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awake

abejunichi

73,911 字

思索的紀行文学、私小説、ロードムービー

"ハンドルを握り、フリーウェイを走る。それは、世界の果てと、自己の根源へ向かう旅だった。"

2016年作のシリコンバレー新婚旅行小説

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第6章 ふたつの頂き/そして故郷へ

   *

 夜中の3時33分に目覚める。不思議な力がみなぎっていて何処へ行けばよいかわかっている。まだ眠そうにしている妻に「準備をしてでかけよう」と言う。もちろんそれが少し理不尽であることはわかっている。夜中の3時すぎなんてまだ真夜中だ。でも僕にはみたいものがある。
 妻はパジャマからワンピースに着替え、化粧をして、コートをはおる。僕はその間、情報収集をしている。
「いったいどこへ行くっていうの?」
 妻は僕にそう言う。「大丈夫。ついてきて」と僕は言う。
 ホテルを出て慣れた手つきでビートルのドアをあける。アメリカでは愛車はこのビートルだ。親しみすら感じる。もうワイパーと方向指示機を間違ったりはしない。
 小雨が降っていて、天気予報は雨だ。もうそんなことには動じない。
 僕たちは小雨が降る中をサンフランシスコ方面へ運転していく。
「サンフランシスコへ行くの?」
 妻が僕に訊く。
「そうだよ」と言う。
「まだ4時を少しすぎたところよ。サンフランシスコに行ってもどこも開いていないんじゃない?」
「大丈夫だから」
 そう妻に言い、運転を続ける。
 iPhoneのナビゲートで行きたい場所はわかる。道はまがりくねっている。小雨は続いている。でも僕には強い確信がある。
 30分ぐらい走った後で、僕は車を停める。
 目の前にはサンフランシスコの夜景が広がっている。
 ツイン・ピークスという場所は、車でなければ行くことが難しい場所だ。でもサンフランシスコの夜景を1望することができる山で、ここからサンフランシスコのすべてを眺めることができる。
「ツイン・ピークスというのは双子山のことなんだ。ふたつの山があって連なっている。この場所はひとつの山だ。そしてここからみる風景はひとつの頂きだ」
 そう妻に言う。
 小雨も降っていて視界はそれほどよくない。でも都市の灯りが都市という人類の頂きを教えてくれている。
「前にも話したけれど、世界中の都市はニューヨークをモデルに発展してきたのだと考えている。あらゆる意味でそれは世界中に広がり、人類というもののひとつの頂きとなった。でも人類はこの場所を頂きに衰えていってしまうのだろうか? 強い光を放った後で、僕たちは静かに眠ってしまうのだろうか? 僕は違うと思う。夜の闇の中でこの2つの頂きのもうひとつの頂きがどこにあるのかわからない。でもその頂きは確かにある。僕たちはひとつの頂きからこうして世界を眺めることができる。でも頂きはもうひとつあるんだ」
 彼女は僕の話を聞いてうなづく。
「でももうひとつの頂きはどこにあるの?」
「僕はシリコンバレーがヒントだと思っている。まだ丘にすらなっていない。でもそれは静かに静かに新しい世界を作り上げている」
「ということは、今日はまたシリコンバレーに行くのね?」
 そう妻は言う。
「おそらく。でも僕はもう少しサンフランシスコをみたい。しっかりこの景色を焼きつけておいて。天気は悪く小雨が降っているけれど、遠くからサンフランシスコを眺めることはこれが最後かもしれない。僕たちはサンフランシスコを実際に歩き、そして遠くから眺めた。そしてもう1度、今度は車でサンフランシスコへ向かう。きっとサンフランシスコにはまだ見ぬ姿があるはずだ」

   *

 ツイン・ピークスで語り合った後、ゴールデンゲートパークへ向けて車を走らせる。セントラルパークよりも広く、世界一の公園と呼ぶ人もいる。僕は都市にあるその巨大な公園を歩いてみたい。
 ツイン・ピークスからゴールデンゲートパークまではそれほど遠くない。高級住宅街が並ぶ通りを通り抜けて闇の中をゴールデンゲートパークまで向かう。まだ朝日はでておらず、小雨が降り続けている。でもゴールデンゲートパークまでの道はシンプルで道に迷うことはない。
 しかしiPhoneのナビゲートがゴールデンゲートパークへの到着をアナウンスしても僕にはどこがゴールデンゲートパークの入り口なのかわからない。まだ薄暗いし、森の側に道がどこまでも続いているだけだ。
 ようやく気づいたのは、この巨大な森ごとゴールデンゲートパークであるということだ。車で駐車場を探すためにぐるぐるまわってもどこがその端なのかわからない。巨大な都市の中に巨大な森がある。
 とりあえずスーパーマーケットに車を停めて、駐車場を検索する。美術館の駐車場をみつけて、僕らはそこへ向けて車を走らせる。
 公園の地下にはとても巨大な駐車場がある。時刻はまだ朝で誰も車を停めていない。
 僕たちは無人の人工的なコンクリートの壁に反響するブレーキ音を聞きながら、公園に面した出入り口に近い場所へビートルを停める。
 そして地上への階段をのぼる。
 新しい世界が朝日に照らされて浮かび上がっている。小雨はもうやんでいる。何かが変わったのだ。
 ナイキのトレーニングウェアを着た男女が朝からこの巨大な公園をトラックとして走り続けている。夫人が犬の足どりにあわせて散歩している。新鮮な空気があたりには満ちていて、僕は大きく呼吸をする。
 ゴールデンゲートパークは巨大な人工の庭園だ。中には日本庭園も存在する。でもそれらの樹はヨーロッパや日本から持ち込まれ、丁寧に丁寧に管理されている。
 自然のあるところにも太陽の光がでている。ここはスタンフォード大学のあの芝生のように美しい。僕たちは植物の品種のことはわからないが、植物が人間に与えてくれるものはわかる。心がとても落ち着く。深く呼吸をしたくなる。
 自然がある場所に闇はあるだろうか? もちろん人間がゴミを捨てればそこは汚い場所になってしまうだろう。けれどもし人間がいなければ自然は美しいままだっただろうか? 僕にはその答えはわからない。ゴールデンゲートパークは人工の公園なのだ。ある意味では僕たちはこんなふうにも自然の中で生きることができる。
 都市はある時には美しく刺激的だけれど、そこにはこんな公園がなければならない。人々がくつろぎ、太陽の光を浴びて、そして自分自身を新しく生まれ変わらせるような。
 人はどうしても自然と分かつことができない存在なのだと思う。僕はテクノロジーも大好きだし、コンピュータミュージックを愛している。それはテクノロジーによる未来を受け入れているということだ。でもそういう気持ちと同時に、どこまでもくつろぐことのできる森も探している。野生の森の闇が人を恐れさせるような暗闇を持っていることも知っている。でも太陽とともに、たとえ人工的なものだったとしてもこの大地が必要だ。
 僕と妻はどこまでもゴールデンゲートパークの中を歩く。端から端まで歩くには広すぎる。この世界が広すぎることと同じように。
 僕たちはどこかまで歩いて、そして大きく息を吸って、そしてどこかへ戻る。

   *

 車を走らせながら僕は偶然、サンフランシスコに面した海を発見する。その場所はオーシャン・ビーチと呼ばれる。太平洋に面していて、巨大な波がなんども砂浜の砂を運んでいる。ビーチはどこまでも続いていて夏にはきっと大勢の人で賑わうだろう。でも冬の海はときどき犬の散歩をしている人がいるだけで貸切ビーチだ。
 この向こうには日本がある。もちろん海はどこまでも世界中に広がっている。でも僕はずっと以前に高知県へ行き、桂浜から遠くアメリカを思い浮かべた。桂浜はどこまでも世界と繋がっていると思った。どこまでも想像上のアメリカを思い浮かべた。それから長い時間が経過した。ようやくアメリカの大地に立ち、そして今、はるか遠くにある日本を見つめている。
 いったいどこまで遠くへ行くことができたのだろう?
 振り返るとサンフランシスコの街並みがみえる。
 妻は海辺で風に髪を吹かれながらその巨大な波に見入っている。
 何度となく波がおしよせてはひいていく。その波打ち際で色んなことを想像する。
 歴史。果てることのない人類の旅路の跡。
 未来。想像してもわからない人類の行く末。
 でも現在、僕たちは実際に自分たちが思い描いたように日本からアメリカへ行くことができた。
 どこまでも広い海がある。この海の前ではどんなものもちっぽけだ。そしてこの空の前ではどこまでも僕たちは小さい。そして太陽の輝きこそ僕たちの生命の源だ。
 僕は妻に言う。「僕は君のおかげでようやくここに来ることができた」
 妻は「何を言っているのよ」と言う。
 僕はiPhoneを取り出し、妻が海を眺めている姿を写真に撮る。
 今まで僕は色んなことをやってきた。でもこの海をみることができたことは、自分たちの子どもに伝えるべきことだろう。その海をみながら思う。
 かつて坂本龍馬は、桂浜から遠く世界を眺めた。それから何百年経っただろうか? まだ200年も経っていない。でも僕たちは坂本龍馬がみることができなかった世界の広さをみている。もちろんその間には巨大な戦争があった。多くの血が流され、世界が変わった。
 いにしえから続くあらゆる願いの元に自分たちの人生があると気づく。そして自分たちがどう生きるかによって子孫たちの未来があると気づく。
 子孫が誇りに思うような人生を歩めているだろうか?
 僕にはわからない。
 これはひとつの頂きだ。
 でも僕たちはもうひとつの頂きを想像しなければならない。
 橋は今まで繋がっていなかった場所と場所を繋ぐ。誰もが新しい未来へ橋を繋ごうと努力している。それがどんなものか、まだわからない。
 でもヒントはある。自分たちが苦しんでいること。自分たちが悩んでいること。そのひとつひとつは些細に思えても、そのひとつひとつの問題を解決しながら、未来へ1歩、1歩と歩んでいくのだ。
 理想の世界ははるか遠くにあるのかもしれない。でも理想を抱かなければ、本当の意味で望む未来はやってこない。
 僕は彼女の後ろ姿にそっと近づき、後ろから抱きしめる。
 彼女はとてもびっくりする。でも僕はそっと彼女を抱きしめる。
「いつかこの海を色んな人にみせたいね」
 僕は妻にそう言う。

   *

 僕たちは1号線を南下し続ける。海岸線がどこまでも続いている。美しい景色だ。雄大で激しい。青空が広がっていて、運転をしながらなんて素敵な日なのだと思う。空はどこまでも高く、海はどこまでも広い。もし大陸の真ん中に住んでいる人がいたら、ぜひ海をみにここへやって来るべきだと思う。海はすべてを洗い流してくれる。ある歌い手の歌を思い出す。どうかこの世界の汚れをすべて洗いながしてくださいますように。彼女はそう歌っていた。
 シリコンバレーまでの道は101を走るよりずっと緩やかだ。101は幹線道路で車がとてつもないスピードで走っていたり、渋滞がおきたりする。でも1号線はとても良いドライブコースになっている。僕はアメリカに来てようやく歌を歌いながらいつものように運転ができる。
 ハーフムーンベイを経由してクパチーノに向かう。もう1度アップル本社であるインフィニット・ループへ向かう為だ。
 1月1日はインフィニット・ループにあるアップルのカンパニーストアは休みだった。インターネットで調べると今日は営業しているとある。アップルのカンパニーストアではインフィニット・ループでしか購入することができないアップルのオリジナル製品がある。僕はシリコンバレーに来た証としてそのアップルのTシャツを購入しようと思う。
 アップルのことに興味がなかったり、シリコンバレーについて興味がなければ、TシャツはただのTシャツだろう。でも僕たちは初めての海外旅行でビートルを運転し、そしてインフィニット・ループへたどり着くのだ。
 無限の回廊は何を指しているのだろうか? 果てしなく続く僕たちの因果だろうか? 僕たちは何度も何度もその回廊をまわりながら、どこかへ辿り着くことができるのだろうか?
 父と子の争いは尽きることなく続いている。兄弟は時に協力することなく激しくその血を争う。民族と民族はその源流が異なるだけでどこまでも戦争を続けている。誰かはそこに橋をかけようとする。でも月日が果てしなく流れれば、その橋は朽ち果てて、ただそこには大きな河がどこまでも流れ続けているだけかもしれない。
 それでもある人はその河を渡ろうとする。どこまで深く溝があり、血が流されてきたとしても、その河を越えようとする。
 僕は自分が英語ができないことを知っている。これまで何度も英語の勉強に挑戦してきた。でも僕は英語ではうまく自分の気持ちを伝えることができない。
 あるいは何年もかけてコンピュータの勉強をしてきた。でも世界中のコンピュータの情報セキュリティを確かなものにすることは簡単ではなく、情報は容易に盗まれてしまう。
 僕は人類が時に激しく過去に戻されながらも、それでもより良い世界を作ろうとしてきたと思っている。あらゆる問題を解決し、深く激しい河に橋をかけようとしてきた。争いを回避し、ともに歩むことができる未来を探し続けてきた。
 まだまだ河の流れは激しいのかもしれない。道は果てしなく続き、その無限の回廊の中で彷徨っているだけなのかもしれない。
 でも僕は思う。僕と妻だって時には喧嘩をしながらここまできたのだ。でも望んでいることはともにいることだ。それは男と女だからではない。僕たちはそれぞれの人間で、お互い頭脳を持ち、時に意見を戦わせながらここまで来た。そして誰もが辛抱強くお互いを認めあうことができれば、愛を交わすことができる。お互いの希望に松明を灯し、この薄暗い世界の中で、やがて朝日が昇るのをともに待つことができる。
 僕たちは僕たちだけではない。ここにある愛を世界中の人と分かちあうことができる。
 僕たちはクパチーノに着き、インフィニット・ループをまた歩く。
 そして自分たちがここまで来たという証を手にする。
 この証は僕だけのものではない。あらゆる人類が手にしたものだ。
 そしてそこから再び新しい世界がはじまる。

   *

 ユナイテッド・エアラインは、僕たちのために窓際の席を用意してくれる。帰りの飛行機で僕たちはナパで買ったワインを飲みながら話を続ける。自分の中の何かが目覚める。本当にそういう味がする。
 やがて日本が近づくと故郷の都市を、海を、大地を見下ろす。雲海の切れ間から故郷の海がみえる。
 アメリカに比べればなんて小さい世界なのだろう。でも日本には日本ならではのものがある。清潔で安全な町がある。わずか3ドルほどで食べることができるうどんがある。老人が歩いて行くことができる場所に病院がある。車がなくても生活できる都市がある。日本はコンパクトで便利な町を形成している。
 ある意味では日本とアメリカは目指しているものが違う。どちらにも長所があり、短所がある。僕はそれでいいと思う。兄には兄の、弟には弟の長所と短所がある。父には父の、子どもには子どもの生き方がある。そして違いがあるからこそ僕たちは言葉を必要としてきたのだろう。
 僕は妻に言う。
「もし僕たちに子どもが生まれたら、この旅のことを話そう。そして1度は世界に出てみるべきだと話すんだ。世界はとても広大で果てしない。あの太陽がそうであるように。いつか彼らが海を渡ることができたら、僕たちは彼らが見てきたものを笑って聞こう。彼らの心の震えをともに喜ぼう」
 妻は笑って微笑む。
 僕たちの結婚生活はこれから始まる。自分たちが自分たちの子どもに何を残すことができるかわからない。でも少なくともこの旅の思い出だけは語ることができる。
 世界へいつか行くこと。そして帰ってくること。
 僕は自分もまたそういうふうに父と母に見送られたのだと思う。
 いつか自分たちが自分たちの目指す人間になることができたら、この世界をもっとより良いものにしよう。彼らが笑うことができるように。
 世界中の道はローマに通じていると聞いたことがある。でも古代ギリシャ世界を模して世界は多民族が共生する世界になった。道は再びローマに続いているのだろうか? 未来にはその答えがあって、飛行機の窓から雲海を眺め、そのことについて考えている。太陽の光に照らされて雲は形を変えながらどこまでも広がっている。
 答えは時代によって違う。答えは新しく生まれるものだ。そして答えは変化そのものだ。
 神はあらゆるものに微笑んでいる。
 僕はその雲が形を変えていく姿をいつまでもみている。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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