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濁り目たちと秋の幕あい

玖条詩季

8,132 字

青春群像劇、内省的心理ドラマ

"才能と劣等、すれ違う心。秋風が暴く、三人の幼馴染の真実。"

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どうか、こんなものは、びりびりに引き裂いて、うすら寒い曇天の日の、身を攫うような風に乗せて、どこぞの道端に放ってください。―その手紙は、そう始まっていた。―わたしは、きっと、いま、この世界の誰よりも、みにくいのです。この醜い世界の一片になってしまって、もう誰にもわからないくらい、あまりにも、みにくいのです。大海原の中の小さな泡が音もなく消えるのと一緒に、いつのまにやら、消えてしまうのだと思います。
 わたしは幼いころから、言葉が好きでした。物語が好きでした。父の書斎にこっそり忍び込んで、本をひっぱり出して、ページの一枚一枚に指を這わせるたび、指が、心臓が、血肉が、踊るような心地がするものですから、すっかり夢中になりました。とにかく暇さえあれば本を読んでばかりいる子供で、友達づきあいの類はとんとだめでした。そんなわたしにも、幼馴染の二人だけは、いつでも笑いかけてくれました。
 物語への欲求が高じて、中学に入るころには、自ら紡ぐようになりました。最初は、誰に見せるでもなく、ただ、わたしのために書いていました。わたしが思い描いた空想の世界を、わたしの想いを、自由に綴ることは素晴らしいと思いました。そのころのわたしには、わたしの書く物語が、わたしの知る何よりも、魅力的に映りました。
 そんな感覚が、時が経つごとに、どんどん膨らんでいって、わたしは、浮き上がってしまいました。高校のころ、書いた小説を幼馴染に見せてみました。心優しい二人は、それはもう、褒めちぎってくれました。わたしは、とうとう浮かれきって、賞というものに応募しました。そうしたら、なんと最優秀賞をいただいてしまって、大手の出版社から連絡が来ました。それから、ことはとんとん拍子に進んでいって、ついに、わたしの肩書きに、紛れもない小説家という職業がつきました。
 ひどく幸せな夢を見ていました。わたしがペンを持てば、誰もが期待してくれて、わたしが言葉を綴れば、誰もが読み耽り、わたしの物語を誰もが望むような、そんな、夢です。いいえ、そのころに限っては夢ではなかったのでしょうけれど、いっそ夢であったなら、どれだけ楽だろうにと思います。
 夢は、唐突に、残酷に、終わりを告げました。わたしは、わたしがどれだけ愚かであったか、知ってしまいました。なんて、稚拙で、低劣で、出来損ないの物語を、わたしは、喜々として世に送り出していたのか、知ってしまったのです。
 一度気付いてしまったら、もう二度と、元へは戻れません。わたしに届く声は、変わってしまいました。感想とくれば、わたしを虐げ、批評とくれば、わたしをいたぶりました。わたしが今まで築き上げてしまった、地位が、名声が、わたしの腕を、腹を、喉を、捕まえて、放さず、ぎりぎり、ぎりぎりと、締めあげて、わたしの肌から血が出て、わたしの息が止まっても、やっぱり、締めあげるのです。
 たまらなくて、必死にもがいたら、今度は足元がどろどろと溶け出して、沈んでいって、とうとう溺れてしまいました。季節はずれの海の、それもビーチを連想するような美しい海ではなくて、ごみだらけで汚れきった、もはや誰も近づかないような海の底で、泡を飲み込むように、どうしようもなくなってしまいました。
 ごめんなさい。
 ああ、こんなものを書いて、わたしは、どうしてほしいのでしょう。ごめんなさい。こんなものは、ただ、どうしようもない、わたしのために書いているのです。
 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい―

 *

 「何これ」
 小さな溜息と共に、その手紙を突き返された。右隣に座る彼女―志津は、細い眉をくいと歪める。
 「こんなもの見せて、私にどうしろって言うの」
 「そう露骨に嫌な顔するなよ」
 眞宏は手紙を受け取って、手持ち無沙汰に弄びながら、同じく溜息をつく。
 「俺だって志津を困らせたいわけじゃないけどさ、心配だろ、こんな手紙…」
 「どうせまた、たいした意味もない思いつきでしょ。あの子、本当に突拍子もないんだから。昔からそう。眞宏もいいかげん、私を巻き込まないでよ」
 「いや、そうだと思うけどさ…」
 志津の物言いに歯切れ悪く応じながら、眞宏は天を仰ぐ。二人は小さな公園のベンチに腰掛けていた。かつて幼い子供たちに遊ばれていたらしき遊具はすっかり錆びれ、乾いた風が吹くばかりの古びた公園だ。今のような空が高くなる季節には、より一層もの寂しい空気を纏っている。
 「今回はなにか、違うような気がするんだよ。この手紙の最初のほう、不穏なことも書いてあるし…とり返しのつかない、馬鹿なこと考えているんじゃないかって」
 「あの子が?」
 ひときわ強い風が二人の頬を撫でた。志津は寒そうに身を捩ったあと、赤ばんだ手をポケットに突っ込む。
 「あの子は、そんなことしないでしょ。阿紀は…、あの子はいつだって滅茶苦茶で、小さいころから、私たちを困らせてばかりなんだから」
 眞宏は目の前の彼女と共に、もう一人の腐れ縁を思い浮かべる。

 三人は幼馴染だった。眞宏と、志津と、それから阿紀。いつから交流があったのか、眞宏は覚えていない。家が近所だという理由で引き合わされてから、気がつけばいつも一緒にいた。不思議と嫌ではなかった。三人それぞれに癖があって、その癖が、隣り合ったパズルのように、ぴちりと嵌まってしまったのだろうと思う。
 阿紀はとにかく読書家で、三人でいるときも本ばかり読んでいた。それだけならいいのだが、あまりに本の世界にのめり込みすぎて、物語の展開に従って気分が乱高下してしまう子どもだった。おまけに行動が突発的すぎた。それで冷静な志津がたしなめて、たしなめすぎて、喧嘩になったところを眞宏が収めた。結局、阿紀の影響を受けたのだったかなんだったか、他二人も本が好きになって、そろって物語に没頭した。とにかく、三人は、そうやって一緒にいたのだ。
 その均衡が崩れたのは、高校三年の春だった。阿紀の執筆した小説が書籍となり、年間ベストセラーを叩き出したのだ。元々、細々と創作を行っていることは知っていたが、そういった程度を遥かに超えていた。
 天宮阿紀は天才だった。
 瞬く間に読書家たちの間で名を馳せ、小説家としての地位を確立していった。眞宏と志津が大学に進学したのちも、阿紀は小説一本でやっていった。それは日々の暮らしを賄ってあまりあるほどだった。二人もまた、幼馴染のよしみで、できる限り阿紀を支えた。阿紀は、その周りを囲うすべてが、順調だった。そう、順調だった、はずなのに。
 ひと月まえ、阿紀は忽然と姿を消した。

 「『この世界の片隅で、いつのまにやら、消えてしまうのだと思います』…、その手紙、昨日届いたんでしょ。阿紀が行方不明になってから、もうひと月も経っているんだし、あの子、きっとまた変ないたずらしているのよ」
 志津の、ポケットに突っ込んだ両手が、ひょこひょこと動く。
 「もういい? 私、今日二限からだから、そろそろ行かないと」
 「待ってくれ、俺はただ心配して…」
 眞宏はどう続けていいかわからず、何ともなしに携帯を見て時刻を確認してから、地面に視線を戻した。空は乾ききっているのに、地面にだけは雨の名残が色濃く感じられる。浅い水たまりの感触が靴底を通して伝わってきて、異様なほど気持ちが悪かった。なにせ、大切な幼馴染を失うかもしれない事態なのだから。
 僅かな沈黙を志津が破る。
 「ばかみたい。阿紀は、これ以上ないくらい、順調じゃない。なに不自由なく生きていて、なにを悩むって言うの。あんな手紙書いて、あの子、なにがしたいの。こんな、くだらない」
 「そんな言いかたはやめろよ。誰がどんなことに苦しんでいるかなんて、本人以外に、誰にもわからない」
 「十分認められていて、何が苦しいの」
 「苦しいよ。期待は苦しい。羨望は苦しい。自分で、自分自身に、望んでしまったら、もっとくるしい」
 「くだらない、無駄に悩んだって、しょうがないでしょう」
 「そうは言っても、切り替えられないときもある」
 「冷静になればいいのよ。冷静に、客観的に、俯瞰して、溺れるところなんて、どこにもないんだから…」
 志津は両手をポケットに突っ込んだまま、冷たいベンチから立ち上がった。
 「私、これから講義だから」
 「講義を受けに行くと言うわりに、志津は荷物を持っていないんだね」
 「私だって暇じゃないの。あんな、死にたいんだか、探してほしいんだか、わからない、くだらない手紙に、付き合っていられないの」
 「くだらない?」
 「くだらない」
 「『あんな手紙』に、随分詳しいね」
 「さっきからなんなの、帰らせてよ」
 「ねえ志津」
 眞宏は、その瞳を見つめた。濁った藍に、微かな白と暗い灰を混ぜたような、大きなひとみ。ああ、やっぱり、繋ぎ止めなければ。
 「志津は、さっきからポケットの中を気にしているようだけど、そこに、何を入れているの?」
 「さっさと帰らせて」
 「聞き方を変えようか」
 澱んだ海底のような瞳を、見つめる。
 「志津、おまえは、こんな手紙書いて、これから、何をしようとしているの」
 その瞳が、揺れて、歪んだ。
 一拍、二拍、三拍。存外早く、志津は口を開いた。
 「なんでわかったの」
 「この手紙は昨日届いたのだと言ったね。俺はそんなこと言っていないよ。実際、届いたのは今朝八時すぎ。速達で来た。速達は、近くの地域ならまず次の日に届くから、手紙を投函した日時から考えて、昨日届いているだろうと思ったのかな。実際は、昨日の雨の影響か、遅れて届いた」
 「ああ、そう…」
 志津は掠れた声で呟いて、倒れ込むようにベンチに座り直した。
 「昨日は、朝からそこそこの大雨だったものね…、そりゃあ、郵便が遅れることも、あるでしょうね。私、やっぱりばかだね。私、わたしは…」
 「志津」
 「私…、わたし、ひどいでしょう。あんな、くだらない手紙書いて、送りつけておいて、しらばっくれて…、挙句の果てに、阿紀のせいにして」
 「最初から、阿紀が書いたことにするつもりだったの?」
 「……、眞宏が、阿紀がいなくなった話を持ち出すから、それにかこつけて、わたしが書いたんじゃないってことに、できないかって…あんなもの、なかったことに、してしまおうって…」
 「この手紙を」
 「ああそうだよ‼」
 志津は、眞宏が掲げた手紙をひったくって、そのまま衝動に任せるように、びりびりに引き裂いて、投げ捨てた。
 「わたしが書いた、わたし、わたしが…っ、だって阿紀の文章はこんなじゃない、こんなに汚くない、阿紀はちがう、わたしが、わたしが‼」
 「志津、いったん落ち着いて、」
 「こんなもの捨ててくれればよかったのに‼」
 眞宏が宥めようとするのも構わず、彼女は狂ったように捲し立てる。
 「ねえ覚えてるでしょ、わたし、高一のとき、賞取ったの。最優秀賞、大手出版社の、ちゃんとしたやつ。プロが応募するようなのじゃなくて、新人賞だったけど、でもたしかに、最優秀だった。それでわたし、期待されて、小説書くようになった。そう、期待、期待だった、あれはたしかに期待だった! わたしは認められてた! でも所詮それだけだった。段階がちがった。次元がちがった。なにもかもちがった‼ 地位だの、名声だの書いちゃって、ほんとに、ばかみたい。阿紀はそんなものじゃない。阿紀に比べて、わたしが、どんなにちっぽけか、高三のとき、やっとわかった。ほんとにくだらない‼」
 「志津‼」
 彼女の腕を握りしめ、抑え込む。そうしないと、彼女は今にも暴れ出しそうだった。眞宏は一度息を吐き出してから、努めて冷静に、語りかけた。
 「志津、息が乱れているから、とりあえず、深呼吸しようか。いったん、落ち着こう、な?」
 低い声につられて、彼女の呼吸が少しずつ緩くなっていく。落ち着いたころを見計らって、一度体を離した。
 「ねえ、そのポケットに入っているもの、くれる?」
 「……、どうして」
 「大切な幼馴染を失いたくないからだよ」
 「…大切だって言うなら、わたしの気持ちを尊重してよ」
 「おまえがそう言うのなら、俺は、今のおまえを否定しなきゃならない」
 その濁りきったひとみから、決して目を逸らさない。
 「悲しいね」
 「ふざけないでよ」
 そのひとみは、揺蕩って、歪んで、それでも、崩れはしなかった。
 「ふざけないで…っ、やだよ、やだ…、これは、取っちゃいや…、わたしの逃げ道を、奪わないでよ…」
 いっそ雨が降ればいいのに。痛いくらいの雨が、二人とも、この秋の空ごと、寸分の隙間もなく閉じ込めてしまったら、この強情で、かあいそうで、いとしいひとみも、少しは素直になるだろうか。
 幸か不幸か、二人の間を通り抜ける風は、なにかに水を吸い取られたように、乾いていた。
 「そもそも眞宏のせいなんだよ」
 今度は肩を震わせて、そんなことを言う。
 「眞宏は、いつだって、笑いかけて、こんなわたしを褒めてくれた…、それだから、阿紀も真似するんじゃない。ほんとは、阿紀のほうが、ずっとすごいのに…、二人してわたしを持ち上げるから、わたし、もっとほしくなっちゃった…、もっと、ほしがっていいって、勘違いしちゃったよ。最初は、眞宏だったんだよ、昔から…」
 眞宏は音もなく唇を躍らせた。なんて、かあいそうに。
 「どうして、眞宏はそうなの?」
 その問に答えはない。いいや、彼女はなにか、答えを求めているのだろうか。たとえば、そう、愛しているからだと言ったら、彼女は納得するのだろうか。どうせ言えやしないのに、無意味な仮定をよぎらせる自分に内心わらいながら、眞宏は言葉を紡ぐ。
 「俺は、本心から思っていないのに、褒めやしないよ。志津の書く物語は、美しいと思っているよ。ほんとうだよ。そりゃあ、阿紀の物語だってそうだけど、どっちのほうがすごいだなんて、ありはしないよ」
 彼女に届くのか、わからない。けれども、今いちばんしてはいけないことは、言葉を切ってしまうことだ。諦めてはいけない。秋風に攫われて、どこへ舞い落ちるかわからない、うすくてちいさな言の葉を、それでも、届けなければならない。
 「俺は、おまえが、この世界からいなくなってしまったら、くるしいよ。きっとそのときは、大声あげて泣くよ。泣いて、泣いて、瞳が、喉が、乾ききっても、まだ泣くよ。いやだよ。俺がいやだ。世界で少なくとも一人、しんからいやがっているってことが、今のおまえを止める理由にならないか?」
 志津は黙りこくった。好機だ。眞宏は携帯を取り出して、彼女に見せた。
 「しかも、一人じゃないんだ」
 「…え?」
 携帯の画面には「アキ」。
 「今朝、志津の手紙が届く少し前に、連絡が来たんだよ。ひと月考えて、ようやく自分の気持ちが言語化できたとか、なんとか…、志津と話したいんだけど、何度電話しても繋がらないから、俺に取り次いでほしいんだと」
 「どういう意味…」
 「とりあえず、掛けるぞ」
 通話ボタンを押す。無機質なコール音が二回響いたところで、聞き慣れた声が出た。
 『ひさしぶり。眞宏と、志津、聞こえる? ごめんねえ、ひと月も行方くらましちゃって。心配かけたよね』
 「…阿紀、」
 志津は茫然と呟いてから、はくはくと口を動かした。
 『あのねえ、私、なんだか、もやもやが限界に達しちゃって、旅にでていたの。考えて、考えて、やっと腑に落ちたんだけど、私の中に留めたままじゃ、多分また暴走すると思うから…もう、いっそ、話しちゃおうと思って。身勝手でごめんね。聞いてほしいの』
 最初は間延びしていた阿紀の声が、だんだんと真剣な色を帯びていく。二人は静かに耳を澄ませた。
 『私ね、作家として成功して、嬉しかったよ。本の売り上げ部数だとか、受賞歴だとか、そういうので評価されて、褒められるのも、正直、気持ちがよかった。なにより、眞宏が、志津が、私ならもっとできるって言ってくれるのが、いちばん好きだった。二人は、ずっとそうだもんね。私、子どものころは、落ち着きがなさすぎて、厄介扱いされていたけど、二人はいつも優しくて…』
 阿紀は一度軽く咳払いしてから、続けた。
 『話が逸れたね。とにかく、私は、今の状況に満足してる。でもね…、心のどこかが、霧がかかっているみたいに、もやもやして、たまらなかったの。だってね』
 そうして、言った。
 『私なんかより、志津のほうが、ずっとすごいんだよ?』
 「え?」
 志津の、濁った大きな瞳が、衝撃に見開かれた。
 『私、志津の綴る言葉が好き。志津のつくる、物語の世界が、大好きだよ。でも、それだけだった。なんて言うか…、私たちは、三人みんな、平等だと思っていたの。だから、高一の冬、志津が賞取ったとき、実は、嫉妬した。いつのまに、そんなすごいところに行っていたの…って。それから必死に追いつこうとして、そうしたら、本出せることになって、もっと混乱して…、ごめん、今の私がこんなこと言うのは、傲慢だよね。ごめん、でもね、私ばっかり世間で有名になっちゃって、私、混乱していたの。それで、旅なんかしちゃった』
 「…なに、それ」
 やっと漏れた声に乗るのは、驚愕なのか、安堵なのか、きっと志津自身にも、分かっていないのだろう。
 「なにそれ、わたしこそ…」
 『志津?』
 「…ああ、そっか、そうだったんだね。ほんとに、ばかだ、わたしたち、同じだったんだね」
 言の葉が、溢れ、舞い落ちて、花開く。笑みが零れた。
 「あはは、そっかあ」
 『なあに、志津、同じなの』
 「うん、おんなじだよ」
 澱んだ海底のようだった瞳が、見る間に煌めいて、瞬いて、また、美しい浅瀬の綾波のように、きらきらと、揺らめいた。
 『そっかあ、おんなじなんだねえ』
 「うん」
 それから、ころころと、幼い子どものような笑い声が、古びた公園の中、澄みきった空の下、天高くこだまし続けた。影が少しずつ伸びていき、冷たかった風に温もりが混ざり始めても、まだ続いていた。

 *

 ふと見ると、足元に散らばった手紙の欠片が乾いていた。吸い込まれた水たまりごと日に照らされ、干あがったらしい。天を仰げば、日が大分高くなっている。
 「あーあ、講義、遅刻どころの騒ぎじゃないな」
 志津が大きく伸びをして、呑気に言う。彼女の全身を押さえつけていた何かが消えたように、軽々と、晴れやかな様子だった。
 「まあ、いっか、もう。一日くらい休んだって。今日はもう、家に帰って、ゆっくりしよ…ああ、その前に」
 思い出したように、ポケットの中から硝子瓶を取り出す。白い錠剤が詰まっているのが見えた。
 「とりあえず、これを、自治体の規定に従って処分することにするよ」
 「それがいいね」
 眞宏も相槌を打ちながら、大きく伸びをする。どっと疲れた。嫌な疲れではない。なにせ、眞宏の願いは叶えられたのだから。
 「眞宏」
 志津が呼びかける。随分と眞宏を振り回した彼女も、今求められているのが謝罪ではないことは、もうわかっているのだろう。
 「ありがとう」
 「なんだよ」
 柔い日を照らしながら、穏やかな秋風が吹き抜けた。

── 了 ──

読んでくれてありがとう。良かったら作者にスキを送ろう。

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