← 作品ページへ戻る

物語る少女とストーリーテラー

彩野リン

30,578 字

ファンタジー学園サスペンス

"物語の力で世界を紡ぐ少女と、その相棒フィンが織りなす、学園都市の光と影。"

← 右から左へスクロール

第4話  反撃

 奈桜の手足の枷は取り外された。一応、身の自由はある程度許されたわけだが、食事と入浴、トイレ以外の行為は厳しく制限された。一日三食のルーティーンは守られ、必ず柴崎が持ってくる。この男に他の仲間はいるのか、彼一人でやり切れるとは思えないほど徹底されたスケジュール管理は、複数の共犯者で動いていると奈桜に確信させた。
 真四角の部屋はワンルームの面積しかなく、この建物全体が人質を閉じ込めておくための、やつらの重要な場所の一つなのかもしれない。
「まずは、あなたたちを助けてあげなくちゃね」
 奈桜はフィン二人を閉じ込めている鳥籠に手を触れてみるが、案の定、バチリと電流のような強い痺れが指に走り、とてもじゃないが力を入れてこじ開けることができない。この籠の特性を理解しようと、推理を働かせる。
『警察が来ないねえ……』
 アリスがしゅんとうなだれる。
「たぶん、ここが警察に割れないように、柴崎のフィンが何かしらの『チカラ』を使って私たちを隠しているんだと思う」
 奈桜は考察を述べた。当然のごとくスマホは取り上げられているため、今は連絡手段を何一つ持っていない。
『あいつの目的は、俺たちを手下にするまでここから出さないって魂胆か? 俺たちが屈服するまでしつこく待つつもりだな!』
「どうだろう……」
 デスの言葉に、奈桜は首をかしげる。
 こちらが負けるのを待ち続けるだけでは、持久戦もいいところだ。柴崎はそんなに生易しい男ではないだろう。さらなる作戦があちらにあるとしか思えない。
『奈桜、『羊たちの沈黙』ってどんな話なのか、知ってる?』
 アリスが尋ねる。
「うん、半世紀以上前にアメリカで出版されたサスペンス小説で、当時は大ベストセラーを叩き出して社会現象にもなった。
 連続猟奇殺人鬼のバッファロー・ビルという人物を捕らえるため、FBIのクロフォード課長が訓練生のクラリスに、服役中のシリアルキラー、レクター博士の心理調査をするように命じるの。いろいろあって、レクター博士はクラリスにバッファロー・ビル逮捕のヒントを次々と教えてくれる。でも同時に、レクター博士も次の新しい凶悪犯罪計画を立てていて、ストーリーは複雑に進んでいく……」
 奈桜は図書室で読んだ本を一生懸命、思い起こしていく。
『おもしろそうだな、それ! 俺も読んでみたいぜ!』
 デスは目をきらめかせてはしゃいだ。死神の形を持って生まれたデスは、人の心の暗部を描いた作品が大好きだ。『ホラーもサスペンスももっと流行ってほしいな!』と口癖のように常日頃言っている。
『そこから、何かのヒントがないかなあ?』
 アリスが懸命に打開策を練る。奈桜とデスも一緒に頭をひねった。
「まず、この鳥籠だよね」
 奈桜は二人を解放するのが先だと、再び眼前のトラップ道具に目を向けた。
『外側からだと電流みたいなのが流れる仕組みなの? 内側からだと何もないよ』
 アリスが説明をしてくれる。
「人間には実害があって、フィンにはない鳥籠……?」
 奈桜はカラクリがわからず、考え込んだ。
 しばらく時間が経ち、一向に進まない事態に焦りが募っていく。普段の自分らしさを取り戻そうとすればするほど、見えない暗い穴に落ちていくようだった。
「空間を自由自在に操る『チカラ』かしら……?」
 絞り出した答えを言葉に乗せる。『うーん……』とフィンの二人は鈍い反応を見せるが、クラリスと呼ばれていた柴崎のフィンは、羊の姿を取っていた。羊は夢のモチーフとして扱われる動物でもあるし、人間の意識下や、異空間などを得意としている可能性は十分にある。
 奈桜はもう一度、二人を閉じ込めている鳥籠をよく観察した。今度は手を触れず、至近距離でじっくりと見てみる。鳥籠は市場に流通している普通の形状と変わらなかったが、目を凝らすと、わずかな光の粒子みたいなものがキラキラと循環しているのがわかった。
 この粒子そのものが、あの男のフィンの『チカラ』を物語っているとしたら?
「この光も、銀色に近い色ね……」
 奈桜がつぶやくと、デスが籠の中から『あのフィン、チカラを増幅しているんじゃね?』と考えを述べた。
「チカラの増幅?」
『あいつの銀色の三日月のマーク、ふざけた形だけどフィンに関係するものなのかもな。あれを消してやったらフィンのチカラも弱くなったりして』
『デスくん、天才だよ! きっとそれだ!』
 デスの考えにアリスが乗っかり、二人はそうとばかりにクラリスを倒す方法をああだこうだと話し始める。
 奈桜も、彼らの提案には一理あると見込んだ。この鳥籠を覆っている銀の光の粒子。柴崎の銀色の三日月のマーク。まったく関係がないわけではないだろう。
 問題は、フィンを奪われた状態の自分が、どうやってクラリスのチカラを破るかだ。
 柴崎と、二度目の対峙をするべきかもしれない。
 何とかして、銀の三日月を消すのだ。
 方法を必死に探り出す。自分にできることは、何か。
 ――せめて、協力してくれる仲間がそばにいてくれたら。
 そう願った奈桜の心に、数刻前の心細さが押し寄せてしまう。今ここにいる人間は自分一人で、その現実に再度、心が負けそうになった。その時だった。
「――山、――月山!」
 聞こえるはずのない部屋の中で、その声は耳心地よくはっきりと、奈桜の意識に届いた。
 あの日、ライバルとして戦ったばかりの、彼の姿が部屋伝いに見えてきた。
 鈴ヶ丘朋の体は最初、消えかかったりはっきり見えたりとまちまちだったが、次第にくっきりと、部屋のバリアを通り抜けて実体化し、奈桜の前に降りてきてくれた。その様は?R映像から飛び出してきたかのようだった。
「先輩……」
 奈桜は呆然と、彼を呼ぶ。同時に、泣きたくなるほどの安堵感と嬉しさがこみ上げ、悟られないために表情をぐっと引き締めた。油断したら涙が出そうだったからだ。
『空間を操るフィンの使い手の登場だー!』『先輩、ナイスですよー!』とフィンの二人が喜び勇んで手を取り合っている。「お前のフィンはどうしたんだ? 『チカラ』を封じられちまったのか?」と慎重に尋ねる朋に向かい、奈桜はうなずく。
 彼のフィンは確かにあの時の試合で、空間を移動する『チカラ』を使っていた。上手くすれば柴崎を撃退できる筋道が見つかるはずだ。
 しかし、それにしても無茶をする男子だ。
「鈴ヶ丘先輩……、どうしてここが?」
 奈桜は驚きつつも、彼が自分のために行動を起こしてくれた事実を嬉しく思う。
「ロゼをくっつけてきた。俺のフィンは体の一部を分身みたいに切り離して、追跡機能として使うこともできる」
 彼の隣には少しばかり形の小さくなった星の形のフィンがキラキラとしている。アイテムタイプとしての得意分野を存分に使う技だ。こういった類のフィンはAIロボットと同じ利便性に長けると世の専門家は言うが、フィンの方がよほどうまく人間の意思を汲み取り、誠実に動いてくれる。
 フィンは、子どもたちの相棒なのだから。
「何かされてないか」
「大丈夫です」
 こちらが無傷でいる状態を確認すると、朋はほっとしたように顔の強ばりをほぐす。心配してくれたのだろう。彼の勇姿をたくましく感じた。
「お前のフィンは、使役できないようにされているんだな?」
「はい。あの鳥籠が壊せなくて、手も足も出ない状況です」
 部屋の隅に、まるで見せつけるように飾られている鳥籠は、心なしか先ほどよりも不穏なおどろおどろしさを醸し出しているように見えた。
「誘拐犯の中で、主犯の男と会いました。柴崎と名乗っていました。背が高くて細身の、黒髪の男です。信じがたいですが、フィンを使役していました」
「大人なのにフィンが……!?」
 奈桜がうなずくと、朋はまだ戸惑っていたが、すぐに顎に手を当て、考え込む姿勢に入った。
「柴崎のフィンは、『羊たちの沈黙』から創り出されたものかと私が問いかけたら、簡単にうなずきました」
「……余裕のある態度でむかつくな、そいつ。とにかく、この籠を壊して、ここを脱出しないと」
 朋は忌々しそうに舌打ちをする。奈桜は男たちの不可思議な銀色の三日月の刺青の件も報告した。
「銀色の三日月……。もしかすると、『白銀』か……?」
「はくぎん?」
「いや、でも、そんなことは……」
 奈桜の問いに答える前に、朋は難しい表情を浮かべ、ブツブツと独り言を言い始める。「あの時の残党……? まだ粛清されていない一派が……?」と、穏やかではない話題が次々と口に上る。
 決心した朋は、奈桜に男の正体を話した。
「『白銀』は、二十三区のビジネス街で大人を中心に狙った犯罪をくり返していた、不良チームだ。あの時は社会からあぶれた少年少女のギャングの真似事だとメディアに書かれてたけど、時間が経って、チームが組織並みに大きくなっていった可能性がある。とっくの昔に逮捕されてたはずなんだが、潜伏していた一部のやつらがいたってわけだな、きっと」
 朋は苦い顔をして、スマホを取り出す。
「警察にはとっくに連絡がいってるよ。だが、ここをなかなか見つけられなかったのは、お前の言う通り、柴崎って男のフィンの仕業だな。俺のスマホは今、警察とネットワークを共有する設定にしてある。これでここの居場所も見つけられたはずだ」
 彼の説明に、緊張で固くなっていた体が少しほぐれるような安堵感を覚える。自分一人きりでは見出せなかった打開策を見つけてくれた朋を、奈桜は再び頼もしく思った。
「鳥籠は、私たちの推測でしかありませんが、柴崎のフィンの『チカラ』が増幅したものによる特殊な装置かと思われます。柴崎の頬の刺青を何とか消すことができれば、もしかしたら鳥籠を壊せるかもしれません」
「そうか。お前の推理に賭けよう。月山は頭が働くからな」
 朋が元気づけるように、強い口調で言い切る。その姿勢がありがたかった。
 奈桜は、今の状況でも彼がいてくれるならば笑い飛ばせるほどの心強さを感じ、ぐっと明るい方向へ連れて行ってもらえる感じがした。
 ふっと、笑みがこぼれる。
 朋もつられて口元を綻ばせた。
 しかし、二人で目を見合わせて微笑み合った後、その恐ろしく低い声は戸口から響いてきた。
「警察がこの建物に入れる可能性はない」
 奈桜と朋ははっと振り返る。
 柴崎が音もなく、ドアの前に立っていた。いつからそこにいたのか判断できないほど、気配すら見せずに。
「大人はフィンを持たない。フィンを持たない者にここを開けられはしない。そして、あの鳥籠は決して、お前たちの力では破れない。無駄なあがきは時間と体力を奪うだけだ」
 柴崎は怒りの表情一つ見せず、視線だけで奈桜たちを黙らせた。瞳に一線走っている、銀色の筋が何とも不気味だ。あの瞳を見ると、心がどこか頼りない形に変えられてしまうような不安がよぎる。
「――だったら、俺たちがお前を倒せばいい」
 朋の不敵な挑発が聞こえた。その声はわずかばかり震えていたが、彼らしい強気な姿勢を感じさせた。
 玄関の向こうから人の足音が聞こえる。乱暴な気配を感じさせるドカドカとした音は、まもなく二人の耳を震わせていく。
「仲間か」
 朋が舌打ちし、柴崎をにらみ上げる。
 扉を開け、大勢の男たちが勢いよく中に入ってきた。その数は十人以上。全員、あの銀色の三日月の刺青を頬に入れている。
「お前たちに何ができる」
 柴崎は感情の読み取れない目つきで、奈桜たちを捉える。その顔は、精巧だが色の伴っていない無機質なドールを連想させた。
「そっちこそ、未成年相手に大の大人が囲い込むなんて、チンケな器もいいとこだな」
 朋が挑発するように柴崎を見上げた。その口元は少しばかり上に上がっている。何か勝算があるのかもしれない。彼の瞳にいつもの勝気な色が見えた。
「何だと、ガキどもが!」と手下の男たちがすごむが、柴崎の方は冷たい光を宿した瞳を一切変えず、二人を見下げるばかりである。
 と、柴崎の視線が動いた。
 彼のフィンが羊毛から大量の電磁波を出し、その場の空気を一変させる。
 朋もロゼに小声で指示を出した。
 二人のフィンが、相対峙する形で向かい合う。これは学校の試合ではなく、現実の戦いだ。緊張感が今までと比べ物にならない。それでも勝たなくてはいけない。自分たちは『学園都市』に帰るのだ。
「クラリス、殺すなよ。二人とも生きて捕らえろ。大事な使い手だからな」
 柴崎はどこまでも自分たちを利用するつもりだ。周りには十数人の男たち。逃げ場などなく、けれど退ひくわけにはいかなかった。
 自分たちには、フィンの使い手としての誇りがある。
 それを決して、見失ってはいけない。
 屈服してはならない。この男に。
「あなたは、なぜ……」
 注意を引きつけるため、奈桜はあえてゆっくりと口調を緩めて柴崎に問いかける。
「何が、あなたを、そこまでの状況にさせたのですか……? 『学園都市』が、関係しているのですか……?」
 柴崎の眉がピクリと吊り上がる。その一瞬で、彼の引き金を引いてしまったのだと、奈桜は気づいた。鉄仮面だと思った無表情は、絶対零度の炎をくすぶらせながら気色ばんでいる。
 柴崎は、怒っている。
 それは今ここにいる自分たちへのものか、それとも社会へ向けたものか、怒りの矛先は図りかねたが、彼の胸の内にある黒々としたうねりが今まさに飛び出さんとしていた。
「月山!」
 朋が隣で叫ぶ。体を強く押され、横に転んだ奈桜ははっと顔を上げる。自分が立っていた位置にクラリスの電撃が放たれていた。代わりに朋が肩に手を当てうずくまっている。庇ってくれたのだ。申し訳なさと猛烈な悔しさで頭がいっぱいになった。こんな感情は生まれて初めてだった。
 柴崎をにらみ上げた奈桜の目に入ってきたのは、冷笑する彼の姿。
「初めて、俺と似ている表情をしたな。そういった感情だ。俺が今まで経験してきた、屈辱の歴史だよ」
 奈桜は激しい怒りを感じながらも、心の中で、正体を見せずにいた柴崎の真の思いに触れた気がした。
 この男は、悔しいのか。
 悔しくてたまらないのか。
 垣間見た、彼の暗さと陰り。ここまで落ちたのは彼自身の問題なのか、それとも彼を取り巻く環境の所以か、奈桜には論じる手段などなかったが、己のすべきことは決まっていた。
 ゆっくりと、奈桜は立ち上がり、気丈に前を向く。
 柴崎を、食い止める。
 何としてでも。
 目の前の大人は侮蔑と憎悪のこもった瞳で、こちらを見下げた。
「子どもを傷つけることなど、容易い。俺はそういった行為をためらわない。これ以上抵抗するならば、――いたぶる」
 柴崎の台詞には、本気の色がうかがい知れた。
 戦闘的な目つきですごむ、フィンのクラリス。
 彼には、自分たちにはない才能があるのだろう。
 大人になってもなお、フィンが傍らにいる能力。そしてフィンと意思疎通をし、使いこなす能力。
 あなどってはいけないのだ。
 奈桜は己の目に力を込め、相手には従わないという意思を強く示した。
 怖くても、袋小路でも、屈してはならない時があるのなら、それは今だ。
 奈桜は視線をそらさず、正面から柴崎とにらみ合う。
 柴崎が顎をクイッと向け、フィンに指示を出す。
 クラリスがそのモフモフの胴体を勢いよく奈桜の腹にぶつけた。体当たりを仕掛けたのだ。
「うっ」と咳き込み、奈桜は後ろへ突き飛ばされる。「月山!」と朋がこちらに駆け寄ってくれるが、彼の視線の先には憎い相手の対象として柴崎が君臨しているようだった。奈桜の体を支えながら、柴崎に獰猛な威嚇を始めている。
「お前は非道で、外道だ。俺はお前を許さねえ」
 朋の凛とした、それでいて冷え冷えと感じる冷たい声が吐き出される。朋の怒りは頂点に達していた。
「この『学園都市』から出て行け!」
 朋が怒鳴った。ドスの利いた声に、奈桜は思わずびくりと肩を震わす。この人はこんな腹の底から声を出せるのかと、彼の奥に眠る爆発性を感じた。
「俺たちが手に入れたいのは『学園都市』などではない。あんなものはそのへんの誰にでもくれてやる」
 柴崎が吐き捨てた。嘘偽りなく、その顔には何の興味もなさそうな気だるい面影が見えた。
「俺たちが欲するのは、正真正銘、月山奈桜だ。おまけとしてお前もついてくることになったが」
 柴崎が朋を見下す目つきで眺める。朋は動じずに、好戦的なまなざしを向け続ける。
 奈桜と朋が動こうとするたび、周りを囲む男たちがすごむ。体格の恵まれた大男たちは、子どもの力など取るに足らないと信じているように、余裕さえ感じる威圧感を出し、こちらの戦意を削ごうとしていた。まるで子どもを弄ぶ大人を見ている風にも感じられ、気味が悪くなる。
 沈黙を割ったのは、再びの柴崎の声。
「抵抗は無駄だ。フィンをこちらのために使役すると、今ここで誓え」
 柴崎が一歩、足を前に踏み出す。自然と奈桜たちは後ろへ下がってしまう。その場に張り裂けそうな緊張が走り、息をするのもやっとのような重い空気が流れる。
 ふいに右手を差し出し、柴崎は命令を下した。
 身の凍るほどの低い声で。
「俺の手の甲に、キスを落とせ。お前の方は、私の足に額を合わせろ。古代より儀礼として使われてきた、君主への誓いだ」
 柴崎は笑っても、怒ってもいなかった。ただただ読めない表情で、機械人間の義務だと言わんばかりに、自分たちを服従させようとする。
 周りで男たちが、勝利を確信したような雰囲気を出し、奈桜と朋を囲ってニヤニヤと鑑賞する。下卑た笑いに寒気が走ったが、この瞬間、奈桜は突破口を見つけた。
 柴崎に、接触できる。
 隙をついて、あの左頬の銀色の三日月の刺青を傷つけられないだろうか。
 奈桜はちらりと、朋に合図を送る。こちらの言いたいことが彼に上手く伝わったかどうかは定かではない。が、頼れるのは朋と、フィンのロゼだけ。奈桜が注意を引いている間に、朋が行動を起こしてくれれば、あの鳥籠が何とかなるかもしれない。
 奈桜は、緊張でほとばしる冷や汗を垂らしながらも、ゆっくりと柴崎に近づいた。
 スッと、彼の右手の甲が差し出される。
 ここに、唇をつけるのだ。
 間近にする柴崎の大人の男としての強い圧が、恐ろしくてたまらなかったが、奈桜は一人ではない。後ろに頼もしい相棒がついていてくれる。
 奈桜は、決断した。
 彼の手の甲に、キスをしよう。
 けれど、決して、心を渡さない。許さない。大事なものは明け渡さない。
 私の心は、私だけのものなのだから。
 奈桜は頭を下げ、柴崎の手を取り、そっと唇をつけた。
「……いい子だ」
 柴崎の大きな手が、乱暴に奈桜の頭を這う。ぞくりと嫌なものが走る。柴崎は奈桜の頭を掴み、自分の胸元に引き寄せた。人質として利用するつもりだ。実力行使に出た彼らのやり方を、奈桜は心から軽蔑した。
 柴崎に、星の形のフィンが迫っていた。
 朋のフィンであるロゼの移動スピードはキャラクタータイプやアニマルタイプの比ではない。尋常でない速さで柴崎の頬を狙い、ロゼは鋭利に尖った『バラ』の花びらを放出した。
 ザザザッ! と大量に送り込まれてくる真っ赤な『バラ』。きちんと奈桜だけを避けて柴崎に命中するのだから、ロゼのコントロール力も大したものだ。
 柴崎の腕の力が緩み、奈桜はすぐに逃げ出して朋のところへ戻った。
 ザシュッ、と鋭い音が室内に響く。
 ロゼの攻撃が柴崎の頬をかすめ、銀色の三日月に傷をつける。
 血が流れ出た柴崎の左頬には、欠けた絵の三日月。その銀の月はどこか色を失くし、鈍色の輝きを放って血に濡れていた。
 柴崎が左頬を押さえ、今日初めて焦りと怒りのこもったまなざしをこちらに向ける。余裕のなくなった顔つきが、ドールにも思えた柴崎の人間臭さを感じさせた。
 鳥籠がガタガタと揺れ始める。
 はっと振り返る奈桜の目に入ったのは、『出てこれそうだぞ!』『もうちょっとだー!』と懸命に『チカラ』を使って内側から籠を取り壊そうと奮闘するデスとアリスの姿だ。
 柴崎が動こうとするも、デスとアリスの行動の方が早かった。二人は見事に『鳥籠』から脱出し、奈桜のもとに寄って抱きついた。
 クラリスがバチバチッと強い電流を流し始める。籠を壊されたのが悔しかったのだろう、奈桜たちに自身の『チカラ』を放とうと殺気じみた瞳で対抗する。
「取り囲め」
 柴崎の命令がした。たちまち取り巻きの男たちがこちらを押さえようと襲ってくる。
 奈桜はすぐさまデスとアリスを使役した。
 アリスの用意した『鏡』から、ポン、ポンと白い毛並みの『ウサギ』が出現する。その姿が愛らしさそのもので、男たちは鼻で笑ったが、その油断が命取りになった。ウサギは現実の動物のウサギよりも遥かに優れた身体能力で、男たちを一網打尽に蹴り飛ばしたのだった。屈強な大人の男が『フィン』の白ウサギに為す術もなく倒されていく様は、何とも滑稽だった。
 クラリスが奈桜を攻撃しようと電流を放つが、朋がそれを許すはずがない。ロゼがあの試合の時に使った技――『バラ』の花びらをクラリスに放出させた。電撃で花びら一枚一枚を打ち落とすクラリスだったが、柴崎の銀色の三日月マークが消えたことで『チカラ』は先ほどより半減していた。やがてバラの大群に押され、クラリスの体が身動きを取れなくなっていく。あわてるクラリスに柴崎の命令が飛ぶが、視界を奪われているため使い手の姿が見えづらく、心許ないのだろう、クラリスは動じたままにあたふたとし始めた。
「鈴ヶ丘先輩、デスくんとアリスをそちらに預けます」
 奈桜の提案に、朋は一瞬で意味を理解し、『チカラ』を結託するのだと合点がいったようだった。
「デスくん、アリスちゃん、『チカラ』の一点集中を!」
 奈桜が叫ぶ。二人のフィンは目を閉じ、自身の体を白く淡く発光させ、周りの景色を鮮やかに美しく彩っていく。
 柴崎がクラリスを介抱している間に、事のすべては起こっていた。
 デスとアリスの『チカラ』が、ロゼのもとに集まってくる。
 フィン同士がこんな風に『チカラ』を共有し合うことは、まれであった。過去の文献に子どもたちが結託してフィンの『チカラ』をかき集めたといった案件は記されてはいたが、学校の授業を聞く限り、それは歴史的に見てもあまり起こりえない事象だとも言われていた。
 だから、自分がこんな芸当をできるのかと問われれば、簡単にはうなずけない。
 けれど、奈桜に迷っているひまも猶予もなかった。
 それに、奈桜は信じていた。
 自分ならば、それができると。
 フィンが大好きだから。
 フィンの『チカラ』を、誰よりも信じているから。
 世界でいちばん美しいと思えるほどの、淡い色合いの色彩が見えた気がした。これはフィンの持つエネルギーであり、『チカラ』の根源であり、自分たち人間が生涯をかけて守らなければならない、この世の神聖な現象である。
 綺麗だと思った。
 柴崎に利用されないために、フィンを守ってみせると、奈桜はこの瞬間、強く自分に誓った。
 ロゼがまばゆい光を放つ。
 触れることすらためらわれるような、神々しい光だった。
 まぶしさに目を細めながらも、奈桜は懸命に状況を見守る。
 ロゼから放たれた光から、しなやかな太い幹が表れた。
 驚く間に、幹はみるみるうちに成長し、人の背丈をゆうに超えた大木へと成長していく。
 ゴゴゴ……、と自然界の脅威とも呼べるような音が奈桜たちの鼓膜を震わせる。
 どんどん大きく巨大に伸びていく幹。
 あれは、『バオバブの木』だ。
 ロゼが発光したとたん、『バオバブの木』が幹ごと、またたく間に育っていく。
 膨張した木々は枝葉を手当たり次第に広げ、飛び掛かろうとした男たちを一瞬のうちに蹴飛ばしていた。
 いっそ地鳴りのように揺れる床。平衡感覚を失った奈桜たちはしゃがみ込み、身動きの取れない状態で事の成り行きを見つめるしかなかった。
(鈴ヶ丘先輩の必殺技だ……)
 確かに、これを試合中で出されていたら、自分の防衛戦は危うかっただろう。あの時は条件がそろわず、使えなかったのだ。
 ロゼの『バオバブの木』は、一定の条件を満たして初めてその効果を発揮する。
 密室状態だったワンルームの部屋は、巨大化した木々の幹に壁ごと蹴破られ、凄まじい音を立てながら崩れていった。
 朋に腕を強く引かれ、奈桜は彼の胸に収まる。同時に『バオバブの木』の太い幹が屋根のように二人の頭上を覆い、盾の代わりとして守ってくれた。
 奈桜の頭を抱き込むようにして朋が体を低くする。自然と奈桜もしゃがみ、生き物のように暴れ回る『バオバブの木』に翻弄される男たちの悲鳴を聞きながら、柴崎のフィンの『チカラ』が途切れた反応を感じた。
「クソッ!」と強い舌打ちをする柴崎が見える。彼は『バオバブの木』の枝に何重にも体を巻きつけられ、動けないように固定されていた。
 半壊した建物から、敵たちが我先にと蜘蛛の子を散らすように逃げていく。外で包囲していた警察たちが陣を引いて犯行現場を取り押さえ始める。柴崎も『バオバブの木』の枝先に外の世界へ放り出され、警官たちに手錠をかけられていた。
「ロゼ、よくやった。ありがとう」
 朋の声が間近に聞こえる。
 フィンが心なしか誇らしげに、淡く発光した。アイテムタイプのフィンも、使い手の愛に応えられて嬉しいことがよくわかった。
 奈桜の隣に、愛しき二人のフィンが戻ってくる。『奈桜―!』と声を合わせて体に触れてくれる、その柔らかくて温かい感触を、いつまでも覚えておきたいと思った。
 そして心には、朋への深い感謝があふれていた。
「鈴ヶ丘先輩……、ありがとうございます」
 至近距離で礼を言われた二歳上の上級生は、
「……おう」
 ぶっきらぼうに、若干赤くなりながら応えたのだった。

   ??

── 第5章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

作品ページへ戻る

コメント

まだコメントはありません。最初のひとことをどうぞ。

しおりを挟みました