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仮想処刑

8,167 字

近未来SF・倫理サスペンス

"虚構の愛が、殺人鬼に真実の罰を下す。"

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第一章 帰責

「犯罪者をつくったのは、社会です」
社会学者の小瀬瑞穂はそう言い切った。
西日がきつい会議室には十人ほどが集まっていた。遠くから焼き芋売りの声が聞こえた。つい先日まで残暑の厳しさを嘆いていた街が、いつの間にか冬の色に変わり始めていた。

長机の中央に置かれた水差しには、誰も手を伸ばしていない。
「生まれる家庭を選べる人間はいません。親の暴力も、貧困も、育児放棄も、子供の責任ではない。それなのに、そこで形成された人格の責任だけを、成人した本人に負わせる。おかしいとは思いませんか」

向かいに座る吉田企画官が、資料を閉じた。
「では、犯罪者に責任はないと?
便利な言い方ですね」
小瀬は答えなかった。
その言葉が、胸の奥に薄く刺さっていた。
社会に責任がある。本人にも責任がある。彼女はいつも、その二つを切り分けて語ってきた。環境は人間を形づくる。だが、形づくられた人間が他者を傷つけたとき、その傷まで環境のせいにしてしまえば、被害を受けた者の痛みはどこへ行くのか。
理屈の上では、両立するはずだった。
けれど、目の前に被害者の遺族がいると、その理屈は急に薄くなる。社会の責任を説明する言葉が、加害者を庇う言い訳に聞こえてしまう。本人の責任を認める言葉が、今度は彼をそこへ追い込んだものを見えなくしてしまう。
どちらか一方を選べば、もう一方を裏切る気がした。
会議室の奥で、男が一人、手を挙げた。
「一つ、聞いてもいいですか」
遺族代表として出席していた中原涼真だった。
「うちの息子を殺した男も、家庭環境が悪かったそうです。父親に殴られて育ったと聞きました」
小瀬は中原を見た。
「そうした経験が、暴力への抵抗感を弱める場合があります」
「息子はね」
中原はそこで言葉を切った。
「息子は、あの男の家庭環境なんか知らなかったんです」
誰も口を挟まなかった。
「知らないまま、殺されたんです」
「家庭環境を確かめなかった息子が悪いんですか?
あなたは家庭内暴力を受けていますかって」
小瀬は小さくうなずいた。
人と向き合うたびに、その人がどんな家庭で育ったのかを確かめなければならない社会。それを確かめずに済む社会。自分が研究によって目指していたのは、どちらだったのだろう。

「おっしゃるとおりです」
その一言を口にした瞬間、彼女は自分の言葉があまりに軽いことに気づいた。中原の息子は、社会構造の一例として死んだのではない。一人の人間に殺された。そこには、統計にも診断名にも還元できない、取り返しのつかない選択があった。
「じゃあ、先生。社会が悪いのなら、息子は誰に殺されたんですか」
小瀬は答えようとして、口を閉じた。
加害者です、と言えば済む。人権を意識して社会です、と言えば、責任を薄めることになる。
彼女は、どちらも正しいと思っていた。
そして、どちらも正しいからこそ、答えられなかった。
佐藤補佐官が机の上の資料を揃えた。
「本日の議題に戻しましょう」
吉田が腕時計を見た。
「仮想執行制度の運用について、最終的な確認を行います」
正面のスクリーンに、制度の概要が映し出された。
佐藤が説明を始めた。
「この制度は、被執行者の反省や更生を目的とするものではありません。被害者遺族の応報感情に働きかけ、その後の心理的負担を軽減できるかを検証するものです」
「つまり、苦しめるための制度ですか」
小瀬が尋ねた。
「遺族の苦痛を軽減する制度です」
「言い換えただけでしょう」
佐藤は否定しなかった。
「遺族の中には、犯人が自分と同じ苦しみを味わえば、それで終われると考える方がいます。しかし、実際にそれを望んだ自分を責める方もいる。その両方を考慮しなければなりません」
小瀬は資料に目を落とした。
苦しめることで、苦しみから解放される人がいる。そんな説明を、彼女は研究報告の中で何度も読んできた。だが、誰かの苦痛を別の誰かの治療に使うとき、その苦痛を与える側の責任はどこに置かれるのか。
加害者に責任を負わせるための制度が、遺族のために加害者を苦しめる制度へ変わるとしたら、その境界を決めるのは誰なのか。
そして、自分は何を承認しようとしているのか。
中原が顔を上げた。
「私は、あいつに苦しんでほしいですよ」
その声は静かだった。
息子は、公園の駐車場で女の人と話していただけなんです。あいつは車に火をつけた。二人が逃げられないのを見て、笑っていたそうです」
中原は唇を噛んだ。
「人間バーベキュー、だそうです」
誰も声を出さなかった。
「あいつは、そう言って笑ったんです」
中原は小瀬を見た。
「先生。これも家庭環境のせいですか、今でもそう思っていますか、
あんな外道に人権なんてないんです」
誰も中原を見なかった。
「でもね、先生」
小瀬が顔を上げる。
「そう思っている自分が、嫌になることもあるんです」
小瀬の喉がわずかに詰まった。
その言葉は、先ほどの自分の迷いと重なっていた。社会のせいにしたくない。だが、本人だけのせいにもしたくない。罰を求める気持ちを否定したくない。だが、その気持ちを制度に預けた瞬間、自分たちは誰かを苦しめることを正当化する。
責任を問うことと、憎しみを満たすことは違うはずだった。
しかし、現実には、その二つは同じ言葉の中に混ざっている。
「それを、制度で解決できるのでしょうか」
「分かりません」
答えたのは佐藤だった。
吉田が顔をしかめた。
「佐藤君」
「検証するのは、そのためです」
小瀬はスクリーンを見つめた。
分からないまま、人を苦しめる制度を始める。分からないから検証する。その論理は、研究者としては理解できた。だが、検証される側にとっては、一度の実施が取り返しのつかない現実になる。
不確かな正しさのために、確かな苦痛を誰かに負わせる。
それを、責任ある判断と呼べるのだろうか。
スクリーンには、次の審査対象となる被執行者の記録が表示された。
男の顔写真があった。
佐藤は資料をめくった。
「本人は、犯行に至った原因として、家庭環境と社会からの孤立を挙げています」
小瀬が尋ねた。
「反省の言葉は?」
「記録上、ありません」
「遺族への謝罪は?」
「ありません」
中原は写真を見つめていた。
「この鬼畜にも、言い分があるんでしょうね」
佐藤は答えなかった。
「殺された人間には、もう何も言えないのに」
小瀬は写真の中の男を見た。
この男にも、選べなかったものがあったのかもしれない。選べたはずなのに、選ばなかった瞬間もあったのかもしれない。だが、そのどちらを認めても、殺された人間が戻ることはない。
人は、自分の過去を選べない。
それでも、自分の手で誰かを傷つける瞬間には、選択がある。
その選択を生んだものまで本人の責任にしてよいのか。けれど、選択の責任を本人から取り上げたら、被害者は誰に向かって怒ればいいのか。
小瀬は、答えのない問いを何度も胸の中で反芻した。社会が人をつくるのなら、社会はその人の罪を引き受けるべきなのか。本人が選んだのなら、その選択に至るまでのすべてを本人に背負わせてよいのか。
責任とは、罪を一人に押しつけるための言葉なのか。それとも、誰か一人に押しつけないための言葉なのか。
会議室の時計が、午後五時を告げた。
吉田が書類を引き寄せた。
「採決に移ります」
小瀬は窓の外を見た。
まだ明るかった。
街を歩く人々の姿が、小さく見えた。
その一人ひとりに、家庭があり、過去があり、誰かに教わったことと、誰にも教わらなかったことがある。
それでも、誰もが人を殺すわけではない。

── 第2章 了 ──

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