は僕らの話を聞いたあと、しばらく黙ってから、口を開いた。
「香田さん、すみません、今日はここまでで良いですか。少し、考え直したいです」
──僕ら四人の社員は目を丸くして、社長と、香田さんを交互に見た。
「わかりました。皆さん宿題も進まなかったようですし、仕切り直しましょう」
──社長と香田さんを残して、会議室を出た。
「坂上さん。新しい金型が増えとらんの、なんでやと思いますか?」
会議室を出て少し行った場所で、坂上さんに聞いた。
「うーん、会長は一人で新しい商品のことは決めていたみたいだけれど、社長はみんなの話を聞こうとするから、ですかね。社長の良いところだとは思うけど……」
それを聞いた田所さんが、ぽつりと言うた。
「会長のころは、良かったわ……何も考えんでも、売るもんがあった」
──僕には、その言葉が、少し引っかかった。思わず、声が出た。
「そうですか?僕は、会長のころいろいろ聞かれました。これ、どないしたら良い?どこに置こう?って。僕は、何も考えんで良かったことはないですわ」
ちょっとだけ、語気が強くなってもうた。
「なんやて?そういうことが言いたいんちゃうわ。わかるやろ?社長が頼りない、って言いたいねん」
田所さんが怒った感じでそう言うと、佐藤さんが割って入った。
「すみません、たぶん、会長がやっていた商品開発を引き継ぐ先が、決まってないんです。田所さんが持って帰ってくる声を拾って、形にする、商品開発の型がないんです。社長に合った、商品開発の型が」
それを聞いた時、はっとした──会長が僕に聞いとったのは。
「すんません、みんなで一回、会議室、戻りませんか」
僕は、みんなにそう言うた。
会議室のドアをノックすると、社長が、はい、と返事をした。
「黒木です。ちょっと、気になったことがあって。いいですか」
ドアを開けると、社長と香田さんが話しとるとこやった。
「すみません、次の会議で、社長がどうしたいか、どういう会社にしたいか、聞かせてもらえませんか」
僕は、続けて言うた。
「あと、新しい商品を作るときの段取り、その型を、みんなで話し合って考えませんか」
会議室が一瞬、静まりかえったと思ったら、香田さんが声を発した。
「──ちょうど今、社長とそういう話をしていたところです。ありがとうございます」
「すんません、出過ぎたことを言うてしまって。僕はただ、段取りの話をしたかっただけで。どういうお客さんに届けるかがわからないと、段取りも、具体的に何をしたら良いかも、わからん、それと同じやと思って」
僕がそう言うと、香田さんは別の質問を返してきた。
「でも、新しい商品を作る……商品開発の段取りは、それとは別の話ですよね?」
「ああ、そうかもしれません、でも、僕の中では、つながってる話で。うまく、言えへんのですけど……」
そう言うと、社長が引き継いで言った。
「俺も、そう思う。次、俺がどうしたいか、話します。みんなもどう思うか、聞かせてほしい。ありがとう」
僕はそのあと倉庫に戻ると、パートさんに集まってもらった。
今日は早いですね、とみんなに言われた。
僕は、僕がおらん時に困ることは何か、みんなに教えてほしい、と言うた。
それから一ヶ月が経った。
山本さんが今日、仕切り板のバリのことを言うてくれた。
前は、なかったことや。
──今日の会議は楽しみやな。
十一、手札がない
前回、村井社長が会議を止めた。
四人の社員が会議室を出た後、村井社長は力ない声で、私に聞いてきた。
「香田さん。たぶん、パーパスの策定ではなかったような、気がしませんか」
それを聞いて私は一瞬、言葉に詰まった。
言葉に詰まった後、一つの問いを返した。
「──社長は、どうしたいですか」
素人の問いだ。
社長がどうしたいかをそのまま聞くなど、私の商売としての言葉ではない。
ただ、そう聞くしかなかった。
「わかりません……いや、わかっていなかったのだと、思います」
村井社長は静かにそう言うと、遠くを見るような表情を見せた。
──私は、あの経営相談会の翌週、村井社長に二度目に会った時のことを思い出した。そして、それを口にした。
「社長。正直に言いますね。社長は、自分がどうしたいのかを見つけられていない。それが私の、村井社長への、最初の印象でした。だから……」
「──だから、パーパスの策定、だったんですよね。きっと」
村井社長は私の言葉を遮り、そう言った。
そうだ。あの時、直近五期の決算書を見て、この会社に差し迫った危機はない、と感じた。売上はほぼ横ばいではあるが毎年微増で推移し、赤字の年はなかった。資金繰りにも不安な印象はない。
だが、私は村井社長に二代目社長によくある、創業者へのコンプレックスと、自らのリーダーシップへの不安を見てとった。
そこに私は、パーパスの策定という手札を置いた。
村井社長もそれを求めているはずだと、疑わなかった。
──その時。四人の社員が会議室に戻ってきて、社長がどうしたいか聞かせてほしいと言い、商品開発の段取りを考えたい、と言った。
村井社長はそれに、「俺も、そう思う」と返した。
四人の社員が部屋を出ていった後、村井社長は言った。
「香田さん。私は今、次は自分がどうしたいか話す、そう言いました。でも、さっきも言ったように、何を話すかはまだわかっていません。でも、次までに考えます」
私は、今ここに置ける手札はない、と思った。
「わかりました。次は、私は会議のファシリテーターではなく、オブザーバーとして参加します。村井社長の思うように、進めてください」
そう言って次の会議の日程を確認し、二人で会議室を出た。
そして今日は、その第五回会議だ。
答えが、ムライ化工の中に、村井社長の中に、あるのかはわからない。
開始時刻の五分前に会議室に着き、ドアを開けた。
そこでは、村井社長と四人の社員が話していた。
四人の社員はいつも、開始時刻ギリギリに会議室に来ていた。それが、今日は五分前より早く、会議室に来ている。
これまでの四回の会議では、なかったことだ。
「お疲れさまです。皆さん、今日は早いですね」
私がそう言うと、村井社長が答えた。
「はい。三十分早く集まってもらって、みんなの話を聞かせてもらっていました。その代わり、今日は三十分早く終わりますので、すみません」
「みんなの話、ですか?」
「はい。私がどうしたいと言ったところで、結局、それは本当じゃないな、と思って」
「どういうことですか?」
「私のやりたいことは、この会社を少しずつ成長させながら、残していくことです。やりたい、というより、やらないといけない、に近いかもしれないです。あまり面白くないですよね。ただ、それ以上に使命感を感じられることがない」
「だからそのためには、みんながどうしたいか、この会社をどう思っているかを聞かないと。そう思ったんです」
論理には、飛躍がある。だが、村井社長らしいと思った。
「香田さん。今日は私が、みんなの話を聞く回です。次回、私がパーパスとして一文にまとめてくる。それが、私がどうしたいかの答えです。それで良いですよね?」
村井社長がそう言うと、四人の社員も笑顔でうなずいた。
私は、社長一人ではなく社員みんなの意見を集めて決めたという形式をとろうとした。
その手札も、間違えていたのかもしれない。
社長と四人の社員の話が一巡して会議が終了予定時刻に近づくと、私はコメントを求められた。
「──えーと、今までで、一番良い会議だったと思います。私の出る幕ないですね」
「だから、下手にまとめたりアドバイスをしたりしたら、折角話し合ったことの良さが消えそうなので、やめておきます」
これは本心だ。この会議で私が言うべきことは何もない。
「香田さん、そらあかん、ちゃんと仕事してください」
田所さんがそう言うと、全員が笑った。
私も笑いを返したが、内心笑えなかった。私は何のために仕事をしているのか。
四人の社員が会議室を出ると、村井社長が私に声をかけてきた。
「香田さん、ありがとうございます。このプロジェクトをやっていなければ、今日の会議は永久に無かったと思います」
「いえ、私は何もしていないので」
「できれば、黒木が言っていた商品開発フローの話も、相談できませんか」
「わかりました。ただ、今はパーパスのことを考えた方が。」
そうは言ったものの、パーパスについて今、私が置くべき手札はない。
「ですが、今日なら私にはあと、予定外の三十分があります。ひとまずその間、商品開発フローの壁打ち、やっておきましょうか」
私は次の手札を、置いてみることにした。
十二、正解がない
第五回プロジェクト会議の翌日、私は朝からECサイトのレビューを眺めていた。
うちの商品はネット上だと、得意先のホームセンターと百円均一ショップのECサイト、生活雑貨を扱う小売店が出店しているECモールで販売されている。
レビューは概ね好意的だ。他のものより使いやすい。便利。アイデアが秀逸。
時折混ざっている低評価も、輸送中の破損や購入時の確認不足などによるものなどが多く、商品そのものを悪く言っているものはほとんど見当たらない。
私は、近くにいた佐藤に声をかけた。
「佐藤さん、うちの商品のネットでの販売ページって見たことある?」
佐藤は急に名前を呼ばれて、少し驚いたように見えた。
「はい。たしかうちの商品を出してるのって、得意先のだいたい十社ぐらいでしたよね?」
「うん。レビューも見てる?結構良い感じ、だよね」
私がそう言うと、佐藤は少し声のトーンを落とした。
「社長。うちの商品ってネットで写真を見て説明を読んだら、なんでこういう形なのか、大きさなのか、だいたい意味がわかるじゃないですか」
「ん?どういうこと?」
「たぶん、お客さんの期待したとおりのものが届いている、っていうことだと思うんです。逆に言うと、期待を裏切らない代わりに、期待を上回る感動もない、っていうことかもしれないですよ」
「……なるほど、そうか」
「すみません、生意気なことを言ってしまって。ただの想像なんで」
「いや、ありがとう。俺の読み方が、浅かったんだと思う」
続けて、サイトを見てふと気づいたことを、佐藤に聞いてみた。
「ところで、この商品説明画像とかってどこかの得意先さんが作ったのかな?どのサイトにも、同じ画像があったけど」
佐藤は少し考えてから、答えた。
「ああ、たぶんですけど、営業の、谷村さんじゃないですかね。前に僕のところにこういう素材はないか、って聞きに来たことがあって」
「──田所さん、それで合ってる?」
私は外回りに出ようとしている田所を引き留めるように、声をかけた。
「社長、僕急いでるんですけど。何ですか?」
少し笑いながら茶化すような、田所らしい反応だ。
私は自分のノートパソコンの画面を返して、その商品説明画像を指差しながら言う。
「ごめんごめん、今の聞いてなかったよな、これ、谷村さんが作ったんかな?」
「あー、そうです。僕が、こんなPOP作ってくれへん?って言うて作ってもらったんと、だいたい同じ感じです」
「ああ、じゃあ田所さんの発案ってことか」
私がそう言うと、間髪入れず声が返ってきた。
「いや、細かい中身を考えたんは谷村さんやし、ちょっとレイアウト変えて、ネットで売っとる得意先さんに使ってもらうのも作ったから送っときます言うて、メールで送っとったのも谷村さんです」
「……へえ、自主的に考えて。大したもんだね」
私がそう言い終わる間際、田所が言葉を返した。
「へえ、やないですよ。ほんまに。本来ならこういうの、社長が気付いて言わなあかん思いますよ。しっかりしてください」
「ははっ、ほんまそのとおりや。気ぃつけるわ」
田所が私にこういう軽口をきくのはなんだか久しぶりな気がして、つい口調が似てしまう。
夕方になって、私は倉庫に向かった。
第五回プロジェクト会議の中で、私は黒木に新商品開発のフローのたたき台を出してもらうように伝えていた。そのことで聞きたいことがないか、確認しに行こうと思った。
倉庫に着くと、黒木と坂上がいた。何かを相談している様子だった。
私に気づくと、黒木が話しかけてきた。
「社長、昨日の話のことで、坂上さんと話していて……」
「昨日の話っていうことは、新商品開発フローのことか?」
「はい。ちょっと聞きたいんですけど、試作用の3Dプリンターって買わへんのですか?」
──3Dプリンター。うちの商品はほとんど、プラスチック製の日用雑貨だ。新商品を試作する工程を考えたら当然、あった方が良い。費用も、試作用途であれば金型一組分にもならない金額だろう。父が社長だった時代にはまだ手が出せなかったが、今は技術も価格もこなれてきて、中小企業でも比較的、導入しているところが多い。
だが。私がそれを必要としなかったのは、次に作るべき商品のアイデアが、解消したい日常の小さな困りごとが、私自身からそんなに次々と出てくるとは、思えなかったからだ。
私は父とは違う。私には父のような発想力はない。ずっとそう思っている。
無意識に、3Dプリンターは考えから遠ざけていた。
だが今は、その無意識が何だったか、わかる。
導入したがほとんど稼働していない、3Dプリンターがそういう状態になる可能性が、怖かった。
父と私の違いを象徴する、そういう設備になってしまうかもしれない。それが、怖かった。
私は一瞬そういうことを考えて、少し言葉に詰まった。
その表情を見て、坂上が言った。
「……どうですか?社長。私はあっても良いと思います。試作用途に絞ったスペックのものなら、設備投資としては大きな金額ではないと思います。今は滅多に試作はしていないですが、そのペースでも試作をたまに外注している費用を考えたら、何年かで十分、回収できると思います」
滅多に試作はしていない。
本当のことだが、突き刺さった。坂上らしいと思う。
大きな金額ではない。何年かあれば回収できる。それもわかっている。
私が恐れているのは、金のことではない。
「……わかった。考えてみるから、3Dプリンターがあったらどういう開発フローが組めるか考えて、それと合わせて稟議書を回してくれ。二人で、いやみんなででもいい、考えてみてほしい」
「わかりました」
私の言葉に、二人は強く、返事をした。
一週間後。
黒木と坂上が私の机の前に来た。私は二人と会議室に向かった。
会議室に着くと、黒木がA4用紙を五枚、私に差し出した。一枚は、試作用3Dプリンター購入の稟議書。もう一枚には、新商品開発フローが図示されていた。あとの三枚は三社分の3Dプリンターの見積書だった。
稟議書には購入費用、ランニングコストの試算、現状の試作頻度と費用から導いた回収期間と、新商品開発が活性化した場合を想定した回収期間が書かれていた。いずれにしても、購入費用自体に問題がないことは想定していたとおりだ。
新商品開発フローには、「既存商品のブラッシュアップ・リニューアル」と「新しい工夫・発想の発掘」の二項目から始まって、それぞれに対応するニーズ収集方法……得意先ヒアリング、ECレビューのリサーチ、SNSからの情報収集、社内スタッフとその家族へのヒアリング……などを経て、検討会議、試作、試作レビュー、金型製造、生産委託先選定、量産試作、パッケージデザイン、販促物デザイン、などの項目が並んでいた。
下の方に小さな補足項目がいくつか書いてあり、その中に構想として半期に一回、社内で新商品アイデアコンテストを実施したい、とも書かれていた。
簡素なものだが、よく整理されている。
父のように一人で次々に考えなくても、商品開発が続く。そういう予感がする。
「……どうですか?社長」
黒木は新商品開発フローについて一通り説明した最後に、不安そうな声で聞いてきた。
私は少し間を空けて、答えた。
「ありがとう、ひとまず一日、考えさせてくれ」
「あと、新商品開発フローについてはこれを基に、香田さんにも相談してみたい」
「わかりました」
黒木と坂上はそう言うと、会議室を出て行った。
稟議自体には全く問題がない。
考える必要など、なかった。
それでも、その場ですぐに約束はできなかった。
この会社を成長させながら、守り続けられるのか。
私自身、変わることができるのか。
その営みに、正解などない。
翌朝。
私は誰も来ていない早い時間に出社すると、自分の認印を机の引き出しから出し、稟議書に判を押した。
管理部長が出社するとそれを渡し、判を押して黒木に回すよう指示をした。
次の会議まであと三週間。
パーパスの一文は、まだ書けない。
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