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ライバル難民

奥井晴弥

2,584 字

現代文学、社会派、歴史と物語

"英雄の伝記は、誰の物語を葬り去るのか。"

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「クラウヴィセ先生、もっと、なんというか、心踊るような、面白い展開にならなかったものでしょうか」
伝記編纂委員会の主幹であるシェルゼンは、私の原稿を机の上に置いて、言った。
「心踊るような、ですか」
「はい。先生の『二人の将軍』。あのような迫力のある、手に汗を握る、そういう見せ場が欲しいのです」

『二人の将軍』は、私の出世作となった、かつて存在した王国の内乱を描いた歴史小説だ。
国を東西に二分する争いの中、二人の将軍がそれぞれの誇りをかけて戦う物語。
二人は若い頃、同じ軍事学校で学んでいた。
互いの力量を認め合い信頼し合った仲でありながら、戦場では敵として対峙する。

「しかし、これは物語ではなく伝記です。以前の原稿で、敵軍の将校を優秀に描きすぎたというご指摘がありましたが」
「はい。そのとおりです。この伝記が、史実に忠実であることは大前提です。ただ改めて通読してみて、先生ならもっと読者を惹きつけるような文章が、書けたはずだと思いまして」

「……では、あの敵軍将校の記述を元に戻しましょうか」
「いや、それはやめておきましょう」
シェルゼンは笑顔でそう言った。

話は一年ほど前に戻る。
二年後に建国百年を控え、我が共和国では初代最高指導者ヴァンデン閣下の公式伝記を刊行することになった。
私は、その執筆者として選ばれた。
ヴァンデンは我が国を外国の支配から解放し、共和国の礎を築いた人物だ。
独立戦争の指揮、荒廃した国土の復興、産業の近代化の推進を行った偉大な指導者、建国の父として語られている。
国じゅうに彼の記念碑が建てられ、家々には彼の肖像が飾られている。

依頼を受けた時、私は国家公文書館の史料の閲覧権限について尋ねた。
その時シェルゼンは「公式記録はもちろん、未公開の史料もご覧いただけます」と答えた。
「史実に忠実であることが大前提ですので」とシェルゼンは付け加えた。

私は半年をかけ、膨大な史料を読んだ。
史料に描かれたヴァンデンは、たしかに並外れた人物だった。
常に優れた判断力を持ち、困難な状況でも冷静さを失わず、人々をまとめ上げていた。
とりわけ独立戦争中の軍事指揮は、神がかった才能を感じさせるものだった。

私は伝記を五つの時期に分け、独立戦争の決定的勝利から始まる構成を提案した。

シェルゼンの最初の指摘は、独立戦争最大のターニングポイントとなった国境近くの戦いについての記述だった。
「先生、この、敵軍将校の記述、ずいぶん優秀な指揮官として描かれていますね」
「ええ、当時の戦況を見る限り、相当優秀な軍人だったと思いまして」
私は史料を開いて見せた。
「彼は、ヴァンデン閣下の進軍を三度、阻止しています。最終的には我が国が勝利するわけですが、相手方に優秀な軍人が配置された重要な戦線だったということが、その勝利の意味を大きくしたと思うのです」
それを見て、シェルゼンはしばらく考えた。
「なるほど。先生のおっしゃることはわかります。ただ、これでは敵軍将校が閣下に匹敵するほどの優れた人物だったように見えませんか」
「いや、匹敵するかどうかはともかく、相応に優れた人物だからこそ、閣下の卓越した指揮能力が伝わるのではないでしょうか」
「しかし、閣下の軍と互角に渡り合えるほどの人物が敵軍にいたという記述は……」
「わかりました。それでは書き直してみます」

私は原稿を持ち帰り、敵軍将校の記述を減らしてヴァンデンが敵軍の弱点を見抜いて勝利したことを強調した。
三度の進軍阻止については、敵軍の作戦の優れていた部分の記述を大幅に減らし、
自軍の消耗を最小化するためのヴァンデンの賢明な判断だったという史実の方を前面に出した。
「先生、これで良くなりました。ありがとうございます」
シェルゼンは笑顔を見せ、頭を下げた。

シェルゼンの指摘は、伝記の様々な場面で行われた。
ヴァンデンの少年時代の優秀さは教師の指導によるものではなく生まれつきの才能によるもので、教師はあくまでそれを見出した立場とする。
独立戦争後の荒れた国土の中で起きた飢餓の問題についての記述は減らし、復興政策が優れたものであったことに重きを置く。

こうして執筆と修正を繰り返すうちに、更に半年が過ぎ、私はあることに気づいた。
原稿は着々と完成に近づいていた。
しかし通しで読んでみると、物語としてはあまり面白くない。

原稿の中のヴァンデンは常に正しかった。
敵の意図を見抜き、国民の声を聞き、未来を予測した。
失敗することも、迷うこともなかった。
私が史料から読み取ったヴァンデンは、たしかに傑出した人物であり、優れた指導者だ。
しかしこの伝記の中のヴァンデンは、誰も成し得なかった偉業を、あまりに簡単に成し遂げてしまう。

私はシェルゼンに電話をかけて相談した。
「シェルゼンさん、もう少し、閣下が葛藤し、逡巡するような場面を描けないかと思いまして」
「逡巡、ですか?」
「はい。独立戦争中も、戦争後の復興も、閣下には多くの難しい決断を迫られる場面があったはずです」
「それはそうだと思います」
「そのとき、どんな問題が横たわっていたのか。閣下が何を抱えていたのか、そういう場面です」
「先生。それは史料には記載されていないことです。我々からみて、閣下は一つも判断を間違っていない」
「それは承知しています」
「でしたら、伝記に閣下の迷いを書く必要はないのでは」
「わかりました」
私は受話器を置いた。

その夜、私はこれまでに執筆した、いくつかの歴史小説のことを思い出していた。
それらの小説の主人公はヴァンデンにも負けず劣らず優れた政治家や軍人たちだ。
彼らは強敵に苦しめられ、失敗し、敗北し、それでも大きなことを成し遂げた。

史料を読み返し、ヴァンデンが節目で対峙した人物について考えた。
独立戦争で対峙した敵軍将校。
建国の際に意見を異にした政敵。
制裁的な交易制度で独立に対抗してきた隣国の政治家。
いずれも、ヴァンデンにとって障害になっていた。
だが、彼に匹敵するような人物としては記録されていなかった。

私は淡々と、史実に沿って原稿を書き上げた。
もっと読者を惹きつけるような文章が書けたはずだ、と思ったが、考えないことにした。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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