← 作品ページへ戻る

Remember Me 教えてよあの時の涙の訳を

コーン・フィールド【iybi,hwc】

8,811 字

SFヒューマンドラマ、家族愛の物語

"あの日の涙の訳は、未来の私だけが知っていた。時を超え、命を繋ぐ父娘の物語。"

← 右から左へスクロール

1998・下関

「いやー!俺なんかさ楽しくて仕方がなかったんだよ人生がさっ…」
その男は強かに酔っ払っていた。
「嘘じゃないよ、本当の話…ウン…そうなの…」
まだ残照が差し込む夕方6時前だというのに。

「あんたはどうなの?人生…楽しい?……」
「いやぁ、まぁ私もそっちの口です、はい概ね楽しいですハイ」
やれやれ、せっかくの息抜きが…とんだ大虎に絡まれたものだ。

山口県下関市、今から30年ほど前の12月4日の話だ。
私は取材対象者との打ち合わせを終え、最終の新幹線までの時間潰しに、
この立ち飲み屋にふらり立ち寄ったのだ。
なんだか、引き戸を開けて入った途端
タイムリープでもしてしまったような、
不思議な雰囲気のある店だった。

わざわざ下関までやってきて、
ひと仕事終えた自分へのささやかなご褒美に、
そして、安くフグ刺しを食べてやろうという魂胆もあった。
ご当地の名産に舌鼓を打つのも、出張の楽しみの一つだ。

今朝起きた時、いや午後の1時まで自分が下関にくることになろうとは、
思ってもみなかった。

30年ほど前のあの日12月4日、確か午前中に渋谷の局で会議した後……。
そう、午後1時くらいだったか?
いきなり
「あっ、木村さん今から下関行けます?っていうか行ってください」
突然のお願いをされた。

いやいや、下関ってあなた……。
当然今からじゃ泊まりっすよね。
でね、今日俺手ぶらっすけど、当然換えのパンツもないっすけど。
てか、日帰りでって言われたら、行きませんけど、それはそれで。

とは心の中で思ったものの、当時フリーのディレクターであった俺に、
局Pの頼みを断れるはずもなく。
「あっスミマセンそこは日帰りということで…よろしくお願いします」
の声を背に、エーッ!マジっすか?状態のまま、品川から新幹線に乗り、
ここ下関にやってきたわけなのだ。
当時は、まだバブルの残り香がこんな感じで漂っていた。

肝心の打ち合わせの内容はというと、
いや、打ち合わせという名目ではあるが実際は面接、品定めだ。

大河ドラマが大好きで、全ての大河ドラマをVHSで録画して。
擦り切れるまで鑑賞するだけじゃ飽き足らず、
ダンボールでありとあらゆる武将の鎧を、
気の遠くなるような時代考証を積み重ねて完璧に再現している。
そんなご老人の話を詳しく聞いてきたのだ。

この人にテレビ出演させるだけの価値があるのか。
まぁ品定め、値踏みのためにわざわざ本州の西の端下関に
やってきたわけだ。

入った途端、なんだかタイムリープでもしてしまったような、
引き戸の向こうとこちらで、時代がガラリと変わってしまったような、
何とも不思議な空気を感じさせる立ち飲み屋。

そこでたまたま隣り合わせた男。
それが、夕方6時前から大虎に成り下がっているこの男というわけだ。

「俺なんてさ、面白くないことを続ける能力が極端に低かった男、
 なんてAIに言われてさ、ほんと楽しかったぁ…人生バンザイ!
 だよ…本当にさ…」

男の言葉は、楽しかった過去の記憶を慈しんでいるようでもあり、
あるいは、そう自分に言い聞かせなければ保てない
現在の裏返しのようでもあった。
ん?AIって何だ?

「でね、俺さ実はもう余命がさ…余命がね…6ヶ月しかないんだよ…
 本当だよ…半年…」
「いやいやまさか全然お元気そうじゃないですか、
 よくない冗談ですよそういうの」
「いやっ…これ本当…だからさ、娘たちにね…ほら大事だから俺…
 娘たちがさ…これ書いてさっ…でもね…なんだか渡せない…の」

そうして、ワープロ書きの原稿のようなものを私に押し付けてくるのだ。
「いやいや、これは…まぁ私が読むものではないし、ね、しまって下さい」

「いや!だーめ…なんか知んないけどあんたに見て欲しいの!なっ!」
男は突然、酔いが飛んでいったような凄みのある目で俺を睨みつけてきた。
その迫力にちょっと気おされた私は、原稿をつい受け取ってしまう。
全く迷惑な話だ。

そしてなぜだか私は、
来年1999年に61歳で人生に幕を下ろす予定の男が書いた、
奇妙な手記を読む羽目になったのだ。

1998・奇妙な手記

くるりの「Remember Me」を久しぶりに聞いた。
本当は長女の結婚式でサックスで吹こうと思っていた曲だよ。

前に聞いた時よりも疲れやすく、確実に死に近づいたな。
アンモニア脳症の自覚症状を感じることも、だいぶ増えた。

そして思うよ(笑)時間は戻らない、そういった事実があるだけ、
そしてあっただけ。

それを受け入れればいい。
ただそれだけなんだよな。

そこには諦めにも似た、懐かしさにも似た、嬉しさ、寂しさ、
悲しさ、絶望、希望、喜び、全ての感情がまざりあったまま、
ただ流れている。

それが人生であり人間であり、人の世の中である、と感じられる。

今となっては全てが混ざり合い、
ただ混沌とした穏やかな渦を巻いて流れているように見える私の人生。

私はそれを、ただただ愛おしく岸辺から眺めている。

私は悲しみと諦めを抱き、
それでも満足して自分の人生から退こうとしている。
悲しくて穏やかなこんな気持ちを、
それを感じることができるということが、
死を前にした人間の特権なんだろうな。

分からないけど。

以上が今の心情で、ここからが曲への理解(笑)

この曲には、普通の“感動ソング”にあるような、
明確な救済
明確な希望
明確な絶望
明確な結論
が存在しない。

ただ、時間だけが流れている。

そしてその流れの中に、
懐かしさ
喜び
悲しみ
諦め
希望
疲労
愛情
孤独
そういうもの全部が分離されずに溶け合って漂っている。

だからこの曲を聴くと、「ああ、人間って、人生ってこういうものだったな」
と思わされる。
そんなことを感じさせるよねこの曲はさ。

若い時は、どうしても、成功か失敗か、勝ちか負けか、
正しかったか間違っていたか、で人生を裁断してしまう。

でも、時間が不可逆に流れ、色々なもの、大切なものも、
そうでないものも、失い、諦め、疲れ、
それでもなお生きていると、次第に「全部混ざっていたんだな」
と見えてくる。

その境地には、確かに“穏やかな悲しみ”があるよ。
でも同時に、とても深い優しさもある。
なぜなら、人間は「終わり」を意識した瞬間に初めて、
時間を“物語”として見るから。

終わらないと思っている時、人は時間を消費する。
でも終わりが見え始めると、人は時間を“眺める”ようになる。
その時、人生は初めて、成功談でも失敗談でもなく、
ただ一つの「流れ」として見えてくる。

そんな私の流れの中に長女がいて、次女がいて、
たくさんの忘れ難い人たちがいる。

でも、不可逆的な時間の中でもう戻れないんだよ。
そんな優しい悲しさと寂しさ。

「Remember Me」のPVが優れているのも、まさにそこだよね。
描いては消え、消しては残り、痕跡が次の絵になる。

人生も同じで、
後悔も
愛情も
挫折も
誇りも
全部が“消えカス”みたいに混ざりながら、次の時間の一部になっていく。

私は君たちの一部にもなっていけるのかな?
そんなことを”考える”のではなく”思う”ようになったよ。

ある人たちは私を”達観”してるという。
”生に頓着していない”ともいう。
でも本当はこんな心を持って今を生きている。

だから穏やかだといえば穏やかだし、幸せだといえば幸せだし。
つまりは何度も言うけど、

諦めにも似た、懐かしさにも似た、嬉しさ、寂しさ、悲しさ、絶望、希望、喜び、全ての感情がまざりあったまま、ただ流れている。

そんな私の人生をただ岸辺から眺めている、
ポジもネガも全ての感情を穏やかに眺めている。

そんな感じです。

死ぬ前に(死んでから?)大切な娘たちにそこだけは知っておいて欲しくて、これを書いてみたよ。
そして遠い遠い将来に、君たちにも順番が回ってきた時に、
私のことを少しだけ思い出してみてほしい、と思うよ。
最近悲しくもないのに、ただ涙が滲んでくる時があるよ。
きっと人生が愛おしくて涙が滲んでくるんだね、不思議だね。

だけど最大の救いは、死を前にしても私は自分の人生に十分満足してるし、
もっと言えば「1の投資で10くらいの人生だった、得した」
って思ってるとこだな。
理屈に合わなくてどう考えても変なんだけど、
その変さが俺っぽいなと思うと、結構いいじゃんと思う(笑)
まとめると「くだらない話がたくさんできたいい人生だった」
だな。

Aiが言うところの
「面白くないことを続ける能力が極端に低かった男」の人生。
悪くなかったと思う。
好きなことしかしてこなかった人生だったと思う。
本当に楽しくて、後悔のかけらもないよ、私の人生。

長女に会えた、次女にも会えた、たくさんの大切な人たちに会えた。

彼らとサヨナラをするのは少しだけ寂しい。
でも私は私で本当に良かったと思ってるし、本当に楽しかったと思ってる。
自分でもびっくりするけど、本当に得だな俺って。

自分の人生に満足できれば、死ぬことはそんなに恐ろしいことではないよ。
って娘たちに伝えたい。

追伸…2002年10月23日君の4歳の誕生日。
幼稚園にいつもと違う冬の道で行ったよね。
   だから今も元気でいられるね。
良かったね。
長女に、そして今これを読んでいる俺に。

1998・下関

長い長い手記はここで終わっていた。
「あっどうも、しっかり読みました。文才ありますねちょっとびっくり。
正直感動しましたよ、ありがとうございましたお返ししますね」

私は原稿を封筒に入れて男に返した。
正直言って特別上手い文章ではなかった。
それに所詮は他人事だ、
私には関係のない家族の関係のない事情でしかない。

でも私には、ちょっと引っかかることがあった。
「一番最後の追伸なんですけど、お嬢さんは10月23日生まれ?
 奇遇ですねうちの長女も誕生日同じです、生まれたばかり」
「あぁ…そう…」

「あとですね、日付がちょっとね2002年ってなってました、追伸のとこ」
「あぁ…まぁね…2002年10月23日幼稚園ね、2002年10月23日幼稚園の道ね」

『今これを読んでいる俺に』のくだりにはあえて言及しなかった、
多分これもただのミスだろう。

「じゃぁ、そう言うことでちょっと体調もあれなんで帰るね」
「あっ、ありがとうございました」

なぜか男は急に酔いが覚めてしまったように見える。
それほど長い間手記を読んでいたつもりはないのだが…。

「あ、あとさお勘定もね、払っといたから」
「えっ?え?」
「読んでもらってる間に。
 これからさお金もさかかるでしょお嬢さんも生まれたんだし、
 フリーは不安定だしさ」

娘がいることはともかく、私がフリーのディレクターであることを、
男はなぜか知っていた。
まぁ私が飲みながら話したんだろう記憶にはないが、
でもなければ初対面の男が、そんなこと知っているはずがない。

男はすっかり酔いが覚めたように見えたが、
やはり体調が優れないのだろう。
体を引きずるように引き戸を開けると、
すっかり暗くなった街に出ていった。

私もしばらくそこにいたが、支払いが終わっていることを思い出し、
そそくさと店を後にした。

終電にはまだ早いが、今からもう一軒飲むほどの時間はなかった。
みどりの窓口で、2本早い指定席に変更してもらって下関を後にした。
男の手記のことなんてとっくに忘れて、キヨスクで缶ビールを買った。

2001年10月23日 長女3歳の誕生日

あの男の手記を思い出したのは、それから3年後のことだった。
2001年10月23日、娘の3歳の誕生日。
ずっと忘れていたあの追伸がふっと頭をよぎった。

追伸…2002年10月23日君の4歳の誕生日。
幼稚園にいつもと違う冬の道で行ったよね。
   だから今も元気でいられるね。
良かったね。
長女に、そして今これを読んでいる俺に。

あまりにも不自然な、不自然すぎてその他の文書は忘れてしまっていたが、
この追伸だけは棘のように心の隅につっかえていたのだ。

「そうか、来年なんだな」

普通気にするようなことではない、しかしことは大事な娘に関わる内容だ。
どんなに小さなことでも蔑ろにするべきじゃない。

そのくらい娘は私にとって何にも変え難い大きな存在になっているのだ。
娘に関わることなら、どんな些細なことであっても無視するわけには
いかない。
それにしても分からないのは『今これを読んでいる俺に』
あの言葉。
しかしこの時はそれ以上深く考えることもなくやり過ごしていた。
そして1年後……。

2002年10月23日 長女4歳の誕生日

朝起きた私はメモを見ていた。

追伸…2002年10月23日君の4歳の誕生日。
幼稚園にいつもと違う冬の道で行ったよね。
   だから今も元気でいられるね。
良かったね。
長女に、そして今これを読んでいる俺に。

記憶を頼りに去年書き起こしたメモ。
気にするようなことでないのはわかっていた。
しかし4年間ずっと棘のように心の隅につっかえていた、
その日がついにやって来たわけだ。

気にするのも馬鹿馬鹿しい話だ、普通は無視して当然の話。
しかし私は、ほんの小さな危険であっても大切な娘を、
その危険の可能性にすら、晒すわけにはいかないのだ。

『いつもと違う冬の道』か…。
幼稚園の送り迎えは私の毎日の仕事だ。
いつも使う道はもちろん一番の近道だ。
住宅地の間を縫うように歩き、4歳の娘の足で15分ほどの道のり。

もうひとつの道は、冬場だけたまにしか通らない道だ。
そこには、何年も建設されないままの宅地建設予定の空き地がある。
冬の寒さが厳しい日、そこには今どき珍しい立派な霜柱が立つ。
この霜柱を「サクサク」と踏むことが、娘の大きな冬の楽しみなのだ。

しかし今日は10月23日、霜柱は当然立ってはいない。
しかし、娘の小さな手を引いて幼稚園に向かう私の足は、
当然冬の道に向かった。
20分ほどかけて何事もなく幼稚園に着いた。

拍子抜けはしなかった、何事もないいい事ではないか。
私はどんな小さな危険にも娘を晒したくないだけだ。
何事もなければそれ以上のことはない。

娘とバイバイした幼稚園の帰り道、サイレンの音が遠くから聞こえてくる。
体が強張るのがわかる、頭から血の気が引くのがわかる。

小走りで幼稚園に戻った、園庭には誰もいなかった。
ガラケーをかざしながら、乱暴に正面の扉を開けて園内に入った。

教室の隅に、保母さんたちに守られるように子どもたちが固まっていた。
床に直接座っている。
保母さんたちにガラケーをかざしながら尋ねた。
「どうしたんです?何があったんですか?」

いわゆる通り魔だった。
被害にあったお友達もいたので詳しいことはもうこれ以上は話したくない。
道を変えて良かったと言うのもあまりに不謹慎だ。
娘たち、子どもたちの心の心配もあった、
でもそれも今は口に出せなかった。
職業意識で無意識に回した動画は局に提出した。
夕方と夜のニュースで映像が使われた。
なんだかとても嫌な気分だった。
しかし「動画を回さない」という選択肢はなかった。
私は父でもあるし、ジャーナリストでもあるからだ。
社会正義と社会の安全のためにそこを誤魔化すことはできない。
しかし苦い気持ちになった。

その後9歳ちがいの次女が生まれ、二人ともすくすくと育ってくれた。
長女は26歳で結婚し今年妊娠した、初孫だ。

でも私が初孫に会えるのかは微妙なのだ。
非代償性肝硬変で余命を告げられているからだ。
余命は後半年程度だそうだ。
その前に脳炎で何も分からなくなったり、
昏睡状態に陥る可能性もあるらしい。

でも不思議と平静を保てている自分がいる、
と言うより自分でも驚くほどショックが全くなかった。

孫とはすれ違い?生まれ変わりなんて言ってもらえたら嬉しいな、
なんて思う。
そのことも手記に書いておかないといけない。
あの時の手記には書いてなかった気もするが…(笑)

そうなのだ、いま私は手記をしたためている。
今年の12月4日の下関行きまでに間に合わせなければならない。

体はもうだいぶキツい、主治医に下関行きを告げたところ苦い顔をされた。
「もうね、旅行とかそう言う時期じゃないんです」
ハイハイわかっています。
でもねハイそうですねってわけにはいかないんです。

「いやしかし、娘の命に関わることなんで」

何を言ってるんだ、脳症が進んだからなのか?と言いたげな表情の主治医。
おそらく、娘たちに告げ口する気だろう。

でも大丈夫、そんなこともあろうかと、
娘たちにはもう10年も前から言い聞かせてある。

「2026年12月4日にパパは何がなんでも下関に行く」と、

信じられないだろうが、その時パパは余命半年だ。
それでもパパは行かなければならない。
そうでないと、ねぇねが消えてしまうかも知れない。

あの時のパパにできたことが、パパにできない道理がない。
そしておそらく…これがパパが君たちにしてあげられる最後のことなんだ、と。

ちなみに、長女も次女も私の後を追いかけ、
あの頃私が番組を作っていたテレビ局に勤めて、
同じように番組制作に関わっている。
親としてはこの上なく幸せなことだ。

あれは「28年前の私」だったと思い始めたのは10年ほど前のことだ。
実は、ここ10年ほどの間に3回ほど下関を訪れている。

日本中の地方都市が力を落としているいま、下関も例外ではない。
それは困るのだ、あの立ち飲み屋が潰れでもしたら一大事だ。
そんなことが無いように見張っていなければならない。

そうしたら案の定、今年になって資金繰りがどうにも行かなくなって、
いよいよ廃業することになったという。
私は店主に資金提供を持ちかけた。
「返さなくていい、もう一年だけ店を閉めないでもらえないか?」と。
私はもちろん、捨ててもいい大金を潤沢に持っているわけではない。

それが可能になったのは去年。
いよいよ余命1年半を宣告されたからだ。

これで、あの時の私が「28年前の私」だったことが私の中で確信になった。
そして、余命宣告は老後20年分の資金がやはり
私には必要なかったのだとわかった瞬間でもあった。

これで、心置きなく立ち飲み屋の資金繰りに資金を提供することもできた。

そして、私はいま最後となるであろう下関にいる。
昨夜ホテルの部屋のデスクで手記の最後を書き上げた。

追伸…2002年10月23日君の4歳の誕生日。
幼稚園にいつもと違う冬の道で行ったよね。
   だから今も元気でいられるね。
良かったね。
長女に、そして今これを読んでいる俺に。

いよいよ今日、私は私と28年ぶりに再会する、予定だ。
あの時の私の酔い方はとても不自然だった、あれは演技ではなかったのか?
この10年はずっとそう疑っていた。
その謎は昨年いとも簡単に解明された、私が余命宣告を受けたからだ。

もう死ぬんだから関係ないんだ!といくら説明しても、
娘たちはがんとして私にお酒を飲まさせない。
つまり飲みたくても飲めない状況。

あの時の私も同じ状況だったとすれば……、飲んでいるはずがないのだ。

私はスポンサー権限で、自由に振る舞えるこの立ち飲み屋で、
今か今かと私がくるのを待っている。
酔っ払いの演技は十分練習してきた。
娘二人は有給をとって、厨房の奥からじーっと様子を見ている。

「パパいつも若い頃はイケメンだったって言ってるじゃん、ねっ」
「そうそう、嘘か本当かしっかり見といてあげるわよ」
私も言い返す。
「少なくとも君の旦那よりは確実にイケメンだった」
「何それ?バッカじゃない、私にとって彼以上のイケメンはいないの!」
命をかけてまで守ろうとしていた長女は、もうすっかり他人の妻だ。
そして来年5月には母になる。

今か今かと私を待ち受ける私。
あの時も私は、実は未来の娘二人に品定めされていたわけだ。
おかしくて笑いが込み上げてくる。

あの引き戸が開いた、なんだか青白いひょろひょろした若造が入ってくる。
娘たちに目をやると……おいおい、受けすぎだろ(笑)

どれ、いっちょう練習の成果を見せてやるか。
「あーちょっとそこの君、ちょっとこっち来なさい…
 こっちで飲もう一緒に…な」
「あっ、あぁはい」

明らかに迷惑そうだ、笑ってしまうなぁ、楽しいなぁ。
「いやー!俺なんかさ楽しくて仕方がなかったんだよ人生がさっ…」

いや、最後の最後まで楽しいぞ!人生!
私が私に絡む…。
「あんたはどうなの?人生…楽しい?……」

そうそう!人生は楽しむためにある!
さあ!これから盛大に絡んでやるぞ!覚悟しとくんだな俺!

              If you build it, he will come.

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

作品ページへ戻る

コメント

まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。

しおりを挟みました