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awake

abejunichi

73,911 字

思索的紀行文学、私小説、ロードムービー

"ハンドルを握り、フリーウェイを走る。それは、世界の果てと、自己の根源へ向かう旅だった。"

2016年作のシリコンバレー新婚旅行小説

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第2章 光と闇のある都市

   *

 朝になるとホテルのエントランスづたいに食堂に行き、朝食のビュッフェを味わう。スクランブルエッグとベーコン、オートミールとパン、そしてサラダをトレーにのせる。あいている席に座る。ホテルの朝食は朝の5時30分からはじまっている。まだ朝日は昇っていない。食堂は20人ほどが食事をすることができる広さを有している。しかし時間が早いのかまだ4、5人しかいない。白人の太った男性がアジア風の顔立ちをした女性と食事をしている。ここでは彼らではなく、僕らが異邦人だ。でも彼らは僕たちのことを何も気にしていない。多民族が集まるアメリカでは、日本人はそれほど珍しいわけではないのだろう。木目調のテーブルは豪華というほどではないが、充分すぎる広さを有している。壁に吊るされた薄型テレビが朝のニュースを放映している。でも音声は小さく何を伝えているのか、映像からしかわからない。ベーコンを1口食べると味の本質が違うと思う。スクランブルエッグひとつ、ベーコンひとつの味が、似ているようで日本で食べるものと異なっている。なんだか別の惑星に来たみたいだ。
「箸の文化とフォークとスプーンの文化の違いって何だろう」
 僕が妻に言うと「小さい子どもにとっては、フォークやスプーンの方が食べやすいんじゃないかしら」と返事をする。僕はその違いについて考え続ける。
 朝食を終えるとホテルのエントランスの外側に出る。駐車場が広がっていて、向こうに海がみえる。今日は雲ひとつない青空が広がっている。そして海から力強い太陽の光が世界を照らしはじめている。太陽の輝きが違うと僕は思う。きっとここはより太陽に近い場所なのだ。
 日本はちょうど新しい年が始まっている。でもカリフォルニアは今日は12月31日だ。メールで何人かの友人と両親に新年の挨拶を伝えながら、今日がカリフォルニアではまだ新しい年が明けていないことを不思議に思う。

   *
 
 僕らはホテルの部屋に戻ってサンフランシスコへ向かうか、郊外の町を探索するか話しあう。でも郊外を探索するよりもまず地域の中心地であるサンフランシスコへ行かなければならないという結論に至る。ホテルはサンフランシスコから20kmほどの距離にあったが、最寄りにステーションはない。まだ昨日の慣れない運転の恐怖が残っていて今日は車を運転したくないと妻に言う。何よりもサンフランシスコの交通事情がわかっていない。じゃあ電車に乗ろうと彼女は言う。電車に乗るには、ホテルの送迎バスで1度サンフランシスコ国際空港へ戻るしかない。
 シャトルバスに乗り空港へ戻ると、英語の案内表示を頼りにサンフランシスコ周辺を繋ぐ鉄道・BARTのステーションを探す。駅の入り口はガラスの回転式になっていて、空港から大きな荷物を持ってそのまま市街へ向かうことができるようになっている。インフォメーションでは白髪の白人女性が旅行客の小さな問題をひとつひとつ解決するために佇んでいる。日本とは異なってこういう案内を行う女性が年をとっていても働くことができるのがアメリカならではなのだろうという話を妻とする。
 ガラスの扉をくぐり抜けるとステーションには日本と同じようにICカードの改札がある。僕らはインターネットを駆使して情報を集め、カードを購入する。そして改札をくぐり抜ける。
 駅のホームには、旅行客たちが大きなキャリーバックを持ちながら、次の電車の到着を待っている。サンフランシスコ国際空港とBARTのステーションは、もうずっと以前からここにあるのだろう。壁はくすんだ灰色をしている。日本の鉄道と比べるとステーションに清潔さが欠けているという話をする。
 数分間待つとの鉄道がホームに到着する。インターネットでは繰り返し日本を出たら注意しなければならないと警告を受けていた。だから最後列の座席に座り、自分たちが絶対に失くしてはならないもの、パスポートや財布などを確認しながら、恐る恐る列車の出発を待つ。シャツを着て短い茶髪でトラベルバックを持った白人男性は、まるで世界中を旅してきたかのようにリラックスしながら列車に座り、ミネラルウォーターを飲んでいる。僕や妻にある緊張と、他の乗客との間には明らかな差がある。なにしろ慣れない旅がはじまったばかりなのだ。でも列車はそんな不安なんて関係がないというふうに出発する。
「鉄道は日本の方が綺麗だね」と僕は妻に囁く。
「でもニューヨークの地下鉄はもっと汚くて危ないと言うじゃない」と彼女は言う。鉄道が発する音は日本の私鉄とそれほど違いはない。けれどそこにある清潔さへの態度の違いは明らかだと思う。アメリカの人が大切にしているものと、日本人が大切にしているものは違う。食事と同じように、同じ太陽の下で、国によって小さいかもしれないが明らかな違いが生まれている。
 窓からみえる風景は、車でフリーウェイを走った時よりももっとアメリカの人々がどのように暮らしているのか教えてくれている。建築様式は違っても日本と同じように同じ造りの住宅が丘陵いっぱいに並んでいる。中心へ向かえば向かうほど都会的な建物が増えてくる。ただ日本と違うのは、瓦のようなものが住宅の屋根を覆っていないことだ。住宅は3角形の屋根を有しておらず、平面的な屋根を持っていることが多い。橙色やオレンジがかった色の住宅がどこまでも並んでいる。ホテルの部屋はとても広々としていたが、カリフォルニアに住むすべての人が、くつろげる広い部屋を持っているわけではないのだろう。鉄道から眺める景色は日本とは違う。そして様々な文化的な違いがある。でも、そこにある人々のささやかな暮らしはどこかでは同じなのだ。 

   *

 いくつかのトンネルを抜けての鉄道が地下を走りはじめると、緊張感は増幅しはじめる。暗闇が怖いなんて思いはずっと子どもの頃のことだと思っていた。でも景色が消えさり闇の中を運ばれていると、自分たちがいったいどこへ向かっているのかがわからなくなってしまう。iPhoneのマップアプリは地図の上で自分たちがどこにいるのか、その現在地点を青いマークで記してくれている。画面上では明らかに市街へ運ばれている。しかしその実感がない。画面から目を離し、周囲を見回しても旅行客たちが英語で何かを話しているだけだ。でもこの暗闇はいつもの地下鉄の暗闇と違うと感じる。
 妻は何も話さずに座席にしっかりと腰を下ろして沈黙している。日本語で話すことが、周囲の乗客たちに奇異に感じられないようにあまり話さないのかもしれない。どこか遠くからやってきた人間ばかりがこの列車に乗っていたとしても、わざわざ自分たちが異邦人であることを打ち明けてしまう必要はない。そうでなくても僕たちは外見から明らかにアジア系の人間なのだ。
 緊張はに揺られている間ずっと続く。妻は窓の外のステーションの駅名を英語で読み上げる。「次の次ね」彼女はそう僕に耳打ちする。目的地であるパウエル駅まであと少しだ。

   *

 停車した駅がパウエル駅であることを確認してからホームに降り立つ。逆方向へ走る鉄道を待つ乗客と、今列車を降りたばかりの人々が混じり合って、誰がどこへ向かっているのかわからない。そういう中で、自分たちはここで駅の改札を抜けて地上へ向かわなければならない。どちらへ行くと改札なのか。英語の案内表示を確認しながら歩く。どこへ行き、何をするのか。運や経験にまかせて歩くことは余計な時間的、経済的なロスに繋がる。自分がどう歩いてきて、どこへ向かおうとしているのかはっきりさせなければならない。そして行動はできるだけ旅慣れたように行わなければならない。
 暗い地下鉄の改札をくぐり抜けながらカードから正しい運賃だけが支払われたのか確認する。改札をくぐり抜けるととても巨大な都市が姿を表す。ビルが天に届くような高さで存在する。すべての建物は今、できたばかりのように新しい。行き交う人々の中には、僕たちと同じような観光客も沢山いる。でも僕たちは地下から地上に出たばかりでわけがわからない。さっきまで広がっていた大陸的な光景が、トンネルを抜けると機械的に洗練された大都市へと変貌している。
 iPhoneを片手に街を歩きはじめる。フィッシャーマンズワーフへ向かおうとしている。でも目的地までの距離感がうまくつかめない。
 ユニオン・スクエアの広場へ繋がる階段を昇ったところで、おもちゃの兵隊のような制服をきたアフリカン・アメリカンの紳士が僕たちに話しかける。
「どこへ行きたいんだい」
 妻が慣れない英語で「私たちはフィッシャーマンズワーフに行きたい」と言う。彼は「ここから3ブロック歩いた後に北へ40分ほど歩かなければならない」と言う。ケーブルカーの駅には長い行列ができていて、乗ってみたいけれど行列に並ぶ気にはなれない。
 僕は歩いていきますと言う。
 すると紳士はサンフランシスコのガイドマップをプレゼントしてくれる。きっとガイドの人なのだろう。
 ありがとう。僕たちは彼にそう言うとショッピングスポットとホテルが集まるユニオンスクエアから北へ向けて歩きはじめる。

   *

 サンフランシスコは坂が多いとは聞いていた。本当に少し北へ向かうにもずっと上り坂だ。
 朝だから店はまだそれほど開いていない。でも人々はもう動き出していて、それぞれの目的地へそれぞれの方法を用いて向かっている。坂がどこまでも続いている。ビルがどこまでも続いている。人々のサイズが日本人よりもひとまわりもふたまわりも大きい。でも朝の空気はとても澄んでいて、清々しい。地下よりも地上は、とても開かれている。
 歩き続けていると、スターバックスコーヒーの看板が日本と同じ佇まいでビルの1階に掲げられている。僕たちはその看板に少し安心する。何から何まで違うというわけではない。僕たちは店内に入り、レジまでの長い行列に加わる。空港での入国審査やホテルでのチェックインの時もそうだったが、ここでは何をするにしても英語で話さなければならない。母国語で買い物をする簡単さに比べて、何かを注文することさえちょっとした冒険だ。
 妻は英語で話すチャレンジをとても楽しそうに行っている。コーヒーのトールサイズを購入し、アイスを頼んだのにホットが出てきたと言って笑う。僕はひたすらペットボトルの水を注文して、英語での会話の煩わしさから逃げている。でも妻はカップに自分の名前まで書いてもらっている。店員はハリウッドの俳優のようにすらりとした長身で素敵な笑顔を彼女にむける。僕は英語をあまり話すことができない自分をなんとなく惨めに思う。

   *

 言葉が通用しない世界。それは実際にそういう世界へ行ってみないとわからないことがあるのかもしれない。自分が子どものように無力で、父親や母親に何をするにしても見守られながら過ごしていた頃のようだ。でも歩くこと、走ること、話すことを少し覚えただけで、世界は違ってみえる。僕はまだ2本の両足で壁にもたれかかりながら立っているだけで、妻は楽しそうに世界を見まわしている。ふたりとも初めての海外なのに、僕は世界を恐れていて、彼女は希望に満ちた顔をしている。僕たちはここでは本当の意味で対等なのだ。車に乗って町と町を走り回り、美味しい店でランチをごちそうしたりしてきたのは自分の国で自分の経験と勘を充分に発揮することができていたからだ。でもサンフランシスコではその2本の両足で、坂道を1歩、1歩とのぼっていかなければならない。
 僕たちは坂を登り続ける。街が別のリズムと呼吸で動いていることを感じる。言葉が別の成り立ちをしていることを感じる。そして街が生まれた歴史を建物のひとつひとつがささやきかけている。
 妻が「わたしの行きたいところにも行って欲しい」と言う。だから直線的にフィッシャーマンズワーフへ向かうことをやめてグレース大聖堂へと向かう坂をのぼる。長い、長い坂だ。歩いているだけでじんわりと汗をかく。路上をケーブルカーが大勢の観光客をのせて走っていく。この街でケーブルカーは、観光客を目当てに生まれたわけではない。本当に厳しい勾配を自由に行き来するために生まれた発明だ。もちろん自家用車やバスで自由に坂道を行き来できるようになってからは、ケーブルカーは観光客のための風物詩になっていった。僕は坂道をのぼりながら妻に語りかける。
「すべてのものは必要性があって誰かの閃きのもとに生まれるのかもしれない。でも役割を終えると、それは必要性というよりはその街の歴史を伝える貴重な遺産になっていく。時代を超えて残っているものには機能美を超えた美しさがある」
 妻はうなづくと「ひとつひとつの建物から美しさを感じるわ。そのひとつひとつがとても可愛らしいもののように感じられる。まるで子どもの頃に遊んだ人形たちの家みたい」
 確かに街は人々が暮らしていても、そこに本当に人が住んでいるという実感がない。街の中心地はリアルだけれど、そこから少し離れればすべては美しい宝物のようだ。
 ひとつひとつの通り、ひとつひとつの建物、ひとつひとつの風景に胸をうたれながら歩く。自分たちの世界とは違う歴史を持った街。美しい青空の下では、街はまるで天使たちが住んでいるように思える。散歩をしている美しい婦人が、白いコートを着て僕たちとすれ違う。彼女はきっと少しでかけてくるわと誰かに話しかけると、この街を自由に歩いて、そして僕たちとすれ違ったのだろう。そういう偶然があちらこちらにある。僕たちがしっかりとした決意を持ってこんな遠くまで来なければ、決して出会わなかっただろう人々。街に住む人々に親密さを感じる。
 坂はどんどんきつくなってくる。「なんて坂だ」と僕は言う。なぜこんな頂きに街が広がっているのか。歴史を振り返れば、人々はずっと河のほとりの平地に暮らしてきたはずだ。だから都市は空高くビルがそびえていてもずっと平らな場所にあるものだと思っていた。でもサンフランシスコは別の成り立ちをしている。
 ずっと坂道を歩いてきて後ろを振り返る。とても美しい世界が広がっている。異国の車が通りにずらっと並び、石造りの建物が眼下に広がっている。太陽は天に輝いていて、陰影を用いて素晴らしい絵を描いている。歩いている人々は、誰もが親しげな友人か、恋人たちか、夫婦のように親密だ。犬を連れたおじいさんは、まるで犬が自分の1番の親友とでもいうように散歩をしている。街の中心から坂をのぼり続けると、まるで自分が西洋絵画の中で自分の在り処を探し回っているような気分になる。でも僕はひとりではない。妻がそばにいて、新しい世界へ導こうとしてくれている。
 その街の坂の上から世界中をみわたす。トランスアメリカピラミッドがずっと遠くにみえる。金融街のビル群もみえる。でも坂道の頂きはそんなビル群と比較してもずっと高いところにある。空がとても近いところにある。呼吸をすると新鮮な空気が肺のなかをかけめぐる。
 グレース大聖堂はそういう場所にささやかに建っている。コンクリート造りの建築でパリのノートルダム寺院に似せられて造られた建物らしい。前には公園があって朝の散歩のついでに集まった人々がくつろいでいる。聖堂の扉を開けて中へ入る。静かな空間がどこまでも広がっている。
 天井はどこまでも高い。ステンドグラスを通じて外の光が中へ差し込んでいる。祭壇が奥にあって、そこから祈りをささげるための長椅子がずらりと並んでいる。僕たちは足音をたてないように祭壇に向けて歩いていく。最前列では椅子に座り、一心に何か祈りを捧げている若者がいる。手をあわせ目を閉じて一生懸命祈っている。
 あらゆる宗教建築は、役目を終えて、この世界にあるわけではない。荘厳に施された模様のひとつひとつの意味は消えてしまったのかもしれない。でも今も祈りを捧げる人がいて、神と深遠な対話を行っている。そういう行為のひとつひとつが人間の美しさであると思う。
 長椅子に座ってみる。目を閉じる。心の中の願いをひとつひとつ確かめてみる。美しい静けさがそこにある。そしてこの静けさこそ求めていたものだと思う。
 グレース大聖堂を出ると、とても美しい場所だねという話をする。何かを売りつけようとする看板もない。清浄な街が広がっている。地下鉄の中で感じた闇はここまでは届かない。実際に世界には光と闇が存在するのかもしれない。

   *

 僕たちはずっと北を目指して歩きはじめる。身体が軽い。下り坂が続いていてどこまでも歩けそうな気がする。歩きながら街を眺めること自体がとても楽しい。自分たちが生まれた町をこんなふうに歩いたことがあっただろうか。自分の生きている重さから、すっかり解放されたような気分になる。重力が半分になったかのようだ。
 建物には必ず複数の出窓があって世界の光をとりこもうとしている。きっと太陽の光が尊いことを街の誰もが知っているのだろう。太陽は徐々に天空へ昇ろうとしている。でも朝の静けさは街のあちらこちらに残っていて、だから僕の心も静かなままだ。
 そういう静かな興奮の中で街を歩き続ける。ゆるやかな下り坂の後には、上り坂があって、その後で遠くに何かみえる。僕たちは子どものように同時に「海だ」と言う。いつの間にかとても長い距離を歩いていたらしい。
 彼女は日本で旅立つ前に購入したナイキのスニーカーがとても良いとしきりに話している。スニーカーならきっと走ることだってできるだろう。
「自分の魂まで自由になったようだ」と僕は言う。妻は「きっと何かから解放されているのよ」と言う。いったい何から解放されているのだろう。でも、今、目の前に広がっている世界を感じることのほうが大切だ。自分がどこまでも歩いていくことができる感覚をしっかりと感じることこそ、遠く離れた場所にいることの本当の価値なのだ。
 でもずっと歩き続けると、歩道にゴミ箱が転がっている。どことなく嫌な予感がする。インターネットでは、アメリカには危険な場所も存在するという注意書きがあった。少しでも街が汚れていたり、家の窓に鉄格子があったりしたなら、そこからは引き返しなさい。警告を何度も読んだ。だからゴミ箱が少し転がっているだけで、これは危険な地域に入りかかっている前兆なのか? と不安になる。異国では何もかもを開け放してしまうわけにはいかないと彼らは言っているのだ。
 僕は「この辺りは大丈夫だろうか」と話しかける。妻は「ちょっとナーバスになりすぎよ」と言うと「ほら」と言ってずっと前を指差す。
 セグウェイの集団がちょうど通りと通りを横切っていくところだった。5、6台のセグウェイが颯爽と街の間を駆け巡っていく。幻をみたのかと思う。けれど彼らの楽しそうな姿は、歩道に散らかっていたゴミをすっかりと忘れさせるぐらいの良い前兆だった。このまま歩いていけばいい。少し沈みかけていた心を取り戻して、また海へ向けて歩きはじめる。
 遠い世界では、感覚がとても研ぎ澄まされる。美しいもの、美味しいもの、光の加減などがそのまま直接的に伝わり、醜いもの、汚れたものが、避けねばならないものとして感じられる。僕はとても注意深くなる。自分が住む世界ではそういう光と影の濃淡は、ずっと和らいで注意をひくものではない。何も気にしないで生きていられるだけの自分自身の力が、故郷では自分たちに備わっている。でも自分たちの生活から遠く離れると、事態は一変してしまう。ささいなことが、自分たちにとって良いことにも悪いことにもなる。善なるものと悪なるものが及ぼす影響が深く強くなる。ひとたび天から降り注ぐ光の洪水を全身に浴びたかと思うと、闇のその暗い影から、自分たちを噛み砕いてしまおうと見つめるふたつの獣の瞳を感じる。サンフランシスコの街では至るところで光と闇が対決していて、僕たちの心にさあどちら側につくんだ と語りかけている。

   *

 フィッシャーマンズワーフは大勢の観光客であふれている。店が立ち並ぶ通りでストリートパフォーマーがパフォーマンスを行っている。海に船が並べられていて、潮の香りがする。アフリカン・アメリカンの青年が英語で観光客を相手に何かを強く訴えかけている。妻は「きっとアルカトラズ島へのボートに乗らないかと言っているのよ」と言う。僕は「いくら観光地になっていると言っても刑務所には行きたくないよ」と言う。数々のマフィアが海の上に浮かぶ監獄島で死んでいった。ずっと前にはアルカトラズは軍事要塞の島でもあったらしい。有名でもそういう不吉な場所には近づきたくなかった。
 漁師の波止場という名前のとおり、フィッシャーマンズワーフにはまるで市場のように様々なものが売られている。いくつかの店はずっと以前から観光客を相手に古い佇まいのまま商売を続けている。でも海に面した通りを歩きながら、あのセグウェイの集団が感じさせてくれたような未来の姿を感じることができなくてがっかりする。どんなアメリカのガイドブックにもフィッシャーマンズワーフは観光名所として掲載されている。だからとりあえずの目的地としてこの海まで歩いてきた。確かにアメリカ的な通りだと思う。大勢の店の人々が何かいいものがあると呼び声をかけてくる市場のような場所だ。でもここにある騒々しさ、人々が大勢いて、何かをみつけようとしながらそれでも何も珍しいものを見つけることができずにただ賑わっている風景は、日本でも感じたことがある観光地特有のものだ。
「何かを買ってお昼にしない」そう妻が言う。
 もう昼の12時をすぎている。
「どこか良い場所があればいいけれど」と言う。
 妻は「さすがに歩き疲れたの。どこかゆっくりできるところがあれば」
 もう1時間以上も歩いていて、このフィッシャーマンズワーフの賑やかな通りをただ歩くことしかできない。賑やかでパワーが溢れている。でもここは僕たちが求めている場所ではない。
 ある店は大変賑わっていて、ランチの為の行列ができている。その行列に加わってランチを食べることもひとつの方法かもしれない。でも僕にはひとり20ドル以上するそのランチの価値がわからない。為替レートではドルが強く日本人の僕たちにとって物価は高い。
 僕は子どもの頃、大阪のアメリカ村で買い物をした時のことを思い出す。都市の中心まで行って海の向こうからやってきた商品を買う。まだ商品の価値がわからない少年に対して、あらゆる販売員が「これは価値があるものだ」とセールストークをしかけていた。まるで野獣がその牙を隠しているように。購入を促す響きに対して、まだ若い僕は自分の目でその商品の価値を見定めなければならなかった。本当に求めるものが何かわかるまでうまくやることはできなかった。
 状況は同じだった。僕はうまく英語を話すことができない。妻は少しは英語を話すことができる。だからどこか店に入れば、自分たちで何かを選ぶことはできただろう。でも自分たちが日本でランチを選ぶ時のように望むものを手に入れるための経験がない。
「とりあえずお腹を満たすことが今できる精一杯のことのように思える」と言う。「で情報を集めてもわからないことだらけで。ひとつとても評判の良いホットドックの店があるけれど、ゆっくりとくつろぐことはできないだろう。どこかこの賑やかな通りを離れて落ちついた場所を探そう」

   *

 フィッシャーマンズワーフから少し離れたところにあるサンドイッチの店にたどり着く。店に入るとウェイターが席へ案内してくれる。メニューに書かれた英語を読みながら、自分たちが食べることのできるものを探す。サンドイッチは日本の価格と比べて、2倍も3倍も高い。でも僕たちはもう店に入ってしまっているし、何か注文をすることが必要だ。当たり障りがないと思われるサンドイッチを注文すると、店内を見渡す。金髪の少年が母親に何か英語で話している。母親は、たぶんそれはダメなのよというような意味の言葉を話して少年の髪を撫でる。店内の窓からは海がみえていて、きっと遠くにはアルカトラズ島もあるだろう。でも僕は自分が目指していた場所がここではないという思いにとらわれていて、妻に申し訳ないという思いでいる。地下鉄でそうであったように公共の場所で自分たちが考えていることを日本語でうまく話すことができない。そしてこのサンドイッチ屋でくつろいでいるアメリカの人々の平穏な雰囲気を変えてしまいたくはない。
 運ばれてきたサンドイッチを美味しいと言いながら食べる。何か批判的なものが心の奥にはあったけれど、それを言葉にしてしまうことはできない。遠い異郷で少なくとも自分たちが不快な目に合わずにランチを食べることができたことが現時点におけるひとつの達成なのだ。
 旅では何が起きるかわからない。とても素晴らしい夢のように宣伝される観光地は実際に訪れてみると思い描いていた素晴らしさがあるわけではない。でも目的地そのものよりもサンフランシスコの美しい街並みを歩いた一瞬、一瞬が素晴らしい体験だ。
「帰りはどうする」と店を出た後で妻が言う。
 僕はiPhoneを片手に何らかの交通機関がまたユニオンスクエアへ運んでくれないかルートを探す。サンフランシスコは公共の交通機関が発達していてBARTで使用したICカードでバスも利用することができる。
「バスに乗って帰ったほうが良さそうだね。もう1度歩くには少し遠すぎるから」
 僕たちはiPhoneのナビゲート通り停留所でバスがやってくることを待つ。海外の公共交通機関はまるで時刻通りに来ることがないとインターネット上の記事で読んだことがある。でもサンフランシスコのバスは時刻表通りの時間にやってくる。バスの扉が開いた時、歩かずに帰ることができることに感謝をする。
 僕はICカードをかざしてすんなりとバスに乗り込むことができる。でも妻のカードはエラーの音を響かせる。「カードの残高が足りないんだ」と僕は言う。バスの運転手は「It's OK!」と言って僕たちを中に入れてくれる。それを何かありがたいことだと思って、バスの中に入る。
 子どものようにバスの中からサンフランシスコの美しい街を眺める。歩いて街を感じていた時よりも、街はしっかりと目覚めていて活動的になっている。周囲の店も開いていて人々が忙しそうに働いている。再びサンフランシスコは美しい街だと思う。親切なバスの運転手とまるで貸し切りのようなバスの車内が、心を弾んだものにしてくれる。
 でも中華街が近づくと大勢の中国人の婦人がバスに乗り込んでくる。座席を満たし、もう誰もバスに乗れないというほど人が溢れる。
 僕は突然、何が起きたのだと思う。明らかに車内の雰囲気がおかしくなっている。何を話しているのかわからない。でも中国語で何か話し続けている。
 やがて中華街の停留所でバスの運転手と中国人の女性が何か言い争いをはじめる。
 バスの運転手は英語で何かを話している。
 中国人の女性は中国語で何かを話している。
 両者は激しく言い争いをはじめる。何が起きたのだ? 僕たちはとても恐ろしく思う。窓の外には中国語の看板が並び、サンフランシスコの中で異質な世界をつくりあげている。中国の人々は英語を覚えて街に同化しているわけではない。うまく話せなくても英語を話そうともしない。根源的に中国語を話し、自分たちの文化的なルーツを保ったままサンフランシスコにひとつの巨大なコミュニティを形成している。バスの運転手と中国の婦人の言い争いはとても激しい罵り合いになっている。どこかで銃声が響き渡る。僕と妻はその激しい銃声を耳にする。
 自分たちが何か問題の発端になってしまったのではないかと怖れる。妻がお金を支払わないでバスに乗ってしまったことが、ひょっとするととても大きな問題だったのではないか。でもバスの運転手も中国人の女性たちも僕たちを責めているわけではない。僕はなんとなくその険悪な雰囲気の中で妻に「ちゃんとお金を払ったほうが良さそうだ」と言う。妻は財布の中から2ドルを手にすると「降りる時にしっかり払うわ」と言う。
 聞こえた銃声が本物の銃声だったのかどうかを確かめる方法はない。ただ僕も妻も現実に銃声を耳にしたのだ。そして実際にバスの中でアメリカのバスの運転手と中国人の女性との間で、とても激しい言い争いが起きた。
 とても素晴らしいことと、とても恐ろしいことが交互に存在している。自分たちが何か行動の選択を誤れば、本当に恐ろしいことになってしまうこともあるだろう。
 ユニオンスクエアにバスがたどり着くと、僕たちは運転手に慣れない英語で感謝を何度も伝えて、2ドルを支払ってバスを降りる。

   *

 ユニオンスクエアは朝とは違い、大勢の人々が歩いている。この1年の最後の日なのだ。世界中のあらゆる民族、宗教、言語、文化の違いを乗り越えて人々が集まっている。あるデパートメントの正面では、僕が今まで聞いたことがない現代音楽的なパフォーマンスをバンドが演奏している。その魔術的に美しいメロディとリズムが心を捉える。でもさっき耳の奥で響いた銃声が忘れられなくて美しさを充分に味わうことができない。まだ時刻は15時をまわったところだったから、僕たちはサウスオブマーケットに向けて歩こうとする。人々が溢れている都市を、もっと感じてみたい。
 でも明確な目的地を選択しなければならないのにまたなんとなくという感じで目的地を選んでしまった。歩き続けていると車椅子に乗った足が片方ない男性をみかける。禁じられているのに平気で街中で煙草を吸う人をみかける。どこかで奇妙な匂いを感じる。通りがだんだん汚れてきている。心の中で少しずつ影がその本当の姿を顕わそうとしている。
「ホテルに戻ったほうがいいかもしれない」と妻に言う。
「そうかしら」と妻は言う。
「僕たちは朝早くから街に出て、時間の感覚もまだおかしい。街は光と闇が交じり合っていて何が起きるのかわからない。でもそれはただ勇気が足りないだけかもしれない。でもさっきの銃声にとても驚いていて、街にいる人々にある種類の冷たさを感じるんだ」
 妻にそう言うと手をとり、ユニオンスクエアのパウエル駅へ戻ろうとする。朝の清々しい光はもうとっくに変化していて、何時間かすればもうすぐ闇が街を覆う。
 サンフランシスコの街では光と闇が激しく戦っている。僕はその光と闇の戦いが、自分の心の中でも起きていると感じる。昨日のアメリカの警官。そして中華街の銃声。インターネット上の警告。そういったひとつひとつのことは僕たちに注意せよと呼びかけている。ここは自分たちの国ではないのだ。そう心の中でメッセージが繰り返されている。でも同時に光輝く太陽があり、祈りを捧げることができる教会と美しい街並みがある。太陽の光は、僕たちに善なるものの在り処を教えてくれている。でも道をどう歩いてその善なるもののほうへいけばよいか、今の自分にはわからない。

   *

 ホテルに戻ったのは17時ごろだった。それぐらいの時間からホテルのサービスのディナーははじまっているはずだった。でも食堂には誰もいない。ホテルのマネージャーは今日は祝日でディナーのサービスはないんだということを妻に話している。
 僕たちは昨日買い物をした残りの食材と、ホテルの売店のカップラーメンで侘しい晩御飯を食べる。ツイッターの情報ではサンフランシスコ市内で大きな花火が打ち上げられたとある。人々が混じり合うことで争いが生まれるのか。それとも祝祭が生まれるのか。市街からそれほど遠くない場所にいながら、自分の勇気が少し足りなかったのかもしれないと思う。
 1月1日。新しい年のはじまりは日本では昨日のことで、カリフォルニアでは明日のことだ。僕は妻に「明日、最低限しなければならないことは水と食料を買うことだ」と言う。「そしてもし車を走らせることができるならシリコンバレーをみてまわろう。でも今日はまだ勇気がないんだ」と言う。
「せっかく来たのだから勇気をだして」と彼女は言う。
 僕はかつてアメリカに行った友だちの話をする。彼はアメリカに行くことはできたけれど、怖くなってホテルから1歩も外へ出ることができなかった。僕は彼になぜ? と聞いた。彼は答えなかった。僕には今その答えがわかる。
「僕にはわからなかった。彼がなぜアメリカに来て1歩も外へ出ることができなかったのか。でももし自分が19歳で、アメリカにある暗闇のようなものに捕らえられてしまったら、きっと何もできなかったと思う。そしてたぶんこの年齢でも自分ひとりなら何もできなかったかもしれない。アメリカには強烈な光とともに、闇も深く横たわっているんだ」
 そう妻に話す。
「中華街の銃声を覚えているか」と僕は話す。
「わたしも確かに銃声を聞いた」と妻は話す。
「あの銃声がとても怖い。民族と民族の間にある壁が、あの銃声を生んだように思える。もし未来のどこかで恐ろしい戦争が起きてしまったら? 人と人。文化と文化には違いがあって、それでもお互いを認め合うことができると信じている。でも想像していたよりも、闇はずっと深いんだ。文化と文化は混じり合っているようで、その深いところで対立している部分がある」
 恐怖を感じたことを妻に打ち明ける。
「きっと何も怖くはないわよ。確かに銃声は響いたのかもしれない。今日は大晦日だしあるいは何かの象徴であるのかもしれない。でも実際に本当の意味で誰かが今日、あの銃声で死んだわけではないと思うの」
 妻は確信に満ちた声でそう語りかける。
「サンフランシスコはとても素敵な街。でもあなたが本当に行きたい場所はもっと別のところなのでしょう」そう彼女は僕の目をみて話す。
「明日、目が覚めればきっとわかっている。でも今はまだ明日のことは約束できない。でももし僕の中の勇気が勝ったら、君を特別な場所へ連れていく」
 そう彼女に言う。

── 第2章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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