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カヲルノヒズミル譚

連載中(書きかけ)

有城 砂卯

75,083 字

異世界ユートピアSF

"理想郷か、あるいは檻か。傷ついた魂が辿り着く、地図にない場所の真実。"

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輿図

 ――――それは、宿運と云うような、たまさかの巡り合わせ。
 ふたりと、よにんと、さんにんと、ひとりと、ふたりと。
 遁走する者達が、まるで約束でもしていたかのように集まった。

 戦火に追われ、
 人種で差別され、
 政治に追い込まれ、
 宗教に裁かれ、
 身分で区別され、
 【正義】の名のもとに、
 【悪意】無く投げつけられる石に、
 身も心も傷つき、
 やがて疲れ果てて。
 それでも、
 生きる事だけは、諦めきれず。
 ――――然して、祖国を見限った。

 ただ生きて、静かに暮らすために。

 彼等は、夢のような理想郷を探し始める旅人となった。
 それが例え、雲を掴む幻でも、縋りたいと願った。

 やがて、地図の隙間の名も無き山の頂きから、小ぢんまりとした緑豊かな半島を見付けた。
 切り落ちた岸壁は要塞の如く、半島を守り孤立させている。

 旅人達は、雲に手を伸ばす。
 ただ生きて、静かに暮らすために。

 然して遂に、
 さんにんと、ごにんと、ふたりと、ふたりと、さんにんの旅人達は、
 その地に降り立った。

 美しい土地。

 旅人達は安堵したのも束の間、
 見たこともない大きな建物と、
 人の暮らす気配がしない様子に戦慄する。

 困惑は、旅人達の足を竦ませる。

 すると突然、
 旅人達の目の前に、少年が現れた。

 黒い髪に黒い瞳、黄色みを帯びた白い肌。

 幾かの国を経てきた旅人達が、知らない風貌。

 切れ長の目に長い睫毛の影を落ち、
 黒い瞳から光を隠す無欲恬淡な表情。

 けれども、何故だろう。
 不思議と、惧れを感じることはなくて。
 神秘的にも見える瞳に、心意が惹かれる。

 少年は、ゆっくりと旅人達の顔を見回し、微かに口角を上げた。
 微かに、
 本当に微かに、細められた目元。
 本当に微かに、上げられた口角。
 それだけなのに。
 旅人達が抱いていた底しれぬ恐れや不安を、得も言われぬ安心感に変えた。

「ようこそ」

 少年のような外見からは想像だにしなかった低い声は、【彼】が妙齢であることを物語った。

 ◆
 【彼】に案内されて着いた建物は、まるで一国の城ほどに大きかった。
 しかし、その建物には、城にあるような華美な装飾は見られない。
 石や煉瓦が積み重ねられているわけでも、土で塗り固められているわけでもない。
 まるで一枚岩のように無機質で、鈍く光を反射する壁。
 不自然なほど滑らかな曲線を描き、生々しい存在感を放っている。
 壁面には継ぎ目が見えず、本来、石が持つ硬質なはずの表面は、どこか柔らかな息遣い持っていて、今まで見たことの無い不思議な雰囲気が漂よっている。

 玄関を通された広間には冷たい空気が流れ、旅程で火照った体を落ち着かせる。
 広間はエントランスというより、飯屋か酒場のようで、窓が大きくとられ、室内に陽の光を取り込めており明るい。

 穏やかで落ち着く広間に、警戒感が次第に解されていく。

「まず、体を休めて下さい。長旅でお疲れでしょう。浴場へご案内します。」
 【彼】はそう言うと、使用人らしき二人の男女に案内の指示を与えていた。

 案内をしてくれる男女は、【彼】に比べると幾分自分達と似ていた。
 薄い色の髪に、色の着いた瞳、青っぽい白い肌の比較的見慣れた風貌。

 先程の広間を出て、幾つかの扉が両脇にある通路を抜けたところで、嗅ぎ慣れない匂いが鼻を突く。
「温泉です。海底から引いてます」
  案内の女性の説明を切欠に、思いきって気になっていたことを聞いてみる。
「あの!あの方はどういうお方なんですか?」

「私共の口からはお伝えできかねます。男性の方はこちらへお入り下さい」

 案内の男性に一刀両断される。
 確かにそうだ。
 気持ちだけが急いて、無礼にも程がある。

「女性の方はこちらへ。中は壁で仕切られていますが、繋がっているので声は聞こえますので、ご安心下さいませ」

 公衆浴場、か。
 浴槽の向こう側には、大きな窓枠が埋め込まれており、外を望むことが出来る。
「この壁の向こう側に、お連れ様はいらっしゃいます」
 念のために、お互いの連れの名前を呼び合って生存を確認する。

 旅の汚れを落とし、きれいなお湯に浸かる。
 なるほど、浴槽は壁の下で格子で隣と繋がっていて、往き来は出来なくなっている。
 お湯は兼用することで節減し、尚且つ貞節には配慮されているのかと、その画期的な造りに感服する。

 お湯から上がり、脱衣場に行くと、人数分の新しい衣服が用意されていた。
「お召しになっていた衣類は、洗濯してお返しいたします」
 懇切丁寧な扱いに、戸惑いを覚える。

 元の広間に戻ると、広いテーブルに食事が用意されていた。
 旅人達は見た目こそ素直に喜んだが、あることに気が付くと着席を拒んだ。

「恐れながら領主様。発言することをお許しいただけますか」
 と、ひとりの女性が手を上げて尋ねた。

「ああ、君は貴族ってやつだったのかな。無礼講で構わないよ。僕は領主とか、偉そうな者ではないから」
 彼は食事とは別の椅子に腰かけ、茶器を揺らしながら続けた。

「そうだね、僕は……」
 と、言ったまま考え込み沈黙した。

「僕は……何だろう?なんだと思う?」
 浴場を案内してくれた二人に、問いかけている。
「分かりません」
 返答は、きっぱりとよく揃った。

「それほどに、難しいお立場の方なのですか?では、せめて何とお呼びすれば宜しいでしょう」
「僕?そうだね。トウレゥゴでいいよ。」
「では。トウレゥゴ様。ここに並んでいるのは、あなた方の―――お三方の滞在分の食糧ではないのですか?」

 山の頂から見た限り、この地は孤立していた。
 だからこそ、旅人達は足を踏み入れた。
 整地こそ行われていたが、作物を育てている様子はなかった。
 ならば、目の前にある食糧は持ち込みだろう。

「ああ、それも構わないよ。今はこれだけしかないけど、明日にはちゃんと賄えるから。……もしかして、足らなかった?」

「違います!あなた方の分が無いではないですか!あなた方の分を分け与えて下さったのでしょう!」

 泣きそうになりながらも、声を荒げることはなく、女性は淀みなく言った。

 見れば、旅人達は一同、瞳を潤ませながら大きく頷いている。

 ああ。
 いったい、彼らは今までどんな仕打ちを受けてきたというのだろう。
 会ったばかりの他者を気遣える、心優しき者達。

 これであれば。
 換骨奪胎、できるかもしれない。

 トウレゥゴは、僅かな願望のような希望を
抱いてみても良いのかもしれないと思った。

 結局、旅人達は、断固としてトウレゥゴらに食事を分ける事を譲らず、共に食卓を囲むことを望んだ。

「いったい、私達はどんな対価をお支払いすればよいでしょう。生憎、路銀は尽きてしまって、禄に残ってないのです」
 男性の一人が訴えた。

「あなた方が、ここに根を下ろすこと。それを、対価にしていただいて構いませんよ」
 トウレゥゴが答える。

「それは、余りにも私達に都合が良すぎです。頂きすぎです。対価には値しません」
 別の男性が答える。

「勿論、あなた方にやっていただきたいことはあります。ここに……」

 トウレゥゴは言い淀み、空を眺め言葉を探している。
 そして、遂に見付けた言葉を切り出すために、微笑んだ。

「そうですね、こう言うと決して適切ではありませんが、ここを【楽園】にしてきただきたい」

 楽園?旅人達は顔を見合わせた。
「楽園……ですか?」

 トウレゥゴは、旅人達の顔を一瞥すると、
「誤解しないで頂きたい。強いて、あなた達が使う言葉で近いのが【楽園】ということです。【理想郷】でも良い。要は、争わず暮らす、そんな地を作りたいのです」

 一瞬の沈黙。

「それでは、まずは食事を頂いてから、テーブルを片付けましょう。片手間に伺ってよいお話とは思えません」
 貴族だった女性が、真っ直ぐな目でそう言った。

 食事が終わると、使用人らしき二人を手伝いながら、女性達は食器を片付け、男性達は子供達と共にその場を整えた。
「必要であれば」と、トウレゥゴは紙と筆記具を用意してくれた。
 腹休めのお茶が用意され、改めて席に着いた。

 トウレゥゴは、一人掛けの椅子に深く腰かけ、静かにお茶を口にしている。
 その様子は、あくまで傍観者でいるつもりに見える。

 まず、ニ番目に年嵩の男性が口火を切った。
「あの……【楽園】とは、国家と考えるべきでしょうか?」

「そんな、大袈裟に考えなくていいよ。そこまでの大所帯には、きっと出来ないと思うし、成らないと思う。この地に、この地だけが”僕の望む平穏”であればいい」

「差し出がましいですが、何のための【楽園】でしょう?」
 トウレゥゴは大袈裟に顎に手を当て、言葉を探している。
「うーん。強いて言うなら、僕の我儘?」
「我儘……?」
「思い付きの突貫仕事ではなくて、丁寧に作った上で、秩序があれば、【楽園】が可能なのではないかしら、と」

 一番年嵩の男性は、その言葉の含みに口を挟もうとしたが、それに気付いたトウレゥゴに「しぃー」と人差し指で口を閉じる仕草をされた。

「傷つくまでの、争いをしないこと。これが最優先事項。あと、時折、あなた方のような方を連れてきますので、その対応をしていただきたい」

 旅人達は顔を合わせ、トウレゥゴの意図を探す。

 丁寧な仕事とは、この大きな建物と、既に整地されている環境のことなのだろう。
 後は秩序を整えると言うことだろうか。
「それと僕は、ある程度あなた方の暮らしに目処が立ったら、あなた方に手に余ること以外は、殆ど干渉するつもりはありません」

「国家では無いということは、法律の制定はしないということですか?」
「あなたは政治に携わっていたのだね。ではお聞きします。法律は全てを網羅できる?」 
「いえ。どんなに配慮して考慮しても、何だかの粗が出ます。それを小賢しい者が目敏く見付けます」
「なら、制定することに意味はないね。自由と勝手を、履き違えない程度の約束事は、あった方が良いとは思うけど。」

 政治家だった男性は面食らったが、己の理想を形成できそうなことに幸甚した。
 嘗て彼は、法律を笠に着た【正義】に、異議を唱えたことで迫害されていた。

「格式張った御為倒しではなく、より人々に根付きやすい決まり事を、ということですか」

「そうだね。それと、あんまり数が沢山あっても御免だね。僕は牢獄を望んでいるわけではないから」

 政治家だった男性は喜色で頷くと、溢れ来る思考を紙に書きなぐる。

「それでは、信仰は必要でしょうか?」
「どう思う?宗教家さん」
 一番年嵩の男性は、質問返しされた。

「何か指標がある方が、人は安心はします。既存の神でなくても、例えば、トウレゥゴ様を崇拝ことで、私達はそのご恩に報いようと努力するでしょう」

 トウレゥゴは、すんっと眉をひそめた。
「感謝は、空や大地の自然に向ければ良い事。僕は、僕の我儘を押し付けるだけだから、恩なんていらない」

 それを聞いて、聡明な宗教家だった男性は、何かを確信した。

「それに、信仰は法律よりも、厄介になることを貴方は知っているでしょう?」
 トウレゥゴの、何もかも見透かしているかのような黒い瞳に、宗教家だった男性は瞠目した。
 神の名の下に、人は残虐な行為を正当化出来る。
 己の、爪の無い指が何よりの証拠だ。

「承知致しました」
 宗教家だった男性は、トウレゥゴに畏敬の念を込め目礼した。

「では勿論、身分もなんてものも要りませんね」
 貴族だった女性が断言した。
「そうだね。くだらないね」

「平等を唱うのなら、いっそ貨幣も要らないでしょう。必要なものは共用して分ければいい」
 身分と金の恩恵を受けていたはずの、貴族だった女性。
 華美ではないけれど、彼女を彩っていた装飾品が、いつの間にか路銀に消えていたことを、皆知っている。

 旅人達は、自らの河清の理想が、夢物語で終わらなくなりそうな気がして討議に熱中した。
 トウレゥゴは討議は任せ、広間を後にした。

 ◆
「……で、一晩中討議していたの?」
 呆れた口調でトウレゥゴに問われた。

 朝日の差す広間のテーブルには、子供達までも突っ伏している。

「子供達まで……あ、僕の落ち度だね。部屋を案内してなかった。申し訳無い」
「いえ、頭を上げてください。私達は端からここで休むものと思ってましたし。討議は……その、嬉しかったんです」
 政治家だった男性が言う。

「私達は、偶然に導かれて旅をしました。皆、傷があります。幾度も、幾度も理想に夢を馳せ語り合いました。夢は語るに尽きませんでした」
 トウレゥゴはじっと男性を見つめ、話の続きを促す。
「それなので元より、理想の叩き台はあったのです。それを実現に向けて詰める事が出来るなんて、私達には望むところなんです」
「だからと言って、やっつけ仕事なんかやったら、元の木阿弥だからね」
「丁寧な仕事、ですね」

「それにしても、偉大なる御方の功績を、やっつけとはトウレゥゴ様も大概ですよね」
 と、宗教家だった男性が、笑いながら口を挟む。
「気が付くあなたも相当だよ」

「隠す気なんて、有ったんですか?」
 貴族だった女性も話に加わる。

「全く。出た杭が叩かれるはずだ」
 トウレゥゴが少年のように声を出して笑った。
 この笑顔に報いなくては、と旅人達は思った。

 ◆
 トウレゥゴは、徹夜明けだというのに、元気に動き回る旅人達の様子を、ぼんやりと眺めていた。

 討議は、貴族だった女性――トベラノを中心に回っている。
 てっきり、政治家だった男性――ポリチコか、宗教家だった男性――レリジオが主導権を持つもの思っていたが、それ程に、彼女が信頼に足る人物と云うことだろう。

 トベラノは、皆の話を要領よく纏めると、突拍子もない自分の見解を乗せ、積み上げたものを惜しげもなく崩す。
 これでは時間が掛かるはずだ。
 けれど、
 その時間は決して無駄ではなくて、
 それまで見えていなかった、
 新しい別の何かを見付け出す。

「取り敢えず必要なものは、作物の苗と農具ですね」
 微睡みにも似た、思索の海を漂っていたトウレゥゴに、レリジオが声をかける。

 議長はトベラノではと、僅かに眉をひそめたトウレゥゴの表情を、目敏く見付けたレリジオは笑いを堪えながら言った
「猫ばばでは無いですよ。私はトベラノの代理です。お使いです。彼女は今し方、子供達と外に出ていきました。ほら、あそこに。何でも探索しながら調査するそうです。息抜きサボりとも云いますけど」
 レリジオが窓の外を指差すと、トベラノがこちらに手を振っている。

「!僕はっ、別にっ!」
 トウレゥゴは、図星とばかりに耳を赤らめて、明らかに動揺を隠せていない。

 彼は、昨日初めて出逢ってから、何処か私達から一歩引いた処があった。

 依然として飄々とした態度を一貫して、隙を見せまいとしているが、こんなにも若者らしい、愛らしい表情を見せられると頬が緩む。

「トベラノには、領地経営の経験があるのですよ。目端が利き、弱い者を掬い上げる器量がある。彼女には何時も助けられます」
「そう言えば、あなたとトベラノは夫婦なの?常に一緒に居るようだけど」

「やきもちですか?冗談ですよ、不貞腐れないでください。――――トベラノは、体が不自由な私を補助してくれているのです。第一、私に子は望めないので、夫婦には成り得ないのです。」

 レリジオは、確かに旅人達の中では一番年嵩ではあるが、子を望めないので程の年齢ではないはずだ。
 トウレゥゴは、困惑に顔を顰めた。

「昨日、仰ったでしょう。【厄介な事】に、壊されてしまっただけですよ」
 レリジオは事も無げに笑っている。

「ミフィトは戦場に生まれ落ち、それを当たり前に少年期を過ごしたそうです。ベトクロは肌の色で人権を奪われて、物心つく前から差別の憂き目にあっていたそうです。そんな自分ではどうしようもない事に始まった理不尽に比べたら、自由に声を上げた分、まだましです」
「そんなことは比べる事じゃない。どれも受けなくてもいい痛みだ」
 トウレゥゴは、無言で唇を噛んでいた。

 レリジオの脳裏に、【愛し子】……という単語が浮かぶ。
 もし、自分に血を分けた子があれば、こんな感じなのだろうか。
 我が子と呼ぶには年齢が合わないけれど。
 このまま、揶揄うのも吝かではないけれども、それでは埒が明かないので話題を変えてみる。

「そんなことはさておき。この建物には驚きましたよ。地下にあんな巨大で、涼しい貯蔵庫があるなんて。表には火山どころか山もが見当たらないのに、海底火山から温泉を引くとか、浴場の設備も発想が無尽です。部屋数にしても、いったい何部屋、用意されたのです?」

「今は、五十ある」
「そんなにも……」レリジオが考えていた以上に、壮大な計画が準備されているようだ。

「多分1万人までなら、ここで余裕に“生活“できる」
「1万人、ですか?」
 いきなり跳ね上がった数字に、レリジオは驚愕し、二の句が継げない。

「無理をすれば4万……いや、駄目だ。そんなに“救え“ない!」
 いったい誰に説いているというのだろう。
 “救う“?“生活“から擦り変わった言葉に違和感は有るが、まずい、どうやら揶揄うよりも忌諱に触れたらしい。

 レリジオは周章てて、ぱんっとトウレゥゴの鼻先で手を叩く。
「お一人で、何もかも背負わないでください。まだ、信頼には価しないでしょうが、私達は、あなたに救って欲しい訳ではありませんよ」
 レリジオが慰めるように、ゆっくりと語りかける。

「あーっ!レリジオがトウレゥゴ様をいじめてるー!」
 子供達の笑声がして、それまでの雰囲気を一掃する。
「はいっ?!」
 レリジオが素っ頓狂な声をあげると、窓の外にはトベラノが子供達と摘んできた花を手に、楽しそうに覗いている。

 レリジオは、空々しく「こほん」と言ってから「トウレゥゴ様。この子はミフィトの子供で、そちらの二人がベトクロの子供です。」と、紹介した。

 続いて、幼い子を抱っこしているトベラノが「そしてこの子は、なんとポリチコの孫なんですねー。まだ、お喋りできないのよねー」と、頬を合わせる。

 子供達はニコニコとしながら、手にした花をトウレゥゴに差し出し始めた。

「これどーぞ!」
「ごはん、ありがとー!ですっ!」
「おふろも、ありがとー!なの」
「それとね、それとね……いっぱいありがとーするの!」

 舌足らずに感謝を伝え、手にした花を差し出すが、如何せん窓に背が届かない。

 トウレゥゴが窓から手を伸ばすと、横からトベラノに抱っこされた子が、付き出してきた花を、思わず反射的に受けとる。

「……ありがとう」と躊躇いながら言うと、まだ花を渡せていない子供達が、どうしようと拗ねている。

 と、その時。
 子供達の手から、ふわっと花が舞った。
「……魔法?」とトベラノが呟くと
「そんなわけないよ。手品だよ」
 トウレゥゴが素っ気なく答えた。

 花は宙を舞って、トウレゥゴの手に収まった。

「すごおーい」
「きれー」
「ほおあ……」

 子供達が言葉にならない声をあげて燥いでいる姿に、トウレゥゴは目を細めている。

 レリジオとトベラノは、どこか淋しさが滲んだ、その笑顔を見逃せなかった。

 ◆
 約束通り、十分な夕飯が用意された。

 まず、前提として。
 この地は、海に突き出した半島で、周囲は崖になっていて、釣りには適さない。
 唯一、陸地と繋がっている――旅人達が辿ってきた経路は、谷に阻まれて容易に山に入れず、剰え荷車は通せない。
 見渡す限り平原で、森林が存在していないので野生の獣も望めないし、木陰を作る程度の樹木は全て針葉樹で食用の木の実をつけていない。
 つまり、この地に今現在、食糧に出来るものは、まるで望めない。

 夕飯前に、いそいそとトウレゥゴに声をかけられた旅人達をは、貯蔵庫に集まって絶句した。

 いつの間にか何処からともなく運び込まれた人数分の食糧が、広い貯蔵庫にちんまりと収まっていたからだ。 

 トウレゥゴが得意気に話し始める。
「まず、食糧ね。この位あれば三日は大丈夫?」
 三日とはいわず、一週間分は余裕でありそうな量に、旅人達は唖然とする。
「それから農具一式。種は収穫までに日が浅い玉蜀黍と、小麦と大麦の穀物。豆と菠薐草等の野菜。馬鈴薯や人参、蕪の根菜。あとは西瓜を用意したけど、足りる?」
 トウレゥゴが照れ臭そうに説明する。

 昼前にレリジオが希望したものを、夕飯前に揃えて…用意してくれたのだか、その仕事の早さと品数と量が尋常ではない。

「あの……表に番いの牛と鶏もいましたよね。飼料と家畜小屋と一緒に」
 トベラノがおずおずと尋ねると、
「必要かと思って……家畜についてはレリジオは何も云ってなかったけど……迷惑だった?」
 トウレゥゴの言葉尻が沈んでいく。

「いえ、決して迷惑ではないです。有難いです。実際、家畜の事は失念してました。その……お気遣いありがとうございます」
 レリジオの持って回った答えが、トウレゥゴを意気消沈させる。

 あまりの量と品には目を見張るものがあるが、彼は、彼なりに旅人達に敬意を払っているのだろう。

 驚いたからと戸惑っていても、それは何だかトウレゥゴを責めているようで、居た堪れないトベラノが皆に発破をかける。
「おしっ!では、今日の討議は作物計画ですねっ」

「でも、いい加減、今日は寝なね」と、トウレゥゴに笑いながら釘を刺された。

 ◆

 然して、何年か月日を重ねた。
 作物は実り、少しずつ、人が増え始めた。

 旅人達は、トウレゥゴが厭がるので、表立って崇拝しないが、常に感謝を秘めていた。

 けれど、後からやってきた人々は違う。
 熱さは、喉元を過ぎれば忘却の彼方。
 理不尽な状況に苦しんだ筈なのに。
 同じことを繰り返す。
 搾取する側に、回りたがる。

 徒に肥沃な資源は、なんとも魅力的で。
 その悪辣な企みの矛先は、トベラノへと向いた。
 女を見下した、卑劣な行為。
 それは、トウレゥゴの怒りを買った。

 トウレゥゴは、正直なところ、旅人達以外は大事ではなかった。
 大なり小なりの諍いが起こるだろう事は、容易に想像出来る。
 それが、人だ。

 だから、諍いの種を摘み取り、棄てることに何の躊躇はなかった。

「辛い決断をさせてしまいました」
 虫の息のトベラノが云う。
「犠牲にして、すまなかった」
 トウレゥゴが、老いたトベラノの手を握りしめる。

 心を許し、希望を持たせてくれた旅人達が、ひとり、またひとりと身罷る。
 我儘が、成就から遠ざかる。

 ――――――それが、このランデフェリコのエデノに伝わる、昔話。
 口伝でのみ紡がれていて、既に固有名詞を失った。
 心優しき旅人達が、何もなかったこの地を耕し、傷ついた人々を受け入れ続けた。
 そこに、トウレゥゴの存在はなかった。

1(1/8)

 メイペスは、周章狼狽した。

 心臓が、これでもかと激しく動いている。
 まるで、その存在を主張するみたいに。
 身体中の体温が信じられないくらい上がって、顔に集まっている。
 なのに、指先は冷たく身動ぎも出来なくて。

 当たり前にしていたはずの呼吸は、そのやり方さえ思い出せず、息が詰まってただ苦しい。

 静かな騒音が、耳の奥で響き渡る。
 視界は全てが掻消えて、ただ一点に光が差す。

 こんなことは、知らない。
 こんなことは、生まれて初めてだ。

 お日様のような赤い、金の髪。
 硝子玉のような青い、紫の瞳。 

 たわわに実った麦の穂みたいな髪が、さらさらと揺れて。
 澄み切った朝焼けの空みたいな瞳が、きらきらと覗いて。

 …………あれ?
 おかしいな?

 紫色の硝子玉に、わたしが映っている。
 どうしたことだろう。
 わたしはただ、硝子玉のわたしから目が離せない。

 麦の穂が硝子玉に落ち、紫色のわたしを隠す。
 なんでだろう?
 寂しいな。
 とても、きれいだったのに。

 …………
 ……はっ!
 彼の人は、わたしに頭を下げているではないか!

「ランデフェリコのアンスタウトです」

 夜に咲く花の香り漂うような柔和なかんばせ
 薄い唇から発せられた、低く落ち着いた声が甘く耳を擽る。

 差し出された白く真っ直ぐな手は、無駄のない優雅さで、わたしに確信を抱くかのように伸びている。

 差し出された手を見つめ、とうに働くことを止めていた思考は、次の動作まで数秒かかる。
 無理に呼吸をするも、喉はからからに渇いていて、言葉を知らない赤子のように狼狽える。

 目の前には、風にそよぐ麦の穂と、輝くばかりの朝焼けをした、儚くも柔らかい笑顔。

 ああ、握手を返さねばと、自分の手を合わせ、愈々握手に至る。

 けれど。
 気の効いた挨拶は、何一つ紡げなくて。

「…………メイペスです…………」

 そう吐き出すのが精一杯だった。

 ◆
 メイペスが十八になった年、彼女はパートロから【把握する者】の役目を受け継いだ。

 これは、ここエデノの地の農作物や住民の状態をし、また時折、外からある新来者の対応に当たる。
 それらを一年を掛けて、丁寧に引き継いだ。

【把握する者】は、外の国では、領主や長などと呼ばれているようだ。
 領主や長という地位を示す名称は、新来者に説明する際に都合が良いから使用するが、知識として知っているだけで、このエデノではその名称は意味を持たない。

 エデノの地では、地位は平等に反することから厭われるからだ。

 お伽噺のように伝えられている、最初の旅人がある。
 彼らの血を引いている者の一人が、この【把握する者】の役目を担う。
 最初の旅人だけが、心胆に望まれた存在ということだ。

 【把握する者】には、対となる【整合する者】があり、ランデフェリコからの使者が行う。
 【把握する者】の作成する資料を元に、作物の取高を調整し、必需品を補填して、本国であるランデフェリコとの融通を行う。

 【整合する者】は、二十年でその任期を終え、本国に帰る。
 とはいえ、メイペスたちエデノに住む者はランデフェリコの恩恵には預かっているものの、その実態を知る余地はない。

【整合する者】だけがランデフェリコとの繋がりだ。

【把握する者】は【把握】と、【整合する者】は【整合】と短く呼ばれることが常である。

 元【把握】のパートロの対である【整合】のヴレノシュも、後数日でその任期を終える。
 パートロは皆と同じ生産者になり、ヴレノシュはランデフェリコへ戻る。
 その後任がアンスタウトで、メイペスとは許婚ということになる。

「ねえ、パートロ。わたしね、アンスタウトを見たときから、心臓が酷く動いているのだけど、病気ではないかしらと思うの」
「メイペス。心臓は動いていない方が病気だから、至って健康だよ」
 パートロはメイペスを揶揄いながら、優しく頭を撫で、話を続ける。

「まあ、オレもヴレノシュを見た時は、そんな感じだったよ。一週間は震えて、ろくろく眠れなかった。オレの前の【把握】もそんなだったって、言ってたから、きっと【把握】は、【整合】に否応なしに惹かれるもんなんだよ」
「ふうん、無神経なパートロでもそうなんだ。なら、わたしは健康ね」
「メイペス。どういう意味だ?」
 軽口を叩き合える、気の置けない関係。

 メイペスは思う。
 なら、【整合】は、【把握】に対してどういう感情を抱いているのだろう。
 ……二十年すれば、ランデフェリコへ帰ってしまう。
 未練は、無いのだろうか?

「メイペス、ここにいたんだね。建物インスラの案内をお願いしてもいいかな」

 何の前ぶれもなくやって来たアンスタウトに、メイペスは驚いて顔を上げた。
 先ほどの話の今で、心臓がまた少し速く打ち始めるのを感じる。それでも仕事だ。今はそのことに集中しなければ。

「あ、勿論です。何処に行かれます?」

 彼の視線が、メイペスを見ている。
 彼の目は優しく、それでいて何もかも見透かされてもいるようだ。
 わたしたちは許婚だから、子作りしなきゃいけないことも、ちゃんと教えて貰っている。
 …………そんなこと、出来るんだろうか?こんな綺麗な人の前で?と、一瞬頭を過りもしたが、今は仕事よ、無理して笑ってみる。

「新来者のところにお願いします。いらしたのは、五日前でしたか?」

「そうです。お二人で。お一方は軽傷でしたけど、もうお一人が意識が無くて。そろそろお目覚めかと思います」

「紛争からの被災者でしたよね」

「ええ。じゃあ、参りましょうか。ついでにお食事を用意して行きます」

 メイペスはそれだけ言うと、食堂へ歩き始める。
 心臓が少しだけ落ち着いて、二人分の食事を用意して…
 アンスタウトを案内するはずだったのに先に行かせて、慌てて後を追った。

 ◆
 アンスタウトとメイペスが扉の前に立ち、ノックをする。
 がちゃりと鍵が外れ、薄く扉が開く。

 常々、メイペスが新来者に対して不思議に思うことに、施錠がある。
 面倒なだけなのに、と思う。
 確認するように、扉を開ける様子も苦手だ。
 用があるから来訪してるのよ、早く開けなさいよ、こちらは今、あなたたちの食事で手が塞がっているのよ、と思う。
 我ながら、自分本意ではあるけれど。

 他者からの干渉を疎む意味が分からない。

 苛立ちを隠せていないメイペスに気付いたアンスタウトが「さて、中にいれていただきましょうか」と、書類を抱えていた手に、メイペスから食事の乗ったトレイを取りあげて言った。
「ワゴンにすれば良かったですね」と、アンスタウトが屈託ない表情を見せるので、メイペスは代わりに書類を受け取った。

 施錠しなければいいだけなのにとか、早く開ければいいだけなのにとか、口に出そうになるが、それこそ自分本意だ。
 もやっとする感情を押さえながら、部屋に入ると、ベッドに腰を掛けている人物が目に入った。

「目を覚まされたのですね。食事をお二人分用意してきて良かったです」

 メイペスは、打って変わって満面の笑みを見せる。
 怪我人の回復は、至福の喜びだ。

 改めて見ると、彼は灰色の髪で浅黒い肌をした、でっかい牛みたいな人だな、と思った。
 牛と相性が良さそうだ、ん、牛のお世話係。決定事項ね、と一人ほくそ笑む。

 対して、もう一人の彼は、華奢で小さい。
 染めが剥げた、黒と橙の斑の髪が、何だか痛々しい。
 この人があの人を背負って来た時は、牛が宙に浮いてるみたいで、第一発見者は腰を抜かしていた。

「取り敢えず、お名前だけは頂いて宜しいですか?」
 アンスタウトが事務的に話す。
 わたしの仕事ではないか、とメイペスは慌てて書類を広げる。

 灰色牛は「グラスコ・グレコ」と短く言った。
 華奢な方は、一度灰色牛に目を合わせた後、「……レイ……レイ・グレコ」と戸惑いながら答えた。

 メイペスは書類に名前を記載して「あなた方は、このエデノに永住を希望されますか?」と、提携文の質問する。

「分からん。だいたい、ここが何処なのかも分からんのに、決められる訳がないだろう?」と、灰……グラスコ・グレコは苦虫を噛み潰している。

 ふう、とメイペスは大袈裟に溜息をつく。
「当然です。即答は求めていません。ただ、念頭には置いてほしいということです。永住か、否か。ここには、対価さえ頂ければいくら居てくださっても構いません」

「勝手に治療しておいて、金を取る気か?」と、グラスコ・グレコは怪訝な顔をする。

「……勝手って……」メイペスは呆れる。
「細かい事情はさて置き。レイ・グレコさんはそので。グラスコ・グレコさん、あなたのを登ってきたのですよ。それだけで尋常でないことだけは分かります。それに、ここでは金は対価に当たりません。労働で返してください」要点を強調した語意でグラスコ・グレコに諭す。

 それからメイペスは一息置き、顔を和らげから「それと、これはこちらの落ち度ですが、まずお食事を召し上がってください。折角の暖かいスープが冷めては勿体無いです」と食事を差し出す。

「この状況で、飯?」
 グラスコ・グレコが呆気にとられ、レイ・グレコが依然訝しげな表情を崩さない。

「食事は大事です。毒は入ってません。大事な食事ですから」
 念を押し、少々乱暴に食器を置き、大真面目にメイペスが答える。
 アンスタウトが只管に笑いを堪え
 ている。

 ◆
「失敗しました」

 新来者の部屋を出ると、メイペスは、あからさまに顔面蒼白で悄気ている。

「面白かったですよ。伝えるべきことはきちんと伝えたので、後は彼ら次第です」
 とは言うものの、アンスタウトは正直なところ、何故、彼女が気を落としているのかまでは分からなかった。

「お話は、絶対に感情的にならずに、冷静に且つ端的にしろと、パートロに口酸っぱく、何度も何度も何度も、注意されたのに」
 成程、幾度ともなく指摘されていたのか。
 余程、強く念を押されていたのだろう。
 アンスタウトは漸く、納得がいった。

「あなたは、あなたですよ」
 恐らく、パートロとは生まれた時から一緒にいるのだから、会ったばかりのアンスタウトが何を言ったところで響かないだろう。
 と、思っていたのも束の間。
 メイペスは明るい表情を見せる。
「そうですよね。やっちゃったことは仕方ないですよね。後は野となれ花となれ、です。後悔は先に立たないのですっ!」
 何て切り換えの早い娘なんだ、落ち込みが嘘のようだとアンスタウトは少々、面喰らう。

 なので、ほんのちょっとだけ、お灸を据えて、ご機嫌を伺う。
「まあ、無責任に放り出せないのが難点ですが。とはいえ、鬱憤を吐き出したいのではないですか?この場ではなんですから、部屋に戻ってお茶でもいかがですか?お訊きしますよ」と言うアンスタウトの提案に、
「はいっ!」と、元気良く答えるメイペス。

「くっ、は…あははっ」

 破顔一笑。
 堰を切ったようにアンスタウトが声を出して笑っている。

「……笑いすぎではないですか」
 メイペスは、火照った頬を押さえアンスタウトを睨む。
 でも、何だろう。
 自分の対となる彼が、こんな無邪気な笑顔を見せてくれる人で良かった、と思った。

「では、参りましょうか」
 アンスタウトは、目頭を拭ってから、優雅に手を差しのべた。

 その上品な仕草に目を奪われたメイペスは、精一杯の照れ隠しも兼ねて
「美味しいお菓子も所望致しますわよ」
 と、わざと鯱張りながら、彼の手を取る。

「何でしたら、ヴレノシュに聞いたパートロの失敗談もお付けしましょうか?」
「まあ、それは素敵ですわね」

 そんな遣り取りが、再びアンスタウトの笑いのツボに触れ、メイペスも釣られるように笑い出した。

 お茶会は結局、メイペスがお菓子に夢中になって終わり、せめてパートロの失敗談は聞いておけば良かった、と思ったが後の祭りだった。

 ◆
「パートロ、ここにいたの?今日はヴレノシュの……て、そうか、昨日帰ったのか」
「そう言うことです。なので、今日はパートロ先生だ。懐かしいだろ、メイペス」

 建物インスラの一室。
 学教室と呼ばれるこの部屋で、エデノの子供は、独り部屋に移る十二歳までの三年間利用し、文字や計算、作物の育成や昔話について知る。

「わたしもここで、パートロやヴレノシュたちに教えてもらったなあ…………昔話だけを信じていた頃が、懐かしい」メイペスは、ほんの数年前の事だというのに、遠い目で思い返している。

 エデノの昔話は、理想郷を求めた十五人の旅人がこの地に辿り着き、苦心して礎を築いた、というものでエデノに住む者であれば、誰もが知っている。
 ここで、改めて聞かされるが、エデノの最も一般的な読み物でもある。

 そこまでは。

【把握】が代替わりする時、【初めの旅人の血を引く者】は真実を聞く。
 口伝でのみ伝えられる物語。

 理由さえ曖昧な争いが続く国の片隅に、貧しい村があった。
 捨鉢な兵士の行軍は、村の微々たる作物を強奪し、人々を蹂躙した。
 そんな村を救ったのは敵国だった。
 しかし、「敵」兵に救われたはずの人々は、丸腰だった兵士を「敵」だからと襲撃した。
 忘恩の行為に恐怖した者が、同じ想いの幼馴染と共に、逃げ出した。

 肌の色が違うと、喋れもしない幼い時から賎民として虐げられた少年がいた。
 家畜のような扱いを受け、家畜のように繁殖を強いられた。
 新たな家畜に隷従を与えるためだけに。
 生まれた落ちた子供たちに、自分と同じ轍を踏ませることに不憫に思った彼は、成り行きとは云え、命を預かった女と子供たちを連れ出し、逃げ出した。

 聖職者として真摯な男性が、新たな世界の見方を信じたために裏切り者と見なされ異端の烙印を押された。
 主に背いた罰として、まず両手両足の爪を剥がされ、子を成す術を奪われた。
 冤罪の僅かな相違は、彼に確固たる理念を与え、静かに信念を説き続けた。
 けれど、度重なる拷問と追従に限界は耐えかねて、逃げ出した。

 為政者の敷いた悪政に、些細な忠告をした政治家の男性は、報復を向けられ、詰まらない怒りと見せしめの為に、妻と娘を公然で甚振られる悲劇を見せつけられた。
 勝ち誇ったように嘲笑う為政者と、悪政に甘んじる民に悲憤慷慨し、救出した妻娘と共に逃げ出した。

 堅実で慈悲深い領主の娘は、器量の良さも相まって、両親に慈しまれ、使用人や領民に慕われ、また彼女も同じように返した。
 しかし目先の欲に眩んだ、嘗て恵愛した者たちに狡猾怜悧に貶められ、優しい従者の手引きで逃げ出した。

 逃げ出した先で彼らは運命的に出会い、意気投合し、理想郷を求める旅に出た。
 幾年月の後、彼らはこのエデノの地に辿り着いた。
 根を下ろすまでの道程で、家族の構成は形を変えたが、それは些末事でしかない。

 その話を聞き、知らない言葉の一つ一つが紐解かれた時、【初めの旅人の血を引く者】は多分に漏れず涙する。
 自分達に流れる血に、理想と希望をかけた途方もない想いを知る。

「パートロは、旅人の話で泣いた?」
「…………あれは、辛いよなあ」
「見えないものに振り回されて、人を傷つけたり、ましてや殺めたりする世界があるなんて、知りたくなかった」
「だよなあ。今だによくわからん」

 エデノの決まりごとにおける最優先事項は「争わないこと」。
 これを基に、争いの火種となる差別や身分、宗教、権力、組織の概念を取り払い、平等を掲げ、独占を禁じている。
 概念そのものを排除するため、「独り占めをしないこと」と具体的にし、「空と大地に感謝すること」「約束を守ること」と加えられている。

 エデノに生活するものは全員、建物インスラに共に暮らす。
 個別に家を持たず、家族を組織しないために、家名はない。
 十二歳から一人前と扱われ、一人部屋を与えられる。

 【初めの旅人の血を引く者】は『独り占めをしないこと』という決まり事の、単純でいて、底知れない深い本当の願いが込められていることを心に刻む。

 それは、自分達が【初めの旅人の血を引く者】ということは知っていても、誰の血を受け継いでいるか知らないことにも関係しているのだと思った。

「新来者は折角エデノに辿り着いても、怪我が癒えれば、争いのある外に戻るのだから、本当に理解できないわ」メイペスは溜め息をつく。
「だよなあ……」パートロは上の空で繰り返す。

 新来者にしてみれば、エデノの決まり事は歪でしかない。

 最初こそ、平和な理想郷だなんだと喜ぶが、暮らしが落ち着くと、社会の組織として家族という枠さえ良しとしない、エデノの考え方は、馴染めないらしい。

「ねえ、パートロ。ヴレノシュが帰って、寂しい?」
「まあね。二十年、共に暮らしたからね」
「もう、二度と会えないのよね」
「でも、メイペス。君を残してくれたんだ」
「お父さん、て言うのよね。外では。だけど、家族って、そんなに大事なのかな。皆を大事にしてれば済むことじゃない」

 エデノでは、人は皆、平等に扱われる。
 本人の意思を最優先し、無理強いをすることはない。
 外からの新来者に対しても、暮らすも去るも強いることはない。

 けれど、エデノを出ると二度と戻ってくることは出来なくなる。

 ◆

「そういえば、今日は、グラスコ・グレコが来ていたぞ。永住は決めかねているが、ここがどういうところか知っておきたいんだと」
 パートロの言葉にメイペスは、ぱあっと顔を輝かせる。
「グラスコ・グレコは、エデノの暮らしに興味を持ってくれた、ということかしら?彼は牛のお世話にもってこいだと思うのよ」
「こら、短慮はメイペスの悪い癖だぞ。人の仕事の割り振りを他人はしてはいけない。本人の希望が優先だ」
「それはそうなんだけど」
「と、いうより何でそう牛に拘るんだ?」
「彼を一目みた時から、牛以外に見えないとか、そんなことでは……」口籠りながら、メイペスの瞳が宙を泳いでいる。

 不意に、メイペスの視界に影が落ちた。
「誰が、牛だって?」
 振り返って見上げるとグラスコ・グレコが不服そうに立っている。
 臆することなく、「あなたが」と、メイペスはグラスコ・グレコを指差し答える。

 彼は大きく溜め息をつくと
「これでも、一応、逆転の獅子とか言われていたんだけどな」
「しし?」グラスコ・グレコの言葉に、メイペスは、口をぽかんとしている。
 グラスコ・グレコもパートロも、メイペスの扱いに困って、黙ってしまっている。

 その時、大人しやかな声が響く。
「エデノには、牛と鶏しかいないんですよ」
「アンスタウト。どうしたの?」
「あなたがパートロに会いに行ったまま戻らないので探しに来たんですよ」
「あ!そうだ。ごめんなさい……で、ししって何?」メイペスは興味深く聞くがアンスタウトは「人でない、動物の種類です」とだけ答える。
「……牛や鶏と違うの?」メイペスは子供のようにきょとんとしている。

 アンスタウトは言葉を探しているようだか、グラスコ・グレコが「そもそもなんで、牛と鶏しかいないんだ?」と尋ねる。
「暮らすのに必要ないからよ」メイペスは何で分からないのとでも続けたいような顔をしている。
「メイペス」パートロに名前を呼ばれ、自分が感情的になりそうな事に気が付き「ごめんなさい。…………で、ししって?牛より大きいのかしら?何をするの?」

「獅子や何かするってことはないが、強い動物の喩えだな。見た方が早いだろ。こんなやつだ」
 グラスコ・グレコは、左腕に巻いたものを弄り、指輪を回すと、掌に映像が浮かび上がる。

「魔法?」
「いや、ただの科学技術だ。情報端末からの映像投影。これが獅子だ。」
「……技術」メイペスは呟き、パートロの顔色を伺った。少し固まってはいるが、いたって冷静でメイペスの視線に気がつくと、了承するかのように頷く。次にアンスタウトに視線を移すと、いつもの淡々としたままだ。
 その様子をグラスコ・グレコもまた、冷静に観察する。

「まあ、でっかい猫みたいなもんだな」
「ねこ?」
「猫もいないのか」とグラスコ・グレコは呟き、再び左腕を弄り、映像を切り替えた。
 意外にもメイペスは、映像機具には興味を示さず、映し出された猫を指差す。「で、このねこは何の仕事をするの?」と、更なる疑問をぶつけてくる。
「猫に仕事はない。強いて言えば、家族の一員……癒しかな」と続けた。

 メイペスは目を丸くして「これも仕事をしないの?家族って、外の人はこれを生むの?癒しって何?」矢継早の質問攻めに、グラスコ・グレコは映像を一旦切りメイペスに答える。
「疲れたとき、こいつが家に居たら可愛いだろ。気持ちを落ち着かせてくれる。あと、猫は人からは生まれない」
 グラスコ・グレコは答えながら、メイペスの表情を見ていた。彼女は顰めっ面で納得がいかない顔をしている。

「疲れる?肉体が疲れたなら、お風呂に入ればいいわ。それでも疲れてるなら休めばいい。家族って、生まれた子供ではないの?気持ちが穏やかにならないなら、何故家族に拘るの?」再びのメイペスからの質問責め。

「家族にも、言えないことくらいあるだろう?」グラスコ・グレコは紋切りに答える。
「エデノで生まれた者は、家族では暮らさないけれど、共に助け合うわ」

 メイペスは推し測るように、グラスコ・グレコを見入る。
 引くつもりはないようだ。

 沈黙の中、ぱんっと音が響く。
 音の出所は、アンスタウトで手を叩いたようだ。
「このままでは押し問答が続くだけなので、一旦ここで終わりましょう。グラスコ・グレコはぼくと来てください。メイペスはパートロと反省会です」

 そう言うと、アンスタウトはグラスコ・グレコを連れ立って、部屋から出ていってしまった。

「さて、メイペス。反省すべき点はお分かりかな?」パートロは、俯いて悄気ているメイペスに、至って穏便に話し始めた。
「……くっ、感情的になりました。私の考え方がまるで唯一無二かのように、他人に話しました」メイペスは唇を噛んで、泣くのを堪えているようにも見える。

「だな。分かってるじゃないか。エデノは平和な地だけど、外より無いものが多い。それは、【最初の旅人】が、自分たちの人生を鑑みた上で、最初から知らなければ争いの種を生まない、不要と判断して、排除したからだ。」パートロは淡々と、無感情に話し続ける。

「争いの種を、なぜ持ち続けるの……」メイペスは、パートロに答えを求める。
「俺たちみたいに分けられた訳じゃないからな。エデノには三千人しか暮らしていないが外はずっと多くの人が暮らしている。いっぺんにみんなが知らないことにはならないだろう」
 パートロは、言葉を選びながら諭してくれている。

「だいたい、メイペスがいい例じゃないか。人の考えは、そう簡単に変わらないよ」
 宥めるように、頭を撫でるパートロ。
「そっかあ……」すとんと、その言葉はメイペスの中に落ちた。

2-1(2/8)

 ◆

 目を醒ますと、まるで見たことのない様相の部屋に、よく見知った顔のレイノシュが、亡霊でも見たかように真っ青な顔色をしていた。

「グレコ様……」レイノシュは今にも泣き出しそうだ。

 まだ、覚醒しきらない頭で、こうなるまでの経緯に思考を巡らせる。
 その前に、この今にも倒れそうなレイノシュに声の一つでも掛けてやらねば……と、口を動かすも喉が張り付いて音にならない。
 一体、どれくらいこうしていたというのだろう。

 そんな俺の様子に気が付いたレイノシュはテーブルに向かうと、カップとタオルを手に戻ってきた。

「お水です。ゆっくり飲まれてください」
 レイノシュは手にしたカップにタオルを添えると、横になっている俺の口元に当てる。

 その手を一旦制し、上体を起こそうとする。
「ご無理は…」レイノシュの言葉半ばで起き上がり、カップを受けとる。

 中身を一口含み、水であることを確認してゆっくり嚥下する。
 水分を欲していた体は、自分の意思に反して飲み干す勢いに、「急いては駄目です」とレイノシュが言い終わる前には、カップの水は俺の喉に吸い込まれた。
 すると急な水分に驚いた喉が咳き込む。

「大丈夫ですか!申し訳ありません」レイノシュが悪いわけではなかろうと思うのも束の間、タオルで俺の口元を拭ってくれる。

 俺はレイノシュの手を払い、息を整えてる。
「ここはどこだ?助かったのか?」

 レイノシュは、少しだけ躊躇して
「はい。ここはランデフェリコのエデノという土地です。あの日から十日経っております」
「十日…?…それにしたら、裂かれた腹が痛くないのは何でだ?少しだけ引き攣るようにむず痒いだけなんだが。俺、さされたよな?」

 レイノシュは、俯き悔しそうに声を押し出す。
「……はい。ヘジム国にてマルボナ・ユウロに腹部をタクティカルナイフで刺されました。ここ、エデノはヘジム国から二百キロ程離れた土地です」

 ヘジム国は元より内乱が絶えない国だった。
 肥沃な土地に恵まれ、作物は豊作であるにも関わらず、国民は常に飢えに苦しんでいる。
 そんな現状を打破しようと力による内紛が没発して、血で血を洗う。
 幾度ともなく繰り返すいたちごっこを、逆転の獅子と称されたグラスコ・グレコが稀有な手腕を奮い、国主マルボナ・ユウロを捕らえたことで、数多の血を流すことなく、終止符を打った。

 彼は崩壊した国政を再建し、外政を整えると、次第に国民は飢えから解放され始めた。
 束の間の平穏が訪れた、がしかし国主から引き摺り下ろされたマルボナ・ユウロは、面目失墜で嫉妬と怨嗟に駈られ、グラスコ・グレコに刃を向けた。

 俺は、甘かったのだろうな、と思う。
 情になど流されず、マルボナ・ユウロを処刑すべきだったのかもしれない。
 けれど、彼もまたヘジム国を改革しようとしていたのだ。
 幼い頃、俺は彼の立ち上がった姿に、憧れたのだ。
 そう思うと、どうしても命を取る選択が出来なかった。

「処でレイノシュ。エデノって何処だ?ランデフェリコとかいう国名、聞いたことないぞ」グラスコ・グレコが訝しげに尋ねる。

「地図上にはない、理想郷です」レイノシュは真顔で答えた。

「理想郷?」普段、戯れを言うことのない、レイノシュから出た突飛な言葉に驚く。何を持って理想郷と言うのだろう。切り返す言葉に詰まっていた時、ドアをノックする音がした。

 レイノシュがドアへ移動し来訪者と対応をしている。
 理想郷を鵜呑みにするわけではないが、映画の中でしか御目にかかれない、時代がかった古めかしい質素な室内を見渡すと、まるでタイムスリップでもしたような気分になるのは確かだ。

 レイノシュに促されて、気の強そうな瞳の赤毛の女性と、終始笑みを称えた掴み所の無い金髪の優男が入ってきた。
 二人は、綿素材で袖付きの貫頭衣を身に付けている。

 しげしげと見ていたせいか、赤毛の女性とすぐ様に目が合った。
 すると赤毛の女性は、厳めしい顔付きから一転して、花の綻ぶような笑顔を向けてきたので、思わず面喰らう。
「目を覚まされたのですね。食事をお二人分用意してきて良かったです…………牛……」
 ん?牛って言わなかったか、こいつ?何だ、この妙にキラキラした笑顔は?

 優男が手にしていたトレイをテーブルに置いて椅子に座ると、女性が慌てるように手にしていた紙を拡げ、隣の椅子に座る。

「取り敢えず、お名前だけは頂いて宜しいですか?」と優男が事務的に聞いてくる。
 調書を取るなら出自はいいのか?と思うが、言わないでいいならそれに越したことはない。
 お言葉に甘えて「グラスコ・グレコ」と名前だけを伝える。

 レイノシュは、俺の顔を戸惑いながら伺って「……レイ……レイ・グレコ」と答えた。
 何か思惑があるのだろうか。偽名を名乗った。
 俺と同じ名字を名乗ったが、どういう関係を想定しているのだろう?

 女性は書類に名前を記載すると顔を上げ「わたしはメイペスです。早速ですが、あなた方は、このエデノに永住を希望されますか?」と、紋切り口調で聞いてきた。

「分からん」
 ついさっき、目が醒めたばかりだしな、と、俺は考え無しに返す。

 ふう、とメイペスは聞えよがしに大きな溜息をついてから、
「即答は求めていません。ただ、念頭には置いてほしいということです。永住か、否か。ここには、対価さえ頂ければいくら居てくださっても構いません」と、言葉こそ丁寧だか、些かキツい口調で言ってくるので、
「勝手に治療しておいて、金を取る気か?」と、細やかな反撃に出る。
 いや、助けて貰ったのだから、それなりに礼は尽くしたいが、色々と不躾な態度が気に食わない。

「……勝手って……」メイペスは、明白あからさまに苛立ちを見せる。
「細かい事情はさて置き。レイ・グレコさんはそので。グラスコ・グレコさん、あなたのを登ってきたのですよ。それだけで尋常でないことだけは分かります。それに、ここでは金は対価に当たりません。労働で返してください」
 荒げた口調で捲し立てる。

 ありゃ。
 そりゃ、苛立ちもするか。
 それにしてもレイノシュよ。
 俺を背負って崖登りって……顔色が悪いのも当然だ。

 言いたいことを言って満足したらしいメイペスは、一転して落ち着いたようで、「それと、これはこちらの落ち度ですが、まずお食事を召し上がってください。折角の暖かいスープが冷めては勿体無いです」と皿を並べ始めた。

 俺は一連の流れに付いていきかねて「この状況で、飯?」と、思わず口にした。
 むう、と拗ねた表情を見せるメイペス。

 彼女の子供みたいにくるくる変わる表情は、見ていて面白い。
 そうか、子供なんだ。
 これまでの彼女の素直な表情に納得がいく。

 少々乱暴に配膳を始めているのは、照れ隠しなんだろうか。
「食事は大事です。毒は入ってません。大事な食事ですから」
 大真面目に返してくる様子は、レイノシュを見ているようで好感が持てる。

 その横で優男が笑いを堪えるのに必死になっている。
 笑ってていいのか?

 俺の腹の傷を考慮してあるのか、実のないスープだけが俺の前に置かれる。
 レイノシュには、丸い武骨なパンと具沢山のスープが用意され、一安心する。

 レイノシュは、俺の大事な友人だが、覇気のない見た目からか、時々下人のように麁雑に扱われる事がある。
 甚だ遺憾ではあるが、レイノシュ本人は目立たないことを常としており、自分の扱れ方に頓着していない。
 元来の綺麗な黒い波打つ巻き毛を、態々オレンジに染めているのは、俺にも隠している出自を誤魔化すためだろう。

 皿からスープを掬って口に入れる。
 温かい……が、それだけだ。
 不味くはないが、特別旨くもない。
「どう?」とメイペスが自信満々に聞いてくるが、ここで正直に答えようものなら先程のような剣呑な遣り取りが戻るのは、火を見るより明らかだ。
「……優しい味だ」
 と、無難に返すと、メイペスはどこか誇らしそうで、俺は自分の答えが及第点だったことに安心し胸を撫で下ろす。

「では、わたしからは伝えるべき事は伝えたのでこれでお暇します。食器は食堂に返して下さい。この建物内は好きに回っていただいて結構です。案内が必要なら一階にいる者を訪ねて下さい」と、言うとメイペスと優男は椅子から立ち上がった。
「侵入禁止場所はないのかい?」念のため聞くと
「見える秘密なんてないわ」と言って部屋から出ていった。

 何か突風みたいだな。
 呆気に取られるが、レイノシュを追及するのが先だろう。
 偽名の口裏も合わせなきゃだろうし。

 そう思ってレイノシュを見ると、目の前の食事には口を付けず、皿の中を匙で玩んでいる。
「口に合わないか?」と、俺が聞くと
「あ、えっと。ええ、まあ。他人の手が入ったものはどうにも」と苦笑いで済まなさそうに答える。

 レイノシュは特殊な力を持っている。
 超能力とか魔法にも思えるもので、俺が知る限りは、目視出来るものを意のままに動かす事ができる。

 俺の腹を塞ぎ、俺を背負って崖を登ったのも、その能力あってのことだろうと、容易に推測出来る程度のことしか知らない。

 俺が革命を奮起する少し前。
 レイノシュが道端に倒れ、飢えて死にそうになっていた処に出会したことで、知り合った。
 その時は俺自身も禄に食えない頃でもあって、与えることができるのは水だけだった。
 けれど、その些細な行為に恩を感じているのか、常に寄り添ってくれるようになった。
 類い稀なる力も然ることながら、知恵者で有り、何より彼の優しく謙虚な人柄は、革命という非日常を送る俺には心地よかった。

 それに、レイノシュの作る飯は旨い。
 お礼に、と振る舞って貰った飯に、俺が惚れたのだ。
 特殊な力なんぞない俺でさえ、不思議な力が漲る、と思えるくらいだ。

 レイノシュは、凡そ食事に対する顔とは思えない面白くなさそうな顔をして、具を避けスープのみに口をつける。

「……悪くはないけど、悪くはないだけだね」
「ん、それは、同意だ。レイノシュの飯が食いたい……」レイノシュにやっと安堵の笑みが出た。

「それより、窓の外を見てみて」
 食事を諦めたレイノシュは、匙を置いて窓を指差す。
 俺は言われるがまま腰を上げ、窓辺へ向かい外を見る。

「……何だ?こりゃ?」
 窓の外に広がる風景に、ただ絶句する。
 これは本当に映画の一場面だ。
 海と陸地の境界がはっきりと分かれていて、まるで雑に合成された画像のように見える。
 恐らく、その境界は断崖で、この地が他と交わっていないだろうことを痛感させられる。
 船が碇泊している様子がなく、港がない。

 見渡す限りの平地は、海に面した野原と、内側を大きく農地と牧場で分けている。
 農地は細かく区画され、多種多様の作物が整然と育っている。
 作業している人々がいるのに、屋舎はおろか民家は見当たらない。
 牛が放牧されている牧場には、牛小屋はあるようだが酷く古びた様式で、馬や他の家畜は見当たらない。

 ふと、窓から身を乗り出して自分のいる建物を見渡してみる。
「…………」
 この部屋は三階に位置していて、上階にはあと四、五階はありそうだ。
 ファサードの幅も非常に広く、窓から見える限りでは、その全貌を把握することができない。
 まるで巨大なビルのように、窓枠を越えて無限に続くように感じられる。

 古臭い様相の室内と、打ちっぱなしのコンクリートの外壁は、まるでちぐはぐで、時代が交錯しているような奇妙な違和感を感じる。

 牧歌的な風景にそぐわぬビル。
 その不自然さは、俺に不気味な感覚を呼び起こす。
「なあ、レイノシュ。今は21世紀だよな」
 目に見えるものを否定するため、レイノシュに問い掛ける。
 少し震えていたかもしれない。
「そうですよ、その証拠に、ほら空を見てください」
 レイノシュの指差す方に視線をやると、遠くの空にジェット機が飛行しているのが目に入った。

「そうだよな。タイムスリップとか、非現実なこと考えちまったよ…………理想郷って言ってたよな。ここは何なんだ?」
 問詰めるように聞こえなきゃいいが、俺なりに言葉を選んでレイノシュに訊ねる。

「お伽噺みたいな噂話です。理想郷を見つけた人の話を聞いてたんです。その人は自分には合わないと、そこを出たと話していました」レイノシュは俯いて、ぽつりぽつりと話し出す。その表情は見えない。

「出た?ああ、メイペスが言ってた永住しなかった奴ってことか?」
「おそらくは。このエデノって土地は、意外と存在を隠してないのですよ。永住か否かを選択できるせいか、永住しない選択をした人を時折見掛けるんです」そこまで言うと、レイノシュは顔を上げ、俺に視線を合わせた。
 何故泣きそうな顔をしているのだろう。

「この地上の何処かに楽園があるだろう、みたいなやつと一緒か?」漫画かお伽噺なら確かに大昔から蔓延はしている。何はともあれ、異世界何て突拍子もない話ではなさそうだ……だよな?
 だからこそ、メイペスが言っていたように、俺の半分ほどの体躯のレイノシュが半信半疑の噂話を鵜呑みにして、瀕死の俺を担いで連れてきた確実性は矛盾でしかない。

「一縷の望み……ってやつです」
 レイノシュは静かに言った。

 窓から覗く様子から、ここからでは確認し得ない陸路も恐らくは険しいものだろう。
 いくら、特異な力を持っているレイノシュとしても、楽な道程ではなかった筈だ。
 レイノシュはここに集落があることを確信していたのだろう。

「ま、いいか。暫くはここで静養するか。
 …………いや、出来るのか?メイペス……だっけ?かは働かせる気、満々だったよな」
 気の強い女性は嫌いじゃないが、お子様のご機嫌とりは面倒くさい。
「物怖じしない娘でしたよね」
 レイノシュは思い出して静かに笑っている。
「だ、な。使命感の塊みたいだったな」
「数日前に代替わりしたばかりのようです。ぼくたちがここに来た時は、パートロという男性でした」
「それとあの優男か?」
「いえ、女性の方でした」

 女性は名乗らなかったのだろうか?と、思ったが、そういえばあの優男も名乗ってなかったな。そういうもんなんだろう、と素直に納得した。

「名前といえば、何故偽名を名乗った?」
 ここは口裏を合わせるためにも、確認が必要だと感じて不躾だが訊ねる。
「正当性……からですかね。重傷の人間を赤の他人が連れていると、痛くもない腹を探られそうな気がして」
 なんか、煙に巻かれている気もするが、レイノシュがそうしたいなら任せよう。
「で、レイノシュは俺の弟なのか?兄なのか?」
「従兄弟ぐらいでいいですよ。今更、兄弟とか無理でしょう?」
「え?お兄様って言おうか?」
「却下」
 そう言うと、レイノシュは漸く声を出して笑った。

 一頻り笑った後、レイノシュは真面目な顔に戻り話し始める。
「念のため建物内を探索してみたのですよ」
「お、動いていたのか。どうだった?」

「この建物、インスラと言うらしいのですが、三千人ほどのエデノの者全員、この中で生活しているようです。皆、一階にある食堂で食事をとり、部屋には台所が個別に備え付けられていないように見受けられます」
「随分と非合理的じゃないか?三千人の毎食を賄うのは」

「部屋も殆どが一人部屋のようです」
「一つの建物に三千部屋有るのか?」
 レイノシュは頷いた。

「一階部分はほぼ食堂と浴場ですが、二階以上に比べ大きめの部屋がいくつかあるようです。中にまでは入れないので、扉の数で判断するほかないのですが。二階以上には小さめの部屋が一五〇前後あり、建端は二十階建です。恐らくは増設に次ぐ増設が行われたのでしょう。巧妙に入り組んだ造りをしています」

「そうまでして、一ヶ所に住まわせる意味が分からんな」
「共同生活に重きを置くか」
「何かあった時に一気に潰す、かだな。」
 俺は自分で言ったことだが、恐ろしくなった。何者かが手を加えなくても、直下型の地震なんぞ起これば一気に崩れるだろう。

「それはさておき、エレベーターがあります。電動でした。この部屋にはコンセントは一つも無いですけど。あと、天井の明かりも電気ですね。LEDライトです。熱を持ちませんから」
 俺はレイノシュ言葉に頭を抱える。
「何なんだ、一体」

 レイノシュが俺にリストバンド型の携帯を差し出す。俺の物だ。
「充電は、太陽電池でしておきました。想像つかれるかと思いますが、電波は入りません」
「これは衛星通信機器だぞ?」
 レイノシュは無言で頷く。
「中のデータは使えます。あと、映写機の方は使用可能でした。こちらも充電してあります」
 指輪型で石部分を映写端末として使える機器を渡された。
「ああ、ありがとう。しかし中のデータだけじゃ、ろくなことは分からんな」
「ですね。ネット社会の弊害です」
 レイノシュと目を合わせたら、何だか笑いが込み上げてきた。分からん同士が幾ら頭を合わせたところで、解決の糸口さえ見付けられない。

「あーもー。風呂いこうぜ、風呂。浴場があるんだろ?」
「ええ、一階に。タオルは貸してもらえるようでした」
「行ってみたのか?」
「はい。朝の八時から二十三時まで入浴可能のようでした。彼らの服も貸して貰えそうでした」
「?風呂に入る前に、誰かに声をかけるのか?」
「いえ、浴場に洗濯済みの服が置いてあり自由に取れるようです。着ていたものは浴場の所定の場所に置いておけば、洗濯してもらえそうですが。ぼくは前回、服だけ借りて、着ていたものは、そこで洗いました」
 レイノシュが指を指した場所に洗面台があった。
「洗面台は有るのか。しかし、どこまでも学校の寮か、牢獄だな」

「グレコ様は浴場まで、ぼくが前回お借りした服を着ましょうか。ここに来ていたときに着ていたものは、腹が裂けていて、血液は洗っても取れませんでしたから」
 あ、そいうや包帯でぐるぐる巻きにされていたから気にしてなかったが、下着姿じゃないか。こんな格好で、お嬢さんの相手をしていたとはとんだ変態だ。

「下着の替えは?」
「それが見当たらなかったんですよね。聞こうにも誰もいない時間帯――昼間を狙って行ったので」
 皆が、働きに出てる時間を狙ったというわけか。まあ、知ってはいても公衆浴場の敷居が高いのは納得する。

「考えても仕方ない。お、袖無しの貫頭衣じゃないか。これならなんとか……」
「ベストですね。下着がボクサータイプでよかったです」
 俺たちは人目につかぬよう、こそこそと部屋を出た。

「レイさんじゃないですか」
 浴場まで人目につかず来られたのも束の間、声をかけられた。
「パートロさん。お久しぶりです」レイノシュが答えた。メイペスの前の代の……役職は聞いてないな。ん。

「こっちのお兄さんも目が醒めてよかったです。おれはパートロ。メイペスの前の……まあ、世話役みたいな感じです」
 世話役なのか。にしては、メイペスはえらく刺があったよな、言わんけど。
 パートロは四十代半ばと云った処だろうか。
 優しげな面持ちで、どことなくメイペスの面影がある男性だ。

「わたしはグラスコ・グレコといいます」
 俺は取り敢えず、よそいきの体で答える。
 初対面だからな。

「聞きました。メイペスが失礼したようで申し訳ない」
 パートロが頭を下げてきた。
「売り言葉に買い言葉みたいになったので、お互い様です。こちらこそ、お嬢さんには色々、失礼しました」
 俺も、主に下着姿で対応したことを詫びて、笑顔で握手を交わす。

「浴場の使い方は分かりますか。外とは勝手が違うことが多いのでお教えしますよ」
 と、パートロに背中を押され、浴場に入った。

 脱衣場に入ると、広さにも驚かされたが、全体を行き渡る涼やかな風があることが気になった。
「エアコン?」
 俺が呟くと、パートロが
「はい、空調です。天井から全体に行き渡るよう常時稼働しています」
 と説明した。
 電気が通っていることは秘密ではないのだろうか?
「でも、あまり大きな声で言わないでくださいね」
 と、口の前に人差し指を立てパートロが答えた。
 公然の秘密というわけか。

 脱衣場にはロッカーが無く、ベンチだけが幾つか置かれて、湯上がりの人々が涼を取って休んでいる姿が伺える。
 壁には畳まれた服とタオル棚があり、脱衣用のリネンワゴンと並んでいる。

「広いですね。清掃が大変そうだ」
「交代でやってます。まあ、色々コツはあるんですよ」
 俺の他愛もない質問に、慣れているのだろうパートロが、的確にぼやかしながら答える。

「これだけの人がいると、何だか恥ずかしいです」
 とレイノシュは言いながら、俺の背後に隠れている。
「外から来られた方は、皆そう仰いますよ。なので、こちらへどうぞ」
 と、パートロに案内された先には小さく区画された浴場があった。

「グラスコ・グレコさんは怪我もあるようですし、こちらを使われてください。掃除は使用後にカランの水で流して頂ければ大丈夫です。湯船を使われるなら、ここの蛇口から温泉が出ます。それと、タオルと着替えはここに置いておきますね。ちゃんとグラスコ・グレコさんのサイズのものです。下着はこれなんですが、付け方は分かりますか?」
 と、渡されたのは一枚の布で、俺とレイノシュは首をかしげる。
「ふんどしです。こうやって、こうしてつけます」
 パートロは実演して、
「分からないことがあれば声をかけてください」
 と、大浴場へ去っていった。

「これが、下着だそうだ」
 と、俺が言うとレイノシュは俯いて項垂れて、「今だけ、今だけ」と呪文のように呟いている。
 いつも冷静なレイノシュとは思えない言動に、俺は吹き出す。
「グレコ様」と、赤い顔で睨み付けてもなんの迫力も無いのだよ。
 あんまり笑っていたせいだろう、べりっと音を立てて包帯を剥がされた。
 血液が付着していたのか、結構痛い。
「笑いすぎです」再びレイノシュに睨まれた。

 包帯が解かれ、自分の腹が目に入る。
 深々と、ナイフが刺さっていた、腹。
「傷口は塞がってるな。どうやったんだ?」
 答えてくれるとは思わないが、レイノシュに訊ねる。
「……その内、きちんとお話ししますから、今は勘弁してください」絞り出すような声でレイノシュは答えた。

 結局、湯船にお湯を張るのは結構な時間がかかりそうなので、今日はシャワーだけで浴室を出た。次はふんどしチャレンジだな。

 レイノシュは体を拭いたタオルに、手早く自分の着ていたものと俺の下着を包むと「行きますよ」と浴場を出ていった。

 俺は置いてけぼりですか?

2-2(3/8)

 俺が部屋に戻ると、レイノシュは窓辺で静かに外を眺めていた。
 既に陽が落ちかけていて、彼の横顔を朱く縁取っている。
 夕暮れ時は、寂しそうに見えてしまう。
 そんなことはない、と否定したいのは果たして恣意的だろうか。

「まだ、髪が濡れている」
 持っていたタオルで、彼の頭を拭くと、
「ありがとうございます」
 と、か細い声がタオルの中から返ってきた。

 ヘジム国では見ることの無い、艶やかで真黒な波打つ髪。
 彼は、態々オレンジに染めてまで、俺の影となり尽くしてくれていた。
 結果は、俺の甘さが招いた嘆かわしい現実。
 自業自得の俺など、捨てればよかったのに、我が身を削って助けてくれた。
 彼の、斑になった黒とオレンジの髪は、平穏の終わりを告げていて心苦しい。

「髪、色どうする?」
 拭きながら、巻き毛を整えていく。

「ここでは染められそうもないし、落ちるのを待ちます。……というか、あなたはぼくの髪を弄るのがほんと好きですね」
 されるがままにされているくせに、くすくすと笑いながら、憎まれ口を叩いてくる。

 レイノシュの髪を鋤いていると、ふとカトゥの事を思い出さずにはいられない。
 革命の前から、何時しか俺の回りを彷徨くようになった黒猫のカトゥ。
 結構な老猫だったが、一度餌をやってしまったら味を占められた。
 猫特有の気紛れで、稀に撫でさせてもらえる彼女の毛並みは、殺伐とした暮しの中の、一掬の癒しだった。
 革命が終わり、僅かにあった平穏の時に彼女を看取ってあげられたことは、唯一の救いだったのかもしれない。

 染めない、と言うレイノシュの言葉は、俺に思った以上の欣喜に満ちた感情を浮かび上がらせ、思わず髪を一房取って口付けようとしたら、
「……グレコ様、流石にそれは気持ち悪いから止めてください。ほら、食器も返さなきゃですし食堂に行きますよ」
 とするりと逃げられた。
 ちっ。

 レイノシュが逃げるように食堂へ向かう姿を追いかける。
 彼には、いつも緊張感が漂っていて、いつ解放されているのだろう、と思う。

 俺は、彼の友人面をしているくせに、その実、彼の深いところには一歩も踏入れていないことを思い知る。

 一階の殆どが食堂となっているだけあって、ホテルのパーティー会場のようにでかい。
 三千人をさばく都合上か、合理的にバイキング形式を取っているが、メニューは差程多くはなく、至って質素だ。
 パンと、野菜を煮たスープ。
 肉を焼いたもの。
 家庭の大皿料理を思わせる印象が強い。
 果物は、畑には見なかったものもあるようだが、輸入しているのだろうか?おおよそ外交しているようには思えないのだが。

 部屋から持ってきた食器を下げ台に返し、パンとスープを取って空席につく。
 また味気の無いスープかと思うと、気がが進まないが、テーブルには思いの外、多種多様な調味料が揃えてあって、レイノシュが細工しながら味を整えてくれる。ん、旨い。一手間って題辞なんだな。

「グラスコ・グレコさん、レイ・グレコさん、ご一緒してもいいですか?」
 パートロに声を掛けられたので、快く同席を許す。
「今、見ていたんですけど、レイ・グレコさんは何をされていたのです?」
 席に着くなりパートロに訊ねられ、まさか不味いから味付けし直していた、とも言えず考え倦ねていたら、レイノシュが話し出した。
「申し訳ないのですが、少々味が薄いようでしたので、整えさせて貰いました。テーブルに豊富に調味料や香辛料があったので勝手しましたが、問題ありましたか?」と、答えた。

「いえ、全く構いませんよ。そのための調味料ですし。ただ、手際が良いと云うか、手付きが良いと云うか。普段おれなんかは、こうばーっと掛けるぐらいなのに、色々やってたように見えたんで」パートロはレイノシュの手付きを真似してみている。

 レイノシュは、ごろっと入っていた野菜にナイフを入れたり潰したりして、塩や胡椒、スパイスなどで味を整えてくれていた。
 調理とまではいかないが、こうすることで『レイノシュの手が入った』状態にはなるらしい。

「元々ひとりひとりの味覚は違うので、殆どが味付けしてないのですよ。それもあり、テーブルに色々置いてあるわけなんですが……まさか、昼を届けた時メイペスは……」
 パートロの顔がみるみる青ざめていく。
「食事を持ってきてくれたな」
 俺が無愛想に言うと、パートロはテーブルにぶつける勢いで頭を下げた。
「それは大変味気なかったことでしょう。粗忽者で申し訳無い」
 出会ってからまだ数時間のはずのパートロだが、頭を下げるのを見るのは一体何度目だろう?

「謝罪していただく程のことではありませんよ。頭を上げてください。責任感に駆られた若人にはよくあることです」
 俺は紳士を気取って、定型文で返す。

「そういっていただけると、有難いです。メイペスにはどうしても、経験が足りなくて。最近では新来者も、そう多くはですし」
「元気な娘さんで何よりじゃないですか」
 あ、なんか親父臭い言い方だな、と思ったがパートロが意外そうな顔をして、俺を見てる。
 ?

「いえ、娘と言われたので。あ、ああそうですね。一般的に若い女性の意味もありますね」
「いや、メイペスはパートロの実の娘だろ?それとも、これも秘密だったのか?それなら差し出がましいことを言った。部外者が申し訳無い」
 俺は形ばかりの礼を取る。

「いえいえ、別に秘密ではないのです。皆、知っていることですし。ただ、外の人で気付かれるのは珍しいもので」
「そうか?パートロとメイペスは良く似ているぞ。顔立ちもだが雰囲気だな。メイペスも後、数年経てばパートロ位落ち着くんじゃないか?」
 パートロは嬉しそうでもあるが、どこか困惑している。まずかったんだろうか?

「そうですか、おれもまだまだですね。親子の感覚と云うのは、外の人程無いはずなんですが、どうしても気に懸けてしまう」
 苦い顔でそう言うパートロの方こそ、俺には不思議に思うが、どう考えても定番の言葉しか浮かばなかった。
「親子ってそんなもんじゃないのか。切っても切れない情ってやつだろ?」

 パートロは依然複雑な顔をしていたが、
「グラスコ・グレコさん。若し、気が向かれたらでいいのですが、明日、この階にある学教室にいらっしゃいませんか?勿論、レイ・グレコさんもご一緒に」

「学教室?」
 俺とレイノシュは声を揃えた。

「子供たちに読み書きなどを教えている、外で云う学校でしょうか。大人たちが仕事している間に、まだ幼い子供達を集めて面倒をみているのです。そこで、簡単ではありますがエデノのことを知って頂きたいと思いまして」
「でも、俺たちはまだ永住するか、は決めかねてるぞ?」
「構いませんよ。知ったからといって永住を強制はしません。来るものは拒みませんが、去る者も追いませんから」

 ◆
「むかしむかし、十五人の旅人がこのエデノにたどり着きました。
 そこには、広い野原だけが広がっていました。
 旅人たちは、もっと良い土地を作るために話し合いました。
 それは、何日も、何日も続きました。

 畑を耕し、牛や鶏を育て、インスラを作って、みんなで仲良く暮らしました。
 仲良く暮らすために、いくつかの決まりを作ることにしました。

 ひとつ、喧嘩しないこと。
 誰かが傷つくのはよくないことを知っていること。
 小さなことで争うことはあるかもしれないけれど、解決する方法を見つけよう。

 ひとつ、内緒にしないこと。
 嘘はつかないこと。
 信じるべきでないものは信じないこと。
 わからないことはすぐに聞いて解決すること。

 ひとつ、独り占めしないこと。
 大事なものを持っていても、ひとり占めしないこと。
 みんなで分け合って、仲良く話して理解し合うこと。

 これらを守れば、みんながもっと優しく、幸せに過ごせるよ」

 パートロの、淡々とした声が響く。

 俺は昨日パートロに誘われた教室に来ていた。
 レイノシュはまだ寝ると惰眠を貪っている、ふりをして何か暗躍してるんだろう。
 そういうやつだ。

 成程、綺麗事にも思える人間の究極の願い。
 それが出来れば、争いなど無用だ。

 けれど、人は独占する。
 貧しいときは慎ましく分け合えるのに、一度財を成せば、途端我が物と独占する。
 と、あれば。
 もしや人は、食うに困らない程度に貧しくあるべきなんだろうか?
 生きる意味とは、いったいなんなのだろう?

 思考は自然とヘジム国へと移る。
 俺には、きっと明確にこういう国にしたいというビジョンは無かったと思う。
 ただ、人が食うに困らなきゃいい、餓えなきゃいい、と思っていた。
 飢えが解消されれば、きっと人を傷付けることも、何かを奪うこともなくなるだろう、と。
 よくよく、甘いと思う。
 餓えから解消されれば、更に欲は増すのだ。
 あの国は、マルボナは、今どうしているだろう。
 と、思いはするが、裏切られた感も否めない。
 あの国は、もう俺を必要とはしていない。

 机や椅子が用意されていない部屋は、五、六人の十歳前後の子供が、自分よりもっと幼い子供たちの相手をしながら、床に座り込んで自由な姿勢で、パートロの語りを話し半分に聞いている。
 見るだに、幼い時からここに来ることで、慣れ親しんでいる話なのだろう。

 ここは、学校というより寧ろ学童に近い。
 保育園かもしれない。
 子供に遊び場を提供して、ついでに勉強する、感じだ。
 パートロは、本を読んではいるが読み聞かせとも違う。
 聞きたい子は、聞きなさい。
 それじゃあ、ラジオみたいだな。

「ん?じゃあ、お話しは退屈そうだし、算数やるか?」
 と、パートロが先生らしく言うと、子供たちは非難の声を上げる。
 どこに行っても、算数が苦手な子はいるもんなんだな、とおかしくなる。
 が、パートロの声を合図にしたように、子供たちの視線は俺に集まっている。
「足し算やりたい子ぉ」とパートロが言うときには、既に俺の前に子供たちは体ごと、集まっていた。

「ねえねえ、おいちゃん。あたらしいひと?」
 舌足らずな女の子に尋ねられる。
「うーん?どうかな?」と、言葉を濁す。まだ決めてないからな。
「うーん?どうして?」女の子は腕組みして、俺の口真似をしているようだ。
「うーん?どうしてかな?」それを更に真似してみる。
 うーん?と首をひねり、腕組みして見つめ合う。
 回りを見回すと、皆して同じ格好で、うーん?と言っている。
 よだれ垂らしてる、ちっゃいこまで。

「なーにやってんだ?」
 と、パートロに言われると、今度はパートロに向かって「うーん?」
 …………悪影響与えたんだろうか?パートロが困っている。

「ねえ、おいちゃん。かみ、きらきら!」
 最初の女の子が、真似っこに飽きたように寄ってきた。
「かみ?ああ、髪か」
 そういや、銀髪はいないようだ。
 茶色をベースにした髪色の子ばかりだな。
 黒っぽかったり、赤っぽかったりするけど。

「しらが?」とは別の男の子。
「なんだとぉ」男の子だったのでぐわっと腕を上げ、怒ったふりをしてみる。
 一瞬だけ、びくっと静まり反ったあと、「きゃあ」と、騒ぎだし……鬼ごっこが始まった。

 そんな様子を、怒るでも注意するでもなくパートロは眺めている。
 あの指針からすれば、怒ることはなさそうだと思った。
 子供たちの反応も、恐らく怒られたことはないのだろう。
 俺の顔を見て、笑いだしたのが何よりの証拠だ。
 何とも、常識が違っていて扱いに困る。

「はいはい。お昼ごはんの時間だよ。食堂で親が、待ってるよ」
「はあーい。ありがとうございました」
 声を揃えて皆が出ていく。
 軍隊のように統率が取れてる。
 それに、親とは何ともストレートな物言いだ。
「不思議ですよね」
 俺の顔色を読んだパートロが言う。

「話を聞かせてもらえるんだろ?」
「食事、してきます?おれはまだここにいますけど」
 パートロは後片付けをしている。
「飯……はレイ……が居ないから、まだいい」
「片付けを済ませたら、お相手します」
「じゃあ、トイレにでも行ってくるわ。それまでには終わるだろ?」
「そうですね。すいません、性分で」
 そう言われて、俺は部屋を出た。
 うーん……?

 ◆
 素直にトイレに行ったはいいが、ふんどしの扱いが分からず思った以上に手間がかかった。
 これで、まあパートロの片付けも終わってるだろう。
 部屋に戻るとメイペス来ていて、パートロとなにやら話している。
 おやおや、父親の顔してるじゃないか。

 ん?

「誰が、牛だって?」
 驚かすつもりで背後からメイペスに声をかけると、何の躊躇もなく、
「あなたが」
 と、答えやがる。

「これでも、一応、逆転の獅子とか言われていたんだけどな」
 自慢するわけでもないが、俺の名誉のために言っておく。
「しし?」
 メイペスは、ぽかんと口を開けている。
 え?何で?そこ、止まるとこ?

「エデノには、牛と鶏しかいないんですよ」
 と、昨日の優男が部屋に入ってくると、メイペスは途端、少女のような綻びを見せる。
 惚れてやがんのですか、と傍目でも分かる表情だ。
「アンスタウト。どうしたの?」
 優男はアンスタウトって言うのか。

 でも自己紹介はされてないし、貴族とかだとめんどくさいし、名前は聞かなかったことにしておこう
「あなたがパートロに会いに行ったまま戻らないので探しに来たんですよ」
「あ!そうだ。ごめんなさい……で、ししって何?」

 メイペスの質問に優男は
「人でない、動物の種類です」
 とだけ素っ気なく答える。
 それは説明なのか?と思うのも束の間
「……牛や鶏と違うの?」
 何故そこと比べる、メイペスよ

 疑問の行き先が、どうにも理解しがたいので俺は
「そもそもなんで、牛と鶏しかいないんだ?」
 と尋ねる。
「暮らすのに必要ないからよ」
 メイペスは自慢気に答えてきた。
「メイペス」
 パートロが、怒気を孕んだ、冷たい声で名前を呼ぶ。
「……ごめんなさい。…………で、ししって?牛より大きいのかしら?何をするの?」

 ん。悄気たカラスが、もう笑ってるな。
「獅子や何かするってことはない。強い動物の喩えだな。見た方が早いだろ。こんなやつだ」
 俺は、リストバンドの情報端末から、獅子の画像を映し出した。

「魔法?」
「いや、ただの科学技術だ。情報端末からの映像投影。これが獅子だ。」
 俺は、テクノロジーを見たときの様子を観察する意味で、ここにはないであろう物を見せたのだが
「……技術」
 と、メイペスは呟くと周りを見回した後、何事もなかったように映し出されたものに興味を持った。

「まあ、でっかい猫みたいなもんだな」
「ねこ?」
「猫もいないのか」
 俺は秘蔵のカトゥの画像と切り替える。
 どうだ、可愛かろう。
「で、このねこは何の仕事をするの?」

 え?猫に仕事?
「仕事はない。強いて言えば、家族の一員……癒しかな」
 俺は無理やり続けるのが精一杯だった。
 猫に?仕事?求めるか?

「これも仕事をしないの?家族って、外の人はこれを生むの?癒しって何?」
 ここの情操教育はどうなってやがる。
「疲れたとき、こいつが家に居たら可愛いだろ。気持ちを落ち着かせてくれる。あと、猫は人からは生まれない」
 すまん。パートロ。また、娘さんに喧嘩腰で話しちまった。

「疲れる?肉体が疲れたなら、お風呂に入ればいいわ。それでも疲れてるなら休めばいい。家族って、生まれた子供ではないの?気持ちが穏やかにならないなら、何故家族に拘るの?」
 これは、ちゃんと話を聞かないとこのエデノって処と、俺たちの世界の解離が分からん。
「家族にも、言えないことくらいあるだろう?」
 画一的な返答しか思い付かん。
「エデノで生まれた者は、家族では暮らさないけれど、共に助け合うわ」

 睨むように俺を見るメイペス。
 引くつもりはないようだ。

 沈黙の中、ぱんっと音が響く。
 優男、アンスタウトで手を叩いたようだ。
「このままでは押し問答が続くだけなので、一旦ここで終わりましょう。グラスコ・グレコはぼくと来てください。メイペスはパートロと反省会です」

 俺と優男は部屋を出た。

 ◆
「こちらにどうぞ」
 優男は笑みこそ浮かべているが、冷ややかな面持ちで切り出した。

 その前に。
 連れてこられた、ここは何処だ?
 エレベーターらしきものに乗せられたが、上下運動とは明らかに違う重力が、体にかかってたぞ?
 それを聞いてもいいものなのか?

「ああ、ここは僕の部屋です。インスラの、見えない最上階です」
 何を言ってるんだ?
 頭の中には次々に疑問符ばかりが浮かんで、二の句が継げない。
 と、片眼鏡を渡された。
 全くもって、時代の読めない土地だ。

「こうやって、着けるんです」
 眼窩に嵌め込まれる。
 と、眼鏡を着ける前には見えなかった物が見える。
 パソコンのキーボードだ。
 モニタは、プロジェクターで映し出されていて、やはり眼鏡がないと見えないようになっている。
 こんな技術、聞いたことがないぞ。

「メイペスたちがあなたの映写機に驚いてなかったのは、これを知っているからです」
 淡々と、キーボードを打ちながら優男が話す。
 指には、コードの付いた指輪が嵌められており、これが可視化されていないキーボードとの接続に必要な物なのだろうと理解する。
「こんな機械、見たこと無いぞ」
「ランデフェリコの技術です。外部には行き渡りません」
「この、エデノってのも十分奇妙だが、ランデフェリコてのも大概だな」
「……そうですね」

「で?俺に話とは?」
 機械自慢は男の子のロマンだが、これは違うだろう。
「エデノ、どう思われます?」
 どうって、昨日の今日じゃ奇妙な処としか思えない。
 いや、思想は立派だと思うよ。
 平和、平等に全降りなんだからな。

 時間の止まったような世界。
 なのに、ひっそりと見え隠れする先端技術。
 眼鏡フィルター掛けて、見るモニターなんざ、ただのSFだ。

 モニター。
 優男は何かを打ち込んでいる。
 注文書?「……って、これじゃあ……」
 俺の口から、考える前に言葉は出た。

「気付きますよね、この歪さ」
 優男の表情は、愉しく遊ぶ子供みたいだ。
「その前に、いいかな。俺はあんたのことを何て呼べばいいんだ?」
 別に声にしていたわけではないが、何時までも優男呼ばわりは気が引けて訊ねる。

 ぱたっと忙しなく動かしていた指を止めると、俺の目を探るように覗いてくる。
「そう言えば、自己紹介が遅れまして申し訳ありません。ぼくはランデフェリコ使者アンスタウトと申します」

「その、ランデフェリコって何だ?国名か?」
 思い切って聞くと、アンスタウトはきょとんと目を丸くしたあと、にっこり微笑んだ。
「それは、今は勘弁して下さい」
 と、モニタの方を見ろと指差している。

「これだろ?ここじゃ外の畑の作物以外、なにも作って無いってとこ。着るものや農具、調味料やスパイス。全部、外部からの……輸入ってことか?」
 俺は疑問に思ったことを一通り口に出してみた。
 だって、この優男ったら若気るだけで、ちっとも自分から喋ろうなんて思ってないんだもの。

「輸入なんてありませんよ。全てランデフェリコから運び込まれた物です」
 アンスタウトは至って冷静で、この世の当然のルールのように語っている。

「はあ?」
 考えるより先に、驚きと疑念が交錯して、素っ頓狂な音が漏れてしまった。
 それが事実なら驚天動地ってもんだ。

「それで、それを俺に教えてどうすんだ?俺はまだ、ここに住むなんて思ってもないぞ」

「そうなんですか?残念。てっきりメイペスに関心があって、留まるのかと思ってました」
 含み満載の若気顔で、俺の反応を楽しんでやがる。
 その手には乗るもんか。

「なに言ってんだ?あのこはまだ子供じゃないか」
 大人の余裕を見せ付けてあげよう。
 第一あのこの頑なさは、それを開いてあげようと思う程、生ぬるいものでは無いし、そうする魅力は今のところ感じない。

「失礼な。ぼくの許婚ですよ」
 アンスタウトはあえて誇らしげに、肩をすくめて言った。まるでこれが一番面白い部分だとでも言わんばかりに自慢気だ。

「なら、余計薦めるな!」
 ああ、気持ち良く突っ込んでやるとも。

 ただ、くすくすと笑うアンスタウトの目にはいたずらっぽい輝きが浮かんでいるだけだった。

「メイペスはパートロとヴレノシュの子供なんです」
 唐突に笑い声を収め、笑みを浮かべた真顔でアンスタウトが喋り出す。

「あん?パートロがそんなこと言ってたな。ここの地は、なんか親子関係って重要視してないんだろ?」
「まあ、それはそうなんですけど。親子であっても戦争することがあるから、争いの種の内てことですね」

「争いってのに、えらく固執してるのな。こう言うのも何だが、戦争ってのも必要悪だぜ?」
 俺がそう言うと、アンスタウトは笑っているのに酷く寂しそうな顔で、黙り込んでしまった。

 と、一転
「まあ、今は一旦その話は置いといて貰っていいですか?お望みとあらば、そのうちお話しする機会もあるかと思いますので」
 両手で荷物を横にやる仕草をしながら、アンスタウトが戯けて続ける。
「ヴレノシュて、ぼくの前任なんですけどね。ほぼ親子みたいなもんなんですけど、メイペスと子供を作っていいと思います?」

 本気と冗談の狭間みたいな顔してぶっ込んで来やがった。

「それこそ、俺に聞いてどうすんだ?」
「第三者的御意見がお聞きしたくて」
 子供電話相談室の子供の顔が見られたら、こんな顔してんじゃないか?というくらい、期待に充ち充ちた顔のアンスタウト。

 俺は出来るだけ冷静を装って先ず訊ねる。
「えっと、そのヴイレノシュとアンスタウトお前さんの関係は?」
「親が同じ?」
 可愛らしく小首を傾げているが何故疑問符。
 自分の事だろうに!

 俺は二の句が継げなくて、ただアンスタウトの顔を見入るしか出来ずにいた。
「そんなに見つめないで下さい」
 両手で頬を押さえ、俯いて照れた振りをするアンスタウト。

「お前さんはどんな答えが欲しいんだ?」
 俺がそう言うと、掌からゆっくりと顔を上げ表情を変えずに俺を見てくる。
 暫くそうした後、言葉を探すように考え込み、瞳だけが上や下に動き頭の中で忙しなく推敲しているようだ。

 慎重に言葉を選んでいる。
 そう感じた。

「理解……真実……どれも違う。なんだろう。ぼくは何が欲しいのだろう?」
 迷子の子猫みたいな瞳。
 ……ダメだ。
 男でも女でも、こんな眼で見られたら何でもしてやりたくなるじゃないか。

「何処まで話せるんだ?それ次第だ」
 俺は腹を括った。

3(4/8)

 メイペスは五里霧中を漂っていた。

「ねこ……しし……鍵……家族……」
 ベッドに腰かけて、今日一日の事を思い出しながら、呪文のように繰り返している。
 どうやら、部屋に入ってきたアンスタウトにも気付いていないようだ。

 メイペスの隣に腰かけたアンスタウトは、ぶつぶつと霧の中を模索している様子を、微笑ましく眺めている。
「反省文、書く?」

 必死に笑うのを押し殺しているのは一目瞭然のアンスタウトに、メイペスは恥ずかしさを隠すためだけに、真っ赤な顔をして迫力なく睨み付ける。

「何枚書きましょうか!」
 意固地になって立ち上がるメイペスの手を掴み
「ごめん、ごめん。誂っただけだから。それとも、ホントに書く?」
 アンスタウトの言葉に、何処までも本気なのか冗談なのか分からなくて、メイペスに戸惑いが浮かび出した。

「ごめんね。誂いすぎたね。座って」
 甘く低い声で、落ち着きを取り戻したメイペスは、アンスタウトの隣に座り直す。

「今の状態で、反省文だけ何枚書いたって、何の解決もしないでしょう?話してごらん」
 アンスタウトは笑みだけを残した面持ちで、メイペスを見詰める。

 ほら。
 アンスタウトの青いガラス玉に私が映っている。
 青?
「……アンスタウトの瞳って、青かったんだね?」
「そうだけど、それが聞きたいこと?」
「初めて見た時は、紫に見えたから不思議だなーと思って」

「夕焼け時だったから、光が反射してたのかな?」
 少しだけ考えて、アンスタウトが答えた。
「ほぉ……なるほど……」
「で?」
 と、アンスタウトに促される。

「アンスタウト、子作りしよう!子作りしなきゃ!」
 アンスタウトの両手を握り締めて、メイペスは勢い良く話してくる。

「メイペスは子作りの事は、分かっているの?」
「もちろん、ヴイレノシュに教えて貰ったわよ。整合と、先ずやるべき事!卵子と精子を結びつけて、子供を作る。それぞれが重要な役割を果たしていて、どちらも欠けていては、命は生まれないんだ。それには……」

 続けようとするメイペスをアンスタウトは止めた。
 メイペスの唇の前に、すっと人差し指を一本立てて。

 ふう、と息を付く音がメイペスの耳に届く。
 アンスタウトの表情はまるで読めない。
 呆れてるのか、それとも茫然としてるのか。
 沈黙は、メイペスの思考を掻き乱す。

 ああ、やっぱりアンスタウトの瞳は素敵だ。
 沈黙に耐えきれなくなったメイペスは、アンスタウトの瞳の中の自分と見つめ合う。
 青い、私。
 と、私は見えなくなって、額に柔らかいものが当たった。

 アンスタウトの顔が近づいていたのだ、と気付いた時には、既に彼は立ち上がっていて
「おやすみ、良い夢を」
 と言うと部屋から出ていってしまった。

 あれ?アンスタウト、子作りは?

 取り残されたメイペス。
 暫く途方に暮れていたが
「今日は気分が乗らなかったのねっ」
 と、ベッドに潜り込んだ。
 一人で。

 ◆
「アンスタウトが子作りしないのよ」

 朝の食堂。
 アンスタウトとパートロは兎も角、何故グラスコ・グレコとレイ・グレコも同じテーブルに着いているのかしら?
 昨日の、お話し合いで仲良くなったのかな?
 それは、何より。
 永住してくれたら良いなあ。
 その暁には是非、牛と。

 と、思いつつもパートロの顔が目に入って、口を出たのが「子作り」だ。

 パートロは呆気に取られてるみたいだし、
 アンスタウトは既に見馴れた苦笑だし、
 グラスコ・グレコは咳き込んでるし、
 レイ・グレコはグラスコ・グレコの介抱で、水やら布巾やら取りに走り回ってるし。

 変なこと、言ってないよね?

 はあっ、と聞えよがしな溜息を漏らしたパートロが
「すいません、グラスコ・グレコさん」
 盛大に吹き出したのも、テーブルが汚れたのもグラスコ・グレコがやったことなのに、パートロはレイ・グレコと片付けしてるのよ。
 益々、何でだ?
 謝るようなこと、言った?

 沸々と目の奥が熱くなっていく。
 の、だけど。
 混乱した頭が一つの可能性を導き出した。
 そうよ!

「グラスコ・グレコさん。あなたはまだ知らないでしょうが、人には次の世代を作るための義務があるのよ。それが、男性と女性がそれぞれの役割を……」
「わかったから!少しは慎め!」
 グラスコ・グレコが血相を変えて言葉を遮る。

「慎め……って、あなたが知らないと思ったから話しているのに。知らないことを知るのは悪いことじゃないわ」
 というメイペスの顔は、明白に不貞腐れて唇を噛んでいる。

 分かんない!
 解かんない!!
 判かんない!!!
 わかんない!!!!

 ぽんと、頭にパートロの掌が乗っかって
「子作りの事を、不用意に公然で口にするのは、外の人からすれば動揺することなんだよ」
 と、先生の時の口調で言われた。
 これは、お説教モードに移行する可能性があるわね。

 ふと、目に付いたのは、アンスタウトとグラスコ・グレコがこそこそと耳打ちしている姿。
 いつの間に、そんなに仲良くなってるのさ。

 スプーンでスープの皿を玩ぶ。
 食事は大事なのに。
 大事な食事なのに。
 一向に匙は進まず、ごろごろと転がる野菜たちを眺めてしまった。

 すっ、と新たなスープの入った皿をパートロが差し出してきた。

 自分が取ってきた分さえ、完食出来かねているのに、何故だろう。

「食べてみ?」
 パートロは、先生の時とは又違う、優しい顔をしている。
 ずっと前、見た気がする。

「……!何これ?」
 スープを口にした瞬間、声が漏れる。
 皿は見馴れたお皿なのに、中身は見たことがない。
 いつもは、ごろごろの野菜が細かくされ、心なしか匂いも違う。
 調味料をかけても、こんな味は知らない。

「レイ・グレコさんがやってくれたんだ。外を知るって、こういうことじゃないか?」
 パートロの言いたいことが、何となくわかりかけた。

「御馳走様でした」

 メイペスは両手を合わせ、空になった皿に深々と頭を下げる。
 美味しゅうございました。

 さて。

 どうしたものか。
 私にはどうやら、まだまだ知らなきゃいけないことが山ほどあるみたいで、何処から手を着けよう。

「では、メイペスは反省文の続きから着手しましょか」
 アンスタウトが、涼しげに言う。

 反省文は絶対なのね、とは思ったが、きっと考える時間を与えてくれるという配慮なのだろう。

「パートロ、お付き合いしてあげてくださいね」
 アンスタウトと詰めなきゃいけない気がするのに、彼はパートロに話を振った。

「いや、今日はおれは玉蜀黍が…………」
 と、もごもごと言い訳をしているパートロに
「ね」
 と、アンスタウトは静かな圧力かけた。

 パートロはメイペスの前任なのだから相談に乗るのは適任だろうけど、任を退いたからには彼は彼の仕事がある、はずだ。

 当のメイペスも、仕事を擲ってまで自分に付き合わせるのは居たたまれない。

「一人で、頑張ってみるよ?後で聞いて貰えればいいし」
 それまでの得手勝手と裏腹に、神妙にメイペスは答える。

「……わかった、付き合うよメイペス。おれの指導不足もあるしな。その代わり後で玉蜀黍の収穫、手伝えよ」
「えっ。それは勿論だけど、玉蜀黍が先でもいいのに」
 問題を先送りたいが故の発言を察したアンスタウトに
「反省文が先です」
 と、釘を刺されてしまった。

 子作りのが先じゃない?

 ◆
 パートロの後ろについて、とぼとぼと学教室まで来たら、リタフォが今日の当番をしていた。
 みんな働いているのにと、むくむくと頭にわき出るが、これが駄目なんだわっ!
 気合いを入れるために、自分の両手で頬をぱんっと叩く。
「何やってんだ?」
 パートロに冷静に指摘された。
 あう、痛い。

「何の音?あら、パートロにメイペスじゃない」
 部屋の中からリタフォが顔を出した。
「ああ、リタフォ。すまんが隣貸してくれ。と、今日の……」
「収穫ね。やっとくようにミリタフに言っとくわよ。だから心置きなくメイペスを説教しなさいな」
 くすくすと笑いながら、リタフォに誂われて悔しいメイペスは口を尖らせている。
「もう、リタフォ私が子供達みるから、代わってよぉ」
「出来るわけないわよ。把握の代わりなんて」
 けんもほろろで、取り付く島も無い。

「諦めろ、メイペス。じゃあ頼んだなリタフォ。ミリタフにも宜しくな」
「ええ、宜しく頼まれたわ。メイペスが駄目なんだろうけど、お説教も程々にねパートロ」
 そういうと、リタフォは部屋の中に手を振りながら入っていった。

 リタフォは、旅人の末裔の一人でメイペスより十二歳年上の女性だ。
 旅人の境遇を一緒に聞いて、二人して抱き合って泣いた。
 あれから、一年たつのだな、と思う。

 パートロは何でリタフォに【把握】を継がなかったのだろう。
 リタフォがミリタフと子作りするのを、止めることだって出来たはずなのに。
 そりゃ、ちょっとだけ年嵩かも知れないけど。
 子供を生むには十分だ。

 ヴイレノシュの任期切れは判っていたはずなのに、どうにも解せない。

「まーた、迷子になってる顔だぞ」
 パートロにぽすっと、頭に手を置かれ、取留も無い思考の海から醒める。
「う゛う゛」
 言葉にならない声がメイペスから発せられて
 パートロは苛めている気分になる。

「メイペスが知りたいって思うことを紙に書いてみろ。待ってるから」

 パートロはそう言うと、紙とペンをメイペスの前に置き、窓辺へと移動すると椅子に座って外を眺め出した。

 パートロはパートロで、そういやグラスコ・グレコと話すというのも有耶無耶になっていたけど、今朝のアンスタウトとの様子を見るだにアンスタウトが上手いことやってくれたのかな、と思うことにした。
 おう、丸投げされたから、丸投げしてやる。

 そんなパートロを見たメイペスは、玉蜀黍の収穫をしたいのよね、と明後日の方向に思考を飛ばし、「私、やるわ」と妙なやる気だけを漲らせ、ペンを取った。

 兎にも角にも、知りたいことを書き出すのよっ!と、走らせるペンは、先ず【把握】と書き出し、一瞬躊躇してその字を塗り潰した。
 違う。これは解ってなきゃいけないことだ。

 ねこ、しし、かぎ。
 昨夜、アンスタウトに聞きたかったこと。

 家族、癒し、子作り、把握。
 だから、把握は違うって。
 再び、把握の文字を塗り潰す。

 ああ、そうだ。
 ランデフェリコの技術と似たようなやつ。
 グラスコ・グレコはランデフェリコから来たわけではない筈よね?
 眼鏡を使わずに見ることが出来る、あれ。
 ん。

 永住、する、しない。
 エデノの外、把握。
 無意識に三度、把握と書いて、もしかして実は、私は【把握】の事を一番知りたいのか?と思い、塗り潰した。

「どうだあ?」
 どれくらい、紙に向かっていたのだろう。
 ぼんやりしたパートロの声で、意識が引き戻される。

「…………パートロ、寝てたでしょ?
 目は虚ろだし、何より口!よだれ!」
「まあ、それはそれ。書けたかあ」
 睨み付けるメイペスをものともせず、紙を取り上げる。

 紙をさっと読んで、塗り潰された【把握】に気が付いたパートロは、
「さあ、一つずつ潰していこうかあ?」
 と、いつもと変わらない間延びした、穏やかな口調で言った。

 ◆
「さて、先ずは……猫と、獅子か」
 本来は別物だが、メイペスには取り敢えず人と牛と鶏以外の認識をさせないといけない。
 だから、一緒でいい。
 パートロはメイペスより先に、自分を納得させる。

 メイペスの向かいに席を取り、テーブルの真ん中にメイペスの書いた紙と、白紙を並べる。

「先ずな、外の世界に、動物……生物……動いているものって、どれくらいいると思う?」
 パートロは、自分がヴイレノシュに聞いた時はどうだったかを思い起こす。
 人と牛と鶏以外に、生きているものがいると云う理から始まる。

「動いているもの?牛と鶏と、昨日聞いた『ねこ』と、『しし』?他にもいるの?三十くらい?」
両手を広げて、両足を上げている。
足は靴で見えないが、恐らく指を広げているのだろうなあ、とパートロは呆れる。
メイペスが思う、最大数て、三十なのか?
おれは、ここから先が、気が重くてしょうがない。

「七百万くらいの種類があるそうだ」
「ななひゃくまん?」
 それが何を意味しているのか解らずに、メイペスはただ鸚鵡返しする。
 やっぱり、数の単位からだ。
 これだから、算数はちゃんとやっとけと言ったのに、後悔先に立たず。
 これから一体、溜め息を何回つくことになるのか謎だけど、パートロは記念すべき一回目の特大の溜め息を放った。

 まず、万を理解させる。
「…………沢山てこと?」
「もう、それでいい」
「そんなに沢山、覚えていられるの?」
「覚えることはないだろう。メイペスの言葉を借りれば自分に関係あるかどうかだ。それに七百万ってのは、人に見つかっていない、名前がない、ものも入ってる」

「仕事はするの?」
「それなんだけど、メイペスの考える仕事ってなんだ?」
「人が生きるためにすること?」
「だな。そう言う意味では彼らは仕事しない。自分が生きるために仕事をする」
「同じことではないの?」
「メイペスの云う仕事は、『人間のため』だ。けど、それこそ獅子なんかは自分が生きるためだけに働く」

「ななひゃくまんが?」
「大きさが色々ある。牛の何百倍もあるものや、目に見えないくらい小さいものもいる」
 ん。メイペスは既に混乱の極致で目を回しそうだ。

 ヴイレノシュにも、おれはこんな風に見えてたのかな……いや、違う。
 もっと理解できていた筈だ、とパートロは自分に活を入れ直す。

「あ、海で見る、にょきにょきしてるやつや、空を動いてる黒いやつとかも動物?」
「海は、水面から跳ねるのがいるから、そうかも知れないな。空は違うかもしれない。動物もいるが、技術の時もある」
「ランデフェリコの技術みたいな?」
「今日は動物で限定しとこう。技術の話にまでなると、メイペスの頭が破裂するかもしれん」
「ポップコーンみたいに?!」
「あ、そうそう。ぱーんと弾けるぞ」

「ひあ……」
 メイペスが、頭を抱えて小さく震える。
 いかん、びびらせ過ぎたか?と、その様子に怖じ気づいたパートロは、
「やめとくか?」
 と、メイペスの顔色を伺う。
「や。やり遂げてポップコーン食べるんだ」
 明後日の方向向いていた着地点は、来年に向かっていたらしい。
 うーん、今日の収穫は食用の玉蜀黍だと言いにくいぞ?とパートロは思った。

「次は……鍵、か」
 また、難しいな。
 パートロは首を捻る。
 固有のものを持つことを良しとしないエデノの価値観に、鍵か。

「だって面倒なだけじゃない?外の人が来たときに入る部屋には『かぎ』はあるけれど、永住を決めた人の部屋にはないわ」
 メイペスは得意気に云うけれど。
 パートロは、それでも永住を決めても、鍵が無い事に納得して貰うまでは、それなりに骨は折れたんだけどな、とは思う。
 論点はそこではないのだろうことは分かっている。
 分かっているとも。

「先ず、金ってあるだろう?」
「作物とかと交換する謎の物体ね。紙や石と交換するんでしょう?」
 やっぱりここからか。
 パートロは頭を抱える。
【把握】を引き継ぎ時に、説明はした筈なんだけどな、飲み込めていないらしい。

 で、繰り返し教えた筈の金の価値から話す。
 作物と金が同価値と納得できず、そこばかりが繰り返される。

「分かったから。メイペスが分からないのは分かったから。ここは、一旦金ってのが持ち運び便利な作物と云うことで納得して貰えないか?」
 パートロは自棄っぱちで言うと

「わかった、一旦沢山の持ち運びに小型化した玉蜀黍と思うことにする」
 ……メイペスの頭は既に玉蜀黍で埋まっているらしい。
 今日の玉蜀黍は、爆裂種じゃないといつ言おう。

「で、金。これは玉蜀黍と違って持ち運びが便利なんだよ。なんたって土は付いていない。皮は向かない。それを、独り占めしたくなる人間てのがいるわけだ」
「独り占めは……」
 メイペスは、顰めっ面が外れなくなっている。

「ん、独り占めはよくないぞ。でも、外にはそんなやつがいるんだよ。ミリタフが言っていただろう?」
 メイペスは、旅人の話を聞いた直後のように泣き被っている。

 ミリタフはメイペスが初めて向かえた新来者だ。
尤も、メイペスはあくまでもお手伝いだったのだけど。

 ミリタフは懸命働いて貯めたお金を、根こそぎ盗られた。
 家庭を作って家族になるために、それは頑張って貯めたお金を、家族になりたかった人に奪われた。
 ミリタフが家族になりたいと願った人は、既に怖い家族があったのだ。

 その事で国に居られなくなって、逃げ出して、エデノに着いて、リタフォと仲良くなって子供を作った。

 やっぱり、家族とか金とかろくなもんじゃない、と言いたそうにしているメイペスを余所目に
「だから、鍵をかけるんだ。独り占めに見えるかもしれないけど。悪い人から、大事なものを盗られないように」

「ミリタフは鍵をかけていなかったの?」
 困った。
 それはそれで、別問題だった。
 そう来たか、とパートロは二回目の溜め息をついた。

「まあ、いいわ。外の人はとにかく、鍵をかけたいものなのよね」
 と、考えることを放棄したメイペスが言った。
 考えても分からないから、そういうもんだ、と納得する道を選んだらしい。
「それで、いいのか?」
「そのうち、分かればいいことなのかな、と理解した」

 我が子がやっと立った気がしたパートロだったが、メイペスが記した紙を改めて見ると、家族、癒しとあり頭を抱えた。

 メイペスは、善くも悪くもエデノの子だ。
 そうなるように、育てたのはおれ達なのだから、きっと紛れもなく“成功“なのだ。
 奇しくも、エデノには無いものが多すぎると口にしたのは、昨日のおれだ。

 だから、だけど。
 これはアンスタウト、お前の仕事じゃないのか!
 少なくともおれは、ヴイレノシュに聞いたぞ!
 パートロはここにいないアンスタウトに八つ当たりすることで、気分転換を図った。

「大丈夫?元気ないよ?」
 無邪気に顔を覗き込んでくるメイペス。
 ん。悪気なんでこれっぽっちもないのだ。
 知ってる。
 分かってる。
 だからこそ、知っていて欲しいし、分かって欲しい。
 目に見えない、情ってやつを。

「パートロぉ、収穫に行く?」
 メイペスは、考え込んでいるパートロを気遣う風、に見せかけて玉蜀黍にご執心だ。

「いや、続けるよ。家族と癒しは後回しにして、【把握】、いこうか」
 パートロがそう言うと、メイペスの顔がさっと曇る。
「え、あ、う、それは、えーと」
 誤魔化したいのだろうけど、同じ文字を三回塗り潰していたら、気にならない訳がない。

「ごめんなさい」
 メイペスは、俯いて、小さくなって。
 その気の強さから涙ぐみもしないが、ぎりぎりなのは見て取れる。

「何をそんなに怯えてるんだ?知る事も、知らない事も何も悪いことじゃない。さあ、何が疑問なんだ?」
 パートロは、あくまでも優しく穏やかに、包容するかの口調を意識して言った。

 恐る恐る顔を上げたメイペスは、
「何でリタフォじゃなくて、私なの?」
 と、彼女らしく真っ直ぐに疑問をぶつけてきた。

 そもそも、【把握】と【整合】と対である。
 エデノとランデフェリコを繋ぎ、子を成し次世代へ送る。
 それだけ。
 書類仕事をすることが多くなるが、農作業もある。

 エデノで唯一、希望することの出来ない仕事。

 初めの旅人の血を引く者の中から、二十年で交代する【整合】に合わせて、子が成せる年齢の者が選ばれる。
 該当者が複数人ならば、前任者からの指名だ。
 それを一々否定する者はいない。

「メイペス。【把握】をやるのは辛いか?」
「え?それは全然、大丈夫」
 パートロはメイペスの即答に、一先ず胸を撫で下ろす。
「それは何よりだ」
パートロの顔に、自然に溢れる綻び。

「で?なんで私だったの?」
……メイペス。お前に期待した、おれが愚かだったのは知ってるさ。

何故と聞かれれば、それは情だ。
おれと、ヴイレノシュの子。
おれが知れた全てを、ヴイレノシュの紡いだ全てを教えたい。
それをメイペスに言えば、素直に納得はするだろう。
でも、言葉を理解して欲しい訳じゃない。
言葉では言い表せない、想い。

何の柵さえなければ、別にリタフォで構わなかった。
まだミリタフもエデノにくる前だったし。

「んー。お前が抜けてたからかな?」
うんと遠回しに、メイペスに答える。
誰よりも従順で、頑ななエデノの子。

「なにそれ」
案の定、メイペスは不貞腐れてやがる。
お前の将来を憂いた『父さん』の情だよ、と外の人ならばそれですむ答えなのに。
知らないと言うのは、なんとまどろっこしいのだろう。

「お前の、知識欲に賭けたんだよ」
何て、綺麗事だけメイペスに伝える。
こう言っとけば、悪い方に突っ走っても、『何か』を掴んでくれるかもしれない、賭け。

思い切り唇を結んで、眉間に皺を寄せて、答えを探しているメイペス。
「取り敢えずパートロは、私でいいと思ってくれたってこと?」
漸くたどり着いた答えは、おれの思惑とは少しずれている感じだか、いっか。
「お前、いいと思ったんだよ」
どうか、綻びに気付いておくれ。

家族は、時に歴史的悲劇にも発展するけれど。
エデノでは、皆が平等で暮らせるけれど。

独り占めは、時に決して悪いことではないってことに。

「ところで、パートロ。収穫する玉蜀黍は食用でしょ?保存庫に爆裂種はあったかな?」
と、問うてくるメイペスに、パートロは安堵と、怒りと、入り交じった複雑な心境に陥った。

「まず、メイペス。食用玉蜀黍の収穫だと言うことに気付いたのはエラい。褒めてやる」
長いこと皺を寄せていた眉根が綻ぶ。

2、と指を立てたパートロは、怒っている。
メイペスは、きょとんとその顔を眺めて、気がつく。
「あー!」
「そうだ。保管庫に何があるか【把握】するのはお前の仕事だろう!」
「そうです!あります!ポップコーンは作れます!」
 若干、食い気味にメイペスが即答する。

「仕事は、してくれよ」
 パートロは呆れて、吐き出した。

4(5/8)

 木製の地球儀とか、天球儀何かあったら、本当に映画の魔法使いの部屋だよな、と思う。
 違うのは、埃の臭いが無いこと。
 そして、机。
 一見、木製のだが、明らかに違う。

「気になりますよね」
 アンスタントが、徒に微笑みながら言う。
「気になるって言えば、答えは貰えるのか?」
「さあて、どうでしょう?」
 試すような声音はレイノシュと良くにている。
 ……
 そっと手を伸ばし、アンスタントの髪に触れる。
「なんですか、それ」

 金色と黒色の違いだけで、アンスタントとレイノシュの髪はまるで同じだ。

「…………」
 沈黙を破ったのは、アンスタント。
 
「その事は、またの機会にお願いします。今は……」
 どの事だ?と思わなくもないが、俺がここに居るのは、近親婚というモラル的にも、生物的にも難問に立ち向かうためだ。

「その、なんだ?メイペスの親と、アンスタント、お前さんの親が同じっていうのは、メイペスはお前さんの姪ってことになるのか?」
「……どうなんでしょう?生物学的には限りなくそうなんでしょうけど……今から、ちょっと気色悪い話になりますけど、いいですか?」
「どの方面にだ?あまり、血みどろのスプラッタとかは得意じゃないが」
「スプラッタではないですね。倫理的にです」
「…………き、聞かせて貰おうじゃないか」
「あのですね……」

 俺は何で聞いてしまったんだろうと、後悔した。

「……で、あいつらはそれを知ってるのか?な、訳もなさそうだが」
「知りませんね。彼らはぼくたちの出自に関心はないはずです。受け入れるだけですから」
「お前らは、神にでもなるつもりなのか?昔の王様みたいに」
「大きなお墓たてて?違いますね。寧ろ神は否定されてる」

 もう一人、誰かいるのが見える。
 けれど、その事には触れるつもりはないらしい。
「これでも、申し訳ないとは思うのですよ。核心をお話しせずに、聞いて貰ってるのですから」
 アンスタウトは無理して笑っている。
 その顔は、レイノシュと重なる。
 と、いうか…
 俺は思わず目を擦る。
 いや、違う人間だ、と言い聞かせる。
 どうかしてる。
 アンスタウトとレイノシュが似て見えるなんて。

「眠たいですか?」
「いや、そうじゃない…」
 言葉半ばに、この部屋には似つかわしくない音が突然鳴り響く。
「何だ?!」
 アンスタウトはキーボードを操作して現状を確認しているようだ。
 俺はどうすればいいのか戸惑っていると
「そこにあるグラスを着けて、モニターを見てください!」
 先程までの調子の良い口調とは打って変わって緊張した声で指示される。
 慣れぬ手付きで片眼鏡を嵌めて、モニターを見る、と。
「マルボナ・ユウロ……」
 俺は目にしたものが信じらなかった。
 なぜやつが、ここにいる?
「侵入者です。行きますよ」
 モニターのマルボナは、崖を登ろうとしていた。
 もしリアルタイムの映像なら、まだこの地には着かないだろう。
 アンスタウトは俺の手を掴んだ。

「行きますよ!」
「どうやって!」
「走るしかないでしょう!」
 アンスタウトが焦っている。
 初めて見る、動揺が隠せない表情。
「ちょっと待て」
 と、俺は腕の端末に話しかける。
「レイノシュ、ここに来い」
「え?無理ですよ、ここは…」
「何勝手にばらしてるですか。他人がいるならそう言ってて下さらないと困ります」
「え?」
「話しは後だ。レイノシュ、これつけて、ここ見ろ。悠長なこと言ってられなくなる」
 と、俺は自分のしていた片眼鏡をレイノシュへ渡す。
 意外にもレイノシュは付け方を知っているようで、何の戸惑いもなく装着した。
「マルボナ…なぜここが…」
「行くぞ」
「…もしや、これもですか?」
 と、アンスタウトを指差すレイノシュ。
「後で話すことがひとつ減ると思え!」
 レイノシュは大きなため息をつくと、
「僕は何も話しませんよ」
 と、俺とアンスタウトの腰を両脇に抱えると、“移動”を始めた。

 レイノシュの“移動”は、彼に言わせると『飛んでもなく速く走っている』らしい。
 “速い”ことで、物理的にも壁や床、天井を通り抜けて見える、らしい。
 そんなものなのか?と疑問には思うが、原理は彼にも分からない、と煙に巻かれていてそれ以上追求させてはもらえない。
 “革命”において、それは便利な移動手段ではあった。
 自分の体よりも格段に華奢なレイノシュに、抱えられると云う情けなさは残る。
 彼が“瞬間移動”ではないと言うから、そうなのだと理解しておいた。

 崖の上にアンスタウトを残し、崖を下りる。
 なんの指示をすることなく行われる動作にストレスは無い。
 崖にへばりつくように登っているマルボナの頭上に出て、蹴落とす。
 すまんな。折角5メートル程登ったのに。マルボナを躊躇無く崖下まで落とす。
 人の声とは思えない音が、マルボナの口から発せられる。
 俺を崖下に残し、レイノシュは崖上へと戻る。
 
「マルボナ、あなたは何がしたいんだ?俺から地位を奪っただけでは満足できないのか?」
 マルボナも腐っても革命家だ。
 俺を蹴落としてでもやりたいことがあるのだろうと思っていたが。
「お前が生きていては!あいつらはお前を欲しがる!」
 そういって、飛び道具を構えている。
 そもそもが頭脳派のヤツに扱えるとは到底思えない。
「おいおい、そんな器じゃないだろう?」
「うるさい!おれを莫迦にするな!おれに指図するな!」
 案の定、ヤツは引き金を忙しく引いているが、銃は一向に火を噴く様子は無い。
 易々と距離を縮め、マルボナの腕をねじ挙げて、銃を取り上げる。
 
「こう使うんだよ」
 安全装置を外し、マルボナの膝に向けて銃弾を打ち込む。
 乾いた音が峡谷に響き、声も出せないマルボナは崩れ落ちる。
 妙にてに馴染む銃は、俺から奪っていたものか。
 ロープを持ったレイノシュとアンスタウトが現れる。
「こういうのってエデノでは勿論、御法度だよな」
 と、アンスタウトに銃を見せる。
 真っ青な顔をしているアンスタウトは、意外な言葉を返してきた。
「必要なら、持っていて下さい」
「え?こんなん持ち込んだらメイペスが煩いんじゃないのか?」
「見つからないようにして下さい。何がおかしいんです」
「……それは、こいつで方が付く問題なのか?」
「分かりません。ただ、自分の身は、自分で守らないといけない状況かもしれません」
 レイノシュは素早くマルボナを縛り上げ、そのまま森へと引き摺って行く。
 いつもながら、見事な手際だ。
 に、してもレイノシュは何で態々アンスタウトをここまで運んだんだ?
 こんなに真っ青な顔をしているのだから、直ぐに移動は出来ないだろうに。

 森から戻ったレイノシュは手ぶらだった。
「マルボナは?」
「言いません。言えばあなたはまたあの男に慈悲をかける気でしょう?」
「いや、もうさすがにそんな気は無いよ」
 ぶんぶんと音がするんじゃないかって位首を振ってみる。
「嘘です。あなたは許そうとします。そういう人です。僕は知っています」
「……」
 見抜かれてる。
「僕が許せないのです。本当なら、あなたが刺された時に、いえもっと前に!こうしておくべきだったんです!だから、あなたは気に止めなくても結構です」
 きつく唇を噛んで、俺を睨むように見るレイノシュは今にも泣き出しそうにも見える。
「すまな…いや、有り難う」
 謝罪より、感謝だろう。
 俺が不甲斐ないばかりに心労ばかりかけている。
 それが厭と言う程、身に染みるから俺はレイノシュを抱き締めた。
 
「だから、そういうのは気持ち悪いからやめて下さいって言ってるでしょう?」
 …ん、通常運転だ。

「すいませーん。そろそろいいですかあ?」
 と、若干顔色を取り戻したアンスタウトが声を掛けてくる。
 レイノシュが、ちらっと俺の顔を見てアンスタウトに近寄り、顔に手を翳している。
「あれ?あれ?」
 みるみる良くなっていくアンスタウトの顔色。
「…あなたは?レイ・グレコ…?何故、この力を使えるのです?」
 ああ、そういえばそんな偽名を使うつもりだったな、すまん、レイノシュ。
 ずっとレイノシュと呼んでいたな。
 それにしても、レイノシュにしては力の大盤振舞だ。
 いつもは、俺以外の前でこんなに発揮することはまず無いのに、どういう風の吹き回しだろう?
 
「そうするつもりだったんですけどね、あの方はすっかり忘れていたようで、僕の思惑は丸潰れですよ」
 レイノシュと出会ってもう十年以上たつんだぞ、呼び慣れた名前になるのは当然だろう、と悪びれもせず立っていたら、
「本当に仕様もない方なんだから」
 言葉と表情がまるであってないぞ?レイノシュ。
 何でそんなに優しく微笑んでいるんだ?
 アンスタウトも何か一緒になって笑ってるし。
 解せぬ。

「僕の本当の名前はレノシュです」
 と、レイノシュは澄ました顔でアンスタウトに言った。
「レイノシュ?レノシュ?なんだそれ?」
 俺は初めて聞くその名に動揺が隠せない。
 レノシュって…
「ぼくの、本物…」
 アンスタウトがそう言った。

 本物とは聞き捨てなら無い単語だが、レイノシュは何食わぬ顔を見せていて、その表情はアンスタウトの飄々とした顔と重なる。
「グラスコ様、彼を背負ってください。面倒なので移動しながら話します」
 “様”付けで有りながらも、態度は不遜で全くレイノシュらしい。
「そんな…」
 と遠慮するアンスタウトの前に屈み、背中に促す。
「アイツがこう言うなら、結構な距離を歩かせるつもりだぞ。遠慮するな」
 
「何処に行くのです?」
 出会ってからまだ3日足らずだが、常日頃湛えていた嘲るような笑みは成りを潜めて、親とはぐれた子犬みたいな不安気な顔を覗かせている。
「何処に行くんだ?」
 目の前にいるから充分聞こえているのだけど、俺にも聞かせろという意味も込めて、アンスタウトの言葉をレイノシュに中継する。
 
「…着いてからのお楽しみです」
 レイノシュは嘲るように微笑んだ。
 レイノシュの言いにくいことを言う時の癖。
 無理に作る笑み。
 これが見たくなくて、俺はやつの秘密には踏み込めないでいる。
「そんな顔、しないで下さい。大丈夫。多分、頃合いです」
 レイノシュは俺の頬を指先で触れて、そう言った。

 レイノシュを先頭にして、聳える崖に沿って歩く。
 意外にも道は歩きやすく、人一人背負っていると言うのに苦にはならなかった。
 まあ、成人男性にしてはアンスタウトが軽いのもあるのだろう。
 身長はそこそこあるのに、重さを感じない…のも当然で、どうやらレイノシュが、重力操作をしているらしい。
 俺の考えていることを察したレイノシュは
「当たり前でしょう?あなたは十日前に膓が飛び出してたんですよ。そんな無理をさせるわけないですよ」
 全く、出来た嫁…じゃない出来た部下だ。
 すっ…と、レイノシュから冷えた視線を感じる。
 まさかこいつには、テレパスもあるんだろうか?
「ありませんよ」
 本当か?!
 
 つんつんと肩を叩かれ、背負われているアンスタウトが会話に加わる。
「どういうことです?」
 ま、そうだよな。
「レイノシュは物を軽く出来るらしいんだけど、詳しくは聞かんでくれ。こいつは秘密主義なんだ。この崖を俺を背負って登れたのもこの力あってのものだな。メイペスには悪いけど」
 アンスタウトとメイペスに初めて会った時の、正義感溢れる彼女の台詞を思い出しながら言う。
「…あ。すいません。こう言う事情なら言えませんよね。それに、メイペスは知っても理解は出来ないだろうし。えっと、有り難うございます。上手く誤魔化して頂いて」
 
 とはいえ、この崖は一人で登るのも容易ではないのは事実だ。
 レイノシュの蒼白だった顔を思い出していた。

「いつもなら森の時点で選別されるのに…」
 と言ったのは、アンスタウトの筈だが、谷の反響か、レイノシュから聞こえた気がした。

 小一時間程歩いて、レイノシュは歩みを止めた。
 別段なにも変わらない崖の風景。
 何を目印にしたかも、俺が見る限りは分からない。
「あ、あれ。足元です」
 背中からアンスタウトが答える。
 レイノシュが乗り移ったのかと思ったら、
「あまりにも回りを見回しておいでだから。それより、ほら。レ…イノシユさんを見失いますよ」

 天然のカーテン、と言うのか、パーティションと言うべきなのか。
 正面からは見逃しそうな微妙な岩の重なり。
 人工でも、天然でも見事なものだ。
 
 分け入れば、外からの光はない筈なのに、岩がほんのりと光を放っている。
 一体どんな仕掛けが施されているのだ?
「何なんです?ここは…」
 背中から聞こえるアンスタウトの、驚嘆とも不安とも取れる声がする。
 
 レイノシュはそれに答える気はないらしく、歩みを止めるどころか振り向きもせず前を進む。
「なあ?レイノシュ。厭なら無理するなよ」
 そう言うと、漸く足を止めてくれたレイノシュが振り返って、
「ここまで来たらそういうわけには行かないですよ」
 と、あの顔をして笑う。
 
 ここに来て初めて、掴み所の無い“不安”が俺にのし掛かる。
 レイノシュ?
 彼は腕を伸ばし、“岩”に手を触れる。
 溶けるように拡がる視界。
 
 東洋の建築物のような、木材が使われている、見慣れない知識でしか知らない内装が拡がる。

「レイノシュさん!?ここは!」
 突然、アンスタウトが声を上げる。
 いや、耳元で聞こえたからびっくりはしたが、彼の声量は極力、押さえられている。
 
 レイノシュは口の前に人差し指を立て
「しぃー」
 と音を立てないように俺達に合図をする。
 
 俺はレイノシュに近寄ってから
「誰の家だ?」
 と、俺なりに声を潜めて聞いた。
 俺の顔を見たレイノシュは、注射を見た猫みたいな真ん丸な目をして、そして吹き出した。
「全く、あなたって人は…」
 褒められてるのだろうか?
 
 そんな俺らの軽口を余所に、俺の首の前で重なっているアンスタウトの腕は、明白に緊張を感じる。
 
 レイノシュは、俺ではなくアンスタウトと顔を合わせる。
 それから、ゆっくりと俺を見ると、
「ん~。それはまだ知らなくてもいいかもです」
 と、いつもの調子になっている。
 あれ?『不安』はもう終わったのか?

 それにしても、だ。
 辛うじて建物の内部だろうと思われるここは、薄暗く、然程モノが有るわけでもないのに、雑然とした雰囲気がある。
 見慣れないだけかも知れないが、不思議な内装に眼を奪われる。
「あ、グラスコさん。ここ、土禁です」
 と、アンスタウトが言う。
「それと、大丈夫みたいですので、下ろしてください」

 背中からアンスタウトを下ろすと、彼はまず靴を脱いだ。
「掃除はされていますから、きれいですよ。暗いだけです」
 見ればレイノシュはとっくに靴を脱いで手に持っている。
 いつの間に。
「レイノシュ…」
「気づかない方がいけないんです。注意力散漫ですよ」
 はいはい。
 俺は不貞腐れた子供のごとく、その場に座り込んで靴を脱いだ。
 初めて触れる、草の床。
冷たくもない、暖かくもない、草の匂いが微かに漂う。
 
 見上げれば、なぜか微笑ましい眼差しが俺に向けられている。
 何だ?それは。
 
「さあ、行きましょうか」
 ここが何かは教えてくれないんだな、と俺はレイノシュの後ろに、大人しく従った。

 紙製の、大凡防御を欠いた扉を通り抜ける。
 レイノシュもアンスタウトも勝手知ったるらしく、迷いがない。
 俺は扉と天井の間の彫刻が気になりはするのだか、構っては貰えないようだ。
 
 何回か紙製の扉を抜けると、空気が急に軽くなる。
 と、云うことは今まで重かったのだろうか。
 
 扉の先には、それまでと打って変わってインスラと同じ、曲線を描く石の壁が天井まで高く続く。
 『研究室』のような、雑然とした無機質なそこはアンスタウト部屋の空気に似ていて、紙製の扉で区切られていた今までの部屋と明らかに別物の様相だ。
 
 レイノシュとアンスタウトが大きく息を吐いて深呼吸をしている。
「?」
「体力的には楽になりますけど、精神的には苦ですよね」
 と、アンスタウトが言うと、
「これだけ警戒するなら、挨拶くらい出てくればいいのに」
 レイノシュが答えている。
 くすくすと笑い合う二人は、兄弟というよりは姉妹のようでもあると思ったら、二人から冷たい視線を受けた。
 お前ら、絶対、心読んでるだろ?と思わずにはいられない。
 
「なんか、俺だけ蚊帳の外か?」
「いじけなくても教えますよ。ほら、ここであなたの膓を詰め込んだんです」
「は?」
 そこにはベッド…と言うより酸素カプセルを彷彿とさせる物体が横たわっている。
 
「ここが、ランデフェリコです」
 アンスタウトが言う。
 レイノシュが、苦笑いを浮かべている。
「ぼく、ここで生まれたんだ」
 恐らく、力のことより秘密にしておきたかった事の筈だ。
 出生に関して何十年も割らなかった口を事も無げに白状する。
 もっとも『ランデフェリコ』何て言われても何処だ?それ?としか言えないのだけど。

「そっちの部屋で生まれたんですけどね。恥ずかしいから見せてあげません」
 レイノシュが指を指した方を見ると、アンスタウトも困ったような顔をしている。
「えっと、じゃあお前らは兄弟なのか?」
「そんなようなモノですね。少なくとも姉妹じゃありませんよ」
「レイノシュて、テレパス能力もあるのか?」
「ありませんよ。あなたが解りやすいだけです」
 アンスタウトが大きく頷いている。
 おかしいな?クールな獅子の筈なんだか。

「獅子何て言って、猫アレルギーじゃないですか」
「そうなの?!」
「うるさい!戯れるぞ!」
「アンスタウトにどうぞ」
「え?何で?」
 レイノシュはするりと逃げたので、逃げ遅れたアンスタウトの肩を抱き、髪に触る。
「何ですか~これ」
 怯えたようにレイノシュに助けを求めているが、こいつは助けんぞ。
「それがその方の精神安定剤みたいです。堪忍して犠牲になってください」
 やはり不遜だと思うぞ。

 いつまでも戯れてても仕様がないので、その部屋を見回す。
「この、酸素カプセルみたいなのは何だ?」
「ヴィタスフィアって言うらしいです。恒常性維持や再生促進、感染防御に 代謝管理、精神安定効果や外的モニタリングまでやってくれて、術後に楽なんですよ」
 相変わらずの飄々とした調子でレイノシュが説明する。
 楽?おい?
 
「それにしても、これだけ異様な佇まいだな。……ガラス…石か?」
 レイノシュとアンスタウトが顔を見合わせて首を傾げている。
 フワッと髪の毛が揺れて、触りたい欲が顔を除かせる、が退かれる事は目に見えているので伸ばそうとした手を引っ込める。
 くすっと笑い声が耳に入り、自分の行動が筒抜けだったことに気が付く。
「あなたって人は、全くブレませんね」
「お、おうよ…」
「褒めてませんよ」
 
「これね、ここに五百年あるんですって。機能は知っていたから、可能性に賭けてみたんですけどね。成功して良かった」
「はあ?」
 飛び出した間抜けな声は、五百年に対してなのか、得たいの知れないものに可能性を賭ける潔さになのか……両方だな。

「このヴィタスフィアはね、琥珀を使っていて、何でもこれが細胞を活性化させる酵素が出るんですって。まあ、僕もそのくらいしか知らないんですけど」
 レイノシュが肩をすくめた。
 そしてその淡々とした態度を崩さぬまま、ヴィタ…なんとかに…一拳する。
「……痛い」
「だろうな」
「何をしたいんです?」
アンスタウトと純粋な問いかけに、レイノシュは視線を反らした。
「さて?何がしたいんでしょうね。強いて言えば、どうなるか知りたいのでしょう」
 五百年も、こんな形で有ったならそう脆いものでも無いとは思うが、レイノシュのやりたいことに検討が付かない。
 耐久性を調べていたと納得しよう。

 アンスタウトが所在無さげに彷徨き、別の扉に手を掛ける。
「グラスコさん、こっちが面白いですよ。見てみて下さい」
 珍しく感情的になっているレイノシュの気を反らすためか、アンスタウトは燥いだように声を掛けてくる。
 いつの間にそんなに仲良くなったのだろう、妬くぞ。

「うわあ」
 扉の向こうには、バイオプラントが並んでいた。
 牛と鶏も確り確認できる。
 工場のようでもあり、農場のようでもあり、そのどちらでもない異様で不思議な光景。
「これが、あのエデノの奇怪な生産率の秘密って訳か」
「そうです」
「……これをどうやってエデノに運んでるんだ?ここに人手はなさそうだが?」
 アンスタウトが無言で指差した先には、大きな搬入口があって、そこに向かって植物やらが動いている。
「ああ、床が動いているのか、そうだよな」
 ベルトコンベアよろしく規則正しく搬入口へ消えて行く。
「あそこは?」
「エデノの地下ですよ。地下の貯蔵庫です。見に行かれたでしょう?」
 何とも至れり尽くせりのエデノの仕組み。
「これは、僕しか知ってない事なので、くれぐれもご内密にお願いします」
 アンスタウトが、口の前に指を立てて言う。
 外堀から物凄い勢いで、埋め立てられている気がするぞ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
  
 
 
 
 
  
 

 
 
 

5(6/8)

メイペスは四苦八苦していた。

 ただでさえ広いインスラの地下の貯蔵庫。 
 三千人が、腐らせず、適切な期限で消費出来る量の保管。
 ここの“把握”は、メイペスにとって何よりも優先すべき仕事だ。
 
「小麦…芋…人参…あ、あった!ポップコーンの玉蜀黍!」
 今日のおやつ分、と称して持ち運びたいのだが、三千人分て、どれくらいだろう?
 いつもは、棚卸しで貯蔵庫の中の数を数えるだけで、使用分の振り分けは“整合”であるアンスタウトがしている。
「もしかして、担当でない仕事をしたり、自分が食べたいからと、おやつを選ぶのは“平等”から外れるのかしら?」
 ふと、手を止めて考える。
 ――――
 ご免なさいって謝ればいいよね。
 おやつは必要だもん。
 ちゃんと報告すれば、大丈夫!

「おや?メイペス?今日は棚卸でしたか?
 離席していて申し訳ありません」
「ひああ!…って、アンスタウトこそ――どうしたの!泥だけじゃない!」
「ぼくは小用で、あれ?でも棚卸は今日じゃないですよね?どうしたんです?」
「盗み食いかぁ?」
 アンスタウトの後ろから、隠れきれてなかったグラスコ・グレコが若気顔を覗かせる。
「そんなわけないでしょ!おやつの準備よ!」
「でも、今日のおやつは蒸かし芋で、厨房には昨夜のうちに運び込んでいたはずですが?」
 澄ました顔でアンスタウトが言う。
 
 あからさまにメイペスの顔は強ばっている。
「玉蜀黍…爆裂種ですね…これから出来るのは…」
 グラスコ・グレコの背後から顔を覗かせたレイ・グレコが訝しげに呟く…
「ポップコーンが食べたくなったの!今日でなくていいから!明日でも、明後日でもいいから!」
 至って素直にメイペスは答える。
 元より嘘を吐くなんて出来やしない。
 その顔は、泣くのを堪えているように眉根を寄せている。
 
「でも、今日食べたいんだろ?」
「ぐっ!それは…そう…だけど…」
 メイペスは、見透かしたように若気顔をやめないグラスコ・グレコに、つい尻込みしてしまう。
 
 見かねたアンスタウトが口を挟む。
「それでは子供たちのおやつにするのはどうですか?玉蜀黍は住人全員分には足らないでしょう?子供たちの分であれば、直ぐにでも作れるのではないですか?………?メイペス?どうしました?」
「つい、食い気だけでここまで来たけど…リタフォのお手伝いはしたことあるけど、一から作ったことはないことに気付きました…リタフォは収穫だし…どっちにしろ今日は無理だ…」
 一瞬明るさを見せた表情は、再び沈み混んでしまった。
 
「ポップコーンでしょ?厨房に入ってよいなら、僕が作るけど?」
「作れるの!」
 レイ・グレコの尻馬に乗るメイペスは、パラパラと捲る絵物語の様に表情が変わる。
 泣いた烏が笑うとは、よく言ったものだと、その場にいた男たちはしみじみ感心する。
 
「だって、熱を加えるだけじゃない。味変するにしても、別に特別なことは必要ないし」
「?味変て、なあに?」
「……バターだったり、チーズだったり、ジャムでもいいし…ちょっと手間をかけるならキャラメル味だってあるじゃない?」
「キャラメルがポップコーンになるの?!」
 食い気味に詰め寄るメイペスの勢いに、今度はレイ・グレコが後退る。
 
「厨房を貸して貰えれば、の話だけど」
 そう言われると、メイペスは口を閉ざし、考え込んでいる。
 
 厨房には、厨房の係がいる。
 役割はその者が全うすることに意味があり、やらなすぎるのは勿論、やりすぎてもいけない。

 ましてや、自分は“把握”の役割を持つのだ。
 自ら“約束”を破るわけにはいかない。

「いいんじゃないですか?」
 と、言うのはアンスタウト。
 でも……と、続けそうなメイペスの言葉を遮り、グラスコ・グレコが会話を奪う。
「別に、仕事を奪う訳じゃない。一緒にやればいい」
 そう言うと、にいっと笑った。
 褐色の肌に、白い歯が覗く。
 ちょっと、怖い。

「最悪、グレコ様が釜戸の一つでも作ればいいだけの話です」
「おうよ…!……て、釜戸って!何作らせるだ、レイノシュ!」
 レイ・グレコを叩くように、グラスコ・グレコがむきっと片腕をあげる。
 あんな華奢な体なのに、あんな牛みたいな体の人に怒鳴られて、怖くないのかしら?
 
「あなたなら、石窯でも小一時間もあれば作れるでしょ?」
「……いや、レイノシュさん。さすがに石窯を一時間じゃ…土を乾かす時間は俺にはどうにもできん」
 これは?喧嘩なの?
 
「土を使わなければいいじゃないですか」
「おう!それもそうだ!」
「あなたは莫迦なんですか?」
「なんだと!髪、弄るぞ!」
「嫌です」
 再び、ぐわっとあげたグラスコ・グレコの手は、がしっとレイ・グレコの頭にのる。
「だから!嫌だって言ってるでしょう!」
 そう言いながらも、二人はにこにこしてて…

「喧嘩じゃないぞ。メイペス。心配すんな。いつものコミュニケーションだ」
 グラスコ・グレコの指は、レイ・グレコの髪をくるくると巻いている。
 
「なあ?メイペス。その子供たちってのは何人いたっけ?」
 レイ・グレコがぴしっとグラスコ・グレコの手を弾く。
 ん、あの大きな手で髪をぐるぐるやられるの、やだよね。
「え?あ、ああ。八人…だけど?」
「レイノシュ、八人分だと玉蜀黍は何本いるんだ?」
 
 けど、グラスコ・グレコは、弾かれた手を引っ込めることなく、また髪に戻る。
 つねられてる……
「そうですね、この大きさなら十本もあれば事足りるかと」

 諦めたような顔をして、グラスコ・グレコはメイペスの脇に寄る。
「だとよ、メイペス、五本持て」
 と、玉蜀黍を渡される。 
「え?今、十本って…」
「残りは俺が運ぶさ」
「ぼくも持ちますよ」
 と言うアンスタウトを遮って、グラスコ・グレコが耳打ちしてる。
「……ああ、そうですね。そこまで思い至りませんでした」
 
 何を言ったのだろう?
 メイペスの腕の中には五本の玉蜀黍。
 確かに十本は頑張れば分けなく持てるけど、重さよりも嵩のほうが心配だった。
 五本なら余裕。
 …………もしかして、わざとなのかな?
 私が多く持つことで、責任を持ちなさいって。
 …………でも、罪の意識はホンのちょっと軽くなったのも本当。
 
 私が食べたいって言ったのに、何もかも委せちゃダメだ。
「行きましょう!」
 ん。いっぱいお手伝いしよう!

―――
「パートロを探してきてくれませんか?」
 厨房前まで来てアンスタウトが言う。
 腕の中から、アンスタウトに引き取られる玉蜀黍を眺めながら、「ああ」とメイペスは納得している。
 私は厨房には入れない。
 それは「決まり」。
「分かった!」
 と、元気よくメイペスは駆け出した。
 
――
「ここにも、彼女に見せられないモノがあるってことか?」
 アンスタウトがメイペスから引き取った玉蜀黍を、更に自分の腕に納めながらグラスコが訊ねる。
「さすがですね。その通りです」
 苦笑を浮かべ、空っぽになった手を見ながらのアンスタウトの返答。
「まあな」
 しかし、メイペスは厨房に入れないのを分かっていて、どう玉蜀黍を調理する気だったのだろう。
 部屋で調理する術はないだろうに。
「本当に、数日待つつもりだったのかも知れませんね」
 またしても顔色を読まれたらしいグラスコは、
「気の長いこって」
 と、学教室の方へ走って行くメイペスの後ろ姿を見て、目を細めた。
 
「さ、メイペスが戻ってくる前に準備をしましょう。お祭り用の火元で、事は足りますよね?レ…イノシュ」
「見てみないと分からないけど…」
「祭りがあるのか?!」
 レイノシュが言い終わる前に、グラスコが食い気味に体を乗り出す。
 言葉を遮られたレイノシュは、又か…と呆れた表情を浮かべ、「こんなやつなんです」と、アンスタウトへ無言で訴える。
 
目を丸くしたアンスタウトは、表情を緩めると、
「何て言うか…貴方とメイペスは良く似ていますね」
 と、くすくすと笑う。
「あん?あそこまで、お子ちゃまか?」
 口を尖らせるグラスコに、空かさずレイノシュが続ける。
「そう言うところですよ。全く、どこが獅子なんだか。猫アレルギーのくせに」
「アレルギーは関係ない!」
 と、そっぽを向くが両手には玉蜀黍を抱えていて、何とも滑稽に見える。
「さ、メイペスが戻ってくる前に、やることをやってしまいましょう。その間にお話しします」
 アンスタウトに押し込まれるように、厨房へと入った。

――
「さすがにもう、ここにはいないわよね」
 パートロを探しに、さっきまでいた学教室に来てみたけど、パートロはパートロで仕事があるのだ。
 メイペスに、大事な収穫の時間を割いてまで、いろんな事を教えてくれていた。
「でも、そういうもんだって思うより仕方がないのよね…」
「全く、パートロもとんだ無駄骨よね」
「リタフォ…」
 本格的に落ち込んでいるメイペスに、リタフォはちょっと言い過ぎたと後悔して、抱き締めて頭を撫でた。
「…まぁた、考えすぎでしょ。意外と悪い人ばかりでもないわよ、外の人も」
 彼女が悩むことは、このエデノと外の事の差異だ。
 あの、祖先でもある『最初の旅人』の話を聞いて、二人して大泣きした。
 けど、リタフォはミリタフと出会った。
 ちょっと頼りないけど、心根の優しいミリタフ。
「……ミリタフは鍵をかけなかったの?」
 唐突に聞かれたものの、何の事かは理解の範疇だ。
 全く、割りきることの出来ない子だなあ…
「かけてたわよ。そりゃ厳重にね。でも、まさか家族になりたいと考えてた人に、別に家族がいるなんて思わないじゃない」
「家族って、大事なんでしょう?何で嘘をつくの?エデノは……ここは、だれも嘘なんてつかないのに……」
「本当に?」
「え?」
「私たちは知ってるけど、他の人たちが知らないことがあるじゃない。それは嘘じゃないの?」
「…………あ……でも……」 
「なぁんてね。最初の旅人の話は、私たちだけが知っていればいい話なのよ。ごめんね。嘘じゃないの。内緒事。あんな酷いことを繰り返さないで、て言う心胆の心根」
 
 微笑むリタフォに、メイペスは訪ねる。
「あのね、リタフォ。私さっき、ポップコーンが食べたくて貯蔵庫から玉蜀黍を持ってきたの」
「は、はい?」
「これって、言ったら嘘じゃないよね!言ったからね!」
「ちょ、ちょっと待って。厨房は使えないし、私もまだ子供たち見てなきゃだから作れないよ。どうやって作るの!」
「レイ・グレコが作ってくれるんだって!キャラメルのポップコーン!」
「キャラメル?」
「うん!塩味以外にもあるんだって。みんなで食べようねえ 」
 
 まったく、なんてことだろう。
 さっきまで、泣きそうにしていたのに。
「やっぱ、メイペスだわ。パートロが反対を押しきってまで選んだ筈だ」
「え?」
「それで、いいんじゃない?そんなところから学んでいけばいいよ、メイペスは」
「えーお勉強…?」
「そ、お勉強」

 膨れっ面して唇を尖らせているメイペスだけど、ちゃんと分かってくれるって信じてるよ。
 旅人と、心胆の願いはもっと大きなものだって。
 
「パートロなら、畑で収穫してるから。私は子供たちが待ってるから行くね。おやつ出来たらご相伴に預かるから、ちゃんと食べられるもの作るんだよ」
「うん!レイ・グレコは朝のスープも美味しくしたんだ!きっと美味しいよ!また呼びに来るね!」
 そう言うと、先に部屋を出ようとしたリタフォを追い越して出ていった。
 
「まったくもう、所帯持ちって分かってるのかしら?落ち着かない子だこと」
 ふうーっとリタフォはため息をついた。
 
――
「でね、でね!ポップコーンなの!キャラメルなの!」
 メイペスへの授業に無理矢理一段落つけ、畑で玉蜀黍の収穫に加わっていたパートロ。
 突然飛び出して来たメイペスの対応に困惑していた。
 ポップコーン…?まだ引きずっているのか?
 そもそも、お祭りでもなきゃ、焜炉も確保できんだろう。
 二年前、ミリタフがエデノに永住が決まって初めての新年のお祭りの時、合間に拵えてくれたおやつ。
 爆裂種の玉蜀黍は、食堂に並ぶから食べてはいたけど。
 旨いか?と言われたらどんな調味料をかけようとも、旨いものではない。
 スープだろうが、茹でようが、固い。
 新年のブドウマメより固い。
 それが、乾かして火にかけると弾けて柔らかくなる。
 全く、スゴいよなってヴレノシュと感心したっけ?
 で、何だっけ?

「聞いてた?!パートロ。レイ・グレコがポップコーンなの!アンスタウトがパートロ呼んでこいって!」
 後半はともかく、前半の意味が分からない。
「メイペス、気をつけ!はい、息を吸って、吐いて、吸って、吸って…」
「パートロ!!」
「はいはい。もう少しでおやつだろ。それまで収穫させろ。ただでさえ今日は遅れてるんだぞ」
 と、パートロが言うとメイペスはおとなしくなった。
「……私のせいだ……手伝う!」
 

「そろそろいいだろ。メイペス、行くぞ」
「はぁい!おやつ♪おやつ♪」
「……」
「何か言いたそうね、パートロ」
「いや、アンスタウトも大変だな、と思って」
「?」
「ま、いいさ。ゆっくりで。さ、今日は芋か?」
「子供たちにって作るから、余ったらパートロにも分けるね、ポップコーン!」
「今日のお前の頭ん中は、そればっかだな…ある意味スゴいわ」
「へへ」
「……褒めてないぞ」

 二人が食堂に向かうと、配膳棚には出来立ての蒸かし芋が大皿に用意され、入り口には屋台の焜炉が三つ並んでいた。
「…へぇ…お祭り以外で屋台を見るのって、なんか不思議ね…ああ、でもミリタフとリタフォが作ってくれたときも……こんな感じだったっけ?」
「いや、あの時は焜炉一つだったろ?三つもどうするんだ?」
 ああ、と呑気な声を出すメイペスだが、合点はいってないような生返事だ。
「沢山…出来る?」
「爆裂種なんて、そんなに保管してないだろ?畑だって三尺四方しかないんだぞ」
「何でそれだけをわざわざ作ってるの?」
「……メイペス…教えた筈だぞ。初めの旅人が心胆から受け取ったものだからだ!」
「そうでした」
 そう、五百年の間、食べ方も分からないのに、ただ作っていたのだ。
 ひっそりと、でも絶やさないように。

「すごーい!甘い匂い!え?なんで?なんで?ピンクにイエロー!」
 焜炉の前まで来ると、メイペスの語彙はまるで役に立っていなかった。
 初めて見る、色とりどりのポップコーンに目を奪われている。
 もちろん、メイペスだけではない。この地で生まれたものは皆一様に、釘付けだ。
 僅かに、この地に永住を決めてくれた新来者は、「懐かしい…」と、溢しているのが耳に入る。
 そうか、この色とりどりのお菓子は、特別のものではなく、懐かしいと思う程度には慣れ親しんでいたものなのか。

 生活の事であれば幾らでもフォローする。
 けれど、嗜好はそうはいかない。
 ……
「きゃあ!」
 ……
ぽんぽんと弾けるポップコーンに、子供よりも燥ぐメイペス。
 注意しようと口を開きかけたその時、すっと口の前に人差し指を立てたアンスタウトが目に入った。
 ヴレノシュと良く似た面差し。
 微笑めば尚更、彼の人を思い出さずにはいられない。
 黙れってか…
 アンスタウトが言うなら、黙っておくべきなんだろう……

―――― 

「リタフォ!ミリタフも一緒に来たのね!」
「おやつだからね。子供たちも連れてきた。そこに座らせるね」
 とリタフォは屋台近くのテーブルへ、子供たちを誘導し、着席させる。
 
「エデノで、キャラメルフレーバーが食べられるなんて思ってもみなかったな」
とは、ミリタフ。
「でも、子供たちが先だからね。……って、ミリタフもキャラメルのポップコーンは知ってるの?なぜ作ってくれなかったの?」
「ん~。売ってるのは見たことあったし、食べたこともあるけど、自分で作るにはちょっと手間がかかるんだよね。ただ加熱させて、塩かけるのとは違ってさ。カラメルを作らなきゃだから……」
 と、言いながらも、ミリタフは目の前の作業をじっと見つめる。
「でも……え?これだけでいいものなんだ?」
 ミリタフは驚いて、レイ・グレコに問いかける。
「そうですね。水と砂糖、それにちょっとした工夫があれば、特別な材料がなくても作れますよ」
「へぇ~今度やってみようかな。じゃあメイペス。オレはリタフォのところに行くね。これ、持っていってもいいぶんかな?」
 そう言うと、ミリタフは幾つかのフレーバーのポップコーンを持って、リタフォと子供たちの待つテーブルへと向かった。

「ねぇ?レイ・グレコ。ミリタフは材料と、レイ・グレコを見て作るって、言ったわよね?私には分からないんだけど?」
「何が?」
 レイ・グレコは、メイペスをちらとも見ずに出来上がったポップコーンにストロベリージャムを散らしている。
「見ていれば、作れるようになるものなの?」
 
「どうせ見るならこっちから見ればいいんじゃないか」
 ぬおっとグラスコ・グレコが、芋を齧りながら現れる。
「それっ…」
 みんなのおやつじゃない、と言おうとしたが、グラスコ・グレコは玉蜀黍を持ってくれたり、この焜炉を用意してくれて、それがエデノの仕事とは異なるけれど、働いてくれたことを思い出す。
 
「……これか?子供たちがくれたぞ。ポップコーンのお礼だと。自分たちはポップコーンがあるから、どうぞだと。レイノシュ食うか?」
「後で手を加えますから、置いておいてください」
「お芋も…変わるの?」
 返事の代わりに、ふっーと息を吐いてレイ・グレコはグラスコ・グレコに視線を送る。
「いいからこっち来い」
 と、グラスコ・グレコが手招きをする。

 レイ・グレコの横に並ばされたけれど、何をしていいか分からない。
 その時、ミリタフと同じ頃に新来者になった女性が二人、屋台の前に並んだ。
「あの、メイペスさん。ポップコーン、私たちも少し分けていただいてもいいかしら」
「あ、でもこれは…」
 言い淀むメイペスを遮って、レイ・グレコが答える。
「あまり量はないけど構わない?ホントに少ししかないけど」
「勿論です!おやつはあるから欲張りかとも思うんですけど、でも甘いおやつにはどうしても引かれてしまって」
「ええ、ここでまた、お塩以外のフレーバーのポップコーンが食べられるなんて思わなかったので」
「二人で分けて」
 と、レイ・グレコは器に、茶色と赤と青の三種類のポップコーンを入れて渡した。
「いいんですか!わぁ、キャラメルとストロベリーとブルーベリー!ありがとうございます!……えっと、お芋を分ければいいの?」
 と、二人の女性はグラスコ・グレコを見ながら言う。
「……いや、いいから。持っていって」

「何であげたの?」
「あったから」
「これは、子供たちの…」
 メイペスは混乱している。
 
「子供たちはもう食べてる。でも、余ってる。なら、食べたいやつが食べればいい」
 グラスコ・グレコが口を挟む。
「そもそも、こんな公衆の面前でやってるんだから、ダメっていうのもおかしくないか?」
「……でも、決まりが…」
 依然、不満が表情から見て取れる。
 
「あー。もう。メイペス、こっち向け」
 と、グラスコ・グレコに言われ、顔を上げると、口の中に甘いものを入れられた。
「…なっ!」
 
「生キャラメルって言うんだ。余ったものでレイノシュが作ってくれた。ポップコーンでもない。口にしたからには、メイペスも同罪だな」
 いつもの若気た顔とは、どこか違うグラスコ・グレコの表情。
 
 メイペスは、ほたほたと涙を溢し始めた。
「…………私の知ってるキャラメルと違う。とろとろ……美味しい…」
 ほんの少し真面目だったグラスコ・グレコの顔が柔らかく笑う。
「だろ?美味しいは分け合うもんだ。今日足らなくてもいいじゃないか。明日、また作ればいい。レイノシュが」
「三千人分なんて無理ですよ。力は有り余ってるんですから、あなたがやって下さい」
「おう。飴造りなんて、力仕事だもんな」
 と、がははと声を上げて笑っている。

「ねぇ?エデノの外は争いばかりじゃないの?人を傷つけて、こんな美味しいものがあるの?」
 乱暴に涙を拭いながら、メイペスが言う。
「ねえ…?外は怖いところじゃないの?」

「怖いかと言われたら…」
「怖いですね。つい何日か前まで、この人がスプラッタだったのは、君も知ってるでしょう?」
 メイペスは、レイ・グレコがグラスコ・グレコを背負ってきた時を思い出した。
 
「子供を脅すな、レイノシュ」
「そうですよ、夕飯前に片付けをしてしまいましょう」
「あ、アンスタウト…私…子供なの?」
 アンスタウトは、真顔になって
 でも、
「もっと、色々知ってもいいと思いますよ」
 そう、ふわっと笑う、アンスタウト。

「ん、分かった。子供たちだって、お礼にってお芋を分けてたんだもんね、じゃあ、私は……私は……」
「何をしてくれるんだ?」
 グラスコ・グレコが、期待に満ちた目でメイペスの目を覗き込んでいる。

「あ!そうだ!子作りを教えて上げる!グラスコ・グレコ!あなた!知らないのでしょう!」

 グラスコ・グレコのぽかんとした顔を見て、メイペスは、良い提案が出来たと満足していたら、途端、弾けるようにアンスタウトとレイ・グレコが、大声で笑い出して……
 私、変なこと言ってないよね?とメイペスは思った。
 

 
 
  
 
 
 
 
 
 

6(7/8)

「……なあ、レイノシュ。今から回れ右してもいいかな?」
「そんなこと出来る人なら、端からここにいないでしょう…………悪いとは思ってるんです……」
 誂うような台詞のあとに呟く、消え行くような懺悔。
 俯くレイノシュの髪に、くしゅっと手を入れる。
「だから、それ嫌ですって。」
 ん。通常運転だ。

 厨房に足を踏み入れた俺は、後悔しかなかった。
 古くさい映画の中でしか見ないような建物から、扉一枚を隔てたそこに広がる近代的なクリーンルーム。
「こりゃ、メイペスには見せられないわけだ」
 そういうと、アンスタウトは眉を寄せながらも、無理に口角をあげている。

 中には二人の男女が、“壁”から食堂に向けて芋を移動させている。
 こちらから見れば、まるで壁の中から芋が現れたようにすら見える――厨房の存在を隠すための、巧妙な仕掛けだ。
 
 二人はアンスタウトに気がついたようで、マスクから覗かせた目で軽く会釈をしている。
「こちらへどうぞ」
 アンスタウトが、“壁”の向こうに続くだろう扉に手を掛け、俺とレイノシュを誘う。
 さっきと同じだ。
 アンスタウトが壁に手を触れると、溶けるように壁に穴が開く。
 そして、先に有るのは…
 予想はしていたが、食品工場そのものだった。
 ガラスで仕切られている向こう側には、巨大な鍋。
 ベルトコンベアで運ばれている食物。
 完全機械化で、人がいる様子はない。

 さすがにその工場の方には入らず、真っ直ぐ伸びる廊下から別の部屋へ誘導される。
 どこもかしこも広く、ゆとりのある厨房の外に比べたら、三人で並ぶことが出来る程度の狭い通路。
 ……床は、リノリウムだな。
 音を吸い込む廊下の先に現れる壁。
「ここは、急場凌ぎで隣を仕切っただけなんです」
 壁に触れる前に、泣きそうな顔をしてアンスタウトが言う。
 厨房に入ってからというもの、アンスタウトの眉間から皺が取れない。
 俺はアンスタウトの眉間の皺に親指を這わせ、擦ってやる。
「そう心配しなくても、メイペスには黙っといてやるさ」
 そう声を掛けると、力が抜け柔らかい表情に戻る。
「その事は、心配してません。ぼくの懸念は貴方に災厄が向かないかだけです」
 貴方”たち”ではなく、貴方…つまり俺だけか。
 レイノシュには振りかからないということなら、まあ、いいだろう。
「俺にだけ向くなら、いいんじゃないか?」
 と、軽く言うと、今度は隣にいたレイノシュの眉間に皺がよる。
 アンスタウトと違って、こいつは口角を上げる気遣いは無いから、本当に驚嘆しているようだ。
「「貴方って人は……」」
 ん。いいハモリだ。

「何があっても、レイノシュは文字通り飛んでくるだろ?」
 雰囲気を一掃したくて戯けて言うと、
「……当たり前です」
 と、レイノシュが絞り出すように答える。
 状況はそんなにも芳しくないのか…?
 うーん…でもよ?始まってもいないことに杞憂するのも趣味じゃない。
「窮すれば通ず、だぞ?」
 そういうと、レイノシュの強張っていた面持ちに綻びが見え、
「……ったく、本当に貴方って人は!」
 さっきと文言は変わらないけれど、幾度ともなく見た、癖のある表情。
 俺はレイノシュを抱き締めようと腕を伸ばし…たが、するりと抜けられた。
「だから!何度言ったら分かるんです?そう言うのは嫌だって」
 皮肉目いているのに、照れ臭そうなその顔を見たいからだよ、とは言わない。
 至って通常運転に見せるレイノシュに、態とらしい舌打ちを聞かせると、ようやく愁眉を開いた。

「こちらへどうぞ。数年前にミリタフが使用したものがあるので、問題ないかと思いますが、レ…イ・グレコ使えそうですか?」
 レイノシュの名前を呼びにくそうにする、アンスタウト。
「そういや、祭りがどうとか言ってたな?何かあるのか?」
 道具を選別するレイノシュを余所目に、アンスタウトに訊ねる。
「ああ、あなた方で言うところの新年のお祭りですね。年が新しくなります。一週間後ですね」
 ん?今は玉蜀黍の取れる時期で、新年にはまだ遠くないか?
「この地の新年は、最初の旅人に準じてます。今年は…ぼくの代替わりですね」
「代替わり?」
「ええ、ぼくたちは二十年で交代します。そうなると、年号…えっと…大きな節目となるんです」
 年号………ねえ?
「二十年を数えるってことは、一年は何日なんだ?」
「暦はないですけどね。単純に新年の祭りから365日を数えます。その辺がメイペスの仕事のひとつですね」
「めんどくさくないか?」
「慣れですよ」
  
「ん?ちょっと待てよ。それじゃあ誕生日とか記念日とか…どうするんだ?」
 メイペスと、アンスタウトしか日付を把握してないのであれば不便ではないのか?
「ああ、記念日の概念はないですね。新来者の戸惑うことのひとつですよ。誕生日は…新年にみんな一度に年を重ねます」
 ?意味がわからない。
「東洋には古くからある、数え年ってやつです。生まれた時一歳で、新年で年を重ねる」
 ふうん…じゃあ毎年、誕生日がいつだったかなんて悩まなくていいな。
「あれ?じゃあ、メイペスは?十九とか言ってなかったか?そうすると満年齢は…」
「十六…ですかね。彼女は新年に近いときに生まれてるんで」
「ガキな筈だ…」
「そうですね…」
 アンスタウトは思案に余る表情を隠せない。

「グレコ様!コイツを三つ運んでください」
 鍋を物色をしていたレイノシュから指示が飛ぶ。
 すっかり任せっきりにしていたが、レイノシュの方に目を移すと……もう、驚くのは疲れた。
 釜戸の振りをした、電子コンロがある。
 ……
「エデノの住民は“火”を使わないので、こうするしかなかったんです」
 別の棚からバッテリーらしきものを取り出したアンスタウトが、苦笑いで答える。
 厨房に立ち入らず、部屋にも台所がないのだから火なんて扱わないわな。
 
 …ん?
 …違和感がよぎる。
「あれ?お前さん、代替わりで来たばかりなんだろ?何でそんなに詳しいんだ?」
 俺は移動式の屋台に、コンロや鍋を乗せながら聞く。
 ミリタフがポップコーを振る舞った時、アンスタウトはここにいたのか?
 ふっと、レイノシュが言葉を紛らわす時の表情を浮かべた後、アンスタウトは
「……ヴレノシュの引き継ぎのお陰です……かね」
 と、呟いた。
 ヴレノシュ…名前はよく聞くよな。
「パートロの伴侶で、メイペスの母親。ぼくの前任ですね」
 なるほど、引き継ぎか。
 些か細かいような気もするが。
 それ以上に影を落とした表情が気にならないわけではないが、所詮よその国の事情なんだ。
 深入りはしない!しないぞ!………今さらかも知れないが。
 …そこ!…レイノシュ!笑うんじゃない!

 食堂の入り口に屋台を置き、バッテリーを釜戸に隠しコンロを並べる。
「もう一台、屋台持ってきたほうがよくないか?」
「そう思うなら、取ってくる。はい」
 ぱんと両手を合わせるレイノシュに追いたてられるように厨房へと戻される。
 おいレイノシュ、人使い荒くないか?

 くすくすと笑いながら、アンスタウトがついてくる。
「ん?、道ならわかるぞ。一本道なんだし」
「扉はぼく…か、レ…イ・グレコじゃないと開きませんよ」
 レイノシュの名前を呼ぶ度に戸惑いを隠し獲ないアンスタウトに、
「………ぷっ!」
 吹き出してしまう。 
「どうしました?」
「いや、レイノシュの名前、呼びにくそうだなと、思って」
「……そうですね…。まず、エデノの慣習では新来者はフルネームで呼ぶのです。が、彼はぼくと同じですし…だからと言って……レノシュと呼ぶのは違うでしょうし、……でもレイノシュと呼ぶほど心を許して貰ってるとは思えないので…」
 複雑だな。
 まあ立場上、色々あるのは察する。
「好きなように呼ぶといいさ。そんなこと気にするようなやつじゃない」
「そうであれば、いいのですけど…」
 と、アンスタウトは口を閉ざしてしまった。
 んー。そんなに悩むことかな?
 アンスタウトはエデノでの立場があるのだから、それに則ればいいだろうに。
 それとも、えにしの方に配慮しているのだろうか?

 靉靆たる空気を打破するべく、話の種を探す。
「でもさ。家名が無いのも面倒じゃないのか?見たところ部屋番号も無いようだし。何階の何々さん、みたいな呼称なのか?」
 我ながら気が利かないなと思いつつ、無難な疑問を訊いてみる。
 アンスタウトはそんな俺の些末な疑問に、何かを察して目を細める。
「それなら、【把握】…メイペスが文字通り把握するんですけど、エデノの住民は同じ名前を使いません」
「?」
「名前が同じになら無いように届け…いえ、【把握】に伝えます。幾つかの用意してある選択肢から選ぶと言った方がいいでしょうか?」
 名前は認識呼称と言うわけか。
 全くもって、妙なところに情緒がない。
「家族を継ぐことが無いので、呼ぶときに困らなければいいんですよ。ミリタフなんかは既に同じ名前の者がいたので、永住を決めた際に改名していますね」
 なるほど。
 
「実際、家のゴタゴタなんざ、めんどくさいだけだもんな。ある意味合理的か」
 身内が死んだり結婚したりする度に、大騒ぎになる我が家に想いを馳せる。
 あれは確かに嫌気がさす。
「どうですか?ここに永住されませんか?」
 何時になく真剣な面持ちでアンスタウトが言う。
 んー…。
 去るにしても、残るにしても。
 どちらもこう決定打に足りんのだよな。
「今なら、メイペスをお付けしますよ」
 アンスタウトが悪戯な微笑みを浮かべて言う。
「……なんでそうなるんだよ」
「なんとなく、です。ま、ぼくの一存でどうこうなるわけもないんですけど」

「そんな牽制しなくとも、取りゃしないさ」
 ……?押し黙るアンスタウト。
「牽制……なんでしょうか?」
「違うのか?俺には大事なものを隠しておくために、わざと要らないふりしてるように見えるぞ?」
「そう……なんでしょうか……」
「大事に思うからこそ、躊躇してるんだろ?でなかったら、とっくに子作りしてるだろ。それが、お前さんたちの使命なんだろ?」
「………そうですね」
「ま、いいんじゃないか、ゆっくりで。ガキ相手になにかと大変だろうが」
「ですね……」

 屋台を持って厨房の入り口に戻ると、ポップコーンの香りに誘われた、エデノ住民が興味深げにレイノシュの周りに集まっている。
 まあ、コイツが説明なんかするわけもないので、何が始まるのか期待よりは困惑が見て取れる。

「レイノシュ……何も説明せずに作り始めたのか……」
「何を説明できるんです?それはそっちのかたの仕事でしょう?」
 と、アンスタウトの方に顎を指す。
 ん。
 両手は塞がってるから仕方ないけど、横柄じゃないか?
「構いませんよ、グラスコ・グレコ。確かにぼくの役目です」
 そういうと、アンスタウトは集まっていた住人たちに説明をしている。
 新年の祭りに向けての予行練習、と落とし処を見つけて、量は多くはないけど振る舞うことを約束している。
「僕が?三千人分?ったく…………グレコ様!ほら、キリキリ働く!」
 はい。働かせていただきます。
「ほら!何してるんです!出来たものにジャムを絡めて!熱いうちに!」
 …あるじ遣いが粗すぎやしませんか?レイノシュさん…

 そんなこんなで、おやつを振る舞っていたら漸くパートロと並んでメイペスがやってきた。
 パートロと話していて渋い顔をしていて、待望のポップコーンだろうに中々近づこうとしない。
 この期に及んで真剣な話し合いか?
 とも思ったが、渋面のパートロを残して、満面の笑みを浮かべたメイペスが一目散に駆け寄ってくる。

「すごーい!甘い匂い!え?なんで?なんで?ピンクにイエロー!」
「出来合いのジャムと絡めるだけだよ」
 素っ気なくメイペスと話すレイノシュだが、一体いつの間にジャムなんて用意したんだ?しかも出来合い?と、不思議にしてたらアンスタウトが持ってきたようだった。
「このくらいはエデノにもありますよ」
 拗ねた素振りのアンスタウトが、瓶詰めのジャムを数種類並べる。
「ここんちの調味料の豊富さは目を見張るよ、全く」
「一々どこから来るとも知れない新来者に、献立を合わせるわけにもいきませんからね」
 なるほど。
 合理的っちゃあ合理的か。

 見れば、メイペスが弾けるポップコーンにきゃあきゃあ言いながら燥いでいる。
 その傍で、パートロがなにか言いた気だったが、アンスタウトが唇の前に指を立てたことに気付き、こちらに来て深々とお辞儀をする。
「全く、あなた方が来て10日…グラスコ・グレコ、あなたが目覚めてまだ3日だと云うのに……おれが出来なかったことを、いとも簡単にやってくれる」
 と、苦笑するパートロだが続けて、
「て言うか、アンスタウト!お前の仕事だろ!新年も目の前だっていうのにメイペスの教育はどうなってんだ?」
「新年の準備は滞りないですよ?」
「あ…リズクコか。…今年は…いいのが見つかったな」
 と、俺を見てニヤリと笑う。
 なんだ?リズクコって?
 アンスタウトに目を移せば、こちらも不敵な笑みを浮かべている。
 お前さん、さっきまでの沈痛な面持ちはどうした?!
「まあな。メイペスをあんなにしたのは、おれなんだろうし。仕方ないか。アンスタウトはアンスタウトでやればいいさ。じゃ、おれは芋食って帰るわ」
「メイペスには言わないんですか?」
「いいだろ。楽しそうだし。あとはよろしく頼むわ」

「あ!白髪のおいたん!」
 と、声をかけてきたのは昨日の子だ。
 若い男女と連れ立ってきている。
 女性はメイペスと軽く挨拶をすると、子供たちとテーブルの方へ……
「おいたん!これなあに?」
 …迷子になるぞ?
 俺は子供を抱き上げ、片手でポップコーンの器を持って、テーブルの方へ歩く。
「うわあ!たかあい!」
 無邪気なもんだ。
 レイノシュが余所行きの顔をして、男と話しているのを、メイペスが、不服そうに見ている。
 ま、レイノシュが上手くいなすだろう…多分。

「お届け物に上がりました」
 そう戯けて女性のいるテーブルヘ着く。
「あら、クナビネどこにいってたの。って、ありがとうございます。あなたが新来者さんね」
「グラスコ・グレコです」
「私はリタフォ。今日は子供たちの当番なの。面白いことやってるのね」
 と、屋台を指して言う。
「……まあ、こっちの方も大概面白いけど」
 ジャングルジムよろしく、子供たちが俺によじ登ってる様を見て、リタフォが笑っている。
「リタフォ!あれなら、おれにも出来そう…って、わっ!みんな何やってるの!!」
「たかいのー」
「すごいのー」
 髪は引っ張っらないでもらえるかな?

「すいません。オレはミリタフて言います。リタフォの夫です」
 ミリタフ。
 ポップコーンを作ったってやつか。
 オレは名前だけを告げると、ミリタフの顔色が、さっと変わった。
「え?グラスコ・グレコって、ヘジム国の…」
「あ?知ってるのか?10日前までの話だよ」
「あの国も、なかなか落ち着きませんね」
「そうだな」
 落ち着くことがあるんだろうか?
 俺は意外なほど郷愁が沸かないことに気が付いた。
 
「此処に来られたという事は、並々ならぬことがあったのでしょう。心中お察しします」
 と、やけに丁寧に受け答えかれた。
「ミリタフはグラスコ・グレコと知り合いなの?」
 と、リタフォが聞いてくる。
「この人は有名人なんだよ」
「へえ…歌ったり踊ったりするってこと?」
「いや、そっち方面の有名人じゃなくて…そうだな。王様だったんだよ…て、ああ、過去形で申し訳ありません」
「いや。その通りだから構わないさ。結局元の党首に刺されて、立場を追われたんだから」
 と言うと、女性にはキツかったかリタフォの顔がさっと青ざめる。
「あ、リタフォ。すまない。この国の人間には些かキツイ言い方だったな。申し訳ない」
 と、頭を下げ……たかったんだが、首にまとわりついてる子供が落ちそうだったので、口先だけの謝罪だ。
「そんなつもりじゃないんです。お気になさらないで」
 いい女じゃないか。
 ミリタフ、やったな。

「そういや、お前さん……ミリタフだっか。お前さんのお陰で、楽できたよ。よくここで作ろうと思ったな」
「え?あ、ポップコーンですね!この地の人たちが爆裂種の玉蜀黍を不味そうに食べてるのが気になっただけです」
「ヴレノシュとパートロが前衛的で良かったわよね。多分メイペスなら『厨房は係が違います!』てお話にならなかった筈よ」
 と、コロコロと笑っている…ん?
「お前さんも、エデノ生まれなんだろ?随分、砕けた考え方が出来るのな?」
 そう聞かれたリタフォは、ミリタフの顔を見たあと、
「内緒です」
  と、アンスタウトみたいに唇の前に指を立てた。
 お前ら、それ好きな、と思うがかわいいからいいか。

「おいたん、これどうぞ」
 とクナビネが小さな手で芋を差し出す。
「あそんでくれたのとぉ、ぽぷこーんのおれいです!」
「お前の分じゃないのか?」
「おなかいっぱいですぅ!」
「そっか、ならいただくとするか。ありがとな」
「どういたまして、です!」

「それはそうと、新年のリズクコ作りに駆り出されそうですよ?」
 ミリタフが切り出した。
 ああ、そうだ、そんなこと言ってたな。
「その、リズクコってなんだ?俺らが知ってるものか?」
「ライスケークって分かります?東洋の」
「…ん…?聞いたことはあるような…ないような?」
「穀物を蒸してつく、だけです。つくのが力仕事なんですが」
「?……ま、後の楽しみに取っとくとするか!」
「ですね。見ないと分からないと思います!」
 物凄く、得体のしれない期待をかけられているような気がする…体力戦なら、まあいいか。
 俺は芋を齧りながらレイノシュの方へ戻った。
 やつなら、ライスケークが何なのか知ってるだろう…

 何だかメイペスが揉めているようだ。
 …ふうん。
 子供たちの為の名目のポップコーンを、大人にやることに躊躇してるのか。
 全く、子供故の正義感は結構だか、何であの子はこんなにも頭が固いかね?

 レイノシュがカラメルの余りで作っていた生キャラメルが目に入ったから、有無を言わさずメイペスの口に放り込む。
 食えと言っても、食わんだろうからな。
 と、口の中で溶けていく生キャラメルにぽろぽろと涙する。
 そうか、この子は知らないだけなんだ。
 
 おやつの時間が一段落して、後片付けをしていた時だった。
 メイペスが思い詰めた顔をしていたと思ったら、言うに事欠いて俺に子作りを教えるとか言ってきやがった。
 
 ……ったく…
「この際、教えて貰ったらいかがですか?」
 と、レイノシュが涙を溜めて大笑いしていやがる…どれだけだよ。
 
 俺はレイノシュの隣に腰を下ろし、そのままやつの肩に頭を乗せる。
「なあ、レイノシュ、今日は疲れた」
「でしょうね。十日前に腸飛び出して、三日前に目覚めたくせに、崖から飛び下りて飛び道具持ったヤツと大捕物したんですから」
 …………
「……俺は、莫迦か?」
「知らなかったんですか?」
 俺の指は、自然にレイノシュの髪に伸びて、くるくると弄っていた。
 レイノシュはいつもみたいに拒まずに、俺のやるがままさせてくれている。
「そうか…莫迦か…」
「そうですよ。少しはご自分の事を考えてください」
 気持ちよい声に、俺の目蓋は開けていることを諦めた。
 

 翌朝、食堂に向かうと、一気に新年を迎える祭りの準備へと突入していた。
 やはり、祭りと云うものは何処の国でも、こう身体の中から沸き上がるものを感じる…かと思いきや、ここ、エデノは至って平穏な面持ちだった。
 いや、メイペスやアンスタウト、ミリタフやリタファは忙しくしている。
 パートロもだ。
 けれど、他の住民たちが彼等に加勢しようとする様子は伺えない。
「みんなでやらないのか?」
 通りかかったメイペスに聞いてみる。
「みんなで、やってるじゃない」
 …どうやら、“みんな”の定義が違うらしい。
 
 アンスタウトに聞くのが一番なんだろうが、見当たらないのでミリタフを捕まえる。
「そうですね。この…最初の旅人の末裔って云われてる人たちが、住民をもてなすってイメージのほうが合うと思いますよ」
「それは、祭りか?」
 ミリタフは苦笑する。
「皆で騒ぐと、喧嘩のモト、らしいですよ」
 
 なるほど。
 どれだけ些細な争い事も、先回りして潰そうとしているのか。
 石を取り除いた道は、転ぶこと無く歩けるだろうが、転ばないということは果たして良いことなのか?

「また、お節介の血が騒ぎ出してませんか?」
 レイノシュが自然に隣に立つ。
「難しいこと考えてる顔してますよ。あなたは何も考えてないように笑ってる時が………面白いです」
 何だそれ?
 
「あ!いたいた!グラスコ・グレコ!こっちだ!こっち!」
 と、パートロに腕を引かれる。
 珍しいな、て、まだ知り合って四日だし、珍しいも何もないのだが。

 厨房の入り口前に置かれた、木製のハンマーと、これは臼か?
 俺の知ってるもので一番近いが異なる物。
 その臼らしき物の中には、白い塊。
 ??なんだこれ?湯気が上がっていると云うことは、熱を持ったものか?
「これを、これで、つく…叩いてくれ」
 ?
「リズクコ作りだ!」
 
 昨日の今日で、俺の体力は削られていくらしい。
 
 
 
 
 
 
  

 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

 
 
 
 
 

7(8/8)

メイペスは疲労困憊していた。

 幼い頃から慣れ親しんできた新年の祭りとはいえ、今回は整合する者の交代と、把握する者の役割を与えられてからの初めてのお祭りだ。
 
 段取りは何時も通りなのだけど、役割を持っているだけでこんなにもやることが増えるのか、と思うと、パートロってちゃんとやってたんだなーと思う。
 
 大変、を顔に出さない。
 何時だって、ヴレノシュと笑ってた。
 
 …私も、アンスタウトとあんな風になれるのかな……って!アンスタウトよ!なんでグラスコ・グレコで想像するのよ!
 
 メイペスは自分の想像を散らすように頭を振った。

「お前は馬か」
 と、背後から声がする。
「うま?」
 知らない言葉を発するのは、グラスコ・グレコに他ならない。

「あ、牛みたいな動物だ。人を乗せて移動する」
 メイペスの顔が途端曇る。
「人を乗せて…?歩けばいいじゃない」
 
 
 
 

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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