第3章 輪廻する世界/創造される世界
*
深い眠りから目覚める。夢の場所へ向かう。何も恐れることはない。自分はそこへ行くためにここまで来たのだ。確信している。時刻は1月1日の夜が明ける前の4時。妻も自然に目が覚めたようだ。「準備をして出発しよう。今なら何かができると思う。まず車を走らせてシリコンバレーに行こう」
僕たちはカリフォルニアの薄闇のハイウェイをずっと走っている。彼女は外の景色を眺め続けている。5車線の道を車が100km以上のスピードで走っている。カリフォルニアのフリーウェイと日本の高速道路ではスピードの制限が違う。アメリカのドライバーたちは自然に100kmオーバーの世界をドライブしている。そのスピード感に馴染もうとする。
朝の光が澄んだ闇の世界を少しずつ変化させていく。やがて青い空が目の前に広がりはじめる。フォルクスワーゲン・ビートルのハンドルが手に馴染みはじめる。
シリコンバレーまでのルートをスマートフォンがナビゲートしてくれている。音声にあわせてハンドルを動かす。でもそれはロジックに裏付けられた導きだ。どこをどう歩めばシリコンバレーに行けるのかスマートフォンは教えてくれる。但し、人類の行く末まで人工知能が教えてくれると思わない。
「人間が信じてきたこと、そして未来を感じるセンスは、本当は直感的なところから生まれていると思う。だから人類というのは、直感的なものを頼りに歩んできたとも思える。論理的に説明ができることというのは、神秘を論理によって人類が自分で自分のものにできた範囲のことにすぎないんじゃないかな でもそれは人間が人間をより本当に理解するということだと思うけど」
*
彼女と付き合い始めた最初の頃は、僕も彼女もおそるおそる相手に近づいた。自分が否定されるかもしれない恐怖がそこにはあったからだ。どうでもいい相手だったなら、お互いそんな恐怖は抱かずにすむ。相手に傷つけられることを恐れることもない。でも、大切だと思うから、お互いを知ろうとし、その心を理解しようとする。あらゆる民族、あらゆる宗教、あらゆる人間がおそるおそるお互いに向けて歩みよるなら、問題はそれほど多くは発生しないだろう。真実を恐れながら歩んだのなら。
僕は未来に憧れながら、同時に恐れてもいた。
コンピュータの未来は、今では人類の未来と言ってしまってもいいと思う。あるいは、人類を新しく進化させる契機になりつつある。僕はあらゆる問題の根源をあらゆる宗教の発生よりももっと以前に設定し、そこから未来を考えようとしていた。人類に起きた大きな変化を、農耕、工業化と並置して、情報化社会を捉えた学者がいたが、この10数年でその考えが本当に正しかったと感じている。そしてこれからももっと大きなイノベーションが起きるだろう。
「ある猿が2足歩行したことで手を使う自由を手に入れたのか、そもそも高い枝の上にある木の実を取ろうとして二足歩行したのか。さらに人間は道具を使うことができるようになった。その結果、脳の容積が大きくなったのか、あるいは脳が大きくなったから二足歩行できるようになったのか。因果関係は推測するしかない。でも世界中の誰の根源にも新しい発見があった」と僕は話す。「例えば僕らの会話がすべて記録されていて、100年だか200年だか遠い未来に、遺跡のように見つけられたとする。随分と知性のない会話をしていたんだなと未来の人は思うかもしれない。でも、大昔の猿だって、脳の容積を増やそう、二足歩行しようと思って意図的にそういうことができるようになったわけではないんだと思う。それは何か神様の奇跡のようなものなのだと思うよ。そして、未来の人は僕らの会話を聞きながら、それはあくまで何かの偶然の流れのようなものだったんだということを理解するのだと思う」と僕は言う。
「わたしたちは論理的に何かを判断することを教えられている。でも世界のすべてが論理的ではないということなのね」と妻は僕に尋ねる。
「おそらくそうだよ」と伝える。
「ある意味では、苦しみから逃れるために僕らは生きている。そう前に話したよね 生きることは、何かを食べることが必要だし、眠ることも必要だ。だからどこかで何かを食べなきゃならないし、寒ければその寒さを和らげるために服を着なければならない。そういうふうに人間はひとつひとつ問題を解決してきた。歴史の中で人間たちはひとつひとつの困難に打ち勝ち続けてきた。でもそういったことのすべてが論理的にだけ為されてきたわけではないと思う」
妻はそれを聞きながらずっと遠くの世界を眺めている。
僕は言う。「歴史はひとりで作られるわけではない。歴史というものを考えれば、人類の生活ははるか昔よりもずっと良くなってきている。人口も増えているし、病に苦しむことも以前よりはずっと少なくなって、長生きができるようになってきている。現代でも戦争など、課題として残っている問題はたくさんあるけれど、問題をひとりで抱えているわけではない。人類という全体で考えるということが、ある意味では本当の解決へ向かうことなんだと思う。諦めではなく、ある問題に関しては他の人が対処してくれると思えることは、争うことよりもずっと人類的な解決への近道なんじゃないだろうか」
*
シリコンバレーはサンフランシスコの隣町のサンマテオからサンノゼまでの一帯を指す。正式な地名ではない。サンフランシスコのベイエリアには半導体メーカーが集まっていて、昔からコンピュータ産業の中心地だった。アップルやグーグルはそういう場所で誕生した。そしてサンフランシスコのベイエリア一帯は、シリコンバレーという名で世界中の誰もが知る場所になっていった。世界に張り巡らされたインターネットをリードするあらゆる技術は、この場所で生まれ、世界中へ拡散し続けている。僕がこの場所を新たな聖地として思い続け、訪れてみたいと願い続けていたことの本当の理由はそういうことにある。世界中でインターネットによって大きな変化が起きているからだ。
101フリーウェイを出て、CA-85号線へ曲がっても道は車線が少し減少しただけで同じように高速道路が続いている。アメリカの町と町はフリーウェイで結ばれていて、どこへ行くにもフリーウェイを走り続けることが必要だ。101から280号線に合流し、アップルの本社があるクパチーノでフリーウェイを降りる。高速道路を降りても道は片側だけで4車線近くある。僕は大陸的な都市設計だと感心する。しばらく車を走らせるとアップルのロゴが町のいたるところにある。そしてアップルの本社であるインフィニット・ループにたどり着く。インフィニット・ループはアップルの本社の建物をぐるりと取り囲む道であり、アップルの本社の名前であり、終わることのない無限のループのことを指す。僕らはゲストと書かれた駐車場に車を停めて、無限のループを歩く。ガラス張りの大きな独特の建物がある。複数の建物が円を描くループの内側に建てられていて集積している。警備の車がこのインフィニット・ループをゆっくりと巡回し続けている。
少し興奮して写真を撮りながら妻に語りかける。
「僕らは何度もこうして無限のループを歩いているだけなのかもしれない。ずっと遠くまで来たと思ったら、それは円を描いた軌跡なだけで、いつの間にか最初の場所に戻っている」
インフィニット・ループを1周して最初のエントランスホールに戻る。世界のどこかからやってきたのだろう、観光客が写真を撮ってくれ、と僕らに言う。僕はいいですよと言うと、ちいさな子どものいる夫婦の写真を撮る。3枚ほど写真を撮りそしてカメラを返す。写真には彼らとしっかりとアップルのロゴが写っている。
僕は妻にもう一周歩こうと言う。
「人の一生は生まれて成長し、異性と出会って子どもを育てる。子どもが大きくなる頃に仕事をリタイアして年老いていく。子どももまた同じようなプロセスを辿って大人になり、そして新しい子どもを育てて死んでいく。そういう無限のプロセスであるように思える」
そう言うと彼女は「でも、そのひとつひとつのループにはそれぞれに独自の喜びや悲しみがあるでしょう」と言う。
「本当にそれらひとりひとりの人生はとても大切だと思う。そして僕らは同じところをぐるぐる回っているわけではない。新しい場所へ行き、見たことのない世界を見て、子どもたちに伝えていくことができる。僕のおじいさんが住んでいた頃の環境と僕らが住んでいる環境は違う。時にはとても悲しい気持ちになるけれど、長い歴史という視点から物事をみれば、以前よりもずっと素晴らしい世界で暮らしている。そして先祖がどれだけ願っても叶わなかった海の向こうの世界に、ちゃんと自分の足で立つこともできる」
僕はそう彼女に歩きながら話す。
「ずいぶん遠くまでやってきたように思えても、まだ結婚したばかりなんだ。自分たちがどこまでいくことができるか、確かめてみよう」
そう言うと彼女にむかって微笑む。
*
僕たちはアップルの本社、インフィニット・ループから歩いてどこか朝食を食べることができるところを探す。サンフランシスコと比べて、街はとても清潔で人々はその静かな世界で未来をみつめているようだ。僕たちはドーナツショップの扉を開ける。小さなドーナツ屋だ。カウンターには様々なドーナツが並んでいる。ドーナツとホットコーヒーを注文すると、座席に座り、静かにドーナツを食べる。
「世界にはサンフランシスコのような中心的な都市があり、その真ん中はドーナツのように空洞になっている。街の中心は人々が働くオフィスになり、人々はその住処を郊外へ求めて広がっていった。東京も大阪もそうだ。あらゆるものが中心に集まると、その価値が高くなり人口密度が多くなりすぎて、人が住む環境ではなくなってしまう」
ドーナツを齧ると、ドーナツはその中心の空洞とともに消えてしまう。ドーナツの中心にはかつて何かがあったのだろうか?
妻は「でもサンフランシスコも東京も素敵な街よ。あらゆるものが集まっている」と言う。
僕は「もちろん。たったひとつの正解があるわけではない」と言う。「ただ現象として都市はドーナツ化していった。もしこれから100年、200年の時間が過ぎたとする。都市はどうなっているだろう」
僕は妻にそう質問する。
「そんなことわかるわけないわよ」と妻は言う。店内に新しい客が「ハッピーニューイヤー」と言いながら入ってくる。誰もが親しそうに話している。
僕は「中心にいる人は、そりゃ儲かるのだと思う。でも長い歴史的な目をそういう人たちは持っているだろうか? そういうことはちょっと信じられない。だって放っておけば、あらゆる人が中心にやってきて、そしてなんでもないことのようにお金を落としてくれるんだ。世界の未来なんてきっと考えてくれはしないよ」
僕は悲観的に話す。「でもどこかで誰かがそういうことに気づいているんじゃない」と妻は言う。
「もちろんそう思っているよ」と妻に話す。「アップルやグーグルは世界でも有数の最先端の企業だ。そして彼らはサンフランシスコ市内ではなく、郊外で新しい世界の中心を作っているんだ」
*
クパチーノは人口5万人ほどの町だ。それほど大きな町ではない。でもアップルの本社があることでシリコンバレーの心臓部と言う人もいる。日本人もかなり住んでいて周囲には日本食を食べることができるレストランや100円ショップがある。1月1日は、インフィニット・ループにあるアップルのカンパニーストアは開いていない。だから僕たちは雰囲気を感じるだけだ。でも町はサンフランシスコと比べると田舎だけれど穏やかな静けさと、町を歩いている人たちのリラックスした雰囲気や、ジョギングしている人々の姿がある。走る姿を見ると僕も走らなければと思う。誰かが走っている姿は人を勇気づける。人々の生活がしっかりと存在し、誇りを持って働くことのできる仕事があり、人々はバランスのとれた生活をしている。町の人々は時々はサンフランシスコのような刺激的な都市へ行って朝まで酒を飲みながら騒いだりするようなことがあるのかもしれない。でも人間が本来持っている直感的な感性を論理的なプログラムやデザインにして人々に伝えるしっかりとしたバランスを保ち続けるには、町自体にきっと均衡が必要なのだろう。
僕はインターネット上で、シリコンバレーに住む人々の楽しみがクラブで享楽的に踊ったりすることではなく、野山を歩き、バーベキューをし、ジョギングをすることだと知った。コンピューターに向かって何万行のロジックと向き合う彼らにとって、本当に心を癒すのはきっと自然の中で家族と過ごすひと時や、静かな町を走り続けることなのだろう。
僕たちは次の目的地としてグーグルの本社であるグーグルプレックスがあるマウンテンビューへ向かう。アップルの本社があるインフィニット・ループから車で15分程度のところにグーグルの本社はある。世界でも有数の企業は隣り合わせた町にある。もちろんシリコンバレーに企業が集まっていることを知っていたけれど、実際にそういうひとつひとつの企業を訪れてみると、そのあまりの距離の近さに驚いてしまう。
グーグルプレックスに近づくとクパチーノでもそうだったようにあちらこちらにグーグルの看板がみえる。グーグルプレックスとはある意味ではひとつの町が作れるぐらいの巨大な建築群なのだ。
僕たちはグーグルプレックスの中心地であろう場所に車を停め、グーグルのロゴを背景に写真を撮る。アンドロイドの人形が飾ってあって大学のような建物がグーグルの本社であることを示している。僕たちはグーグルプレックスを歩きながら話す。
「誰が最初にこんなふうに自然の中に働く場所をつくり始めたのかわからない。ナイキも自分たちのオフィスをキャンパスと呼び、アップルやグーグルもそう呼んでいる。ある意味では大都市に摩天楼のようにそびえ立つオフィスは、もう昔のものなんだ。1900年代から1950年代にかけてニューヨークで巨大なビル群にオフィスが集まり、僕たちがメガロポリスと呼ぶようになった世界の中心は生まれた。世界中でニューヨークをモデルとした巨大都市が建設され、大きな発展とともに人々がそれぞれの中心へ運ばれていった。成功したモデルはある意味ではモデルケースになり、さらに世界中へ拡散していく。だからもし巨大な大都市での成功を考えた時、ある意味ではそれは1900年代からはじまった20世紀型の成功を模倣しようとする行為であると言える」
グーグルプレックスは3階か4階ぐらいの高さしかない。見上げると窓ガラスの向こうに薄っすらとアップルのパワーマックG4がみえる。随分むかしに憧れたマッキントッシュだ。そしてそのマシンはグーグルの本社で今でも使用されている。
妻は僕の話を聞きながら何かを考えているようだ。彼女が静かに僕の話を聞いている時は、話に耳を傾け、言葉がさらに生まれることを待っている時だ。だから落ち葉が敷き詰められたグーグルプレックスの遊歩道を歩きながら僕は話を続ける。まるで大学で将来のことについて語り合う恋人同士のように。
「人類の歴史はとどまることを知らない。農耕が誕生した時、人々は村を作った。工業化に成功した時、巨大な大都市を作った。そして情報化社会は巨大であることのその中身を変えて、ある意味ではバランスのとれた町を作ろうとしている。誰もが天高い摩天楼を望んでいるわけではない。もちろん僕は考えてきた。原理的にビルのように人々が集積する建築を作ることのほうが正しいのか、自然にとけこむ建築を作るほうが正しいのか。20世紀の最初にはとにかく高いビルに人々を集めることが儲かることであり、正しいことだった。今でもある意味ではその高さを競い合うような建築は存在する。機能が集中すると地価もあがるし、そこには価値が生まれる。でも都市の機能が集中しすぎると機能は麻痺していく。そしてそういった機能は本当に100年、1000年という長い時間の経過に耐えることができるモデルなんだろうか。人々が集中してしまうことで、大きなお金が動くことはわかる。でも交通渋滞は起きるし、朝のラッシュアワーで人々は働く前に疲れてしまう。誰もがとても苦しい通勤のようなものに修行僧のように耐えている。目の前にある現実を少しでも変えようとしている人たちもいるけれど、20世紀が産み出したスタイルに対して自分たちの新しい世界をまだ生み出そうとしている途中なんだろうね。自分の頭でしっかりと考えて、本当に必要なことや、どうすれば自分が幸せを感じながらより良い社会をつくりあげ、素晴らしい未来を生み出せるのか、誰もが探っている最中なんだ」
そう妻に語りかける。妻はグーグルプレックスの景色を眺めながら、「河が流れている」と言う。グーグルの中には河が流れていて、自然のままの姿でリスがこちらをみている。その小さいリスは両手両足を同時に動かしながらひょこひょこと小さいジャンプを繰り返し、そして顔をあげてこちらをみる。
「オフィスにリスがいるなんて」
彼女は驚いているようだ。僕たちはリスの写真を撮ろうとする。でもきっとリスは野生のリスなのだ。グーグルの中にいながら、人に慣れていない。
「熊だっているかもしれない」そう僕は冗談を言う。
グーグルの中を流れている河はとても小さいものだ。けれどその河には橋がかかっていて向こうのオフィスと繋がっている。僕たちはその河を渡り、大きく深呼吸をすると、なんて素敵な場所なのだと思う。
「グーグルがどこまで考えてこういうことをしているのかはわからない。そしてそれがどれぐらい正しいことなのかは、きっと歴史というものを通じてしかわからない。彼らは正しかったと言うことができるのは、ずっと後のことなんだ。直感的にだろうと、論理的にだろうとそれぞれが感じる答えは、本当の意味ではすぐには証明されることはない。でも自分たちで正しいと思う未来を創り上げることはできる。僕はよくお寺へお参りする。寺というのはかつては小さな町の中心だった。何もない自然の場所に寺ができて人々が集まり、門前町ができた。町の形成というのは、いつも何か人々が魅力を感じる特別な場所から生まれる。そしてその特別な場所に人々が集まり、暮らしを作り、そうしてひとつひとつの町が生まれてきた。誰もがどこかの町で生まれる。それはひとりひとり違う。もしニューヨークで生まれたなら、ニューヨークで生まれたことを誇りに思うだろう。もし東京で生まれたなら、東京で生まれたことを誇りに思うだろう。もし田舎の小さな町で生まれたとしたなら、きっとそういうことを誇りに思えないかもしれない。でもたとえどこで生まれたとしても、自分の故郷を愛するということを僕は特別なことだと思う」
彼女はベンチに座り、僕もベンチに座る。グーグルプレックスの中には河も流れているし、まるで公園のようにベンチもある。そこで彼女はようやく口を開く。
「わたしはわたしが生まれた家が好きだった。もちろん今でも好き。そこには家族がいて、兄や姉がいて、小さい頃に過ごした学校や公園があって、小さなスーパーがあって。でもわたしは大学で東京へ行った。正確には大学が東京で、住居は神奈川県だけれど。でもそういうふうに生まれた土地を少し離れても、新しい場所も好きだった。でもあなたの故郷にやってきて少し苦しかった。それはわたしが過ごしてきた町ではないし、わたしが愛してきた町でもない。でもあなたがいるからわたしはあなたの町に住んでいる。わたしにとって自分が住む場所というのは、巨大な大都市の摩天楼を目指すことでもないし、自然と超技術があわさったバランスを求めることでもない。愛する人とゆっくりと時間を過ごす、そういう町なの。それはきっとどこでもいい。あなたがいることが大切で、そこに自分がしっかりと馴染むことができたらと思うだけ。もちろん、時々はこんなふうに世界のあらゆる場所へ旅をしてみたい。見知らぬ人々と言葉を交わし、世界がどういうふうにできているのか理解したい。美しい景色を眺め、美味しい料理を食べて、自分が今、実際に生きているということの喜びを感じたい。でも本当に求めているのは、自分がかつて過ごしていたような愛のある自分の場所を持つことなの。わたしが求めているのはぐっすり眠ることができて、自分が世界から祝福されていると思うことができる自分たちのための場所」
僕は妻の言葉を聞いて何かを深く動かされる。確かにクパチーノやマウンテンビューに調和がとれた新しい世界の原型がある。でも僕はコンピュータの技術者ではないし、天高くそびえる塔や、美しい大学のようなキャンパスを求めているわけではない。未来を考えたかったのだ。
でもそれぞれの人が自分が誇りに思うことができるそれぞれの正しさがある。色んなことを考えながらどこかではそういうことを忘れていたのかもしれない。
「僕たちはこの巨大な世界のそして長い歴史の中で自分たちが過ごすその美しい場所を見つけなければならないのだろう。それが自分たちの新しい故郷になる」そう僕は言う。
*
スーパー・マーケットに寄って惣菜やサンドイッチを買ってお腹をふくらませると、次の目的地、スタンフォード大学へ向かう。僕にとってはアップルやグーグルをみることがこの旅の目的だった。だからスタンフォード大学に寄ることは、ついでという程度の目的でしかない。
スタンフォード大学は1886年に建設された。まだこの一帯がシリコンバレーと呼ばれていない時代のことだ。当時のカリフォルニア州知事であったリーランド・スタンフォードが早逝した自分の息子の名前を残すために設立した大学だ。
僕たちは駐車場にビートルを停めると、キャンパスを散策しはじめる。
太陽がまるで神聖な教会を輝かせようとするように世界を照らしている。歴史がある建築は、時を超えて輝きに照らされている。アメリカは世界の歴史でも新しい国家だと言うけれど、1886年から続く大学には充分な歴史がある。そして建物と建物の間にはしっかりとした道が整備されていて、美しい芝生がどこまでも広がっている。赤い屋根の建物がスタンフォード大学の特徴だ。敷地の巨大さはもちろん、アップルやグーグルの本社よりも広い。もちろん1月1日にスタンフォードを訪れる人はそれほど多くない。図書館も閉まっている。でもスタンフォード大学の中の教会や、購買部は開いている。僕たちは購買部へ行ってスタンフォードの学生がどんな本を読んでいるか確かめようと話す。そして大学の中を歩きはじめる。
驚いたのはその美しい建物群の中にある巨大な芝生の広場だ。冬なのにとても暖かい風が吹いていて、家族連れがその美しい芝生でピクニックをしている。スタンフォードの校訓は自由の風が吹くといったものだけれど、人々が本当の自由を求めてここで学びその自由の風を生み出そうとしているのだと思う。
この場所には、サンフランシスコ市内にあった闇がない。光しかないのだ。アジア系の人間もキャンパス内でちらほら見かけるし、ここにある光はアメリカの白人のためだけのものではない。あらゆる人に吹く自由な風。それは太陽がそうであるように、本当にあらゆる人の為のものだ。
求めてきた夢のような場所はここにあって、そして新しい風を世界中に届けようとしている。それは争いのない世界だ。それは愛がある世界だ。それは歴史を讃える歌だ。そしてそれは優しい家庭のように満ち足りた世界だ。
僕たちは歩きながら、美しい回廊をみつける。僕は妻をそこに立たせると写真を1枚撮る。まるでアユタヤの寺院で撮影したように神秘的だ。正しい場所では光が美しいアートのように輝いている。
僕たちは目的地であるスタンフォード大学の購買で本棚を眺め続ける。でもそれらはすべて英語で、いったいどれが価値があるものかわからない。きっと学生たちは熱心に本を読んでいるのだろう。
またしても僕は自分の目的地ではなく、その途中で美しいものを見つけたのだと思う。ひょっとするとどんなことにもそういうことがあるのかもしれない。自分がゴールだと思っていた場所ではなく、その途中に本当に美しいものがある。だとすれば、きっと人類の未来がどこへいくのだとしても、きっとその場所へ目指すひとりひとりの姿に本当の美しさはあるのだろう。
自分もそんなひとりなのだと思う。妻もそうだ。そして自分たちにもし息子や娘が生まれるなら、彼らだってそうだろう。
僕たちは人類の末裔で、新しい世界を求めて世界中を旅する。あるいは様々な書物から世界の神秘を探ろうとする。美しい音楽を求めてどこまでも深く潜っていく。海の底や空の雲間や、虹の彼方を目指していく。でも最終的な目的地よりも、その場所を目指し、長い困難にうち勝ち続けてきたことに、本当の美しさがある。
今も机に向かって世界を変えようと学び続けているひとりひとりの人々に祝福をと思う。あらゆる世界の人々が今も少しずつ何かを動かしていて、そのひとつひとつが尊いと思う。
僕は妻に向かっていう。「アップルもグーグルもとても素晴らしい。でも彼らが自分のオフィスをキャンパスと呼ぶ理由がわかっていなかったと思う。世界中の大学で、学生たちが自分たちの夢を描いて、一心不乱に何かを成そうとしているその姿がみえる。それはなんて美しいのだろう。そしてオフィスをキャンパスと呼ぶ企業は、仕事をすることできっと何かをみつけようとしているんだ」
僕たちは芝生に座り、話をはじめる。
妻は「あなただってきっと何かをずっと願ってきたのよ。そして今もどこかへ向けて何かを願っている。誰の心にも祈りや願いがあり、自分の夢を叶えようとしている。あなたはひとりではここへ来たいと思わなかった。自分ひとりでは感じても仕方がないことが、ここにあったから」
妻の言葉を聴きながら「そうだね。いつか僕たちの子どもや、僕たちの子孫が、わからないけれど、彼らがいつかこの美しい場所へやってきて、自分の中にある輝きを手に、今よりももっと美しい世界を作り上げていくのだと思う。そして僕はひとりではそういう子どもを産むことはできない」と返事をする。
僕の中にある美しい場所。サンフランシスコもシリコンバレーもスタンフォード大学も実際に存在する場所だ。でも感じたことは、そういう世界のひとつひとつが自分と繋がっていて、世界を良いほうにも悪いほうにもみせるということだ。自分の心の中には闇もあって、そこではお前は堕ちてしまわないのかと、負けてしまうことを待ち望んでいる者もいる。でもそういう闇に打ち勝って、この素晴らしい場所へやってきた。
誰もが心の中に闇を宿す。でもいつかそこには光が生まれる。そしてすべての闇夜をなくすように太陽が輝きはじめる。誰もが太陽に照らされている。
*
ホテルへ向けてビートルを走らせる。フリーウェイはまるで対称的な別の世界を作り上げている。しかしだからこそ道を走っていて、自分たちの世界がみえる。違いについて考えることが自分たちの世界を照らすことにもなる。
なぜ言葉が違うのか。なぜ道が違うのか。なぜ左ハンドルなのか。僕はコンピュータについても学んでいる。だからある程度、推測ができる。コンピュータの心臓部にはCPUがあり、人間の思考を上回るスピードで0と1の2進数の処理を行うことができる。もしコンピュータが話している言語があるとするなら、それは光の明滅だ。そういった明滅を処理する言語として機械語があり、さらにその機械語に対して人間が命令を行うことができるコンピュータ言語の存在がある。本質的には一般的なコンピュータはそういう仕組みになっている。人間と機械のコミュニケーションを可能にする言語にはレイヤーがあって、人間が機械に対して話す言葉は違っても、コンピュータは本質的には0と1の計算を行っているだけだ。
僕が知る限りにおいて、人間の言語もコンピュータの言語もどこまでも増えてしまうということはない。一定の人々が自分の言語を話すようになる。もちろんなかには複数のコンピュータ言語を使用する人も、バイリンガルもいる。でもそれらの言語は何かひとつの言語に統一されてしまうことはない。
言葉は生きている。言葉は生命が生き延びようとするように生きている。それぞれの言葉はそれぞれの特徴をもっている。コンピュータ言語がそうであるようにそれぞれの生態系を生みだしている。
コンピュータ言語は、ひとつひとつの言語にそれぞれ目的に併せて有利、不利がある。ある目的のためには最適なコンピュータ言語がある一方で、多くの人にとってコンピュータを理解するための言語もある。コンピュータ言語は、進化していて次々に絡み合い、新しい言語を生みだしている。
自然言語の歴史はもっと深い。言語はそれぞれの心と繋がっている。もちろん滅びていく言語もある。しかし言葉は歴史と繋がっていて、さらに多様な変化を生み出し続けている。それらは混じり合うこともあれば、それぞれの主張を生み出すこともある。まるで人間そのもののように。
あらゆる言葉がどんな世界を作り出していくのか。そのすべてはわからない。でもきっとそれぞれの言語にその魂の在り処は存在し、僕たちを新しい世界へと連れていこうとしている。
右ハンドルと左ハンドルの違いもそうだ。それらは対立することなくそれぞれの文化が生み出す違いなのだ。
ふいに日本から持ってきていたをオーディオにセットし、音楽を鳴らす。何度も繰り返し聴いた音楽。そのアルバムのタイトルは世界のどこかにある不思議な樹をモチーフにしている。
世界のどこかに、あるいは地球のどこかに、時を超えてそびえたつ魂の樹があって、自分たちはそんな樹の一部なのだろうと思う。
それはとても高い樹だ。深い根は大地の隅々にまでいきわたっている。幹は太く、大きな枝が何本もある。鳥たちはそんな樹のまわりを飛ぶと、やがてはその樹に戻る。雨が降る時もある。風が吹く時もある。でも雲を突き抜けるように樹は太陽を目指してその幹をのばしていく。光を求めて、少しずつ成長していく。
太陽に届くまでには何千年もの時間が必要なのかもしれない。あらゆる魂はそこに集い、1本の樹は、やがてはおびただしい数の樹木となって、巨大な森を作り上げる。
フリーウェイを走りながら、妻にそんな樹のことを語りかける。
「とても巨大な樹がある。樹は人間よりももっと寿命が長い。何千年という時の中で彼らは生きている。僕たちの言葉は、その幹であり、葉であり、花なんだ」
妻は「不思議な話ね」と言う。
「本当にその樹はあるんだ。そう感じられる。どこにあるのか僕にはわからない。でも魂が感じている。自分もその一部なんだって。きみだってその樹の一部なんだよ」
妻は僕の話を聴くと、静かに想像をはじめる。
「もしとてつもない生命があるとしたら、それは樹なのかもしれない。そしてわたしたちはそういう樹でもあるのかもしれない。でもそれはきっとわたしたちがかつてそういう樹や森の中で育ったから生まれる想像なのではないかしら」
「あるいはそうかもしれない。あらゆる生命を樹に喩えているだけなのかもしれない。もちろん樹はとても僕を惹きつける。でも同じように海だって僕を惹きつける。あの空もそうだ」
美しい太陽が世界をオレンジ色に染めようとしている。今日という1日はもうすぐ終わろうとしている。でもまた明日になれば陽はのぼる。そういうことを当たり前だとはもう思えない。とても深い感謝の念を覚える。
「こうして話しているととてつもなく大きな樹や、森、そして海をみたいと思う。そして太陽を感じていたい。樹や森や海に祈りを捧げたい。僕たちの言葉はきっとそれらを讃える美しい風だ」
*
祈りを捧げながら自分たちで調理した食事をホテルで食べる。そしてスーパー・マーケットで買ったワインを飲みながら話す。
「自分たちがどこまで行くことができるのか。可能性というものは年齢に関係なく広がっている。でも僕は君のおかげで勇気を持ち、こういう旅ができている。そのことにもちろん感謝したい」
僕がそう言うと「わたしだって感謝している。海の向こうへ行くことができるなんて思ってもいなかったから」
ベッドで愛を交わす。いつもふたりの心が重なってひとつの夢を思い描くわけではない。でもその時は自分たちが深く重なっていることを感じる。静かな儀式が終わると、僕たちは深い眠りの中へ入っていく。
夢の中で無限の廻廊を歩き続けている。柱には工芸的な細工がされていて、どこまでも続く道の外側を支えている。道を踏み外すととてつもない高さから落ちることになるだろう。塔の外壁に廻廊は続いていて、螺旋を描くように頂上へ向かうことができる。でもその周囲は崖になっていて孤立している。そういうことがわかっている。でも頂上へ近づけば近づくほど道はどんどん狭くなってきている。人が5人は横並びで歩くことができた道は、廻廊を歩き続け螺旋を辿っていくとずっと狭くなってくる。足を踏み外して奈落の底へ落ちてしまいそうだ。でも塔を何度も周回するたびに以前よりも高い場所へ近づくことができている。頂上には何があるだろう 僕は自分がかろうじて通れる道を歩きながら、より高みを目指している。道はやがて半身になりながら、なんとか通れるだけの細さになってしまう。1歩ずつゆっくりと足を動かす。足元の地面は今にも崩れ落ちそうだ。自分が空にも届きそうなとんでもない高い場所へいることを感じる。後ろを振りかえることはできない。下をみることもできない。そしてその高さで足を踏み外しそうになる。
でもそのすぐ脇に塔の内部への入り口があって、不思議な力に導かれて中へ入ることができる。
古代の塔だと思っていたその塔は、中へ入ると導くように白い閃光が次々に光る。その光に導かれるように中へ入っていく。
ここはどこだ 僕にはまだわからない。
無数の部屋が円をなすように広がっている。導く光はあるひとつの部屋へ僕を案内する。
部屋に人影がある。不思議な光が彼を包んでいる。その姿をみようとする。でも顔は隠されていて、誰なのかわからない。
「何もない空間を想像しよう」
彼は言葉なく語りかける。
僕と彼だけがいて、周囲は何もない真っ白な空間になる。
「この白い空間で、君が望むものをいくつも思い浮かべよう」
僕は妻を思い浮かべる。
彼は「ほかには」と言う。
僕はキッチンやベッドを思い浮かべる。ひょっとすると子どもたちの部屋も必要かもしれない。オフィスも必要だ。そして自分にとって大切なコンピュータを思いうかべる。
「君が大切にしているものは、それだけかね」
僕は自分の想像が、まだ自分の周囲にしかないことを感じる。
「この広い空間ではどんなことも可能だ。巨大な樹や美しい河や、宇宙の星々を描きだすこともできる。イメージをみせよう」
彼がそう言うと世界が一変する。
最初は草原がどこまでも広がっている。そこに白い絨毯がひかれていて、彼は中心で瞑想している。
どんなものがわたしに必要か。自分に対する想像力を拡大していく。
風に揺れる草原が広がっている。海から雲が生まれ、星が大気に包まれる。静かな雨が何百年も降り続ける。大地にそよぐ草はやがて幾つもの森になる。雨の跡を辿って河が生まれる。海の中に小さな生命体が誕生する。海の中の生き物と大地にそよぐ樹。それらは根源的にはお互いを必要としている。
やがて海の生き物が陸にあがる。森はどこまでも広がり続ける。
ひとつひとつが輝いていて、様々な形に変化を続ける。それはまるで歴史をもの凄いスピードで再生しているような世界だ。風が強く吹き続けている。雲の変化を目で追うことができない。太陽は空に昇り、そして沈む。それは一筋の光の線を描いている。あらゆる生命が太陽を目指して生きている。生命は時間の中で生まれ、そして死に、また生まれる。
あらゆる因果がそこでは解けている。あらゆる悲しみが消滅している。生きている喜びが一瞬の光になる。
それは1本の巨大な樹のようにもみえる。大きな星の一生のようにも思える。大地がうねるように変化している。海の形があっという間に変わってしまう。氷河が世界を覆っていたかと思えば、氷が溶けて鮮やかな緑が広がる。無数の建物が新しく天へ向けてのびたかと思うと、あっという間に風に吹かれて塵となり、崩れてしまう。でも緑はどこまでも大地とともに広がっていく。
彼は自分のヴィジョンをみせている。
「ヴィジョンを広げることができる人間は、数少ない。それは空を飛ぶことに似ている。生まれた世界の常識を持って飛ぶことは難しい。そこでは過去を新しく塗りかえる力が試されるからだ」
彼は静かに話す。そして再び元の真っ白な空間へ世界を戻す。
僕は「みえる時にしかみえないのです」と彼に言う。
彼は首をふると「もっとみえるようになる」と僕に言う。
そして「もしみえたとしても、そのみえたものを本当にこの世界に現出させることの難しさを知りなさい」と囁く。
目覚めるとここがどこかわからなかった。心臓はとてつもないはやさで脈をうっていた。冷や汗をかいた身体は冷たくなっている。隣では妻が静かに寝息をたてている。ここはいつもと同じ場所ではない。ベッドは自宅のベッドよりもずっと大きいし、空調システムが部屋を適温に保ってくれている。落ち着いた木製の家具が静かに沈黙している。
まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。