葬儀は、昔ながらの家で行われていた。
玄関を入ると、線香の匂いと、鍋の煮える音が同時に来た。
男たちは座敷の奥に集まっていた。
黒い服のまま畳に座り、ほとんど動かない。会話は低く、短く、すぐ途切れた。
「まあ、年やな」
「しゃあない」
それ以上は続かない。
障子の向こうでは、人の気配が絶えず動いている。鍋の蓋が開く音、茶碗が重なる音、名前を呼ぶ声。女たちは、ほとんど座らない。
喪主は、座敷の中央に座っていた。誰かに声をかけられるたび、少し身を乗り出し、それから周囲を見て、うなずいていた。
母は台所にいた。盆を拭き、湯呑みを並べ、呼ばれればすぐ動く。
黒い服の袖をまくる仕草が、妙に手慣れて見えた。
「母ちゃん、仕事は」
「うん? 忌引やし」
「まだ銀行?」
「そう」
「何か手伝う?」
「いらん、あっちで座っとって」
それだけだった。
私は座敷の端に座った。
男側であることに、理由はなかった。しばらく、畳の目を数えた。
ここは母の生まれた町だ。小さい頃、何度も連れて来られた。
駅前は静かで店も少なかった。それなのに、村だと思ったことはない。
通りに面して立ち並ぶ、古い街並み。
不思議と都会的だとすら感じていたのを、覚えている。
座敷の奥で、男たちが言った。
「嫁らに任せときゃええ」
誰も反論しない。自分もその中にいたことに、私は少し遅れて気づいた。
そのとき、喪主が立った。
「ほんなら、次の鍋、俺も見るわ」
誰も笑わない。誰も止めない。
鍋の火を止める音がした。台所が一瞬、静かになる。
その音だけが、残った。
──大学進学のとき以来、福井の実家を離れている。
母は何も言わなかった。「無理せんといて」とだけ言っていた。
ある日、コピー機の前で同僚が言った。
「結局、私が時短にするしかないんだよね」
「まあ、普通はそうなるよね」
普通はそうなる。
決める前に決まっている、そういう感じがした。
帰りの電車で、あの葬儀の日の台所を思い出した。
「足りなかったら、そのとき考えたらええ」
母はその場で決めていた。特別なことは言っていない。
でも、何かが違った。そんな気がした。
昼休み、地方の町について書かれた短い文章が目に入った。
かつて多くの人が通り、やがて通られなくなった場所。
人が行き交う、そのためにあった場所。だからだろうか。
画面を閉じ、何もせずしばらく天井を見た。
母に電話をかけた。
「なんで仕事やめんかったん?」
少し笑って、母は言った。
「やめる理由がなかったでな」
「大変やと思わんかった?」
「思ったことはあるよ」
「でも?」
「やめたら楽になる感じでもなかったんや」
特別な話はなかった。
母の町はもう、誰かが立ち寄り、通っていく場所ではない。
それでも、決めつけない作法は、人の中に残る。
教わった覚えもない。自由を好んだわけでもない。
母は、決めることも、決めないことも特別だと思っていない。
たぶん、そういうことだ。
あの葬儀の台所で、火を止めた音だけが、今も残っている。
足りなければ、そのとき考えればいい。それが普通だった。
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