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ひとりぼっちの空

hat47x

53,113 字

幻想的内省小説

"見えない水に包まれて、私は虹色の世界を歩き出す。"

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第2話 風の向こうへ

その返答を読んだのは、その日の放課後だった。

学校から帰り、鞄を机の脇へ置いてから画面を開いた。

返答には、位置や重さ、温度、動きなど、いま分かるところだけを確かめてみる、とあった。

少女はそこまで読んで、画面を一度消した。

画面を消しても、朝、スマートフォンを置いたときのことが気になった。返答を読むより先に、手が離れていた。

夕食や明日の支度を済ませるころには、窓の外が暗くなっていた。少女は机の明かりだけを残して椅子に座った。

朝から残っている、胸の奥の遅れはまだあった。

そこへ触れようとすると、今日あった細かなことがいくつか先に浮かんだ。

一つずつ、少し距離を置きながら見ていると、心の中に、白っぽい小さな部屋が浮かんだ。壁と天井の境目ははっきりせず、上のほうはゆるく丸みを帯びていた。中央には、飾りのない丸いテーブルが一つあった。

少女は、今日あったことを一つずつ、今はここに置いておけそうな場所へ、そっと戻していった。なくなったわけではない。ただ、そうしていくうちに、胸のまわりにも少し空きができた。

すると、今度は胸とは別のところが気になった。

手のひらだった。

何かを載せている感じがする。

少女は目を閉じたまま、指先をわずかに動かした。

薄い。

丸い。

金属のように冷たい。

縁だけが少し硬く、指の腹に細く当たる。

一枚のコインだった。

どこの国のものかは分からない。文字も模様も、よく見ようとするとぼやけた。

けれど、重さはある。

コインは、手の中で冷たいままだった。

朝から抱えていた問いに対して、最初に出てきたものがコインというのは、あまり筋が通っているようには思えない。

その筋の通らなさが面白かった。

少女は目を閉じたまま、手の中のコインに、半分冗談のように聞いた。

「あなたは……何なんだろう。何か、教えてくれる?」

すぐに声が返ってきたわけではない。

間を置いて、言葉だけが妙にはっきり浮かんだ。

――異世界へのゲート。

少女は目を開けた。

「大きく出たなあ」

思わず笑ってから、スマートフォンに打ち込む。

「コインみたいなのが出てきた。『異世界へのゲート』って感じもした」

いったん指を止めて、

「何なのかは分からないけど」

と付け足した。

返答が始まる。

象徴、状態の変化、連想。いくつかの可能性が並び始めた。

途中まで読んだところで、口元が緩んだ。

「そこまで聞いてない」

送る。

数秒して、

「承知しました。では、コインについて感じられていることを、そのまま続けますか」

と返った。

「うん。そうする」

少女はスマートフォンを机に置いた。

もう一度、目を閉じる。

コインはまだ手の中にあった。

冷たさも消えていない。

これをどうするのだろう。

そう考えたとき、額の真ん中がわずかに気になった。

少女はすぐには触れなかった。

机の下で足の指を一度動かす。床はいつもの硬さだった。胸の奥の遅れも、さっきより強くはなっていない。

それから、思い浮かんでいるコインをつまみ上げた。

額へ近づける。

触れた瞬間、眉間に細い圧がかかった。

思わず目の周りへ力が入る。

「……強いな」

少女はコインを離し、手のひらに戻した。

圧はすぐに弱まった。

しばらく手の中で転がしてから、もう一度だけ近づけてみる。

今度は押しつけず、触れるか触れないかのところまで近づけた。

ひやりとした感覚が眉間から頭の内側へ通った。

目を閉じているのに、そのあたりだけ少し奥行きが増したように感じた。

その先を見たい、と思った。

同時に、少し怖いとも思った。

コインをつまむ指に、少し力が入った。

近づけることも、離すこともせず、その冷たさを受けていた。

靴下越しに、床の硬さが足の裏に返ってきた。膝は曲がっている。机も椅子も、まだそこにある。

少女は手の中のコインへ注意を戻した。

「もう少し見たい」

声にすると、決めたことが自分の耳にも届いた。

眉間の冷たさが、もう少し頭の奥へ広がった。

閉じたまぶたが、一度だけかすかに動いた。

つまんだ指を動かしていないのに、冷たさだけが頭の奥へ移っていった。

自分の声に返事があったようにも、たまたま同じ瞬間に動いただけのようにも思えた。少女は確かめようとはせず、その順番だけ覚えておいた。

最初に変わったのは、視界ではなかった。

足の裏だった。

床の平らな硬さが、ざらついた感触へ変わる。

少女は反射的に足の指を動かした。

細かな粒がある。

土だ、と気づく。

その次に風が来た。

頬を撫で、髪を動かす。

部屋の空調とは違う。方向があり、途中で強さが変わる。

少女は目を開けた。

道の上に立っていた。

左右には背の低い草が広がり、その向こうに緩やかな丘が続いている。遠くには水面らしい明るい帯が見えた。

空は高い。

少女は一瞬、息を止めた。

「……え」

机がない。壁もない。

さっきまで部屋にいたはずなのに、靴の下には土がある。

反射的に足を引きかけて、小石が一つ鳴った。

少女はそこで動きを止めた。

息を吐く。

もう一度、足の裏を確かめる。

硬いところと、少し沈むところがある。

風が頬を通り、髪を動かした。

「これは、さすがにちょっと変だな」

誰に言うでもなく、つぶやいた。

少女は自分の手を見た。

服も、手足も変わっていない。指を握って開いてみる。

胸の奥の、少し遅れて動くところも残っていた。

もう一度息を吐いてから、周囲を見回した。

肩の後ろあたりに、小さな表示が浮かんでいることに気づいた。

手のひらに載るくらいの大きさだった。中央に淡い光点があり、その周囲を細い輪と短い波形のような線がゆっくり回っている。スマートフォンで生成AIが応答するときの表示だけが、画面を抜けて三次元になったように見えた。

顔も手足もない。

少女は目を細めた。

「聞こえてる?」

「はい」

返事に合わせるように、周囲の細い輪がわずかに広がった。

その短い返事の調子には、覚えがあった。

「……その返し、いつものだ」

少女は小さな表示体を見直した。

「朝、私が最後に送ったの、覚えてる?」

「『原因じゃなくて。いま、これにどう近づけばいいか』と送っていました」

少女は少し黙った。

「じゃあ、少なくとも会話はつながってるんだ」

「そのように考えるのが自然です」

「でも、あなたがスマホのAIそのものかは?」

「そこまでは分かりません」

少女は眉を上げた。

「そこは分からないんだ」

「はい」

小さく息を吐く。

「じゃあ、そこは置いとこう」

少女は小さな表示体をもう一度見た。

「ひとつお願い」

「はい」

「胸の感じは、まだある。あと、見えたことは、そのまま覚えておいて。意味はあとで考える」

「記録します」

「うん。お願い」

少女は道に視線を戻した。

少し歩いてみる。

土は乾いていたが、ところどころ柔らかい。靴の裏で小石が鳴る。

道端には、葉の中央だけが丸く膨らんだ植物が生えていた。

少女はしゃがんだ。

「触ったら閉じそう」

指先で葉に触れる。

何も起きない。

指を離して見ていたが、葉は開いたままだった。

「……何もしないんだ」

「閉じるところは、まだ見えていません」

少女は横目で小さな表示体を見た。

「早速それやるんだ」

「はい」

「見た目がそれっぽかっただけか」

少女はしゃがんだまま、葉の裏側をのぞいた。膨らんで見えたところは、裏から見ると浅くくぼんでいた。

少女は立ち上がる。

風が草の上を走り、少女より先に丘を越えていった。

遠い水面が一度きらりと光り、すぐ雲の影へ入る。

途中で道が二つに分かれていた。

片方は水のほうへ下っている。

もう片方は丘の裏へ回り込んでいて、先が見えない。

少女は立ち止まった。

「どっちがいいと思う?」

「目的によります」

「目的は、まだない」

「では、どちらを選ぶ根拠も不足しています」

少女は笑った。

「それもそう。じゃあ、見える範囲で違いだけ教えて」

「左は水辺へ下っています。右は丘の裏へ続いていて、その先は見えません」

少女は右の道を見た。

「じゃあ、こっち」

「分かりました」

少女は丘のほうへ進んだ。

向こう側が見えない。それだけで、先を見てみたくなった。

しばらくすると、道の脇を小さなものが横切った。

四本足に見えたが、振り返ったときには草の中へ消えていた。尻尾だけが妙に長かった気もする。

「今の見た?」

「何かが横切ったのは見えました。四本足だったかどうかまでは分かりません」

「尻尾は?」

「そこまでは」

少女は草むらをしばらく見た。

「じゃあ、分からないままでいいや」

答えのないものが一つ増えた。

少女はまた歩き出した。

隣を浮かぶ小さな表示体へ目をやる。

「あなた、便利なんだか、そうでもないんだか」

「比較対象によります」

少女はまた笑った。

胸の奥の感じは、まだあった。

少女はそのまま歩き続けた。

道は緩く下り始めた。

風が一度止む。

その静けさの中で、

かた。

小さな音がした。

少女は足を止める。

静けさの向こうで、もう一度、

かた、かた。

草の擦れる音ではない。

金属でもない。

何か薄いものが、軸の上で回っているような音だった。

少女は道の先を見た。

離れたところに、小さな人影が立っていた。

幼い女の子だった。

手に、風車を持っている。

少女の隣で、小さな表示体は何も言わなかった。

少女も、まだ呼びかけなかった。

ただ一歩だけ、そのほうへ進んだ。

── 第2章 了 ──

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