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蹉跌の月──Deseo la luna.──

有城 砂卯

47,759 字

現代ファンタジー恋愛小説

"月を望む少女の初恋と、交錯する夢と現実。これは、諦念と希望が織りなす、大人のためのファンタジー。"

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8・二十三夜

 触り慣れない感触に、違和感を覚える。
 冷たい、硬いシーツ。
 家…ではないな、ならどこなんだ?

 恐る恐る、薄目を開ける。
 睫毛の隙間から、明るい光が差し込んでる。
 夜…だった筈、だよね?

 ──知らない天井。
 病院…と似てるけど…ホテル?
 ホテル?!
 
 シーツの感覚がダイレクトに太股に当たってるんだけど…頭だけぐるっと動かして、壁に、着ていたはずのスーツが、ご丁寧にハンガーに掛けてあるのを見つける。

 えっとぉ…

 一人掛けのソファーに座り、眠っている勢雄さんが目に入る。

 やっちまったんでしょうか?
 自分を肌掛けの中で確認すると、大きなTシャツを着ている。
 勢雄さんの出ていた舞台のタイトルが書いてあるやつ。
 え?もしや、勢雄さんの、Tシャツでは?
 昨日着ていたタンクトップ…………パンツは履いてる。
 ……

 記憶を辿ると、二杯目に口をつけた所でぷっつりと途切れている。

「気分はどうだ?吐き気はないか?」
「どわっ!だから、耳元はやめてくださいって!」
 てか!正面から、耳打ちって!
 いつ目を醒ましたんですか!
「ん、元気そうだな。良かった」
 勢雄さんはそのまま、ベッドに腰かけた。
 
 あたしの耳元で惜しげもなく商売道具イケボで囁く。
 ありがたや…じゃない。

「すいません!ご迷惑をおかけしました!」
 ベッドの上で、土下座する。
 
「いや、俺の監督不行き届きだろ。具合悪くなければいいさ。あ、親御さんには連絡しといたぞ」
 親?とな?
「親…どうやって?」
「ん?入院中に交換したぞ?知らなかったのか?」
「知りません!…っの、母め…いつの間に」
「それより、姿勢は戻し給え。あちこちから、色々覗けるぞ?」

 勢雄さんの言葉に、自分の姿を見ると、大きなTシャツの首から胸が丸見え(タンクトップだけどね!)で、太股も晒している。
「……がっ!お、お粗末様ですっ!」
 と、慌てて肌掛けにくるまる。
「なんだそれ」
 笑いたければ笑えば良いさ。
「喜んで頂き、ありがたき幸せでございますぅ」
 頭からすっぽり被ってしまった肌掛けの隙間から勢雄さんを見れば、笑いながら──微笑みながら、あたしを見てる。

 ねぇ?そんな顔されたら期待しちゃうよ?

「じゃあ、俺はシャワー浴びてくるから、着替えちまいな。劇場小屋入りの三時までなら遊んでやる」
「夜ソワレの時って、三時入りなんですか?!ご迷惑じゃないですか?!」
「迷惑なら提案しないさ。楽な格好がいいなら買いに行ってもいい」
「え、いや。着てきた服で充分でございます」
 ふっ、と笑い声をあげて勢雄さんはベッドから立ち上がり、スーツを渡してくれた。

 浴室からの水音を聞きながら、スーツを眺める。
 ……着替え、させてくれたんだよね……
 胸…足…ぜーんぶ見られてるの?
 
 改めて色恋の頭数に入ってないことを、実感して、目頭に熱が走り、鼻の奥が痛い。
 あーあ。
 ダメじゃん……

 てかさ。思うのよ。
 恋人でもない男の人に、こんな風に扱われちゃって、この先あたしは別の人と恋愛できるのかしら?
 基準が勢雄さんになっちゃうのって、どうなんだろ。
 いっそ。
 いっそ、貰ってくれたらいいのに────

 スーツに着替えて、大きくため息を吐いた時、勢雄さんが浴室から現れた。
 幾分湿った髪だけど、きちんと浴室で身支度してる。
「なんだ?大きなため息だな。幸せが逃げていくぞ?」
「…ふっ、勢雄さんだけあたしのパンツ姿を見て、ズルいなって思ったんですよ」
「俺のパンツが見たいのか?」
「そう言う訳でもないですけどね」
 我ながら、訳の分からないことを言ってるのは自覚してます。

「で?どうすんだ?なにする?なにしたい?」
 矢継ぎ早に聞かれて、特にしたい事もないのに気づく。
 あたしもシャワー浴びたいけど、それは家に帰ってからしろ、って止められた。
 気持ち悪いかもだけど、我慢しとけって。
 やっぱり、勢雄さんはズルいな。

「勢雄さんって、何でバツイチなの?」
「儲け話を避けたからじゃないか?ただでさえ不安定な職で、安定から逃げたからな」
「ふぅん…大人は大変だね」
「君もその大人の仲間入りしたんだろ?」
「そうだった…!」

 馬鹿話が楽しい。
 打てば返るって、こんなことなのかな。
 心地好い遣り取りリズム。

「メシでも、茶でも、取りあえず出るか」
「このままここで、おしゃべりでもいいですよ?」
 少し間を空けて、言葉を掴んだ勢雄さんが言う。
「いや、出掛けよう。腹へった」
 その姿に、なんかもやっとした。
 いらっとかな?うー!

「人目を避けたいんですか?二人きりは避けたいんですか?どっちなんです?」
 考えなしに口をつく言葉。
 責めたい訳じゃないのに、これじゃあ、責めてるみたいだ。
 
 勢雄さんは、おっきな溜め息をついて、手で顔を覆った。
 いつもの余裕綽々の表情は見せてくれない。
 指の隙間は開いていて、あたしを見てるから、睨み付けてやる。

 エアコンの自動風量の強さが変わる音がして、冷たい空気が止まる。

 あたしは、勢いをつけて勢雄さんをソファーに押し倒して、馬乗りになって
 ───勢雄さんの、唇にキスしてやった。
 
 軽く、触れるだけのキス。
 こんなんで、何か変わるなんて思ってない。
 そんな簡単に堕ちる人ならばこんなにも抉らせてはいない。

 ただ、貴方を想っているのだと、刻みつけたかった。
 深く、深く刻み付けることが出来ればいいと、浅はかなのは百も承知。

「やめとけ」
 冷静な勢雄さんの声。
 大好きな、勢雄さんの声。
 こんな、困った顔をさせたかった訳じゃない。
 
 自分の意思とは関わり無くかってに流れ出る涙。
 泣きたくないのに。
 
「なんで、どうして…あたしは、ファンでいたかったのに…どうして…試すみたいな…握手会なんかしたんですか!」

「あー…それは、謝る。すまん。久しぶりにおまえさんと話したかったんだ。申し訳ない」
 
「へっ…?」
「…ぐぉ!」

 素直に謝られて腰が抜けて、あたしは勢雄さんのお腹の上に体重を落としてしまった。

「ごめんなさいっ!」
「…勘弁してくれよ。夜公演ソワレあんだぞ?」

 そう言って、勢雄さんの手はあたしの頬に延びた。
 尻餅で止まった涙の跡を拭ってくれてる。

「おまえさんが、二十年早く生まれてきてくれてたらな」
「それなら、勢雄さんが二十年遅く生まれてきてくれてもよかったんじゃないですか?」

「「でもそれじゃ絶対会ってない」」
 あたしたちは大笑いした。

「そろそろ下りて貰えませんかね」
 て言う勢雄さんに、なんだか悔しいから想いっきり抱きついてあげた。
 
──── 
  
 祝福の、鐘が鳴る。
 祝福の、花が舞う。
 祝福の、鳥が飛ぶ。

 祝福の…、
 …祝福の…、
───祝福…。

「なんて顔してんだ」
「別に、何でもないですよ」
「折角の晴れの日だって云うのに、仏頂面はよせ」
「泣くの堪えてるだけです。お化粧剥げちゃう」
「泣きたいのか?」
「ダメですか?」
「いや、別に」

いつもの軽口。
いつもの笑顔。
そう、いつもの。
今日は、あたしの結婚式だ。
幸せ、だ。

「じゃあ、後でな」

そう言って、扉を出ていく勢雄さん。
思えば、長い付き合いになったな。

あれから───
 病院で出会ってから十年……

「それにしても、芸能人と知り合いなんて、びっくりしたよ」

私の隣で、微笑む彼。
勢雄さんとは違う。
熊みたいなおっきい体。
あたしをちゃんと抱き締めてくれる人…

「スゴいでしょ?」
自慢気に微笑むと、しゅんとしてる。
もう、仕方ないな。
「雲の上の人だよ…」
って、彼の頭を抱き締める。

彼の頭を胸に抱いて、
ごめんね。
これで最後にするから、今だけ勢雄さんを思わせて。

 ────初恋には、厳重に蓋をして、
でも、キレイなリボンを掛けて、
胸の奥に仕舞っておくから。

そう決めたのに、笑うんじゃねえよ。
挫けそうになるじゃん。

……ばーか。

泣きそうになってるあたしの頬を、彼のおっきな手が包んだ。
  

── 第9章 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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