# 金沢から新潟 助手席のシバ(その1) (北海道編①)
第1章 -車酔いとベルト鳴り-
平成元年7月下旬、蒸し暑い夕焼けから、夜のとばりが降りようとする午後7時。
俺たち3人は、颯爽とリーザ・チャチャに乗り込んで、金沢を出発する。
――のはずだった。
「おい、まじか?俺はどこに乗るんだよ」
旭川出身の野口は、助手席のドアを大きく開けたまま、リーザ・チャチャの車内を指差して固まった。
無理もない。後部座席は、これから始まる北海道一周のキャンプ旅行のために買い込んだシュラフ、テント、謎のクッカー、さらに水と食料が詰め込まれ、完全にパンク状態だった。もう人の座るスペースなど、1ミリも残ってない。
俺の愛車は、購入してまだ1年で、女性向けのお洒落な軽セダンとして一世を風靡したリーザの特別仕様車で、キュートな卵型のフォルムに、3ドア。ボディカラーはネイビー・ブルー。
それが、今、運転席と助手席には、すでに男2人が座っていた。満タンの荷物の後部座席に、さらに3人めが乗り込むことは、もはや無謀と言わざるを得ない。
「すまない、後部座席にスペースは無くなった。という訳でお前の地元は旭川だし、現地集合ってことで、向こうで合流な!」
ちゃっかりと助手席に陣取っていたシバは、呆然と立ち尽くす彼に向かってそう言い放つと、パタンと助手席のドアを閉めた。
おいおい、1000キロ以上の旅を、サークルのコンパに行くみたいに言い捨てるなよ。
――だが、今だからこそ分かる。全部シバが仕掛けた「芝居」だったのだ。
野口はもともと極度の車酔い体質で、過酷な北海道一周ドライブなんて絶対に無理だった。ノリで「行く!」と言ったところ、俺があまりにも嬉しそうしているので、野口は自分からは「やっぱり行けない」と言い出せずに、困り果てていた。それを察知したシバが、「物理的に乗れない茶番劇」のシナリオを裏で書いたというわけだ。
運転席に座る俺が、そんな裏事情も知らずに驚きを隠せずにいると、空を仰いで抗議する野口に対して、シバは窓からひょいと首を出して、トドメとばかりにこう言った。
「もう日が沈んだ。リーザ・チャチャよ、出発だ! じゃあな野口、北の大地で待ってるわ!」
「わかった、お前たちは先に行け。でも、こころはお前たちと一緒だ!」
こうして、俺たちはスタートからまさかの編成変更を経て、金沢を飛び出したのだった。
――今思い返せば、あのときの野口の絶望のリアクションも、シバのリーダーのような仕切りも、ハッキリ言って大根役者ぶりだった。当時の俺は、突然の変更にビックリしすぎていて、その不自然さなど微塵も見抜けなかったのだが。
思い出というものは勝手なもので、年月が経つと都合の良い輪郭だけを残して記憶が溶けていってしまう。だが、ふとした拍子に、濁った水底から片鱗が浮かび上がるように、どうでもいい出来事のディテールが色鮮やかに蘇ることがある。
この旅は、シバという男の計り知れない計略や、野口の地元の実家での思わぬ出会いなど、その後の人生に大きな影響を与えるドラマの連続だった。でも、このときはまだ知る由もなかった。
ましてや、旅の途中で出会う、あの不思議な気配を纏った女性こそが、俺の運命を決定づける存在になるということを......。
リーザ・チャチャで、自分たちの限界も知らずに、果てしなく広大な北の大地を突き進んだ。俺たちにとっての最高の冒険――あの小さな青い車でめぐった北海道ドライブ旅行の記録を聞いて欲しい。
◇◇◇
旅が動き出す。ライトアップされた石川門を横目に兼六下を抜け、バックミラーの向こうに、宵の口の活気だった金沢の街並みが遠ざかっていった。マックで買ったハンバーガーを頬張りながら、安全運転で北陸自動車道へ向かう。やけに眩しい金沢東インターの料金所を過ぎて本線へと滑り込む、旅の始まりという高揚感が、エンジンの軽快な音に重なる。
当時はスマホもカーナビもない時代だ。明日の午後6時に大間から出港するフェリーに間に合わせるため、助手席のシバは分厚い道路地図と腕時計を睨みつけ、「ええと、ここからここまでが平均時速80キロだから……」と、狂気じみた計算を叩き出していた。
その緻密さだけは評価してやろう。
石川と富山の県境を跨ぐトンネルの群れを抜けると、闇の中に灯りがポツポツと滲み出てきた。再び車が丘陵の暗がりへと吸い込まれ、息を潜めるように山あいを抜けたとき、ふたたび視界が劇的に開ける。目の前に広がったのは、富山市の優しく、どこか懐かしい街の夜景だった。夜空の下でじんわりと温もりを放つその街並みを目にして、置いてきた野口のことが心の片隅に引っかかった。それでも、走り出してしまったのだから、もう引き返すことはできない。
「なあ、シバ」
「ん?」
「野口だけど、本当に置いてきてよかったのか? もうちょっと荷物を詰めて、がんばったら、乗れたかもしれないじゃないか」
それを聞いた瞬間、助手席の背もたれにふんぞりかえっていたシバの肩が、ピクリと揺れた。
「な、なに言ってんだよ。この荷物の量を見ろよ、物理的に無理だったろ!」
シバは少し早口になり、大げさに両手を広げて見せた。
「整理したら座れたかもしれないだろ?」
「……まあ、綿密に計算して配置を変えれば乗れたかもな。でも、大丈夫だよ! あいつは、タダ乗りしたくて『行く』って言っただけで、ダメなら自費で帰省するからさ」
「そうか?」
「現地集合になっても、野口家で、ジンギスカンをごちそうになる約束は無くなってないから、多分」
「俺たちが、車で野口の実家に押しかけたら、家族の人、びっくりするだろうな」
「そうそう、家族といえば、野口の妹が、うちの大学を志望しているんだと。今度の金大祭に来るって野口が言ってた」
女性が苦手なシバが、話を切り替えたことに首をかしげつつも、野口の妹のことには興味が湧いた。
「彫の深い顔の野口が、もし女性だったら、綺麗というか、すごく可愛くなる気がするな。野口の実家に行くのが楽しみになって来た」
「何を言ってやがる。これだから童貞は…」
「お、お前だって彼女いないじゃないか! そもそも、女性とろくに会話も出来ないじゃないか」
「……これでも俺だって、頑張っているんだから」
シバは、小声でそう言った。
気まずさを紛らわすように、シバが話題を戻す。
「でも、荷物は整理したいな。せめてリクライニングができるくらいには、うまく整理して隙間を空けたいな」
「よし、任せた」
「よし、任された」
滑川のあたりから、海と山が狭い隙間を奪い合うように険しく迫ってくる。海側にはイカ釣り漁船の漁火が広がり、暗い海上で強烈な白い光を放っていた。その漁火に伴走するかのように、小さな街の灯りたちが次々と過ぎ去り、さらに進むと、今度は前方を塞ぎにかかるかのように、山塊が海へとせり出し始めてくる。車体を震わせる小さなエンジンの音を聞きながら、親不知の難所へとまっすぐに進んでいった。
昨年開通したばかりの真新しい親不知の対面通行区間にリーザを滑り込ませていく。シバは、荷物の配置に、パズルじみた綿密な計算を叩き出そうとしていた。
「運転席後ろの後部の足元にはペットボトルと水筒と紙コップを置くだろ、シートの下にはカロリーブロックを詰め込んで、そうすれば段ボール1箱なくせる。それから......」
「なあ、いっそ後部の背もたれ自体をごっそり外しちまうってのはどうだ? その背もたれは、簡単に取れた気がするんだよな」
「マジか、それならラゲッジスペースの奥までフラットな一枚板になるから、重いクッカーとテントを平らに並べて、その上に着替えの入ったボストンバッグを置いて、奥には残りの段ボール箱を並べて……その上には、3つのシュラフで背もたれ代わりにするっと」
「シバ、天才だな。それならリクライニングどころか、後ろで足を伸ばして横になれるぞ」
「よっし、次の蓮台寺パーキングエリアで停まってくれ。ダッシュで、荷物整理して、後部座席に仮眠スペース作るから」
俺たちは、リーザ・チャチャを蓮台寺パーキングで止め、後部の背もたれを外して、荷物を一気に載せ替えた。
パーキングを出発して、シバは、ご機嫌で出来たばかりの後部座席の特等席に収まっていた。
「なぁ、シバ」
「うんだあ?」
「今更だが、これだけ広くなったら3人乗れるな、野口には申し訳ないことした......その代わりと言ったらなんだけど、もしも、もしヒッチハイクしている人がいて、乗れなくて困っているようなら、乗せてあげても良いか?」
「え? 女性はちっと……」
「大丈夫、そのまま後部座席で居てくれ、ヒッチハイカーは助手席に乗せるから、シバは会話はしなくて良いぞ」
「それ確定なのか? あ~、でも、困っているなら、乗せても良いな、『旅は道連れ、世は情け』っていうからな」
その後、お互いに話すこともなく、夜の高速を走る。街灯がほとんどなく、ヘッドライトが切り裂くアスファルトの白線が、退屈に続いていた。
「なぁ、シバ。眠くなったら運転代わってくれよ」
「お、まかせろって。交代制だろ、当然」
日本海沿いを北上し、俺たちはそんな約束を交わした。
「ほら、代わってやるよ。少し寝とけって」
米山SAで、シバにハンドルを譲り、俺は、シバの神業的整理の後部座席に身を沈めた。だが、問題はすぐに起きた。
ぐにゃりと、車内の空気が歪む。運転していたら長時間走っても平気なのに、他人が動かすエンジンの揺れ、ガタガタと路面を拾うタイヤの振動が、俺の三半規管をバグらせる。
「っ……、おい、ちょっと……」
「ん?どうした?」
「限界だ……車酔いした……」
あろうことか、強烈な車酔いに見舞われた。青い顔の俺を、バックミラー越しに見て、シバは「え、お前が酔うんかい!」とドン引きしている。
結局、次の大積パーキングエリアで休憩し、「もう、お前がずっと運転な!」と運転席に追い返され、ここから先、北海道の地平線にたどり着くまでのおよそ1000キロを、俺がワンオペで走り抜くことがこの瞬間に確定したのだった。
だが、不思議と嫌な気はしない。
ルームミラーの向こうでは、シバが「ここからのワンオペのスケジュール最適解を導くのだ」と、怪しげな計算を再開していた。
北陸には珍しい夜空の星の煌めきと、日本海の漁火と中越の街灯とのオーケストラに、ぴかぴか整備万全のリーザ・チャチャが割り込んでいく。
眠気など吹き飛んで、今、最高にイカした夏の冒険が幕を開けたのだ。
(続く)
<北海道編 全13話完結><金沢日常編 全8話完結> 随時にブラシュアップ中。助手席の彼女と車中泊 ——境界のロードノベル(平成)—— なろうで公開中。
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