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ひとりぼっちの空

hat47x

53,113 字

幻想的内省小説

"見えない水に包まれて、私は虹色の世界を歩き出す。"

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第3話 きれい、でも眩しい

少女が近づくと、女の子は顔を上げた。

手に持った風車が、かた、と鳴った。

風はさっきまで止まっていたはずなのに、薄い羽根だけが一度回り、また止まる。

少女も足を止めた。

驚かせないよう、声を落とした。

「それ、風車かな?」

女の子はうなずいた。

少女は止まった羽根を見た。

「回るところ、見てみたいな」

女の子は風車を高く掲げた。

ちょうどそこへ風が戻ってきた。

かたかたかた、と忙しく回る。

「回った」

少女が笑うと、女の子は回る風車を見上げ、それから少女を見た。かすかに笑ったように見えた。

小さな表示体は少女の肩より少し高いところに浮かんでいたが、何も言わなかった。

道は女の子の立っているところから先へ続いている。

丘の向こうから、低い光が差していた。

「向こう、一緒に行ってみる?」

女の子は道の先を見て、それから少女を見た。うなずくまでに、ひと呼吸ぶん間があった。

風車を持った手で道の先を示し、自分から一歩踏み出した。

少女はその一歩に合わせて歩き出した。

最初は、腕を伸ばしても届かないくらいの距離があった。

女の子は少女よりゆっくり歩いた。少女も半歩ぶん、歩幅をゆるめた。

道は細くなり、両側に草が増えた。

風が通るたび、風車が回る。

かたかた。

止まる。

また、かた。

女の子は、ときどき道の右端へ寄った。そこへ行くと、止まっていた羽根がまた回った。

「こっち、よく回る」

少女もそちらへ寄ってみた。草の先が靴に触れた。

歩くうち、女の子の手が少女の手のそばまで寄った。

触れそうになって、一度離れる。

また近づく。

少女は手のひらを開いたままにした。

女の子はその手を見てから、指を重ねた。

少女も、軽く握った。

二人は、その歩幅のまま丘へ向かった。

丘を越えると、急に視界が広がった。

あぜ道の先に、海があった。

日はかなり低くなっている。

大きな夕日が、水面近くまで降りていた。

雲の下だけが赤かった。海の上では、波の向きが変わるたびに赤い光の筋が短く現れては消えた。近くでは一本ずつ見え、遠くでは細い帯になっていた。

田のあいだを抜けてきた風は昼より冷たく、頬を通ると、女の子の風車が勢いよく回った。

二人とも何も言わず、そのまま歩いた。

少女は夕日を見た。

「きれいだね」

女の子もうなずいた。

「うん。でも眩しい」

そう言って、顔を横へ向けた。

女の子が「うん」と答えたとき、少女は嬉しかった。

そのあとに「でも」が続いた。

ほんの少し、残念だった。

少女はうなずきかけたまま、女の子の横顔を見た。

「眩しくても、きれいなのは――」

言いかけて、少女ももう一度夕日を見た。

目を細めると、赤い光がまつ毛のあいだで細く揺れた。

「……ほんとだ。眩しいね」

女の子は小さくうなずいた。

風車を高く持ち上げた。

風車の影が、女の子の頬を横切った。羽根が回るたび、目元に赤い光が戻った。

風車は赤い空を背にして回っていた。

二人はそのまま歩いた。

日はさらに低くなった。

さっきより光が横から入るようになり、女の子はもう顔をそむけていなかった。

少女は隣を見た。

「まだ、ちょっと眩しい?」

返事を待つあいだに、胸の奥に、窮屈な感じが戻ってきた。

朝から、息を吸うと少し遅れて動いていたあたりに近い気がした。けれど、同じものかどうかは分からない。

少女はひと息吸ってみた。

窮屈さはある。それでも、息は通る。

そのまま、女の子の方を見た。

女の子はしばらく夕日の方を見てから、少女の手を握り直した。

「また、一緒に歩きたいな」と少女は言った。

今度は女の子が少女を見た。

「うん」

風が吹いた。

かたかた、と風車が鳴る。

窮屈さは、まだ消えていなかった。

女の子の指が、握った手の中で小さく動いた。重なった指の端に、赤い光が透けていた。

少女の口元が、先にゆるんだ。

「……嬉しい」

小さく言ってみると、息がさっきより深く入った。

女の子も、もう一度うなずいた。

日が海の向こうへ沈み始めた。

女の子が、つないだ手を引いた。

*

帰り道は、思ったより早く暗くなった。

足元は見える。

けれど、歩くうちに、女の子の輪郭はもう夕方ほどはっきり見えなくなった。

その代わり、風が来るたびに、

かた。

ひと呼吸置いて、

かたかた。

風車の音がした。

二人はその音を連れて、しばらく歩いた。

小さな家が見えてきた。

窓の向こうに灯りがある。

女の子はそこで手を離した。

「ここがおうち?」

「うん」

少女は家を見た。

誰かがいるのか、どんな家なのか、外からはよく分からない。

女の子は玄関の前まで行って、振り返った。

風車を持ち上げる。

ちょうど細い風が道を抜け、かた、と一度だけ鳴った。

少女も手を上げた。

「またね」

もう一言、何かが喉元まで来た。

女の子はもう扉へ手をかけている。

少女は手を上げたまま、言葉を足さなかった。

女の子は何も言わず、扉の向こうへ入っていった。

少女は扉が閉じるまで見ていた。

つないでいたほうの手を開く。

指の間に、さっきまでの温度がまだ残っていた。

家の窓には、まだ灯りがついていた。

「さっきのこと、残しておいて」

小さな表示体が近くへ来た。

「記録します」

「うん」

少女は家をもう一度見た。

風は吹いていたが、風車の音はもうしなかった。

次に目を開けると、机の明かりが戻っていた。

少女はすぐには立たず、両手を膝の上に置いたまま、しばらく座っていた。

*

翌日の午後、少女は授業の終わりにノートを閉じた。

チャイムが鳴ると、教室に椅子を引く音と話し声が戻った。友人に声をかけられ、少女も振り向いて返事をした。

そのとき、左手の指がふと開いた。

昨日、女の子とつないだ手だった。

少女は手のひらを見た。

手のひらには、昨日の温かさはもう残っていない。それでも、胸の奥では、何かがまだ続いているようだった。

「……何だろ」

少女は手を膝の上へ戻し、友人の話の続きを聞いた。

次の授業が始まるころには、その感じはいったん薄れていた。

放課後、教科書を鞄へ入れたところで、同じ感じが、もう一度胸の奥に戻ってきた。

少女はふと顔を上げた。

声がしたわけではない。それでも、誰かに名前を呼ばれて、まだ振り向いていないときのようだった。

教室にはいつもの話し声があり、窓の向こうでは、薄い雲がゆっくり流れていた。

昨日の風車の、かた、という音がふと耳に戻った。

少女は鞄のファスナーを閉じた。

「帰ったら、少し見てみようかな」

家に帰ると、鞄を机の脇へ置き、手を洗って部屋着に着替えた。肩を回すと、首の付け根が思っていたよりこわばっていた。

夕食を食べ、宿題を終える。消しゴムのかすを集めて捨て、ノートと筆箱を片づけると、机の上が急に広くなった。

湯を沸かし、カップを両手で包む。ひと口飲んで息を吐くと、肩が下がった。もう一度息をすると、胸とお腹が一緒に動いた。学校で聞いていた話し声や椅子の音も、いつの間にか遠くなっていた。

少女は机の前に座った。

まだ本を読む時間はあった。しおりを挟んだ本に手を伸ばし、表紙に指をかける。

開く前に、昼間にあった、まだ振り向いていないような感じが胸の奥へ戻ってきた。

少女はしばらく本に手を置いたままにして、それから机の端へ寄せた。

「今日は、何かあるかな」

椅子の背に寄りかかると、ふっと息が抜けた。

目を閉じてから、しばらく何も浮かばなかった。

それでも、すぐには目を開けなかった。

かた。

小さな音がした。

明るい部屋が見えてきた。中央に机が一つあった。

その上に、薄い紙の束が置かれていた。淡いクリーム色で、何も書かれていない。

少女は紙の束の前まで行き、手を伸ばした。

触れる手前で、指が止まった。

「……触ってもいい?」

紙の束は動かなかった。

少女はいったん手を引いた。

昨日、女の子がうなずくまでにあった短い間が、ふと戻った。

「じゃあ、ちょっとここにいるね」

しばらくすると、いちばん上の紙の端がわずかに持ち上がった。少女が見ていると、端はさらにこちらへ伸び、爪の先へ軽く触れた。

少女は目を細めた。

「……一枚、いい?」

指を差し入れ、めくった。

紙の上には何も書かれていなかった。

その代わり、ページの奥が一瞬だけ深くなり、黒い煙が吹き出した。煙の中から、首の多い蛇のようなものや、角や翼のついた形がいくつか飛び出す。少女が身を引くより早く、それらは部屋の端へ散り、そのまま消えた。

少女は紙の束を見た。ページは破れても、焦げてもいない。

「……おどかしたかったの?」

返事の代わりのように、いちばん上の紙の端がまたわずかに持ち上がった。

「まだ、あるの?」

紙の端が、さらに持ち上がった。

少女は笑いながら指を差し入れた。

「じゃあ、もう一枚」

そのまま、紙をめくった。

二頭の白馬に引かれた馬車が飛び出した。続いて、白い鎧をまとった騎士が馬車から降りてきて、少女へぺこりと頭を下げた。頭から足まで鎧に包まれているのに、動きは妙に軽かった。

「さっきの魔物を追いかけるの?」

騎士は馬車を指し、少女へ大きく手招きした。

「さあ、行こう」

「私も?」

少女は馬車のほうへ一歩寄りかけた。

紙が動いた。

ぱら。

ぱらぱらぱら。

「待って」

少女は紙から手を離した。それでも、ページは勝手にめくれていった。馬車も騎士も白い紙の奥へ吸い込まれ、最後に騎士が一度だけ手を上げ、そのまま消えた。

その音が止まったとき、薄かった紙の束は、大きな白い本になっていた。

少女が両腕で抱えるほど大きかった。表紙の一部に、暗い角ばった模様が浮いている。

少女は白い紙の重なりを指でなぞった。どこまで読めば、この本は終わるのだろう。

持ち上げてもいないのに、胸がずしりと重くなった。息を吸うたび、本の重さまで胸にのしかかるようだった。

「これは……けっこう重い」

表紙の暗い模様が広がり、二枚の大きな黒い翼になった。少女は手を引いた。白い紙が翼のあいだに隠れ、黒い服をまとった小柄な異形が机から足を下ろした。床へ降りると、少女より頭ひとつ背が低かった。窓から床へ光が伸びていた。異形は翼を畳み、その光を避けて部屋の隅へ歩いていった。

吸血鬼、と少女は思った。

窓際に、二人の子どもの姿がぼんやり浮かんだ。昔の光景が、いまの部屋に重なっているようだった。顔を寄せ合う二人の声が、遠くから聞こえた。

「今日、公園に来る?」

「うん。ボール持っていく」

吸血鬼が顔を上げた。子どもたちが戸口へ向かうと、壁から一歩離れ、小さな声で呼びかけた。

「一緒に行ってもいい?」

言い終わる前に、笑い声が重なった。二人の姿が薄れ、声も消えた。吸血鬼は二人の消えたあたりを見つめ、しばらくして隅へ戻った。翼を身体に寄せ、その陰に顔を半分隠した。

その姿を見ているうちに、少女の胸の奥がからっぽになった。

小学校の休み時間を思い出した。

自分の席で本を読んでいた。最後のページを読んで顔を上げても、まだ休み時間だった。本を閉じ、また最初のページを開いた。

帰る時刻を待ち、ようやく家へ帰った。翌朝には、その本を鞄に入れて、また同じ教室へ行った。

一度、誰かの「たぶん」が気になって、違うと思う理由を順番に話したことがあった。前にその子が言っていたこと、似た話になったときに聞いたこと、そこから先に起こりそうなことまで、頭に浮かんだ順に続けた。

言い終えると、会話が途切れた。

帰り道にも、言い終えたあとの間だけが残った。

別の日には、違うと思ったまま「そうだね」と言った。会話はそのまま続いた。

帰り道、その短い一言が口の中に残った。

翌日、授業用のノートのいちばん後ろに書いた。

「違うことを言ってないのに、どうして止まったんだろう」

鉛筆で線を引きかけたが、途中でやめた。

条件を一つずつ変えて確かめる実験を知ったとき、少女は何度でもやり直せることに安心した。

人との会話だけは、同じところへ戻せなかった。

「みんなの中で、うまくやっていきたかったんだ」

少女はつぶやいた。

それでも、あの本があったから、帰る時刻までそこにいられた。

ページをめくれば、まだ誰かが話していた。

目の前で、翼のこすれる音がした。

少女が顔を上げると、吸血鬼は机のそばに戻っていた。その姿が薄れ、黒い翼が小さく折り重なっていく。机の上に白い表紙が現れた。翼はそこに重なり、初めと同じ角ばった模様になった。

少女は本へ手を伸ばした。表紙に触れると、胸にまた重さがのしかかった。今度は、そのまましばらく手を置いていた。

「今日は、ここまでにしよう」

ところが、本は急に机から浮き上がった。

「え」

次の瞬間、少女の胸へ飛び込んできた。反射的に両腕で受け止める。

重い。

「ちょっと待って、近い近い」

本は離れない。少女は仕方なく抱え、表紙を手のひらで一度、もう一度撫でた。

胸の重さが、わずかに位置を変えたような気がした。

「……ここにいたかったの?」

本は何も答えない。

けれど、離れようともしなかった。

腕に角が食い込むので、少女は下から支え直した。胸とのあいだに、隙間がなくなった。

少女は本の背を、軽く二度たたいた。

「少しだけね」

ふと、頭の上が明るいことに気づいた。

見上げると、いつの間にか部屋の天井がなくなり、高い空に太陽があった。夕方の赤ではない。白く明るい光が、真上から落ちている。

少女は目を細め、腕の中の本へ視線を戻した。

「この中、もっと明るくしてもいい?」

表紙がわずかに持ち上がった。いったん閉じると、今度は向こうから開いた。白いページに、光が当たった。

「……じゃあ、やってみるね」

少女は太陽を見上げた。

「この本の中に、入って」

言葉にした途端、頭上の太陽がひときわ白くなった。

腕の中で、白いページが一枚、二枚、次々にめくれ、そのあいだへ太陽が吸い込まれていった。少女は抱えた腕に力を入れた。

ぱたん。

本が閉じた。

一瞬、何も起きなかった。

次に、本の周りから黒い煙が上がった。

「……え」

煙はすぐに増えた。少女は本を抱えたまま、顔を少し遠ざけた。右の腕がしびれ、指先まで細かい電気が走るような感じがした。

少女は一度息を止め、それから吐いた。

「腕、しびれてる」

小さな表示体は近づかず、離れたところに浮いていた。

右手を開いて、閉じる。指は動いた。息も通る。

右腕の力を抜き、左腕で本の底を支え直した。重さが、右腕から左腕へ移った。

黒い煙だけを見れば、本を置きたくなる。

ところが、その前に背中が勝手に伸びた。

少女は目を見開いた。

丸まっていたわけでもないのに、肩が後ろへ戻り、視界がわずかに高くなった。

胸の重さがゆるむ。

「……あれ」

少女は肩を動かした。

「少し楽になった」

黒い煙が薄くなっても、本は腕の中にいた。

重さも、まだそこにある。

少女は表紙を撫でた。

「ねえ。今は、どう?」

本がわずかに動く。

少女の胸の奥にも、小さな明るさが返ってきた。

少女は自分の胸に手を当てた。腕の中には、重い白い本がある。胸の奥にも、さっき返ってきた明るさがあった。

「……ここにもいるの?」

言い終わる前に、胸の中がぱっと明るくなった。

少女は腕の中の本を見て、それから胸に置いた手を見た。

「いつの間に」

本を抱いていた腕の力を抜く。

「昔のことを考えたくなったら、また会える?」

胸の奥が、もう一度明るくなった。

「ありがとう」

そう言った瞬間、胸のあたりの力が抜けた。続いて、上腕や太ももからも力が抜けていった。

少女はその場にしゃがみ込んだ。転びそうになったわけではない。ただ、立ったままでいる理由が急になくなったような感じがした。

床に手をつき、息を吐く。

「……軽い」

そこで初めて、腕の中の重さもなくなっていることに気づいた。見下ろしても、白い本はない。

小さな表示体が、少女の近くまで下りてきた。

「今のこと、残しておきますか」

「うん。名前は、まだいらない」

「分かりました」

少女は床に座ったまま、胸に手を置いた。

手の下で、胸が動いた。

夕日の道で窮屈さを感じたあたりも、さっきより動きやすかった。

本を支えていた左腕は、まだ本を抱える形に曲がっていた。

── 第3章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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