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インビジブルファミリー

abejunichi

7,567 字

SF、世代を超える愛と記憶をめぐる幻想小説

"その愛は、百年後のあなたに届く。血と時間を超えた、みえない家族の物語。"

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第1部 We should fall in love

1
 いつも25歳の誕生日を想像してきた。その日、とてつもなく幸せな思いをする感触だけが、目覚めるといつも残っている。けれど夢の内容を思い出すことができない。ただ、誰かがそばにいた。誰かの意識が、僕の意識に触れていた。そのことだけを、身体が覚えている。
 2196年。空はAI演算層に覆われ、いつも薄暮だ。人々は意識を接続し、肉体を置いたまま活動している。街を歩く人間は少ない。
 けれど僕は今日、歩いている。耳には何もつけない。鏡も持たない。25歳の誕生日の前日を、自分の身体だけで過ごしたかった。
 意識記録を扱う店に入る。誰かの夜の感触。誰かが感じた雨の匂い。誰かが経験した、初めて海を見た瞬間の驚き。それらが薄い層になって、店内に漂っている。
 ひとつの記録に触れた。
 誰かが真夜中に経験した、深い静けさ。その静けさの中に、音楽があった。実際の音ではない。意識が音楽の形をとっている。そしてその音楽の奥に、もうひとつの意識があった。記録した人間の意識ではない。その人間の中に住んでいた、もっと古い誰かの意識。その古い意識が、こちらを見ていた。
 僕は店を出た後も、その感触を身体から消すことができなかった。見られていた。知らない誰かに。けれど怖くなかった。温かかった。
2
 地下通路へ降りる。長いエスカレーター。人工の光。プラットフォームにはまばらに人がいるだけだ。
 アナウンスが僕の名前を呼んでいる。
 心当たりはない。ひとりきりだ。けれど何回か繰り返されるアナウンスを聴いているうちに、あの感覚が戻ってきた。意識記録の店で触れた、あの古い意識の感触。誰かが、僕を呼んでいる。記録の中からではなく、現実に。
 案内窓口でスタッフが言う。
「赤い傘を持った女性です。ひどく取り乱されていました」
 赤い傘。この言葉が、意識のどこかを震わせた。知っている。この言葉を知っている。いつ知ったのか。わからない。夢の中か。あるいはあの意識記録の奥にいた古い誰かの記憶か。
 カフェに入ると、彼女はうつむいていた。赤い傘がそばにある。この都市で傘を持ち歩く人間はいない。AI演算層が気象を制御しているから、雨は降らない。それなのに彼女は傘を持っている。それが奇妙で、美しかった。
「相席いいですか」
 彼女は顔をあげる。そして僕を見た瞬間、泣きそうな顔をした。けれど泣かなかった。代わりに、こう言った。
「あなたの中に、誰かがいるでしょう」
 僕は答えられなかった。
「わたしにはわかるの。あなたの中に、古い人がいる。その人が、わたしを呼んだ」
「僕があなたを呼んだのではなくて?」
「あなたも呼んでいた。けれど、あなたの中にいる人も呼んでいた。ふたつの声が重なっていたから、わたしは来た」
 僕は座る。コーヒーを注文する。彼女の目を見る。彼女の目の奥にも、何かがいるような気がする。彼女自身ではない何か。彼女の中に住んでいる、もっと古い誰かの光。
「あなたの中にも、誰かいませんか」
 彼女は少し笑った。はじめて笑った。
「いるかもしれない。ずっと、夢を見るの。知らない海辺に立っている夢。隣に誰かがいて、その人の髪が風で舞い上がる。けれどそれはわたしの夢じゃない気がする。誰か別の人の夢を、わたしが見ている気がする」
 僕の夢と同じだった。
 地下の通路を乗り継いで、ひとりの女性を探す夢。海辺で、彼女の髪が舞い上がる夢。それは僕の夢だと思っていた。けれど僕の夢ではなかったのかもしれない。僕の中にいる古い誰かの夢を、僕が見ていたのかもしれない。
 そして彼女も、同じ夢を見ていた。別の場所から。別の角度で。
「わたしたちは、同じ人の夢を見ているのかもしれない」
3
 彼女がそう言ったとき、僕の中で何かが動いた。古い意識が、僕の意識の底で、静かに震えた。喜んでいるように感じた。ずっと探していたものを、ようやく見つけたように。
「外を歩きませんか」
 薄暮の街を並んで歩く。不思議だった。はじめて会った人間なのに、沈黙が苦しくない。沈黙の中に、言葉よりも多くのものが流れている。僕の中にいる誰かと、彼女の中にいる誰かが、僕たちの沈黙を通じて、静かに話をしているような気がした。
「意識記録が好きなんです」と僕は言う。「ひとりの人間が作った記録も、何人かで作った記録も。何人かで作った記録には、調和がある。みんなが同じ夢を見ている。それぞれが手の役目をしたり、足の役目をしたりする。それは呼吸している。魂が宿っている」
「わたしたちも、そうなれるかしら」
「わからない。けれど、今、僕の中にいる誰かと、あなたの中にいる誰かは、もうそうなっている気がする。僕たちが出会う前から。僕たちが生まれる前から」
 赤いカーテンの店で、向かい合って食事をする。意識接続なしの夜。鏡を持たない夜。ふたりの人間の身体だけがここにある。けれどふたりではなかった。ふたりの中にいる古い意識を含めたら、この小さなテーブルには何人分の時間が座っているのだろう。
「怖くないですか」と僕は訊く。「自分の中に、自分ではない誰かがいるということが」
 彼女は首を振る。「怖くない。温かいから。何も求めてこないから。ただ見ている。見守っている。猫みたいに」
「猫?」
「昔、猫を飼っていた人がいたでしょう。猫は何も言わない。何も求めない。ただそばにいる。それだけで家族になる。わたしの中にいる誰かも、そう。何も言わない。ただいる。それだけで、わたしは寂しくなかった」
 深夜0時が近づいている。店のどこかからハッピーバースディの声が聴こえる。彼女がグラスを持ち上げる。
「ハッピーバースディ」
 その瞬間、僕の中にいる古い意識が、彼女の中にいる古い意識に、触れた気がした。僕たちの身体を通じて。グラスが触れ合う音を通じて。百年以上の時間を超えて、ふたつの古い意識が再会した。
 僕たちは気づいていた。これは僕と彼女の出会いであると同時に、僕たちの中にいるもっと古い誰かたちの再会でもあるということを。僕たちはただの器ではない。けれど、器でもある。愛が通過する場所。愛が宿る場所。愛が次の誰かへと渡されていく場所。
 みえない家族。
 血でも制度でも時間でもなく、意識の深いところで触れ合っている人々。そのことを知らないまま繋がっている人々。猫のように何も言わず、ただそばにいる人々。
「海を見に行こう」
 彼女は微笑む。
 海辺では波音が響いている。どの時代でも同じ音を立てる波。僕たちは並んで立っている。けれどふたりではない。僕たちの中にいる古い人たちも、ここにいる。何人いるのかわからない。百年前の誰か。もっと前の誰か。名前も顔も知らない。けれど、波音を聴きたいと思っていた誰か。
 みんなで海を見ている。

── 第2章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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