第1話 フィンと子どもたち
学校一の美少女と噂される『稀代のストーリーテラー』候補生、月山奈桜が秘密裏に告白された事件は、またたく間に学生たちの間で共有され、肥大してふくれ上がった。
「ねー、聞いたぁ!?」
「聞いた、聞いた! やばいよね、あいつ!」
釣り合うわけがない、早く振られろと思春期真っ盛りの生徒たちは赤裸々な感想を容赦なくぶつけ合う。それほどに、月山奈桜は凡人の生徒が気軽にお近づきになってはいけない女子生徒であった。
制服の校章の区分は中等科の三年。十五歳。廊下を歩けばすれ違った男子生徒が振り返り、教室にいれば仲良くなりたいと言い寄るクラスメイトが後を絶たない。薄茶色のストレートロングヘアはよく手入れされた艶のよい髪であり、人形のようにつぶらな瞳は男女関係なく見た者を虜にさせた。顔立ちのパーツ一つ一つが絶妙にバランスよく整っている、抜きんでた存在だった。
「あ、噂をすればなんとやら」
生徒の一人が窓を覗き、校舎裏の裏庭に二人並んだ男女を目ざとく見つける。そのうちの一人は今まさに騒がれている時の人、月山奈桜である。
相手の男子生徒はかなり幼く見え、もしかしたら年下の後輩男子かもしれないと生徒たちは寸評し合う。背も低く、体も細い。成長期がまだ来ていないのだろう。だとしたら一年生か、二年か。
「呼んだ?」
月山奈桜は至ってクールに問いかけた。
目の前の類まれな美少女を目の当たりにした男子生徒はたちまち顔を真っ赤にし、口をパクパクと震わせる。その姿はエサを与えられていない金魚を彷彿とさせた。
「あ、あ、あの……!」
「うん」
奈桜は男子の様子を茶化すでもなく、じっと彼を正面から見据える。ピュアな輝きを放つ瞳は、平均的な日本人の瞳よりもやや茶味があって、コンタクトレンズを入れているかのようだった。
「あ、い、い……!」
男子の顔は耳元まで赤く染まっており、りんごのように火照っていた。恥ずかしすぎて呂律がうまく回らないのだろう。それでも一生の勇気を振り絞るように、男子は力の限り叫んだ。
「いつか、俺の魂を抜き取ってください!!」
数秒の沈黙。
奈桜が反応するより早く、男子は「キャーっ! 言っちゃったーっ!」と勝手に満足した言葉を放ちながら一目散に退散していった。
一人、取り残された奈桜は、
「……いつかって、いつだろう……?」
呆気にとられることも、怒りの表情を見せることもなく、ただ淡々としていた。
『そんな日は永遠に来ないぜ!』
ダミ声が聞こえた。発したのは奈桜ではなく、彼女の『フィン』である。
彼女のそばにフワフワと浮かんでいる、人間の手のひらに収まるサイズの、小さなマスコットキャラクターに似た可愛らしい物体。
『フィン』と呼ばれる、子どもたちの想像力から作り出された架空の存在である。
『フィン』をどう定義するのかは今日の学者たちの間でもさまざまな議論が交わされているが、最も多く言われているのは、『フィン』は精霊のようなものと同義である、ということだ。
奈桜はすることもなくなり、クールに校舎裏を立ち去った。
傍らには二人の『フィン』がいる。
一人は死神そのものの格好をしている、鎌を持った真っ黒なコート姿のフィン。口の悪い、聞かん坊の性格だ。
もう一人は水色のワンピースに白いエプロンを着た、金髪ブロンドの女の子。いつもニコニコとし、柔らかな微笑みを浮かべる優しい性格で、そっと奈桜のそばに寄り添っている。
「行こうか、デスくん。アリスちゃん」
奈桜が声をかけると、二人は素直にうなずき、ついてくる。奈桜は彼らととても仲良しだし、彼らが大好きだ。
奈桜はひときわ『フィン』を愛する、『ストーリーテラー』である。
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午後の時間は歴史の授業だった。担当教師が教壇に立ち、マイクのスイッチをONにする。階段状に勾配をつけて並べられた座席には、このカリキュラムを取ったそれぞれのクラスの生徒たちが思い思いの場所に座り、教材用のタブレットを開いて待っている。
各生徒のそばには各自『フィン』がついており、彼らも人間の机の隅にくっついている『フィン』用のミニチュア座席に座って、宿主と一緒に授業を聞いている。『フィン』も人間と同じく、勉強をしなければならない身である。
「『フィン』の名前の由来は、物語の結末として『Fin,』と打たれることに由来しています。西欧社会から広がり、世界全体へ普及していきました。
『フィン』は、子どもの豊かな想像力から誕生します。すべての子どもの心には『フィン』が眠っているとの学説もあり、まだ『フィン』が生まれていない人も、焦ることはありません。日々、本を読み、物語に触れ、自分自身の相棒として、時には片割れのように、もう一人の親のように、かけがえのない友のように、『フィン』を育み、慈しんでいきましょう」
奈桜は二人分のミニチュアデスクに着いているフィンたちを見て微笑む。彼らは人生のパートナーである。
フィンと出会ったのは、奈桜が十歳の時だ。
最初は、アリスが誕生した。
子どもの頃の奈桜は、二冊の本を愛読していた。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』である。少女アリスが不思議な冒険をくり広げる、夢と幻想のパラレルワールドは、少女時代の奈桜にたいそう魅力的に映った。そのまま奈桜は、文字通り本の虫となって、手当たり次第に世界各国の児童書を読み漁るようになったのだが、今でも心の灯となっているのは、この二冊である。
そして、十歳の誕生日を迎えたその日、奈桜は生み出したのだった。
この愛らしく笑う、可愛らしいフィンを。
フィンの専門家に見せたところ、アリスは『不思議の国のアリス』か『鏡の国のアリス』どちらの本から生まれてきたのかと思ったが、奈桜のフィンは二冊をブレンド《、、、、、、、》して出来上がった、至極まれなフィンであるという。
一冊の本から想像力を働かせてフィンを創り出すだけでも、並大抵の子どもではかなりの時間がかかると言われる中で、中学入学前にその才能を開花させた奈桜は、またたく間に『学園都市』から特待生としての制度で入学案内書を送付された。
厳重なロックでかけられたデジタル書類の封を開けるのにずいぶん両親が手こずっていたのを、今でも覚えている。
『学園都市』の一校、『桜ノ《さくらの》学園』はいち早く将来有望な子どもの発掘をしたわけだった。
推薦入学といった形式で『桜ノ学園』の校門をくぐった奈桜は、初めは「通学組」として家から通うことを予定していたのだが、「これもいい機会だから」と家族に説得され、学園の寮に入るよう勧められた。『学園都市』は子どもと若者の街だ。高校生からは希望者には、『学園都市』内の範囲であれば一人暮らしができるが、中学生の奈桜は寮か通学かの二択である。
「せっかくだから、よりよい教育を受けて、フィンの何たるかをきちんと学んできなさい」
親の教えを奈桜は受け入れ、『桜ノ学園』の女子寮、『桜ノ寮』にお世話になっている。
時々、家族と離れて暮らす寂しさは感じるけれど。
けれど、同世代の子どものみで構成された、ある種パワーあふれるエネルギッシュな空間は、実にいい刺激となり、フィン養成の訓練にもかなり力が入った。
結果として、生まれた二人目のフィンが、死神キャラクタータイプのデスである。
奈桜は再び、周りの注目を集める結果を引き起こした。
デスは、児童書から創り出されたフィンではなかったからだ。
奈桜自身の創作したオリジナルの物語――『DEATH』という小説から突如、現れたのだった。
日本では一次創作小説と呼ばれる、果てない苦労の末に出来上がる産物を、奈桜は中学一年生にして成し遂げた。
二人生まれたフィンは、奈桜をとても可愛がった。
それは、奈桜がフィン二人を心から愛し、慈しみ、育んだからだ。
愛を与えれば、相手は愛を返してくれる。
たとえそうではなくとも、愛を与える行為そのものに、奈桜は何のためらいも持たなかった。
奈桜は人が好きだ。そして人の創り出す、描き出す創造性の産物である、物語が大好きだ。
奈桜の誠実な愛情はフィン二人をより強くし、確固とした存在に成長させていった。
奈桜が『ストーリーテラー』としての頭角を着実に現し続けるようになるまでに、そう時間はかからなかったのだ。
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