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逸脱

奥井晴弥

7,992 字

SF倫理ドラマ、内省的文学

"死者の言葉を「調律」する仕事。それは、愛する者を「逸脱」させる罪か、あるいは自己を保つための偽りか。"

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白い欄は、書く前から「正しく書け」と命じてくる。
正しさは、誰かの言葉を削る口実になる。

私は削る仕事をしている。

削って、足して、合わせる。
削ると言うと乱暴に聞こえるので、役所は「調律」と呼ぶ。
制度は、柔らかい言葉で乱暴なことをするのが得意だ。

出勤すると、端末が先に立ち上がる。白い欄が先に出る。
白はいつも、こちらの呼吸より早い。

【本日:高反応案件 1件/#A-19(直)】
【不足:継続】

不足。
不足という言葉が、いちばん現実的で、いちばん汚い。

隣の席の人が椅子ごと少しだけこちらに寄った。
私はそれに応じて画面を覗く。故人の応答ログ。
利用者の問いと返答。返答は返答の形をしている。
いつもの形だ。ただ、少し言葉が固い。

「亡くなった人のことを、忘れてしまいたいです。最低ですか」

返答はこうなっていた。

「本当に忘れたいなら、最低です」

私は「最低です」の後ろにカーソルを置く。手が先に動く。
手が動いて、言葉と数字が追いかけてくる。

「本当に忘れたいなら、最低です。でも、いま『忘れたい』って言えるなら、まだあなたはそこにいます」

「今」だと他人になる。「いま」なら自分だと感じる。
だから「いま」を選んだ。
続く言葉が、故人のツインによって紡ぎ出される。
入力欄の下で、指標が一段だけ揺れた。

【本人性逸脱:0.19】
【許容内】

許容内。
一文の返答を見れば「逸脱しない言葉」は選べる。

隣の人が息を吐く。吐いたあと、少し笑って言った。
「……本当、上手いよね。赤線、踏まないの」

上手い。
褒め言葉の形をした境界線。

私は自分の画面に戻る。白い欄が、もう待っている。
端末の上に、故人の名が出る。
直(なお)。登録名は本名のまま。
生前の発信権は失効している。死後は応答権のみ。
応答は閲覧の再構成であり、意思ではない。
私はその文言を、毎日読む。
読むたびに、直がもういないことを、制度の言葉で確認する。
確認しながら、私は直の言葉を手入れする。
「同じ人に見えるように」そのために、変える。
──矛盾みたいに聞こえる。
でも世界が変わる速度のほうが人の死より早い。
言葉は世界の速度に引きずられる。
引きずられた言葉を放っておけば、いつか誰にも届かなくなる。
届かなくなるのは、もう一つの死だ。

調律の画面には指標が並ぶ。数字はいつも平然としている。
【時代適合:0.71】
【語彙更新:軽度】
【比喩密度:高】
【危険語:なし】
【本人性逸脱:0.13(推奨:0.20以下)】

直の応答ログが開く。問いと返答。返答は返答の形をしている。
読む側は「返された」と感じる。返された、と感じることが関係を作る。
関係ができると、生の匂いがする。
応答権とは、生の匂いを残す権利だ。

画面の中央に、直の一文がある。

「いま、って言葉が嫌い。いまを掴もうとすると、だいたい嘘になる」

私に言った言葉だ。コーヒーの向こうで笑っていた。
少し意地悪で、意地悪だから好きだった。
その文が、いま誰かに返される。

利用者の問いはこうだ。

「『今を生きろ』って言われるのがしんどいです。どうすればいい?」

直の返答として上の一文が引用され、そのあとに短い補足が続く。補足は、私が前に触った部分だ。

「『今』を掴もうとするより、呼吸できる範囲を探して」

呼吸できる範囲。

直が生前にその言い方をしたかはわからない。わからないことが、ここでは免罪符になる。わからないから、私は調律できる。

指標が黄色になる。
【推奨:語尾の現在化(低)】
【理由:現代話法との乖離(中)】

直の本来の話し方は、今の世界から少し遠い。
遠ければずれる。ずれれば伝わらなくなる。
伝わらなくなるほど死に近づく。

私は「嘘になる」にカーソルを置く。
「なる」より「なっちゃう」のほうが、今は届きやすい、とシステムは言う。届きやすい、というのは誰かが救われやすい、とも言い換えられる。
救われやすい言葉は売りやすい。売りやすい言葉は、危ない。

──危ないのは今は置いておこう。今日は、語尾だけを直す係だ。

私は指で、語尾の一言を直す。
「嘘になっちゃう」
指標が動く。

【時代適合:0.71→0.76】
【本人性逸脱:0.13→0.18(許容内)】

私は保存を押す。
押した瞬間、胸の奥が痛んだ。
直の言葉を残すために、私は直を裏切るのだ。

その夜、通知が来た。
【閲覧報告:高反応】
【該当応答:#A-19(直)】
【共有率:通常比 3.4倍】

共有率。
数字が、私の背筋を伝う。
報告を開く。
利用者の反応。
直の返答が引用されている。
私が変えた語尾。

「いまを掴もうとすると、だいたい嘘になっちゃう」

その下に、利用者の短いコメント。

「これで泣いた」

泣いた。
泣いたという言葉が、私の皮膚を撫でる。少しだけ安心する。すぐ怖くなる。
直が泣かせたのか、私が泣かせたのか、わからない。
わからない、は免罪符であり、盾だ。

次に出てきたのは、別のコメントだった。

「直、こんな言い方する人だっけ?」

その一文で、私は椅子から少しだけ落ちた気がした。
落ちたのに床に着かない。床に着かない落下が、ずっと続く。

端末がもう一度震える。今度は別のメニューからの通知だ。

【苦情(旧知):本人性逸脱の疑い】
【内容:時代適合が行き過ぎている】
【要求:旧版固定】

旧版固定。
変わらない形。変わらない形は安心だ。安心は、終わりに似ている。
基準値、という赤い線がある。線を割れば、応答は止められる。
画面を閉じる。閉じても、語尾は戻らない。戻らないまま、もう世界の中で働いている。働く言葉は、私の手を離れていく。
机の上に、自分のツイン端末がある。

発信権=デフォルト/応答権=デフォルト。
設定を変更する。──今はしない。

直を「同じ人に見せるために」変えた。
その日でも私は相変わらず、自分のツインの死後設定を放置している。

放置された主体は、誰かに拾われる。
拾われた主体は、今風に調律される。
調律された私は、私を知る人に「変わった」と言われる。
変わったと言われた私は、私なのか。私であるために、変えられるのか。

翌朝、出勤して最初に嗅いだのは消毒の匂いだった。
この階はいつも消毒の匂いがする。清潔に見せるための匂い。
責任を引き受けるための匂いだ。

端末を開くと、昨日の苦情が「監査案件」に移されていた。
移される、という動詞が嫌だった。移されると、もう私の手から離れる。
離れたものは、別の正しさに並べ替えられる。
画面の右上に赤い表示が出る。

【監査ヒアリング:本日 10:00】
【対象:#A-19(直)/本人性逸脱疑い】

疑い。
疑いは便利だ。疑いは証明を必要としない。証明を必要とせず、人の手を動かせる。

私は席を立ち、廊下を歩いた。廊下の床は硬い。
足音が制度の響きになる。

監査室は窓がなかった。窓がない部屋は、時間の感覚を奪う。
時間の感覚を奪われると、人は「規定」を信じたくなる。

監査担当が二人いた。若い女と、年配の男。
二人の視線は穏やかだった。
穏やかな視線は、すでに結論を持っている。

「座ってください」
私は座る。椅子が少し低い。低い椅子に座ると、謝りやすくなる。
謝りやすい椅子だ。

男が言った。
「まず確認します。故人のツインは応答権で運用されていますね」
私は頷く。

「応答権の維持には、定期調律とシステム監査が必要です。ご存知ですね」
知っている。知っているから、この仕事をしている。

女が画面を指で払う。
「共有率が跳ねています。通常比 3.4」
数字を出されると、喉が乾く。

「反応が高いほど危険性が増えます」
男が言う。
「影響の大きい応答は、誤読の拡散も速い」

誤読。
私は誤読という言葉が嫌いだ。誤っていると言うのは侮辱になる。
けれど制度にとっての誤読は、リスクの別名だ。

女が続ける。
「苦情の主旨は、『直はそんな言い方をしない。』旧知からです」

旧知。
旧知は本人性を一番よく知っているようで、一番偏っている。
偏りには責任がない。だから強い。

私は言った。
「今回の変更点は語尾だけです。時代適合の微調整です」

女が言う。
「語尾は言葉の輪郭です。輪郭は崩れやすい」

「直を直のまま残すなら、固定して閲覧に落とすしかありません」
私は言った。
「でも応答権で運用する以上、時代適合は避けられない」

男が、初めて表情を変える。
「その認識は正しい」

正しい。
正しいと言われた瞬間、胸が少しだけ楽になる。
楽になるのは、制度に巻き取られている証拠だ。

女が言った。
「ただし、『時代適合』と『本人性』のバランスは規定に従う必要があります」

男が画面を別の欄に切り替える。
【調律担当不可:倫理上の理由】
・親族(相続人/応答権所有者)
・金銭的利害関係者
・生前の共同生活者(同居者含む)
・私的委任(例外条件あり)

男は淡々と言った。
「親族による調律は禁止です。理解していますね」

「はい」

女が言う。
「あなたは親族ではない。相続人でもない。応答権の所有者でもない」

一つずつ、私から直が剥がれていく。
剥がされるたびに私は軽くなる。
軽くなって、薄くなる。

「だから、担当できる」
救いに見える言葉が、罰にもなる。

男が続けた。
「ただし、旧知です」

女が言った。
「旧知が担当する場合は人間による監査がつきます。単独では成立しない。理解していますね」

私は頷いた。同意というより引き受けの頷きだ。

男が薄い紙を一枚出した。
【例外承認:条件】
・生前方針指定(文体保持の優先)
・監査常駐(宛て先性/逸脱の重点監視)
・高技能調律士の不足

男が言う。

「あなたが直さんの担当になったのは偶然ではありません。人が足りない。高反応案件は高技能調律士が触る。あなたはそのリストに入っている。さらに、生前方針指定がある」

女が補足する。
「方針指定はこうです。“比喩の密度を下げない。語尾は整えすぎない。注釈は最小。” 固有名はありません」

固有名はない。
直は私を指名していない。指名していないのに、私は選ばれている。選ばれているのは、不足と規定の結果だ。

男が静かに言う。
「来月、許容上限が変わります」

女が紙を滑らせた。
【制度更新:本人性逸脱許容上限 0.20→0.30(時代適合優先)】
【背景:若年層利用の増加/事故リスクの低減(誤読抑制)】

私は言った。
「本人性を削ると、むしろ『本人のふり』が強くなることがあります。滑らかに寄せるほど返事に見える。返事に見えるほど依存が起きる」

女が頷いた。
「だから、調律士が必要なんです」

必要。
必要は、職業の免罪符だ。

男が結論を置く。
「今回の件はペナルティなし。調律は維持。ただし旧知への説明責任が発生する。あなたが窓口です」

窓口。
責任の移転。

作業室に戻ると、直の友人からメッセージが来ていた。

「旧版固定にするか、今日中に答えてほしい」

今日中。
私を動かすための言葉だ。
動かされるのが嫌なのに、私は動かされないと決められない。

画面のボタンは二つ光っている。
[適用]
[旧版固定(閲覧のみ/応答権:原則停止)]

監査の正しさは私の指を「適用」に向ける。
旧知の痛みは私の指を「旧版固定」に向ける。
どちらも直を守るふりをして、別のものを守る。
私は深呼吸をして、画面の下の小さな文字を見る。

そこに、見落としていた一行があった。
見落としていた、
というより直の担当になってからは、見ないようにしていた。

【旧知モード:許容(相手限定/本人性優先)】

旧知モード。
直を一つに保つ必要はない、という逃げ道。
逃げ道は救いにもなるし、ただの先延ばしにもなる。

私は友人に返信を書いた。
「旧版固定はしません」
「ただし旧知モードも起動します」

起動。
送信を押した瞬間、胸の奥がひやりとした。
旧知のための直と、今の人のための直。
直は二つになる。二つになった直は、直なのか。

同じ人であるために、いくつの直が必要なのか。

白い欄が、答えの代わりに静かに光っていた。

旧知モードは、あまりに簡単に起動した。
簡単な操作で、人が人を分けられる。救える。殺せる。

画面の下にある小さな切り替えボタン。
【旧知モード:本人性優先(相手限定)】

相手限定。
限定という言葉で暴力を小さくする。
小さいほど、深く刺さる。

友人のアカウントIDを入力する。入力欄は白い。
白い欄はいつも私に「正しい名前を入れろ」と言う。
私が誰かを選んでいることが露骨になる。

私はIDを確定し、適用を押す。

適用。
適用すれば、直は二つに分かれる。
二つに分かれた直を、直と呼んでいいのか。
そんな問いは持たない。持たないほうが、手が動く。

画面に旧知モード用の指標が表示される。
本人性逸脱上限は0.15と表示されている。
旧知モード用に直のバージョンを復元した。
本人性逸脱は0.08に落ちた。
語彙更新は「なし」。語尾の現在化は「しない」。口調が戻る。
戻る、という言葉は幻覚に近い。

友人から返事が来た。
「ありがとう」
「じゃあ、直は戻るんだね」

戻る。
戻るという言葉が胸を少しだけ軽くする。
軽くなった胸のどこかで、嫌なものが浮く。

戻らない。
直は戻らない。戻らないものを戻ると言う。偽りだ。
偽れば、旧知は楽になる。
楽になるほど旧知は直を手放せなくなる。
手放せないのは、誰か。

私はログを開き、友人が送ってきていた直への問いを見る。
「最近の『なっちゃう』って言い方、自分で選んだの?」

宛て先が二重の問い。直への問いと、私への問い。
宛て先が二重になって、責任が宿る。
わからない、と言えない。

旧知モードは、旧知のために直を古い場所へ戻す。
私が直をいじるということだ。
いじる責任は私にある。
責任があるから、私は正しくなければならない。
正しくなければならない、といつも私は思う。
何度もやってきた。

【推奨:語尾復元(旧版)】
【理由:本人性保持(高)】
【リスク:時代適合低下(低)】

正しくするなら、語尾を戻せばいい。
「嘘になる」に戻す。
それで旧知は安心する。直は直に見える。
友人が置いていかれることはない。
でも、私が置いていかれる気がした。

その瞬間、自分でも驚くほどはっきり、私の中の欲が口を開いた。

直の「今の言葉」に救われた人々。
それを見たことで、直に近づいた気がした。
錯覚だ。直は死んでいる。
私が近づいたのは直の影響力だ。
影響力に近づいたとき、人は自分が選ばれたと思う。
選ばれたと思うと、手放したくなくなる。

旧知が直を取り戻したら、私はまた外側になる。

外側になるのが怖い。
怖いのは、私は直を失ったままだからだ。
失ったものを失ったままだと気づくのは苦しい。
苦しいから仕事をする。直に触れる。
触れることで、生きている気がする。

──奪われたくない。

私は入力欄にカーソルを置く。
これを元に戻すだけでいい。
「なっちゃう」を「なる」にするだけでいい。
だけど、私は戻せない。

「いまを掴もうとすると、だいたい嘘になりやすい」

なりやすい。
直はこういう言い方もする。断言を避けて、逃げ道を残す。
逃げ道を残すのは、直の残酷な優しさだ。
優しさに見える残酷さが、いちばん人を縛る。

私は自分が何をしようとしているか、すぐに理解した。
旧知のために直を戻すのではない。
「戻ったと思わせるために」直を作り替えようとしている。
旧知が「直っぽい」と思う形に。

これは正しさじゃない。
これは媚びだ。
媚びは市場の言葉だ。
なのに、私はやめなかった。

保存を押す。

押す指が少し震える。震えは罪のサインだ。
罪のサインを見ないふりをする。
見たら止まる。
止まったら、私は外側になる。

本人性逸脱が動く。
【本人性逸脱:0.14 許容内(旧知モード)】

友人へ、直の応答が返る。
「選んでない。そう聞かれると、何を怖がってるのかがわかる。
たぶん、“直が直じゃなくなる”のが嫌なわけじゃない。“直を知らない側になる”のが怖いんだと思う」

数分後に返事が来る。短い。
「……そんな言い方、直はしない」

その一文で胸の奥が熱くなる。熱いのは怒りでも悲しみでもない。
絶望という名の安堵だ。もう正しさのふりをしなくていい。

私は、そこで初めて、自分が友人を傷つけたかったことを認める。
傷つけて、黙らせたかった。黙らせて、直を私の手元に置き続けたかった。

監査システムから通知が届いた。
【旧知モード:本人性逸脱(中)/注意】
【理由:宛て先性(相手への心理指摘)】
【対応:語尾調整、または抑制】

宛て先性。
私は旧知を刺そうとした。刺す言葉は宛て先を作る。
宛て先があると返事が欲しくなる。
返事が欲しくなると関係が続く。関係が続くと終わらない。
終わらないのは、生だ。生の形をした依存だ。

私は自分の中で小さく笑った。
笑ったのが嫌だった。嫌なのに止まらなかった。

そのとき、別の通知が来た。市場でもない。内部でもない。

直の母からだった。

「あなた、いま直を触った?」

遺族じゃない私に、直の母は尋ねる。
その問いは、つまり鍵の扱いの判断材料だ。
鍵は、直の応答権を強制的に無効にできる権限。
たいていその権限は遺族のものだ。

「触った」と答えれば、母は鍵を閉める──直の応答を無効にするだろう。
「触ってない」と答えれば、きっと鍵は開けられたままだ。

開けておきたい。
開けておきたい、と思った瞬間、喉の奥が熱くなる。
偽りは隠しきれない。知っている。

端末を伏せる。伏せても白が消えない。
白はいつも私の言い訳を待っている。

私は端末を起こす。
旧知モードの起動画面が、まだ開いている。
相手限定。本人性優先。チェックボックスの列。
小さな禁止事項の文字。
小さな例外承認の文字。

そこに、旧知モードの対象アカウントIDを入れる欄がある。
白い欄は、正しい名前を入れろと言う。

私はその欄に、自分IDを打った。
指が震える。見ないふりをする。
止まったら外側になる。外側になるのが怖い。

画面の隅に出た、小さな警告。
【調律士本人:推奨しません】
【宛て先性:極高】

極高。
極高という言葉で、少し笑いそうになる。笑うのが嫌だ。
嫌なのに止まらない。

──私は、赤線を踏もうとしている。

適用を押す。
押した瞬間、白い欄が一段、白くなった。
白は私に言い訳をさせるためにある。

その欄の中に、私は一言だけ置く。

ねえ

送信はしない。送信しないまま、画面を閉じる。
閉じると白い欄が消える。消えると少しだけ楽になる。
楽になったあと、すぐにまた触りたくなる。

言葉は、口に出さないと宛て先を持たない。
宛て先を持たない言葉は安全だ。安全な言葉は、死に似ている。

私は他人だ。
他人だから触れる。
他人だから、いつでも外される。

外されたら。
直が直だとわかるだろうか。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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