■一 彼岸にて
幾重にも堆積した垢の様なものが体にまとわりついて、何度かき分けても一向に剥がれない。藻がいても足掻いてもべちゃりとした感触以外は感じられず、そのうちに体が上に下に、右に左にぐるぐると回され始める。
いい加減疲れそうなものだが不思議と疲れは感じない。ぐるぐると回りながら藻がき続けると遠くに光の点があることに気づく。どうすることもできないのだが、光の点は少しづつ大きくなっており、どうやらそこに向かって吸い寄せられているようだと理解する。
どれだけの時間がかかっただろうか、ようやく光の中に吸い込まれると、そこは目も開けられない明るさで、ただ白く眩く静かだった。相変わらず体はぐるぐる回っているが、だんだんと垢のべちゃりとした感触が薄れていくのを感じる。目を閉じているのか開けているのかも判別できなくなり、意識の混濁が続く。
白く眩いだけだった視界にだんだんと天井材に刻まれた凹凸の陰影が見えてくる。ぐるりと見まわすと埋め込まれた室内灯が煌々と白色光を放っている。視覚がはっきりしてくると体の各器官が新たなものとして組み込まれていく感覚があった。腕、手、足、握る、立つ、歩く、走る、天井を見つめながら組み込まれる感覚を味わうように感じていると「目が覚めましたか?」と声が聞こえた気がした。
「まだもう少しかかりそうですね、大丈夫ですよ、そのままそのまま」とまた聞こえた気がしたが、声も意識も遠く遠くに吸い込まれていった。
また垢の様なものがまとわりついて、それをかき分けるたびに断片的な映像が脳裏に浮かんでは消えていく。脈絡のない映像の連続の中で、高欄に結びつけられた和紙の映像がなぜか強い焦燥を呼び起こしたが、延々と続く映像に溶け込んで消えていき再びこれを感じることはなかった。
「目が覚めましたか?」と声が聞こえる。
前回と違って声が近くからはっきりと発せられたものだと認識できる。声の方に顔を向けると白衣を身にまとい眼鏡をかけた初老の男が立っている。何か返事をしようとするが上手く言葉を発することができない、言葉というよりも体を制御するということが、どうすればよいのかすっかり抜け落ちてしまっている。
「ああ大丈夫、ゆっくり、ゆっくり、ずいぶん時間がかかっとったからね」
初老の男はそう言うと、手に持った用箋挟を確認して諭すように話し始めた。
「城宮道雅さん、まずあなたは現在、彼岸、いわゆる死後の世界に来ています」
こちらの表情を確認して話を続ける。
「死ぬとそのままの姿形と人格で、あたかも旅するように死後の世界に行くような思い込みをされている方がとても多いんじゃが、実際はすべてを一度溶解してこちらの世界で再構築される仕組みなんですな、蛹の状態で此岸と彼岸の間を越えていると理解していただいても構いません」
突拍子もない内容に戸惑いを隠せないが、声を上げることもできず、ただ聞いているしかない。
「ですので、今のあなたのお体の状態は、蛹が羽化した直後ぐらいと思ってください、体の各器官が完成しつつある状態ですね。ただ虫達と違って我々は少し体を動かす練習なんかが必要になりますがね」
初老の男は書類に視線を落として続ける。
「数値は特に問題なさそうじゃな、もうしばらくしたら動けるようになるじゃろう、そうしたらリハビリの開始ですな」そう言うと顔を覗き込んで屈託のない笑みを見せる。
「顔色も問題なさそうじゃな、大丈夫、リハビリをすればすぐに体は動く様になりますからな。あと、必要なことはだんだん思い出してきますでの、何が必要かは神のみぞ知る、ですな、思い出すも八卦、思い出さないも八卦です」
そう言うと笑いながら去って行った。
◇
「ゆっくり立ってみましょう、はい、良いですよ、その調子、ゆっくりゆっくり」
療法士に言われるままゆっくり立ち上がる、足の感覚、立つ動き、今までも知っていたことのような、懐かしい感覚もありながら、それでいて新鮮な感覚でリハビリを行う。まわりには十名弱が同じようなリハビリを行っている。立って歩いてボールを掴んで放ってと一連の動作を終えると、発声練習に進んだ。
「これで体の方のリハビリは終了です、慣れるまでもう少し時間がかかると思いますので、ご自身でもやってみてくださいね、開いていればこちらを使っていただいてかまいません、中庭に出てみるのも良いかもしれませんね、寒いので注意してください」
そう言うと、次は二階で記憶の相談援助があるので、一休みしたら行くようにと告げて去っていった。
どうしたものか思案して中庭に出てみることにする。ガラス戸を引くとすっと冷気が入り込み、弛緩していた皮膚と気持ちを引き締める。体がぶるっと震える反応がなんとも不思議に感じられた。もう一度気持ちを入れ直して外に出ると、風がより冷たい空気を運んでくる。
「どうも、あ、さっき同じリハビリを……」と、柱の陰から先客が声をかけてくる。
「こちらこそ、どうも」人が居たことに少し驚きながら言葉を返す。発声練習のおかげか澱むことなく声が出たことに少し安堵する。
「なんか僕ら、死んじゃったみたいですね、実感もなければ何にも覚えてなくて」
先客は他人事の様に嘯いた。
「そうみたいですね、私も何も覚えてなくて…… 必要なことは思い出していくと言われましたが……」
「そちらもですか、体を動かすのも今まで散々やってたんでしょうが、妙に初めてな感じで何から何まで不思議ですな」
「これからどうなるんですかね、これから記憶の相談援助があるって言ってましたが……」
「そうでした、そうでした、ぼちぼち行って見ましょう」
二人並んで階段を上がり廊下を道なりに進むと、前を歩いていた療法士が第二リハビリ室と書かれた部屋に入っていくのが見えた。後を追う様に部屋に入ると中は間仕切りで仕切られており、それぞれの区画には番号が振られている。
奥から療法士と同じ衣服を身にまとった女性が歩み寄ってくると「お名前をお願いします」と聞いた。
「私は梨山隆と申します」とここまで一緒だった道連れが答える。
「梨山さんは、六番にお進みください」と言われると、こちらに軽く会釈をしながら「また」と言いながら言われた区画に進んでいく。
療法士がこちらに視線を向けるのに合わせて「城宮道雅です」と答える。
「城宮さんは検査がありますのでこの階ではなく、もう一つ上の階になります、先ほど上がられた階段をもう一階上に上がっていただいて、ここと同じ位置になります」と言った。
「分かりました」と応え、第二リハビリ室を出て廊下を戻る。何か別扱いされる理由について逡巡するが、思い当たることはなかった。階段を上がって廊下を進むと、検査室と書かれた部屋に入ると「城宮道雅さんですか?」と声をかけられ「はい」と応える。
「頭部の画像検査を行いますので、奥の診察台に仰向けになっていただけますか?」
診察台に上がると「では、始めますね」と言われ機械の動作音が低く唸るのが聞こえる。目を開けると頭上を検査機器が忙しなく動いているのが見える。また目を閉じてしばらくじっとしていると「終了です、こちらへどうぞ」とさらに奥の部屋から声をかけられる。
起き上がって、奥の部屋に入ると白衣を着た初老の男が、画面を見ながら「どうぞ、そこに座って」と促した。
向き合う様に置かれた椅子に座ると、男もこちらに向き直して眼鏡の位置を直す。転生して最初にベッドで話した男だと、数日前の記憶が蘇る。
「どうも、川奈顕造と申します、こちらで転生されてこられた方の状態を観させていただいている医者みたいなもんですな、その感じだと先日お会いしたことを思い出していただけた様ですな」
「ええ、こちらに来て最初に声をかけてくれた方ですよね、あまりはっきり覚えてはいないのですが……」
「そうです、そうです、あの時は失礼しましたね、一方的にお話ししてしまって」そう言うと川奈は手を広げて見せた。
「こちらこそ前後不覚で何がなんだかわからない状態で……」
「こちらに来て間もない時ですからしょうがない、お気になさらず。あれから何か思い出すようなことはありましたか?」
「いいえ、特には。今こうしてお会いしてあの日のことをようやく思い出したぐらいでして……」べそを掻きたい気持ちで答える。
「そうですか、まあ思い出すという行為は往々にして何かしらのきっかけが必要ですからな、今日だってこうやってお会いしたことがきっかけになって、最初にお会いしたことを思い出されたわけですしのう」
そう言うと川奈は、屈託のない笑顔を見せ、話しを続ける。
「先ほどの検査では特に異常は見当たりませんでした、安心してください」
「どんな検査だったのでしょうか?」と聞いてみる。
「皆さん此岸でお亡くなりになられてこちらに来られるんじゃが、その間はいったん姿形をすべて失って、再構築されると前回お話ししましたな?」
「ですね、覚えてます、蛹の状態ですよね」
「そうです、そうです、その蛹の中になんらかの異物の混濁が発生することがあるんですな。そうするとまったく意図しない記憶が形成されてしまうため、神経伝達物質の動きに異常をきたすことがありましてな、症状が重篤になると日常生活にも支障をきたすことがありますな」
「混濁というのは何か別のものが混ざってしまうのでしょうか?」
「そうだと考えております、何が入ってしまうのか、いつどの段階で入ってしまうのかは分かっていません。ただ異物だと認識するためか神経細胞が特徴的な結合の仕方をするんですな、それを頑張って見つけるわけです、すべてを見きれるわけではないのですがの」
黙って頷く。
「何かご質問は?」
「いいえ」
「では検査についてはここまでにして、ここからは記憶の相談援助の方に入っていきますかな」
川奈は一呼吸おいて話しを続けた。
「まあ先ほどの記憶が混濁する話と近いと言えば近いのじゃが、記憶野に過去の記憶を保持しているかのような箇所が発生することが分かっておりましての。大きな違いはご自身のものかまったく無関係のものが混じってしまったうかの違いですな、これを混濁とは区別して跨世虚記憶と呼んどります」
「跨世虚記憶……」思わず口をつく。
「これはどの方にも多かれ少なかれ見られる症状であることが分かってましてな、なので極端に心配する必要はありません。これも原因がはっきりせんのですが、転生中に溶解しきれない部分が残ってしまうのではないかと考えとります。トランプのカードでシャッフルが不十分で、前の手が残ってしまうイメージですな」
例え話しが分かりやすいのかわかりにくいのか、低く呻く。
「まあ元を正せばご自身の記憶なんでしょうし、だいたいの場合は何も起こりません。万一その部分を読み取ってしまっても、強い既視感を覚えたり、まだ経験してもいないことなのに、あたかも知っているような気になるだけです」
「はい」
「問題になるのはある事柄について矛盾した記憶が形成されてしまった場合でしてな。特に善悪の判断や好き嫌いの領域で問題になることが多いですな。皆さんはいくつもの時代を転生されています、そうするとその時代時代で社会規範や常識が大きく異なるわけですな、ある時代は是、次の時代では非、こういった部分でこの現象が発生すると厄介なわけです、皆さん大いに悩まれますな」
「どちらの価値基準に従うか、で悩むわけですか?」
「そうです、それともう一つ問題になるのが、この部分を読み取った時に痛みなどの耐えがたい五感を感じる場合や、怒りや悲しみなどの情動を感じる場合がありますな。恐らく過去の耐えがたい経験が残ってしまったのでしょうが、これを何度も追体験させられるのは辛いでしょうな……」
「そうですね、そうなったら治るんでしょうか?」城宮は恐る恐る質問する。
「そうなった際はこちらに戻っていただいて、今日の様な相談援助を受けていただくことになりますな、一つ一つの記憶をしっかりと洗い出してどうあるべきかを話し合って矛盾を解決していくことになります。まああまり症状が出ないのか、皆さんなんとか折り合いつけられているのか、こちらに来られる方はほとんどいらっしゃいませんがね」
そう言うとにっこりとほほ笑み「ほかに質問はありますか?」と尋ねる。
「いいえ、今のところは大丈夫です」
「それは良かった、では戻っていただいて結構です、しばらくリハビリを頑張ってもらったら、いよいよ本格的なこちらでの暮らしが始まります、住居の割り当てなんかも連絡が行くと思いますよ」
■二 目抜き通りにて
帽子を目深にかぶった男は所在なく目抜き通りを右へ左へうろうろしている。だらっとしたその動きとは正反対に視線は、忙しなく隅から隅まで舐めるように何かを探している。向こうからこちらに眼帯をした男が歩いて来るのを見つけると、それまでの動きから一転、物陰に入り気配を消した。
眼帯の男が目の前を通り過ぎて脇道に入ったのを確認すると、帽子の男も後を追って脇道に入る。しばらく早足で歩いて追いつくと、眼帯の男に声をかけた。
「三上沖貞さんでいらっしゃいますよね? そして輪廻転生センターのセンター長でいらっしゃいますよね? 少しだけよろしいでしょうか?」
眼帯の男は帽子の男をしげしげと見つめ警戒しながら「そうだが、あなたは?」と答える。
「私は形山剛士と申します、こちらに転生して十年になるものです、少しお願いがありましてお声をかけさせていただきました」と頭を下げる。
暴漢の類ではないと少し安心したが、それでも見ず知らずのもののお願いをいきなり聞くのもどうなのかと逡巡する。
「今日は時間がない、どのような用件か、それだけ聞いておこう」
「ありがとうございます、お願いしたい件は、輪廻転生センターの職員に登用していただけないかと……」
そう言うと形山はもう一度深々と頭を下げた。
「そういうことならセンターの人事部に問い合わせてもらう話しじゃないかね? 藪から棒にここでお願いされても、答えようがないですね」
「センターへは何度も問い合わせていますが、その度に現在募集は行っておりません、の一点張りでして……」
「そういうことなら、人員の空きがないのだろうね、諦めてもらうしかないな、では、これで失礼するよ」
そう言うと元の方向へ歩き始める。形山は三上の前に回り込んで進路をふさぐと懇願するように話を続ける。
「いやいや、何も今すぐにってことではないんです、もう少し長期的にですね…… 今日こうやってお話しするご縁ができたわけじゃないですか、このご縁を大事にさせていただいて……」
そう言うとポケットから連絡先を書いた紙を取り出し、三上の手に握らせる。
「何かお手伝いできることなんかもあるかも知れないじゃないですか、小さいことをね、こう少しづつ積み重ねて、そのうち信頼なんかも芽生えちゃって、その後でもし良かったら…… ね、そういう話しです」
三上はしぶしぶ連絡先の紙を受け取ると「期待には応えられんと思うがね」と吐き捨てて歩き出した。その背中に向かって形山は「お願いします」と頭を下げたが、振り向くこともなければ手を振ることもなかった。
輪廻転生センターは、此岸と彼岸を結ぶ唯一の組織だ、と言っても「結ぶ」という程強い連携や協力関係があるのかは甚だ疑わしい。しかしながらこちらの世界での業務は幅広く、此岸からの受け入れと彼岸への送り出しのほか、彼岸生活者の支援や、研究機関なども擁しており、こちらの世界では最大の組織となっている。規模が大きな割には、美談や醜聞の如何に問わずその内実が表に漏れ伝わることはなく、大方が闇に包まれている。
その中でも実しやかに言い伝えられているものに、センターの職員は転生しないという噂があった。
輪廻が行われて此岸に戻る時期に、はっきりとした決まりや規則性があるわけではない、というのがこちらの世界の通説になっている。数年で此岸に戻る者もあれば、十年、百年単位で彼岸にとどまる者もあり、これこそが神の差配である、とまでいう者もあった。
形山は転生してすぐにこのセンターに興味を持ち、周辺を調べ始めたが驚くほど情報がないことに失望した。外に情報がないなら中に入るしかない、そう思って何かあれば採用情報の問い合わせを続けたが、一度たりとも募集をしていることがなかった。その間に何人も此岸に戻る友人たちを見送る度にあの噂――職員は転生しない――の信憑性が高まるのだった。
そこからまた数年、執拗に調べてやっとセンター長にたどり着くことができた。少々強引だったとも思うが、形山には何か手ごたえの様なものが残っているのを感じていた。輪廻転生センターに入り込めさえすれば……、執念の火が形山の中から消えることはなかった。
◇
三上はひとしきり用を片付けると輪廻転生センターのセンター長室に戻った。鞄を置いて懐から手渡された連絡先の紙を取り出し机の上に放り出す。上着を脱いで椅子に座り机の上の紙を手に取り、自分がセンター長であることがどこから漏れただろうか、と考えを巡らした。
机の上の呼び鈴を鳴らす、しばらくすると扉がノックされ、全身黒づくめの男が入ってくる。
「ご用でしょうか?」
「この者を調べてください、そんなに急ぎません」そう言うと先ほどの紙を手渡した。
黒づくめの男は「承知しました」と言って紙を受け取る。
「先日に頼んでいた件で、何か進展はありましたか?」と三上は聞く。
「例の者と日程が重なってしまいましたので、調整しました」
「そうか、ありがとう」というと、黒づくめの男は一度頭を下げ紙を手に部屋から出ていった。
椅子に座った足を組んで考えに戻る。ここの出入りは一般に公開していない裏側を通るようにしている。仮に見られたとしても、公に自身の姿を露出することは極力控えてきたので、特定のしようがない。だとすると、外で名前を呼ばれたときか? それとも名前ではなくセンター長と呼ばれたことがあったか?
考えがまとまらないまま悶々としていると扉がノックされる。誰かと思って「どうぞ」と応えると先ほどの黒づくめの男が用箋挟を手にして入ってきた。一番上には先ほど渡した紙が挟まれている。
「先ほどの者の資料です」そういうと机の上に用箋挟を置いて出ようとする。時計を見ると十分ほどしか経っていない。
「ありがとう、急がなくても良かったのに、でも助かった」と声をかけると、「手が空いてましたので」と言って出て行った。しばらくすっきりしないことを覚悟していたこともあり、僥倖に顔がほころんだ。用箋挟を手に取り、止められた書類をめくっていく。
本人が言う通り、十年前にこちらの世界に転生、その後すぐにセンターが行っている彼岸生活者支援懇親会にボランティアとして参加、となっている。ああ見えて真面目にセンターの仕事に興味を持ってくれているのだろうか、答えの出ない問いを立ててみる。
彼岸生活者支援懇親会は輪廻転生センターが主催する、新規転生者の生活を支援するための懇親会だ。此岸を旅立ってこちらの世界に転生してきた者達が、こちらでの生活を円滑に始められるように支援する会となっている。しかし実際の支援は年長の転生者がボランティアで行っており、これによって支えられていると言っても過言ではない。
ボランティアは、右も左も分からない新規転生者達が、短くても数年はこちらでの生活を営んでいく中で発生する、様々な困りごとの解決や、孤立しないようにだったり、憂さ晴らしだったりを支える役割を担っている。
ボランティアも時には支えてもらう側になるなど、互助的な仕組みだが、昔で言う隣組の様な趣旨も含んでおり、いざとなればボランティアの情報網を活用することとなっている。
形山のボランティアの参加履歴を目で追っていくと、昨年末に行われた年次最終報告会に参加していた記録があった。年間の総括みたいなものを各々報告する会で、センター長として最後の挨拶を行ったことを思い出す。そうか、あの会で顔と名前を覚えられたか、二度続いた僥倖で顔はさらにほころび、心の中に広がっていた疑念があっという間に雲散霧消していくのを感じる。
もう一度昼間に見た形山の顔を思い出してみる。今日呼び鈴を押したときに彼が担当してくれたら、このような対応をしてくれただろうか、と考えてみる。小さなことを積み上げて、と言っていたことを反芻してみるが答えは出ない。今日はもう家路につくことにして、用箋挟を机の引き出しにしまうと部屋の明かりを消した。書類の最後に既往歴を記したページがあり、そこには「転生時に混濁が一か所形成されたことが認められる、一年後の再検査で病変なし」と記されていた。
■三 彼岸生活者支援懇親会にて
「では、順番にお呼びしますので、こちらの封筒をお受け取りください、封筒の中には住所が書かれた紙と新居の鍵が入っていますので、漏れなどが無いか中身を確認してください。問題がなければ彼岸生活者支援懇親会の会場にご移動をお願いします、隣の棟の一階です」
リハビリを終えた転生者達はリハビリ室に集められ、順番に呼び出されるのを待っている。
「次は梨山さん、いらっしゃいますか?」と呼ばれ「はい、はい、どうも」と答えながら封筒を受け取る。数人の輪の中に入って、開封して住所を見せ合っている。
「城宮さん」と呼ばれて封筒を受け取る。少し離れた所に移動して開封する。住所が書かれた紙には地図も印刷されており、丸が付けられていた。
「どうも、どうも、お元気でしたか?」 気が付くと梨山がこちらまで来て、声をかけてきた。
「私はこの辺りなんですが、そちらはどの辺りですか? って言ってもまだ土地勘もないので、なんだってこともないのですが……」梨山は続けてそう言うと自分に配られた地図を見せてきた。
「私はこの辺りみたいです」そう答えて地図を見せる、丸が付けられていたのは東西方向の正反対の位置だった。
「これは、これは、まったく正反対の場所みたいですな」少し残念そうに言いながら続ける。
「今居るのがこの真ん中にある輪廻転生センターみたいですよ、彼が職員から聞いてきました」と言って、先ほどまで居た人の輪の中の一人に視線を向ける。
「そうなんですね、彼はどの辺りでした?」
「彼は南の方だったかな、聞いた中にはご近所さんが居ないみたいで寂しい限りですよ」
「偶然ですかね?」
「どうなんですかね、偶然じゃなかったらどんな意味があるのか……」
「なんですかねえ、意地悪ですかね、まあ移動の制限もないですし、いつでも会えますよ」城宮は励ますように努めて明るく言う。
「それもそうですね、そろそろ支援プログラムの方に行ってみますかね」まだ寂しそうにそう言うと、城宮と梨山は歩き始めた。
廊下に出たところで梨山が「そういえばこないだの検査ってどんな検査だったんですか?」と聞いてくる、「上の階に行かされてましたよね?」と続けた。
「ああ、あれは記憶野に混濁が発生してるかどうかの検査でした」城宮が答える。
「記憶に混濁?」梨山が聞き返す。
「はい、そんな説明でした。こちらに転生する際に、記憶を司る部分に異物の混濁が発生する場合があるんだとかで」川奈との話しを思い出しながら答える。
「異物が混濁ってことは何かが混ざりこむってことですよね、他の人の記憶が混ざるんですかねえ、いや、人ならまだしも、動物や虫なんかの記憶が混じったらそれは具合悪くなりますな」いろいろ想像して考えが飛躍して独り盛り上がっている。さっきまでの寂しそうな雰囲気は消えて思いつくまま疑問を口にする。
「もし発生してたらどうなっちゃったんでしょうかね?」
「異常はありませんって言われて安心しちゃって聞きそびれました、どうなってたんですかね、酷くなると日常生活にも支障をきたすって言ってましたから……」
「どこかに入院してたかも知れませんね、いやあ無事で何より、混濁なんて初めて聞きました、勉強になりました」さっさと独り納得してしまう。
「跨世虚記憶の話もありましたね、私は相変わらず何も思い出していないですが」城宮は話しを振ってみる。
「私も特に思い出したことはないですな、まあ前世がなんだったか興味がないわけではないですが、辛いものだったら蓋をしておきたいでしょうし……」
「そうですね……」
「生物はわざわざ忘れることに膨大なエネルギーを注ぎこんで生きてるようですから、一生懸命消しても残ってしまうというのは、何かの業なんでしょうな」と梨山は独り言ちた。
◇
「彼岸生活者支援懇親会 会場」と書かれた看板が扉の横に置かれ、入り口には職員が立って来場者の名前を確認している。
グレーのニットを着た女性が脱いだコートを手にして入ってくると、「井福まさこと申します、山富さくらさんが急に来れなくなったので、代わりに参加することになりました」と言った。
「山富さくらさんの代わりですか…… 少々お待ちください」と言うと、職員は籠の中から山富さくらの名前の名札を探し出すと「あちらの方で参加登録の手続きをお願いできますか? こちらを出していただいて、代理で来られたことをお伝えください」と廊下の奥のカウンターを案内した。
カウンターに移動して同じ話を職員に伝え名札を渡すと、職員が「申し訳ありませんがこちらの用紙に記入をお願いできますか」と参加申し込み用紙を渡す。記入して手渡すと「少々お待ちください」と言って機械を操作する。
少し待たされて自分の名前の名札を手渡される。
「あの、今日来れなくなった山富さんなんですが、来月の私の予定と交換したんですが、それは今何かしなくて大丈夫ですか?」と井福が質問する。
「えっと、山富さんが来月に、井福さんの代わりで参加されるってことですか?」
「そうです」
「ちょっとお待ちください」というと職員は機械を操作する。
「来月の第二水曜日ですよね? 登録を変えておきますね」そう言うとまた機械を操作した。
「はい、お願いします」と言うとカウンターを離れ入り口に戻る。
入り口の職員は「お手続きありがとうございました、では左奥のテーブルになります、よろしくお願いいたします」と案内した。
「はい、こちらこそよろしくお願いします」と軽く頭を下げて言われたテーブルに進む。
円形のテーブルには六脚の椅子が並べられておりまだ誰も座っていない。会場を見渡しても数える程しか人が居ない。早すぎたかなと少し後悔しつつ、「山富さくら」の席札が置かれた席に座った。
◇
輪廻転生センターの事務室で黒づくめの男が机の上の機械を操作している。機械に表示されたリストを確認しているとあるところで目が止まった。
――なぜ今日の彼岸生活者支援懇親会に井福まさこの名前があるのだ、調整したはずだが…… このままではまずいな。
黒づくめの男は機械を終了させ、事務室を早足で出て階段を降りる。走り出したい気持ちを抑えながら、彼岸生活者支援懇親会の会場を目指す。事務棟から外に出るとこの時期らしい冷たい空気が頭を冷やした。どうしたものかと考えながら二つ離れた棟に入る。
「お疲れ様、どうですか? 何か変わったことは?」と入り口で受付をしていた職員に声をかける。
「あ、根島さん、お疲れ様です、特に変わったことはない…… あ、ボランティアの方で登録されていた方が来られなくなったので代理で来られた方がいらっしゃいましたね」
「そうですか、どちらの席ですか?」と根島は続けて質問する。
「左奥のテーブルです」
根島は言われたテーブルを遠目に確認する、井福が独り座っているのが見える。
「あの方かな? 座席表を見せて」
「こちらです」と受付台の上に広げていた座席表を指し示す。
「もともと来る予定だった方の名前は?」
「えっと、確か…… あ、山富……さんです、山富さくらさん」そういうと座席表の左端を指さした。根島は同じテーブルに城宮道雅の名前があることを確認すると「なに……」と驚きの声が漏れた。
「どこか空席があるテーブルはないか?」と質問する。
「このテーブルは五名なので、一席空きがあります」と右奥のテーブルを指した。
「分かった、井福様にはこちらのテーブルに移っていただく、私からご説明するから、変更などの手続きを頼む」そう言うと返事を待たずに左奥のテーブルに向かう。
「井福まさこ様でいらっしゃいますか?」半ば小走りに近い速さでテーブルに到着するやいなや声をかける。
「はい」
「申し訳ありません、座席の手配に手違いがありまして、別の席にご移動をお願いできますでしょうか」
「分かりました」と言って井福が立ち上がる、「これはどうしましょう」と席に置かれた席札を持ち上げる。
「それはそのままで結構です、ではこちらです」と先に立って歩き出す。時折後ろの気配を確かめながら、奥の壁沿いに設えられた司会席の後ろを進む。目的のテーブルに到着して空席を確認する。
「こちらの席になります、どうぞ」と椅子を引く。「はい」とだけ答えて井福が着席する。
「ではよろしくお願いいたします」と挨拶して受付に戻る。
「そちらは大丈夫ですか?」と職員に声をかける。「何かあったら連絡してください」と言い残して事務室に戻った。
◇
「彼岸生活者支援懇親会 会場」と書かれた看板を見つけ、梨山は「ここだ、ここだ」と声を漏らす。受付台の職員に「梨山隆です」「城宮道雅です」とそれぞれ名乗ると、職員は籠の中からそれぞれの名札を探しだすと、胸に付けるように言い、「梨山隆さんは右奥のテーブルです」「城宮道雅さんは左奥のテーブルです」と案内した。
「では」「また」そう言い合って別れそれぞれのテーブルに向かう。
数歩進んだところで城宮は背中に視線を感じて振り返るが、視線の主は見当たらない、「気のせいか」と独り言ちてテーブルまで進む。すでに四人が座っており、城宮が座ると五人になり、席札に「山富さくら」と記された一人を待つのみとなった。
司会席に職員が座り、会の開始をアナウンスする。式次第もいくつか決められていたが、ほとんどはは同じテーブル内での雑談に費やされた。持っている情報量の圧倒的な差によって、必然的にボランティアとして来た、こちらの世界のベテラン住人の話を聞くことになる。
こちらの世界での暮らし方みたいなものから、こちらの世界の成り立ちみたいなものまで、多種多様な話題に及んだ。一部をまとめるとこんな話だ。
こちらの世界――いわゆる彼岸――は、此岸の死を人間として表現している世界、というのが共通認識になっている。こちらの世界に死という概念は存在せず、転生という現象によって此岸に送り返されることでこちらの世界での暮らしが終わる。
『転生』については彼岸に来た時の現象が逆向きに行われている、というのが一般的な理解となっている。
此岸で考えられてる、動物と人間で彼岸の世界が分けられているという世界観は間違いで、前世が人以外のものも多数暮らしており、便宜上人の形になっている。
彼岸から此岸は観測が可能らしくこの輪廻転生センターに研究機関が設けられていて、日々研究が続けられているが、はっきりしたことは解明できていない。
さっきまで梨山と話していた跨世虚記憶のことを思い出し、質問してみることにする。
「跨世虚記憶を思い出すことってよくあるんでしょうか?」
「ああ、まあまあよくあるよ」ボランティアの一人が答える。
「ここの職員が脅かすような酷いものはあんまりないと思うけどね」別のボランティアも続ける。
「ふとした瞬間に、あれ、なんか思い出した、みたいな感覚かな。たまにぽつぽつ思い出したが積みあがって、ある瞬間にそれが繋がって芋づる式にいろんなことを思い出したりね」
「そうそう、そんな感じ、それでだいたいみんな前世ぐらいまでは思い出すんだよ」
そう言いあってみんなで頷いていると、今度はめいめい前世の話でまた盛り上がる。
司会席に職員が戻ってくる。
「宴たけなわではございますが、そろそろお時間となりましたので、本日の彼岸生活者支援懇親会を終了いたします」そうアナウンスすると会場内に静けさが戻る。
「新たにこちらの世界に来られた方はご自身の住所が書かれた紙と鍵はお持ちですね? 一度ご確認をお願いします」そう言うと、封筒を改める音がごそごそとする。
「大丈夫でしょうかね、ではお疲れ様でした。それではボランティアの皆さん、新しいご近所さんを連れて帰ってあげてくださいね」とアナウンスする。
がたがたと椅子が動く音がしてみんな立ち上がり帰り支度を始める。
「城宮さんの住所はどちらかな?」ボランティアの一人が声をかけてくる。
「こちらです」と封筒から紙を出して見せる。
「はいはい、ここね、おおい」と別のボランティアに声をかける。
「彼が一番近いから連れて行ってもらうといい、なあに飛んでも八分、歩いて十分」と笑う。
「え、飛ぶんですか?」驚いて聞き返す。
「嘘だよ、さすがにこっちの世界でも空は飛べん、まあ飛べる機会があれば飛ぶべきだと思うけどね」とまた笑った。
結局根島さくらの名札が置かれた席は最後まで空席だった。
「じゃあ行きますか、途中まではみんな同じ方向だよね?」と促されると方々から同じだと返事が返ってくる。
立ち上がって少し伸びをしたその視線の先にグレーのニットを着た女性が視界に入る。その瞬間、急に鼓動が早くなっていくのを感じ、激しい焦燥感に襲われる。その女性はどこか上の空で、視線は取り留めもないところを漂っている。視線を外さなければと思うが体が言うことを聞かない、鼓動はどんどん早くなり頭に血が昇ってくる。
「城宮さん、大丈夫ですか?」
声をかけられた瞬間、高欄に結びつけられた和紙の映像が頭の奥に鮮明に映し出された。
「はい」と応えなんとか我に返る。
「すいません、行きましょう」と言って歩き始める。もう一度女性の方を見遣る、先ほどと変わらない姿勢で座っていた。
◇
移動した席に座って井福は一息ついた。周りを見回すとまだほとんどが空席で、やっぱり少し早く着き過ぎたかなと思う。
そういえば、とボランティアへの参加を決めた時のことを思い出す。
参加要望書が郵送で届いたのはひと月ほど前だった。その日はさくらと会う約束をしていて、出がけに郵便受けに届いていたのをそのまま持って出た。ふとした拍子で参加要望書がさっき届いていたという話しから、さくらにも届いていたことが分かってその場で開封して中を見ながら、一緒の日にしようかとか相談したんだっけ。
結局都合が合う日がなくて、希望日の枠に私は今日、さくらは来月の日を記入して返信したんだった。その後すぐに希望通りの日時で決定したと通知が届いて、すっかり忘れていたら、年明けに急に変更の通知が来たんだった。
さくらにあまりに急だって愚痴ったら、さくらにも変更の通知が来ていて驚いたのだっけ。二人ともそれぞれ予定があったので、参加する日を交換することにして今日に至る。
気が付くと周りの席もだんだん埋まり始めて、初々しい感じの転生したばかりと思われる人もだんだん席に着き始めている。入り口に目を向けると視線の先に城宮の姿があり、まさこは息を飲んで視線を動かすことができなくなった。城宮が何かに気が付いたように振り向いたがこちらには気が付かない。その姿が焦燥感をさらに強くする。移動する城宮の姿を目で追っていると最初に座ったテーブルに座るところが見え、その後は人影に隠れて見えなくなった。
突然の自分の心の反応が理解できないまま、その後の彼岸生活者支援懇親会では完全に気もそぞろに時間が過ぎていった。
「井福さん、大丈夫ですか、帰りますよ」
隣に座っていたボランティアから声をかけられて我に返る。周りを見回すと残っている者は数えるほどしかおらず、「はい」と返事を返して、ふわふわとした気持ちで家路についた。
◇
根島は一人残った事務室で仕事半分、もう半分は今日の彼岸生活者支援懇親会での一件について報告するかを考えていた。
城宮道雅と井福まさこが接触したり関りを持つことを抑止してほしい、そうセンター長から指示を受けたのは年が明けてすぐだった。城宮は転生したてでセンターに居るので問題ないとして、井福の方はどうかと調べると偶然にも同じ彼岸生活者支援懇親会に参加する予定になっていた。慌てて別のボランティアと入れ替えて対応したが、無視された格好になってしまった。
直前でもう一度参加者のリストを確認したことで、首の皮一枚つながった。慌てて会場に駆けつけると同じテーブルになっていることにさらに驚きを隠せなかった。別のテーブルに移動させて最悪の事態は免れることができたはずだと自分に言い聞かせる。二人について様子を見るように指示した者からは、その後も直接の接触はなかったようだ、とも報告を受けている。
そもそもこの指示はいつまで続けるべきなのかもよく分からなかった。二人ともセンターの外での暮らしになってしまえば、できることも限られる。もう幕引きでよいにはならないだろうと思われた。と同時に机の上の呼び鈴が鳴る、センター長からだった。
覚悟を決めて立ち上がるとセンター長室に向かって歩き出した。
三上は一連の報告を黙って聞いていた。
「わかりました、直接の接触がなかったのなら良しとしましょう、ご苦労様でした」と言うと天井を見上げて少し考えている。
「ここから先はセンターの外が舞台になるわけですが、そこに我々が出ていくのも難しいですね」と続けた。
「はい」と根島が応える。
三上は机の引き出しから用箋挟を取り出すと、根島に手渡す。
「先日調べてもらった者です、外での活動は彼に頼むようにしましょうか」
「この者とはどういったご関係で?」と根島は質問する。
「外で声をかけられてね、いきなり職員への登用を頼んできた」
「左様でございましたか」
「何か手伝えることはないかと言ってきたのでちょうど良いだろうと思ってね、君の方でも少し身辺を洗ってみて問題がないようなら、ここへ呼んでほしい」
「承知いたしました」
「世話をかけるな」
「とんでもございません、ではこれにて」そう言ってセンター長室を辞去する。
事務室への廊下を歩きながら、どういった事情があるのかと逡巡した。
■四 新居にて
城宮が与えられた新居は集合住宅の角部屋で、西日が入る大きな窓と北側にも窓がある風通しのいいところだった。窓の下には川が流れており、川沿いは遊歩道になっていてところどころにベンチが設えてある。晴れた日は散歩をしている者も多い。
窓際にはソファーが置かれており、起きるとここに座ってこちらの世界に来てからのことを反芻していることが多かった。まだあまり日が経っていないにも関わらず、その情報量の多さに思考が追いついていない。そして彼岸生活者支援懇親会で見かけた女性についても忘れることができないでいた。あの時頭の奥に映し出された映像もたびたび想起され、これが跨世虚記憶なのかなと思ったりした。
そんな日々の中で時折ここまで送ってくれた近所の面々が、誘い出してくれてはいろいろな所に連れて行ってくれる。図書館やスポーツ施設、飲食店やリサイクルショップなどが中心部に限らず点在しており、みんなで遊び歩くのも気晴らしになった。
その中でも特に城宮を惹き付けて止まなかったのは賭博場で、最初にみんなで行った数日後には一人で出かけていき、三日に上げず通うようになった。
賭博場には機械式の遊技台が並んでおり、玉を使う物、専用の硬貨を使う物の二種類が、階を分けて並べられている。玉を使うものは、借りた玉を投入してハンドルを回すとガラスで隔てられた盤の中に射出され、盤の中の役物に入れば報酬として玉が返却される。一方の専用の硬貨を使うものは、借りた硬貨を投入すると三枚の回転盤が回るので、それぞれに設えられている停止釦を押し、回転盤の目が揃うと報酬として硬貨が払い戻される。
どちらの機械も最初に借りた玉なり硬貨が増えた時点で終われば、その増えた分の報酬を受け取ることができる。
城宮は玉を使う方を好んだ。硬貨を使う方も最初はよく手を出していて、回転盤の周期を体に叩き込んだお陰で、停止させる操作はかなり上達し、任意の目で止めることができるようになった。しかし二枚を同じ目で揃えても三枚目に同じ目を止めることができない。
このことで一度店員に文句を言ったが、そう言うものだと、軽くあしらわれてからはもっぱら玉の方に傾倒する様になった。
そんな日が続いたある日、梨山が訪ねてきた。
「おお、お久しぶりです、ここがよく分かりましたね」
「いやいや、こちらこそお久しぶり、地図なんかを頼りにね、元気でしたか?」
「はい、なんとか、どうぞ、どうぞ、何もないところですけど」
ソファーに案内すると、城宮はテーブルから椅子を持ってきて目の前に座る。梨山が持ってきた袋から飲み物を二本出して「これ、お土産」と一本渡すともう一本を掲げて「乾杯」と言う。
「乾杯」そう言うと軽くぶつけるように掲げて一口飲んだ。
「いや、本当にここがよく分かりましたね、驚きましたよ」
「いやね、センターの最後の日にみんなの地図を見させてもらったでしょう、あの後、なんか記憶に残ってたんで手元に控えましてね、順繰りに尋ねてみてるんですよ」
「すごいですね、私なんかまだここの住所だって怪しいのに」
「なんか前世が車の運転をする仕事だった見たいで、地図見るのとか住所覚えるのが得意見たいでしてね」
「そうなんですか、って前世って言いました? もう思い出しを?」城宮は驚きの声を上げる。
「ええ、割とすぐに……」梨山はそう言うと、ソファーの脇の窓を見ながら続けた。
「あれは雨の日でした、うちにも同じような窓がありまして、打ち付ける雨粒を眺めてたら、不意に車のフロントガラスに打ち付ける雨粒に切り替わりましてな、そのうちメーターやら地図やらハンドルなんかも浮かび上がってきて、フロントガラスの向こうをワイパーが往復しだして……」飲み物に口をつける。
「雨の夜の道を車が走り出しました、どのくらい走ったんですかね、ルームミラーには時折後ろで居眠りしてる人なんかも映ったりしましてな、道も空いてて雨以外は悪い気はしない、なんだか楽しげですらありましたな」
「はい」と相槌を打つと、梨山は少し表情を曇らせた。
「とある交差点に差し掛かった時です、こちら側は青だったので減速なんてせずそのまま通り過ぎようとしたところに右前から大きな車が突っ込んできました、右折車両だったんでしょうね、こっちが見えてなかったことはないと思うんですけどね。そこで浮かび上がっていたものがすべて消えました、そこが前世の最期だったんでしょうね、あれ以来、雨粒がどうも見てられなくなりました……」
「そうですか…… それはお辛い……」
「いいことばかりじゃないですな、思い出すのも。そうそう、それで気づいたのですが、こっちには車がないんですね」
そう言うと、梨山はまた一口飲み物を飲み、他の仲間のところに行った話なんかをし、今度リハビリ同期組で集まってみようと言って帰って行った。
■五 間者
形山は疲れた顔をして坂を上がってくる。昔、輪廻転生センターに勤務したことがあるという者の噂を聞きつけ、話しを聞きに出向いたが、噂の主はとうの昔に転生してしまっており、勤務していたという話も信憑性が低そうだった。
今日だけではない、輪廻転生センターの手がかりを探し求めても徒労に終わる日が続いていた。
これは執着なのかと自問する。執着なのだとしたらその原因は愛だと聞いたことがある、がしかしセンターを愛しているわけではないな、と考えを振り切る。
坂の上の集合住宅のポストを開けると薄い桜色の封筒が入っており、差出人には輪廻転生センターと印刷されている。形山の心の奥底で幸せの種が芽吹いたような期待感が湧き起る。急いで階段を駆け上がり部屋に入ると、封筒を手でちぎって開封する。
拝啓
形山殿におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
平素より輪廻転生センターの業務にご協力いただいておりますこと、重ね重ね御礼申し上げます。
さて、この度、当センターでは本界のみなさまの住環境のよりよい整備に対する新たな取り組みの一環として、伴走型幸福度向上改善施策を策定いたしました。本伴走型幸福度向上改善施策は有史開闢以来の――中略――このうち、住民の皆様にご協力を賜りたい項目について、具体的な実施策を執り行い具体的な効果の測定と成功事例の収集および改善点の検討を行う運びとなりました。
つきましては当センターにて説明会を開催いたしますので、下記日程の中からご都合の良い日にご参加をお願いいたします。
往々にして輪廻転生センターからのお知らせなどは読みにくい文章だが、さらに輪をかけた読みにくさに「読むな」という意図を感じる。説明会の日程も一月三十日だけしか書かれておらず、来て欲しいのか無視して欲しいのかもよく分からない。先日のセンター長への接触に対するなんらかの反応を期待していただけに落胆も大きく、芽吹いたはずの幸せの芽は跡形もなくなってしまった。
「どうせ暇だしな」と独り言ちて、壁のカレンダーの一月三十日に丸印を書き込む。
冷蔵庫からビールを取り出すと、ソファーに沈み込んで一息に呷った。
◇
説明会の開始が十八時からとは、お役所仕事としてはずいぶん遅い始まりだなと思いつつも、輪廻転生センターの前に立つ。あたりには人などほとんど見当たらず、センターもひっそりとした雰囲気に包まれている。
説明会の場所はどこだろうかと、掲示板を丹念に確認していく。とても雑な感じで止められた紙に「伴走型幸福度向上改善施策説明会」と書いてあり、その下に略図が描かれている。ずいぶん雑な扱われ方だと思いながら、その略図の通りに進んでいくと、普通の扉にまた同じような紙が貼ってある。
講堂のような場所を想像していたので、その落差に不信感が芽生え、この扉を開けて良いものかと躊躇う。何かあるならそれもそれで面白いと思い直して三回ノックする、中から「どうぞ」と声がする。扉を押して中に入ると、そこには三上が一人座っていた。
「そちらの席へどうぞ」と向き合う椅子を指し示す。
「はい、あのご無沙汰しています」と言って帽子を取りながら座ると「あの…… 伴走型幸福度なんだかの説明会は……」疑問が口をつく。
「ああ、あれは適当な作り話をでっち上げましてね、あなたをこうしてセンターにお呼びするのも何かと手間が掛かるものでしてね、でもまあ、あなたならあんな訳の分からない案内でも、ご足労いただけるだろうと思ってました。目論見通りになって良かった」三上はそう言うと笑顔を見せた。
予想外の展開に翻弄されながらも形山は懸命に頭の中で事態を整理する、これはどんな状況か、何が始まるのか、物見遊山で来てしまった事を後悔した。
「今日お呼びした目的なんですがね、以前にお声がけいただいた時に、こう、何かお手伝いをいただけるとお伝えいただきましたよね?」
「はい」と答えながら、どんな話になるのかと身構える。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ、無茶なことは言いませんから」と言うと一呼吸おいて、顔から笑みを消して「ただ……」と続ける。
「これからお話しする件について一切口外しないとお約束いただけますか?」
片目ではあるがじっと見入られて気圧される、「はい」と押しつぶされたような声が出た。数秒の沈黙が流れる。
「いいでしょう、約束ですよ」そう言うと三上は顔に笑みを戻し、机の上の封筒を手に立ち上がると、ゆっくりと机を周って隣に立つとそれを手渡した。ゆっくり戻りながら話しを続ける。
「その中にはある人物の情報が入っています、見ていただいて結構ですよ、見ながら聞いてください」
形山は封のされていない封筒から書類を抜き出し、一枚一枚確認する。
「お願いというのはですね、その者と交友関係を築いていただき、近況などを報告していただきたい」
資料には城宮道雅の所在などが記されている。そんなに難しそうでもない、少し後ろめたい気持ちもあったが、これでセンターと何らかの関わりを保つことができるならやる価値がある、そう逡巡していると三上が話しを続ける。
「ただ相性もあるでしょうから、やってみて難しい場合はそこで終了でも結構です、もちろんやっていただくことを期待していますがね」
「分かりました、やってみましょう」
「良かった、そう言ってくれると思ってましたよ」そう言って笑うと、少し間をおいて扉がノックされる。
三上が「どうぞ」と応えると、黒づくめの男が入って来た。手には掲示板と扉に貼られていた説明会の案内図が握られている。
「彼は根島龍平と言って、君が憧れているここの職員でね」と三上が紹介する。
「今後のやり取りは彼とやってもらいます、先ほどもお願いしましたが、このことは一切他言無用です。そして私とは会ったことも話したこともない、いいですね」
そう言うと三上は根島に後を頼むと言い残して部屋を出て行った。
■六 賭博場にて
形山は渡された資料を手に、記された城宮の住まいの周りを歩いてみる。川沿いの遊歩道のベンチから目的の集合住宅の入り口が見渡せることを見つけた。建物との間に何も遮るものがなく、向こうからも丸見えになるなとも思ったが、相手はまだこちらを知らない訳だしと言い聞かせて、天気の良い日は日参して城宮の行動の分析を始めた。
時折、何人かと連れ立っていろいろなところに出かけていくのを見かける。連れの一人の後を付けてみると、すぐ近所の家に入っていった。恐らく近所の面々が街案内でもしているのだろうと思った。自分もボランティアに参加したあと、新しい転生者に同じことをやっているので察しが付く。
それ以外の日も結構な頻度で一人で出歩いており、何度か後を付けてみたが決まって賭博場に入っていく。近くの席が空いていればそこで自分も硬貨を借りて、ちらちらと様子を見ながら賭博に興じた。しかし賭博場は結構混んでおり、中に入っても都合の良い席が無ければ、一回りして先に帰ってしまうことが多い。
そんなある日もやはり賭博場まで後を付け、すぐ右後ろの席が空いていたので、そこで同じように硬貨を借りて打ち始めた。ガラスにうっすら映り込むのを鏡替わりにして様子を見ていると、かなりの頻度で二枚揃いの合図を鳴らしていることに気づいた。しかし三枚目はそう簡単には揃わない。
思わず振り返って様子を見ていると、毎回毎回大当たりの役を狙って停止釦を押している。それはそれで間違いではないが、役が入っていなければ揃うことは絶対にない。それどころか入っている小役も取りこぼしてしまうことになる。そんなことを思いながら様子を伺っていると城宮が通りがかった店員を呼び止めた。
「あの、ちょっといいですか」
「はい、どうしました?」
「これ全然揃わないんですけど」城宮は不満たっぷりの口調で口を尖らせた。
店員は言われていることが飲み込めない様でうまく返事ができない。
「だから、揃わないんですって、いいですか」と言って城宮は実演を始める。
硬貨を入れて始動棒を手前に引き、回転盤を起動する、左の停止釦を押すと見事に大役の目で停止させ「これは止まりましたよね」と言いながら頃合いを測って真ん中の停止釦を押すと、こちらも大役の目で止まり、二枚揃いの合図が鳴り出す。
「ここまでは揃うんですよ、いいですか、見ててくださいね」そう言って慎重に右の停止釦を押す、大役の目がずるっと滑るようにずれて回転盤が停止する。
「ほら、揃わないでしょ、これを聞いたんですよ」思い通りに実演できたのか少し誇らしげだ。
店員は「ああ」とだけ漏らしたあと「お客さん、これはそういうもんなんですよ、そういう仕組みです、すいませんが忙しいんで」と面倒そうに答えて歩いて行った。
城宮はまだまだ不満そうな顔だが、店員に取り付く島もないことを感じとって、その背中を見送ることしかできない。形山は今しかないとばかりに立ち上がって城宮の斜め後ろに立つと声をかけた。
「大丈夫ですか? 店員さんとなんかありました?」警戒されないように、優しく助け船を出してみる。
「ああ、いや、これが揃わなくて文句言ったら、そういうもんだって……」と先ほど二枚まで揃えた回転盤を指さして、悔しそうに答える。
「それね、お兄さん、賭博場は初めて?」足しげく通っているのを知らないふりで尋ねる。
「いや、何回かは……」
「そうですか、外で何か飲みますか? 奢りますよ、ここで話すのも騒々しいし」
「はあ、なんかすいません、ありがとうございます」
罰の悪そうな感じで城宮が片付け始める、形山も自分が座っていた台の硬貨を片付けると一緒に近所の喫茶店に入る。
窓際の席に座ってコーヒーを頼むと形山はかぶっていた帽子を隣の席に置く。手が空いていたのか、頼んだコーヒーはすぐに運ばれてくる。一口すすりながら形山が話し始める。
「さっきのあれ、硬貨を使う方の機械なんだけどさ」と言うと城宮が身を乗り出してくる。
「あれは自分で回転盤を止めている体になっているけど、内部的には回転が始まったときに当たりはずれが抽選で決まってるんだよね」城宮の顔は驚きを隠せない表情になっている。
「硬貨を入れてさ、あの棒を手前に引いた瞬間、そこではずれを引いたら、いくらぴったりで釦を押しても揃うことはないんだよ」
「そうなんですか……」やっと城宮が声を上げる。
「それどころか……」形山は少しためて城宮の反応を楽しむ。
「何ですか?」まだあるのかとべそを掻きたい気持ちで答える。
「抽選でせっかく小役が当たってるのに、それが揃わない」
「揃わなかった分はどこに行っちゃうんでしょう?」城宮はすがるように聞いてくる。
「流れて消えちゃう」
「ああ、だからか、確かに最初の頃は、小役が揃って硬貨の減りももう少しゆっくりだったんですよね……」と城宮は肩を落とす。
「だろうね、まあまあ、誰でも最初は失敗もするよ」と慰める。
その後、役が入った場合に出やすい目があるだとか、大当たり中に狙う目だとかそんな話しをする。他愛もない冗談を言って笑いあったりもした。
「やっぱり自分には玉を使う方が向いているかも」城宮はそう言うとコーヒーを飲みほした。
「この後はまた店に戻るの?」と形山が探りを入れる。
「いや、今日はもう帰ります、まだこちらに来たばかりで、いろいろと情報が多すぎちゃって…… 少し整理しないと頭がこんがらがりそうで……」
「そっか、あ、俺は形山剛士」と名乗る。
「形山さん…… 自分は城宮道雅です」と名乗り返した。
店を出ると城宮は「ご馳走様でした」と頭を下げる。
「いやいや、じゃあ、また」と返すと「はい、また」と応えて賭博場と反対方向に歩き始めた。
その背中を見送りながら形山は悪い奴じゃなさそうだなと思う、なんなら本当に友達になれそうな気がした。
◇
根島と形山が久しぶりに顔を合わせたのは、二月も終わりに近づいたころだった。
また手の込んだ説明会のお知らせが届き、輪廻転生センターに出向く。今日はどこの部屋かと掲示板を探し始めると、不意に後ろに気配を感じた。振り向くと根島が立っており、辺りを確認して誰も居ないことを確認すると、手で方向を指し示すと先に立って歩き始めた。いくつか角を曲がって、ある扉の前に立つと手に持っていた鍵で開錠し、扉をあけて「どうぞ」と促した。
形山が部屋に入ると根島は電気を灯けて扉を閉める。
「そちらの席にどうぞ」そう促すと形山と向き合う席に座る。
「どうも」と言って帽子をとりながら席に座る。
「その後の進展はいかがでしょうか?」根島が躊躇なく本題について尋ねる。
「はい、彼が賭博場に通っているのが分かったので、そこで何度か会って声をかけました」
「賭博場ですか?」少し意外そうな顔をする。
「ええ、そうです、一人で出かける場合は賭博場が多いみたいですね」そう言うと最初に声をかけた顛末を話した。
「そうですか、お互い名乗りあってその後はどんな感じに?」良いでも悪いでもない感じで根島は尋ねる。
「こちらも暇を見つけて賭博場に行って、居るのを見つけたら声をかけてます、遭遇する確率は結構高いですよ」
「そうですか、ではそのまま続けていただいて、もう少し関係性を深めていただければ」
形山は「はい」と言うと、「あの……」と続ける。
「これをお聞きしても良いか分からないんですが、どんな目的でやっていることなんでしょうか?」
根島は少したじろいだような表情になり、少し沈黙の時間が流れる。
「そうですね、目的というほど明確なものはありませんが、城宮さんの交友関係をこちらでも把握しておきたい、ということです。どのような交友関係があったら、具体的にどうなるという事は申し上げられません」
根島は答えながら、自分も城宮道雅と井福まさこが出会ってしまったとして、その次に何が起こるのかは分からないことに気づく。今の時点では三上の頭の中にも具体的な計画はないのかも知れないな、と思った。現時点の自分の任務は、ただ城宮道雅と井福まさこが出会ったかどうかだけに焦点を当てればよいのだと自問自答する。目の前の彼についても、その役目は城宮と交友関係を作り、その日常を報告することだと割り切った。
「分かりました、ところでこのお役目が無事に終わった暁には、職員に登用なんてことはあったりするんでしょうか?」形山も割り切ったように話しを変える。
「そのことについては、まだ何も聞いておりませんね、期待されているところ申し訳ないですが」ここは間髪を入れず、穏やかにかつ毅然と答える。
「そうですか……」
「まあ、この件もまだ始まったばかりですし、少しこちらにご注力いただいてはどうでしょう」
形山は少し肩を落として「はい、それでは」と帽子を手に立ち上がった。根島も立ち上がり扉まで見送った。
■七 研究室にて
形山は部屋を出ると、出口までとぼとぼと歩いた。根島の言った城宮の交友関係の把握、という目的にはまだ遠いことを実感する。次はどうしたものか、そんなことをぐるぐる考えながら廊下の角を曲がると、向こうから白衣姿で眼鏡をかけた初老の男が、袋をぶらぶらさせながら歩いてくるのが見える。手を伸ばせば届く距離まで近づいたところで、初老の男が声をかけた。
「あんまり見ない顔じゃな、こんな時間にどうされましたかな?」
声をかけられると思ってもいなかったので、言葉に詰まりながら「あ、いや、その、根島さんのところに用が……」と咄嗟に答える。
「根島……さん……ね、そうですかそうですか、で、もうお帰りになられる?」
「え、あ、はい、そのつもりで…… もう用も終わりましたので」予想外の展開に形山の混乱が静まらない。
「なんだか元気がなさそうに見えたもんでしてな、気をつけてな」笑みを浮かべながらそう言うと歩き始める。
「あ、ありがとうございます」と応えながら考える。なぜ声をかけてきたのかはまったく読み取れないが、輪廻転生センターの中に知り合いが増えるのは、悪いことではない気がした。むしろ千載一遇の機会ではないのか、と自問する。そして初対面ではない気がした。
「あ、あの……」振り返り、すれ違って少し離れたところにある背中に声をかける。初老の男も振り返り笑みを返す。
「声をおかけいただいちゃってすいません、何かお手伝いできることがあったりしますか?」形山は何か引っかかれと意味不明な言葉を並べる。初老の男は笑いながら少し考えると手に持った袋を掲げる。
「これでも飲んでいかれますかな?」
「はい」と応えて後ろを歩き始める。
「どうぞ」と案内されたのは彼の作業部屋のようだった。机の席札には「川奈顕造」と書かれている。
「川奈さん…… で良かったでしょうか?」形山は帽子を取りながら質問する。川奈も席札を一瞥すると「はい、川奈です、そちらへどうぞ」と応えて椅子を進める。
袋からビールを出して形山に手渡すと、自分の分も取り出して斜め前の椅子に座る。お互い缶を開けて「乾杯」と言い合い一口呷る。
「いやあ、旨い、本当は内規でセンター内で飲んじゃ駄目なんですが、残業のお供に少しだけ、内緒で頼みますぞ」と川奈が笑いながら言い訳を並べた。
「そうなんですね、大丈夫です、墓まで持っていきます」と答えて笑いあった。
「しかし随分遅くまでお疲れ様ですな、根島さんも人遣いが荒い」そういうとまた一口呷って「え、と、なんとお呼びすれば?」と聞いた。
「あ、すいません、申し遅れました、形山剛士と申します」
「あ、いや、こちらこそ失礼、形山さんね、センターには良く来られてるんですか?」
「ええ、ボランティアなんかでたまに」と答えるとビールを一口飲んで質問を返す。
「残業のお共っておっしゃられてましたが、川奈さんはこちらでどんなお仕事をされているんですか?」
「転生されてこられた方の状態の確認とか、あちらとこちらのつながりの研究とかそんなことをぼちぼちやっとりますな」
いろいろと質問したいことは山ほどある気持ちを抑えながら「へえ、それはすごい」と声を上げる。
「形山さんも、そいういった方面のことに、ご興味はおありかな?」
「はい」少年の様に目を輝かせて返事する、さっきまでの憂鬱は微塵の影もなくなった。
「最近はどんな研究をされているんですか?」身を乗り出して形山は質問を続ける。
「そうですな、色々とやっとりますが、あちら側での死がこちらからもだいぶ観測できるようになりましてな」川奈はそういうとまた美味しそうにビールを呷る。
「あちら側と言うのは此岸の死ですか?」
「そうです、まあひと昔前からあちらの死自体は観測できていたのですが、その後の魂の識別ができなかったんですな、観測機器の改良とか観測方法の改善でそれがだんだん識別できるようになりました。そうするとあちらの死が無事にこちらに来た、なんてことが分かるようになってきたと」
お互いにビールに口を付ける。
「そうするとですな、あちらでお亡くなりになっているのにこっちには来ない魂があることが分かりましてな」
「はあ、どこに行ってしまうんですかね、その魂は?」
「そこの観測がとても難しいんじゃな、どの死がこちらに来ないのかがあらかじめ分かれば観測のしようがあるのじゃが、なかなかそこの壁が乗り越えられておらん、気が付いたらどこかに行ってしまっておる」そう言うと悔しいんだか楽しいんだかわからない笑い声をあげる。
「そもそも、その死は、こちらから行ったどの魂が転生したのかは分からないのですか?」
「そうじゃな、あちらで死んだ者がいつ生まれたのかを調べて、その頃にこちらから輪廻した記録を調べれば、該当しそうなリストぐらいは作れそうじゃが…… いかんせん数が多いから難しいだろうな、そもそもあちらでいつ生まれたかを調べるのも難しいしのう、しかしその元を辿ってみるという発想は悪くないのう」とまた楽しそうに笑う。
「すいません、素人考えをつい……」
「いやいや、そんな硬いことは言わんでいいって、いろいろな見方をしてみるのは大事なことじゃよ」
そんな話をしていると、二人してビールを飲み終える。形山はそろそろ潮時かと思い帽子を手に持つ。
「あの、これ、ご馳走様でした、そろそろおいとましようかと……」
「おお、もうそんな時間か、すっかり引き留めてしまったな、おかげで美味いビールが飲めたわい」
形山が立ち上がると川奈も立ち上り「またセンターに来ることはあるのかね?」と声をかける。
「はい、あると思います」と応える。
「そうか、そうか、そうしたらここにも顔を出しなさい、またいろいろ話をしようじゃないか、まあビールがあるかどうかは保証できんがね」と言って豪快に笑った。
形山が廊下の角を曲がるのを見届けると、川奈は部屋に戻ると片付けをしながら、彼と出会った当時のことを思い出していた。
確か彼がこちらの世界に転生してきたのは十年前ぐらいだった。その前の年から研究職に着いて、上司の下で混濁について調査を始めていた。
ずっと文献調査だけを行っていたところに、初の混濁が発症している転生者として彼が現れた。解らないことだらけの中で、試行錯誤の検査を繰り返して、やっと場所や大きさなんかが解った程度だった。
その後も経過観察と称して一年ほど検査を繰り返したが、特段の変化も見られないことから経過観察も打ち切りとなった。彼もボランティアでよくセンターに来ていて、こちらも異常行動の類が見られないこともその理由の一つだった。
当時は上司が表立って対応に当たっていたので、彼は私のことを覚えていない様だったが、こちらはセンターで彼を見かける度に元気にしてるか見守ってきたようなものだった。そして見かける度に最新の検査機器でもう一度彼の検査を行えば何かわかるのでは、という思いを募らせてきた。
そして今日、職員も帰っている様な時間にばったり彼と出くわした。何も考えてなかったが、声をかけてみると思いもよらなかった展開になった。
「そういえば、根島のところに用があったと言っていたのう」そう独り言ちると、帰り支度を始めた。
■八 飲み屋にて
いつもより少し早く目が覚めた城宮は、なぜか得も言われぬ全能感を感じていた。身支度を整えて部屋を出ると、初めて川沿いの遊歩道を散歩する。
点在するベンチの一つに座って、まだ早朝の空気を湛えた川面を見つめていると、対岸の遊歩道に牛車が現れた。それはだんだん数を増し、網代車や半蔀車が行き交っている。
その中にひと際絢爛に飾られた糸毛車が牛飼童に引かれて現れる。城宮はそれに魅入られる、気が付くと心拍数が上がっている。ゆっくりと進む糸毛車が視界から消えると、川面は急に霧が立ち込めたかと思うと、さっと吹いた風が流し去り、対岸はまたいつもの遊歩道の景色に戻った。城宮は早まる鼓動が抑えられないままベンチからしばらく立ち上がることができなかった。
これが跨世虚記憶なのだろうか、としばらく逡巡する。牛車とはずいぶん昔のものだったなと、苦笑いする。もう一度見ることができなかと目を凝らしてみるが、いつまで経っても穏やかな川面と遊歩道のままだった。
午後からは賭博場に出かけた。形山が来ていると良いななどと思いながら、自動扉をくぐる。玉のフロアに移動して一回りする。形山の姿が見つけられず少し残念な気持ちになったが、いつもはなかなか空きがない機種に珍しく空席があったので座って玉を借りる。
この機種は盤の中央に櫓が組まれており、下の役物に玉が入ると櫓の左右の柱が開いて玉を拾う構造になっている。櫓の中には玉受けが回転しており、当たりの位置に玉が入ると、回転盤の抽選が開始すると同時に、櫓の左右の柱が定期的に開いて玉を拾い、拾われた分の報酬が返ってくる。回転盤の抽選結果によって柱が開く回数が変る仕組みになっている。
朝起きた時からの高揚感がまだ続いているのか、射出される玉にも小気味よい勢いを感じる、盤に放たれた玉もこれまた小気味よい拍子を刻んで役物に吸い込まれた。柱が開き玉を拾うと生きているかの様に玉受けの当たりの位置に吸い込まれた。柱が定期的に開閉し回転盤の抽選が始まる、これも大当たりの図柄で停止して、好調な滑り出しを見せる。
その後も大当たりを含め、いつも以上に当たりを引き続け、玉が遊技台から溢れ始めた。店員が持ってきた箱に玉を移すと椅子の後ろに箱を置く。箱は一つでは足りず二箱、三箱と積み上がり、両手でも足りないところまで積みあがった。
「調子良さそうだね」と後ろから声がして、振り向くと形山が笑顔で立っていた。
「ああ、どうも、なんだか今日はおかしいんですよ」と返す。
「確かにおかしいと言いたくなるぐらい積みあがってるしね」と言って笑う。
「この後のご予定は?」と尋ねる。
「結構やられたから、そろそろ帰ろうかな」
「だったらこの後コーヒーでもどうですか? 良かったらですが、この間のお返しを……」城宮は恐る恐る尋ねる。
「本当に? 嬉しいよ」と形山は素直に喜んだ。
二人並んで賭博場を出ると外は帳が下り始めており、ずいぶん長い間やっていたことに気づかされる。
「この間の店でいいですか?」と城宮が尋ねる。
「コーヒーはまた今度ってことにして、こんな大勝ちした日はビールで祝杯の方が良くないか?」
「ビール…… ですか……?」
「そう、ビール。あれ? 飲んだことないの?」
「ええ……」
「そうか、そうか、それなら猶のことビールだな、行こう」そう言って笑うと踵を返して繁華街の方に方向転換した。
繁華街の雑踏に入って一つ目の角を曲がると、「酒」と書かれた小旗が下げられた建物が目に入った。
「あそこ、あそこ」と形山がその小旗を指差す。
形山は玉のれんの前に立つと、格子戸を横に引いて中に入る。
「いらっしゃいませ」と店員が迎えてくれる、「二人なんですけど、空いてます?」と形山が返す。
「こちらへどうぞ」と奥の方のテーブルに通されて、「どうも」と言いながら向かい合って座る。
「こんな感じのところなんだけど大丈夫かな?」と形山が気遣う。
店の中は小上がりの席やテーブルの席、カウンター席があり八割がたが埋まっていた。一見すると客はみな飲んで饒舌に語り合い笑っている。
「はい、楽しそうなところですね」と返すと形山はうんうんと頷いた。
店員を呼んでビールを頼むと形山は帽子を取っておしぼりで手を拭いた。城宮も真似をしておしぼりを手に取る。ビールが運ばれてくる。
「乾杯」と形山がジョッキを掲げる、城宮も真似してジョッキを掲げると、形山はこつりとお互いのジョッキを重ね合わせると、二口三口と喉を鳴らしてビールを呷った。
その様子を見た城宮も、恐る恐るジョッキに口を付けて慎重に黄金色の液体を一口飲む。口の中で炭酸がしゅわしゅわと弾けると苦味が広がりそれを飲み込むとすっとホップの香りが鼻を抜け、苦味が弾くと甘さが余韻を埋める。
二人で「美味い」と言い合った。喉が渇いていたのか、あっという間にジョッキを空にして二杯目を注文する。
「しかし今日の玉の出はすごかったね、あんなの初めて見たよ」と形山が思い出して楽しそうに言う。
「ですよね、自分でもびっくりですよ、ただ…… なんとなく今朝起きた時から、なんだか調子が良い感覚はあったんですよね」と言うと朝の不思議なできごとを話した。
「へえ、牛車ねえ、ずいぶん年代を感じるというか…… でもそのおかげで大勝ちだもんね」
「やっぱり関係あるんですかね、これが過去の記憶の思い出しなのかと思ってたんですが……」城宮は自信なさげに言う。
「こっちに来てそろそろ三か月だっけ、ぼちぼち思い出す頃だよね、にしても昔過ぎるよね」
「ですかね」そう言いながらビールを一口飲む。
「結構いける口だね、これも美味いよ」そう言いながら霞を進める。霞を口に入れる城宮を見ながら続けた。
「まあ思い出すのも前世だけとは限らないしね、前々世とか前々前世とかもっと前のものだってあるかも知れないし」
「形山さんは、どんなことを思い出してますか?」
「俺は、レンジャーだったことがある、たぶん前世だと思うけど……」
「レンジャーって何ですか?」酔ってるのか躊躇なく聞き返してしまう。
「あれ、知らない? 野生動物を密漁から守る仕事だよ、サイの角とかゾウの牙とかそういうのを狙う輩が後を絶たなくてね」
「守るってどんな風に守るんですか?」
「基本は国立公園の中を巡回して、不審者がいないかとか、人為的に傷付けられた野生動物がいないかなんかを確認する、そして不審者を見つけたらまずは警告からだな」
城宮はジョッキを置き、黙って頷く。
「立ち去るように警告して、それで退散してくれればそれで良し」
「警告ですか…… 捕まえたりはしないんですか?」
「不審なだけで何かをしたわけじゃないからまだ捕まえたりはできないし、レンジャーの仕事を理解してもらう為にも無駄に対立はできないんだ」
「理解ですか?」城宮は不思議そうに質問する。
「そう、そもそもなぜ野生動物を守らなければならないのか、と思って生きている人もいる、不幸な事故で恨みを持っていることだってあるし……」
「不幸な事故?」
「身内が野生動物に襲われたりとかね、そっちの側から見ればなんで守る必要があるんだよってことになる、だから密漁でどんどん数が減っている事実なんかを説明して解ってもらう必要がある」
「はい」とだけ応えると二人してジョッキに手を伸ばした。
「でもさ、密猟の現場はとても残酷なんだ、あいつらはサイを押さえつけて、角を取り残さないように顔の一部から抉り取るんだ、サイはまだ生きているのに」と悲しい顔をして形山は言う 城宮も悲痛な表情になり返事もできない。
「ただ実際に密漁を実行しているのは、金持ちに雇われた貧しい者達で、彼らにも生活があるんだろう、弱みを握られてしぶしぶやらされていることもあるんだろうと思う、まあ結局その中のとある一組にやられてこっちに旅立って来たわけだけど……」
「そうなんですか……」
「でも結局誰が正しいかなんて分からないよな、こっちは動物を守ろうって信念が正しいと信じて行動しているけど、長い目で見たらそれがどう影響するのかはまったく分からないし、良かれと思ったことが裏目に出ることなんて、それこそ星の数ほどあるだろうし。そもそも人間が自然を守るなんていうことも、大きな欺瞞なんだろうなと思うこともあるよ、人間が地球のためになんて考えたって、計画通り上手く行きましたなんてことには絶対にならないだろうし」
「そうですかね、それでもやっぱり考えた方がいいんじゃないかと思いますけど……」城宮は自信無さげに言う。
「そうかも知れない、でも人間が考えてこれが最適解です、なんて絶対にあり得ないと思うんだよね、『重力ピエロ』って本の中で、主人公の春が『人間の賢さは、人間のためにしか役立っていない』って言うのだけど、本当にその通りだと思うよ、色々な意味でね」
「へえ、『重力ピエロ』って本、読んでみたいです」と城宮は神妙な面持ちで言う。
「ああ、図書館に行けばあるんじゃないかな、明日でも行ってみる?」
「ぜひ」
その後、一緒に転生してきた梨山の話なんかもして明日の待ち合わせを決めて宴たけなわとなった。
■九 喫茶店にて
「お待たせしました」と言いながら店員がパフェを井福の前に置いた。
色とりどりの霞がきれいに積み重なった断面の上にさらにトッピングされる霞の数々を見て「美味しそう」と歓声を上げる。匙を手に取りえいとばかりに差し入れて掬うと霞を頬張った。
「美味しい」飲み込むとまた歓声を上げる。
「あんたも好きね、ここに来ると毎回じゃない?」目の前の席に座っている山富はそういうと、コーヒーを一口飲んだ。
「私は霞があればそれでいいの」と言うと少し表情を曇らせた。いつもの弾ける笑顔と違うことに山富はおやっと思い「どうした、何かあった?」と尋ねる。
「ううん…… なんでもない」と答えるとパフェに視線を戻す。少し逡巡して山富を見て話を続ける。
「そういえば代わってもらったボランティア、こないだだったよね? 行った?」
「うん、行ったよ、なんで?」山富が質問を返す。
「最初の受付とか大丈夫だったかなって思って…… 参加登録のやり直しとかやらされた?」
「ううん、大丈夫だった、代わりに来ましたって言ったら、私の名前で名札も用意されててすぐテーブルに案内されたよ」
「そっか、良かった、代わるって言ったのがちゃんと反映されたか心配だったから」そういうとパフェを一口頬張る。
「そうだったんだ、ありがとう、ちゃんと反映されてた。その時の転生者を明後日また近所のボランティアで集まっていろいろ案内する予定」
「どの辺に行くの?」と井福が聞く。
「どうなんだろう、繁華街の方かな、たぶん」
「良いな、楽しそう」と井福は少し拗ねた様に言う。
「あれ? まさこはこないだのボランティアでそういうのやってないの?」
「うん、座ったテーブルが全然遠い場所の集まりだったから、誘われたけど行くのも大変で断った」匙を置いて紅茶を一口飲んで続ける。
「なんか変な感じでさ、結構早めに着いたんだけど、最初に案内されたテーブルに座ってたら、なんだか慌てた感じで職員が来て、テーブルを移動させられたの。でもよく考えてみると元々さくらが座る予定の席なら、さくらのご近所さんが集まってたはずだよね?」
「確かにそんな気がするね」
「そう考えると、そのまま元のテーブルだったら隣街の集まりになるでしょ?」と井福が畳み掛ける。
「確かに、まあどの地区の人が集まってたかは今となっては分からないけどね」と笑いながら答える。
不意に井福が上の空になり、また顔が曇ったのを見て「どうした? 今日なんか変だよ」と言った。
「うん……」と口ごもる。山富は心配そうに井福の顔を覗き込む。
「あのね、移動する前のテーブルに座った、たぶん転生してきた人だと思うんだけど、その顔を見た瞬間にこう…… 雷に打たれたっていうのかな、すごい衝撃が走って目を離すことができなくなったの。鼓動もどんどん早くなっていくし、自分の体が自分の体じゃないみたいだった」
「なあに、それ、惚気話し?」と山富が悪戯っぽく聞く。
「どうなんだろう、入り口からテーブルまで歩いて行くのを遠目に見ただけだから、そんなにしっかり見たわけではないんだけど……」困った感じで答える。
「なんだろうね、あんまりこっちで恋愛話しって聞かないし…… そのあと街で見かけたりはしてないの?」
「うん、その時だけ」井福は答えると「ただ…… 和紙って言うの、それがこう手すりみたいなところに結び付けられている映像が時々頭に浮かぶようになった」と続けた。
「和紙? 結ぶ? なんだか引いた後のお神籤みたいだね」
「ああ、確かにそんな感じ、神様でも見えてたのかな?」と言うと井福は紅茶を飲み干した。ふっと一息ついて「そう言えば来月誕生日だね、どうしようか?」と言った。
山富は少し考えると「お花見でも行ってみない? 川沿いの桜並木が綺麗みたいだよ」と返す。
「うん、いいね、また近くなったら連絡するね」と二つ返事で答えた。
■十 センターにて
根島は形山が話す報告を黙って聞いている。
「昨日も図書館で熱心に本を読んでまして、最近はそんな感じの日が続いてます」
「それはあなたも一緒に?」根島が驚いて口を開く。
「そうなんですよ、最近は自分とばっかりつるんでまして、ご報告できるような交友関係が無いと申しますか、明日も一緒に花見に行く予定でして……」形山は申し訳なさそうに言う。
「そうですか、それならそれで結構です」
「まあ、何か変化があれば気付く関係にはなったかと」と少しだけ胸を張った。
「の様ですね、それを維持していただければと思いますよ」
「では、失礼します」そう言って部屋を出ると、躊躇うことなく川奈の部屋を目指した。扉を三回ノックしたが、返事がない。
「今日はお留守ですか」とぶつぶつつぶやいて、ここに来たことを残すべきか逡巡したが、また今度で良いかと思い直し踵を返した。
◇
形山が出て行くと根島は部屋を片付けて、センター長室に向かう。廊下の先を形山が歩いているのが見え、まだ中に居たのかと訝しんだ。出口の方に向かうのを見てまあ良いかと思い直す。階段を上がり廊下をいくつか折れてセンター長室の扉をノックする。
「どうぞ」と三上の声が返ってくる。
「失礼します」と言って部屋に入ると、三上は机に向かって何か書き物をしている。
手元の書類に視線を落としたまま「どんな状態?」と聞く。
「城宮道雅の交友関係はあまり広がっていないようで、形山剛士とばかり会っているそうです」
「そうですか、それはそれで面倒がない、良いんじゃないでしょうか、他には?」とようやく顔を上げ根島を見上げる。
「最近は図書館で本を読んでいることが多いとのことでした」
「本ですか、賭博場通いは止めたんですかね、読書なんて殊勝なことじゃないですか、結構、結構」と言うと嘘か本当か分からない笑みを湛えた。
「ところで……」と話を続ける。
「城宮道雅のことだがね、このまま延々とこんな真似を続けるのもどうかとは思わんかね?」
「はあ、確かにおっしゃる通りだとは思いますが……」
三上は「そこでだ」と言うと少し間を取る。
「転生予定者に城宮道雅を加える、というのはどうだろうか?」幾分落とした声で続けた。
「転生とは…… 此岸に送り返すということですか?」
「そう言うことになりますね、やはり何事も原因に対して正しい対処を行うことがより良い解決方法だと思いましてね」
「しかしそれは内規違反では……」と根島は口ごもる。
「難しいですか? まあ何とか手がないか考えてみてください」と三上は鷹揚に言った。
■十一 花見にて
翌日、待ち合わせ場所に先に現れたのは城宮だった。辺りには花見客と思しき人で溢れており、好天の下で露店なども繰り出して大盛況だった。帽子姿の形山が現れるとより一層人が増えた感じがする。
「お待たせ、お待たせ」そう言うと手にぶら下げた袋を持ち上げると「これの調達に手間取ってさ」と笑った。
「行こうか」「はい」と言い合って並んで川沿いの遊歩道を下流に向かって歩き始める。ますます人が溢れ、そこかしこで桜を見上げて立ち止まるものだから一向に進まない。
「しかしすごい人ですね、あ、それ持ちますよ」城宮が言う。
「いいよいいよ、大丈夫、そんなに重くないし。ちょうど満開になったって話しだから、みんなぞろぞろ出て来ちゃったんだな、あの世もこの世も春の訪れは待ち遠しいものなんだよ」
「そうなんですか」と首を傾げる。
「まあ、花よりビールだけどな」と言って笑った。
桜並木の下をじりじりと進んでいると、後ろから鉦(かね)と太鼓の小気味良い拍子とその上で踊る様に鳴り響く笛の音が聞こえてくる。何ごとかと振り向くとは、派手な衣装に身を包んだ六人組の一行が、踊りながら近づいてくるのが見える。
「珍しいな、チンドン屋か」と形山が楽しそうに言う。
「賑やかでいいですね」と返す。
群衆の壁が割れ、桜並木の真ん中をチンドン屋の一行が、軽やかに歌い踊り進んで行く。奏でる祭囃子に乗せられ手拍子を打つ者もあり、混雑で不満が淀んだ空気がほぐされていく。心なしか人の進みも早くなったように思われた。
◇
「お待たせ、待った?」と井福が山富の正面に回って声をかける。
「ううん、ちょうどぐらい」と山富が答える。
「なら良かった、でもすごい人だね」
「本当、ちょうど満開みたいだよ」
「へえ、満開ってすごいね、行こう、行こう」そう言うと、二人は露店が立ち並ぶ広場を出ると、川沿いの遊歩道を上流に向かう。
枝ぶりが見事な桜を見ながらどちらともなく「綺麗」と言い合って通り過ぎる。
少し進んだところで完全に人の流れが止まってしまっている。
「動かないね」と井福が口を尖らせて言う。
「本当だね、これは酷い」と答える。
二人を春の日差しが容赦なく照り付けて「ちょっと暑いね、まさこは大丈夫?」と山富が口にしたところで、向こうから祭囃子が聞こえてきた。
「なんだろうね?」と山富が首を傾げる。
祭囃子はどんどん大きくなり、遠目に派手な衣装も見え始める。
「チンドン屋かな?」と井福が答える。
群衆をかき分けるようにして進む六人組を眺めていると、あっという間に目の前に迫ってきて脇に避けてすれ違う。
一行の後ろ姿を見送って二人は遊歩道をさらに進む。
◇
城宮は前から見覚えがある顔が近づいてくるのに気づいた。どこで見かけたのかと逡巡する。確か輪廻転生センターで見た顔だったと思い出す。相手の方もこちらに気づいた様で人ごみをかき分けるようにこちらに近づいてきて形山に声をかけた。
「おお形山君、君も花見ですか?」
「川奈さん、ご無沙汰してます」形山が挨拶を返す。城宮も川奈が輪廻転生センターの医者だったことを思い出す。
川奈も城宮のことを覚えていたようで「こちらは最近こちらに来られた……」と城宮を見ながら話しかけて言葉に詰まった。
「城宮道雅です、今年の頭にこっちに来て、川奈さんには検査なんかでお世話になって……」
「おお、そうじゃ、そうじゃ、思い出したわい、その後はお元気か?」
「はい」と応える。
形山が「二人ともお知り合いでしたか?」と声をかける。
城宮が答えに間誤付いていると、川奈が「まあまあ、どうですかあの空いているあたりで一緒に花見でも?」と河川敷の奥の方を指さして誘った。
「いいですね」という言うと城宮の方を向いて「大丈夫?」と声をかける、城宮も「ぜひぜひ」と返して遊歩道を外れ河川敷を目指して歩き始める。
「そういえば先日も部屋にお伺いしたんですが、お留守でしたよ」歩きながら形山が言う。
「そうでしたか、それは残念、また懲りずに顔を出してください」と川奈が答える。
しかし輪廻転生センターに顔を出している用が、城宮の行動報告だったことを思い出して、形山は少しばつが悪くなりあいまいに「ええ」と答える。
敷物を敷いて上に上がると、形山は袋からビールを取り出してみんなに配る。
「おお、すまんの、こっちにもあるでな」と川奈も自分が持っていた袋を指さした。
「乾杯」と言いあってビールを呷る。形山は「やっぱり花よりビール」と笑う。
◇
「端まで来ちゃったね」井福が声をかける。桜並木も少し前に途切れて、人もめっきり減っている。
「意外に短かったね、それにしても途中はすごい人だったね、結構暑かったし」と山富が応える。
「なんだか人に当たり過ぎて疲れちゃった」と井福が言う。
「そうだね、ちょっと休憩したいね、どうしようか、うちに寄っていく?」と山富が水を向ける。
「うん、行く」と井福が笑顔で応える。
笑顔を見て安心した山富が「ビールでも買って行こうか」というと「いいね」と言いながら歩き出す。
◇
ビールのお代わりを空けたところで、川奈が話し始める。
「そう言えば、こないだこっちに来ない魂があるって話しをしたじゃろ、ああ城宮君は初耳か……」そう言うと、かいつまんだ内容を城宮に説明する。
「で、どうやって観測したものかお手上げになっていたのが、ひょんなことできっかけが見つかってのう」そう言うと川奈はビールに手を伸ばす。
「ひょんなことって何があったんですか?」形山が聞き返す。
「うむ、あれは地上の観測を諦めて、こちら側に上がってきた魂を観測していた時じゃった。観測器を覗いて観ていると、どうも安らかな顔をした魂があってな、どうにも目が離せなくってしまってしばらく眺めておった」
ビール片手に二人して黙って頷く。
「普通の魂は朱雀門を通ってこちらの世界に入ってくる、その後は輪廻転生センターでこちらの世界に生まれ直すのじゃが、その魂はだいぶ近くまで来たなと思ったら、すうっと向きを変えて朱雀門には入らなんだ。慌てて観測器を動かして追いかけたが、見失ってしまってのう」
「朱雀門ですか?」と形山が質問する。
「そうじゃ、センターの南の方にある門じゃな」
「どこに行ってしまったんですかね、迷子ですかね?」城宮が質問する。
「少し迷った後に無事にこっちに来たとか?」形山も思いついたことを口にする。
「そう思って慌ててその魂の識別番号を控えたんじゃが、それが間違えでなければこっちには来ていない様での……」
「安らかな顔ってどんな感じだったんですか? 安らかと迷子は相いれない気がして……」と城宮が尋ねる。
「確かにのう、迷子の顔は不安で満ち溢れているはずじゃのう、どんな顔…… はて難しいのう、あえて言うならば無罣礙、心無罣礙かのう」
「無罣礙?」形山が繰り返す。
「心に引っかかるものが何もない、あえて表現するならそんな言葉になるかのう、なんの執着もわだかまりもない、清らかな顔じゃな……」そう言うと眼鏡の位置を直した。
「往々にしてこっちに来る魂はみんな酷い顔をしとるもんじゃ、なんだか痛そうだったり、何かをやり残したような顔での、笑っているというのも稀なもんでな、それでつい見入ったのが怪我の功名だったのかどうなのか……」
「向きを変えた方の観測は続けているんですか?」形山が質問する。
「まあ、観測器を向けているが、あの後は無反応でな、まあこっちに来ない魂の絶対数が少ないのでしょうがないんじゃが……」
「朱雀門以外の門はないんですか? 別な門から入ったとか?」城宮も質問する。
「別な門ね…… そっちの方も調べる必要がありそうじゃな……」と川奈が肩を落として答える。
「まあ飲んで元気出してください」と形山が袋からビールを取り出して川奈に手渡す。
「ああ、ありがとう、ところで形山君は混濁の検査を受けてみる気はないかね?」
「え、混濁? ああ、こっちに来た時に随分検査したやつですよね? まだ何か検査が必要なんですか?」と形山が訝しがりながら質問し返す。
「いやいや、検査が必要な状態ではないので心配いらんよ」と川奈が笑顔で言うと、形山は「だったらなぜ」と表情で訴えた。
「確か形山君がこっちに来たのは十年ほど前だったかの、あの当時は混濁がまだまだ未解明なもので、当時の検査機器も今の物とは比べようがないぐらいの代物でのう。まあ最新の検索機器でもう一度調べさせてもらうと、また何か新しいことが分かるのでは、という個人的な興味じゃな」
「はあ」と形山は分かったような分からないような返事をする。
「まあ痛くもなければ、時間もかからないから、その気になったら調べさせておくれ、城宮君にも検査を受けてもらったところじゃ、なあ?」と水を向ける。
城宮は笑いながら「はい」と答えた。
「すぐに終わったじゃろ?」と川奈はさらに肯定的な意見を求める様に畳みかけた。
「まあ混濁も症例数が少なくてのう、なかなか研究が進まんのじゃよ」と締めた。
その後も三人はいろいろな話で盛り上がり、ビールを酌み交わした。日も落ちて暗くなり周りの花見客もほとんど居なくなったころ、お開きにしようということになり、三人はそれぞれの方向に向けて歩き出した。城宮は川沿いの道をふらふらと歩き始めた。
◇
井福と山富はビールと霞を買って山富の家に向かう。
「お邪魔します」と上がると二人はビールを開けて乾杯をして飲み始める。
井福はビールと一緒に買った霞を頬張ると「美味しい」と言う。
「あんたは本当に霞が好きだよね」と山富がほほ笑む。
「はい、これがあれば他は何も要らない」と笑い返す。
今日の花見を振り返った後、井福が思い出した様に聞く。
「そう言えばこないだの彼岸生活者支援懇親会でこっちに来た人は元気?」
「ああ、凪のこと? うん、元気だよ、たまに繁華街の方に行ったりしてる。どうした? 急に」と山富は答えると質問で返した。
「そう言えばと思って、繁華街の方ってみんなで?」
「みんなだったり二人だったり、最近は二人で行くことが多いかも」
「そうなんだ…… 二人?」と井福は口を尖らせて寂しそうに言う。
「あれ? どうした?」
「別になんでもない……」とさらに口を尖らせる。
「もしかして拗ねてる? 妬いてる?」山富は笑いながら訪ねる。
「拗ねてない……」と最後はもう言葉になっていない。
「何よ、もう、嫉妬しちゃって可愛いの」そう言うと山富はもう笑いが止まらない。
井福は「だってさ…… そんなに笑わないでよ……」と言うと山富が井福の頭を撫でて返事を返す。
「うん、分かった分かった、ごめんごめん、分かったからもう拗ねないの、今度まさこにも紹介するから」と優しく言った。
まだ機嫌を直さない井福に冷蔵庫から出したビールを渡すと、自分の分も取り出しながら話を続ける。
「でも、まさこも彼岸生活者支援懇親会で目が離せなくなった人が居るって言ってなかったっけ?」
「あれは……」
「何?」山富は疑惑の眼差しで井福の顔を覗き込む。
「その後は全然何も無いんだよね、何だったんだろう、はっきり覚えてはいるから、見たり出会えば気が付くと思うんだけどね」そう言うとビールを口にする。
「ふうん、幻? 思ったんだけどこっちの世界で恋愛感情が起きるのも珍しいよね」
「あれが恋愛感情だったのかどうかは、はっきりしてないけどね」と否定を含ませて言うと「でも言う通り、確かにこっちの世界では恋愛感情ってあんまり無いよね、なんでだろう?」と続けた。
「不思議だよね、思ったのは、こっちの世界では結婚とか家族が増えるみたいなことがないでしょう? だからかなって」と山富が持論を展開する。
「でも恋愛感情が起きないから結婚に進むこともないんじゃなくて?」
「逆ってことか、こっちでも恋愛感情が起きれば結婚もあり得るってことか」
「それか、そもそも恋愛感情が湧かないように頭の中を操作されてるとかかな、それでこっちの世界の恋愛、結婚、出産が無いって秩序が守られているとか……」
「操作って怖いよ、でもどっちが先なんだろう、もう頭が痛くなってくるね」
二人はなぜこちらの世界では恋愛というものがないかについて延々と議論した。
「あれ、もうこんな時間、遅くまでごめんね、大丈夫?」と井福が時計を見て言う。
「大丈夫、大丈夫、もう帰る?」と山富が応える。
「うん」
「片付けはやっとくからいいよ、忘れ物ない?」
「多分」
「気を付けてね」
「うん、ありがとう、またね」と言って手を振った。
◇
井福は山富の家を出るといくつか路地を曲がって川沿いの道に出る。日中の好天の余韻は残っておらず、この時期らしい夜の冷えた空気が身を包んだ。川面を風が通り抜ける度に、酔いが少しづつ覚めていく。
山富には恋愛感情かどうかははっきりしないと言ったが、彼岸生活者支援懇親会での衝撃はまったく忘れられないでいる。あの感覚がなんだったのか、自分なりに整理して理解したいとも思った。もしあの時の感覚をもう一度味わえるなら、それ以外の多くのことを諦めても良いとも思った。
そんなことを考えて歩いていると、向こうから黒い人影が一つ近づいてくるのが見える。のんびり歩いているのか、酔っているのか少しふらふらとしている。気にせず歩いていると、人影が街灯の下に入り姿が照らし出される。引き寄せられる様に一瞬その顔を見た井福は、はっと息を飲んだ。
――あの時のあの男だ、あの男が歩いてくる。
そう思うと鼓動がどんどん早くなっていくのを感じる。今度は井福が街灯の下に入ると、人影は一瞬立ち止まり、一転してしっかりとした足取りで進み始める。手が伸ばせるところまで近づくと二人は立ち止った。
互いに目を見つめ合う二人のの間を一陣の風がひゅっと吹き抜けると、たちまち漆黒の中に暗雲が立ち込める。辺りは濃い霧に包まれたかと思うと、稲光が闇を照らし出し、その刹那、雷鳴が轟くと二人を過去の記憶が駆け巡る。
「まさこさん…… ですよね」「道雅君……」どちらともなくお互いの名を呼びあう。
さらに二人の記憶が呼び覚まされる。伊勢からの帰りを待ちわびた日々、ようやく京に戻り重ねた逢瀬、突然の出家で立たれた恋路、高欄に結びつけられた手紙、そして急逝。
「そっか、あの時の……」井福はそう言うと言葉を失った。
「うん、はっきりとは思い出せないけど、僕らは昔愛し合っていた、そして悲しい別れがあった」と城宮も答える。
「私、あなたを見たのよ、彼岸生活者支援懇親会で。遠くからだったけどあなたを一目見たらとても胸が苦しくなって……」とまた言葉に詰まる。
「え、自分もあの日あなたが居るのを見て、同じ様な気持ちになったよ、そしてことある度に思い出して……」城宮もそう答える。
「うん、同じ、あの日は何が起こったのか分からなかったけど、忘れることはできなかった。でもあれから随分経つけど全然出会えなかったね」井福はそう言うとほっとした様に笑う。
気が付くとあたりに立ち込めていた霧はすっかり晴れ、空には星が戻っている。
「さっきの雷はなんだったんだろうね?」と笑いあった。
■十二 検査室にて
形山と城宮は並んで歩きながら輪廻転生センターの門をくぐる。形山が「こっち」と手招きして川奈の部屋を目指す。
「本当に検査は一瞬なの? 痛くない?」形山は歩きながら不安を隠しながら城宮に質問する。
「寝てたら一瞬だよ、何をされたのかもわからないぐらい」と答える。
扉の前で立ち止まると「ここ、ここ」と言って扉を三回ノックする。「どうぞ」と中から川奈の返事が聞こえる。
「失礼します」と二人で言いながら部屋に入ると、川奈が相好を崩して「おお、よく来たよく来た、そこ、座ってくれ」と言う。
「今日はまだ早い時間でビールは出せんのじゃ、すまんの」と言ってさらに笑う。
「検査はだいたいどのぐらいかかるものなんですか?」と形山がやっぱり不安そうに尋ねる。
「なあに、すぐじゃよ、寝転んで目を閉じたら終わっておる」と同じ口調で答える。眼鏡を直すと改まって「今日の体調はどうかな?」と聞く。
「いつも通りなんの問題もありません」
「こちらの世界に来てからはどうかな? 片頭痛があるとか、体調を崩しやすいとか、落ち込んだりふさぎ込んだりみたいな気分の浮き沈みとか、何でもいい」
形山は少し逡巡すると「飛んでる夢をよく見ますね、大きな羽をばたばたと羽ばたいて、上昇気流を捕まえて天高く舞い上がってそこから滑空する夢をよく見ます」と答える。
「ほお、羽ばたいて空を飛ぶ夢ですか、他はどうじゃ?」
「他は至って普通だと思います」と大真面目に答えると、それを見た城宮が笑った。
「あれ? 変かな?」と形山が言う。
「ごめん、ごめん、言い方があまりに真面目だったから」と言って城宮はまた笑う。川奈も笑いながら「それでは行こうか」と席を立った。
階段を下りて一つ下の階の検査室に入ると川奈が指示を出す。
「じゃあ城宮君はそこの椅子で待っててくれるかの、形山君はこっちの診察台で仰向けに寝てくれるかのう」
形山は行ってくるとばかりに目で合図して、握り締めた帽子にさらに力を込めると診察台に上がる。
「じゃあ始めよう」と言うと機械の動作音が低く唸るのが聞こえ始める。
「形山君、ちょっと痛いかもしれんが、我慢してくれるか」と川奈はそう言うと答えを待たずに機械を操作する。
形山は何か返事をと思った瞬間に頭の中にパルス信号の様な瞬間的な痛みを感じ「痛」と声を上げる。
「おお、すまん、すまん、少し我慢じゃ」「痛」と何度か繰り返す。
「では、右半身を下にして横向きになってくれるかの?」と川奈が楽しそうに言う。
「はい…… え、まだ、続けるんですか?」と形山が悲鳴に近い声を上げる。
「そうじゃな、左と右と後ろからも検査してみんとな」と一層楽しそうに言う。
結局、川奈が言った通り四方向から刺激付きの検査を終えて、二人は検査室を後にした。
「全然、すぐ終わりじゃなかったな、まだ少し痛むような気がする……」と形山が恨めしそうに言う。
「ごめん、ごめん、自分がやった検査と種類が違ったんだね」と申し訳なさそうに答える。
「いや、良いんだけどさ、これで何も分かりませんでしたってことは無いよな」とぶつぶつ言っている。
階段を途中まで降りたところで視線の先に眼帯をした男が通るのが見えた。城宮はなぜか言葉にできない苛立ちを感じて立ち止まる。形山もそれに気づいて立ち止まり、眼帯の男が通り過ぎるのを待った。
「どうした?」と形山が聞く。
「いや、なんだか知っているような不思議な感覚がして…… あんまり良い感覚ではないかも」と返す。
形山は「あれ、ここのセンター長だよ」とだけ返す。無言でうなずいて階段を降り始める。
センターの門を出ると「ところで、この間の花見の後のことなんだけど……」と城宮が話を変える。
「うん、どうした?」
「いや、あんまり話してなかったんだけど、ここでやった彼岸生活者支援懇親会で見かけた人がどうにも気になっていて」
「ふうん、どんな?」と形山は相槌を打つ。
「話すと長くなるんだけど……」と前置きして順を追って説明する。
「ふうん」と形山は分かったような分からないような相槌を打った。
「で、その後何度か会っているんだけど、今度、向こうの友人も交えて会おうって話になってて…… 形山君も一緒にどうかな?」と城宮はすがる様に言った。
◇
検査室で二人を見送ると、川奈は検査結果を手早くまとめて手に持つと検査室を出て部屋に戻った。
それを見計らったように扉をノックする音が響く。誰だろうと訝りながら「はい、どうぞ」と返事を返す。開かれた扉の向こうには根島が立っている。
「お忙しいところすいませんね、少しお時間よろしいですか?」根島はこちらの拒否を阻む言い方で聞いてくる。
「ああ、どうぞ、大丈夫ですよ」と答えながら、何の話が始まるのかと身構えた。
根島は部屋に入ると扉を閉めて質問を続ける。
「いやね、先ほど、形山君と仲良く歩かれているのを見かけましてね、どんなご関係なのかなと思いましてね」
「ああ、形山君ね、彼はこのセンターで初めての混濁の発症者でしてな、転生してからずっと検査だなんだと、もう長い付き合いになりますわ」川奈はやはりこの時間帯にセンターの中をうろうろすると目立ってしまったかと後悔しながら答える。
「そうでしたか、そんな長い付き合いだったんですか、あれ? 彼の混濁は病変なしで片付いているのでは?」
川奈はどこまで答えたものかと思案する、あとから詰められて芋蔓のようにずるずるするのもどうかと考えた。
「混濁についてはまだまだ分からないことが多いのはご存じですな? 彼はこうして連絡が取れる数少ない発症者ということで、今回追加の検査をお願いしましてな。なんせ当時の検査機器は今からするとずいぶんな代物でしたからな」と答え笑ってみせる。
「そうですか、それは研究熱心なことで。で、今日一緒に居たのは城宮君ですかな? 彼とはどういう?」
「彼とは先日ばったり花見で会いましてな、形山君と三人で盛り上がった仲でしてな、今日は付き添いで来たみたいですよ、城宮君も先日同じ検査を受けてもらいましたから」と笑って答える。やっぱり全部お見通しだったかと少し胸をなでおろす。さてこっちはどう攻めようかと思案する。眼鏡を直して質問を返す。
「根島さんも形山君に何か頼みごとをされているそうじゃの、根島さんの方こそ仲がよろしい様ですな」
「ちょっとした野暮用ですよ……」根島は逆になぜそれを知られているのかと狼狽して言葉に詰まる。
「いやいや、これは失礼失礼、遅い時間までご苦労様だなと思いましてな」と笑う。少しは牽制になったと思い質問の方向性を変える。
「そう言えば根島さんは北の山の連なりについて何かご存じですかな?」
「北の山ですか?」根島は訝しがって質問を繰り返して聞き直す。
「そう、北の山」そう言うと眼鏡の位置を直して話を続ける。
「此岸の死が必ずしもこちらに来ない、という現象を研究してましてな、先日観測器を覗いていたら偶然こちらに来ない魂を捉えることができたんじゃが…… その魂を見ているとどうも北の山の方に向かった様に見えましてな。何か北の山についてご存知無いかと思った次第での」
「そういえば北の山の麓にセンターが所有している施設がありましたね、私も良く知らないのですが」
「ほう、そんなものが有るんですな、知らんことばかりですな」と笑って見せる。
■十三 飲み屋の四人
桜の花はとうに散って実に変わり葉が生い茂る四月の中旬、繁華街の入り口に立った形山と城宮は、所在なく辺りを見回している。
「待ち合わせはここで大丈夫だっけ?」形山が尋ねる。
「うん、繁華街の入り口でって、分かるって言ってたから大丈夫だと思う」城宮が少し申し訳なさそうに答える。
ひっきりなしに往来する人々の向こうに井福の顔を見つける、隣の見知らぬ女性と話ながら近づいてくるのを確認すると「来た、あの二人」とに声をかける。
形山も「どれどれ」と言われた方向に目を凝らす。見つけて「どっちが井福さん?」と尋ねる。
「左側の方、右の人は今日初めて」と答える。
「ふうん、なんだか雰囲気が似た二人だね、背格好が同じだからかな」と形山が言う。
こちらを見つけた井福が手を振って近づいてくる。
「お待たせ、待った?」と井福が城宮に声をかける。「そんなに」と応えて山富と形山を交互に見て井福に視線を戻す。
「そうだね、初めましてだよね」と井福場を取り持った。
「じゃあこちらから、自分が城宮道雅です、こちらが形山さん」と紹介する。
「形山剛士です、どうも初めまして」と名乗る。
「私が井福まさこで、こちらがさくらさん」と紹介する。
「どうも、山富さくらです」と名乗った。
「私と道雅君がその…… 不思議な出会いをしまして…… 話しとか聞いてます?」と井福が補足する。
「うん、一通り聞いたけどあんまりぴんと来てない」と形山が笑いながら答える。
「ですよね……」と井福が俯く。
「まあまあ、自分の説明が悪かったのかも知れないし、続きは座って落ち着いてからということで」と城宮が助け舟を出して移動を始める。
形山が一つ目の角で立ち止まると、奥の「酒」と書かれた小旗を指さして「あそこなんですけどどうですか?」と聞く、とりあえず行ってみようと角を曲がる。
形山は玉のれんの前に立つと、がかかった格子戸を横に引いて中に入る。
「いらっしゃいませ」と店員が迎える。「四人ですけど」と言うと奥のテーブルに通された。
「みなさん、ビールで大丈夫?」と城宮が言うと、それぞれ「はい」と応える。
ビールがテーブルに届くとそれぞれ手に持つと、一瞬、誰が音頭をとるのか周りの気配を伺う。なんとなく三人の視線が形山に集まり、本人も満更ではない表情で「それでは、乾杯」と声を上げる。皆一様に美味いといいながら喉を潤す。「まさこちゃんとさくらちゃんはどんな知り合いなの?」と形山が今更帽子を取りながら質問する。
「まさこが転生してきた時にボランティアで関わって、それ以来の友達かな」と山富が答える。
「そうそう、私の恩人、でも珍しく同じ街区ではないんだけどね」と井福も補足する。
「そうなの?」と城宮が聞き返す。
「隣だからそんなに遠くはないんだけどね」と山富が答える。
不意に城宮は彼岸生活者支援懇親会で最後まで空席があったことを思い出す、席札は確か山富の名だったと記憶の糸を辿る。
「あれ? 山富さんのお住まいってもしかして四丁目ですか?」城宮は自分が座っていたテーブルはみんな四丁目だったことを思い出してそう質問する。
「そう、なんで分かった?」と山富が不思議そうな顔をする。
「もしかしてまさこさんと同じ彼岸生活者支援懇親会に来る予定でした?」と質問を続ける。
「あれ? その話しなかったっけ?」と井福が入ってくる。
「聞いてないかも、ただ自分が座っていたテーブルに欠席者が出てその席札が山富さんの名前だったことを思い出して、それでもしかしたらって」
「そっか、言ってなかったか……」
「元々の参加予定日が、私は二月、まさこが一月だったの。それが直前になって私に一月、まさこに二月って変更の通知が来てね」と山富が説明する。
「そうそう、それであまりに直前過ぎて腹が立つって相談したら、さくらにも同じ通知が来てたことが分かってさ、じゃあ簡単じゃんってことで、二人で行く日を交換したわけ」と井福が得意そうに言った。
「あれ、あんた、あわよくば同じテーブルになるところだったって話はしてないわけ?」と山富が驚いた様に言う。
「そうみたい、忘れてた……」
「最初は同じテーブルに座ってたみたいよ、移動させられたんだっけ?」と山富が話を進める。
「そうなの、移動した先のテーブルに着いてたのは遠くの人たちばっかりで……」
黙ってビールを飲んでいた形山は、三上と根島が、城宮の交友関係を知りたいと言っていたことに思い至っていた。直前の日程変更、しかしそれを無視してやってきた井福、そしてまた直前でのテーブル変更、城宮と井福を何とか引き合わせないようにする力が働いたのではという仮説に至る。
「直前のテーブル移動ってどんな感じだったの?」と形山が口を挟む。
「どんな感じって、すごい慌てた感じだったかな、移動も限界まで早足って感じで、普通の職員じゃないのかな、服が真っ黒だった」と言ってビールに口を付ける。「あ、真っ黒って汚れてたわけじゃないよ、黒色ね、上も下も」と付け足した。
根島だ、と形山は確信する。そこまで頑張ったのに道でばったり出くわされたら骨折り損だなと、笑みがこぼれた。
「泥だらけの職員が案内したらますます怪しいよね」と形山は話を合わせて笑う。
「で、次に会ったのが花見の日だっけ?」と質問を続けた。
「そうなんですよ、河川敷で飲んだ後にふらふら帰ってたら目の前に」と城宮が答えた。
「こっちはすごい人出でチンドン屋さんなんかも出てて疲れちゃってね、早々に切り上げてうちで飲んでた帰りだっけ?」と山富が水を向ける。
「そう、帰るねって出て歩いてたらばったり」井福が答える。
「で、その後はどうなの?」
「どうなのって? 何が?」
「二人の関係」
「あれから何回か会ったけど、最初みたいにどきどきはしなくなったかな」
「うん、それはそうかも、焦燥感みたいなのは無くなったね」城宮も答えた。
「そんな二人はどこで知り合ったの?」と井福は形山と城宮に質問する。
「自分達は賭博場で声をかけてもらってからかな」と城宮が答える。
「そうそう、博徒としての契りを交わしたのさ、近所付き合いも早々に断って賭博場通いだもんな、筋金入りだよ」と形山が笑って答える。
だいぶビールも進み、そろそろお開きにすることにして店を出る。形山だけ方向が違うので繁華街の入り口で三人と別れて歩き始める。酔ってはいたが頭の中心は冷静さを保っていて、今日のことをどうしたものかと思案を続けた。
■十四 北の山にて
先日の検査結果を聞きに形山は輪廻転生センターの川奈の部屋を訪れた。
扉を三回ノックすると中から「どうぞ」と、川奈の声がして「失礼します」と言いながら扉を開ける。中には根島が立っており「では」と入れ違いになった。すれ違った瞬間に根島の視線を感じる。
予想外の展開に驚いてしどろもどろになっていると「先客に驚いたかね? 今日は彼のところの用事はないのかね?」と川奈が楽しそうに聞いてくる。
「ええ、今日はこちらだけで……」と帽子を取りながら努めて冷静に答える。
「そうかそうか、まあ座って、今日は一人かい?」と質問を続ける。
「はい、今日は検査結果をお聞きしようと思いまして」と答える。
「そうじゃった、そうじゃった、結果出とるぞ」とそう言うと机の上をがさがさと探し始める。あったと言いながら書類を手にして目を通し始める。
「まず今回の検査ではっきりしたのは、混濁した部分も形山君の一部として機能しているということじゃな、検査の時に刺激を与えて痛みを感じたのがその証左じゃな」と検査結果の説明を始める。
「そしてもう一つはっきりしたのが、混濁している部分の組織構成が分かった。で、これを蓄積されている膨大な試料と照合した結果、オウギワシのものと非常に近い構成になっておることが分かった。これはほぼ間違いないじゃろう」
川奈は形山の顔を覗き込み眼鏡を直した。
「オウギワシですか、あんまりよくは知らないのですが……」と戸惑いを隠せない。
「うむ、わしもじゃ」と言って笑う。「少し調べたのじゃが…… タカ目タカ科、大型の猛禽類じゃな、翼を開くと二メートルもある。食性は動物食で、哺乳類から爬虫類、両生類に鳥類、まあなんでも食べるようじゃの、大きな鉤爪と強力な握力で獲物を狩るそうじゃ、怖いのう」
「はあ…… その鳥の組織がこの頭の中にあるわけですか?」と困惑しながら質問する。
「そうじゃ、君の頭の中のごく一部にオウギワシの脳組織が混入しておる。これはわしの想像でしかないのじゃが、飛んでいる夢を見ると言っていたのう? 大きな羽とか滑空とか随分特徴のある飛び方だと思ったんだが、鷲なんかの猛禽類の飛び方に非常に似ておる。もしかしたら混濁している部分が影響を及ぼしている、と考えられなくもない」
形山は黙ってうなずくと、鷲の羽ばたくのを想像した。
「九年前の検査結果と見比べると少し混濁部分が大きくなっているが、他に自覚症状が無いなら問題ない範囲じゃろう」
「大きくですか…… なんだか怖い気もしますが……」
「これが検査機器の進歩の成果じゃな」と笑った。
「ありがとうございました、では」と頭を下げて部屋を出ようとする背中に川奈が声をかける。
「そうじゃ、今度北の山の方に行ってみんか?」
形山は振り返ると「いいですよ、ピクニックですか?」と応える。
川奈は「そうじゃ、そうじゃ」と笑った。
◇
目抜き通りの北の端を抜けてさらに北に進んだ先の古い建物の前で、川奈は手持無沙汰を隠さず「遅いのう」と独り言ちる。通りを見やると初夏の陽気の下に形山と城宮の姿が見えた。
「遅いのう、どうした?」と川奈が声をかける。
「いやいや、約束した時間通りですよ」と形山が答える。
「何を言っておる、五分前行動と言うじゃろ」と本気か嘘か分からない文句を言う。
「まあまあ」と城宮が間に入ってなだめる。
「今日は二人で来たんじゃな、良い良い」と笑う。
「最近はまさこちゃんのところばかりで付き合いが悪いんで、今日は無理やり連れてきましたよ」と形山が言う。
「そんなことは…… で、今日のピクニックはどこまで行く予定ですか?」と城宮はばつの悪そうに尋ねる。
「北の山を少し見てみようと思ってな、この先に行くと山の始まりがあるはずじゃ、まずはそこじゃな」と言うと川奈は指さした方向に歩き始める。
「『輪廻転生センター 北山出張所』…… あれ、川奈さん、ここもセンターに関係ある建物なんですか?」城宮は待ち合わせで集まった建物の看板を声に出して読んだ。
「良く気づいたの、とりあえずそこは後じゃ」と川奈が応える。
建物を通り過ぎて道なりに北に進む。だんだん道幅が狭くなり、路面には上り勾配が付き始める。辺りには建物がなくなり、勾配がやや急になってくる。右に左に曲がりくねると突然岩肌が現れた。道は岩肌に沿って東に向きを変え、岩肌に沿うように続いている。
「なんか出ましたね、これが山ですかね?」形山が少し息を乱しながら聞く。
「そんな感じじゃのう、ワシもこんな辺鄙な所は始めてでな」川奈はそう言うと手で岩肌を確認するように撫でた。それを見て形山も城宮も岩肌を触ってみる。見上げると岩肌がかなりの高さまで続いており、その上に木々が生い茂っているのが見えた。
「しかしこれは、山って言うより壁だね、『トゥルーマン・ショー』の海の果てみたいだ」と形山が言う。
道なりに少し進んでみたが、延々と同じ景色が続いている。三人は辟易して立ち止まった。
「これは行けども行けども埒が明かんのう」と川奈が弱音を吐く。
「ですね、延々とこれじゃあ、ピクニックどころじゃないですね」と城宮も答える。
「戻りますかね」と形山が締めた。
足取り重く待ち合わせた建物の前まで戻ってきた三人は、やれやれと立ち止まる。
「次はここですか?」と城宮が尋ねる。
「察しが良いのう」と川奈は言うと、笑って懐から鍵を取り出して見せた。
外側からは平屋の様に見える建物の、少し大きな引き戸の鍵を開けて中に入ると、廊下に沿って左右にいくつかの部屋が並んでいるのが見える。
「ここでの調査のポイントは?」と形山が質問する。
「南の朱雀門の対岸、すなわち今来ている北側のどこかに、魂が帰り着く何かがあるのでは? と言うのがワシの今の仮説じゃ、そしてこの出張所のことを教えてくれたのが根島君じゃ」川奈はそう言うと眼鏡を外して汗を拭って続ける。
形山は川奈の口から根島の名前が出たことに少し驚いた。
「まあ何があるのかは分からんが、こんな辺鄙な所に使いもしない出張所があるのだから、調べてみる価値がありそうじゃろ? さっきの北の山といい何か作為を感じるじゃろ、拒絶しているのかも知らんが」
「拒絶ですか…… 穏やかじゃないですね……」城宮が慄く。
「まあ我々の与り知らん世界なんじゃろうな、あるいは知ってはならない世界なのかもじゃな」
そう言うと順に部屋を調べ始める。一つ目の部屋の扉を開ける、使っていないのか中には何も置かれておらず、がらんとしている。
「使ってないみたいですね」と城宮が言って扉を閉めその次の部屋の扉を開いた。中には棚が並んでいるが、棚には何も置かれていない。
「ここも使ってないみたいですね……」そう言いながらもすべての棚を見て回る、「やっぱり何もないですね」と言って扉を閉める。
廊下の反対側の部屋の扉を開ける、奥の方に使っていない椅子や机が積みあがっており、倉庫として使っている様だった。
「倉庫ですかね?」中に入ってみるが手掛かりになりそうな目ぼしいものは見当たらない。
「空振りですかね……」形山が少し落胆した声を上げる。
最後の部屋の扉に手を掛けるが鍵がかかって開かない。
「ここは鍵がかかってますね、鍵持ってます?」と声をかける。
「いや、ここの鍵と言われたのは一本だけじゃな……」と川奈が困った声で答える。
「まさか同じ鍵じゃないよな……」そう言いながら試すと鍵が開く音がした。
「そのまさかじゃったわ」と言って扉を開いた。
部屋の中央には机が四台向き合う形で置かれており、椅子も対で備え付けられている。机の上には用箋挟がいくつか置かれており、何か用紙が止められているが、埃の積もり具合からかなり長い間使われてはいない様に思われた。形山が用箋挟を手に取ってみる、書かれている字がかなり薄くなっており、何が書いてあるのか判別できない。川奈に手渡しながら「薄くなっちゃって何が何やらさっぱり」と言った。
川奈も眼鏡を直して止められた書類を何枚かめくってみるが、言われた通りの状態で言葉も出ない。形山は机の引き出しを開けたり閉めたりしているが、その動きは中には何も入っていないことを意味していた。
「鍵までかけておいて何も無しか」と形山は肩を落とす。
城宮は机の周りを一回りして、何も無いずいぶん殺風景な部屋だと思った。ロッカーや棚の類もなくむき出しの壁はただくすんでいる。ふと違和感を感じてその正体を注意深く探すと、壁の一部に岩が埋め込まれているのを見つけた。城宮はかがみこむとその部分を触ってみる。
「なんでここだけ岩なんですかね?」と言うと、二人も集まりかがみこんで確認する。
「これはさっきの山の岩だな、山が埋まっている、それとも生えてきたのか?」と形山が言う。そのまま壁から床に視線を落とすと、床に四角い切れ込みが入っているのに気づく。
「なんだこれ」と言いながら、さらにかがみこんで床を調べ始める。
「なにかありそうかの?」と川奈が様子を伺う。
「床に四角い切れ込みがあるんですよ、雰囲気的には開きそうな感じなんですけど」と形山が答えると、方形の一辺に握りこぶしより少し小さい金具が埋め込まれているのを見つける。触って感触を確かめている内に、何の気なしに押し込んでいた。一度押し込まれた金具はかちゃりと音を立てると、すっと浮き上がり、これまで平らだった床に取っ手が現れた。
「出た」と三人が同時に叫ぶ。形山が起き上がると取っ手に手をかけて引き上げてみる。
「気をつけての」と川奈が気遣う。
「はい」と応えるのと同時に、床の四角い切れ込みは取っ手の反対側を支点にして回転するように開いた。
「開いた」と今度は二人同時に叫ぶ。
川奈が懐から懐中電灯を取り出し中を照らすと、ちょうど岩が埋まった壁の下に梯子が作られているのが見える。
「岩が目印ってわけか」と形山が言う。
「降りますか?」と城宮が少し不安げに聞く。
「もちろん」と二人が同時に答えた。
下に降りると、上の部屋からは想像もできない広さの空間が広がっていた。壁に埋め込まれたスイッチを入れると照明が灯る。
空間の真ん中には箱型の物体が布で覆われている様に見える。
「これなんですかね?」と形山が興味深々で近づいていく。
川奈が反対側に回り込むと布の端を持「おおい、そっちを持ってくれ」と形山に声をかける。
「はい」と答えて布を掴むと、えいと外す。中から四隅を黒い輪に支えられた鋼鉄の箱が姿を現した。ところどころガラスにはめ込まれており、中をのぞき込むと椅子が設えれている。そのうちの一席には円い輪やスイッチなどが取り付けられているが見て取れた。
「車…… ですかね?」と遠巻きに見ていた城宮がつぶやいた。
形山が取っ手を引いてみるが、微動だにしない「また鍵か」とつぶやいて中を一瞥した。
川奈は壁に向かって歩いていき、貼られている見取り図のような図面を眺めている。一通り見て回った二人も壁の図面の前に集まると、川奈が見取り図の上を指差して口を開いた。
「あそこに『解脱の門』とあるじゃろ、恐らくそれがこちらに来ない魂が通る門じゃ」と言うと今度は北側の壁を指差して続ける。
「で、ここからは恐らくこの乗り物…… 車じゃったかな、これでその扉を抜けて向かえるようになっておるのじゃろう」
北側の壁は岩肌になっているが、その中心部は車が通れるほどの大きさの扉になっている。三人は扉の方に向かって歩き始める。
「これどうやって開けるんですかね?」と城宮が言いながら手で押してみるがびくともしない。
「まあ、開いたとしても、さっきの地図を信じるならば途方もない距離を行かなければ辿り着かん」
「途方もない距離ってどれくらいですか?」と城宮が聞く。
「四那由多と書いてあったな、ちょっと想像もつかん……」
「まあしかし、存在することがはっきりしただけでも大きな進展じゃ」
元通りに鍵を閉めると、三人は南に向かって歩き始めた。
「解脱の門を通るとどこに行くんですかね? 朱雀門を通るとこの世界に来るんですよね?」と城宮が聞いた。
「脱って言うぐらいだから、彼岸でも此岸でもないまったく別の世界が広がってるんじゃないのかな」と形山が言う。
「思ったんですけど、こっちの世界は此岸に戻るまでの故障者リスト入りみたいなもんですよね、安らかに眠れってあっちを送り出されたのに全然寝てない」と言い返す。
「寝てばかりじゃビールが美味くないからのう」と川奈が笑う。
■十五 センター長室にて
根島への報告の日が近づくと、形山はどう報告して事を進めたものかと悩みを一層深めた。城宮と井福のことを報告すれば、彼らはきっと次の行動に移るはずだった。その次の行動に加担することになったら、もう城宮の友人でいることは難しいだろう。だからと言ってこれで終わりとなったら、輪廻転生センターに登用されるという目的が何ら達成されなくなってしまうのではないか。
かと言って報告しないという選択肢は無いとも思う、数日行動を監視すれば彼らの関係などすぐ判ることだろう。ならばやはりこちらの成果にするしかない、その上でなんとか三上と根島を牽制できないものか……。それができなければ城宮と井福に何らかの災厄が降りかかってしまうと思われた。
そんなことを毎日考え続けたが、答えが出ないまま根島の部屋の前に来てしまった。もうどうにでもなれと扉をノックする。
中から根島の「どうぞ」という声が聞こえ扉を開けて中に入る。
「失礼します」と言うと、根島は目の前の椅子を勧めると「では始めましょうか」と促した。
形山は必要以上にゆっくりと椅子に座ると、帽子を取りながら「あの」と呼びかける。
「なんでしょう?」と根島は不審げに聞く。
「はい、報告の前にお聞きしたいのですが、一月の彼岸生活者支援懇親会で、城宮と井福まさこの接触を何とか避けようとされていたことと、今回のご依頼は無関係ではないですよね?」形山は手に持った帽子を握りしめて言う。
根島は表情こそ変えはしないが、不意を突かれて返答に困っている様に見える。黙ったままの根島に畳みかけるように言葉を継いだ。
「私への依頼の本当の目的は、城宮の交友関係を知りたい、ではなくて城宮道雅と井福まさこが出会ったかどうかをお知りになりたい、ですよね?」
「どうしてそれを」言葉を探していた根島がようやく口を開く。
「ひょんなことから井福まさこと知り合いましてね、直前で日程の変更が有ったり、それを無視して元の日程で参加したら、慌てて席を変えられたなんてことを教えてくれました。案内した真っ黒の男というのはあなたですよね?」
根島は口を開きかけて押し黙った。二人の間を沈黙が流れる。
「分かりました、では井福まさことお知り合いになった経緯を教えてください」と根島は肯定も否定もせず話を続けた。
形山は一瞬考えると「先にこちらの質問に答えてくれませんか?」と言う。
「いいでしょう、分かりました、彼岸生活者支援懇親会の顛末はあなたがお聞きになった通りです、そしてあなたが認識されている通り、我々が知りたかったのは城宮道雅と井福まさこが出会ったかどうかです。これでお答えいただけますか?」
「もう一つ教えてください、城宮道雅と井福まさこが出会ったとしたらどうされるおつもりですか?」形山は針の穴に糸を通す気持ちで質問する。
根島は再び押し黙り二人の間に二度目の沈黙が流れる。
「それはセンター長がお決めになることです、この場でどうなるかをお伝えすることはできませんね」と渋々答えると「それに、あなたの役目は城宮道雅の交友関係を報告することなのでは? 余計な詮索はあなたの為になりませんよ」と続けた。
形山は一度視線を床に落とすと「そうですね、分かりました、結論から言うと城宮と井福は出会って継続的な交友関係にあります」と言った。
「やはり、そうですか」と覚悟していたかの様に言う。
「はい、先日花見に行ったのですが、その帰りにばったり出会ったそうで。ただ最初にお互いを認識したのは彼岸生活者支援懇親会でそれぞれ相手の姿を見た瞬間だと言ってました」
「分かりました、ご報告いただきありがとうございます」と冷静を取り戻して答える。
「今後はどうすれば良いですか?」
根島は「そうですね……」と言うと少し逡巡して「この件は今日の報告で終わりにしてください。今後の報告も不要です。ただこの件については一切他言無用であることは忘れないでください」と鋭い口調で言った。
「はい、分かっています、それで…… 職員への登用の件はどうでしょうか?」
「それもセンター長がお考えになることでしょうね、まあ何か進展があればまた連絡しますよ」と冷たく言った。
◇
根島はセンター長室への廊下を急いでいた。いよいよ城宮道雅と井福まさこが親しい関係になったと聞き三上はどうするのか、そのことに考えが集中する。前に言われた輪廻リストに城宮をねじ込む話は、決心がつかずそのまま有耶無耶になっていた。また同じことを指示されるのだとしても、そもそもどんな理由で三上が城宮を毛嫌いするのかは聞いておきたいと思った。
センター長室の扉から、職員が出てくるのが見えた。会釈をしてすれ違う。センター長室の扉をノックして「失礼します」言いながら中に入ると、三上は机の向こうで手に持った書類に目を通している。
こちらを一瞥すると「お疲れ様」と声をかける。
「いえ、とんでもございません、城宮道雅と井福まさこの件でご報告が」と返事を返す。
「どうぞ、どんな状態ですか?」
「形山からの報告では、城宮と井福は継続的な交友関係にあるとのことです」
「そうですか」と言うと深いため息をついた。手に持っていた書類を机の上に放り出すと手を頭の後ろに組んで天井を睨む。
「まあ、仕方がないでしょう、こちらの世界も狭い、センターの中ではいろいろ手間をかけたが、申し訳なかったね」
「いいえ」と返事をしながらも、妙に三上の聞き分けが良いことを訝しんだ。
「彼を転生予定者に組み込む話はどうしました?」と予想通りの質問をされる。
「そちらはまだ手配できていません、内規を破ることになりますし、私の権限だけではなんとも……」と濁す。
「そうですか、そうですか、なら二重の手配にならなくて良かった、しっかり者の君ならそう言うと思ってね、こちらでやっておきました」と顔に冷たい笑みを湛える。
根島は驚いて声が出せなくなった。
「もうそろそろ出頭通知が彼のところに届くころだと聞いています、出頭いただいたあとは、転生の当日までこちらのセンターでゆっくりしてもらう手はずにしておきました」
「当日までセンターでって、別れの挨拶もさせないつもりですか?」と驚きの声が漏れる。
「ええ、何かと外に居ると物騒ですからね、北山出張所をうろちょろしている輩もいるようですし」
根島はそこまで見通されていることに驚きながらも「あれは川奈さんから、北の山について質問されて、そう言えば北山出張所があったなと思って伝えたまでです」と答える。
「そうでしたか、まあこれは代々のセンター長に口伝だけで伝えられている話なんですが、北の山の向こうには、此岸と彼岸の連環から抜け出す門があると伝えられています。遥か昔の話で実在する話かどうかも怪しい類ですがね、あの出張所だってもう何十年も誰も入っていないですしね」三上はそう言うと「そうですか、あなたが川奈さんにね」と呟いた。
三上は改めて根島に向き合うと「まあそれはそれとして、城宮さんには大至急であちらの世界に行っていただきましょう、出頭してから転生までも最短でと指示してあります。この件については以上です、先ほどのお伽話ともども他言無用でお願いしますよ」ともう終わりだとばかりに言った。
「分かりました…… が、最後にもう一つだけ、センター長と城宮道雅のご関係は? なぜそこまで毛嫌いなるんですか?」とすがる様に質問する。
三上は背もたれに体を預けると椅子を回転させ根島から視線を外すと一呼吸おいて話し出した。
「井福まさこは私の娘でね……」と言うと間を置いて続ける。
「それはそれは親思いの可愛い娘でね、私のためを思って託宣を送ってくれもした…… あまりの可愛さに伊勢に送り出す発遣の儀で私は振り返ってしまった…… そんな可愛い娘を寝取ったのが城宮道雅だよ」
「寝取ったとは穏やかじゃないですね、何があったんですか?」
「伊勢から戻ったまさこの元にこそこそと通い婚だよ、油断も隙もあったもんじゃない、即座に仲を引き裂いてやったよ、その後すぐにまさこは旅立ってしまったが……」
「でもそれなら二人は少なくともお互いに惹かれあっていたのでは?」
「誑かされただけだろう、しかもよりによって私の身の回りが大変な時にだ…… 私は許さんよ、あの時も今回もそしてこの先も、未来永劫奴とまさこが一緒になることは許さん、さあもういいだろう、持ち場に戻りたまえ」
取り付く島もなくセンター長室を出ると、根島はとてもいたたまれない思いに包まれた。
此岸でも彼岸でも一度出会った者ともう一度出会える確率は、ほぼあり得ないぐらいに小さいはずだ。それを乗り越えて再び巡り合った二人の縁を想うと何か運命の様なものを感じざるを得ない。一度ならず二度までもその運命が蹂躙されてしまうのだと思うと、不憫でやるせなくなった。
事務室に戻ろうとしていた歩みを止める、踵を返すと川奈の部屋に向かった。
■十六 転生通知書
昨晩のビールが残ったままの頭はまったく回転しておらず、体は布団の皺の上をただ漂っていた。来客を知らせるチャイムが耳の奥に飛び込むと、徐々にではあるが正気を取り戻し始める。二度三度と鳴らされたチャイムに根負けし、布団から這い出ると、後頭部に感じる重い痛みを手でさすりながら返事をして扉を開ける。
扉の向こうには郵便配達員が立っており「城宮道雅さん宛に書留です、こちらに署名を」と言うと、控えの用紙とペンを差し出した。まだはっきりしない視界の中で、なんとか視界の中に枠を捉えて記名する。
郵便配達員は「はい、どうも」と言って郵便物を手渡すと「またお勤めですね、ご苦労さまです」と言って去っていった。
薄い桜色の封筒には「転生決定通知書」と書かれており、差出人は輪廻転生センターとなっているのを確認したが、二日酔いには勝てず布団に戻る。布団の中でしばらく藻掻いていると、だんだんと突き付けられた現実が身に染みてくるのを感じた。
◇
午前中に降った梅雨の走りの雨がねっとりとした湿気を生んで、夜になっても体を包み込んでいる。城宮は繁華街の一つ目の角を曲がると、いつもの店の玉暖簾をくぐる。
「待ち合わせで、先に三人来てると思うんですけど……」と店員に声をかけると店内をぐるりと見まわした。柱の横の小上がりに形山と山富の顔を見つけると、二人も気づいた様で手を振ってこっちと呼び寄せる。
形山と山富の前にはすでにビールが置かれ、ちょうど二人で乾杯して呑み始めたところの様だった。
「おお来たか、もっと遅くなるのかと思って始めちゃったところだよ」
形山はそう言いながらここに座れとか、最初はビールでいいかと聞きながら店員を呼んでと、てきぱきと段取りを整える。
「あれ、まさこさんは?」と口を開いたところで扉が開く音がする、振り返ると井福が扉の向こうから現れた。こちらに気が付いてテーブルに座るなり、文句を言い始める。
「なんか、ずっと後ろを変な人が付いて来てる気がして、怖くなったから繁華街をぐるぐる回ってた、なんだったんだろう、疲れた」
「大丈夫?」と山富が気遣う。
「うん、多分…… あちこちのお店を出たり入ったり裏口から出たりしたら居なくなったと思う」と答えるとビールがテーブルに運ばれてきた。改めて四人で乾杯すると形山が口火を切る。
「まさこちゃんを付けてた不審者はどんな風貌だったの?」
「そこまではっきり見えたわけじゃないからよく分からない……」
「そうか、まあ気を付けるにこしたことないな、帰りは一緒に帰ろう」とビールを飲んで続ける。
「で、今日は城宮がみんなで集まりたいってことだったけど、何かあった?」
城宮は懐から薄い桜色の封筒を取り出すとテーブルの上に置く。
「転生決定通知書…… か」と形山が応える。
「あれ、まだこっちに来て半年もたってないよね、早くない?」と山富が言う。
「普通はどんなもんなの?」と城宮が質問で返すと、みんな頭を抱えた。
そもそも転生には明確な規則が公にされておらず、今月の転生実績や平均転生年数みたいな統計情報が公開されることもないので、わからないことが多い。ここに居るみんなも前回の転生期間が何年だったかをはっきり覚えている訳でもない。せいぜい知り合いが転生の別れの挨拶に来たときに、何年来の仲だったと思ううぐらいだ。
形山は、三上と根島が二人の仲を知ってしまった事に対する仕打ちなのではと思い至り、独り鼓動が速くなるのを感じていた。
「縄文の時代は百年以上こっちだったって話しを聞いたこともあるけど、それは例外だろうしな」と少しおどけてみたが、心中は落ち着かない。
井福は転生決定通知書を手に取ると中身を取り出し読み始める。
拝啓
城宮道雅殿におかれましては、ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
さてこの度、城宮道雅殿の輪廻転生が決定したことをここにお知らせいたします。
つきましては下記の出頭日に輪廻転生センターにご出頭いただき、諸般の手続きを行ってください。
末筆になりますが、城宮道雅殿の此岸でのご活躍をお祈り申し上げます。
出頭日:六月一日
「六月一日ってもうすぐじゃない、いっつもこんなに急だったっけ?」と疑問を口にする。
「どうだろう、みんな転生が決まってからのんびり挨拶周りとか身の回りの片付けとかやってるから、こんなに慌ただしくない気がする」と山富が答える。
「前世でなにかとんでもないことをやらかしちゃったんじゃないの?」と形山がもう一度茶化してみる。
「いやあ、そんなことは無いと思うんだけどな……」と困惑した表情で城宮が答える。
「前世でなにかあったとしても、それは水に流して欲しいよね、やっぱり」と山富が言う。
「そうだよ、それは別物だよね、関係ないよ」と井福も怒った口調で同意する。
「いやいや、多分何も疚しいことはないって……」と城宮がもう一度否定する。
「それは失礼、まああっちの世界もどんどん人口が増えてるらしいから、こっちからもどんどん行かないと、魂が足りなくなるんじゃない?」と形山が言う。
「だったら他のみんなも行かないとじゃない?」と井福が反論する。
「人は増えても虫は減ってるんでしょ? 不増不減なんじゃないの?」と山富が言う。
なんとなくみんな納得してビールを口を付ける。
「行くのはしょうがないとしても、また人間をやらないといけないんだと思うと面倒でさ……」と城宮は頭を抱えて言う。
「必ずしも人間に転生するってことでもないよね?」と山富は言うと一呼吸おいて「私は次に転生するなら、人以外が良いんだけどな」と続けた。
間髪入れず形山が「たとえば?」と聞き返す。
「そうね、例えばセミとかかな」と答える。
三人はそれぞれ「セミ?」と驚きの声を上げる。
「これは結構前に知り合った、前世がセミだったって人から聞いた話なんだけどね」と山富はゆっくりとした口調で話し出した。
「卵で産んでもらってそのまま木の幹で1年ぐらいを寝て過ごすらしいんだよね、まあその間にいろいろな危険もあるし、そもそも木が切られることもあるかも知れない、賭けだよね。年が明けて梅雨の時期にやっと卵から孵って土を目指して木を下る。無事に土に潜れたら居心地の良い根を探してそこで数年、木から養分をもらって暮らすんだよね。その数年はただ養分を吸って寝てるだけじゃないんだってさ、木が養分だけじゃなくて外の世界も観せてくれるんだって」
「外の世界?」と形山が繰り返す。
「そう、外の世界。前世がセミだったと言ってた知り合いが、一生懸命に言葉にして教えてくれた。空を飛ぶ鳥、木の枝を走り回る小動物、蜜に集まる虫、木はそれを根を通じて観せてくれる。騒がしい夏、豊穣の秋、静謐な冬、そして命が芽吹く春、それらをあるがままに感じた数年間はとても幸せで、満ち足りた時間だったって。まあ聞いた話しだから全部本当かはわからないけど」
「穏やかな時間なんだね、出てきた後はどうだったんだろう?」井福は続きを促すように疑問を口にする。
「それは少し悲しい話しになっちゃうんだけど、満月の夜に土から出て木の幹に上って、順調に羽化まではしたんだけど、最初に飛び立った瞬間に蜘蛛の巣に絡まってそこまでだったみたい」
思わず三人の嘆きの呻きが漏れる。
「そんなに悪くなかったとは言ってたけどね」と、取り繕う様に続けたが沈黙の時間が流れる。
沈黙を破る様に「実は自分もできれば人間以外が希望ではある……」と城宮が話し始める。
そう言うと井福は「なになに」と興味深々で聞いてくる。
城宮は「ハシビロコウ」と答えた。
「はし……?」「何それ?」「鳥だっけ?」各々が思い思いの反応を返してくる。
「ペリカン目ハシビロコウ科で、アフリカ大陸に生息する鳥だよ、『動かない鳥』とも言われてる」と答える。
「なんで動かない鳥なの?」と井福が聞く。
「湿地帯に住んで肺魚を食べるんだけど、その肺魚が数時間おきに呼吸のために水面に上がってくるのをじっと立ったまま動かずに待っているからそう言われるみたい」
形山は「ふうん」と相槌を打ちながらビールを口を運ぶ、少し思案して「がむしゃらじゃないのがいいな、なんというか自分の都合を押し付けないところがクールだ」と言う。
「でも、肺魚が息継ぎするのが別の場所だったら、ごはん抜きになっちゃうよ?」と井福がいたずらっぽく笑いながら茶化す。
「正解が保証されていなくても自分の中の何かを信じてそこに立っていることができるのは、強さの証じゃないかな?」と山富が言う。
「あいつら、自分の中の何かを信じるとかあるのかな? 適当なんじゃないの」と城宮は自分が褒められたかのように照れながら答える。
「セミでもハシビロコウでも、人間なんかになるよりよっぽど幸せだよ。人間なんていつも何かの準備ばかりで今を生きてない。何を持っているとか何ができるとか、そんなことで比べあって、どうすれば明日の自分の利益を最大化できるかしか考えない」と言うと形山はビールを呷る。
「まあまあ」と城宮がなだめる。
「形山君は人間嫌いなの?」と井福が聞く。
「サイを狙う密猟者に殺されてこっちに来たからしょうがないんだよ」と城宮が庇う。
「人間なんてあんな暮らししてたらそのうち滅ぶよね」と涼しい顔で山富が言う。
店を出ると形山と別れた三人は同じ方向に歩き始めた。井福が別方向に別れるところに来ると山富が立ち止まる。
「城宮君、お願い、今日まさこの後を付けてた不審者が心配だから送っていってあげて」と言って背中を押した。
「うん」と答えて山富の背中を見送ると「行こうか」と歩き始める。
「あと何日だっけ?」と井福が質問する。
「明後日だから、明日でいろいろ片付けないと」と城宮が答える。
「なんだか忙しいね、こっちから居なくなっちゃうなんて寂しくなっちゃうな、うん、寂しい」と確かめる様につぶやく。
「うん」と答えると沈黙が流れた。
「なんだろう、ずっとこっちで一緒に居られるんだと思ってた」と井福が沈黙を破る。
「うん」
「とても居心地が良くて、安心できて、あの時できなかったことが今度こそできるんだと思ったのに」そう言うと井福は目元を拭った。
「あの時も突然の別れだったね、この想いを諦めようということも直接伝えられなかった……」城宮が言う。
「手紙くれたよね、高欄に結んでありましたって渡された…… あの時なんでそうなってしまったのかが思い出せないんだよね……」
「うん、同じ、何があって離れ離れになったんだろう……」城宮がそう言うとまた沈黙が流れる。
自分の住む家が見えてきたところで井福は立ち止まって城宮と向き合う。
「ねえ、やっぱりもう離れたくない、今ここで離れてしまったらもう二度と会えない気がする」そう言うと城宮の胸に顔を埋める。
「うん」
「あの時は諦めたけれど、なんとかならないのかな? 私も一緒に転生すれば付いていけるのかな? 私、ハシビロコウになってもいいよ、一緒に居られるならなんでもいい……」
「うん」
「うんじゃなくてさ……」そう言うと鼻をすする。
「ごめん、今は何にも思い浮かばないんだ……」城宮は井福の頭をさすりながら答えた。
家まで送り届けた後、一人家路をとぼとぼと歩いた。ああでもないこうでもないと逡巡していると、ハシビロコウは一度繁殖相手を決めると生涯これを変えないことを伝えられなかったことが急に悔やまれた。
■十七 幽閉
翌日、いつも以上に目深に帽子をかぶった形山は輪廻転生センターに向かった。廊下を歩いているとおあつらえ向きに根島が前から歩いてくるのが見える。目の前で立ち止まると「少しお時間いいですか?」と精一杯の圧力を腹に込めて話しかける。
「分かった」根島は答えると、踵を返して歩き始める、慌てて後を追うと、角を曲がった先の扉に入っていく。机を挟んで向かい合った椅子の一つを進めると、反対側の椅子に座った。
「城宮道雅のことかな?」形山が座ると根島が口を開く。
「そうです、昨日、転生が決まったと、通知書を見せられました」と答える。
「そうですか、もう届きましたか」そう言うと腕を組むと視線を落とした。
「やっぱり分かっていたんですね、何をしたんですか?」
根島は同じ姿勢のまま何かを考えている。
「川奈さんと北山出張所に行ったそうですね、何か乗り物のようなものを見つけたとか」
「ええ、城宮が地下室への目印を見つけて降りてみたらびっくりですよ、何であんな物があるんですか?」
「あれは我々もまったく知らなかったことでね、北の山の向こうにあると言われている解脱の門の話も都市伝説とか噂の類だとみんな考えていた。代々のセンター長もお伽話だと思っていたぐらいでね」
「知らないとかお伽話とか大丈夫なんですか?」
「仕方ないな、長い歴史の中で失われるものが有るのは君だって分かるだろう? この件については歴史上のどこかで隠ぺいされた様でもあるしね」
「隠ぺい?」
「そうだ、輪廻転生センターが主導していろいろと手を尽くした様だ、随分昔の話らしいが。解脱の門があると分かれば、それを通って彼岸と此岸の連環の輪から逃れたかった者が続出したんだろうな、きっと」
「解脱の門の件は分かりましたよ、最初の質問に答えてください、城宮に何をしたんですか?」
根島は形山をじっと見据えると「正直君は知り過ぎたな、本当に続きを聞きたいならもう後戻りはできないぞ。それでもこの話に首を突っ込むのか?」
「もちろん、城宮は大事な友達だから」
「そうか、君と出会えた城宮は果報者だな、いや彼のところに君を差し向けた我々が愚かだったのかも知れん」根島はそう言うと話を続ける。
「此岸でのどこかの年代で井福まさこはセンター長の娘だったらしい。その娘と恋仲になったのが彼だったそうだ、そして仲を引き裂いた…… と」
「男親と婿の不仲なんてごくごく普通の話じゃないですか、仲を引き裂くまでしなくても……」
「同感だ、センター長は寝取られた、誑かされているだけだと、取り付く島もなかったが…… そして今回も同じように仲を引き裂こうとして彼を転生予定者にねじ込んだ。転生する者はお告げの指示に従うのが内規なんだがどうやって仕組んだのか…… 恐らく君をこのセンターに呼びつけたころにはもう手はずを整えていたのかも知れない」
「まあその時の親子関係とか恋人関係になにがあったか知らないですけど、転生したら前世のことは無関係なんじゃないんですか?」
「普通はそうだ、だから私も二人が不憫で仕方がない……」根島は悔しそうに言う。
「何とかできないんですか? 今から転生を取り消すとか……」
「それは難しい、向こうの世界でもすでに生命の萌芽が始まっているはずだ」
形山は拳を握りしめて俯く。
「なあ、あの二人はどう思っているんだ?」根島は意味ありげに聞いた。
◇
一緒に来ると言う井福をなだめて、城宮は独り輪廻転生センターにやってきた。通知書に書かれている転生者専用入り口を探す。案内図の通りに進んだその先に『転生者受付』と書かれた扉を見つけると、立ち止まりしばし対峙する。またあちらの面倒な世界に逆戻りするのかと思うと、心の底から重いものが立ち上がり、外の陽気とは裏腹の暗雲が立ち込めるのを感じる。思えばこっちの暮らしも短かったなとため息をついて歩き出した。
玄関を入って左に曲がり奥にある窓口で通知書を見せると、さらに奥にある待合室の場所を説明され、そこで待つように言われる。周りを見回してもあまり人が居ないことを訝しがりながら言われた待合室に入る。やはりそこにも他に人がおらず、心にできた疑問のシミが大きく広がっていくのを止められない。
奥の窓の手前の椅子に座って改めて待合室の中を見回す。熟成された静寂な空気と、並べられた椅子はあまりに整然としており、人が居たような痕跡は見当たらない。今日の出頭は自分だけなのかと思ったその時、入ってきたドアが開き制服に身を包んだ職員が声をかけてきた。
「城宮道雅さんでしょうか?」
「はい」と返事をすると、「ご案内しますので、ご移動をお願いします」と促される。
席を立ちドアまで移動すると、「こちらです」と言いながら歩き始める。後ろに続きながら疑問に思っていたことを口にする。
「今日は他には出頭している人は居ないんですか? ここに来てから誰も見かけなかったもので……」
「この入り口を入られてすぐ左に曲がられましたよね? 次にこられた方は右に行かれるように仕切りを移動します。なので中では他の方と顔を合わせることはありません。最近はいろいろと気を遣うようになりまして……」
「そうでしたか」最後の濁し方が気になったが、黙ってついて歩く。
階段を二階分ほど上がり廊下を右に左にと複雑に曲がりながら進んで行く。帰りは大丈夫だろうかと思った矢先、「帰りも出口までご案内しますので、ご心配なさらず」と言われる。見透かされたようで、もごもご「はい」と答えた。
少し歩いてある扉の前で立ち止まると、「こちらです」と手を指して「中でお待ちくください」と促される。
扉を引いて中に入ると真ん中に置かれたテーブルを挟んで椅子が二脚向かい合っている。どちらに座るか逡巡していると、扉がノックされ職員が入ってくる。
「城宮道雅さんの転生を担当する転生管理員の口山です、こちらにおかけください」と挨拶しながら反対の椅子に座り、手に持った用箋挟をテーブルの上に置く。言われた椅子に座り、「よろしくお願いします」と声をかける。用箋挟には窓口で出した通知書の他にいくつかの書類が束ねられている。
「では転生の手続きを進めていきます」と言うと、続けて氏名の確認や体調の確認、住所とこちらの世界に残している物などの確認が続く。
少しあった身の回りの物はすべて井福に渡してきたので、何もないと回答する。
口山の書類をめくる手が止まり食い入る様に見つめて沈黙が流れる。首をかしげながら転生の予定日は三日後の六月四日となったと告げた。
城宮は「どうしました? 何かありましたか?」と訝しがった。
「いや……」と言いながら紙をめくると納得して「大丈夫です」と応えて続ける。
「城宮さんにはこの後、別室に移っていただいて転生までの三日間を過ごしていただくことになっていますね、通常だと一度お帰りいただいて、こちらの世界のご友人とお別れのご挨拶をしていただいたるするんですが…… 何かされました?」
「いや、特に思い当たることはありませんが……」突然聞かされた内容に理解が追い付かない。
「そうですか、分かりました。では手続きは以上で終わりですが、何かご質問はありますか?」と口山が聞く。
城宮は少し天井を見上げて考えると「転生する先を選ぶことはできないんですか? できれば人間以外が希望なんです、具体的にはハシビロコウなんですが……」と質問した。
「ハシビロコウ?」口山はそういうと用箋挟の下に置いてあった板を取り出し電源を入れると、指で表面をなぞるように操作する。
「ああ、この大きな鳥ですか、これに生まれ変わりたいなんてなかなか変わってますね」と言って笑った。
「はあ……」笑われたことにも理解が追い付かない。
「まず生まれ変わる先は指定できません、あちらの世界で目覚めた時のお楽しみですね。そこまであちらの世界と連携が取れていないんですよ」
「そうですか……」
「そういう意味では何にでもなれる無限の可能性があるとも言えますね、ただ確率的には低いと言わざるを得ないですが」
「やっぱり低いんですか?」
「ハシビロコウですよね、絶滅危惧種みたいですからね、個体数が少なければ生まれる数も少ない、少ないものに生まれる確率は低くなりますよね」と諭すように答えた。
「分かりました、ありがとうございます。もう一ついいでしょうか?」
「どうぞ」
「前世の記憶を持ったまま転生することはあるんでしょうか?」城宮はこちらでの世界のことを少しでも覚えていられればという一縷の望みをかけて質問する。
「ああ巷で言われている前世記憶保持特権ってやつね、あんなのはただの噂ですよ。センターの中でも一時問題になっていろいろ調査が行われたんですが、そもそも現象すら明確に特定できませんでした。ある種の特異現象だと思いますけどね、そもそも昔の記憶を持ってても現世を生きる上で優位性は無いように思うんですけどね」
「そうですか……」と肩を落とした。
「ではこれで手続きは終わりです」
口山は席を立つと扉を開けて出る様に促す。扉の外には先ほど先導した職員に加えてもう一人職員が立っており、城宮が部屋の外に出ると両脇から腕を掴み「さあ行きましょう」と言うと進み始める。
「ここです」と部屋に通されると外から鍵を掛ける音がした。
◇
翌日、井福と山富は目抜き通り入り口で落ち合うと、行きつけの喫茶店に入り人目を避けるように奥の席を選ぶ。アイスコーヒーを注文して一息つくとそれを見ていたかのように形山が店に入ってくる。二人を見つけると向かい合って座るとアイスコーヒーを注文した。
「急に話があるってどうしたの?」と山富が言う。
「城宮のことでいろいろと……」と形山は歯切れが悪そうに答える。
「ふうん、なんだろう」と目を腫らした井福が言うと、アイスコーヒーが運ばれてくる。
形山は帽子を取ると、アイスコーヒーに何も入れずに一口飲んで「ふう」と一息ついた。周りを見回して人が居ないことを確認すると身を乗り出して話し始める。
「ところで今日は変なのが付きまとってない? 大丈夫?」
「やっぱり家を出たところに変な人が居た気がする、でも今日は付きまとわれてはないと思う」と井福が答える。
「監視されている感じかな、さくらちゃんは大丈夫?」
「気が付かなかったかな、私も監視対象なの?」と山富が質問で返す。
「分からないけど気を付けるに越したことはないかなと思って」と形山が答える。
アイスコーヒーを一口飲んで形山が話しを続ける。
「まずは城宮の転生がなぜこんなに早く行われることになったことについてなんだけど…… まさこちゃんと城宮は昔々の此岸の世界で恋仲だったのに離れ離れにさせられた、だよな?」
「うん、でもその時何があってそうなってしまったのかは、私も道雅君も思い出せてないんだよね」と井福が答える。
「そうなんだ、なら今から言うことに少し驚くかも知れない」と言うと形山は二人の顔を交互に見ると「まさこちゃんの父親が二人の仲を引き裂いた、そしてその父親だった人物はこっちの世界に転生して、輪廻転生センターのセンター長だ」と言った。
井福は一瞬目を丸くした後、テーブルに目を落とした。
「なんであなたがそんなことを知っているのよ」と山富が怪しむ。
「センターの中に少し知り合いが居てね、昨日押しかけて話を聞かせてもらった」
「父親……」と井福が呟く。
「大丈夫?」と山富が気遣うように聞く。
「ううん、どうしても離れ離れになった理由が思い出せなかったから…… 父親に引き裂かれたんだね、私たち……」
「ただこの話はここで終わりじゃないんだ、今回も二人が仲良くなったことに腹を立てたセンター長――元父親――が、城宮の転生を決めたそうだ……」
「そんな……」と井福が卒倒しそうになる。
「大丈夫? しっかり」と山富が井福の肩を支える。
「驚かせてすまない、悲しい話だけど恐らく事実なんだ」
井福は山富に肩をさすられて俯いている。
「俺も元はと言えばセンター長からの指示で、城宮とまさこちゃんとが出会ってしまうかどうかを監視するために城宮に近づいた、これはあいつに謝らないとならないことなんだが……」とかぶりを振って「まさこちゃんの父親も愛が深いのは分かるけど、ちょっとやり過ぎなんだよな……」と言うと形山も俯く。
「で、そのセンター長様に何とか許してもらえたりする方法はないの?」と山富が聞く。
「うん、二つ目はそこを相談したかった」
形山はそう言うと根島のこと、根島とやり取りした内容を話した。
「まさこちゃん、もし城宮と一緒に居られる可能性があるならそれに賭けてみる気はあるかな?」
「なにそれ、そんな可能性が本当にあるわけ?」と山富が口を挟む。
形山は申し訳なっさそうに「本当に小さな可能性だと思う、上手くいくかどうかは何も保証されていない、それでも……」と言ったところで、井福が「やる」と力強く言った。
■十八 決戦の日
翌日、夜の帳が下りてしばらくたった頃、形山は根島から聞き出した住所に行くと呼び鈴を鳴らした。
「はあい」と少し間の抜けた返事が扉の向こうから聞こえてくると、形山は帽子を取った。扉が開き梨山が顔を出す。
「はい、どちら様ですかね?」と梨山が尋ねる。
「城宮道雅の友人で形山と申します、梨山さんでいらっしゃいますよね?」
「はい、私が梨山ですが…… 城宮道雅さん……」と宙を見上げて少し考えると「ああ、城宮さん、はい、分かります、最近はすっかりご無沙汰でして…… で、城宮さんのご友人がどんなご用でしょう?」と質問を返した。
「その城宮なんですが、今まさに囚われの身でして……」と言うと梨山は驚きの声を上げた。
「囚われてるってこの平和な世界で、ただごとじゃないですね、いったい何が?」
「恋路の道を少し間違えたと申しますか、相手が悪かったと申しますか……」すべてを説明するのもどうかと思いはぐらかして続ける。
「なんとかならないかと手を尽くしてまして、で、梨山さんに見ていただきたいものがあるんです、車っていうんですかね、箱型の……」
「え、車があるんですか?」梨山が即座に反応する
「はい、あるんです」と形山が余裕たっぷりに答える。
「もちろん興味はありますし、城宮さんも心配ですし……」
「ですよね、そう言っていただけると思ってました、で、どうでしょう? お時間ありますか? 今からなんですが少しご足労をお願いできないかと……」
◇
夜が濃くなったころ山富は家を出ると、様子を伺いながらいくつか角を曲がって川沿いの道に出る。少し茂みの裏に隠れて辺りを見回すが、特についてくる影などは見当たらない。
「やっぱり私は監視対象外ね」と独り言を言うと、井福の家を目指して歩き始める。
歩きながらまさことの出会いは八年ほど前だったことを思い出す。ボランティアで出席した彼岸生活者支援懇親会で、転生してきたまさこと同じテーブルになり、話しを始めると、最初はぎこちなさがあったが波長が合う気がした。それからこっちの世界を案内したりする内に、二人で会うことが多くなった。さくらにとっては文句無しで一番の友人だったが、今回のこの計画がうまく進んだら、もう会えなくなってしまうのかなと思うと、少し悲しい気持ちになった。
不意に訪れる突然の別れは、こちらの世界では受け入れざるを得ないものだと頭では分かっていながら、それでも急過ぎる展開に誰を恨めば良いのかも整理がつかない。もし計画が失敗してしまえばまたこれまでの日々が帰ってくるのかも、と考えてはいけない妄想が頭をよぎった。
呼び鈴を鳴らすとすぐに扉が開いて井福が顔を出すとすぐに部屋に招き入れる。
「お待たせ、待った?」と声を掛けると井福が肩に頭を乗せてきた。
「ううん、全然、ごめんね、巻き込んじゃって」と言うと鼻をすすった。
「どうした? 泣いてちゃ駄目じゃない」と肩をさすりながら返す。
「うん、でもなんだか怖くて、この選択が正しいのか間違えているのかも分からない、勝手にさくらを巻き込んで、挙句もう逢えなくなるのかなって思ったら怖くて……」
「うん、それは私も一緒だよ、あまりに急な話で頭がついていかない…… それでもさ、怖くても進むのがまさこにとって一番の幸せになるんだと思う、頑張って」
「うん、分かった、分かったからあとちょっとだけ……」
「うん」と言って井福の頭をなでる。
「ねえ覚えてる? 私が転生してきて最初に会った時のこと」と井福が言う。
「うん、覚えてる、同じテーブルで私の服を可愛いって褒めてくれたよね、とても嬉しかった」
「そう、とてもセンスが良くて似合ってて、で、今日もとっても可愛いよ」と井福は顔を上げると山富の目を見ながら言った。
「ありがとう、まさこがこれを着て行くんだと思ったらいろいろ悩んじゃった、そろそろ準備しなくちゃだね、城宮君も待ってるだろうし」
山富の服に着替えた井福が「似合ってる?」と聞く。
「うん、似合ってる、私が着るより可愛いよ」と返す。
扉の前で振り返ると、井福は「行ってきます」と一文字ずつ噛みしめる様にいう。
「行ってらっしゃい」と言って扉の向こうに消えていく背中を見送って扉を閉めると、堪えていた涙が頬を伝い止まらなくなった。
◇
輪廻転生センターに幽閉されて二度目の夜を迎えた城宮は、眠れない時間を過ごしていた。いよいよ明日は此岸に行く日だなと思うと、急にみんなは元気にしているのかと気になった。寝そべりながら天井に向かってああでもないこうでもないと考え事に耽っていると、扉の外に人の気配を感じる。
鍵の開く音が静かに響くと、扉から黒づくめの男が部屋に滑り込み静かに扉を閉める。何事かと跳ね起きると男は口元に人差し指を当てて静かにと動きで伝えてくる。目の前まで来ると静かな声で話始める。
「城宮道雅君だね、初めまして、私は輪廻転生センターの根島龍平と言う者だ。形山君とは親しくさせてもらっていてね、なんとなくこれで関係性は分かってもらえたかな?」
「はい、根島さん…… ですか、でこんな時間になぜここに?」と内心の驚きを隠さず言葉にする。
「そうですね、どこから話しましょうか…… まず城宮君は明日転生する予定ですね、なぜそうなってしまったのかも知っておいた方が良いと思う」
「はい」と答えるとセンター長が此岸に続いてこの彼岸でも二人の仲を引き離そうとしていることを伝えた。
城宮の脳裏に、センターで見かけた眼帯の男の顔が鮮明に映し出された。
「センター長って眼帯をしてますか?」と城宮が質問する。
「ああ、どうも目の患いがいつまでも治らないらしい」と答える。
「そうでしたか、まさこさんの父親だったんですか、まだ思い出せてはいないんですが、一度だけセンターの中で見かけたことがあって、その時に感じた苛立ちの原因がはっきりしました」
「そうなんですか…… センター長曰く、お二人の交際は絶対に許さない、何度でも引き裂いてやると言ってましたから…… よっぽど憎いのでしょうけどお互い様みたいですね」と笑って「失礼」と襟を正した。
「いえ、大丈夫です……」
「まあ、我々としてもセンター長の内規違反は看過できない、そしてあなたをこのまま此岸に返すのも不憫で仕方がない、なので川奈さんとも相談して一計を案じました。あなたも北山出張所の地下に降りてますよね?」
「はい、まあ……」
「では解脱の門の話もご存知でいいですね、そこでもう一つ質問です、井福まさこさんと一緒に解脱の門の向こうの世界に行ってみる気はありますか?」
「解脱の門の向こうの世界ですか? そこはどんな風になっているんでしょう?」城宮は不安そうに質問する。
「それはまったく分かりません。こちらの世界には何一つとして情報が無いんです、それどころか解脱の門を見たことがある者も居ないはずです、どんな門で開いているのか閉まっているのかも分かりません」
城宮は根島の目を見て黙っている、根島も目を見返して続ける。
「このまま明日を迎えて独り此岸に戻るのか、二人で解脱の門の向こうの世界を目指すのか、今のあなたが持っている選択肢はこの内のどちらかです」と毅然と言い切った。
「行きますよ、解脱の門の向こうに」と城宮は一間置いて低い声で力強く答える。
「いいですね、そう言ってくれると思ってました。井福さんも行くと即答だったそうですよ」そう言うと懐から折りたたんだ紙を取り出して城宮に渡す。
「そこに書いてある場所で井福さんがあなたを待つ段取りになっています。そこで落ち合って二人で北山出張所に向かってください」
そう言うと城宮を裏門の脇の抜け道まで連れて行く。
「さあ行ってください」と送り出した。
◇
家を出た井福はひとまず山富の家の方角に向かって進んでいく。これで監視の目を欺くことができれば、追手から逃れる時間を稼げるのではないか、と言うのが形山の目論見だった。誰もついて来ないことを確認しながら、少し大回りして指示された場所に向かう。
城宮も輪廻転生センターの裏門を乗り越えて外に出ると、ひんやりとした夜の空気の中を紙に書かれた地図を頼りに夜道を急ぐ。曲がり角を曲がる度に物陰に身を潜めて追手の存在を確認したが、後を付けられている様子はない。
少し気を楽にして目抜き通りに入り、地図で示されている中央公園に向かう。丸が付けられているのは高台の広場で大きな桜が見える。桜の下で井福の名を呼ぶと、桜の影から顔を出した。
「待った?」と城宮が声をかける。
「うん、少し、それより二日間も閉じ込められてて大丈夫だった?」と井福が質問を返す。
「やることなくて暇で、いろいろ考えると憂鬱で、一番遠慮したい時間だったかな…… お陰様で体力だけは万端だけど」
「そっか、大変だったね、それとごめんね、私の父親だったね、私たちを離れ離れにしたの……」井福が申し訳なさそうに言う。
「うん、さっき逃がしてもらう時に聞いた、驚いたけど大丈夫だよ、一度センターで見かけたことがあったのを思い出したよ、眼帯をしてた」
「そっか目がまだ治らないんだね……」そう言うと複雑な思いになった。
城宮は「行こうか」と言うと手を引いて歩き始める。
「ねえ、解脱の門って本当にあるのかな?」と井福が聞く。
「分からない、こっちの世界には何の情報も無いんだって言われた」と返すと二人は押し黙った。
すっかり沈黙に包まれた二人の視線の先に、やはり二人で歩いている人影を見つける。目抜き通りを北に抜けてさらに進み北山出張所の前でその人影が止まる。人影は振り向くと城宮と井福を見つけたようで手を振った。
「あれ形山君かな?」と城宮が言う。
「もう一人は誰だろうね?」と井福も言う。
北山出張所の前で追いつくと形山が「無事で良かった」と声をかける。
梨山も城宮に気が付くと「おお、城宮さん、お久しぶりです、囚われの身と聞いて心配しましたよ」と言う。
「梨山さん、こちらこそ久しぶりです、こちらは井福さん」と紹介した。
梨山と井福が挨拶を交わすと形山が「こっちです」と促して北山出張所に入る。
奥の部屋の扉を開けて床の穴から地下に降りると、川奈が気が付いて声をかけた。
「おお、みんな一緒じゃったか、無事で良かった」
「川奈さん、こちらが梨山さん、こちらが井福さんです」と形山が簡単に紹介する。
「これはこれは、わしは輪廻転生センターの川奈と申しましてな、転生者の体調管理をしてみたり、此岸の研究みたいなことをやったり、そんなことをしております」
川奈はそう言うと奥の壁に貼られている地図を指さして続ける。
「あちらの地図を見ながら説明させてもらえますかの」
一同はぞろぞろと奥の壁まで移動する。
「今わしらがおるのが、ここ、北山出張所じゃ」そう言うと地図の下側を指差した。北山出張所と書かれており、さらに下に輪廻転生センターが描かれている。北山出張所の上側は険しい山脈が描かれておりさらに上に目を向けると解脱の門と書かれている。
川奈は北山出張所から上に向けて指を動かすと「この北側の山脈を抜けた先にある解脱の門に城宮くんと井福さんを送り届けるのが、今日みんなに集まってもらった目的じゃ」
そう言うと川奈は部屋の真ん中に進み、鎮座している車の前で続きを話し始める。
「解脱の門までは遥か遠い道のりの様での、とても歩けたもんじゃない。恐らくこれに乗って行くのだろうと推測しておる」
「推測って大丈夫なの? この車? ってだいぶ古そうだけどちゃんと動くの? 解脱の門があったとして門は開いてるの?」と井福は思いつく疑問を歯に衣着せずに言う。
「情報が少なくて申し訳ないのう、わしらも頑張って調べてはおるんじゃが何せ時間が無くての…… まず車じゃが、どうにか鍵を見つけて扉が開いたものの、その先は何一つ分かりませんでな、そこで梨山さんにご足労いただいた次第じゃ」
一同の視線が梨山に集まると「なんだか懐かしいなあ、ずいぶん古いものですよね、きっと」と率直な感想を漏らす。
「解脱の門が開いているかどうかじゃが、これも行ってみないと分からんとしか言えん…… すまんのう」川奈はそう言うと梨山に鍵を手渡す。受け取った梨山は車の周りを回って、かがみこんでは歓声とも悲鳴ともつかない声を上げている。
「どうですか、乗れそうですか?」形山が質問すると、梨山は運転席に乗り込む。
「やっぱり手動変速かあ」と言いながら段切替棒を右に左に動かしてみる。操舵輪をさすりながら「大昔に乗ってた記憶があるんですが、こっちに来る前はもっぱら自動変速ばっかりでしてね、まあ大丈夫だと思うんですけど」と答える。
「変速とはなんですかの?」と川奈が質問する。
「発動機の回転を護謨輪にどれだけ伝えるかを切り替えるんですよ、走り出すときは発動機の十回転を護謨輪の一回転みたいにすると力が強くなって出足が良くなります。逆に速度が乗ったら発動機の一回転で護謨輪が十回転した方が静かだし燃料の消費も抑えられるんですよ」そう言って燃料計を見るとちょうど半分の位置を指している。
「燃料が半分しか入ってないですね、いやあこっちも大丈夫かな」と梨山は心配そうな顔をした。
鍵を操舵輪の奥の鍵穴に差し込むと、動力遮断棒を踏み込み鍵を奥にひねる。始動用電動機が低い唸り音を上げるが、発動機が動き出さない。二度三度と試してみるが状況が変わらず、一同の顔が曇り始める。
梨山は運転席の中にある操作盤を丹念に見回し窒息棒を見つける。これを引いて祈る様な気持ちで鍵を回す、始動用電動機の低い唸り音に続いて発動機の周期的な爆発音が轟き始める。
「動いた」と梨山が叫ぶと、それに呼応するように一同からも感嘆の声が漏れる。そして北側の壁の扉がごつごつと低音を響かせて開き始める。扉の向こう側には岩をくり抜いた隧道が続いている様に見える。
「なんと、連動しておるのか」と川奈が驚きの声を上げた瞬間、「全員そこまでだ、止まれ、動くな」と三上の声が天井から響く。
地上に続く出入口を見ると梯子を降りる三上と連れ立ったセンターの職員の姿が見える。梯子を降りきると、車に向かって歩きながら「ほう、地下にこんな物があったとはね、川奈さんこういう物があったなら報告が必要だと思うんですがね」と言う。
「形山君、君もこう言う事実を知ったなら、私に報告する義務があるように思うのだが、どうかね?」と言うと形山を睨み不敵な笑みを浮かべる。
「センター長がお忙しい様でなかなか時間が合いませんで失礼しましたな、しかしセンター長も人が悪いですな、ここに来られるなら一声掛けていただければ道中からご案内しましたものを」と川奈はとぼけてみせる。
「そうですか、まあ分かりました、さあみんなでセンターに戻りますよ、明日は城宮君の大事な転生の日ですからね、みんなで見送ってあげようじゃありませんか」そう言うと城宮を睨みつける。
「まあまあ、そう焦らんでも、解脱の門までちょっと行ってみるだけじゃ、明日までには戻って来ますじゃろ」川奈はそう言うや否や車の扉を開くと城宮と井福の手を弾き「早く、これに乗れ、行くのじゃ」と叫ぶ。
「取り押さえろ」と三上の声が響き渡ると職員達がにじり寄ってくる。
梨山は扉が閉まるのを確認すると「ええい、行きますよ」と叫び、動力遮断棒を踏み込んで段切替棒を一に入れ、補助制動装置を解除する。出力制御棒を踏み込んで動力遮断棒をじわりと戻すと車が前に動き始める。
「動いた」と形山が叫ぶが、歩くより遅い。
「ちょっとこれ遅くない?」と井福が言うと梨山は出力制御棒をさらに踏み込んで「これで目一杯です」と困った声を上げる。
「ええい、早く止めろ」と三上が声を上げると職員が走ってくる。形山と川奈が車に近づいてくる職員に体当たりして揉み合いになる。
車は徐々に速度を増してはいるが、まだ駆け足程度で、回転計は二千を超えたあたりを指しており、圧力計はちょうどゼロを指している。形山と川奈の抵抗をすり抜けた職員が追いついて窓を叩き「止まれ」と叫ぶ。梨山は操舵輪を右に左に回転させ、掴まれまいと車を蛇行させる。
発動機の発する音程がだんだん高くなると同時に、羽の回転音も加わりどちらも音量が漸増する。
「おい、頑張れよ、くっそなんで回転が上がらないいんだよ」と梨山が操舵輪を叩きながら叫んだその瞬間に圧力計の針が跳ね上がって二を超え車が急加速する。あまりの加速度に三人は背もたれに押さえつけられた状態になった。遥か遠くに見えていた岩の出っ張りが急に間近に迫る。
「危ない」と城宮が叫ぶと、梨山が操舵輪を巧みに動かしてすんでのところでかわした。
梨山は段切替棒を操作してどんどん速度を上げていく、もう人が付いて来れる速度ではなくなり一息ついて「振り切りましたかね?」と言った。
三上は急加速して離れて行く車の後尾灯を見て舌打ちをすると、職員達にに「この二人を捕まえろ」と指示する。多勢に無勢ですでに取り押さえられていた川奈と形山は後ろ手に拘束された。三上はそれを見ると「センターに引き上げます」と言って梯子を上がって行った。
■十九 輪廻の泉にて
形山と川奈を連れた一行は裏門を抜けて三上を先頭にセンターに入ると、そこに根島が通りかかる。
物々しい雰囲気に根島は「これは一体何が起こったのですか?」と驚きの声を上げる。
「城宮を閉じ込めておいた部屋の扉が何者かに開けられていたのが分かりましてね、八方探し回って北山出張所でこの二人を捕まえてきました、まあ城宮には逃げられてしまいましたがね。あなたこそこんな時間までここで何を?」と三上が答える。
「いや、ちょっと溜まっていた物を片付けてまして……」根島は何かあった時に備えて残っていたとは言えず、歯切れ悪く答える。
「まさか、あなたが城宮部屋から逃がした、なんてことはないですよね?」と聞く。
根島は「いえ」とだけ返す。
「まあその件は明日またゆっくり聞かせてもらいましょう」と言うと職員達に「今からこの者達の転生を執行する、輪廻の泉に連れて行け」と指示する。
「今からですか? 明日ちゃんと事情聴取を行ってからにされては……」根島は少しでも時間を稼ごうと、すがる様に具申する。
「いいえ、もう日付も変わっていますね、今日中に城宮の代わりを此岸に送る必要があります、この者に事情など聞いても無駄でしょう。そうだ、ちょうどいい君も立ち合いたまえ」と言うと歩き始める。
輪廻の泉はセンターの地下の大きな洞窟に湧き出る泉で、此岸に転生する者は泉の上にせり出した岩棚から飛び込んで旅立って行く。泉の水には誘引物質が含まれており、近くに立っているだけで泉の中に入りたくなる欲求が衝き上がってくる。泉に入ると究極の安らぎに包まれると言われている。
一同は地下に降り堅牢な扉で守られた泉の間の前に集まると、職員達は誘引物質から身を守るための防護面で鼻と口を覆う。
三上は「川奈さんにはまだこちらの世界でやってもらうことがある、防護面をつけてやれ」と指示する。
扉が開くとこんこんと沸き出る泉が怪しく光を放っており、ここが地下であることを忘れてしまうぐらいに明るい空間が広がっている。
二人の職員が形山を後ろから羽交い絞めにして岩棚の上へ連れて行く。それ以外の者は岩棚の対岸に設えられた展望台に並ぶ。
「形山さん、城宮の身代わりとして転生するのはどんな気分ですか? 最後に何か言いたいことがあれば聞いてあげますよ、当分こちらの世界には戻れませんからね」と三上は冷たい笑みを浮かべて聞く。
形山は三上を睨みつけるだけで黙っている。
「そう言えばあなたはこのセンターの職員になりたがっていましたね、あれはどういう動機だったんですかね、まあ、あの話もこれでご破算ですね、次にこちらの世界に戻る時はきれいさっぱり忘れているでしょうしね」と言って笑った。
「おい、あんたは娘の幸せを奪うことしかできないのかよ」と形山が口を開く。
「城宮などと一緒になっても絶対に幸せになんてならん、そんなことは火を見るより明らかだ」
「そんなことはない、二人は傍から見ても幸せそうだったぞ、それをこんな不正までして恥ずかしくないのか」と形山は叫ぶ
三上はこれには答えず「やれ」とだけ言う。形山を羽交い絞めしていた職員が手を放すと同時に背中を押した。
形山は押されてよろけながらも最後の一歩でしっかりと岩を踏み切って上に飛び上がると、空中で向きを変えて頭から泉に向かって落下を始める。形山は両腕を真横に開くと、泉の反射を受けて体が赤く発光する。水面が近づくとより鮮烈に発光して、まるで火の玉の様が落下している様に見えた。
その火の玉が水面に落ちると誰もが思った瞬間、火の玉は水面ぎりぎりで向きを水平に変えて滑空すると、急上昇して羽ばたき始める。
川奈がその羽ばたく姿を見て「オウギワシじゃ」と叫ぶ。
オウギワシは天井付近で狙いを定める様に二度旋回すると急降下して、展望台の三上をめがけて音もなく滑空する。三上は慌てて身を翻すと、出口に向かって走り出そうとする。しかし数歩と動く間もなくオウギワシに両肩を掴まれて空に持ち上げられる。
オウギワシは羽ばたいて高度を上げる。上空で旋回して泉に向かって急降下すると、水面に叩きつける様に三上を投げ込んだ。
衝撃の大きさを物語る爆音がして水柱が立ち上がる、攪拌されて濁った水面に三上の顔が一瞬浮かび上がったが、波が消えて水面が落ち着くともうその姿かたちはどこにも見当たらない。
オウギワシは出口に向かって飛ぼうとするが力を失って地面に落下した。根島と川奈が駆けつけるとそこには形山が意識を失って横たわっていた。
■二十 解脱の門にて
梨山が運転する車は、ほぼ直線の隧道を最高速を維持して順調に走り続ける。風景の変化も乏しく単調な運転に飽きた梨山は操作盤をちらちら見ながら車を確認している。
「確かにこの距離は歩けないですね」と操舵輪を握り直して梨山が言う。
「もうどれくらいまで来たんですかね?」と城宮が質問する。
「ここの数字が、あっちを出たときは四だったんですが、結構前に七になりましたね、もう三以上は進んでいると思いますよ」と梨山が答える。
井福が「ねえ、あれ見て、光が見えない?」と遥か前方を指さした。
「確かに」「本当だ」とそれぞれ声を上げる。
梨山が燃料計を見て低く唸る、燃料計は既に一番下の目盛の下を指している。
「どうしました?」と城宮が尋ねると「いやあ、燃料が……」と答える。
城宮と井福も燃料計に目を向けると赤い警告灯が灯る。
「なんか点きましね……」と城宮が口にしたが誰も答えない。
視界の先の小さな点だった光はどんどん大きくなりこぶし大になってどんどん近づいている。
梨山は「いやあ、燃料が、くっそうどうにかあと少し、足りてくれ」と叫ぶ。車が光に吸い込まれて隧道を出ると、そこは小高い丘の上の様で一気に視界が開ける。視界の遥か先の雲の隙間に一瞬門の様なものが見えた。
「だめか、燃料切れです」と梨山が言うと、車はゆっくりと減速してやがて丘の中腹で停止した。
「ここからお二人は歩いて門を目指せますか?」と梨山が二人に問いかける。
「梨山さんはどうするんですか?」と城宮が質問で返す。
「お二人について行っても私は門を通れないでしょう、きっと。それは私の進む道じゃない、そう思うんです」と言うと操舵輪を軽く叩いて続ける。
「この車に燃料が半分しか入っていなかった理由を道中ずっと考えていたんです、そして燃料切れで止まった瞬間に閃いたんです、燃料はこちら側で入れられるのではと。そう考えると辻褄が合うんですよ」
「こっちで一杯にして、向こうに帰ると半分になる?」と井福が言う。
「そうです、なのでこっちで燃料のありかを探して、あっちに戻るのが私が進む道なんじゃないかなと…… こいつもあっちに戻さないといけませんしね」そう言うと操舵輪をもう一度軽く叩いた。
三人は車を降りると辺りに目を凝らした。後ろには隧道の出口が見え、正面はなだらかに下る道が続いている。太陽は出ておらず、薄い雲が空を覆っている。
「さっきはこっちの方角にちらっと門の様なものが見えたんですよね」梨山が指を差して、三人は門と思しき方向に歩き始める。
「なんだか体がふわふわしてますね」と城宮が口にする。
「ずっと車に揺られてたからでしょう、すぐに戻りますよ」と梨山が応える。
丘を降りるとだいぶ門の姿がはっきり見えてきたが、道が二手に分かれている。門の方向に向かう道は少し細くなっており、車は通れそうもない。
「ここでお別れですかね、燃料があるとすれば車が通れる方じゃないとおかしいですから」と梨山が言う。
「ですね、我々は門の方に行ってみます、梨山さん、改めてここまで来てくれてありがとうございました」と城宮が頭を下げる。
「梨山さんが居なかったら大変だったよね、本当にありがとうございました」と井福も頭を下げる。
「いやいや、こちらこそ、久しぶりに車に乗れて楽しかったし、逃げ出すところははらはらしましたが今思えば楽しかったですし」と手を振る。
「梨山さん、何とかして必ずあっちに戻ってくださいね、そうじゃないと申し訳なくて……」と城宮が懇願するように言う。
「それを言うならお二人も何とか門を越えてくださいね、それがみんなの願いですから」
城宮と井福は黙って頷く。
「では」「ご無事で」そう言いあうと二手に分かれて歩き始めた。
門に続いていると思しき道は木立の間を縫うように続いており、視界が晴れない中を二人は進んでいく。
「こっちで大丈夫なのかな?」と井福が不安そうに言う。
「先が見えないから何とも…… まあ迷ったら戻ろうよ」と頼りなく答える。
「もう一つ聞いていい?」と井福が言って「うん」と応える。
「門を開く方法って何か思いついた?」
城宮は低く唸りながら考えるが、良い回答が思いつかず黙っている。
「あれ? もしかして道中何も考えてなかった?」と不安げに言葉をつなぐ。
「いや、ちゃんと考えてたよ、本当に…… 呼び鈴とかあるんじゃないのかな……」
「呼び鈴を鳴らすと誰が出て来るんだろうね」と呆れている。
「まあ行ってみないと分からないよ」と努めて明るく言う。
木立を抜けると視界が開けてその先に門が現れる。石造りの門はかなり大きくところどころが苔むしており固く閉ざされている。門に近づいたところで井福が悲鳴を上げる。
「どうした?」と城宮が声をかける。
「これ……」と井福が指差した方を見ると人骨の様なものが崩れ落ちている。
「これは……」と城宮も息を飲むと恐る恐る近づく。しゃがみこんで「やっぱり骨だね、かなり古そうだけど」と言った。
「こっちの世界でも死ぬことがあるんだ……」井福が城宮の後ろから覗き込んで言う。
「みたいだね…… 門が開かなかったのかな……」
恐る恐る辺りを見回すとそこかしこに同じような人骨が点在しているのが見える。
「ちょっと真面目に考えよう……」と城宮が言うと、井福が「は? 今までは真面目じゃなかったの?」と呆れる。
二人は門の前に立つと開くための手掛かりが無いか調べ始める。高さが背丈の五倍程の扉には、中央に継ぎ目がある以外は目の届く範囲にこれといった特異点は無く、のっぺりとした岩肌が続いている。押してみるが当然びくともせず、大声で呼びかけてみても何も聞こえず、中央の継ぎ目を覗き込んでも隙間ひとつなく何も見えない。
気を取り直して点々と崩れ落ちている骸を一つ一つ丹念に眺めるが、どれも相当な時間が経過しているようで、手掛かりになりそうなものは見つからない。
二人は門の前で茫然と立ち尽くし沈黙が流れる。辺りからもまったく音がせず完全な静寂に包まれる。
「心無罣礙、そうだ無罣礙か……」と城宮が思い出して呟く。
「何? むけいげって、なにかのおまじない?」井福が応える。
「此岸と彼岸の連環から抜け出す魂は、とても穏やかな表情をしているって、その表情を川奈さんが無罣礙って表現してた」
「よく分からない、むけいげってどんな意味?」
「心に一切のわだかまりとかこだわりが無いってことみたい、そう言う顔になれた時にこの門が通れるのかな」
「ふうん、こだわりか……」そう言うと井福は考え込む。
「ねえ、私たちは二人で一緒に居ることにこだわってここまで来た訳じゃない?」
「うん、そうだね」
「その目的はもう達成できたことにならない?」
「確かにそうだね、本当だったら今頃はもう離れ離れだったはずだからね」
「だとしたらもうそれにはこだわらなくて良くなったわけだよね」
「うん」と応えると井福は門を端から端までぶらぶらと見て回る。城宮の前に戻ってくると、意を決した顔で「いいよ、私、ここで骨になる、その代わり道雅君もここで一緒に骨になるんだよ、独りにしちゃ嫌だからね」と言った。
城宮は井福の目を見返して笑って応えると、肩を引き寄せて抱きしめた。
「骨になるまで何をしようか?」抱きしめながら城宮が言う。
「ハシビロコウごっこ」と井福が悪戯っぽく言って笑う。
「何それ、立ったまま動かないの?」と城宮も笑いながら質問する。
「そう、お互いを信じて動かないの」と答える。
体を離してお互いに見つめあうと、二人が発した「愛してる」の言葉が重なる。どちらからともなく近づき唇を重ねた。
直後、薄曇りの空には暗雲が立ち込めて夜の様に暗くなる。その雲の隙間から一筋の光が門の向こう側に伸びると、地面が大きく揺れ始める。地鳴りが轟き始めると門が中央の継ぎ目から左右に開き始めた。開いた隙間からは光が漏れて眩く二人を照らし始める。
二人は目をしかめながら「開いた」と叫びあう。
門が完全に開くと二人の体が浮かび上がり門の中に吸い込まれて空に登っていく。二人の姿が空の向こうに消えると、再び地鳴りが轟き門が閉まった。
■二十一 日常にて
「ではこれから彼岸生活者支援懇親会を進めて参ります」司会席に座った形山の発声で、会が幕を開ける。
三上が此岸に転生したことで空きが出た職員の枠に、根島が形山を推薦して念願の職員の座を手に入れた。
根島は三上が行った個人的な問題に対する公的な権限の行使を告発し、その功績が認められてセンター長に就任した。相変わらず真っ黒ないで立ちで、形山の様子を見守っている。
梨山は無事に燃料を補給して北山出張所に戻りつくと、城宮と井福が空から降り注ぐ光の道を通って解脱の門を越えて行ったことを伝えた。
解脱の門を越えた二人のその後を知る者は居ない、川奈による研究も続けられているが、越えてしまった魂はまったく観測ができないため、お手上げなのだそうだ。
川奈はその後、梨山と一緒に三度ほど解脱の門の調査に出向いたが、こちらもあまり成果が出ていない。
山富は凪を連れて井福の家を訪れた。凪は残っている服や小物などを見ると可愛いを連発していたく気に入った。山富は形山に凪が井福の家に引っ越せないか相談して無事に転居した。
形山は山富と凪が一緒に居るのを見ると、つい井福が帰って来たのかと錯覚して城宮の姿を探すのであった。
お仕舞い。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。